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(35) ガザとは何か (岡真理:大和書房) 2023.12.30
   2023年12月刊行 (2023.12.29 近鉄百貨店橿原店ジュンク堂)  

・現在起きていることは、ジェノサイド(大量殺戮)
・歴史的文脈を捨象した報道は、今起きているジェノサイドに加担していることになる。
・イスラエルという国家は入植者による植民地国家であり、パレスチナ人に対するアパルトヘイト国家(特定の人種の至上主義に基づく、人種差別を基盤とする国家)である。
・イスラエルは戦争犯罪、国際法違反、安保理決議違反を続けてきたが、国際社会はきちんと裁いてこなかった。
「ウクライナのように、アメリカにとって都合のいい場合は国際法や人権が声高に主張され、メディアもキャンペーンを張り、アメリカにとって都合が悪い場合は、国際法も人権もまったく顧みられない。」
「問題の根源は、入植者による植民地主義です。ここで問われているのは、植民地主義的侵略の歴史にどう向き合うか、ということです。」
 イスラエルによるガザ攻撃は、いわゆる西側諸国、そして私たちが加害者側に立っている問題だ。このままで良いはずがない。
 
(メモ)
・ガザ封鎖後の繰り返されるイスラエルの攻撃
 @2008年12月から2009年1月の22日間の攻撃・・・1400人超のパレスチナ人が殺される
 A2012年11月の8日間の攻撃・・・140人の死者
 B2014年7月から8月の51日間の攻撃・・・2200人以上の死者
 C2021年5月の15日間の攻撃

[イスラエル建国]
・イスラエルの建国:1945年ナチス・ドイツが敗れ、ソ連軍がアウシュヴィッツを解放。ドイツや東欧地域で行くあてのないユダヤ人25万人が難民となった。1947年11月29日国連総会でユダヤ人難民問題を解決するための投票が行われ、「パレスチナを分割し、そこにヨーロッパのユダヤ人の国を創る」ことが賛成多数で可決された。
・シオニズムのきっかけ:1894年フランスでのドレフュス事件。フランスでユダヤ系ドレフュス大尉が国家機密漏洩の罪に問われ終身刑を宣告された。同化してもユダヤ人であれば冤罪を着せられて終身刑になる。同化はユダヤ人差別の解決にならない。・・ユダヤ人に大きな衝撃
・1896年ヘルツルが「ユダヤ人国家」出版。政治的シオニズム(パレスチナにユダヤ人国家を創る)運動が誕生。当初ユダヤ人に人気なかった。敬虔なユダヤ教徒にとっては、ユダヤ人は世界に離散していて、どの国でもマイノリティの存在で様々な差別に遭う、これは神がユダヤ人に与えた試練であり、その試練を甘受しながら、ユダヤ教徒として神の教えに従って正しく生きていれば、いつの日か、神はメシア=救世主を遣わして、我々をパレスチナに帰してくれる、これが紀元以降のユダヤ教の考え方。神がメシアを遣わしてもいないのに、人間の手で、それどころか帝国の軍事力を利用して、自分たちの国を創って神が与えた試練であるディアスポラ=離散状態に人為的に終止符を打つなどというのは、ユダヤ教それ自体の否定である。ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する人、その教えを守る人たちのことだから、正統派ユダヤ教徒は、シオニストはもはやユダヤ人でさえないとさえ考えた。
・当時のヨーロッパ人が持つ、アラブ人、ムスリム、アジア人などに対するレイシズムと、ヨーロッパ人、西洋白人が軍事力の行使によって彼らの土地に自分たちの国を持つのは当然だとする植民地主義の精神を、シオニストたちもまた、当然のこととして共有していた。
・ユダヤ人難民問題をどうやって解決するか、ということで国連がとった解決策が、「シオニズムがあるじゃないか」というものだった。
・当時、パレスチナ人(アラブ人)の人口は約120万人。ユダヤ人が約60万人。ユダヤ人が購入して所有していた土地は全体の6%。
1947年の国連総会で採択された分割案では6%しか持っていなかったユダヤ人に半分以上の土地を与えるという案だった。
・国連総会にかける前に、特別委員会を設けて分割案について検討させた(アドホック委員会)。アドホック委員会の結論は、パレスチナ分割は国連憲章違反であり法的に違法、アラブ国家は経済的に持続不可能、政治的には不正。しかし、ソ連とアメリカの多数派工作によって可決された。国連は誕生してわずか数年で自らの憲章の精神を裏切る決議を行った。
1947年11月末から48年5月のイスラエル建国を挟んで49年年明けまで、1年以上にわたり、パレスチナ人の民族浄化の嵐が吹き荒れる。デイル・ヤーシーンなど。これに加わった民兵組織のリーダーが後にイスラエル首相になったベギン。「ナクバ
1948年12月10日世界人権宣言採択。翌日、総会決議194号を採択:イスラエル建国によって難民となったパレスチナ人は即刻自分たちの故郷に帰る権利がある。帰還を希望しない難民に対しては、イスラエルは財産を補償するように。・・・決議は守られず
・ユダヤ国家イスラエルの建国は、レイシズムに基づく植民地主義的な侵略である。パレスチナ人を民族浄化することによって、ユダヤ人によるユダヤ人のためのユダヤ人至上主義国家がパレスチナに創られた。
・イスラエルにゾフロットというNGOがある。反シオニスト団体。パレスチナ人のナクバの記憶を、イスラエルの国語であるヘブライ語でイスラエルの歴史の中に記録し、イスラエルのユダヤ人の記憶に刻み込もうという運動をしている。2011年に通称「ナクバ法」と呼ばれる法律が制定され、イスラエルではナクバを公的に悼むことが禁じられた。
・ガザの人口や約230万人。1平方キロ当たり6300人。関西で言えば八尾市くらい。世界で最も人口過密とは言えない。人口過密はガザ地区全体ではなく、難民キャンプおよびその周辺に人口が集中。1平方キロあたり20万人近い人が住んでいる難民キャンプのような場所が、今、無差別に攻撃されている。

[ハマース]
・1948年民族浄化で75万人以上のパレスチナ人が難民化
・1957年アラファト議長率いる民族解放運動組織「ファタハ」誕生
・1967年第3次中東戦争でイスラエルは東エルサレム、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、エジプトのシナイ半島、シリアのゴラン高原を占領。→PFLP(パレスチナ解放人民戦線)、DFLP(パレスチナ解放民主戦線)のような武装解放組織立ち上げ
1987年第1次インティファーダ・・・国際社会は「イスラエルの占領は違法」としながら、実効的な措置を取らない。民主の怒りの爆発・・・この時にイスラーム主義を掲げる民族解放組織「ハマース」誕生
・ハマースは、ファタハやPFLP、DFLPと同じく、占領された祖国を解放する民族解放運動の組織。PFLPがマルクス・レーニン主義を掲げるのに対して、ハマースはイスラーム主義を掲げる。
1993年オスロ合意:イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)が相互承認し、イスラエル軍は占領しているヨルダン川西岸やガザから漸次撤退しパレスチナが暫定自治を治め、5年の間に「最終的地位」について合意し、公正で永続的な包括的和平を実現するというもの。
・1994年にパレスチナ自治政府が発足し、暫定自治が始まるが、2000年第2次インティファーダが起こる。第2次インティファーダが起こる3か月前にパレスチナを訪れた。自治政府が置かれた西岸のラーマッラーでさえ、パレスチナの土地が日々奪われ、入植地がどんどん造られていた。1993年オスロ合意から2000年の第2次インティファーダまでの7年間で入植者はそれまでの1.5倍に増えた。イスラエルがやっていたのは撤退とは反対のこと。第2次インティファーダではハマースだけでなく、PFLPもファタハの戦闘員もイスラエル領内に入って自爆攻撃などを行った。
・2005年、ガザからイスラエルの全入植地が撤退し、イスラエル軍も撤退。しかし、ガザを撤退した入植者はヨルダン川西岸に新たに入植。ガザにはパレスチナ人しかいなくなったので、ガザ封鎖や無差別攻撃が可能になった。
2006年、パレスチナ立法評議会選挙・・・日本で言えば総選挙。ハマースが勝利。当初ハマースだけで組閣したが、ハマースをテロ組織と見なすイスラエルやアメリカがハマースの政府を認めず。これを受けてファタハのメンバーを加えて統一政府を作る。ハマース憲章にはパレスチナ全土の解放が掲げられているが、この時、ブッシュ政権に対して、統一政府を承認するならオスロ合意に則ってガザと西岸に主権を持ったパレスチナの独立国家を創り、イスラエルと長期にわたる休戦条約を結ぶ用意があると申し出→アメリカ、EU諸国はファタハメンバーに軍事訓練を施し、ハマースに対してクーデターを画策。ガザは内戦状態に。→勝利したのはハマース。・・・ハマースは民主的な選挙で政権与党になった。ハマースへの政権移譲を認めずにアメリカはクーデターを画策しようとしたところ、機先を制してハマースが勝利した
・「ガザを実効支配するイスラーム原理主義組織ハマース」と聞くと、IS(イスラム国)のような暴力集団が武力でガザを制圧し支配しているように思えるが、内実はまったく違う。
・2007年、イスラエルはハマースを政権与党に選んだパレスチナ人に対する懲罰として、ガザに対し完全封鎖。人間の出入り、物資の搬入・搬出すべてをイスラエルが管理。
2023年10月7日にハマース主導によりガザのパレスチナ戦闘員たちが行った奇襲攻撃は、占領軍であるイスラエル軍に対する抵抗として、国際法上認められている抵抗権の行使だ
・まず狙ったのがガザ周辺の12か所のイスラエル軍基地であり、そこを占拠し、その後、駆け付けた治安部隊と交戦して全員殺されている。キブツや音楽祭の襲撃して民間人を殺したことばかり報道されている。キブツの襲撃は国際法違反であり、戦争犯罪。
・民間人を巻き込む作戦の是非は厳しく問われなければならないけれど、この軍事攻撃自体は占領された祖国解放のために実行されたもの。イスラエルが躍起になって否定したいのがこのこと。祖国を占領から解放するために、ガザのパレスチナ人の若者たちが死を覚悟して戦っている、大義ある戦いを行っているという歴史的文脈こそ、イスラエルにとって最も都合の悪いこと。
・2014年の51日間戦争の時、ハマースは無条件停戦案を拒否した。封鎖解除を条件にしない停戦は受け入れることができない。それに対して日本や国際社会の報道はハマースを非難。1週間後、ガザの市民社会の代表者たちが、英語で「封鎖解除なく停戦はいらない」というタイトルのメッセージを発信。
「封鎖解除なき停戦を受け入れろというのは、この攻撃が始まる以前の状態(7年続いた封鎖状態)にただ戻れということで、それは我々にとって生きながら死ねというに等しい」と訴えた。
・ガザについて報道されるとき、「人道危機」という言葉がさかんに使われる。人道的危機はある。でも、それはガザ、パレスチナの問題のすべてではない。
パレスチナ問題は政治的な解決を求める政治的問題。にもかかわらず、巨大な人道危機が絶えず作り出されることで、人道問題にすり替えられている
・2018年3月末から1年半以上にわたり、ガザで「帰還の大行進」という一大デモが継続的に行われた。訴えたのは3つ:帰還の実現、ガザ封鎖解除、米大使館のエルサレム移転反対。平和的デモに対し、イスラエル軍は催涙弾や実弾で応じ、死者も出た。5月14日15日だけで100人以上が殺された。日本ではこのとき、米大使館のエルサレム移転に抗議して大規模なデモが行われ100人以上が殺されたとだけ報道された。このデモの文脈、70年前から国際社会が認めているパレスチナ人の帰還実現、国際法違反の封鎖解除を訴えていることに全く言及がなかった。

・アムネスティ・インターナショナルは、イスラエルが行っていることは、パレスチナ人に対するアパルトヘイト(人種隔離政策)であると言い切っている。280ページの報告書。
・ヒューマン・ライツ・ウォッチも、イスラエルはアパルトヘイト国家にほかならないとして、ユダヤ人至上主義をやめよとイスラエルに訴えている。
・イスラエル政府は、パレスチナにある6つの人権団体をテロ組織と認定している。イスラエルの人権侵害の犯罪を告発する者たちはイスラエルにとってテロリストだということだ。
・問題の解決に必要なのは政治的解決。政治的な解決を放っておいて、破壊されるたびに復興支援や人道援助だけをしても、また次の攻撃で破壊される。
封鎖や占領という政治的問題に取り組まずに、パレスチナ人が違法な占領や封鎖のもとでなんとか死なずに生きていけるように人道支援するということは、封鎖や占領と共犯することだ

                   2023読書記録トップへ   内容一覧トップへ 

(34) □ 入管問題とは何か (鈴木江里子・児玉晃一編者:明石書店) 2023.12.28
   2022年9月刊行 (2023.11.14 アマゾン)  

 2023年6月に入管法が改正された。出入国在留管理庁のHPには改善法の概要として次のようなことが記載されている。
(1)保護すべき者を確実に保護
1.「補完的保護対象者」認定制度
 ・条約上の難民ではないが、難民に準じて保護すべき者を保護、安定した在留資格の付与、制度的裏付けのある支援の実現
2.在留特別許可制度の適正化
 ・申請手続の創設、考慮事情を明示、不許可の理由を告知する規定の整備、在留特別許可と難民認定手続を分離
3.難民認定制度の運用の見直し
 ・面接における申請者の心情等への適切な配慮、難民の出身国情報の充実、難民調査官の調査能力の向上、難民該当性に関する規範的要素の明確化
(2)送還忌避問題の解決
1.送還停止効の例外規定
 ・
現行法上、難民認定申請中は、何度でも一律に送還が停止するところ、その例外規定を創設・・・3回目以降の申請者、3年以上の実刑前科者、テロリスト等
 ・3回目以降の申請でも、難民等と認定すべき「相当の理由がある資料」を提出すれば送還停止
2.罰則付きの退去等命令制度
 ・現行法上、送還が困難な以下の者につき、
退去を命令する制度を創設し、自ら帰国するよう促す・・・退去を拒む自国民を受け取らない国の者、航空機内で送還妨害行為に及んだ者
3.自発的な帰国を促すための措置
 ・摘発された者等でも、自発的に帰国する場合は上陸許否帰還を短縮(5年→1年)
(3)収容を巡る諸問題の解決
1.収容に代わる監理措置
 ・監理人の監理の下で収容しないで退去強制手続を進める措置の創設。個別事案ごとに、逃亡等のおそれに加え、収容により本人が受ける不利益も考慮し、収容か監理措置かを判断。本人及び監理人に届出義務等。逃亡等の防止に必要な場合に限り保証金を納付。被収容者につき、3か月ごとに収容の要否を必要的に見直す。
2.仮放免の在り方の見直し
 ・健康上の理由に基づく仮放免請求は、医師の意見を聴くなど、健康状態に十分配慮して判断すべきことを明記。
3.適正な処遇の実施
 ・常勤医師の兼業禁止を緩和。強制治療に関する規定(拒食対策)。制止要件の明記。3か月ごとの健康診断。職員への人権研修の実施など。

本書で問題にされている無制限な収容期間、司法審査は追加されることがなく、難民認定者が非常に少ないにもかかわらず、3回目以降の難民認定申請者は送還されてしまうという人道上の問題がある。海外からの労働者数が急増する中、ひどい扱いは早くやめなければいけない。

(メモ)
・2021年末、全国17か所の入管収容施設に収容されている外国人は124名。新型コロナ感染症対策として仮放免が積極的に活用される前は1054名(2019年末)だった。
・ウィシュマ・サンダマリさんの事件。妹のワヨミさんとポールニマさんが当時の名古屋入国管理局長らを刑事告訴したが、2022年6月、名古屋地方検察庁は嫌疑なしで不起訴処分とした。2022年3月、母親と妹2人が、国家賠償を求め名古屋地方裁判所に提訴。・・・現在も進行中(「世界」2024年1月号)
入管収容施設の歴史は、1946年6月に長崎県佐世保市に設置された針尾収容所に始まる。日本国籍を有する旧植民地出身者の「国内移動」である日本への入国を「不法入国」と位置づけ送還するための施設だった。
入管収容施設とは、退去強制事由に該当すると思われる外国人の違反審判を円滑に行うとともに、違反審判の結果、退去強制令書が発付された外国人を確実に送還するための収容施設
・1981年刊行版以降の入管白書には、「保安上の理由」という常套句が、被収容者の自由を奪う口実として機能している。
・2021年6月末の最長収容期間をみると、大阪出入国在留管理局では5年8か月、東日本入国管理センターでは6年、大村入国管理センターでは8年9か月にも及んでいる。
2020年8月、国連・恣意的拘禁作業部会は、二人の難民認定申請者が通算4年半以上収容されたことは恣意的拘禁に当たるという意見書を採択し、翌9月に日本政府宛てに当該意見書を送付した。しかし日本政府は改善の必要なしとの態度。
・仮放免者には、退去強制手続き中で収容令書が発付されている者と、すでに退令が発付されている者がいる。近年、仮放免者が増えている事に加え、後者の人が増えている。
仮放免者は、入管法上、移動の誓約、期間延長のための出頭義務、就労の禁止等が課せられている以前は就労はある程度黙認されていた。2015年9月の入管局長発出の通達以降、就労禁止が徹底されるようになった。
・日本での滞在を希望する者にとっての出口は、難民認定や在留特別許可(在特)による正規化。正規化を求めて、退令発付処分取消や難民不認定処分取消などの訴訟をしている者、難民認定新政をしている者、再審情願をしている者などもいる。
帰れない事情を抱える在留希望者に対して、入管は「送還忌避者」という新たなカテゴリーを作り、送還促進の取り組みを強化している
・入管がまとめた「現行入管法上の問題点」(2021年12月)では、「送還忌避者」3103人(2020年末)のうち、994人が有罪判決を受けていることが強調されている。だが、みな、すでに刑期を終え、罪を償った者たちである。

・ある外国人に退令が発付される根拠は、退去強制事由に該当すること。
退去強制事由とは、国家が「好ましくない外国人」とみなす事由のことであり、事由が増えれば排除の範囲は拡大する
・2004年12月に在留資格取消し制度が創設され、09年、16年の改定で事由が追加されている。
・2008年の改定入管法では「不法」就労助長が退去強制事由に追加。1206人が20年までに対象となっている。2012年の新しい在留資格制度の導入に伴って、在留カードに係る退去強制事由が追加。819人が対象となった。
いわゆる「単純労働者」を受け入れないという基本方針の背後で、「単純労働」分野における労働力需要があったからこそ非正規滞在者が必要とされ、それに代わる労働力供給源が十分でなかった時代には、彼/彼女らの存在が一定程度黙認されていた。
受け入れ環境の整備を怠ってきた偽りの移民政策こそが、適切な難民保護をしてこなかった偽りの難民政策こそが、問われるべきではないか。つまり、「送還忌避者」を生み出す一因は、国の移民政策や難民政策にあるのだ。
・1991年5月、「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」が制定。旧植民地出身者とその子孫に対して、在留の資格「特別永住者」が付与されるとともに、彼/彼女らの退去強制事由は、他の外国人に比べて大幅に制限された。2005年9月、中国残留邦人等に係る定住者告示が見直され、普通養子や「連れ子」に対しても在留資格「定住者」が付与されるようになった。つまり、「好ましい外国人」と「好ましくない外国人」の線引きは絶対的なものではない。

・トルコではクルド人への差別が激しく、迫害や弾圧を受けている。それらから逃れるために日本に来ているクルド人が今、400人ほどいる。日本政府は国連の難民条約に加入しているから、難民が日本に来て助けを求めていたら保護する義務があるが、実際にはトルコ国籍のクルド人難民を一人として認めていない。
トルコ政府と友好関係にあるためだ

[現行の収容制度]
・オーバーステイなどの退去強制事由に該当する疑いのある外国人については、入国警備官の請求により主任審査官が発付する収容令書によって、収容施設に収容することができる。入国警備官は現場で摘発などをする入管職員。主任審査官はその上司。裁判所の関与はない。収容令書による収容をするためには、逃亡の危険など収容の必要性を吟味する必要はなく、
退去強制手続きの対象者はすべて収容した上で手続きを進めるものとされている。・・・「全件収容主義」
・収容令書による収容期間は原則30日間だが、主任審査官が認めた場合はさらに30日間の延長が可能。
退去強制事由が発付された場合は、送還可能な時まで収容を続けることができるとされ、期限がもうけられていない。
・収容されている外国人は、一定の保証金を納付して収容からの解放を請求することができる。請求を受けた当局は300万円を超えない範囲内で保証金を納付させ仮放免することができる。
・仮放免の許否判断基準は法律や規則で定められていないが、2018年2月に法務省入国管理局長が発出した指示に「仮放免運用方針」が添付されている。
・仮放免を許可することが適当と認められない者」として、@反社会的で重大な罪により罰せられた者 A犯罪の常習性があり再犯の恐れがある者 B社会生活適応困難者(DV加害者や社会規範を守れずにトラブルが見込まれる者) C偽装滞在や不法入国等の関与者で悪質と認められる者 D仮放免中の条件違反により再収容された者 E難民認定制度の悪質な濫用者 F退去強制令書の発付を受けているにもかかわらず難民認定申請を繰り返す者 G仮放免許可期間が延長不許可となり再収容された者
→目的外収容を認めている点で大きな問題。入管法上の収容はあくまで、強制送還の実施を確保するために行われる。
・@からCは、入管法による収容を治安維持のために利用することを認めるもので、予防拘禁にほかならない。

・現在の日本の入管収容の手続き上の問題点は3つに集約される。(A)収容の必要性を検討せずに収容することができること (B)事前の司法審査がなく、入管当局のみの判断で収容の許否が判断され、事後的にも効果的な司法による救済が保障されていないこと (C)退去強制令書による収容には期限がないこと
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(33) □ ナチスは「良いこと」もしたのか? (小野寺拓也、田野大輔:岩波ブックレット) 2023.11.27
   2023年7月刊行 (2023.9.23 近鉄百貨店橿原店ジュンク堂)  

 未整理
                   2023読書記録トップへ   内容一覧トップへ 

(32) 〇 止まった時計 麻原彰晃の三女アーチャリーの手記 (松本麗華:講談社) 2023.11.18
   2015年刊行 (2023.10.19 アマゾン古本)  

 10月に加害者家族としてイベントに参加していた松本麗華さんは、本を書いたことが大きな転機になったことを語っていた。それを聞いて本書を読むことにした。
 地下鉄サリン事件で多くの逮捕者が出た後、数年が経っても引っ越し先で激しい住民運動に遭い、行政も助けるどころかむしろ行政主導で受け入れ拒否をした。事件から9年近く経って大学に合格しても入学が許可されないなど、希望を奪われてきた。でも彼女は闘いながら生きてきた。
 本を読むとひどい社会だと感じるけれど、自分が当時どのように見ていたかを思い起こすと、住民の反対運動にしても間違っているとは見ていなかったように思う。共感ではないところで原則をしっかり持っていないと同じことを繰り返してしまう。
 
(メモ)
・1983年 著者誕生。麻原「鳳凰慶林館」渋谷区に開設
・1984年 ヨーガ道場「オウムの会」と改称
・1986年 麻原、初めての出版。表紙に空中浮揚の写真。「オウム神仙の会」と改称
・1987年 「オウム真理教」に改称。
・1988年 富士山総本部道場に移転。信者の真島照之氏が修行中に事故死
・1989年 信者の田口修二氏殺害事件。上九一色村に土地取得開始。「オウム真理教被害者の会」結成。TBSが早川紀代秀らに未放送の阪本弁護士のインタビューを見せる。坂本弁護士一家殺害事件
・1990年 麻原と信者25名が衆議院選挙に立候補。著者が加藤学園幼稚園卒園。加藤学園暁秀初等学校に入学するが一日も出席せず。熊本県阿蘇郡波野村の土地を取得。現地住民とトラブル。
・1991年 麻原 「朝まで生テレビ」出演
・1993年 東京総本部道場周辺で異臭騒ぎ
・1994年 元信者落合耕太郎氏殺害事件。サリンプラント建設開始。オウム真理教被害対策弁護団の滝本太郎弁護士サリン殺害未遂事件。松本サリン事件、信者の富田俊男氏殺害事件。波野村が教団に9億2千万円を支払、教団が97年までに退去することで和解。浜口忠仁氏VX使用殺害事件
・1995年 教団が上九一色村の住民をサリンガス噴射で告訴。被害者の会の会長永岡弘行市VX使用殺害未遂事件。目黒公証役場の假屋清志事務長拉致監禁致死事件。地下鉄サリン事件。村井秀夫刺殺。麻原逮捕、妻知子逮捕、上祐逮捕
・1996年 上九一色村の全施設から信者退去。著者は福島県いわき市に移住。住居を失った信者たちと共同生活。中学への転入通知を受け取るが小学校転入になると告げられる。
・1997年 7月転入学年が小学校5年生になると説明を受ける。自宅学習にて中学校卒業程度認定試験受験を決める
・1998年 松本知子に懲役7年。いわき市から茨城県鹿島郡旭村に移住。東京都八王子市に移住。中学校卒業程度認定試験合格。
・1999年 次女、次男が栃木県大田原市に移住、住民票を異動しようとするが保留、市長が不受理を言明。上祐氏出所。
・2000年 麻原の長男連れ出し事件(旭村事件)。著者、次女逮捕。日出高校の通信制課程に合格
・2001年 大学受験のため、予備校に通い始める
・2002年 FRIDAYが、「オウム アーチャリーは熱心に大検予備校通い」と報道。著者プライバシー侵害で東京地検に提訴。著者、次女カナダに1か月語学留学。週刊新潮が「被害者補償を忘れた麻原三女アーチャリーのカナダ大名旅行」と報道。名誉棄損で提訴。
・2003年 武蔵野大学に合格。高校卒業。武蔵野大学より入学不許可通知。城南予備校に入学
・2004年 文教大学、和光大学などに合格。麻原、東京地検で死刑判決。和光大学、入学不許可通知。文教大学、入学不許可通知。東京地検に文教大学学生としての地位保全を求める仮処分申請。文教大学に通学開始。和光大学と武蔵野大学に損害賠償を求め提訴。麻原と接見。
・2005年 麻原精神鑑定。この年以降、死刑事件の接見禁止が解け、面会に通う。新實智光、早川紀代秀など。
・2006年 東京地裁、和光大学に賠償命令。控訴棄却が決定。事実上死刑確定
・2008年 文教大学卒業。再審請求。
・2009年 第1次再審請求棄却
・2010年 第1次再審請求の特別抗告を棄却。第2次再審請求
・2011年 第2次再審請求棄却
・2012年 著者、本を出すことを決意し、出版社巡りを開始
・2013年 第2次再審請求の特別抗告を棄却
・2015年 出版 
                   2023読書記録トップへ   内容一覧トップへ 

(31) △ 銃を置け、戦争を終わらせよう (高村薫:毎日新聞出版) 2023.11.13
   2023年7月刊行 (2023.9.3 近鉄百貨店橿原店ジュンク堂)  

 サンデー毎日に連載した「サンデー時評」を再構成した本。週刊誌の連載なので4ページの短い文章が続いている。作家の高村薫のいらいらが募った文章が続いている。書いていることの多くは正論だと思う。けれどこのいらいらだけでは何も変わらないし、誰かの気持ちを変えることはできないように感じる。おそらく僕の言葉が誰にも届かないのも同じことなのかもしれない。
では、どうしたらいいのだろう。
 ヒントは本書の最後の方の「ジェンダー平等 社会の理性で実現するしかない」にあるのではないか。この文章の前半には本書には珍しく僕は違和感を持った。LGBT法案やトランスジェンダーに関していわゆる保守層の気持ちがわかることを正直に書いている。しかし、それはそれとして、理性によって自分の持つ差別感情を抑え込むことを求めている。それまでの文章では怒りの感情の方向と理性で求める方向が近い向きを向いていた。だから読んでいて違和感はなかったが、一方で共感の幅がなかったのではないだろうか。感情面での迷いと理性的思考、これを表明することが幅広い人に訴える力になる。そんなことを思った。
 
(メモ)
[ジェンダー平等 社会の理性で実現するしかない]
・「無限の多様性のある個々の性的指向十把一絡げに平等とするのは社会の理性以外にない。個々人の生理や価値観はそれこそ人の数だけ多様であり、それをいちいち斟酌していてはジェンダー平等など永遠に実現しない。もちろん個人の生理的感情は個々に尊重されるべきであって、それとは別に私たちはまさに理性によって多様な性を認め、理性によって己のなかの差別感情を封じるのである。現に、古い世代の筆者は実のところLGBTへの戸惑いは小さくはないのだが、何より嫌悪するのはそういう自身の差別感情であることを告白しておきたい。」

[オリンピック開催国は難民という存在に想像力を](2021年6月)
・日本の難民認定率の低さは世界的にみても異様
・認定されなかった人はどうなるか。人道的配慮から残留許可をもらえる人がいるが、それも2015年以降は年間数十人に留まり、大半は退去強制となる。
・バブル景気では人手不足を埋める不法就労者を黙認し、その後入管法改正で一転して単純労働者を締め出し

[かくも支持なき立憲民主党 内向きの論理の転換を](2021年12月)
・旧世代のコアな「左派リベラル」の支持層しか見ていない内向き志向
・冷戦終結後、多極化・多層化した世界にあってなお、平和憲法と反原発と人権の三つで世界を語ってきたこの支持層は、実は多様化やあいまいさを認めることが苦手であり、この30年で様変わりした世界の現実を直視することを良しとしない、頑迷な思考停止が続いている。

[暴力を正義面で糾すより、底辺の現実を受け止めよ](2022年8月)
・疎外された人びとが這い上がれない社会では、孤独と絶望と暴力は必然である。
・私たちはそうした暴力を正義面で糾すよりも、そのつど垣間見えた底辺の現実を冷静に受け止めるのが先ではないか。
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(30) □ 自衛隊の闇組織 秘密情報部隊「別班」の正体 (石井暁:講談社現代新書) 2023.11.10
   2018年刊行 (2023.9.10 アマゾン)  

 「別班」が存在することは本書にも記載している2013年11月の記事で確かだろう。首相も防衛相も知らない組織が身分を偽装した自衛官に情報収集活動を海外でやらせているのは当然ながら問題だ。別班と特殊作戦群の一体運用構想も、本書にもあるように暴走した「関東軍」に繋がりかねない。こういうことに鈍くなること自体が危険だ。
 
(メモ)
・2013年11月28日共同通信が朝刊用に加盟新聞各社に配信した記事
 「陸自、独断で海外情報活動。首相、防衛相に知らせず。文民統制を逸脱。自衛官が身分偽装」
 「陸上自衛隊の秘密情報部隊『陸上幕僚監部運用支援・情報部別班』(別班)が、冷戦時代からの首相や防衛相(防衛庁長官)に知らせず、独断でロシア、中国、韓国、東欧などに拠点を設け、身分を偽装した自衛官に情報活動をさせてきた」
 「別班の海外展開は冷戦時代に始まり、主に旧ソ連、中国、北朝鮮に関する情報収集を目的に、国や都市を変えながら常時3か所程度の拠点を維持。最近はロシア、韓国、ポーランドなどで活動しているという。」
・陸上自衛隊の秘密情報部隊「別班」が独断で行ってきた海外情報活動は、政府や国会が武力組織を統制して暴走を防ぐ文民統制を無視するもの。民主主義の根幹を脅かす。

・「調別」:正式名称は陸上幕僚監部調査部別室。シギント(通信、電波、信号などを傍受して情報を得る諜報活動)を実施する、公表されている情報機関。「別班」とは全く異なる。
・別班は、中国やヨーロッパなどにダミーの民間会社をつくって別班員を民間人として派遣し、ヒューミント(人を媒介とした諜報活動、人的情報収集活動)をさせている。有り体に言えば、スパイ活動。
・情報部門の関係者の中で、突然連絡が取れなくなる者がいる。それが別班員だという。
・「別班」のメンバーは、全員が陸上自衛隊小平学校の心理戦防護課程の修了者。同課程は、旧陸軍中野学校の流れをくむ。

・別班の存在が公に知られたのは、1973年3月8日の金大中拉致事件。事前に金大中の張り込みを担当していたのが「ミリオン資料サービス」のメンバー。同社は退職自衛官らが設立したばかりの興信所で、所長の元三等陸佐が別班のメンバーだったことを、評論家の藤島宇内が初めて指摘した。それでも拉致事件に関与したのは陸上自衛隊の公然傍聴部隊である調査隊だとテレビや新聞の多くは考えていたが、1975年2月共産党の松本善明宅に一通の手紙が届く。別班関係者からの内部告発だった。内島二佐が別班長で、24人部下。仕事の内容は、共産圏諸国の情報を取ること。共産党を始め野党の情報を取ること。「赤旗」は手紙の情報に基づきチームを組んで取材を開始。24人の住所・電話番号がついた名簿を入手し、実態解明を進めた。「別班」と同根の秘密組織「青桐グループ」の存在。「青桐グループ」とは、調査学校の対心理情報課程修了者たちの組織名。

・別班と青桐グループは、三島由紀夫とも接点。
・関係者が次々と経験を語り始める。山本舜勝『自衛隊「影の部隊」』(2001年)、塚本勝一『自衛隊の情報戦 陸幕第二部長の回想』(2008年)、松本重夫『自衛隊「影の部隊」情報戦秘録』(2008年)、別班員だった阿尾博政『自衛隊秘密諜報機関 青桐の戦士と呼ばれて』(2009年)、平城弘通『日米秘密情報機関』(2010年)
・別班誕生のいきさつや1970年代までの経緯は上記の著作からある程度イメージできるが、今も存在し首相や防衛相にも知らせずに情報活動をやっているかは不明だった。

・別班員である自衛官はどのようにして海外に渡り、情報収集活動をしているか。「別班員は一時的に自衛官を休職してパスポートを取得し、ダミーの現地法人か、日本企業の現地支店の名義を使ってビザを取得」という証言。ただし、別班員が直接、収集するのではなく、現地の協力者を使って間接的に収集することが多い。

・「特殊作戦群」:テロ・ゲリラ攻撃への対処などを想定した、陸上自衛隊唯一の特殊部隊。2004年防衛庁長官の直轄部隊として習志野駐屯地に約300人で発足。2007年には新設された中央即応集団の傘下部隊に。2018年5個方面隊を束ねる陸上総隊発足が発足すると直属部隊に。
・「現地情報隊」:PKO派遣などの際に現地情報の収集や現地での人脈を構築するために2007年に新設。
・別班と、特殊作戦群、現地情報隊を一体運用する構想がある。
・別班と特殊作戦群の一体運用構想は、文民統制を逸脱する海外情報活動をしている部隊(別班)を使い、憲法が禁じる「海外での武力行使」に踏み込む任務を想定している。・・・自衛隊制服組の独走
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(29) □ トランスジェンダー入門 (周司あきら、高井ゆと里:集英社新書) 2023.10.30
   2023年7月刊行 (2023.10.1 奈良ファミリージュンク堂)  

 宗教心はあまりない方かも知れないのですが、それでも神から与えられて変えられないものがあるのではないかと、漠然と思っています。性別は仕方ないものとして受け入れるべきものなのではないか、という気持ちがあります。
 でも、そうでない人が少ないながらもいるらしい。その程度の知識しか持ち合わせていないので、本書を読んでみました。特例法の性別変更要件の一部が違憲だという最高裁判決も10月に出ました。トランスジェンダーの方でもいろんな方がいて、それを言葉で定義付けて分類されてしまうと息苦しくなる人たちもいそうなことがわかりました。自分には理解できない、必ずしも共感できない人々に対しても人権が守られる社会、配慮できる社会、それは僕にとっても生きやすい社会だと思っています。
 
(メモ)
トランスジェンダーの一般的な定義:出生時に割り当てられた性別と、ジェンダーアイデンティティが異なるひとたち
・ジェンダーアイデンティティ:性自認、性同一性は同じ意味だが、少しずつ与える印象が異なっている。例えば「性自認」が本人が一時的に自称しているだけと誤解を持たれるなど。
トランス男性:生まれた時に女性を割り当てられたけれども、ジェンダーアイデンティティが男性である人
・以前はFtM(Female to Male)/MtFと呼ばれることが多くあった。医学的な性別以降に重点を置いた呼び方。しかし、トランス男性を、「女性から男性になった人」と理解すると、幼少期から男性としてのアイデンティティを持っていた場合に、そのアイデンティティを否定・抹消することになる。幼いころから自分を男性だと主張してきた子どもを「FtM」と呼ぶのは侮辱的な行為になる。
・ノンバイナリー:自身を女性でも男性でもない性別として理解する人、いかなる性別の持ち主としても自分を理解しない人、あるいは女性と男性の2つの性別のあいだを揺れ動いていると感じる人・・・定義上、トランスジェンダーに含まれるが、当事者がトランスジェンダーと理解しているわけではない。・・・トランスという「越境」のイメージがそぐわないと感じる。トランスジェンダーの物語に頻出する差別を経験しない人々がいる。
・自分のジェンダーアイデンティティに合わせて性別を移行したというより、生き延びられる手段を模索した結果として移行先の性別に適応したというトランスジェンダーの人々がいる。
・[生まれた子どもが性別を割り当てられる」ことは2つの「課題」が与えられること:@「女の子/男の子としてこれからずっと生きなさい」 A「女の子は女の子らしく/男の子は男の子らしく生きなさい」
・トランスジェンダーの人がクリアできなかったのは、上記の@。
・「性器の手術をしたから今日から女性/男性としていきられるようになる」というわけではない。精神的移行、医学的移行以外にも、社会的な移行が必要になる。通称名、衣服、髪型、仕草、友人・家族へのカミングアウト、戸籍改名、トイレ・更衣室の変更、移行した性別集団への同化。
・トランスジェンダーの人は非常に数が少なく、トランスの存在が社会で知られていない、想定されていない弊害がいろいろなところで生じる。トランスの事もが最初にぶつかる壁は保護者(親)。その後、学校、就活、職場

[トランスジェンダーと医療]
今では「性同一性障害」などの疾患としてトランスジェンダーたちの状態を理解することは完全に時代遅れ。世界保健機関(WHO)による国際疾患分類においても、トランスジェンダーであることそれ自体は、以前と異なり「病気」や「障害」として直接的には扱われなくなった。けれども、トランスであることが病気ではなくなったからといって、ただちにトランスたちが医療との関わりを断つべきだという事にはならない。トランスの人は、性別違和や性別不合を解消し、自分の身体を生きるために医療的な措置を必要とすることがある。
・トランス医療の状況:精神科医を中心とする医師らによって定められた規範的な手順(正規ルート)・・・日本精神神経学会による
「性同一性障害に関する診察と治療のガイドライン」(1997年に初版。何度か改正)。国際的には消滅したはずの「性同一性障害」という名称がガイドラインに残り続けている。
・ガイドラインの冒頭に歴史記載:1964年ブルーボーイ事件・・・男娼(ブルーボーイ)の求めに応じて睾丸摘出などの措置を行った産婦人科医が「正当な理由なく生殖を不能にする手術を行った」として優生保護法違反の罪に問われ、1969年有罪判決を受けた。ガイドラインはトランス医療を正規の医療として位置づけることを目的とした。つまりトランス医療を「理由なく生殖不能にすること」ではなく、「性同一性障害への正当な医療行為」として位置づけた。・・・ガイドラインの良かった点
・ガイドラインの悪かった点:医師に自分史を語る必要がある。「反対の性別への持続的な同一化」があるかを過剰に重視。外性器の検査を受ける必要がある。

[性同一性障害の性別の取扱いの特例に関する法律⇒(今年10月に最高裁で違憲判決)]
・戸籍上の性別を変更できるための5要件・・・このうちの4が違憲。5は高裁で審理やり直し
@18歳以上であること
A現に婚姻をしていないこと
B現に未成年の子がいないこと(2008年に「子がいないこと」から改正)
C生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること
Dその身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること

・2003年に成立したこの特例法に従って性別の表記を書き換えた人は2020年末までに一万人。
・この特例法は性同一性障害者のための特例法なので、その当事者であるという証明が必要。・・・疾患名は2022年に国際的に消滅している。
・アルゼンチンでは精神科医の診断なしに性別変更を可能とする法律が2012年に制定・・・自分自身で性別変更のニーズを表明。「セルフID」と呼ばれる。
・それ以降、デンマーク、アイルランド、マルタ、ノルウェー、ギリシャ、スペインなどで同様の法律が制定。
・セルフIDに対しては、性別を気軽に変えられると社会が混乱すると指摘する人がいる。しかし、気軽に身分証を変えて本当に困るのはその人自身。
・欧州人権裁判所は、2021年、性別変更のためという理由で望まない医学的措置をトランスに強いることは欧州人権規約に違反すると述べた。
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(28) □ 被害者家族と加害者家族 死刑をめぐる対話 (原田正治、松本麗華:岩波ブックレット) 2023.9.30
   2023年8月刊行 (2023.9.26 アマゾン)  

 アムネスティから毎月届く情報の中に、10月14日開催の「死刑をめぐる対話」というイベントが載っていた。本書の2名の名前があり、本書の紹介も記載されていた。松本麗華さんはオウム真理教の教祖の松本智津夫の三女。原田正治さんは弟が殺害された被害者家族。犯人は死刑判決を受け、執行もされている。この二人の対談から本書は成っている。
 全体的に、松本麗華さんはあまり多くを語っていない。もう少し話を聞いてみたい気がする。
 
(メモ)
・原田氏の言葉「あなたは、僕以上に、長谷川君を憎んでいるのですか」
・(原田)死刑を深く考えない人は、これだけのことをしている犯人に対しては、死刑になっても当然だろうという感情を持つ。それで僕らの気持ちに寄り添っているというつもりで言葉を発する。
・(松本)もし、無期懲役とかだったら、私、今頃結婚して子どもがいてみたいな生活していると思うんですよね。無期懲役も希望のない刑なので、人権派の人たちは反対したりしますけど。でも、私は家族として、無期懲役であれば全く違う精神状態だったし、もっと元気に生きていられたんじゃないかって思うんですよね。
・松本さんは、就職したが「松本智津夫さんの三女ですか」と聞かれて、「はい」と答えたら解雇。銀行口座開設拒否、大学入学拒否。
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(27) △ 科学者はなぜ神を信じるのか (三田一郎:ブルーバックス) 2023.9.30
   2018年刊行 (2023.5.15 近鉄百貨店橿原店ジュンク堂)  

 物理学の歴史を振り返っている。忘れていることが多くあるので、その意味では読んだ意味はあった。けれど、神との関係については全く踏み込めていないように感じる。
 アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と語ったとされる。量子力学で位置が確定されないのは現在の理論が不完全だからであって、本当は一つに決まるはずだということに関連した言葉だとされている。でも、僕にはアインシュタインの言葉が逆に思えて仕方ない。人間の理論では位置が確定されなくても、実験したら一つに定まる。理論では確率でしかわからないが、実験したら一か所で見つかる。人間には決めることはできず、決めるのは「神」だ、ということになり、神はサイコロを振っているのではなく人間にわからないレベルで一つに決めているという風には考えられないのだろうか。僕の疑問に近づくような話はなかったのは残念だ。
 ただ、2ページだけ書いてある「スピノザの決定論」を読んで、スピノザに関心は湧いてきた。買ったままで放置してしまっている國分功一郎氏の「スピノザ」を読み始めるきっかけを得たことは良かった。

(メモ)
・ピタゴラス派の地動説(紀元前4〜5世紀):宇宙の中心に「火」があり、その周囲を地球・月・太陽など9つの天体がまわっている。太陽と月は「火」の光を反射するので明るく見えるとされたピタゴラス派は「10」という数字にこだわりがあったので、「火」をはさんで地球の反対側に「対地球」を仮定。「火」が見えないのは、「火」から見て地球の裏側に住んでいるから。地球が自転する速度と地球の公転速度が同じだから常に裏側にいることになる。・・・・アリストテレスがピタゴラス派の宇宙モデルを否定
・ギリシャの天文学者アリスタルコス(紀元前3世紀)は、地球は太陽の周りを公転し、月は地球の周りを1か月に一度公転しているという先駆的な「太陽中心説」を唱えた。
・コペルニクス・・・火星の明るさの変化、逆行の謎を解いた。当初、論文を出版する気はなく、同人誌を友人の数学者に送った程度。にもかかわらず、マルティン・ルターの激しい非難にさらされる。1543年「天空の回転」を出版。
・1616年第1回ガリレオ裁判:特別委員会の結論・・太陽は世界の中心にあって不動。地球は世界の中心になく、不動でもなく、太陽の周りを公転。この2項目において聖書と矛盾 →裁判長はガリレオに、意見の放棄を求めた。→ガリレオは命令に従うことを約束し、異端判決を免れた。
・1600年ブルーノ死刑(火あぶり):ブルーノの考え「地球が宇宙の中心でないばかりか、太陽も中心ではない」「宇宙は無限の宇宙からできている。神はこの無限の内にある」「変わらないものは何もなく、すべては相対的で常に変化している」→異端の烙印を押され、告発・逮捕された。自説の撤回を求められたが拒否。
・1632年ガリレオ「天文対話」刊行:3人による対話形式にして地動説だけに肩入れしている印象を避けた→命令違反で裁判に。
・1633年第2回ガリレオ裁判:処罰 「天文対話」禁書。検邪聖省が望むだけの期間、牢獄に。3年間贖罪のために毎週1回7つの大罪詩編を唱える →庇護者の運動で刑が減じられて投獄は免れた
・静止しているμ粒子の半減期は100万分の2秒。光のスピードで進んでも半減期の間に600mしか進まない。ところが宇宙線のμ粒子は地上でたくさん観測されている。光速に近い速さで進むμ粒子が持つ時計は遅れるので寿命が延びている。
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(26) □ リベラリズムへの不満 (フランシス・フクヤマ:新潮社) 2023.9.23
   2023年3月刊行 (2023.5.24 京都駅ふたば書房)  

 「リベラル」「リベラリズム」とは何か、というような本や記事はたくさんあるし、それらしきものを読んではきたけれど、すっきりと理解できたことはない。だから自分の考えがリベラルに近いのかどうかも判断できない。にもかかわらず、リベラルという考えが進むべき基本的な方向だろうと考えている自分がいる。
 そして、今、リベラルという主張が急速に支持を失っているように感じる。日本の政治状況で言えば、民主党を支持してきた人たちが、リベラルから離れていった。その人たちがおそらくはリベラルではない維新の会に移っていった。そこには大きなギャップがあるはずなのに越えてしまえるのはなぜか。単に政党支持を変えただけでなく、考え方が変わってしまったと見るべきではないか。漠然とではあるが、そのように考えている。
 本書は、リベラリズムの後退に危機感を持ち、どうしていくべきかを原理的なところから考えようとした本だ。一通り目を通したが、まだよくわからない。これから少しずつ振り返りつつ考えてみたい。(9月24日:再読後に記載を見直す予定)

(メモ)
【序】
・近年、リベラリズムが後退しているのは明らか。米人権団体フリーダムハウスによると、世界中の政治的権利と市民的自由は、1974年から2000年代初頭までの30数年間に改善したが、2021年までの15年間は一貫して悪化。
・既存のリベラルな民主主義国ではリベラルな制度が直接的な攻撃にさらされている。ハンガリーのドクトル・オルバン、ポーランドのヤロウワフ・カチンスキー、トルコのエルドアン、ブラジルのボルソナロ、アメリカのトランプは合法的に選出され、選挙で信任を得たことを口実に、手始めにリベラルな制度を攻撃している。攻撃される制度は、司法制度、中立な官僚組織、独立したメディアなどが含まれる。
・近年、リベラリズムは、右派のポピュリストからだけでなく、新たに出てきた進歩的な左派からも挑戦を受けている。
・左派からの批判は、リベラルな社会がすべての集団を平等に扱うという自らの理想に応えていないという、それ自体は正しい主張から展開され、それがリベラルの根本原理そのものの攻撃に広がりを見せている。経済的自由主義が、ネオリベラリズム(新自由主義)へと発展 → 一般の人々を痛めつける(格差) →リベラリズムと結びつく進歩派の主張の核心・・・すべての人の権利の保護が既存のエリートも含み、社会的正義の障害と見る
・「個人の自立性」が拡大し、伝統的宗教や文化など、他のすべての「良き生き方」のビジョンに勝る価値観だとみなされるようになった。→保守派の批判
・右からの脅威はより直接的で政治的。左からの脅威は主に文化的。

【第1章 古典的リベラリズムとは何か】
・リベラリズムの定義:英国の政治哲学者ジョン・グレイ
 「さまざまな種類のリベラルな伝統すべてに共通しているのは、人間と社会についての明確な概念であることだ。その性格は明らかに近代的だ・・・・それは
個人主義的であり、いかなる社会集団からの要請に対しても個人の良心の優位性を主張する。また、平等主義的であり、すべての人間の良心に同じ地位を与え、人の違いに基づく法的または政治的序列があっても、人の良心の価値とは一切結びつけない。普遍主義的であって、人類という「種」の良心はみな同じであると主張し、特定の歴史的組織や文化形式には二次的重要性しか認めない。すべての社会制度と政治的取り決めは修正可能で改善の余地があると認める点で改革主義的である。人間と社会に対するこのような考え方が、リベラリズムに明確な特徴を与え、その内部にある多様性と複雑性を乗り越えさせている」
⇒これはとても良い定義だ。リベラルの現状を分析する上でも、リベラルの要素分析は不可欠だ。「リベラル」という言葉は、本来、個人の自由を意味しているので、最初の「個人主義的」はわかりやすい。ただ、これだけだと政治的意味を含んだ時の「リベラル」とは大きく異なる。やはり、次の「平等主義的」というのは欠かせない。「普遍主義的」は、今一番失われつつある領域。
・初期のリベラルは、権利を持つ人間の条件を限定的に解釈していた。・・・財産を持つ白人、特定の人種や民族、ジェンダー、宗教
・厳密にいえば、リベラリズムと民主主義は異なる原則と制度に基づいている。民主主義とは、国民による統治を意味し、こんにちでは普通選挙権を付与したうえでの定期的な自由で公正な複数政党制の選挙として制度化されている。リベラリズムは行政府の権力を制限する公式なルールによる制度(法の支配)を意味する。米国やインドは20世紀後半には「リベラルな民主主義」として確立していたが、ここ数年は後退している国もある。
・近年、最も激しく攻撃されているのは、民主主義ではなくリベラリズムである。こんにち、政府が「国民」の利益を反映すべきではないと主張する人はほとんどおらず、中国や北朝鮮でさえ、国民のために行動していると主張している。
・リベラルな民主主義が後退するとき、権威主義による攻撃の到来を教える「炭鉱のカナリア」の役割を果たすのは、リベラルな制度である。
・何世紀にもわたってリベラルな社会を正当化してきた3つの重要な点:@実践的な合理性 A道義性 B経済
・リベラリズムが掲げる最も基本的な原則は寛容。リベラリズムは最終目標の問題を議論しないことにより、政治が熱狂的にならないようにする。人は何を信じてもよいが、それは私的領域に留め、意見を同胞に押しつけてはならない。
・リベラルな社会が管理できる多様性には限度がある。もし社会の相当数がリベラリズムの原理を受け入れず、他者の基本的権利を制限しようとしたり、自分たちのやり方を通すために暴力に訴えるなら、リベラリズムだけでは政治秩序は維持できない。・・・1861年以前のアメリカで奴隷制の問題で内戦
・財産権は、結社の自由や選挙権よりもはるか前に、リベラルな体制の台頭によって保障された初期の権利の一つ。
・古典的リベラリズムと経済成長の関連は並大抵ではない。リベラリズム理論において財産権が中心に位置することによって、ブルジョアジーがリベラリズムを協力に支持することになった。
・フランス革命後、リベラルたちは左右両派の他のイデオロギーに押され気味になった。革命はリベラリズムに対抗する次の主要競争相手を生み出した。ナショナリズムである。ナショナリストはリベラリズムの普遍主義を否定し、自分たちの好む集団(主に言語と民族によって定義される文化的な単位)にのみ権利を与えようとした。1945年の日独伊の敗北によって民主主義世界の統治イデオロギーとして、リベラリズムの回復への基礎が築かれた
・もう一つの主要競争相手は共産主義。リベラリズムは個人の自律性を守ることで民主主義と結びつく。ただし、リベラリズムは結果の平等をもたらすものではない。急進的に民主的平等を求める者たちは、マルクス=レーニン主義を掲げて組織化し、リベラリズムによる「法の支配」を全面的に放棄し、独裁的な国家に権力を委ねようとした。→ソ連崩壊、中国も市場経済へ転換
・20世紀後半には先進国全体でリベラリズムと民主主義が概ね広範にうまく共存するようになった。

【第2章 リベラリズムからネオリベラリズムへ】
・リベラリズムの基本的考え方の一つは個人の自律性の尊重と保護。この概念を極端に推し進めた経済的自由主義は20世紀後半に「ネオリベラリズム(新自由主義)」へと変貌し、醜悪なまでの不平等を招いた。
・一般的には、新自由主義はアメリカ人がリバタリアニズム(自由至上主義)と呼ぶものと結びついていた。リバタリアニズムは手を広げすぎた国家に対する敵意と、個人の自由の神聖さへの信奉を唯一の基本的課題としている。福祉国家を強く批判し、薬物使用や性行為など個人の行動を規制しようとする国家の動きに敗退した。社会的ニーズを満たすには国家の大きな官僚機構よりも民間の活動による方がいいと主張。
・19世紀は無規制な市場資本主義の全盛期。20世紀初頭に一変、規制国家の基礎を据えだした。1970年代までには振り子は過剰なほどの国家統制に振れていった。その後、先進国で規制緩和や民営化が有益な効果をもたらした。しかし、新自由主義政策を極端に推し進めた結果、好ましくない結果も生まれた。
・新自由主義イデオロギーがピークに達した時に崩壊した旧ソ連は、その最悪の影響を被ることになった。ソ連経済の大部分は、ずる賢いオリガルヒに食い荒らされ、悪影響は現在もロシア、ウクライナなどの旧共産圏の国々で続いている。
・1980年代から90年代にかけて規制緩和が金融分野に適用されると悲惨な結果を招いた。2008年9月リーマン・ブラザーズ破綻。
・新自由主義者たちは、国家の経済介入だけでなく、市場経済がもたらす悪影響と不平等を和らげるための社会政策も批判した。困難な状況にある人々を助けようとする政府の政策はモラルハザードを引き起こすことがよくあるという、出発点での前提は誤ってはいなかった。・・歪んだ動機が起こす問題。このため、新自由主義的な改革者たちによる社会事業の廃止や縮小、官僚の解雇、民間業者や市民団体への事業移管など、政府部門の削減を目指す時代が長く続いた。新自由主義者と一部の古風な古典的リベラル派が、この考えを極端に推し進めることが定期的に起きた。

【第3章 利己的な個人】
・新自由主義政策は、すべての理論と同様に、人間の行動に対する理解を単純化しすぎた。
・例えば、財産権の問題は当初からリベラリズムの協議の中心的なものであった。ただ、財産権にのみ焦点を当てれば、発展がすぐさま実現できるわけではないし、公正な社会にたどり着けるわけでもない。さらに言えば、既存の財産権を強力に擁護することが正当化されるのは、もともとの財産の分配が公正であった場合に限られる。多くの経済学者は暗黙のうちに、人間が誰も住まない「無住の地」に定住し、労働力を「自然の無価値なもの」に注ぎ込んで、有用な財産を作る出すときに私有財産が発生するという前提に立っている。しかし、その財産が当初において暴力や窃盗によって獲得されたものであった場合はどうだろうか。先住民は土地が近代的な私有財産に変換されたことで彼らの生き方をすべて失った。
・新自由主義経済理論のもう一つの系統は、消費者の利益を経済的幸福の究極の尺度にまつりあげ、独占禁止法や貿易といった政策領域に影響を与えた。大企業や巨大合併に対する政府の姿勢は極めて緩やかなものになり、零細業者は道を譲らざるをいなくなる。
・しかし、多くの社会は経済効率を犠牲にしてでも小規模生産者を保護している。消費者利益以外の社会的利益があると考えるからだ。経済的効率性が他のすべての社会的価値に優先すべきだという理由はない。
・人間は、単なる消費する動物なのか、それとも生産する動物なのか。新自由主義は前者だとしている。
・共産主義社会は、消費よりも生産を重視する傾向があり、悪い結果を生んだ。新自由主義の台頭により、振り子は反対側に大きく振れた。
・1940年代にハイエクが主張した自生的秩序論(市場の配分効率が持つ優位性)が、以後の世代に引き継がれ、20世紀後半に新自由主義のもう一つの流れとして根付いた。こうした理論は極端になりかねず、国家を敵視。国家は人が自己組織化を図る際に邪魔になることが多いと考えたから。→インターネットは急速に2,3の巨大企業によって支配されるようになった。
・現代の経済学は、人間は「合理的に効用最大化を図る者」であり、個人の利己的な利益を最大化するために相当の認識能力を使うという前提のもとに成り立っている。個人的な物欲への刺激を生むことができなかったため、共産主義の中央計画経済は大失敗となった。しかし、このモデルには深刻な欠陥がある。一つは人間は何よりも個人として行動するという仮定である。人間はしばしば利己的な個人として行動するが、同時に極めて社会的な生きものであり、仲間からの支援や承認がなければ、個人としての幸福感を得られない。プライド、怒り、罪悪感などの感情はすべて社会的規範の共有と関係している。
・人間は自分にだけでなく、宗教的信条や社会的ルール、伝統などの外的なものに対しても敬意を払うように求める。人は常に、物質的な自己利益と、尊敬、誇り、原則、連帯などの無形の財との間で、基本的な効用最大化モデルでは対応できないようなやり方で選択をする。
・したがって、リベラリズム理論の基礎となる個人主義の前提は間違ってはいないが、不完全なものである。

【第4章 主権者としての自己】
・個人の自律性は、経済的自由を第一義に考える右派リベラリズムによって極端なまでに追求された。しかし、左派リベラリズムもまた、個人の自己実現を中心とした別のタイプの自律性を重視し、極端にまで貫徹したのである。ネオリベラリズム(新自由主義)が過度な不平等や金融不安によってリベラルな民主主義を脅かす一方で、
左派リベラリズムは現代のアイデンティティ政治へと発展し、リベラリズムそのものの前提を崩し始めた
・個人の自律性の拡大は二つの領域で行われた。一つは哲学的な領域、もう一つは政治的な領域。
・西洋の思想では、自律性、すなわち選択は、人間を人間たらしめる特性であり、それゆえに人間の尊厳の基礎となるものであると、長い間理解されてきた。
・社会から見える外側の自己とは異なる、閉ざされた内なる自己の存在。外面より内面を重視。
・(ルソー)人間は深く隠された内面性を持っているが、人を取り巻く社会が課す幾層もの社会的ルールによってそれが窒息させられている。「自律」とは、そのような本来の自己を取り戻し、それを封じ込めている社会的ルールから逃れることを意味する。
・(カント)無条件に善であるのは善意だけであり、道徳的選択をする能力こそが人間らしさを際立たせるもの。人間はそれ自体が目的であり、決して他の目的のための手段をして扱われるべきではない。カント的道徳は啓示された神の言葉でなく、抽象的な理性のルールに根ざしている。カント的道徳は、リベラルな普遍主義と平等主義の基礎となった。たとえ国籍が異なろうとも、人は道徳的な選択を行なう能力を等しく持っていると考える。
・カントは現象の世界と対象の世界を分ける。現象の世界は通常の経験によって私たちに示される世界。
対象の世界は目的の領域であり、物理学の決定論的な法則に支配されない、個々の「選択する主体」が存在する世界。その選択主体は家族、社会的地位、所有物といった特定の属性に先立つもの。このようなアプローチは、人間が実際に追求する目的を特定する人間性についての実体論と結びついていないため、「義務論的」と呼ばれることがある。
・欧米のリベラリズム理論のアプローチは義務論的なものではなかった。・・ホッブズ、ロック、ジェファーソン
・今日、ホッブズ、ロック、ジェファーソンの自然権論を信じていると公言する論者はほとんどいない。時を経るにつれてリベラルな社会では、人間の実質的な目的を他の目的に優先させて措定することへの抵抗が高まってきた。むしろ、最も優先されるのは選択行為そのものである。欧米のリベラリズムの伝統はカントの欧州大陸型アプローチに収斂し、ジョン・ロールズの「正義論」となって体現され、同書が現代リベラリズム理論の代表的な表現となった。
ロールズは経験的な観察に基づくことなく、リベラルな社会のルールを導き出そうとした。正義は、個人が求める特定の善に優先する。しかし、ロールズはカントの形而上学や現象界から切り離された直観領域における前提に依存することは望まなかった。用いたのは「原初状態」の概念。それは、社会における自分の実際の立場を一切知らされていない状態に置かれて初めて合意できる状態になるという概念。この「無知のヴェール」の向こう側では、社会的に最も弱い立場にある者に不利なルールを選択する者はいないだろうとロールズは主張。
・自律性を絶対化したロールズの考え方はリベラルな社会において問題あるかたちで展開してきた。
・マイケル・サンデルらの「コミュニタリアン」思想家によるロールズ批判。サンデルはロールズのリベラリズムを、私たちから「意味」をすべて奪い去ると批判した。それまでの忠誠や約束から切り離された自律的な自己は、人格も道徳的深みも全くない人間を思い描くことになる。
・個人の主権を信じることによってリベラリズムが共同体への関与を弱める傾向が深まる。
・理性的な個人は「原初状態」の原則に同意するというロールズの主張は、人間性の合理性に対する過大評価であり、経験的に誤っているように思われる。
・「価値観」に対して中立であろうとするリベラリズムは、やがてリベラリズムそのものの価値を問うことで自らに牙をむき、リベラリズムではない何かになっていく。

【第5章 リベラリズムが自らに牙をむく】
・私たち一人ひとりが、尊敬と承認を必要とする真正な内なる自己を持っているという考えは、西洋思想において長い間存在してきた。そのようなアイデンティティは多様であり、複数存在し、偏在している。
・アイデンティティ政治は、当初、法の下における平等は普遍的であり人間の尊厳は等しく保護されると説くリベラリズムの約束を実現するために登場した。しかし、実際のリベラルな社会は、嘆かわしいまでにこの理想を実現することができなかった。・・・南北戦争後もアフリカ系アメリカ人は差別された。ほとんどのリベラルな民主主義国家で1920年代まで女性は投票権を持たず、60年代までほとんどの職場から排除。同性愛は犯罪とされ、植民地は第2次大戦後まで続いた。
・本来、アイデンティティ政治はリベラルな政治目標を完成させ、「カラーブラインド(人種偏見のない)」な社会を実現しようとするもの。しかし、時が経つにつれ、リベラリズムが自らの理想を実現できないという批判は、リベラリズムの思想自体と、その教義の根本的な前提に対する批判へと変わり始めた。→批判理論:リベラリズムの基本原理に対する真剣かつ持続的な批判
・リベラリズムの基本原理に対する体系的な批判:@個人主義の否定:既存のリベラルな社内では、実際には個人は個人の選択を行使できない A集団の重要性を認識していない
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(25) □ 戦争とデータ --死者はいかに数値となったか (五十嵐元道:中公選書) 2023.9.2
   2023年7月刊行 (2023.7.16 イオンモールアルル喜久屋書店)  

 戦争において、死者の数をどのように数えるか。戦っている両者からの発表はあまり当てにならないだけに、これはかなり難しい問題だ。しかし、実際には調査機関が具体的な数値を発表している。どのようにしているのかに興味を持って本書を読んだ。
 本書の4章に原理的な話が載っている。捕獲再捕獲法という動物の個体数調査の手法がある。例えば、池の魚の数を調べるのに、魚を捕まえて標識をつけて池に戻す。そのあと池で魚を捕まえて、標識のついて魚が何匹いたかを数え(割合を調べる)、それを何回か繰り返して魚の総数を推定する。確かにそのようにすれば池の魚の数は推定できる。
 犠牲者数を調べるのに、捕獲再捕獲法を応用した多重システム推算法(MSE)という手法を使うそうだ。いくつかのNGOが紛争の死亡者リストを作成する。そのリストを比較し、リスト間で重複している人々を数え上げる。そこから全体の人数を推算するというものだ。ただし、池の魚の場合と違って、複数の団体の調査から重複を見出すのは相当な手間がかかるはずで、個々のデータの信頼度が高くなくてはいけない。そう簡単にはいかないが、実際に使用した経験を踏まえながら進歩してきているのだろう。
 本書はその他にも戦死者の扱いの変遷についても詳しく書かれており、役立つ部分が多いのだが、今回は4章を中心にだけ読み直してメモを記載した。
 
(メモ)
・戦争のデータの不確定性に対して向き合う立場として、現実を十分に反映していないと考えるニヒリズムの立場、すべてのデータを信じる楽観主義の立場の両方とは異なる第3の道、批判的機能主義の立場をとる。
・3つの分析視角からデータを検討する。@
科学的耐久性 A社会的信頼性:科学的に信頼性が高くても社会に受け入れられるとは限らない B機能性(生成の目的)
・文民死傷者数の導出方法に、「積み上げ式」と呼ばれる事例を一つずつ数え上げる方法がある。しかし、大規模、長期の場合、すべてを数え上げるのは困難で過少評価になる。そこで出てくるのが統計分析による推定値で、それを用いて文民被害全体を把握できるようになる。
・ルソー「社会契約論」
「戦争は、個人と個人との関係ではなく、国家と国家の関係であって、この関係において個人は人間としてではなく、また市民としてでさえなく、兵士としてたまたま敵対しているだけにすぎない」
・1949年のジュネーブ諸条約の体制では、文民保護を監視するアクターは不在だった。交戦国が文民を虐殺したとき、世界の誰もそれを記録も報告もできず、まして処罰もできない。これが1950年代当時の文民保護の現実だった。
・19世紀後半、国際NGOの先駆けである赤十字国際委員会(ICRC)が登場し、国際人道法の発展を支えた。しかし、ICRCも各国の赤十字協会もあくまで国家の軍隊の活動を補完する存在だった。彼らが主権国家と直接対立することはほとんどなかった。ICRCのこの姿勢は第2次世界大戦でも同じで、たとえばナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺について世界に実態を告発することはなかった。
・1970年代、少しずつ変化し始めた。1949年のジュネーブ諸条約は基本的に国家間の戦争を前提にし、内戦でゲリラ戦になった場合、ゲリラは捕虜の待遇を受けることができない。文民保護も同様。1977年の2つの追加議定書は捕虜や文民保護の規範を精緻にするとともに、植民地からの解放闘争や内戦にも適用されると定めた。また、チリ、ブラジル、アルゼンチンなどの権威主義体制の国々から人権活動家やNGOが現れ、人権侵害の現状を記録し訴え始めた。こうした人権活動家やNGOとアムネスティ・インターナショナルなどの国際NGOが結びつき、グルーバルなネットワークを形成した。
・1980年代のエルサルバドル紛争・・・NGOのネットワークと主権国家が国際人道法および人権法の違反をめぐって本格的に闘争。アメリカも紛争の当事者。レーガン政権はエルサルバドル政権を支援(軍事支援、経済援助)。要人暗殺を始めとする対反乱活動にアメリカの軍事アドバイザーが深く関与。アメリカ政府は紛争中、エルサルバドルでの様々な人権侵害が右派勢力によるものと把握していた。エルサルバドルの市民社会は政府による激しい人権侵害を受け、抵抗を始めていた。政府軍や準軍事組織によって誰がどのように拉致・殺害されたかの一部始終を記録するNGOが現れた。ソコロ・フリディコ。当初は司法制度を武器に人権侵害に抵抗しようと試みたが、武力紛争が本格化すると政府による弾圧も激化。司法制度では抵抗できなくなった。そこから最後の抵抗手段として、人権侵害と思しき事件の記録と報告書の作成に集中していく。一方、アメリカでもエルサルバドル紛争について、国際法違反を訴える組織が誕生した。アメリカズ・ウォッチ。この組織は中・東欧の人権状況の改善を目指して活動していたヘルシンキ・ウォッチ(1978年設立)から派生した組織。
・1982年アメリカズ・ウォッチはエルサルバドル紛争での人権侵害の報告書を発表。1981年までに1万人以上の民間人がエルサルバドル政府によって殺害されたことを明らかにした。その後、エルサルバドルのNGOもアメリカズ・ウォッチも政府とゲリラの双方の人権侵害を掲載し始める。→必ずしも人権侵害を停止させることはできなかった。しかし、大国はそれまでよりも人権侵害がやりづらくなった。様々な場面で弁明を強いられたから。1980年代以降、ヒューマンライツウォッチ(1988年すべてのウォッチ委員会を統合)は活動範囲を世界中に広げ、様々な人権問題や人道法違反の問題を調査・公表していく。
・国連では、国連人権理事会が紛争の人道法違反について調査している。当初の委員会は国家による個別の人権侵害の事例に対応する権限を持たなかった。しかし、1967年に人権侵害が起きていると疑われる国について公開の審議を行う権限が付与された。さらに1970年に個人やNGOからの通報をもとに、特定地域の人権侵害について非公開の審議ができるようになった。
・1993年、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)創設:人権委員会によって任命された特別報告書や作業部会を支援。活動報告書提出が義務づけられ、世界各地の人権状況を調査報告。
・2000年代、人権委員会による調査がパレスチナなど、特定の地域や問題に偏っているという批判が大きくなり、人権理事会に改組。国連全加盟国の人権記録を4年ごとに審査する「普遍的・定期的レビュー」を行う。
・2002年国際刑事裁判所(ICC)設立

・戦争における死者をどう数えるか。
・軍事作戦の重要な指標として利用されたのが、敵や味方の遺体の数を数える「ボディカウント」。ベトナム戦争では、数値の水増しや文民もベトコン(ゲリラ兵)として数えるなどの問題。
グアテマラ内戦では虐殺の犠牲者数が統計分析によって科学的に調査された。グアテマラ内戦は1960年頃から1996年頃まで。虐殺が多かったのは1978年から1983年の時期とされる。ここでも対反乱活動を技術的に支援したのがアメリカ。グアテマラ内戦ではゲリラ側に比べて政府および軍が圧倒的に強かった。そのため、マスメディアも政府および軍の管理下に置かれ、虐殺の報道を行う自由はほぼ消滅した。
虐殺された者の遺族や友人、虐殺を生き延びた人々がいくつかの人権団体を組織し、虐殺の事実を収集していった。1993年にこうした組織が集まり、国民人権調整委員会を結成し、失踪や虐殺の情報共有化で合意。共有情報は人権調査国際センター(CIIDH)に送られ、包括的なデータベースを形成。データベースの設計を担当したアメリカ人のパトリック・ポールは後に紛争の犠牲者数を統計的に分析する専門家ネットワークの中心人物。
多重システム推算法(MSE):捕獲再捕獲法という動物の個体数調査の手法を人間に応用。例えば、池の魚の数を調べるのに、魚を捕まえて標識をつけて池に戻す。そのあと池で魚を捕まえて、標識のついて魚が何匹いたかを数える(割合を調べる)。何回か繰り返して魚の総数を推定する。→いくつかのNGOが紛争の死亡者リストを作成する。そのリストを比較し、リスト間で重複している人々を数え上げる。そこから全体の人数を推算する
・グアテマラ内戦では、CIIDH、真相究明委員会(CEH)、歴史的記憶の回復プロジェクト(REMHI)のデータを用い、紛争犠牲者総数が推算された。78年から93年の犠牲者総数13万2174人と割り出した。そして国家として行った虐殺が95.4%、ゲリラが実行したもの4.6%と結論付けた。
旧ユーゴスラビア紛争でも紛争犠牲者総数が争点となり、統計分析が行われた。1990年代。この紛争では国際刑事裁判所(ICTY)が設立され、紛争関係者が文民虐殺など国際法違反の責任を問われた。問題になったのがスレブレニツァ事件:1995年7月にボスニア・ヘルツェゴビナ東部の町スレブレニツァで起きた虐殺事件。スレブレニツァは主にムスリム系住民が住み、周囲をセルビア系の人々に囲まれていた。セルビア系の勢力が優勢になるとスレブレニツァは最終的に集中攻撃の対象となった。
スレブレニツァ事件での犠牲者数の調査は、赤十字国際委員会(ICRC)、国際NGO「人権のための医師団(PHR)」らが実施。ICTYでは2つのデータを中心にして死者数を推算。裁判で使用。2010年におよそ10万人が死亡したとの見解を示した。→それまで一般に流布していた20万人とかけ離れていた。このため、現地社会から激しい反発と批判が寄せられた。科学的耐久性が高いデータであっても、社会的信頼が得られるわけではない。
シリア紛争。2011年3月シリアの主要都市でアサド政権に対する平和な抗議運動が起きたが、治安部隊が数十人の市民を殺害。抗議運動が拡大し、最終的に体制派と反体制派の武力衝突に発展した。2011年4月国連人権理事会はOHCHRに人道状況の調査を要請。OHCHRは3か月後にシリア政府が自国民を人道に対する犯罪から守る責任を果たしていないとする報告書を発表。同時期に人権理事会は独立国際委員会を設置し人権状況の本格的な調査を開始。2011年11月以降、シリア情勢はますます悪化し内戦の様相を帯びた。シリアのいくつかの非政府組織や反政府勢力は2012年7月時点での死者を1万7千人から2万2千人と発表。他方、シリア政府は7928人ほどと発表。2022年6月OHCHRがシリア紛争に関する報告書を公表、2011年3月からの10年で紛争によって30万6887人の文民が死亡したと結論を下した。・・・シリアのNGOなどが収集した8種類のデータを利用。
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(24) 〇 52ヘルツのクジラたち (町田そのこ:中公文庫) 2023.8.16
   単行本2020年、文庫本2023年5月刊行 (2023.8.11近鉄百貨店橿原店ジュンク堂)  

 2021年本屋大賞作品らしい。丁寧に描いていて優れた作品だと思う。他の作品も文庫本になっていたら読んでみたい。

(登場人物)貴瑚、52、アンさん、美晴、村中、主税、

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(23) △ 堤未果のショック・ドクトリン (堤未果:幻冬舎新書) 2023.7.23
   2023年5月刊行 (2023.7.16 イオンモールアルル喜久屋書店)  

 以前、「政府は失敗して、成功する」という言葉を目にしたことがある。例えば、戦争が起こることは外交の失敗であり政府の失敗なのに、政府への支持が高まり、政府への権力集中が進む。失敗したにもかかわらず政府にとって都合の良い結果になるという意味だろう。本書もそれに近いものがあるが、政府の失敗という観点はあまり入っていない。
 本書では、マイナンバーやコロナ対策などを扱っていて、知らないことも多く、なるほどと思う点も少なくない。けれど話の進め方が雑な気がする。こんな大雑把なことに書く人だったのだろうか。2008年の「ルポ 貧困大国アメリカ」では、しっかりした取材と本質を見極める力を示していたのに、本書は陰謀論に近いような記述も目立つ。主張が明確なのは良いが、それを裏付けるものをもっと書いてほしい。

(メモ)
・9.11の45日後、愛国者法スピード可決:アメリカの治安と国民を守るため、通話記録の収集をはじめ、当局が国内の隅々まで監視する権限を持つ。→以降、電話やファックス、メール、クレジットカード番号や銀行口座、ネット上の発言や掲示板でのやりとり
、書店でどんな本を買っているか、どこのスポーツクラブに入っているかまで、国民を日常的に監視する権限を政府は手に入れた。→全世界の為政者たちに、自国の管理・統制システムを正当化させていく。
・(アメリカ)非公開の軍事法廷。→問題視されたが、オバマ大統領によりアウトソーシング形式に切り替えられ、今も廃止されず。

「ショック・ドクトリン」:ショッキングな事件が起きた時、国民が思考停止している隙に、新自由主義政策(規制緩和、民営化、社会保障切り捨て)を猛スピードでねじ込んで、国や国民の大事な資産を合法的に略奪し、政府とお友達企業群が大儲けする手法。
 @ショックを起こす A政府とマスコミが恐怖を煽る B国民がパニックで思考停止する C政府が過激な新自由主義政策を導入する D多国籍企業と外資の投資家たちが国と国民の資産を略奪する

【マイナンバー】
・デジタル化で一番気をつけるべきことは? 「
決して、権力を集中させてはいけません」(オードリー・タン:台湾のデジタル担当大臣)
・2002年に住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)。毎年百数十億円、14年で2000億円も税金導入。「住民情報を全国市区町村で共有して便利に!」と謳っていたが、普及率は5.5%。実際には全国9か所に設置された財団法人地方自治情報センターに総務省からの天下り役員の高額報酬として流れていた。
・マイナンバーカード。「あったら便利」だったはずが、「ないと生活できない」に。
・マイナ保険証の問題:@作成は法律上義務じゃないのに選択肢を奪って強制 A医師や病院が追いつめられる(システム導入、トレーニング時間・費用) Bなくしたときの責任は誰に?(介護高齢者施設) C実はデジタルより紙の方が便利(暗証番号必要) DQRコード丸見え、セキュリティがザル(ケースで番号を隠しているがQRコード丸見え。4桁の暗証番号) E海外では問題だらけ。アメリカ政府は「カードを持ち歩くな」と警告
・アメリカの社会保障番号が書かれたカードには、「Do not carry it with you」(持ち歩くな)と注意喚起が印刷されている。なりすまし被害が多い。
通帳と実印と印鑑登録証明書を同じ引き出しに入れないように、デジタル時代の個人情報もリスク管理の要は、まず分散
・マイナンバー制度は「世界の当たり前」ではない。共通番号制のない国はドイツ(共通番号をつけるのは違憲)、イギリス(廃止)、フランス(社会保障番号あるが、用途限定)、イタリア(納税者番号、住民カードはあり)、オーストラリア(分野別の番号のみ)。
・政府は2016年から公務員の身分証明書とマイナンバーカードを一体化させた「マイナ身分証」を導入。→防衛省、外務省、警察庁、内閣官房、公安調査庁の5省庁が反対文書を作成し、政府に直訴し、導入しなかった。2022年11月これについて国会で問われた谷公一国家公安委員長は、秘密情報の流出に繋がるので見送ったと答えた。
「顔写真付きの最も信頼できる身分証明書」というメリットは、ひっそりと撤回された
・デジタル庁は、マイナンバーカードに記載している住所と性別、12桁のマイナンバーについて削減する方向で検討。カードのICチップに記録されているので記載は不要との意見が出ている。→何も書いていないカードなら便利な顔写真付き身分証明書にならない。では何のため?
・国が国民の所得を正確に把握し、公正な税の徴収をする目的で導入。その後に利用分野や紐づけされるサービスがどんどん拡大。
・ショック・ドクトリンが機能するために欠かせないものは、政府と企業の間をキーパーソンが行き来する「回転ドア」
・マイナンバー関連事業の受注は、内閣官房検討会議「情報連携基盤技術ワーキンググループ」のメンバー企業9社。NTTデータ、NEC、日立製作所、富士通、大和総研、野村総研、沖電気工業、パソナ
・マイナンバーがないと行政ができないこと。@全国民の金融資産をリアルタイムで把握 A国民の思想と行動を把握。
・いつのまにか、利用範囲がどんどん広げられている。2023年3月に2024年度末までに運転免許証とマイナンバーカードを一体化させる道路交通法改正案が閣議決定。
・マイナポータルの法案の問題:
第24条 マイナポータル利用にあたり、利用者が被った被害について、デジタル庁の故意または重過失によるものである場合を除き、デジタル庁は責任を負わない。
第25条 デジタル庁は、本利用規約を改正することができるものとします(改正の7日前に公表、改正後に使った場合は自発的に新しい利用規約に同意したとみなされる)・・・規約は契約書と違い、双方向の合意ではない。民間サービスであり得る規約であって民間サーボスは強制的加入ではない。
⇒(私見)マイナンバーカードを普段から持ち歩かなければいけなくした点に一番抵抗がある。

【コロナショック・ドクトリン】
・2009年豚インフルエンザ。季節性インフルエンザよりはるかに低い死亡率だった豚インフルエンザの脅威を煽ったWHO
・メキシコで感染者第一号が出る2週間前、ノババックスのワクチンがH1N1型(豚インフルエンザ)に有効と発表。その後、WHOが正式にパンデミック宣言を出し、ワクチンレースが始まる。
・6月にパンデミック宣言を出した後、WHOは25〜50万人の死者数を予測し、警鐘を鳴らす。しかし、この時点で死者は144人。WHOのパンデミック宣言と同時に、オバマ政権は複数の製薬会社と契約を結び(7000億円)、すべての学校でワクチン接種開始。アメリカ政府は「タミフル」「リレンザ」を豚インフルエンザに使うことを許可。2004年に鳥インフルエンザ時の在庫が大量に余っていたタミフルは1歳以下の赤ちゃんにも緊急投与されることになり、流通ラインはフル稼働に。
ラムズフェルド国防長官はタミフルを開発し独占販売権を持つ製薬大手のギリアド・サイエンシズの会長だった。2004年の鳥インフルエンザ時、国防長官として10億ドルのタミフル備蓄予算を承認。株価は700%上昇。
・2014年医療専門家の国際研究チームが
タミフルには解熱剤程度の効果しかないとの報告書発表。その時点でタミフルは1兆8千億円の利益をあげていた。ちなみに購入先のトップは日本。世界の使用量の8割近くを占める
・ヨーロッパでは効かないのに副作用がひどく、医療現場で使われず、タミフルを必須医薬品リストに入れて備蓄を勧めたWHOに不満と疑惑の声が上がり始める。利益相反を追求されたWHOは否定するがキャンセルが相次ぎ、その分日本の購入量が増えていった。
・2020年新型コロナ→ギリアド・サイエンシズ開発中の未承認薬「レムデシビル」を日本政府は購入。承認申請から3日で承認(アメリカでさえ緊急使用許可までしか出していない段階)。FDA(食品医薬局)での承認完了は5か月後。2020年10月、WHOはレムデシビルに死亡率を低下させる効果がないという報告書を公開。しかし、アメリカ政府もタミフルと同様に巨額の税金をギリアド・サイエンシズに注ぎ込んでいった(国防総省から3450万ドルの開発費、国立衛生研究所から600万ドルの開発費と3000万ドルの臨床試験費用、レムデシビルを処方した病院に運営費全体の20%をコロナ給付金として支出)
・ギリアド・サイエンシズが日本政府に出した請求書は、5日分1クールの点滴で38万円、追加投与で10日分70万円超。国民皆保険制度がカバーするので患者負担なし。
世界中の製薬メーカーにとって日本の国民皆保険制度は「ドル箱」
・レムデシビルは2022年に1098億円売上。493人の重篤患者と107人の死亡者が報告され、
WHOは推薦を取り消し。にもかかわらず、日本政府は2022年3月から「軽症の陽性患者にも使用OK」とハードルを下げている
・2020年5月 トランプ大統領「ワープ・スピード作戦」:通常5年かかるワクチン開発を8か月に短縮し、年内に1億人に供給する。→多くの安全性テストを外す。アメリカFDAのワクチン諮問委員会メンバーとファイザーの関係はあからさま。現在のWHOの科学諮問委員会の委員15人中8人が大手ワクチンメーカーと製薬会社から多額のお金を受け取っている。
・2022年ファイザー幹部が販売前に感染予防効果のテストをしていないことを明言。
・2021年2月インドの放送会社がファイザーが各国政府と結んでいるコロナワクチンの契約条件をスクープ。自社に都合のいい契約条件に合わせた国内法を作らせたり、支払担保に軍事基地まで要求したりしている。
・日本で2023年2月までに7783万回分のコロナワクチンが破棄された。金額にすると2000億円
・緊急時に拡大された権力はその後もずっと残る。
・イギリスの経済紙「エコノミスト」はパンデミック初期に、コロナ禍の社会が監視社会に向かうのではないかという警鐘を鳴らしていた。
・Youtubeは新型コロナウイルスに関して、WHOの発信している内容と矛盾する内容や、ワクチンに否定的なコンテンツをすべて禁止し始めた。
・緊急事態の名の下に、各国政府も堂々と情報統制を実行。・・・タイ、カンボジア、カナダ、中国
日本では2022年6月から、(販売される)ペットの犬や猫の体内にマイクロチップを埋め込むことが義務化
・WHOが急ピッチで進めている非常に重要なルール改正:WHOが法的な強制力のある命令を出せる・・・パンデミックの決定、ロックダウン指示、治療法決定、ワクチン接種義務化等。WHO代表が署名したら条約が暫定的に有効になる。→WHO代表が署名したら日本の国会承認も不要。

【脱炭素ユートピアの先にあるディストピア】
ショック・ドクトリンの特徴の一つは、緊急事態を理由に導入されたシステムが、平時になった後も撤去されずにそのまま残され、いつの間にか定着してしまうこと
・2019年12月から大阪メトロで顔認証改札機の実証実験を始めた。個人を特定する顔認証システムはデータが盗まれた時の被害が大きく、諸外国では厳しく規制されている。
・温暖化防止のために個人が出すCO2を管理する計画が話し合われている。2022年世界経済フォーラムで中国のアリババグループ社長が「個人用炭素トラッカー」の開発を発表。持ち主がいつ、どこからどこへ、どんな手段で移動し、何を食べ、オンラインで何を買ったかを追跡する。マイクロソフトとFacebook出身者はAerialという脱炭素アプリを開発、飛行機・鉄道・車の利用履歴を自動スキャンし移動で出したCO2を集計する。排出量が多い月は「温暖化防止プロジェクト」に投資できるという「個人版排出権取引」のようなシステム。
・世界経済フォーラムでは、近々温室効果ガスを出すような消費をカード決済した際に、その場で利用停止になる仕組みを検討していると明らかにした。オランダの銀行は、全国民に毎月決まった排出量以上を出さないよう、個人が生活の中で排出権を売買する社会システムの構築を進めている。・・・旅行に行きたい金持ちが、旅行に行くお金のない貧困層から排出権を買うというシステム。
世界で最も温室効果ガスを出しているのは各国の軍隊。ダントツの一位はアメリカ国防省
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(22) × 哲学の方法 (ティモシー・ウィリアムソン:岩波書店) 2023.7.9
   2023年1月刊行 (2023.3.30 京都駅ふたば書房)  

 哲学の本の中には僕にはまったく分からない本がたくさんあった。でも解説したような本の場合、少しはわかるところがあったように思う。けれどこの本はいったい何を言いたいのかさっぱりわからなかった。文章の流れもわからず、何も掴めなかった。

(メモ)
・(2003年のイラク侵攻について)2004年の演説で、トニー・ブレアは侵攻を正当化し、こう言い放った。「私は、自分が正しいと信じることを知るのみです」 自分は大量破壊兵器があると知っていたわけではない。大量破壊兵器があると自分が信じていることを知っていたのです、と。大量破壊兵器の存在を裏付ける検証可能なエビデンスの問題から、内面の誠実性の問題へと話をすり替えようとしたのである。

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(21) △ 陰謀論 (秦正樹:中公新書) 2023.7.3
   2022年10月刊行 (2023.6.23 桜井三洋堂)  

 本書は中公新書として世に問えるレベルの本なのだろうか。昨年読んだ「政治学と因果推論」に記載されていた手法を用いている。データに基づいて因果関係を推論していくという手法だ。まずはデータが適切かどうか、そして、そこからどれだけ深く考察できるかが重要なのに両方ともが不十分だからだ。そうでなければ一つの実験結果の紹介に過ぎず、本書はそのレベルだ。19世紀の優れた著書であるデュルケームの「自殺論」はデータに基づいて社会を分析した。意味があるのはそこから要因を分析して、過去の社会からの変化を見出した点にある。

(メモ)
・サーベイ分析
・陰謀論者の中には、いわばビジネスとして、陰謀論を自らの主張として展開している者もいる。
 経済的な動機に基づく陰謀論サイトの運営。アフィリエイトと呼ばれる広告収入を得ることを目的としている場合も少なくない。
・ある陰謀論を信じている人は、まったく別の陰謀論をも信じる傾向にある。
・現実が、彼らが想定する「あるべき現実」とあまりに乖離していることへの不満が彼らの中にあり、陰謀論はその乖離を埋めるための便利な道具として利用されている側面がある。
・海外の研究では、ナルシシズム(自己の評価を誇張したがる傾向)が高い人や、社会的に疎外されている人ほど陰謀論を信じやすい傾向にあることが報告されている。
・人びとがある状況をコントロールしたり全体像を把握したりできないときに覚える脅威感覚が陰謀論を信じてしまう重要な契機となることを心理学者プルージエンらが明らかにしている。・・・陰謀論に政治ネタが多い要因
・特定の考えや態度・信念にもとづいて獲得する情報を取捨選択しようとする「選択的メカニズム」が情報への接触頻度に影響。自身の「レンズ」を通して整合的に解釈しようとする認知的なメカニズムを「動機づけられた推論」と呼ぶ。
・「普通を自認する層」の方が強く陰謀論を受容しやすい傾向にある。
・自身の意見が「普通」かどうかを判断するためには、他者の意見と比較し、相対化することが重要。しかし、日本では政治に関する話題を友人や同僚と話すことを嫌う。こうした日本の政治文化的な背景が他者の政治的意見と比べる機会を少なくさせている。
・自身の政治的位置を右派10、左派0で位置づけて、支持政党を数値化すると、自民党>国民民主党>公明党>維新の会>立憲民主党>共産党>れいわ新選組。
⇒(私のコメント)国民民主党支持層は立憲とは大きく離れている。維新の会は支持層と実体が大きく乖離しているかもしれない。
・リベラル系の野党支持者は、現行の政治制度に対して懐疑的な目を向ける傾向にある。
⇒(私のコメント)データが不適切な印象をぬぐえない。もっと「選択的メカニズム」に直接関係するようなデータを取らなくてはいけない。
・政治的関心が高く、政治的な知識の高い人の方が「それらしい」陰謀論を受容しやすい傾向にある。
⇒(私のコメント)政治に詳しいかどうかの指標が、わずか4つの質問への回答だけ。しかも政府の新型コロナ感染担当大臣の名前を選ぶとか、そんなレベルのもの。かなりひどい。こんな稚拙なデータで結論を得られると考えていることが信じられない。因果推論手法の弊害が顕著に現れているのではないか。
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(20) □ 82年生まれ、キム・ジヨン (チョ・ナムジュ:筑摩書房) 2023.6.11
   2016年韓国刊行 日本単行本2018年、文庫本2023年2月 (2023.5.15 近鉄百貨店橿原店ジュンク堂)  

 2020年10月に映画「82年生まれ、キム・ジヨン」を観た。本作品を映画化したものだ。残念ながらほとんど記憶に残っていない。
3月に朝日新聞の「好書好日」に本書が紹介されていて、下記のように書かれていた。リベラル男性の中途半端さが家父長制を保存している、という記載があった。やはりそうか、という思いもあり、読まざるを得なくなった。

 「興味深いデータがある。単行本版では男性が購入者のうちの21%だったのが、文庫版では27%となっているそうだ。中でも50歳以上男性の増加が注目される(KINOKUNIYA PubLine調べ)。この作品は男性に根を張った女性差別を告発するもので、「耳が痛い」作品のはずだ。しかも、女性の苦境に表面上の理解を示すリベラル男性(ジヨンの夫や精神科医)の中途半端さこそが、家父長制を保存しているという痛いところもこの小説は突く。それにもかかわらず男性読者が増加していることは、歓迎したい。よく言うように、フェミニズムの問題の大部分は「男性問題」なのだから。」

 本書には、82年生まれのキム・ジヨンが生きる時代がかなり強い男性中心の社会だということが描かれている。日本以上だと感じることが多い。しかし、本書が韓国で100万部以上売れたことが影響したのかどうかは知らないけれど、2018年に日韓のジェンダー・ギャップ指数は入れ替わったそうだ。
*内閣府男女共同参画局のホームページを見ると、2022年のジェンダー・ギャップ指数の日本の総合順位は146か国中116位、韓国は99位。

(メモ)
・1980年代、「家族計画」という名称で産児制限政策が取られていた。性の鑑別と女児の堕胎が大っぴらに行われた結果、1990年代初めに性比のアンバランスが生じ、3番目以降の子どもの出生性比は男児が女児の2倍以上だった。(1982年には女児100に対して男児106.8だったが、1990年には男児116.5)
・韓国1999年「男女差別禁止及び救済に関する法律」制定。2001年女性家庭部(行政機関)出帆
・2005年就職情報サイト調査で、女性採用比率は29・7%。大企業50社人事担当者へのアンケートで「同じ条件なら男性を選ぶ」と答えたのが44%、「男女を問わない」56%、「女性を選ぶ」0%
・出産した女性勤労者の育児休暇取得率は2003年に20%、2009年半分を越えるが、4割は育児休暇なしで働いていた。
・女性管理職比率:2006年10.22%、2014年18.37%
・2005年戸主制度廃止(施行は2008年)。戸籍は無くなった。
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(19) □ ウクライナ戦争をどう終わらせるか (東大作:岩波新書) 2023.5.27
   2023年2月刊行 (2023.5.15 近鉄百貨店橿原店ジュンク堂)  

 著者は和平合意の条件として、下記の条件が基本線になるだろうと考えている。
 ・ロシア軍が、ウクライナ戦争開始時のラインまで撤退
 ・戦争犯罪の追求より和平合意を優先
 ・クリミア半島については別途協議
そして、これは初期の和平交渉でウクライナ側からの提案と合致している。これをベースに交渉が始まるだろうか。
本書にはICCが戦争終結を遅らせる可能性にも触れている。この議論は知らなかった。


(メモ)
【第1章:ウクライナ侵攻と、世界大戦の危機】
・ロシア軍のウクライナ侵攻から1週間後、ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストのトーマス・フリードマン氏が提示した終結シナリオ
@
破滅的なシナリオ(世界大戦への突入)
 プーチンはウクライナに傀儡政権を樹立できない。西側諸国も制裁で対抗するがプーチンは何をするかわからない。核兵器を含む世界大戦も。
A
汚い妥協
 停戦及びロシア軍の撤退と引き換えに、ウクライナがNATOに加盟しないことを約束。東部ドンバス地域のロシア編入を認め、西側諸国は経済制裁を解除。
B
プーチン体制の崩壊
・著者による2022年4月に加えた2つのシナリオ(ウクライナ東部や南部における戦闘が長期化し、低・中強度紛争が続いた後)
C西側諸国対ロシア・中国圏で経済圏が次第に分離
 米国・中国ともに避けようとしている。
D中国やトルコなどが働きかけ、ロシア軍が停戦・撤収
 中国にとって、侵略を支持して西側諸国市場を失うのは合理的に考えて得な選択ではない。また、「内政不干渉」「国家主権の尊重」を唱えて米国の他国への軍事介入に反対してきた。プーチンにとって中国が石油やガスを買い続けてくれるかどうかは生命線であり、中国が圧倒的な交渉力を持っている。

・プーチン大統領が戦争の目的を既に見失っているという見方。目的が決まっていないから止めようがない。このために長期化する。
・専制主義国家は、反体制派を徹底して弾圧するため、経済制裁だけでは政権崩壊に至らない。

【第2章:これまでの戦争はどう終わってきたのか・・・第2次世界大戦後】
基本的に戦争という行為は、「軍事的勝利」か、「交渉による和平合意」しか、終わらせる方法はない
・今回のウクライナ戦争で問われるのは、果たして、ロシアに対する全面的な軍事的勝利というものが存在するのかどうかである。つまり、「無条件降伏」という形でロシアが敗戦を認め降伏するようなことが、ロシアが6000発程度の核兵器を保有している状況で実際にあり得るかという問題がある。

大国の軍事侵攻(フランス):第2次大戦後、インドシナ半島において植民地を維持しようとしてベトナムと戦争したが、1954年に大敗北を喫し、植民地支配を断念。同様にアルジェリアでも戦ったが1962年に最終的には敗北し、撤退を余儀なくされた。

大国の軍事侵攻(アメリカ):ベトナム戦争・・・米軍側死者6万5000人、ベトナム側死者300万人。米国ですら最終的に撤退せざるをえなくなった。大国が軍事力で傀儡政権を維持することが難しいことを世界に知らしめた。ベトナム戦争終結後、東南アジアで共産主義国家が広まることはなかった。1986年ベトナムは市場経済を導入。1995年米国とベトナムは国交回復。ベトナムは共産党独裁国家ではあるが市場経済による経済発展とともに多くの米国企業が進出している。
・1997年にベトナム戦争当時の指導者がハノイで議論。米国国防長官だったマクナマラは1973年のパリ和平協定と同じ合意内容を1967年の秘密和平交渉で結べたはずと主張。北ベトナムの外務次官だったチャン・クワンコは空爆が続く中で和平交渉への呼びかけは信用できない、爆撃で殺されているベトナム人の命に関心をアメリカは持っていなかったと主張。

大国の軍事侵攻(ソ連アフガン侵攻):1979年当時アフガンは共産主義政党が政権。クーデターで転覆されるのを恐れたソ連が軍事侵攻。傀儡政権を樹立しようとしたがアフガンの人びとはゲリラ戦で抵抗。1988年和平文書締結・1989年ソ連全軍撤収。

大国の軍事侵攻(米のアフガン軍事介入):1996年イスラム主義組織タリバンが首都カブール制圧。1999年9割を支配。2001年9・11攻撃を実行したアルカイダがアフガンに拠点を持っているという理由で10月軍事介入、タリバン政権崩壊。2001年カルザイ暫定政権発足。数年は治安も良くなり順調に見えた。2002年パキスタンに逃れたタリバン指導部からカルザイ政権に対話と和解の申し出。ブッシュ政権は拒否。これを受けてタリバンは2003年から軍事力を再編しアフガン奪還を目指す。2003年の米国のイラク侵攻によってイラクでも泥沼の戦いが始まる中、2005年以降タリバンはアフガンで支配地域を拡大。米国は2010年までにアフガン駐留米軍を10万人に増派したが状況は好転せず。アフガン政府はタリバンとの和平交渉の努力を開始。成果ないまま米軍は駐留軍を減少させ、2016年1万人まで縮小。タリバンの支配地域7割。2018年トランプ大統領がタリバンとの2者協議を受け入れ。2020年政治合意(14か月で米軍はアフガンから撤退)。バイデン大統領は2021年4月に8月までに完全撤退することを明言。タリバンは一斉攻撃を開始。すべての州が自主的にタリバンに降伏。8月15日カブールを取り囲んだ。ガーニ大統領が海外逃避し、タリバンが制圧し、20年にわたるアフガン戦争終結。タリバンの内政への批判はあるが、国内の治安は急激に回復。
大国の軍事侵攻(イラク侵攻):2003年イラクが大量破壊兵器保有しているという理由で安保理決議ないまま軍事侵攻。介入後、大量破壊兵器は見つからず、アナン国連事務総長でさえ国際法違反だったと主張。2006年イラクは内戦に。2012年以降、イスラム国が急拡大し、一時はイラクの3分の1を支配。その後、イラクに米軍が再度介入しイスラム国の支配地域は縮小した。政治的に不安定な状態が続いているが米軍は2022年末までにほとんどを撤収。2005年から民主的な選挙で政権を選ぶようになり、7割を占めるシーア派の政党が実権を握り、イランと親しい政権がイラクに樹立されるようになった。
侵攻を受けた側の戦略:ベトナム、アフガンは「大国の軍を自分たちの国から撤退させる」ことを目標に戦いを続けた。相手の本土への攻撃は避け続けた。これが小国が大国に抵抗する際の鉄則になっており、そのことによって国際的な支持と同情を集め、侵攻した大国国内での反戦運動を高め終戦に持ち込む。
・大国が撤退する際には、何らかの政治的合意を結び、面子を保った形で軍の撤退をしている。「和平合意」か「政治合意」が必要なケースが多い。

【第3章:和平調停・仲介の動き】
・合意と停戦が実現した後、「平和構築活動」が始まる段階では、国連が国連PKO部隊などを派遣して主導的な役割を果たすことは頻繁にある。
・国連の調停だけでは戦争が終わらない現実がある。「国連の仲介を歓迎する」と表明することで、戦争自体には反対しているというカムフラージュに国連が使われてしまうことが多々ある。軍事紛争が続いている「和平調停」の段階では国連が果たせる役割はかなり限られている。
・紛争当事国を実際に軍事的・財政的に支援している国同士が、終戦に向けて一定の目標を共有し、共に紛争当事者に働きかけた時に初めて、和平合意の可能性が出てくる。それとは別に、対話の促進者(ファシリテーター)に徹する役割を果たす国や組織が現れることもある。2018年から始まった米国とタリバンの1年半におよぶ和平交渉においてはカタールがファシリテーターの役割を担った。コロンビア政府とコロンビア革命軍の和平交渉においては、交渉の場所をキューバが提供し、交渉当事者が集まるための支援はノルウェーが受け持った。
・「紛争当事者の対話を仲介する国」と「紛争当事者を説得する国」が必ずしも同じでない場合もある。
・ロシアとウクライナが当事者である戦争で最も大きな説得力(レバレッジ)を持つのは、ウクライナには米国と続いてNATO、ロシアには中国。中国はロシアの石油とガスを買い続けており、安保理のロシア非難決議でも棄権を続けている。

2022年2月28日(侵攻から4日後)、ロシアとウクライナの交渉団の最初の交渉開始。場所は隣国ベラルーシ。ウクライナは即時停戦とロシア軍の撤退を求めた。
・3月3日、7日にも交渉、場所はベラルーシとウクライナの国境。
・3月10日の4回目の交渉から場所をトルコに移し、トルコが本格的な和平交渉に乗り出した。ロシアのラブロフ外相とウクライナのクレバ外相が同席し、侵攻後、最初の外相同士の対話となった。
・3月14日に「15項目におよぶ和平交渉案」を議論。15項目には、ウクライナ側の下記の提案が含まれるとファイナンシャル・タイムズ紙が報じた。@ロシア軍が2月24日に侵攻を始めたラインまで撤退し、戦争を停止すること AウクライナはNATOには加盟せず、ウクライナ領内に他国の軍隊の駐留も認めない BNATOに代わる新たな安全保障の枠組みを作る Cクリミア半島の帰属と、東部のドンバス地域の一部の扱いについては別途協議する
3月29日イスタンブールで交渉。停戦・終戦に最も近づいた日だった。ウクライナがロシアに提案した内容。
@新たな安全保障の枠組みを作り、米国、イギリス、フランス、中国、ロシア、トルコ、ドイツ、カナダ、イタリア、ポーランド、イスラエルなどが保証国として参加。保証国はウクライナが攻撃されたときはウクライナへの軍事的支援を行う。 Aこれが実現したらウクライナは軍事的同盟にも参加せず、外国の軍事基地も置かず、永久的な中立国になり、核兵器も保有しない。Bクリミア半島については、15年かけてロシアとウクライナで別途協議する。この間、軍事的な手段でクリミア問題を解決しようとしない。C東部のドネツク州とルハンスク州の一部の区域についての協議も別途行う。・・・ロシア側も好意的に反応・・・キーウを目指していたロシア軍を撤退させ始めた。
キーウ周辺からのロシア軍撤退により、ブチャで数百人のウクライナ民間人の遺体が発見された。4月4日ブチャに入ったゼンレンスキーはこれを虐殺と語ったが、交渉協議の意思をこの時点では示していた。バイデン大統領は戦争犯罪としてプーチンの責任追求をメディアに明言。国連人権理事会からロシアを追放する決議を国連総会に提出することを決定。「プーチンは戦争犯罪人」という非難が西側諸国で高まる中、プーチンは和平交渉終結を宣言。→戦争犯罪の問題は21世紀の戦争においていかに大きな問題になるかを示している。多くの国際政治学者が主張するように「自分が起訴されるとわかって和平合意を受け入れる指導者はいない」
・トルコが仲介に乗り出す理由・・・湾岸戦争、イラク戦争、シリア内戦などで大きな影響を受ける。地域の安定を目指すのは自己利益としての国益。ロシアの侵攻を批判し、ウクライナを支援。トルコのドローン製造会社バイカルはウクライナに軍事用ドローンを提供し続けている。一方でエルドアン大統領がプーチンと個人的な関係を有している。

【第4章:経済制裁はどこまで効果があるのか】
・西側がロシアからの石油輸入を減らしているが、侵攻後、石油価格が高騰し、ロシアの外貨収入は増えている。2022年のエネルギー輸出は前年より38%上昇。
経済制裁の目的である「対象国家の政策変更」や明示されないが実際の狙いである「対象国家の体制転換」を達成できたケースは極めて少ない。米国の数十年にわたるベラルーシ、キューバ、ロシア、シリア、ジンバブエなどへの制裁はほとんど効果がない。
・2015年米国主導の金融制裁の効果もあり、「イラン核合意」が実現。2018年トランプ政権は核合意から離脱し制裁を加えたためイランは経済的に困窮。核合意を追求した穏健派は政権を追われ強硬派が実権を握った→大義なき経済制裁はかえって国内の穏健派を追いつめ、強硬派が権力を握るケースが多い。
経済制裁は制裁解除の条件を明示しないと効果があがらない。・・・イラン核合意は「核兵器の開発を凍結すれば制裁を解除する」とはっきりした解除の条件があった。
・ロシアに対する制裁解除の条件:2022年3月下旬英国のトラス外相が「ロシア軍がウクライナから撤退し停戦に応じることが制裁解除の条件になる」とメディアに明言。これが議論の基準になり得る。国連の即時撤退を求める決議とも符合する。この明示は戦争終結に向けて極めて重要。
・ウクライナ側がどこまでの奪還を目指すかはウクライナの人びとにしか決めることはできないが、2月24日ラインまでの奪還を西側の共通の目標に据え、そこまでロシアが撤退し停戦が実現したら経済制裁の多くを解除し、クリミアについては交渉に委ねることが、戦争終結に向けた一つの方針になり得る。

【第5章:戦争終結の課題と、解決への模索】
・戦争終結への難問@・・・領土問題
・米元国務長官キッシンジャーが2022年5月に今回の戦争が始まる前のラインまで戻せれば理想的、と発言したことにウクライナ政府は反発。しかし、これは上記の3月にウクライナが提示した内容。
・「2月24日ライン」は次第に「クリミアを軍事的に奪回する」という方針に変わり始めた(2022年夏)。
・戦争終結への難問A・・・戦争犯罪
・2022年5月からゼレンスキー大統領は終戦の条件に、
戦争犯罪を犯したロシア軍指導者の起訴(もしくは責任を問うこと)を挙げている。ロシア側は少なくともプーチン体制が続く限り、それを受け入れる可能性はほとんどなく、ずっと戦争が続くことになる。
・国際刑事裁判所(ICC)が2003年に設立される前、国際政治学者のなかでも現実主義の立場を取る人たちは強く反対していた。停戦して和平合意を受け入れたら戦争犯罪で起訴されるとわかって停戦に応じる指導者はいない。
むしろICCの設立が戦争終結にとって逆効果になるという主張
・これまでICCで起訴されているのはアフリカの指導者ばかり。そのため、アフリカの指導者たちは極めて不公平だと激しく批判している。
ICCが戦争終結に与える効果を調査・研究してきた専門家からは、設立から20年がたち、非常に憂慮すべき調査結果が出されている。つまり、戦争犯罪の責任者とされた指導者は、以前であれば海外に逃亡する手段があったが、ICCができてからは海外に逃亡しても逮捕される危険があり、自分の命をかけて最後まで戦う傾向が非常に強まっている。例えば、シリアのアサド政権は戦争犯罪で起訴される恐れから、政治的妥協に全く関心を示さず、反体制派への徹底した弾圧と軍事攻勢によって政権を維持している。このことから、バイデン大統領がプーチン大統領を戦争犯罪者と呼んだことを危険視する論考が投稿されている。
・かつて米国がベトナムから撤退した際も、米側の戦争犯罪の責任者を処罰することをベトナムが要求したら、米国は撤退に合意できなかっただろう。また、2020年に米国とタリバンが米軍撤退に合意した際も、国連の発表で毎年数千人のアフガン民間人が殺害され、その3分の1から2分の1は米軍やアフガン政府側の責任ということが明らかにされていたが、その責任を問うことを双方が控えることで撤退が合意された。
・東ティモールや南スーダンでは基本的に内戦への対応で、まずは平和を確立することを戦争犯罪よりも優先した。
・ウクライナ戦争においても、まずは平和の確立を優先し、戦争犯罪の問題は別途、委員会を作って事実関係を調査し、責任者への対応を協議していく方法がある。
・戦争終結への難問B・・・安全保障の枠組み
・3月交渉時にウクライナは新たな安全保障の枠組みを提案。その後、9月にロシアがウクライナ4州の併合を宣言したことを受けて、ゼレンスキー大統領は再びNATOへの加盟を申請することを発表。NATO事務総長は実際にはかなり困難であることを示唆。
・ロシアを含めた安全保障の枠組みをどう作っていくかが重要

【第6章:日本のウクライナ難民支援 〜隣国モルドバでの活動】

【第7章:今、日本は国際社会で何をすべきか】
・欧米の圧倒的関心と外交資源がウクライナ問題に費やされる中、日本が中東やアフリカなど第三世界における、一国で解決できないグローバルな課題解決のために主体的な役割を果たすこと。それが現地の人びとからも、欧米諸国からも感謝されることだ。
・五百旗頭真・元防衛大学校長が主張している「日米同盟・日中協商」
・世界的対話の促進者「グローバル・ファシリテーター」
・「ウプサラ紛争データ2022」(スウェーデンのウプサラ大学が出している)によると、2021年に世界各地で54の軍事紛争が続いており、そのうち52が内戦。ここでは暴力的衝突で年間25人以上の死亡者が出ているものを「軍事紛争」と定義している。
・UNHCRは2022年5月、世界中の難民や国内避難民の総数が1億人を突破したと発表。
・40年以上続いたフィリピンのミンダナオ紛争において、日本はマレーシアと共に仲介役を務め、2014年の和平合意の実現に向け重要な役割を果たした。
・南スーダンでは、東アフリカの政府間開発機構(IGAD)が2017年末から開始した和平調停の予算をすべて日本が負担。
・日本は、世界各地で内戦など軍事紛争の解決に向け、他の国々や国際機関とも協力し「対話の促進者」、いわゆる「ファシリテーター」としての役割を果たし、一定の成果をあげた経験を持つ。その土台には、日本が第二次世界大戦後築き上げてきた「平和国家」としてのイメージや信頼が世界で定着していることがある。
・地球温暖化や干ばつへの対応。
・JICAがアフリカでの農業支援で大きな実績をあげている一つが稲作支援。
・「グルーバル課題」解決のファシリテーター。
・「デモクラシー・インデックス2021」(イギリスのエコノミスト・インテリジェンス・ユニットが毎年出している)によれば、不完全でも民主主義を維持している国は74か国。それ以外の非民主主義的な国が93か国。人口で見ると民主主義国家で生活する人の割合は45.7%。ほとんどの専制主義国家が今回のロシアのような他の主権国家への侵略はしていない。
・今回のロシアのウクライナ侵攻を「最低限のルールを守る国」対「守らない国」という図式に持っていくように、日本をはじめ西側諸国は粘り強く努力し、まだ非民主主義国家が多い中東やアフリカの国々も味方にしていくことだ大事。
・これまでも日本は「民主主義という制度を広める」というよりも、「現場主義にのっとり、対話と協働により相手国に合ったものを共に創り上げていく」ことによって、その国の「自立」を支援するという基本方針を明確に持っていた。
                   2023読書記録トップへ   内容一覧トップへ 

(18) 〇 絵のない絵本 愛蔵版 (アンデルセン:岩波書店) 2023.5.20
   原作1839年(最初の20夜まで)、1854年(全33夜) 愛蔵版2022年 (2023.4.8 イオンモールアルル 喜久屋書店)  

 今年読んだ文庫本のアンデルセン「絵のない絵本」と訳者も同じだけれど、松村真依子さんの絵が加えられ、装丁も立派になった贅沢本。全部で33の話から成っている。
 ほぼ毎晩一話ずつ読み進んだ。すると、前日文庫本を読んだ時とは違う味わいがあった。一つ読んだあとに時間を置くことで余韻が残る。一つもゆっくり時間をかけて読むことで月が眺めている様子が感じやすくなる。何が言いたいかはわからない話は依然としてあるけれど、それも何度かページを開いているうちに何かが伝わってくるかもしれない。リビングに置いて時々眺めるようにしたい。
                   2023読書記録トップへ   内容一覧トップへ 

(17) □ カンガルー・ノート (安倍公房:新潮文庫) 2023.5.12
   1991年刊行 文庫本1995年 (2023.4.8 イオンモールアルル 喜久屋書店)  

 読み始めはくだらないと感じた。無理をして読み続けた。すると後半、何かあるような気になってきた。
 読み終えてからドナルド・キーンの解説を読んで、本作が作者の晩年の作品であることを知った。病でベッドから離れられなくなった患者をイメージしながら前半を読み直すと、見方が全然変わってきた。
 とは言っても、文章が平易なのにもかかわらず、意味がわからない箇所が多い。ドナルド・キーンは前衛的だから、自分にはわからないと書いている。前衛的かどうかも僕にはわからないけど、わからなくてもかまわない。わからなくても僕のせいじゃない。わからない自由がなくちゃ本は読めない。
                   2023読書記録トップへ   内容一覧トップへ 

(16) △ 経営計画の基本 (宮内健次:日本実業出版社) 2023.4.28
   2023年3月刊行 (2023.4.14 イオンモール京都 大垣書店)  

 中小企業の経営計画がどうあるべきかを具体的に知りたくて本書を買った。どういう項目を埋めていく必要があるかはわかる。けれど内容はかなり薄い気がする。物足りないことこのうえない。とは言ってもほとんど無知なので役立つことはある。
参考になったのは「経営計画を確実に実行するための仕組み作り」で最初に挙がっていたのが5S(3S:整理、整頓、清掃+2S:清潔、しつけ)だったこと。そこから始めるべきというのは意外だったけど実行できていない会社が多いということなのだろう。
                   2023読書記録トップへ   内容一覧トップへ 

(15) 〇 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー (ブレイディみかこ:新潮文庫) 2023.4.22
   2019年刊行 文庫本2021年 (2023.3.24 近鉄百貨店橿原店ジュンク堂)  

 よく読まれている本だということは知っていた。けれど手に取ることはなかった。一つの理由はこの本を小説だと思い込んでいたことにある。ノンフィクションだということを比較的最近知った。
 著者は英国に住み、配偶者はアイルランド人。中学生の息子の日常を書いている。人種、宗教、貧富などによる様々な違いが顕在化する社会を垣間見ることができ、初めて知ることも多い。とても面白く興味深い本だ。
日本でも今後「多様性」は目立ってくるだろう。文中で息子が「多様性はいいことなんでしょ?」「いいことなのになぜ多様性があるとややこしくなるの?」と問うてくる箇所がある。反対は少ない、けれど進まない。「いいことなのに、ややこしくなる」。ここが社会全体としてすんなりといかないところなのだろう。シンパシーからエンパシーへ。ここが重要な気がする。

(メモ)
・オックスフォード英英辞典のサイトによれば、シンパシー(sympathy)は「1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと 2.ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為 3.同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解」と書かれている。一方、エンパシー(empathy)は「他人の感情や経験などを理解する能力」と書かれている。エンパシーは能力なのだ。つまりエンパシーは、自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだと思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のこと。
・「多様性っていいことなんでしょ? 学校でそう教わったけど?」
 「うん」
 「じゃあ、どうして多様性があるとややこしくなるの」
 「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽よ」
 「楽じゃないものが、どうしていいの?」
 「楽ばっかりしていると、無知になるから」「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどうくさいけど、無知を減らすからいいこことなんだと母ちゃんは思う」わたしがそう言うと、息子はわかったのかわからなかったのか判然としない面持ちで、おやつのチーズをむしゃむしゃ食べていた。
・英国の人々が子育てについて使う言葉。 It takes a village. 子育てには一つの村が必要=子どもは村全体で育てるものだ。
・「何やかんや言っても応援してしまう感じ」のことを市民的ナショナリズムといい、民族的ナショナリズムと対抗する軸として使われる言葉。数年前のスコットランド独立投票のときにさかんに議論されたコンセプト。
・絵本「タンタンタンゴはパパふたり」:動物園で恋に落ちた二羽のオスのペンギンの話。二羽のペンギンのオスが他のペンギンが子どもを作る季節に卵を温めているのを見て、卵に似た石を拾ってきて温め始める。飼育係が二羽がカップルだと気づき放置された卵を二羽の巣に置いておく。すると交代で卵を温め、赤ん坊が誕生してパパになるという話。
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(14) □ 営業デジタル改革 (角川淳:日経文庫) 2023.4.14
   2019年刊行 (2023.4.8 イオンモールアルル喜久屋書店)  

 中小企業の営業とは何なのか。そんなことを考えるヒントを得たくて本書を読んだ。
 一つひとつは当たり前のことのように思える。けれども顧客の購買手順が変わってきたことなど常識かもしれないけど、それに対応した形になっているのかなど考えるべき点は多そうだ。
 なお、重要なこととして、営業のビジョン、n年後の営業がどうなっていたいか、ということが繰り返し書かれている。ただ、具体的な例がほとんどないため、肝心の点の理解が進んでいない状態だ。
 
 
(メモ)
[はじめに]
・「営業デジタル改革」デジタルツールを導入し、営業活動の生産性を飛躍的に向上させる取り組み
顧客の購買活動が大きく変わってきた。顧客は営業担当に相談する前に、まずはウェブで検索して情報を得ようとする。そしてウェブでわからないことだけを営業担当に聞いたり、相談したりしようとする。したがって、欲しい情報はウェブですぐに入手したいと思うし、その反面、悩んだときは専門スキルの高い営業担当とだけ話をすることを望むようになっている。

[第1章 営業デジタル化の苦難]
・PCを使うことで顧客接点以外の社内業務が増え、顧客のために使う時間が減っている。
営業の現場でエクセルが好まれる。しかし、手軽さゆえに似た帳票が安易に増え、コピー&ペーストというアナログな作業をしてしまっている。
・顧客に何かを提案する際に「提案書」を準備するのが一般的で不可欠な存在になった。誰しもがそれなりの資料を作ることができる。若手営業者は「資料依存度」が高すぎる傾向がある。依存度が高いと資料に書いていないことに対する対応が苦手になり、資料をきっかけに顧客の課題をオープンに聞くこともできなくなっている。
・SFAが日本で広がり始めたのが1995年頃。営業日報の電子化や顧客データベースの共有からスタートした。やがて顧客関係を管理するCRMの一部として扱われることが多くなった。
・MAという見込み客の情報を一元管理し、メール・SNS、ウェブサイト、電話フォロー、セミナーといったイベントを組み合わせた顧客育成、商談発掘活動を自動化・可視化するシステムも急速に普及した。
営業担当者の入れ替えが多く、営業をしくみとして捉えようとする考えが強い米国では、日本よりも営業を科学的に見ようとする傾向がある。問題探しではなく、営業機会の最大化を図ろうとする。⇒営業担当者の入退社が多い会社は米国式が適しているかもしれない。

[第2章 顧客の変化についていけない営業現場]
顧客の購買プロセスにおける大きな2つの変化:@まずはウェブ検索から始まる A何か購買しようとしたとき、以前は営業担当者に声をかけていたものが、まずはウェブで情報収集するようになった。このため、購買の意思決定を行う際に「営業からの紹介」を参考にするのは16%だけ。
・米国のBtoB市場では、「営業担当者は顧客の意思決定に影響を持っていると思っている」(74%)が、「顧客の購買担当者は営業以外からの情報を主として購買の意思決定を行っている」という大きな認識のずれが見られる。
・購買の意思決定プロセスの変化:リーマンショック後、購買のルールが複雑になったり、より上位の判断が必要になったりした。
BtoB企業の購買調査レポートによると、購買の検討・決定の段階で「実際に営業担当者と顔を合わせたい」と考えている購買担当者の割合はわずか12%。
・顧客にとって貴重な営業担当者・・・複雑になった社内の意思決定プロセスを前に進めるために資料を作ってくれたり、上席者を説得してくれたりする営業。顧客の課題について一緒に考えることができるスキルを持つ営業。
・これから着目すべきは、
「顧客の購買プロセス」。既存の営業プロセスから顧客の購買プロセスを推し量ってはいけない。
・習慣化すると、人は問題意識を持たなくなる。

[第3章 自社のデジタル化度合いを診断する]
・「営業デジタル改革」チェックリスト:営業ビジョン、顧客の購買プロセス、日報の選択肢入力、顧客の購買プロセスの動きを重視したマネジメント、顧客情報分析
・タイプ別営業デジタル改革シナリオ
・現状をしっかり検証し、顧客の現状調査→ビジョン作りから取り組む。

[第4章 営業を構造化して考える]
・営業の4つの機能:「顧客発掘機能」「商談発掘機能」「商談受注機能」
「関係構築機能」
・どういう状態になれば商談とするのか、条件を決めるべき。「顧客と課題を共有」「提案や見積もりを要望された」等
・一度売ったらおしまいではなく、商談受注に動きつつ、次の商談を探す「商談発掘」を継続的に。それを繰り返し、長期的な関係を築く。
・自社のn年後の営業はどうなっていたいか。機能別に整理するのが良い(p113図3)。
・「顧客から見た自分たちの存在価値」が重要。「どの顧客にどう思われたいのか」
・4つのメソッドで構造を具体化
 @顧客の購買プロセス:顧客の購買プロセスと顧客ニーズを軸に営業手法を設計。p121図5
 A顧客マトリクス分析(p122図6)
 B商談進捗分析(p128):選択式にする。選択肢に「不明」を入れておく。商談の動き(時間軸)をわかるようにする。
 C顧客関係レベル

[第5章 ここまでは知っておこう! 最新ツールの基礎知識]
・SFA(営業プロセス自動化システム)/CRM(顧客情報管理システム)
・SFAは20年以上の歴史があり、どのシステムを選んでも大きな失敗はない。
・MA(マーケティング・オートメーション)
・AI:役に立たせるのは膨大なデータが必要。BtoB営業では圧倒的にデータが少ない。

[第6章 高度なリアル営業への変革]
・ソリューション営業は顧客に歓迎されない。
かなりの情報がウェブ検索で入手できる。必要とされるのは、社内を動かすためにまとめた資料と専門家の意見
・営業ツールのキーとなるのは、
「顧客と一緒に考える」(コラボレーション)。商品ポートフォリオ、課題解決のロードマップ。
最も重要なのは、顧客の課題に「寄り添う」姿勢
・顧客が購買にデジタルツールを活用した情報収集を行うのは当たり前。その購買スタイルに合わせた営業活動に変革しなければならない。それには顧客をよく知ること。
・ベテラン営業は自分たちの方が情報を持っているはずという意識が根強い。顧客に「〜させる」という発言が出たりする。実際は顧客の方が情報を持っている。一方若い営業は顧客ニーズは絶対で、自分の使命はそれに合わせて対応することというすたんすの人が多い。顧客からすると便利な存在であるが物足りなく思われる。
「売り込んでやろう」「こちらの思い通りに動かしてやろう」ではなく、「仰せのままに」でもない。必要なのは顧客の課題に寄り添うというスタンス。顧客の課題、購買プロセスの進捗状況などの情報を共有し、常に自分たちは何ができるかを日頃のミーティングでも考える。

[第7章 これからの営業活動をどう評価するか]
期初に時間をかけて販売計画を作成するが根拠が分からないものがほとんど。どの顧客に何がいくら売れたかの検証ができているか。「なぜ顧客管理ができていないのか」「どうすれば期初計画の精度が上げられるのか」「そもそも期初計画の精度を上げることが難しい顧客なのであれば、他にどんな手を打つか」などを考え、活動内容を改善することで初めて次に活かせる
・セールス・イネーブルメント:営業活動改善のための一連の取り組みで、そのための各種施策をトータルでデザインし、目標達成度合いを数値化して管理すること →人を軸とするのではなく、施策を軸として、トータルに数値化していく流れ

[第8章 営業デジタル改革を成功させる組織づくり]
・営業デジタルロードマップの作り方:ゴールの具体化(n年後の営業の数値化:「〜と思っている顧客が〇〇件」)→自社の現状の明確化と環境分析(顧客の現状とn年後どうなるかの予測)→シナリオの設定→ロードマップ軸とマイルストーンの設定→ロードマップの検証(社外に出して良い形にしたうえで、顧客に意見を求める手もある)→アクションプランの作成


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(13) □ 事業戦略策定ガイドブック (坂本雅明:同文舘出版) 2023.4.7
   2016年刊行 (2018.11.6 アマゾン)  

 転職前に購入して半分くらい読んだ記憶はあるけれど、そこで読むのを辞めていた。今になって少し事業の進め方について基本的なことを考えてみたくなり、最初から読み直した。
 
(メモ)
[第1部 事業の方向]
・儲けるための2つのアプローチ:
@強みを活かす A機会に乗じる
・事業の方向の検討方法・・SWOT分析:自社の強み(Strength)と弱み(Weak)、外部環境の機会(Opportunity)と脅威(Threat)。最終的に残す情報はインパクトと発生可能性によってフィルタリングする。
・事業案の検討、仮説検証
・事業コンセプトの3要素:@顧客・市場(誰に) A商品・サービス(何を) B顧客便益(顧客側の考え)

・事業コンセプトの評価フレーム:
3C分析・・市場環境(Customer)、競争環境(Competitor)、自社能力(Company)・・すべてに合格する必要はない。どの側面が不合格なのかを認識することが大切。
・市場環境を評価する6つのポイント:市場規模、市場の成長性、未開拓市場、支払い余力、需要の密度、市場の不確実性
・競争環境を評価する5つのポイント:業界内競争の激しさ、新規参入の脅威、供給業者の交渉力、買い手の交渉力、代替品の脅威
・自社能力の評価・・意味のある強みの要件:価値、稀少、模倣困難、代替不可能
・情報の収集と分析方法:定量的に把握(大雑把でも良い)、アナロジー法(別の事柄を類推)、足で稼ぐ、意思決定バイアス
・事業コンセプトの決定:3Cの総合評価→事業コンセプトの修正→仮説検証サイクルの繰り返し
・事業目標の設定:いつまでに何を達成すべきかを明確に。納期を区切ることは戦略スパンを考えること。次のようなことを考える。@事業規模か、収益性か A短期的成果を目指すか、長期的成果を目指すか Bリスクを取って挑戦するか、確実な成功を目指すか C柱となる事業に育てるか、主力事業への貢献を重視するか

[第2部 市場戦略]
・基本戦略は2つ:
@差別化 Aコスト・リーダーシップ。以降は差別化戦略
・差別化には顧客選択が不可欠。ある程度の市場を捨てる決断が必要。
・差別化要素を検討するツール・・
価値曲線分析
 step1:価値要素を列挙・・・顧客のジョブを起点に価値要素を考える(ジョブ・マッピング)
 step2:自社と競合企業の現状水準を描く・・・精緻さを求めすぎない
 step3:補足的に競合・市場分析を実施
 step4:自社のあるべき価値曲線を描く 
・競合・市場分析:@顧客ニーズの分析(特定顧客・不特定顧客)
 ターゲットとする顧客企業の戦略分析は必須
→差別化要素の決定・・3つの要素:ターゲット顧客が強く求めているもの。自社の強みが活かせるもの。競合企業が追随できないもの
・競合企業との差別化要素の違いを表現する手法として、ポジショニングマップ

・差別化要素の状況別検討方法:考慮すべきこと・・市場ポテンシャル、シェア構造、基本的価値の提供水準、実質的な意思決定者、
・捨てる価値要素の検討方法・・・どこの力を抜くか:過剰品質、トレードオフ、

[第3部 競争・協調戦略]
・競争戦略:買い手が買わざるを得ない状況を作り出して売価を吊り上げ、供給業者が売らざるを得ない状況を作り出して買い叩く。
・検討手順・・step1:業界の俯瞰図を作成 step2:競争戦略のアイデアを洗い出し step3:優先順位の高いものを選択
・業界の俯瞰図:中心に自社、左に川上業者、右に川下業者、上に補完的生産者、下に各段階の競合業者、代替品業界
・選択の方法・・ペイオフマトリクス:インパクトと実行可能性を位置づけ
・競争戦略の主要パターン:
 @相手の交渉力を弱める・・セカンドソース、垂直統合
 A相手の動きを封じ込める・・事業に不可欠な資源を押さえる(先に買収)、価格を下げる。スイッチングコスト形成(取引先変更のコストを上げる)

・協調戦略の検討フレーム・・バリューネット:自社を中心に、買い手、供給業者、競合企業、補完的生産者を配置
・協調戦略の主要パターン
 @競合業者と協調・・目的:市場パイの拡大、陣営間競争での優位確保、市場やチャネルの確保(競合しない商品・サービスに限定)、商品や能力の補完、コスト削減や効率化、リスク分散(一緒に共同開発)
 A供給業者・買い手と協調・・目的:価値創出(顧客との共同開発等)、コスト削減、効率化
 B補完的生産者と協調(一方の需要が増加すれば、他方の需要も増加する関係。例:TOTOウォシュレット普及時にハウスメーカにトイレへのコンセント設置を働きかけ)
・協調戦略成功のポイント:相手を見つける。相手の戦略を分析。相手にメリットを与える。相手の領域に踏み込まない。相手と歩調を合わせる。

[第4部 利益モデル]
・経済学における高収益性パターン:規模の経済性、範囲の経済性、密度の経済性、ネットワーク外部性
・規模の経済性:固定費の存在、設備や装置の非分割性、規模の不経済もあるので適切な事業規模を考える。
・範囲の経済性・・何を共有するか:販売シナジー、生産シナジー、投資シナジー(研究開発などへの投資成果を共有)、経営管理シナジー。:シナジーのコスト・・調整コスト、妥協コスト、非柔軟性コスト
・密度の経済性:需要の密度(コンビニ店舗密集)、生産拠点の密度
・ネットワーク外部性・・利用者が増えるほど利用価値が高まる:利用者による付加価値(SNS利用者が増えるほど価値が高まる)、供給業者による付加価値(規格間競争)、先行者優位

・利益構造上のトレードオフ:販売量か価格プレミアムか、固定費型か変動費型か。
・販売量か価格プレミアムか・・事業特性から考える:価格弾力性(価格変動に対する需要量増減)、固定費比率、供給制約、ネットワーク外部性
・固定費型か変動費型か・・事業特性から考える:市場規模、需要の不確実性、

・マネタイズのパターン:”利用”に対して対価を受け取る、”成果”に対して対価を受け取る、”他の人”から対価を受け取る(旅行会社が土産店からバックマージン)、”関連商品”で補填する(赤字での卵販売)、”アフター・消耗品”で補填する、”アップグレード”で補填する

[第5部 ビジネスシステム]
・企業内部の仕組み
・ビジネスシステムの設計手順・・step1:内部化・外部化の検討 step2:業務特徴の選択 step3:外注先との取引スタンスの検討 step4:業務間フィットの検討
・内部化・外部化(何を内部で、何を外部企業に任せるか):効率(どっちが効率的にできるか)、効果(その業務は差別化の源泉か)、整合(中核となる業務と整合するか)、学習(将来のために手がける価値はないか)
・業務特徴:業務の最適な組み合わせ
・外注先との取引スタンス:市場取引か、戦略的提携か。
・業務間フィット:ビジネス全体のフィット感。活動システムマップ(差別化要素を実現する中核特定を中心に、他の業務特性を周辺に配置)。齟齬を修正。

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(12) □ 絵のない絵本 (アンデルセン:岩波文庫) 2023.4.7
   原作1839年(最初の20夜まで)、1854年(全33夜) 文庫本1975年 (実家にあった本)  

 読みたくなる書評を書く方がいる。作家の川上弘美さんはその一人で、彼女が紹介するんだから面白い筈と思って読んでみることも何度かあった。
 少し前、新聞の「つんどく本を開く」というコーナーで、画家・絵本作家のヒグチユウコさんが5冊の本を紹介していた。ヒグチユウコさんのことは全く知らないけれど、そこで書いていた本はどれも読みたくなった。アンデルセンの「絵のない絵本」がその一冊だ。
 実家に「絵のない絵本」があることは昔から知っていたので、家に寄って持って帰ってきて読んだ。月が話してくれる話を書き記した33のお話ということになっている。
 第1夜から第33夜まで、33のお話から成る。1話が文庫本で2ページから4ページという短く、どういう話なのか全然わからなかったり、何か背景がありそうだけど読み取れないことがほとんどだ。けれど何かある。そんな気にさせる本だ。

1回読んだだけで放っておくには惜しい。だから「絵のない絵本 愛蔵版」という絵のある「絵のない絵本」を購入、もうしばらく付き合うことにした。

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(11) □ 出家とその弟子 (倉田百三:岩波文庫) 2023.3.30
   単行本1917年 文庫本1927年 (1994.3.20 啓林堂・・・おそらく郡山)  

 倉田百三の名前はおそらく大学に入ってすぐくらいに、何かの本で目にしたはずだ。だから読んだのは大学時代だと思い込んでいた。しかし、本に残したメモによると、読んだのは1996年5月5日。30を過ぎてからだった。その時は何を求めて読んだのだろう。
 僕の母の実家は浄土真宗のお寺だ。小さいころ、祖父のお経をよく聴いた。メロディーに乗せて歌うようなお経を時々懐かしく思い出す。(You Tubeで探したら、その歌うお経が見つかった。「念仏和讃」というらしい。) 
 今年、親鸞生誕850年だそうだ。それだからかわからないが、もう一度読んでみたくなった。
 主な登場人物は、親鸞、弟子の唯円、息子の善鸞だ。倉田百三はこの作品の親鸞は自分の親鸞であって、史実によったものでもなく、教義を説明したものでもないと書いている。だから自由勝手に読んでかまわない。

 親鸞の息子善鸞との関係とともに、大きなテーマが唯円と遊女かえでの恋だ。太宰治の「令嬢アユ」を読んだ後では、唯円が友人だったとして僕は何を言うだろうかと考える。「令嬢。よっぽど、いい家庭のお嬢さんよりも、その、鮎の娘さんのほうが、はるかにいいのだ。本当の令嬢だ、とも思うのだけれども、嗚呼、やはり私は俗人なのかも知れぬ、そのような境遇の娘さんと、私の友人が結婚するというならば、私は、頑固に反対するのである。」
 でも、もし僕が唯円だったとしたら、どうだろう。友人に対して言うことを自分に対しても言い聞かせるだろうか。少し違う気がする。令嬢アユでの「私」は他人事だからかえって反対できるのではないか。そんな風に思えてきた。

 最後の親鸞の臨終の場面は、自分自身が年を経てきたからか、自分のそういう時を若干想像しつつ読んでいた。住職であった僕の祖父は戒名に「遊」という字を入れている。お釈迦様の手のひらの上でたくさん遊ばせてもらった、という意味を込めている。僕も「遊」という字を入れてほしいな、と直接関係のないことを思いながら読んだ。
 
(メモ)
・(左衛門)「私が一つの呪いの言葉を出した時に、次の呪いの言葉がおのずからくちびるの上にのぼりました。」
・(親鸞)「お前のさびしさは対象によって癒されるさびしさだが、私のさびしさはもう何物でも癒されないさびしさだ」
・(親鸞)「裁かずに赦さねばいけないのだ。ちょうどお前が仏様にゆるしていただいているようにな。」
・(親鸞)「どのような場合でも怒るのはいけない。お前たちは確かに少しも怒りを発せずにゆるすべきであったのだ。だがだれにそれができよう。ねがわくばその怒りに身を任すな。火をゆるがせにすればじきに広がる。」

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(10) △ 弱いニーチェ (小倉紀蔵:筑摩選書) 2023.3.18
   2022年8月刊行 (2022.9.22 京都駅ふたば書房)  

 昨年10月の講演の準備をしていた最終段階で、未来のことを考えて現在を生きる、ということを考えていた。ふと、そんなことを言っている哲学者がいるんじゃないかと思って検索するとすぐに、「過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える」というニーチェの言葉が見つかった。ただ、どの本に載っているのかを特定できていない。また、ずっと、自分の弱さを意識して生きてきた。最近はその弱さに普遍性があって、弱さを活かす考え方があるのではないかと思っている。
 そんな時に「弱いニーチェ」という、ニーチェと弱さの両方を含んだタイトルの本を見つけ、これは読まなければと思った。

本書はほとんど理解できなかった。それ以上に、多くは何の話をしているのかわからなかった。「弱さ」についても、僕の感じているものとは違うもののようだ。残念ながら、現時点では全く得るものはなかった。ただ、やはり、ニーチェにはどこかでもう一度戻ってくるような気はしている。

(メモ)
・人間の生んだ「高い価値」のものに自己同一化するような個人は畜群と呼ばれ、そういう「高い価値」とは無縁な個人は総合的人間と呼ばれる。総合的人間とは、自らのなかに価値の高いものから低いものまで、相対立するすべての要素を無秩序にとりこみ互いに闘争させる生成者。
・ニーチェは、当時のヨーロッパで自明なものになっていた「自己はひとつである」とか、「自分の生命はひとつである」とか、「社会は個人が集まってつくるものである」などという「常識」を、徹底的に疑い、それを全身全霊で否定した。
・三つの自己」:第一の自己=普通に自己とか、自我とか呼ばれるもの。「われ思う、ゆえにわれあり」という時の「われ」。第二の自己:普遍的境地に到達した自己。第三の自己:「あいだ」の自己・・・多重主体
・ニーチェ「おのれの本質の宿命性は、過去に存在し未来に存在するであろうすべてのものの宿命性から解きはなすことはできない」
・最高の価値を持つ崇高な人間とは、かよわくてこわれやすく、弱々しくてひ弱な人間である。なぜなら崇高な人間は超越的・普遍的・統体的な実在を信じず、それに依存せずに、ただひたすら無数の事物を「あいだの自己」に取り込んで、そこに保存する多重主体だからである。
・自己を強くしようとしていたずらに超越的・普遍的・統体的な実在や価値に同一化させようとしてはならない。そうしてしまうと、経験は抽象化されたり真理化されたりしてしまい、多世代をつうじて形成された重厚で稀有なもの・ことの価値、つまり、「あいだのいのち」の価値を喪ってしまうからである。

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(9) □ タタール人の砂漠 (ブッツァーティ:岩波文庫) 2023.3.17
   原作1940年 翻訳文庫本2013年 (2023.1.9 八重洲ブックセンター)  

ブッツァーティはイタリアの作家。敵を待ち続ける砦に赴任する将校の話。紹介にカフカの名前があったので、カフカを真似た不条理の世界かと想像して読みだした。序盤はそのような雰囲気だったが徐々に普通の世界のように感じだし、最後は自分との距離が近くなった。
人生とはこういうものかもしれない。僕の人生も。そんなことを感じさせる作品だった。ひょっとしたら名作かもしれない。

(登場人物)
ジョヴァンニ・ドローゴ、友人フランチェスコ・ヴェスコーヴィ、オルティス大尉、マッティ中佐、カルロ・モレル中尉、トロンク曹長、モンティ大尉、仕立て屋プロズドチモ、アングスティーナ中尉、ラゴリオ中尉、軍医ロヴィーナ、兵士ラッザーリ、ニコロージ中佐、司令官フィリモーレ大佐、マリア(ヴェスコーヴィの妹)、シメオーニ中尉


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(8) △ 空爆論 (吉見俊哉:岩波書店) 2023.3.1
   2022年8月刊行 (2022.9.22 京都駅ふたば書房)  

 昨年10月の講演直前に何か参考になることは得られないかと最後に買ったのが本書だ。少し読み始めてすぐに役立てるのは無理と判断し、しばらく置いていた。
 著者は空爆という上からのまなざし、爆撃される地上からのまなざし、空爆する側の植民地主義的な見方、爆撃される側の支配される無力な見方、など「視ること」という観点で戦争を捉えて書いている。理解できる箇所と無理やりに一つの観点で観ようとしているように感じる箇所がある。そういう観点でなくても本書には今まで知らなかった印象に残る記載と写真があり、ここは読んだ価値があったところだ。一つは万博での「人間動物園、もう一つは朝鮮戦争で米軍の空爆後の北朝鮮の平壌の写真。これは忘れてはいけないことだ。

(メモ)
19世紀末から20世紀にかけての万国博覧会で人気を呼んでいたのが「人間動物園」。帝国の植民地から連れて来られた「未開」の先住民を動物園のように柵で囲い、植民地の集落を再現したかのような模擬集落に住まわせて来場者たちに観覧させるという、度を越えて人種差別的展示が行われていた。日本でも1903年に大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会で台湾や沖縄、北海道の先住民が柵の向こうに「展示」された。
・P29の図1-1:3月10日の東京空襲で、墨田区本所付近を逃げまどっていた人々の焼死体。
・P87の図2-1:
朝鮮戦争1952年の米軍空爆後の平壌・・・東京空襲と同じ手段で焼け野原となった。
・ドローン爆撃に熱中したのは、ブッシュ政権以上にオバマ政権だった。
・アメリカはブッシュ政権やトランプ政権のみならず、オバマ政権やバイデン政権においても、自国民を危険に晒す必要がないという身勝手な理由から、好んで敵地でのドローン爆撃を続けている。
・ドローン開発のこうした歴史は、先進諸国における「人権尊重」の意識の高まりが、必ずしも「反戦」や「平和」を志向する意識に結びついてきたわけではなく、むしろ「無人の戦争」を全世界に拡散させる方向に軍需産業を向かわせていったことを示している。
・1936年から、米海軍は無人機を遠隔操縦で飛ばす実験を始めていた。この作戦のコードネームが「ドローン」。
・1934年RCA社のツヴォルキンの提案書(遠隔操作による空飛ぶ魚雷):「新聞報道によれば、日本人は航空魚雷や洋上魚雷を操作する自殺部隊を組織したという」・・・アメリカでは日本軍が大規模な自爆攻撃を仕掛ける以前から、日本軍にそのような傾向があるとみなしていた。
・1932年ロサンゼルス・タイムズ紙:「日本帝国海軍は新型魚雷を開発した。生身の人間が死に向かって操縦するものだ。」
・1930年代初頭の山本五十六の会食での発言:艦長は艦と運命を共にする。飛行機の操縦士が機と運命を共にするには当然じゃないか。
・スーザン・ソンタグ:
戦争関連のニュースが今では世界じゅうに流布しているという事実は、遠い地域にいる人々の苦境を考える能力がそのぶん強化されたことを意味しない
・ロシアのウクライナ侵攻に対する反応:ウクライナの村々でのロシア軍の虐殺に対し、それが(中東やアフリカではなく)「ここで起こる」ことへの強い拒否感がある。

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(7) 〇 ろまん燈籠 (太宰治:新潮文庫) 2023.2.18
   1941年から1944年発表 文庫1983年 (2022.12.30 近鉄百貨店橿原店ジュンク堂)  

 高橋源一郎が太宰治を戦時中の作家として紹介していたことから、太宰治の本をもう一度読んでみようという気になった。本書は昭和16年から19年までに書いた16作品から成っている。一通り読んだ段階ではもうひとつだなあ、と思った。たぶん、戦時中を意識して読みすぎたんだろう。もう一度さらっと読み直してみると、心に引っ掛かるところがいくつかある。この引っ掛かりが小説で最も大切なところで、後々の記憶に残る部分だ。

(メモ)
『令嬢アユ』
 「令嬢。よっぽど、いい家庭のお嬢さんよりも、その、鮎の娘さんのほうが、はるかにいいのだ。本当の令嬢だ、とも思うのだけれども、嗚呼、やはり私は俗人なのかも知れぬ、そのような境遇の娘さんと、私の友人が結婚するというならば、私は、頑固に反対するのである。」
『禁酒の心』
 「日頃酒を好む者、いかにその精神、吝嗇卑小になりつつあるか、一升の配給酒の瓶に十五等分の目盛を附し、毎日、きっちり一目盛ずつ飲み、たまに度を過して二目盛飲んだ時には、すなわち一目盛分の水を埋合せ、瓶を横ざまに抱えて震動を与え、酒と水、両者の化合醗酵を企てるなど、まことに失笑を禁じ得ない」
『鉄面皮』
 「こんど、徳川家康と一つ取っ組んでみようと思う、なんて大それた事を言っていた大衆作家もあったようだが、何を言っているのだ、どだい取組みにも何もなりやしない、身のほどを知れ、身のほどを、死ぬまで駄目さ、きまっているんだ、よく覚えて置け、と兄の口真似をして、ちっとも実体の無い大衆作家なんかを持出してそいつを叱りつけて、ひそかに溜飲をさげているんだから私という三十五歳の男は、いよいよ日本一の大馬鹿ときまった。」
『作家の手帖』
 「七夕とは一体、どういう意味のお祭りなのか更にくわしく知りたくさえなって、二つ三つの辞書をひいて調べてみた。けれども、どの辞書にも、「手工の巧みならん事を祈るお祭り」という事だけしか出ていなかった。これだけでは、私には不足なのだ。もう一つ、もっと大事な意味があったように、私は子供の頃から聞かされていた。この夜は、牽牛星と織姫星が、一年にいちどの逢う瀬をたのしむ夜だった筈ではないか。」
『東京だより』
 「あの事務所の少女が、みなからひとりおくれて、松葉杖をついて歩いて来るのです。美しい筈だ。その少女は生れた時から足が悪い様子でした。右足の足首のところが。いや、私はさすがに言うに及びない。松葉杖をついて、黙って私の前をとおって行きました。」

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(6) 〇 暇と退屈の倫理学 (國分功一郎:新潮文庫) 2023.2.14
   増補版2015年、文庫2021年 (2022.11.20 アマゾン)  

 大学時代、自由を持ちこたえられず苦しかった。当時、「自分を持ちこたえられない」という感覚があり、消極的ながらもじっとしていられない衝動があって、夜中に下宿を飛び出して自転車で走りだした時もあった。
 オウム真理教の事件が起こった時、宮台真司氏が「退屈」という言葉を使っているのを聞いた。その時、きっとこれだな、という気がしたのを覚えている。僕は自分がずっと「退屈」してきたような気がしていて、それからずっと「退屈」という言葉が気になっていた。でも宮台氏の本を読むこともなく時間が過ぎた。
 昨年末に國分氏の本書を書店で見つけた。これはきっと読むことになるだろうなと思いつつしばらく放置していたが、やはり買って読むことになった。
 自分が持っていたような感覚に近い話もある。第5章のハイデッガーは興味深い。決断しなくては、と大学生の頃に考えていたような気がする。一方でかなり距離を感じる話もある。普遍性を持たせると話は全世界の大きな話になっていくが、普遍性を持たせることで陳腐化するように思えてしまう面もある。
 結論の記載はあまりピンとこない。そもそも僕が退屈をどうしたら良いかという結論を求めているのかどうかもよくわからない。なぜなら今は退屈しているという感覚がないからだ。それは自由がないのか。いやそうとは思えない。自由でありながら退屈していない。そういう地点に今はたどり着いたという事なのだろうか。
 

(メモ)
[序章: 「好きなこと」とは何か?]
・イギリスの哲学者バートランド・ラッセル「幸福論」(1930):
20世紀初頭のヨーロッパでは既に多くのことが成し遂げられた。これから若者が苦労して作り上げる新世界はもはや存在しない。若者にやることがないので、彼らは不幸だ。ロシアや東洋諸国ではまだ新しい社会を作っていかなければならないから、そこでは若者は幸福だ。→人々の努力によって社会がよりよく、より豊かになると、人はやることがなくなって不幸になる。
・国や社会が豊かになると、金銭的な余裕と、時間的な余裕を得る。その余裕により「好きなことをしている」と考えられる。では「好きなこと」とは何か?
・経済学者ジョン・ガルブレイス「ゆたかな社会」(1958):
現代人は自分が何をしたいのかを自分で意識できなくなっている。消費者の欲望は自由に決定されない。欲望は生産に依存する。生産は生産によって満たされるべき欲望を作り出す。・・・・そのそも余裕を得た暁にかなえたい何かなど持っていたのか?
・マックス・ホルクハイマーとテオドール・アドルノ「啓蒙の弁証法」(1947):18世紀の哲学者カントは人は自分なりの型にあてはめて主体的に理解していると考えた。アドルノらは人間の主体性は人間によってではなく、産業によって準備されると考えた。
・19世紀後半イギリスの社会主義者ウイリアム・モリス:社会主義革命到来後の社会はどうなるか。
革命後、自由と暇を得る。大切なのは、その生活をどうやって飾るか。モリスは自分の生活を芸術的に飾ることのできる社会を目指した(アーツ・アンド・クラフト運動を始めた)。彼は経済発展を続けるイギリス社会で人々の生活が少しも飾られていないことに強い不満を持っていた。
・哲学者アレンカ・ジュバンチッチ:近代は様々な価値観を相対化してきた。その結果、「生命ほど尊いものはない」という原理しか提出できなかった。それは正しいが故に反論できず、人を突き動かさない。そのため、国家や民族といった「伝統的」な価値への回帰が魅力を持つようになった。それだけでなく、
自分を突き動かしてくれる力を欲する、突き動かされている人をうらやましく思う。何かに打ち込みたい。自分の命を賭してまでも達成したいと思える重大な使命に身を投じたい
生きているという感覚の欠如、生きていることの意味の不在、何をしてもいいが何もすることがないという欠落感

[第1章: 暇と退屈の原理論 
ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?]

・17世紀のフランスの思想家、
パスカル:人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。
・パスカルが挙げる狩りの例:ウサギ狩りに行く人にウサギを手渡すとどうなるか。嫌な顔をされる。なぜならウサギ狩りに行く人はウサギが欲しいのではないから。人は獲物が欲しいのではない。退屈から逃れたいから、気晴らしをしたいから、みじめな人間の運命から眼をそらしたいから狩りに行くのだ。
・<欲望の対象>ウサギ、<欲望の原因>気晴らしが欲しい。人は自分が「欲望の対象」を「欲望の原因」と取り違えているという事実に思い至りたくないので、熱中できる騒ぎを求める。→パスカルの解決策は、神への信仰
・ニーチェ「悦ばしき知識」(1882):いま、幾百万の若いヨーロッパ人は退屈で死にそうになっている。彼らは「何としてでも何かに苦しみたいという欲望」を持っている。かれらはそうした苦しみのなかから、自分が行動を起こすためのもっともらしい理由を引き出したいからだ。
・レオ・シュトラウス:ファシズムがドイツで台頭していく様子を見ていた。若者は、緊張の中にある生だけが本来の生だと考えるようになっていた。真剣な生とは「非常事態」において体験される生。・・・ウサギ狩りに行く人間は、「緊急事態」を求める人間とそう変わりない。
ラッセルの退屈論:退屈とは、事件が起こることを望む気持ちがくじかれたもの。「事件」とは、今日を昨日から区別してくれるもの。人は毎日同じことが繰り返されることに耐えられない。「同じことが繰り返されていくのだろう」と考えてしまうことにも耐えられない。だから今日を昨日から区別してくれるものを求める。・・・そうであるなら、事件の内容は何でもよいことになる。退屈の反対は快楽ではなく、興奮。
・ラッセルの結論:熱意を持った生活を送ること。・・・熱意の傾けられる道楽や趣味が大半の場合は根本的な幸福の源泉ではなく、現実からの逃避になっている、とも指摘している。
・ノルウェーの哲学者ラース・スヴェンセン:退屈が人々の悩み事になったのは、ロマン主義のせい、という立場。ロマン主義者は生の意味は個人が自らの手で獲得すべきと考える。とはいえ、そんなものが簡単に獲得できるはずはない
。それゆえ、ロマン主義者たる私たち現代人は退屈に苦しむ。18世紀の啓蒙主義の時代では、人間は理性的存在として平等であり、平等に扱われねばならないと論じられた。ロマン主義はその反動で個人はそれぞれ違う、個性、異質性を重んじた。ある程度平等が達成されると、こんどは再び不平等が求められたわけだ。・・・退屈から逃れる唯一の方法はロマン主義を捨て去ること。

[第2章: 暇と退屈の系譜学 人間はいつから退屈しているのか?]
・退屈を近代から考えてしまうと、退屈の理由を社会の側に求めることになってしまう。
・人類が定住生活を始めたのは約1万年前。
・現在、人類の大半は定住生活を送っている。そのため、定住中心主義とでも言える視点から人類史を見てしまい、人類の歴史の大部分は定住したくても定住できなかった歴史とみなされる。しかし、定住する条件さえ満たされれば人類はただちに定住するものだろうか。
・定住には食料生産は必ずしも必要ない。北アメリカ北西部の諸民族やアイヌなどは定住生活を行っているが、農耕民ではない。日本の縄文文化は食料生産技術を持たない定住生活者によってはぐくまれた。稲作到来以前に定住生活は始まっていた。
農業などの技術を獲得したから定住したのではなく、定住したからその技術が獲得された。
・中緯度帯でなぜ1万年前に定住が始まったか:人類が熱帯環境から中緯度帯に進出したのは50万年前。氷河期が終わりを告げた1万年前、温暖化が進み、中緯度帯が森林化し、それまで狩っていた有蹄類(ウマ、ウシ、トナカイ、毛サイ、マンモス)が減少、森に住む獣は小さい。狩猟に重点を置いた生活に大きな打撃。植物性食料か魚類への依存を深める。季節変動により貯蔵が必須になってくる→定住へ。
・定住により、ゴミ、排泄物問題、死者との関り、貯蔵による私有財産という考え、社会的不平等が生じる。
・遊動生活では新しい環境に適応する必要があったが、定住生活によって能力発揮の場面を失う。→退屈→退屈を回避することから、文明が発生

[第3章: 暇と退屈の経済史 なぜ”ひまじん”が尊敬されてきたのか?]
・経済学者ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」(1899):有閑階級=相当な財産を持っているためにあくせく働く必要がなく、暇を人付き合いや遊びに費やしている階級。有閑階級は所有という考えが発生すると同時に生まれた階級。有閑階級は暇を見せびらかしたい。暇をわかりやすく代行してくれるのが、使用人集団。19世紀末から20世紀初頭にかけて、有閑階級凋落。使用人集団が減少。その代わりに現れたのがステータスシンボルとしての消費。ヴェブレンは「製作者本能」を人間が本能として持つという。それは「有用性や効率性を高く評価し、浪費を低く評価する感覚」
・アドルノのヴェブレン批判:額に汗して働くことだけが幸福をもたらすとして文化を浪費に過ぎないと考えている。アドルノは芸術を非常に高く評価している。
・ヴェブレンは18・19世紀の新しい有閑階級(ブルジョワジー)の大部分が平民の生まれであることに注目する。金も力もあるが教養がない。
古い有閑階級(貴族)は暇を生きる術を知っていて品位ある時間を過せた。新しい有閑階級は暇に苦しみ退屈する。・・・さらに20世紀、大衆も暇を手にする。幸か不幸か、労働者に余暇の権利が与えられたから。・・・暇を生きる術を知らないのに暇を与えられた人が大量発生。
・社会主義者ポール・ラフォルグの労働賛美批判:労働運動に関わる人たちは労働者を賛美し、労働を讃えているが、それこそ資本家が求めていること。・・・余暇を求めることが資本の論理の外に出ることと考えている。
・労働者を使って暴利を得るには、労働者に無理を強いることは不合理。
労働者に余暇を与え最高の状態で働かせることが資本家にとって最も都合が良い。・・・自動車王ヘンリー・フォードのフォーディズム・・・休暇は労働の一部
・イタリア哲学者アントニオ・グラムシによる禁酒法とフォーディズムの関係:米国の禁酒法は1920年施行、1933年廃止。労働の合理化と禁酒主義は関係している。二日酔いでは労働できない。・・・労働者も禁酒法に賛成。酒におぼれず労働すればそれに見合う報酬が与えられる制度が作られていたから。高賃金の見返りに労働者は私生活をも売りに出す。→フォーディズム的な労務管理は余暇を取り込む形で形成されている。
新たに余暇を与えられた階級は何をしたらいいかわからない。→レジャー産業。人々の欲望そのものを作り出す。
・ガルブレイス:自分が欲しいものが何であるかを広告屋に教えてもらう。
・既に1862年フッサールは資本主義の特徴を説明:以前は欲求が供給や生産に先行していた。今日では生産と供給が欲求に先行し、これを強制している。
・ガルブレイスの結論:消費者主権モデルは崩壊、希望は「新しい階級」。「新しい階級」とは仕事こそ生きがいと感じている人。→「仕事が充実するべきだ」という主張は、仕事においてこそ人は充実していなければならないという強迫観念を生む。人は「新しい階級」に入ろうとして、こぼれ落ちまいとして過酷な競争を強いられる。

[第4章: 暇と退屈の疎外論 贅沢とは何か?]
・必要なものが必要な分しかない状態はリスクが極めて大きい状態。必要を超えた支出があって人は豊かさ、贅沢を感じる。人が豊かに生きるためには贅沢がなければならない。
・浪費:必要を超えて物を受け取ること。贅沢の条件。物を受け取る、吸収するには限界がある。浪費はどこかで限界に達する。
・消費:
消費には限界がない。消費の対象は物ではない。対象は記号や観念。(例)グルメブーム、次々に店を追い続ける。店は記号になっている。終わりがない。(例)モデルチェンジすれば売れる。人がモデルそのものを見ていない。チェンジした観念を見ている。
・人類学者マーシャル・サーリンズ「原初の豊かな社会」:狩猟採集民の研究により石器時代の経済の「豊かさ」を論証。狩猟採集民は何も持たないから貧乏なのではなくて、むしろそれ故に自由である。彼らは経済的計画もせず、貯蔵もせず、すべてを使い切る浪費家。それは浪費が許される経済的条件のなかに生きているから。彼らが食料調達のために働くのはだいたい一日3時間から4時間。将来への気遣いの欠如と浪費性は「真の豊かさのしるし」。
現在の消費社会を特徴づけるのは物の過剰ではなくて稀少性である。商品は消費者の必要によってではなく、生産者の事情で供給される。生産者が売りたいと思う物しか市場に出回らないから。消費社会は私たちを浪費ではなく消費へと駆り立てる。消費社会としては浪費されては困るのだ。なぜなら浪費は満足をもたらしてしまうからだ。
・「消費対象としての労働と余暇」:ガルブレイスの「新しい階級」は消費の論理を労働に持ち込んでいるにすぎない。彼らが労働するのは「生き甲斐」という観念を消費するためだ」。労働が消費されるようになると、余暇も消費対象になる。だから余暇はもはや活動が停止する時間ではない。非生産的活動を消費する時間である。
・映画「ファイト・クラブ」(1999年アメリカ)
・映画のビジネスマンは強烈な現実感の喪失に苦しんでいる。現実感の喪失が途方もない退屈を与えている。退屈はしているが暇ではない。
・現代の「疎外」:労働者の疎外ではなく、消費社会における疎外。
ルソーの「自然状態」:所有がなければ人を隷属させたり抑圧したりはできない。
・「自己愛」と「利己愛」:自己愛は自分を守ろうとする気持ちであり、どんな状態であろうと変わらない。利己愛は他人と自分との比較に基づいて、自己を他人より高い位置に置こうとする感情で、社会状態でしか存在しない。社会状態を前提とし、構成員全員が平等な権利を持つと前提して初めて、恨みなどの感情が生まれる。平等であるとの信念ゆえに生じる否定的な感情。ルソーはこれを総称して利己愛と呼んだ。
・ルソーは、人間の本来的な姿を想定することなく、人間の疎外状況を描いた。本来性なき疎外。
・マルクスの「自由の王国」の条件は、労働日の短縮。労働の廃棄ではない。
・疎外は暇なき退屈をもたらしている。

[第5章: 暇と退屈の哲学 そもそも退屈とは何か?]
・ハイデッガー「形而上学の根本的概念」(1929年から1930年の講義原稿をまとめたもの)
・ハイデッガーが引用した哲学の定義:哲学とはほんらい郷愁である。さまざまな場所にいながらも、家にいるようにいたい、そう願う気持ちが哲学(ノヴァーリスという18世紀ドイツロマン派の思想家)・・・問うことによって私たち自身が感動させられているのでないならば、何事も理解はできない。
・ハイデッガーは気分を重視した哲学者。「存在と時間」では「不安」という気分を分析した。
・当時、シュペングラー「西洋の没落」という悲観的な本がベストセラーになった。ハイデッガーは、私たちはいま自分たちの役割を探している、なぜそうしなければならないのか。退屈になってしまっているのでは、というように考えた。退屈こそが私たちにとっての根本的な気分だ。
退屈の第一形式:何かによって退屈させられること(退屈なものがある)・・(例)電車を待つ・・ぐずつく時間→私たちを「引きとめ」。気晴らしを探そうとする。何もすることがない、むなしい状態(空虚放置)に人間は耐えられない。空虚放置とは物が私たちに期待しているものを提供してくれない状態。・・・(整理)物が言うことを聞いてくれない。→空虚放置され、ぐずつく時間による「引きとめ」が発生・・・これが第一形式の退屈
・ある物とそれに接する人間がいるとして、両者の時間のギャップによって第一形式の退屈が生じる。・・会議
退屈の第二形式:(退屈の分類ではなく分析の深まり)何かに際して退屈すること。何がその人を退屈させているかが明確でない。・・(例)夕食に招待され愉快に過す・・・楽しかったけれど退屈した(暇ではないが退屈した)・・外界が空虚なのではなく、自分が空虚になる。周囲に調子を合わせる付和雷同の態度で投げやりになり、自分をその雰囲気に任せっぱなしにする。そういう意味で自分自身が空虚になる。・・・第一形式とは異なる空虚放置。
・私たちの生活は何のためかわからない気晴らしに満ちている(テレビを延々と眺める、買い物に出かけるツイッターでつぶやく、古典文学を読む、名画鑑賞)・・・退屈と絡み合った気晴らし、気晴らしと絡み合った退屈、退屈させる気晴らし・・・。そうしたものは何か人間の生の本質を言い当てていると言っても良いように思える。
退屈の第三形式何となく退屈。逃れられないように感じる。「何となく退屈だ」という声に、耳を傾けることを強制されている。何もないだだっ広い空間にぽつんと一人取り残されているようなもの。・・この状況を突破する可能性、この事態を切り開いていくための可能性、その先端部を自分のなかに見出すことを強いられる。
・私たちはなぜわざわざ仕事の奴隷になるのだろうか。本当に恐ろしいのは「なんとなく退屈だ」という声を聞き続けることなのだ。私たちが日常の仕事の奴隷になるのは「なんとなく退屈だ」という深い退屈から逃れるためだ。
退屈の第三形式「なんとなく退屈だ」という気分が私たちに告げ知らせていたのは、私たちが自由であるという事実そのものだ。
ハイデッガー:退屈する人間には自由がある。だから決断によってその自由を発揮せよ。

[第6章: 暇と退屈の人間学 トカゲの世界をのぞくことは可能か?]
・ハイデッガーは人間だけが退屈すると考えている。
・理論生物学者ユクスキュル「環世界」:客観的な世界ではなく、それぞれの生物が1個の主体として経験している世界
・ハイデッガー:動物は「衝動の停止」と「衝動の解除」を繰り返して行動している。(例)ダニは酪酸のにおいで哺乳類の接近を知りダイビングの衝動を解除され、酪酸のにおいを待つという衝動が停止。このようなシグナルに「とりさらわれている」。動物はとらわれの状態にあるので退屈しない。人間は自由なので退屈するという主張。
著者:人間に「環世界」を認めないのは無理がある。他の動物に比べて相対的に、しかし相当に高い環世界間移動能力を持つ。高い環世界間移動能力は自由の表れと見ることができる

[第7章: 暇と退屈の倫理学 決断することは人間の証か?]
・ハイデッガーの退屈論の結論は決断。人間は退屈する。その退屈こそは、自由という人間の可能性を証し立てるものだ。だから決断によって自らの可能性を実現せよ。再度要約@人間は退屈し、人間だけが退屈する。それは自由であるのが人間だけだから。A人間は決断によってこの自由の可能性を発揮することができる。・・・この章は違う結論に至ることを目的とする。
・決断を目指す者は、日常生活の物や人との交流の機会を絶つ。決断を欲する者はわざとそうした関わりを不可能にする。
キルケゴール:「決断の瞬間とは一種の狂気である」
・追いつめられた人間が仕方なく周囲の状況に対して盲目になりながら決断という狂気へと身を投じるのではなく、決断という狂気を求めて、目をつぶり耳を塞ぎ、周囲の状況から自分を故意に隔絶するという事態が現れる。
・決断によって「なんとなく退屈だ」の声から逃れることができたとする。やることは決まっていてそれを実行すればいい。この第三形式の退屈を経て決断した人間と、日常の仕事の奴隷となっていた第一形式の退屈のなかにある人間はそっくりだ。
第二形式こそは、退屈と切り離せない生を生きる人間の姿そのもので、人間は普段、第二形式がもたらず安定と均整のなかに生きている。退屈の第二形式において描かれた気晴らしとは、人間が人間として生きることのつらさをやり過ごすために開発してきた知恵と考えられる。

・アレクサンドル・コジェーヴ「歴史の終わり」:人間の歴史が何らかの目的に向かって突き進むプロセスだと前提したうえで、その目的が達成されてしまった状態。歴史が終わることは、人間が終わること。その後、人間はどうなるか。革命や戦争は消滅する。歴史の目的のために命を賭けて戦う必要はなくなるから。哲学も必要なくなる。人間とは何かと考える必要がなくなるから。それ以外の芸術や愛や遊びは保持される。
・コジューヴは実際に歴史の終わりを発見する。1948年から1958年の間にアメリカとソ連を旅行し、「歴史の終わり」が既に訪れていると確信。アメリカは「階級なき社会」を実現。ソ連もいずれそうなる。望むものがすべて、必要以上に与えられる。そこに生きるのは、動物。歴史が終わった後、人間は動物性へと回帰していく。
・だがコジェーヴは後に見解を根本的に覆す。きっかけは1959年の日本訪問。日本人を歴史以後の人間の姿と考えるようになる。日本は鎖国期に300年にわたって内戦も対外戦争もない時代を生きた。歴史的発展は完全に欠けた歴史の終わりを体験している。そんな日本人の特徴は、実質ではなく形式を重んじる傾向。まったくの無償の自殺であるハラキリ、「特攻」。日本と西洋世界との交流は西洋を日本人化することに繋がる。アメリカ人はまだ「歴史の終わり」の初期を生きているに過ぎず、人間は日本人のようになって生き延びる。
・「本来の人間」とは、自らに与えられた状況を否定し、その乗り越えを試み、歴史的価値を信じて命までかける存在なのか。

・成長していくこととは、安定した環世界を獲得する過程として考えることができる。環世界の中で大きなウエイトを占めているのが「習慣」。新しいものに出会うことはたいへんなエネルギーを必要とする。習慣はその繁雑な手続きから人間を解放してくれる。
・人間は習慣を作り出すことを強いられている。そうでなければ生きていけない。だが、習慣を作り出すとそのなかで退屈してしまう。

[結論]
・結論1:こうしなければ、ああしなければと、思い煩う必要はない。既に何事かをなしている。
・スピノザ:人は何かが分かったとき、自分にとって分かるとはどういうことかを理解する。このような側面を「反省的認識」と呼んだ。認識が対象だけでなく、自分自身にも向かっている(反省的)から。
・結論2:贅沢を取り戻こと。贅沢とは浪費することであり、必要の限界を超えて物を受け取ること。
・「物を受け取る」:衣食住を楽しむ、芸術、芸能を楽しむ。食を楽しむには訓練が必要。古典文学を楽しむにも訓練が必要。日常的な楽しみに、より深い享受の可能性がある。退屈の第二形式のなかの気晴らしを存分に享受して人間であることを楽しむこと。
・結論3:人間らしい生からはずれること=「動物になること」
・より強いとりさらわれの対象を受け取れるようになること。習慣によってすぐ対応できるものではなく。・・・結論2を前提としている。

[付録:傷と運命 増補新版によせて]
・人はなぜ退屈するのか。
・「サリエンシー」:精神生活にとっての新しい強い刺激。興奮状態をもたらす、未だ慣れていない刺激
・サリエンシーに慣れるとは、反復によって予測モデルを形成すること。
・慢性疼痛に関する興味深い事実:慢性疼痛を感じている状態にある患者は、外部から与えられる急性疼痛の痛み刺激を「快」と感じる。
・脳内の3つのネットワーク:@DMN:安静時や何もしていない時に作動する部位群 AFPCN:行動の基礎となる予測モデルに対して小さい誤差が生じた際の調整を行う部位群 BSN:予測モデルと大きな誤差が探知された際に作動する部位群(サリエンシーに対応する部位群)。痛みの慢性化において、SNの活動異常(サリエンシーに対する過剰な反応)、SNとDMN結合亢進(反省作用の激化)、SNとFPCNの結合低下傾向(自動作用の低下)。つまり、サリエンシーに反応しやすくなり、物事を無意識のまま自動的にこなすことができず、過剰に過去の記憶を振り返り、自己に対する反省を繰り返してしまう。

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(5) 〇 あの本は読まれているか (ラーラ・プレスコット:創元推理文庫) 2023.2.1
   原作2019年、翻訳2020年、文庫2022年8月刊行 (2022.11.12 近鉄百貨店橿原店ジュンク堂)  

ソ連の作家パステルナークの「ドクトル・ジバゴ」の出版をめぐる出来事を中心にした作品。まず、イタリアのフェルトリネッリが原稿を海外に持ち出しイタリア語翻訳版を出版、そのあと、英語版なども出版された。アメリカCIAはソ連国民にソ連の実情を知らしめるため、ロシア語版をひそかにソ連で広めることを画策、その作戦にタイピストが関わっていた。どこまでが事実なのかはわからないが、著者の「謝辞」を見ると、2014年にCIAが機密扱いだった覚書、報告書99点を公開され、資料の空白をフィクションで埋めたいと考えて書いたことが記されている。「東」ソ連側と「西」アメリカ側からを交互に章を設けて書き分けたのがうまくいっている。ただ、最初と最後の「東」の状況はとても厳しい。

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(4) ◎ 隣人のあなた (安田菜津紀:岩波ブックレット) 2023.1.29
   2022年11月刊行 (2023.1.9 八重洲ブックセンター)  

副題は、「移民社会」日本でいま起きていること。
入管の問題はよく新聞にも載っている。けれど、政府に移民や難民の方に寄り添う姿勢が見られない。なぜなんだろう。そんな思いを抱きながら本書を読んだ。
ブックレットという薄い本だけれど、中身は濃い。多くの人に目を通してほしい本だ。

(メモ)
[はじめに]
・2022年5月、世界全体で迫害や紛争により移動を強いられた人々が、初めて
1億人を超えたことが報じられた。
・ロシア軍が今、ウクライナで続けている民間人の殺戮も、病院や学校への攻撃も、それらはすべて、ロシア軍がシリアで繰り返してきたことだ。世界がその暴力に、十分に歯止めをかけてきたとは到底言えないだろう。
・(シリア国内に暮らす友人に関して)果たして日本は本当に、彼を「一人の人間」として受け入れる社会だろうか。
・シリア人が難民不認定処分取り消しを求めたことを東京地裁は退けた。
理由は、逮捕状や起訴状など迫害の客観的な証拠がないということだった。「迫害の証拠」を持って逃げることが多大なリスクだ。多くの難民はそんな「証拠」を捨て、焼き払って日本までやってくる。
・シリア人の友人は、第3国へ再び逃れていった。日本に彼らの思う”平和”はなかった。
・日本は、他国にルーツを持つ人々にとって必ずしも「生き心地」のいい社会とは言い難い。むしろ息苦しく、ときには命や尊厳をずたずたに切り裂かれるほどの不条理に直面することもある。
果たしてそれは、私たちが目指したい社会のあり方だろうか

[ウクライナ難民の受け入れと、認定の壁]
ウクライナから避難してくる人々は、現在「避難民」という扱いを受けているが、法的な位置づけが決まっているわけではない。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のガイドラインなどでは、「武力紛争および暴力の発生する状況から避難した者」も「難民」として定義しうるとされている。
・難民として認定されれば「定住5年」の在留資格が得られるが、「避難民」の方に認められている「特定活動1年」の更新は今後何年にわたり可能かはわからない。
ウクライナからの入国者にはホテルなどの一時滞在施設を提供しているほか、身元保証人などのいない人に対しては、施設を出る際に一時金として16万円を、その後も一日あたり2400円を支給している。
・ウクライナから避難する人々に対しての要件が緩和され、支援策が次々と打ち出されていく一方で、問われるのは「整合性」と「説明責任」だ。例えば
アフガニスタンから逃れてこようとする人々に対しては、来日自体に高いハードルが課されたままのうえ、2022年8月時点で入国した820人には、生活保障や定住支援といった対応はとられていない。
・トルコ出身のクルド人が難民認定されたケースはゼロ。
難民不認定取り消しを求めた裁判で勝訴した難民認定者に対してさえ、判決後に法務省がもう一度不認定にしたケースが5件あり、法務省自らが司法判断を軽視するという、自己矛盾に陥ってきた。

[日本はアフガニスタンからの難民にどう向き合ってきたのか]
・2021年8月15日、タリバンは首都カブールを制圧。
・日本政府は8月末に自衛隊機を派遣したものの、その際に退避できたのは日本人一人だけ。日本大使館の職員をはじめとして現地スタッフは取り残されたままとなった。それ以前の問題として、現地人NGO職員らには、家族の帯同は認められないことが伝えられていたと報じられている。
・日本政府は緊急避難措置として、日本に滞在するアフガニスタンの人々の滞在期間延長を認め、820人の来日を受け入れたとしている。大使館やJICA現地職員、その家族が中心。それ以外の人々にはより高いハードルが課されている。来日前に就労や留学などのビザ取得が求められ、滞在のための経費支払い能力を証明できる身元保証人も必要。また、ウクライナから避難してくる人々とは対照的に、来日後、生活や就労、日本語教育についての支援方針も示されていない。
・2022年8月23日、15日に避難してきた820人のうち、98人が難民として認められたことが報じられた。日本大使館で働いていた現地スタッフとその家族だ。
NHKは「日本のために働いた人々の人道面も考慮」としていたが、本来安全とは、何かの「対価」として与えられるべきものではない。

[入管法は今後どう変わるべきか]
・2021年2月19日に閣議決定された入管法政府案は、提出前から人道上の問題を指摘する多くの声があがっていた。
・日常生活を送っていれば起こり得るさまざまな「変化」によって、日本国籍以外の人々は、日本に暮らすための在留資格を失ってしまうことがある。帰れない事情を抱える人たちが国外退去の命令に従わない(従えない)場合、保護したり在留資格を付与したりするのではなく、1年間の懲役または20万円以下の罰金の対象にするという項目が法案に盛り込まれていた。また、法案では、難民不認定の結論を2回出してしまえば、以降は強制送還が可能になってしまう仕組みになっていた。何らかの事情を抱え3回以上難民申請している外国人が、迫害のおそれのある国に帰されてしまう可能性があるということ。命に直接かかわる問題。
2021年の難民認定者は74人、難民認定率は0.7%
人を施設に収容するということは、身体を拘束し、その自由を奪うこと。収容や解放の判断に司法の介入がなく、入管側の一存で不透明な意思決定によって決められていく
2020年、国連人権理事会の「恣意的拘禁作業部会」が、入管のこうした実態を「自由権規約違反」と指摘した。
・2021年5月17日事実上の廃案に。しかし、2022年4月「補完的保護」を規定した入管法政府案の再提出を目指していると報じられた。
・保護対象が明確でなく、現行制度の「人道配慮による在留特別許可」よりも狭まることが法案提出当初から懸念されていた。

[ウィシュマ・サンダマリさんの死 〜検証を阻むものは何か]
・ウィシュマさんは2017年日本語教師を夢見てスリランカから来日、日本語学校に通っていた。当初は熱心に授業に出席したが次第に学校に通えなくなり除籍となって在留資格を失う。同居していた同じスリランカ出身の男性からDVを受けたと交番に駆け込みオーバーステイが発覚(2020年8月)。名古屋入管施設に収容。最後までDV被害者として保護されることも「仮放免」という形で施設の外に出ることもなかった。体調を崩し衰弱していたにもかかわらず、入院も点滴すら受けられず2021年3月6日に息を引き取った。
・2021年6月に名古屋市内の大学教員が保護責任者遺棄致死傷容疑で名古屋入管関係者を告発。11月に遺族側が局長や看守責任者を殺人容疑で告訴。2022年6月全員に不起訴の判断が下された。
最も重要な手がかりは居室の監視カメラ映像。ビデオ開示を認めない理由を入管側は「保安上の理由」「ご本人の名誉・尊厳」を掲げている。尊厳を生きているうちに守ろうとなぜしなかったのか。
・2021年8月の入管側が発表した「最終報告書」は死因について曖昧。この報告書はあくまで入管庁の内輪調査。
ウィシュマさんの仮放免を不許可にした理由は、「一度、仮放免を不許可にして立場を理解させ、強く帰国を説得する必要あり」という記載があり、日本にとどまることを諦めさせるための手段として収容を用いていたことがつづられている。内輪の調査でさえ、こういった事実が明らかになっている。しかし、地裁の不起訴の理由は「嫌疑なし」。

[仮放免者として生きること]
仮放免では労働は許可されず、健康保険にも入ることができない
・ペニャさんは1996年来日。料理人として仕事をしてきた。日本人の知人に一緒に店を立ち上げようと誘われ、店を辞めた。準備中に東日本大震災が起き、知人は海外に移住してしまった。知人はペニャさんの身元保証人でもあったため、在留資格を失い、東京出入国在留管理局に収容された。2年の収容後、仮放免。料理店の誘いはあったが労働は許可されていない。2013年難民申請。2017年再度収容。2020年仮放免。
就労許可も得られず、健康保険にも入れず、つまり生存権さえ認められていないかのような人々が日本社会には確かに存在し、共に暮らしている

[孤立出産した技能実習生は、なぜ「罪」に問われたのか]
・2022年9月、孤立出産の後、死体遺棄の罪に問われたリンさんの控訴審判決が言い渡された。懲役3か月執行猶予2年だった。孤立出産のうえでの死産だった。
・2020年12月までの3年間で、妊娠や出産によって実習を中断した637人のうち、実習を再開できたのは11人(2%)だけ。リンさんは帰国させられることを恐れ、雇用主や監査団体に相談できなかった。
技能実習制度において、受け入れ企業の監査・指導を行う「監査団体」が全国に3000以上あるが、監査団体の役員を実習先企業の役員が兼務しているケースが多く、透明性が保たれているとは言い難い状況

[「外国人だからアプリで監視」は許されるのか]
入管が無料配布しているアプリ:外国人の「在留カード」や「特別永住者証明書」が偽造されたものかどうかをICチップを読み取って確認するアプリ
・在留カードは携帯していなかった場合は20万円以下の罰金の対象となる。カード保持者は285万人。
・携帯電話を買うとき、病院を利用する時に、保険証や運転免許証で済むはずなのに在留カードの掲示が当たり前になっている。
・入管は、2004年2月から、公式ページ上で、”不法滞在”と思われる外国人に関する電話・オンラインでの情報提供を、匿名でも可能な形で呼びかけている。国連特別報告者の2006年1月の報告書「不法滞在者の疑いがある者の情報を匿名で通報するよう市民に要請する制度は、人種主義、人種差別および外国人嫌悪を煽動するものである。」
・上記の情報提供制度に対する勧告や指摘が届くことなく、さらに手軽なアプリの開発にまでいたってしまった。
このアプリは、外国人を「人権を持った一人の尊厳ある人間」としてではなく、あくまでも「管理・監視の対象」として見る入管の姿勢が具現化した一例だろう。

[公権力による差別と、求められる法整備]
・人種や肌の色、国籍などといった属性によって個人を捜査の対象にすることを「レイシャル・プロファイリング」と呼ぶ。

[おわりに]
・(ハンガリーで出会った男性)彼が自信満々に何かを語るとき、(ハンガリー)オリバン首相の、移民・難民を排斥する言葉をたびたび引用していた。政治家の差別言動は市井のレイシズムに”お墨付き”を与え、勢いづかせる。それは米国でも、日本でも起きてきたことだった。
・社会を見渡せば「差別を繰り返す人」と「矛先を向けられる人」の間には、「グラデーション」があることに気づく。ヘイト書き込みまではしなくても、漠然と他国に嫌悪感を抱いている人、そもそも関心がない人、何とかしたいけれど何をしていいか分からない人・・・。その「間にいる人」にも、出会いや対話、そして知る機会を築いていくことが、社会の変化につながるはずだ。

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(3) 〇 かえでの葉っぱ (デイジー・ムラースコヴァー:理論社) 2023.1.21
   原作1975年 日本語出版2012年 (2023.1.14 アマゾン)  

 チェコの作家が書いた作品です。妻が読んでみたいと書店で探しましたが見つからず、アマゾンで買いました。もともとは絵本ではなかったようですが、2012年に日本人が絵を描き、絵本として生まれ変わったそうです。葉っぱの旅、いのちの旅。穏やかな気持ちにしてくれる絵本です。

                   2023読書記録トップへ   内容一覧トップへ 

(2) 〇 中国共産党の歴史 (高橋伸夫:慶應義塾大学出版会) 2023.1.19
   2021年7月刊行 (2022.11.2 桂川イオンモール大垣書店)  

昨年に「新疆ウイグル自治区」(熊倉潤:中公新書)を読んだ後、中国の政治をもっと知るために良い本はないかと思っていると新聞の書評欄に「中国共産党の行方」として3冊の本が紹介されていた。その最初に記載されていたのが本書である。
「中国共産党の歴史」というタイトル通り、中国共産党の歴史を書いている。そこにかなり絞って書いているので、国民党のことや日本との戦争、他の国のことはあまり書かれていない。ただし、中国共産党にどう影響したかは書かれている。

中国共産党が誕生してしばらくはソ連の指導下にあったため、スターリンとトロツキーの闘争の影響が反映されて混乱したこと。毛沢東個人に長期にわたって大きく左右されたこと。ケ小平の時代を経て、社会主義ではなく共産党による支配の維持が目的となった時代になっていったこと。それが江沢民の「三つの代表」によって明確になったこと。趙紫陽、胡錦涛ら、比較的穏健で人道にもある程度は理解を示していた指導者もいたこと。

中国共産党の歴史は一つの流れのなかにあるようには見えない。あとがきに書かれているように「変幻自在」が中国共産党の本質なのかもしれない。そうであるなら今の習近平政権も最終形態ではない。次にどう変わっていくのか。現在を見ながら将来にも目を配りたい。

(メモ)
[第1章 中国共産党の誕生]
・1914年第一次世界大戦により、ヨーロッパ列強は一時的に中国に対する輸出と投資を控えた。→中国に土着の民族資本台頭→新たな社会層形成(民族資本家層、労働者階級、知識人層)
・知識人が政党を組織・・・西洋近代思想の影響を受ける・・・伝統の拒否。1917年ロシア革命が転機となり西洋近代にも批判的なまなざし。
・ソ連は1919年、1920年にカラハン宣言を発して、帝政ロシアが有していた中国に対する帝国主義的権利を放棄すると明言・・・ソ連だけが中国に救いの手
・コミンテルンは当初、ソ連周辺の植民地や半植民地の問題に関心を示さなかった。しかし、1920年までに全ヨーロッパ革命の見通しが潰えたことにより、植民地における共産主義者と民族主義者の暫定的同盟に道を開いた。→中国にコミンテルンが接近。→1920年ソ連が中国における共産党設立の働きかけ
1921年7月 中国共産党第1回全国代表大会(上海)・・・コミンテルンが財政的援助
・生まれたばかりの中国共産党の文書には民族主義的要素が無い。帝国主義に抗して民族の自己決定権を回復するというテーマがない。
・中国共産党は、当時4億人を超える中国社会において数十人からなる小さな集団であったにもかかわらず、あくまで独力で資本主義社会に終止符を打とうと意気込んでいた。→このあと、コミンテルンが方向を転換してしまう。

[第2章 国共合作(第1次)とその挫折]
・ロシア人から見て、中国共産党に何ができるかは大きな疑問だった。国民党に寄生してブルジョア民主主義革命を成し遂げた後、共産主義者がプロレタリア革命を成功させるという戦略をコミンテルンは持った。→コミンテルンの圧力によって共産党は国民党との合作を押しつけられた。(1922年第2回党大会で共産党はコミンテルンへの加入を表明していたので、モスクワは逆らい難い権威を持っていた。)
・1923年2月河南省にて労働運動が軍閥によって粉砕
→半ば外部(コミンテルン)の力、半ば自身の力量の認識の変化によって、共産党は国民党との合作に傾いていった。
1923年6月第3回党大会で、共産党員が国民党に加入し二重党籍を持って国民党の活動に参加するという形で、国民党との合作を正式に承認(共産党員420人、国民党員5万人)
・1923年1月 孫文・ヨッフェ(ソ連外交官)共同宣言:共産主義は中国の現状には適用できない。現在の中国の課題は国民的統一と国民的独立。そのためにソ連は国民党を助ける用意がある。
・1925年3月 孫文死去(直後に共産党成長) →国民党左派と右派の争い→共産党との提携に批判的な右寄りへ、蒋介石が力を持つ
・国共合作には大衆運動(労働運動や農民運動)と共鳴しあうところがあった。→両党とも成長。階級闘争と反帝国主義闘争が交じり合う。
・1927年1月 国民党政府が広州から武漢(労働運動の中心地の一つ)に移転
・1927年4月 蒋介石が南京にもう一つの国民政府樹立→反革命勢力は蒋介石のもとに集結
・スターリンとトロツキーとの闘争:トロツキー派は中国革命の全面的な急進化を主張 →スターリンは国民党左派の下にとどまりながら革命急進化を支持 →内容が国民党指導者に知られる →
国民党左派と共産党の決裂・・・しかしコミンテルンは国共合作の主張を続ける(トロツキー派に攻撃の口実を与えないため)

[第3章 武装蜂起、そして大粛清]
・1927年
コミンテルンの指令により武装蜂起準備
・1927年8月 最初の武装蜂起(南昌)。国共合作崩壊後の武装蜂起だったが、共産党は国民党左派を名乗っていた。9月半ばに国民党の名前を外した。
・1927年12月 広州での暴動。労働者数千人を動員。国民党による反撃により6千人の共産党・労働者殺害。
・毛沢東の軍隊の独創性:志願制、民主制、三大規律・六項注意・・・中国では兵隊は乱暴狼藉を働く最低の人間というのが常識だった。規律によって古い伝統と手を切ろうとした。
・毛沢東の努力によって共産党が独自の軍事力を備えるようになった。国民党に続いて共産党も軍隊を保有したことで、政治闘争と軍事闘争の敷居が低くなった。
・1928年6月 ブハーリン演説:地主階級の土地を没収し、農民の遊撃戦争を援助し、労働革命軍を発展させ、ソビエト区をうち固める・・・毛沢東の戦略が承認された。モスクワでの第六回党大会・・・実権は周恩来と李立三
「一省数省首先勝利」 チャンスがあれば逃さず大規模暴動に立ち上がる。
・1929年 世界大恐慌
・1930年 蒋介石と反抗的な軍閥が大規模な戦争(総勢100万以上)
 →
李立三は好機と見た。1930年6月 敵の主力への進攻を決議(遊撃戦ではなく)。コミンテルンは同意せず・・活動費支給停止
・1930年8月 周恩来が路線修正に動く・・李立三の路線終了→中国革命の中心を農村から都市へ引き戻そうという企ても挫折。中心は農村へと加速。
・1930年9月 コミンテルン 李路線を批判・・・
李の誤りが「右の誤り」(ブルジョア寄り)とされた。李は「一省数省首先勝利」を目指していたにもかかわらず。・・・「左の誤り」としてしまうと、資本主義や帝国主義に妥協的となってしまうため →混乱
・有力な党員の裏切りが相次ぐ。
・1931年春以降、空前の規模の粛清・・・数万人、それ以上の人が殺された。
 中央根拠地では1930年から大粛清が始まっていた。富田事件が象徴。・・・1980年代の再調査で歴史的冤罪とされた。
・1931年3月 コミンテルン極東局と党中央が毛沢東を全面擁護。各根拠地に反革命分子の粛清を命じた。・・・1930年代前半、国民党との戦闘で失われた人命より内部の粛清による死者数の方がはるかに多かった可能性がある。

[第4章 退却と分裂]
・1931年4月以降、総書記の向忠発も逮捕・処刑。指導者の誰もが逮捕されかねず。⇒実権は誰が持っていた?
・政治局常務委員 王明はモスクワへ、周恩来は中央根拠地へ。博古は張聞天とともに上海にとどまり「臨時中央」の指導者を代行、南京政府に対抗するために、中央根拠地に中華ソビエト共和国政府の樹立をもくろむ。その際、毛沢東率いる紅軍を党中央の「進攻路線」(遊撃でなく)に従わせる必要があった。→
毛沢東は紅軍の指導的地位から排除された。
1931年11月 中央根拠地で中華ソビエト共和国の成立宣言。実質的指導者は周恩来
・1933年1月
国民政府による弾圧強まる
・1933年9月 蒋介石50万の大軍で中央根拠地に5回目の包囲攻撃。しかし、福建省の十九路軍が国民政府に反旗を翻した(蒋介石の日本に対する不抵抗方針に不満)→ソビエト区政府、福建省政府、十九路軍に「反日反蒋初歩協定」成立・・・共産党の中央根拠地の東の隣接地域に大きな友軍。
・1933年11月 中国全国人民臨時代表大会開催(福建省省都の福州)・・・蒋介石の不抵抗主義非難、蒋介石打倒を訴える。→「中華共和国人民革命政府」成立宣言・・・2つ目の人民政府。共産党は反動派内部の仲間割れとみて支援せず。→人民革命政府は蒋介石に潰された。
・1934年1月 蒋介石5回目の包囲攻撃再開。軍事顧問フォン・ゼークトのトーチカ戦術。共産党側は軍事顧問ブラウン。→フォン・ゼークトに分があり、包囲狭まる。→共産党内に政治的恐慌の兆候。スパイ活動摘発→何万人も白色地域へ逃亡。・・・・当時、生産活動から離脱して兵士になったものが30万人〜40万人、養えず、経済崩壊瀬戸際→仲間割れ
・1934年10月 党中央、政府機関、紅軍第一方面軍(8万6千人)が中央根拠地から脱出。・・・
長征:逃避行の始まり(1万2千キロ)
・1934年11月 湘江をわたる際に待ち構えていた国民党軍と戦闘→紅軍は多くを失う。残り3万人。
・1935年1月 遵義で政治局拡大会議。軍事的誤りは博古、ブラウン、周恩来にある。→周恩来に軍事指導上の最終決定権限。
毛沢東が権力中枢に返り咲き
・1935年6月 紅軍第一方面軍(毛沢東:1万5千)は四川省で紅四方面軍(張国Z:10万)と合流。両者に不信感。
・1935年7月 張が左路軍、毛沢東と周恩来が右路軍を率いて北上。左路軍は河を渡れず北上中止。右路軍はそのまま北上。
・1935年10月 右路軍は陜西省の革命根拠地に到着。
紅軍の逃避行は1年で終結
・1935年12月 南の国民党軍を破り、根拠地安定。張の運勢に陰り。
・1936年2月 紅四方面軍に紅二方面軍合流。10月紅一方面軍も合流。
・1936年12月
毛沢東が中央軍事委員会主席。張と周が副主席だったが、張に権限無し(1938年4月に張は西安で国民党に投降)

[第5章 日中戦争下での危機と成長]
・1931年9月18日 柳条湖事件・・・関東軍が軍事行動。奉天、長春、営口などの都市を占領
・1932年1月 日本軍は上海でも軍事行動(第一次上海事変)
・1932年2月 傀儡国家 満州国建国→万里の長城南側へ進攻。
・1932年5月 停戦協定・・・長城以南の一定地域が中立地帯(関東軍、国民党軍撤退)
・1935年 日本軍は華北に傀儡政権樹立・・・華北分離工作。国民党政府はまず共産党打倒、その後に日本と対決の方針。共産党も蒋介石と組む気はなし。
・1935年7月 コミンテルン第7回大会(モスクワ):各国共産党にブルジョア民主主義勢力と連合して反ファシズム統一戦線構築を求める。(1930年代前半、ヒトラー、ムッソリーニ率いるファシズムは強烈な反共産主義を旗印にした)
*この後のコミンテルンの方針転換
 :1939年8月独ソ不可侵条約→ヨーロッパの戦争を双方不正義とみなす。どちらにも味方してはならない。
 :1941年6月独ソ戦勃発→帝国主義諸国を区別。ブルジョア民主主義国と手を組んでファシズム攻撃の論理が蘇った。
・1936年春 張学良 紅軍と停戦協定
・1936年12月 張学良は蒋介石を監禁(内戦停止呼びかけ)・・西安事変。スターリンは蒋介石を失うことで中国が大混乱し日本が占領して次の標的がソ連になることを恐れた。西安事変後、国共合作の交渉→まとまらず暗礁に。
・1937年7月7日 盧溝橋事件。28日 日本軍総攻撃、北京・天津占領、上海攻撃(第2次上海事変)→全面戦争に→国共合作(第2次)成立。
共産党内で、王明派と毛沢東派に分裂。王明:抗日がすべてに優先。日本人を中国で食い止め、ソ連に矛先が向くのを防ぐ。毛沢東:国民党との協力と並行して闘争は続く。→毛沢東の考えが党路線となる(コミンテルン方針とは異なる)
・共産党は華北、華中に根拠地増やす。・・・日本軍侵入で地方行政機関崩壊→日本軍が打ち立てた脆弱な治安維持地域を共産党が支配→共産党による事実上の支配地域拡大→蒋介石が不安を募らせる。
・1939年冬〜1940年春 国民党軍の地方部隊が八路軍、新四軍などを襲撃。
・1941年〜1942年 根拠地の危機:国民党による封鎖、日本軍による報復、日照りや水害。(公式の党史では)兵力50万から40万に減少。根拠地の人口半減。
・危機に対する共産党の策:@精兵簡政:軍隊精鋭化と行政機関の簡素化(両方の人員削減) A三三制:行政機関に共産党・中間派・知識人を1/3ずつ参加させる(疑似民主主義) B減租減息:小作料の軽減と借金の利息の軽減 C大生産運動:農業・手工業などの生産に行政人員と兵士を動員
・根拠地を積極的に支えていた秘密・・・アヘンの交易。アヘンを生産し商品とする是非は党内で激烈な論争→毛沢東にアヘン交易が認められた。
1941年〜1945年党中央の財政収入の25〜50%をアヘンがまかなった
・「民主的」共同体は、政治権力と民衆が緊密に結びつき、生産への意欲がかきたてられ、敵(日本軍と国民党)に対する闘争心を旺盛にした(中国の歴史で一番では。毛沢東が後に幾度と立ち返る理想郷)
・抗日戦争中に中国共産党の組織と軍隊は成長。1937年と1945年を比べると、党員30倍、兵力50万→132万(誇張されてはいる)
・共産党の策:D
整風運動:一種の思想改造運動「毛沢東思想」
 1941年独ソ戦以降、モスクワは中国に注意を払う余裕を失う。1943年コミンテルン解散。1941年真珠湾攻撃で日本軍の圧力も弱まる。
・1941年5月 毛沢東教条主義批判、マルクス主義の民族化

・1942年2月整風運動の新たな段階・・・対象が幹部だけでなく、一般党員、兵士も
1943年3月 毛沢東 政治局主席、中央書記処の主席(中央書記処は、他に劉少奇と任弼時)・・・別格に。王明を名指し批判、周恩来は自己批判で毛に忠誠
・1943年4月 整風運動を規定し直し:党幹部の非プロレタリア的思想改造と党内潜伏の反革命分子一掃。「毛沢東思想」が公式に中央共産党を指導する思想になった。

・1944年秋 共産党は国民党に連合政府樹立を呼びかけ(ソ連の意向)
アメリカは次第に国民党に批判的に。共産党に関心増大。アメリカが中国を拠点に対日最終反攻作戦するとの見通し・・・実際には中国共産党指導者の予想より早く終戦し、アメリカ軍の中国上陸はなかった。中国共産党はアメリカとの協力関係を築く機会を失った

[第6章 国共内戦とソ連への傾斜]
・1945年8月13日 毛沢東は抗日戦争勝利後、国民党と真っ向から対決と述べた。しかし、8月14日ソ連と国民政府が中ソ友好同盟条約に調印・・・ソ連としては戦時中の国際的反ファシズム連合の枠組みを維持。
1945年から1947年のヨーロッパの共産党・・・平和裏に社会主義に到達する新しい道を模索
→敏感に反応した劉少奇
。非武装の大衆の議会闘争へと変化、と1946年2月の文書に記載→後の文化大革命での罪状とされる
・1946年春 遼北省の省都四平で、共産党指導の東北民主連軍と国民党軍との間で激しい戦闘始まる・・・1か月の戦闘の末、東北民主連軍は四平撤退
・毛沢東は、英米仏とソ連が妥協する可能性があるが、その妥協は国内での妥協を要求するものでないと主張→
1946年夏 国民党との全面的内戦→最初の9か月紅軍は後退。旧満州はほぼ国民党軍支配。毛は得意のゲリラ戦術で対応。毛の紅軍への指示は、勝利が確信できなければ戦闘を避け、チャンスがあれば殲滅せよ。
・1947年夏 紅軍後退と止まる。秋に名称変更:人民解放軍。旧満州で国民党軍を圧倒。
・1948年秋から3つの決戦:旧満州での遼瀋戦役→国民党軍290万人に減少(人民解放軍310万人)、准海戦役、平津戦役
1949年には国民党軍瓦解・・・最後にはアメリカが助けてくれると期待があった。蒋介石 米英仏ソに仲介を要請。西側傍観者を表明、ソ連も仲介を撤回。
・1949年1月 蒋介石 総統から降りることを表明。和平交渉呼びかけるが共産党拒否
・1949年2月 スターリンは中国共産党をアジアにおける革命運動の指導者とする構想をもっていた。・・・ソ連との協力関係
・劉少奇とスターリンの話し合い:(スターリン)新疆に漢族を移住させ、漢族の比率を5%から30%に増大させるべき。また、中国の国防を強固にするためにはあらゆる辺境地区に漢族移住をさせるべき。
・1949年6月 毛沢東論文「人民民主主義独裁論」・・・社会主義一辺倒を宣言。スターリンの猜疑心(社会主義陣営からの離脱)を払拭
・ソ連を先頭とする社会主義陣営に取り込まれる一方で、アメリカ、イギリスとのわずかなつながりを維持しようとした(党内の一部が接触を模索)
・1949年米国務省「中国白書」公表・・中国が共産主義者に奪われたのは中国国内の政治力学によるもので、結末を変えるためにアメリカがなしうることはなかった。
・毛沢東はアメリカの帝国主義的野心の発露と見て民主主義的潮流を除去(しかし、1950年代終盤からは毛が民族主義者として現れることになる)
・内戦後の政府の形・・毛にとっては一党制・・・スターリンは一時期としては共産主義政府でなく民族主義的革命政府を主張。共産主義政権を強引に作るとアメリカ介入の口実となる。
・1948年9月 劉少奇の「新民主主義経済」構想:資本主義、社会主義を含み、闘争は長期間平和的に。
・1949年3月 指導者同意。ただし、毛は資本家、知識人との協力を十分には納得していない。・・・表向きは連合政府だが一党制が準備されていた。
・1949年10月1日 新政府誕生。スターリンが急がせた。・・米と国民党の影響が強まるのを懸念

[第7章 新しい国家の樹立と社会主義建設]
・新しい国家を打ち立てるためには、ソ連の指導に頼るしかなかった。
・スターリンの答え=人民民主主義:多様な政治勢力が政治に参加するものの、労働者階級を指導者とし、労働者と農民の同盟を基礎とする体制。
・1949年9月 共産党中心として知識人・民族ブルジョアジーから成る政治勢力「人民政治協商会議」発足。・・新政府の母体。共同綱領を採択・・社会主義という言葉はない(1950年6月 毛沢東も同様の発言。3年後に撤回)
朝鮮戦争の始まり:1949年春 金日成は人民解放軍の進撃に鼓舞された。スターリンに南朝鮮への攻撃許可を求める→ソ連拒絶。1949年10月毛沢東は北朝鮮による南朝鮮攻撃反対の電報をスターリンへ。しかし、1950年1月 スターリン事実上の攻撃許可・・・(著者の推測)スターリンは毛沢東に不信感を持っていた。朝鮮を戦場にして米中をひきずりこみ対立させる。すると中国はソ連に依存せざるをえなくなる。
・1950年2月 中ソ友好同盟相互援助条約
・1950年4月 スターリン・金日成会談(モスクワ)・・・ソ連は介入しない。→北朝鮮は中国に助けを求める。5月金日成 毛沢東と会い、スターリンの同意を得ていることを伝える。
1950年6月25日 朝鮮戦争始まる。連合軍巻き返して38度線北上→中国 参戦の決断迫られる→毛沢東 出兵を決断
新政府の政策 @土地改革:地主の土地を暴力的に没収して貧しい農民に分け与える・・・土地所有なので社会主義からは遠ざかる。後に強引に集団所有制へ
A
反革命鎮圧運動:各地に残っていた国民党の残存勢力、共産党に従わない勢力の大がかりな除去(宗教勢力含む)。1950年10月中国全人口の0.1%殺害を決議・・・一定数をともかくも反革命分子として浮かび上がらせ、あとで「事実」を発見し物理的に除去するという手荒な手法を採った。1950年〜1952年に70万人殺害
B
三反・五反運動:「三反」汚職・脱税・官僚主義 「五反」贈賄・脱税・国家財産の横領・手抜き工事、国家経済情報の窃盗→民間企業に対する監視・統制を強化→希望を失った企業経営者の自殺(上海1952年1月〜3月876人)。→資本主義の発展を図る時期に資本家を消滅させつつあった。
1953年6月 毛沢東 10年〜15年で社会主義に移行すると宣言。すでに新国家成立時点(1949年)から始まっていると言明。共産党に属していない人にとって共産党の公約違反
(毛沢東の宣言の背景)朝鮮戦争で米軍の装備を目の当たりにし、近代的軍事力には重工業に重点的・計画的に資金と人材の投入が必要。資本家階級は三反・五反運動で淘汰または逃亡。土地改革による小規模農家での生産効率低下・・富農出現。人民民主主義に対する毛の不信感→新民主主義の旗の下での社会主義に向けた突進を開始
・社会主義への以降
@共産党による権力の独占:1954年9月憲法・・新民主主義に終止符。少数民族が暮らす地域には分離独立の権利が与えられなかった。代わりに「区域自治」
A商工業の国有化:民間企業「公私合営」。事実上の政府による乗っ取り。国有企業多数設立 
B
農業集団化・・ソ連では1920年代からの農業集団化は農民の強い反対に直面し多数の餓死者を出した。中国ではすんなりと受け入れられたようにみえる。・・小規模自作農では食べていけない。抵抗する人は反革命鎮圧運動で除去されていた。(第1段階)生産互助組・・農繁期に共同作業 (第2段階)初級合作社・・共同経営 (第3段階)高級合作社・・集団所有→生産手段は農民の手を離れる。1956年末 全農家戸数の90%が高級合作社に編入
・高崗事件:1954年春 中国東北地方の実力者である高崗を粛清(クーデターの情報)。先を急ごうとする人びとと、先に進むためには客観的諸条件の成熟が前提と考える人びととの潜在的対立は残った
・1956年秋第8回党大会:中国における社会主義の成立を宣言。

[第8章 中国的な社会主義を求めて]
・1956年〜57年 一種の分水嶺
@社会主義に賛成しない人びとを説得するのではなく、「右派」というレッテルを貼り、物理的に排除
A党による完全に一元化された支配
B体制側が内部と外部に常に強力な敵を想定し続け、人びとを絶えざる緊張関係に置いた
毛沢東自身が上記のような重苦しい体制を構築するつもりはなかった。スターリン型社会主義とは異なる新しい社会主義のモデルを構築しようとした毛沢東の企ては挫折した
・1955年7月〜1959年秋 反革命粛清運動(隠れた反革命分子の粛清)・・5103万人を動員。63万人の反革命分子を洗い出し、53万人を処分。また、625万人の政治的経歴に問題のある人びとを洗い出し。・・・既に1950年代初めの反革命鎮圧運動を通じて反革命の芽は根こそぎにされていた。・・・急速な農業集団化を控えて党内の危機感をあおった。
1955年に逮捕計画・・1956年中に40万人。 殺人計画・・1956年中に2万7992人〜2万8933人。全国で殺すべき人々の数が定められ各地域における殺人目標数も確定
*1920年代後半の中国共産党の革命根拠地において同様の企てがあった。1955年以降、戦争とも結びつかず、有力な抵抗はすでに除去された後、ほとんど何の抵抗もできなくなった人々に加えられた。主な標的は知識人。
・1956年2月 フルシチョフのスターリン批判(スターリンは1953年3月死去)。6月に米国務省がフルシチョフ報告前文を発表→共産圏全体が大きな地殻変動・・・フルシチョフによって弾劾された個人崇拝や大量粛清は毛沢東にも当てはまる。→中国共産党は公式にはスターリンを弁護。→毛沢東は政治手法を改める気になった。中国型社会主義を目指す真剣な努力→悲劇へ
・1956年4月 百花斉放・百家争鳴(双百)という新しい方針・・・毛沢東は党内の官僚主義を克服するには党外からの批判が有効と信じた。知識人は一斉に反革命粛清運動を批判。しかし、無条件な批判を奨励していたわけではなかった。
*党内高級幹部は双百に反対していた。
・1956年5月 双百の方針は反故。知識人に対する過酷な弾圧開始。「反右派闘争」・・・陣頭指揮はケ小平。「過去の方法」では新しい時代に適応できないと戒めた数か月後に主席は自ら「過去の方法」に頼る決断をした

[第9章 大躍進の挫折]
大躍進とは、短期間のうちに生産力を上昇させて、貧しい中国を一気に豊かな共産主義へ押し上げようとした企てを指す。1957年秋から水利建設運動として始まり、1958年夏から秋にかけて全国的な製鉄運動と人民公社の組織化で最高潮に達した、1958年末から1959年夏にいったん減速されたものの、夏の廬山会議以降に再び勢いを得た。千万人単位での死者(文献では3千万人から5千5百万人)を出すという破滅的結果を伴い1961年に収束した。
・(背景/情勢)
1956年1月 毛沢東 農業における野心的発展計画「40条」(生産量目標、非識字者一掃など)を打ち出す・・・他の指導者反対
1958年 毛沢東 周恩来や陣雲が主導した「非冒進」(やみくもな突進を制止)を批判・・・反右派闘争で毛の前に立ちはだかる障害物はなくなろうとしていた。
1957年10月 ソ連がスプートニク1号打ち上げ・・・ソ連の科学技術成果により毛は社会主義安泰と信じた
・1958年前半 「冒進」は「大躍進」と言い換えられた。毛沢東に対する個人崇拝・・・毛自身 自らに対する個人崇拝を解禁
・1958年 鉄鋼生産量目標 当初620万トン→5月850万トン→9月1200万トンに引き上げ
「土法高炉」耐火煉瓦を積み上げた高さ2〜3mの粗末な溶鉱炉
 1958年8月末生産実績450万トン→目標達成のため、土法高炉による全人民製鉄運動→年末 全人口の6分の1の9000万人が鉄鋼生産に動員
人民公社:いくつかの高級合作社を合併することで誕生した大規模な集団的生産の仕組み。1958年末に2万6587の人民公社が誕生。ひとつの人民公社に平均4万6千戸が加入。下部組織に13の生産大隊、83の生産隊。生産手段は農民の手を離れた。公共食堂で無料の食事、賃金実質的に廃止
・農業増産の手段として「
深耕・密植
・土法高炉、深耕・密植などの1958年〜1960年の運動は、毛沢東の精神状態を反映
深刻な飢餓:水利建設、鉄鋼生産に農村労働力が奪われた。1/6減少。1958年は豊作だったが収穫できず。
・1959年 毛沢東 大躍進の是正にとりかかる。「右傾機会主義」:右傾を宣言
 1959年の鉄鋼生産量目標 2700万トン→1800万トン→1300万トンに引き下げ。農民 自留地を回復、個人で家畜を飼うことも許可・・・しかし、毛沢東には食糧が不足という認識はなく、軌道修正は中途半端
1959年7月 廬山会議:毛沢東は国防部長の書簡を大躍進への攻撃と捉え、猛反発。→大躍進の行き過ぎ是正吹き飛ぶ。→1960年の鉄鋼生産量目標1840万トンに引き上げ。「右傾日和見主義者」に対する粛清
・大躍進による飢餓:死者3000万人、4000万人。第2次世界大戦で亡くなった全世界の人々の数に匹敵。1957年秋から大量の農民が堤防・ダムなどの水利建設に動員。これに加えて1958年夏以降、製鉄のため労働力が割かれ、農作業からひきはがされた。生産目標は官僚機構の上から下へ降りるにつれ、ますます高くなった。達成できなければ右傾機会主義者のレッテルが貼られるかもとの恐怖から偽造された数値の報告になり、それが上方におけるさらに高い目標設定となった。
工業国に変貌を遂げるには、大量の工業設備や先進的技術が必要だった。・・・ソ連・東欧から導入するしかない。ソ連からの輸入は1957年から1959年にかけて60%増大。→中国は深刻な貿易赤字→帳尻は農村から徴発した食糧を輸出することで合わせる他なかった→深刻な食糧不足・・・伝統的農民なら村落ぐるみで食糧のある地域へ移動。しかし、人民公社が移動を許さず。→人民解放軍の兵士にも栄養不足のむくみ発生
・1960年11月 周恩来の書簡発出:人民公社社員が少量の自留地を持つこと。小規模な家庭副業、農村自由市場を認めた・・・1960年秋、事態は窮迫。全国各地に大量の餓死者。互いを食べ始めた
・1961年3月 人民公社縮小。権限の下部移譲
・農業労働力確保のため、都市住民が農村に強制移住。
・1961年 食糧輸入。毛沢東、調査研究の年にすべきと述べる。・・・一連の調査で指導者の認識が食い違いだす→論争→毛沢東は我慢できなくなる→文化大革命へ

[第10章 文化大革命への道]
・1961年 調査研究の年→
毛沢東は大躍進が失敗だったと決して認めようとしなかった
・1962年1月〜2月 大躍進の統括(中共中央拡大工作会議)。劉少奇が基調講演・・・大躍進の誤りを列挙。一部の指導者は毛沢東に自己批判してもらいたいと考えた。→毛沢東はおざなりの自己批判のみ・・この会議での屈辱を晴らすために劉少奇らを除去しようとしたし、文化大革命の始まりをみる見方もある。
・会議後、毛沢東は4か月北京を離れて武漢へ。劉少奇らが大躍進の後始末。
 中央財経小組を復活・・・計画経済復活のための措置。
 各戸生産請負制・・・一定の生産ノルマ。超えた分は自らの裁量で処分→毛沢東は強く反対→他の指導者は分田単幹(田地を分けて単独経営)も議論
・1962年夏以降、毛沢東の反撃・・・イデオロギーに頓着せず経済回復に有効な方策を採用しようとする仲間たちの議論を力づくで封じ込め、掲げた錦の御旗は「階級闘争」
・「
継続革命論」:プロレタリアートとブルジョアジーの階級闘争が存在し、覆された反動統治階級は滅亡に甘んじることなく、常に復活を目論んでいる。→政治局員は誰も異論を唱えず。劉少奇は賛意し、各戸生産請負制、単独経営を批判。劉少奇は肝心な時に腹を決めて毛沢東とたたかうことができなかった
・劉少奇には党内闘争を勝ち抜く意思と戦略が欠けていた。たたかう意思と戦略を持っていたのは毛沢東だった。・・・大躍進のときと同じく、誰も毛沢東という暴走列車を止める者はいなかった。むしろ進んでそれに飛び乗ろうとする人々のほうが多かった。
・1962年秋 毛沢東 社会主義教育運動開始を宣言・・・目的は、「資本主義的」生産様式への未練断ち切り、社会主義優越性を知らしめること。
・1963年5月 具体策の文書採択「前十条」
 農村「四清」:生産隊の収支・穀物・住居・作業割り当てを点検
 都市「五反」:横領・汚職・憶測・浪費・官僚主義に反対
 ・・・以降、左右に大きく揺れる。上記はまず左
・1963年11月 「後十条」:正当な市場取引擁護呼びかけ・・・右に誘導
1964年9月 「後十条」の修正草案・・・左へ
・運動を「左」へ引きずっていったのは、本来の思想からすると遠いはずの劉少奇。農村社会の現状に対する客観的で冷静な評価を投げ捨て、社会主義教育運動に激越な性格を与えてしまった。→農村部における幹部の大量粛清
・毛沢東と劉少奇の不和:劉少奇の権威が社会主義教育運動を通じて上昇したかに思われたことが、毛に警戒心を抱かせた。四清運動の本質を社会主義と資本主義の矛盾とする毛沢東の理解に、劉少奇が全面的に従わないように思われた。
*1964年〜1965年 毛沢東の精神状態は尋常ではなかった。気まぐれ、癇癪、虚言。(1964年72歳)。一つの背景としては、ソ連とのあからさまな対立がある。毛沢東はフルシチョフを公然と批判(フルシチョフがマルクス・レーニン主義を放棄したと見えた)
・1964年6月 江青が、中国の演劇の舞台は社会主義の経済的基礎を破壊していると批判
・1965年11月 毛沢東 北京を離れる(半年以上)・・・クーデターを恐れたか・・・1965年9月インドネシアでクーデター、スカルノ大統領失脚)
・1966年4月 毛沢東の文書通知・・中央の各機関、各省、市、自治区にブルジョア階級の代表的人物がいる。→「文化革命」を指導する機関として「中央文化革命小組」を設立。陳伯達を組長、江青を第一副組長、康生を顧問→
「文化革命」の体裁のもとに、空前の規模で、空前の暴力を伴う、だが権力の頂点はそのままにしておくという意味で全く奇妙な権力の再編成が始まった

[第11章 自己目的化した「革命」 --文化大革命]
1966年 ブルジョアジーの立場に立つ「学術権威者」を批判せよとの毛沢東のメッセージ発信。最初に反応したのは学生・・・紅衛兵の誕生。党の指導を受けていない紅衛兵が党支部を容赦なく批判・・・毛沢東によって賞賛
・1966年6月 北京に毛はいない。劉少奇は何が起きているか理解できず。 → 大学・中学に工作組を派遣(秩序回復目的)・・非常事態における権力機関 → 紅衛兵と工作組の対立 → 毛沢東は騒ぎが足りないと不満 → 7月工作組撤収
・1966年8月 毛沢東 紅衛兵に支持の手紙 → 全国各地に紅衛兵
 政治局常務委員第2位に林彪。劉少奇は2位から8位に降格
 北京市8/5〜9/23 1722人殺害・・・公安部長ですら放置
 この時点の紅衛兵は主として高校生と大学生。中核は党幹部の子弟。・・・秋以降、批判される側に
・党中央は大衆による既存の権力に対する造反を鼓舞。標的となった地方の当局者は防衛
・ある地方では、軍隊と警察を動員して学生を鎮圧 ・・・ 毛沢東は地方の抵抗の背後に劉少奇の影を見ていた。→地方指導者がブルジョア反動路線に基づくとして批判
1966年12月 毛沢東はさらなる大乱を望む
・上海:紅衛兵が上海市党委員会を攻撃。労働者赤衛隊と激しい攻防戦。四人組率いる上海工人革命造反総司令部が紅衛兵とともに赤衛隊を圧倒。1967年1月奪権成功→新たな権力形態「上海人民公社」プロレタリアート独裁
・1966年秋 中央文革小組の扇動により、人民解放軍の軍学校においても造反派立ち上がる。
・1967年1月 毛沢東 軍を文化大革命に全面投入決定・・・秩序を重んじる軍隊に秩序を破壊する造反派支援は無理がある→中央文革小組と軍長老の対立→軍事機関への攻撃禁止(第一幕は軍長老の勝利)
・1967年2月14日、16日会議で、軍元老不満表明「二月逆流」 → 毛主席反撃・・・出席者は毛の剣幕にあっさり投降
・1967年同時期、各地の軍が造反派弾圧「二月弾圧」 → 林彪、江青の扇動による「二月逆流に反撃する運動」・・毛は軍事機関に対する若者の突撃を事実上許可の文書 → 造反派盛り返し → 軍・党・政府幹部と造反派の対立が先鋭化、武力衝突
1967年6月 毛沢東 文化大革命の収集を考え始める。
・武漢では、1967年1月に党委員会実力者が失脚。軍区司令員の陳再道が君臨し、大衆組織の百万雄師を味方につけ、造反派の工人総部を圧倒。→7月に周恩来、毛沢東らが武漢入り。→軍区と造反派の和解について陳を説得し同意させた。・・・謝富治、王力に軍区の思想工作成功まで秘密にしておくよう伝える(周)→しかし、彼らは対立をあおる発言をし、百万雄師の一部が毛の宿泊そばまで突入。毛ら避難→林彪、江青は「反革命暴乱」と断定。軍区指導者除去の機会と捉えた。→武漢の保守派鎮圧→毛の造反派を勇気づける発言→軍事機関に対する造反派の攻撃がエスカレート(力の均衡が造反派に傾く)
・各地における保守派と造反派の武装闘争・・・1967年夏 最も混乱した局面。年初に毛が望んだ「全面内戦」に近かった。
・毛沢東はすぐに考えを改め、今度は造反派が弾圧される番となった。中央文革小組の王力と関鋒は投獄
・1968年 「階級隊列を整頓する」運動・・・暴力を通じて「階級敵」を粛清することを目的・・・秩序の再建を妨げていると考えられた人々が標的。かつての「反革命粛清運動」と同じように国民政府時代の経歴が問題とされた。摘発範囲が際限なく拡大。
・1970年 「一打三反」運動・・・秩序の回復を妨げているとみられた人々を打ちのめすのに、ありとあらゆるレッテルが用意された。
・1970年3月 10万人動員の公開裁判・・・2月から11月までに全国で摘発されたのは184万人。28万4千人逮捕、数千人殺害。
文化大革命の膨大な犠牲者(160万人との推定あり)の大部分は、1966年〜67年ではなく、1968年以降の幕引きを図る過程で生じた。
・紅衛兵に対し、武装闘争をやめるよう説得→上山下郷運動(知識青年は農村で教育を受ける)
・造反派に対する大弾圧の正当化=国民党・ブルジョアジー・地主階級とつながっているとされた。
・毛沢東には文化大革命を厳密に定式化することに関心がなかったかもしれない。
・劉少奇:1966年に政治局員8位に降格したものの、名目上は国家主席。1967年1月辞任申し出、毛は取り合わず。3月自宅の電話線切断。外部と連絡不能に。7月妻子から引き離される。
・1968年10月 第8期一二中全会 中央委員生存者97名中、出席は40名。中央候補委員98名中、出席19名。劉少奇を永遠に党から追放。全職務解任 (劉少奇は1969年11月肺炎により死亡)
・1969年4月 第9回党大会(13年ぶり)・・・新たな対立の始まり:陳伯達(後ろに林彪)の起草原稿・・生産発展。不満を持つ毛沢東が起草させた原稿は、継続革命。
・1970年8月 張春橋と林彪の対立
・毛沢東 陳伯達批判、林彪批判に広がる(息子 林立果)
・1971年3月 林立果が武装クーデター計画作成(中国の文献では)。9月 林立果 毛沢東を上海で殺害する計画→毛は異変を察知し北京へ→林彪、林立果は飛行機で逃亡→モンゴルに墜落。遺体の写真が中国当局から公表された。

[第12章 毛沢東時代の終焉、そして文化大革命の終わり]
・林彪の死により、残る政治局員は、毛沢東、周恩来、康生(病い)のみになった。
・毛は自らの寿命を意識し、最後の企てが死後に最悪の結果を残したと評価されるのを避けようとした。
毛沢東 ----江青・張春橋・姚文元----周恩来・ケ小平・長老(秩序復旧を目論む)の三者で複雑なゲーム展開
・1972年7月 林彪反党集団の罪状調査発出・・・ブルジョア階級の味方でブルジョア復活に力を尽くしたとされた。
・林の死後、周恩来は極左批判・・・混乱した秩序、官僚機構、停滞する経済の正常化を目指す。
・一方、毛にとっては政治が問題 → 毛沢東、周恩来に重大な亀裂
[米中国交正常化]
1968年8月 「プラハの春」をソ連が戦車によって蹂躙。「社会主義共同体の利益は、各社会主義国の利益に優先する」→毛沢東が危機感
・1969年3月 人民解放軍がソ連軍の国境パトロール部材を襲撃
・「敵の敵は友」 アメリカとの連携によってソ連の脅威に対処する選択肢浮上
アメリカもベトナム戦争からの「名誉ある撤退」を求めていた。・・・北ベトナムの後ろ盾の中国との関係改善が不可欠
米中の思惑が一致
・1971年7月 キッシンジャー大統領補佐官が秘密訪中
・1972年2月2日 毛沢東が危篤状態に。蘇って、ニクソン大統領と会見
*1971年10月 国連総会で北京政府が中国を代表して国連加盟。中国は外交的孤立状態から抜け出した。一方で、世界の革命運動において中国の威信が低下。ベトナムは反動でソ連に接近→後に中越戦争
・本来、「革命外交」は反体制派集団と結びつき革命に駆り立てるもの。上記は革命外交をあきらめる行為・・・毛は自らの判断でありながら、この事態に不満も持った。
・1973年 米ソ戦略攻撃用兵器のいっそうの規制に関する基本原則の共同宣言。核戦争防止協定調印→毛は不快感。「修正主義」批判。
周恩来への猛烈な批判・・・おそらく周恩来が外交の舞台で華々しく振舞ったため
・周恩来を批判するグループ組織:王洪文、江青、張春橋、姚文元、(汪東興、華国鋒・・2名は途中で抜ける)・・文化大革命に執着するメンバーが残る。「四人組」の出発点。
・1974年 「批林批孔運動」:林彪と孔子を並べて批判・・・死者批判ではなく、存命中周恩来批判・・・林彪事件後、住居捜索で、林を儒教信奉者だとした(儒家は復活させたり物事を後退させる性質を持つと考えている。この動きの先頭に立つものとして周恩来を批判)
・運動の先頭に立つのは江青→妻がいたるところで悶着を起こすことを毛は苦々しく感じだす→1974年7月 毛が江青を叱責
・毛は、がんに蝕まれた周恩来の後継にケ小平を据えるつもり(1973年12月ケ小平は政治局員に)
・1974年3月 ケ小平は国連総会に団長として出席(周の後継を印象付け)・・・江青は不満
・1974年10月 江青は王洪文を毛のもとに送り、ケ小平と周恩来が不穏な動きをしていると告げさせた。→毛は王を追い返す。毛の関心は指導者内の左右均衡にあり、ケ小平を中間とみなしていた。→毛が「左」に失望した反動で、一時「右」に傾く→周恩来とケ小平に活動の余地を与えた
・1975年1月 全人代で周恩来の最後の政治活動報告:四つの現代化・・今世紀内に「農業、工業、国防、科学技術」を現代化→実現にケ小平奮闘。
ケ小平の「全面整頓」:国民経済の回復、社会秩序の回復、行政機構立て直し
*ケ小平は、文化大革命の継承を毛に印象付けし、「四人組」の妨害と対決しながらも、毛に重用され続ける「四人組」と妥協
・ケ小平の手段:毛の言葉で自らの企てを正当化・・・1974年に毛が出した「安定団結」「反修防修のための理論学習」「国民経済を向上」を最高指示とみなす。
@鉄道輸送正常化;文化大革命の派閥闘争のため、主要路線が機能していなかった
A鉄鋼業:1973年 2531万トン、1974年 批林批孔運動のため2111万トンに落ち込み(派閥闘争、ゆるんだ職場規律、指導者の怠慢)、厳しい要求により1975年2390万トンまで回復
B国防・航空事業:1966年中距離ミサイル発射実験、1967年水爆実験、1970年人工衛星打ち上げ(政治の影響少なかった)。1974年 批林批孔運動での派閥闘争で技術開発麻痺→整頓により正常化、1975年人工衛星打ち上げ、回収実験成功
・多くの部門で正常化。毛夫妻が意図に疑念
・1975年2月 毛はレーニンのプロレタリアート独裁に関する理論を学習する運動を展開・・・ケ小平の「全面整頓」をけん制(経済回復はよいが、思想が失われてはならない)→張春橋、姚文元は好機と見て「経験主義批判」(婉曲的なケ小平批判)→毛は同調せずに、張らを叱責
・1975年5月 毛は「四人組」に警告・・・団結求める
・1975年6月 江青 自己批判書提出
・1975年夏 毛の「水滸伝」批判。反乱分子の帰順批判・・・周恩来を指す→9月周恩来は受け入れず(投降派でない)
・1975年11月
毛はケ小平が先頭に立って文化大革命を肯定する決議を行うように求める(「七部が成果、三部が欠点」とするもの)→ケ小平は妥協せず、拒否→毛はケ小平批判の会議を開催・・・江青ら活気づく(ただし、毛は完全にケ小平を排除するつもりは無し)
・1976年1月 周恩来78歳で死去→四人組は周の追悼活動がケ小平批判を弱めることを恐れる・・・追悼を抑え込もうとする→批判の波が南京市民、北京市民に広がる
・1976年4月4日 天安門広場が何万もの人で埋め尽くされた。→華国鋒ら政治局会議で対応を協議→鎮圧へ
・1976年4月5日 トラックで広場の花輪を撤去→数十万人が天安門広場へ・・・
「四五運動」(第1次天安門事件)群衆の一部があばれる→人民解放軍、公安、民兵が出動し、棍棒などで蹴散らす。→毛沢東は激しい衰弱のため、毛への情報は江青、毛遠新から→毛は2つの決議を提案・・・華国鋒を党中央第一副主席兼国務院総理に任命、ケ小平の党内外すべての職務取り消し
・1976年9月9日 毛沢東死去→四人組は権力継承の根拠を探す。華国鋒と対立
・1976年10月6日 四人組(江青、張春橋、王洪文、姚文元)拘束

[第13章 改革開放への大転換]
・1976年10月 クーデターで極端な文化大革命推進派は排除
・1977年8月 第11回党大会、華国鋒宣言:劉少奇、林彪、四人組という3つのブルジョア階級司令部を粉砕・・・ブルジョアと呼ぶには無理がある。
華国鋒の権威の源泉は毛沢東の政治的遺言にあった。「2つのすべて」という政治的原則:毛沢東が決めた政策はすべて実行。指示したことはすべて守る→試みは逆効果・・・多くの人々は文化大革命と手を切ることを望んでいた。
・文化大革命に対する反動:1976年「十月政変」直後に開始された摘発・批判・審査運動→1978年12月に収束宣言後は「三種人(暴行・破壊・略奪分子)摘発運動」に引き継がれる・・・1980年代半ばまで猛威をふるう。
・中国政治に新しい局面を切り開く役割を担ったのはケ小平・・四人組とたたかった過去・・・胡耀邦、趙紫陽、万里を従える
・1978年11月 中央工作会議:華国鋒「二つのすべて」誤りを認める。共産党の今後の活動の重点は階級闘争ではなく、「現代化建設」に置かれることを宣言→1981年「歴史決議」(上記の路線転換文書):毛を擁護しながら異なる道に踏み出すことを正当化。華国鋒の重大な過ちを指
華国鋒 1980年首相解任、1981年党主席解任、1982年政治局員外れる
・改革の時代は明瞭な日付を持たずに始まった。・・・最高権力者が数年かけて交代・・・(理由)華国鋒は毛沢東後継と同時に進歩的な面も持っていた。もう一つは誰も未来の青写真を持っていなかった。
・農家請負制・・・数年かけて全国に広がった :義務分を超過した分は個人裁量で処分可=実際上は個人経営と同じ。脱集団化。農産物の商品化を促す。1982年公認。1982年11月人民公社解体決定
・経済特別区設置(沿海地域)・・・外国資本導入・・・抵抗なかった。
・企業の経営権と所有権の分離・・・資産は国有のままで、自主的な経営を認めた。・・国有企業の独立状態に終止符・・市場競争
[保守派 対 改革派]
・改革派 1978年秋 「思想解放」訴え→知識人構想を語り始める
・1978年末 「北京の春」 思想と表現の自由を求める運動・・・壁新聞、地下出版物、集会、デモ
・1979年3月
ケ小平「4つの基本原則」で抑え込み:社会主義の道、プロレタリアート独裁、共産党の指導、マルクス・レーニン主義と毛沢東主義・・・経済的には急進改革派に属すが、政治的には頑迷な保守派に属すことを暴露。
胡耀邦は自由な言論封殺にある程度まで抵抗しようとしたがムダだった
・1981年6月 胡耀邦 党主席。保守派の運動で苦境に(陣雲、胡喬木、ケ力群)
・1983年秋 「精神汚染」一掃キャンペーン→胡耀邦、趙紫陽、万里などの力で収束(28日間)
・胡耀邦 西側の制度にある種の普遍性を認めていた。しかし、政治的配慮に欠け、性急に結果を求める欠点もあった。・・・しばしばケ小平を怒らせる。改革派の趙紫陽との間にも対立。
・ケ小平も政治面の改革を口にすることもあった。過度の権力集中、家父長制的傾向、幹部の終身制、官僚主義を批判。→政治体制刷新を求める知識人は期待を寄せた。→ポーランド自主管理労組「連帯」後、棚上げ。「ブルジョア自由化」反対へ舵
・ケ小平の政治改革は、行政改革。少数の人々への権力集中を社会主義体制のこのうえもない利点とみなした。分散された権力の間に抑制と均衡を働かせる西側のシステムを嫌悪。→ケ小平は趙紫陽に西側の三権分立を絶対に取り入れてはならないと再三忠告。一方、胡耀邦ら改革派は経済改革を進めるには、官僚機構改革にとどまらない政治改革が必要と考えた。=衝突は避けられなかった。
・1986年夏 ケ小平 胡耀邦に総書記をやめてもらうと長老に発言
1986年12月 胡耀邦 辞表提出
・1987年1月 政治局で承認。直後から「ブルジョア自由化」に反対する運動が広がる。保守派の勝利かと思われたが、もう一度改革派に振れた・・・趙紫陽の力
趙紫陽 保守派と改革派の間の細い橋を巧妙に渡る。「ブルジョア自由化」反対運動の先頭に立ちながら一定の範囲内に押し込めることに成功。運動の対象を党内における思想的、政治的事柄に限定。農業政策、科学技術、文学、芸術は対象外。・・・反自由化運動が大規模な政治運動に拡大しないように枠をはめた。
「社会主義の初級段階」という概念を据える。「ひとつの中心、二つの基本点」:前者は経済建設、後者は4つの基本原則と改革開放。
・1987年10月〜11月 第13回党大会 趙紫陽の政治的生涯のクライマックス:正式に総書記に就任。「社会主義の初級段階」という概念を用いて改革開放の継続をうたい、政治体制改革の構想を明らかに・・・党と政府の職務分離、権力の地方移譲、行政機構の縮小
・指導部の高齢化に対する指導部再編も焦点に。ケ小平が強く意識していた。
・1987年7月 重要問題について党大会後もケ小平の指導を仰ぎ、最終決定もケ小平に委ねる提案→ケ小平が承諾。・・・指導者の終身制を反対していたにもかかわらず。
・統制価格と市場価格の二種類の存在が腐敗の温床→価格改革・・・ケ小平も支持→物価引き上げ発表→銀行取り付け騒ぎとパニック買い→趙紫陽 価格改革中断し金融引き締め→銀行貸し渋り、生産・流通滞る→拡大する所得格差、不当な利益を得るブローカー、私的利益を得る役人、権力者子弟の海外資産など、人々の容認しがたい傾向が蔓延
・1989年4月15日 胡耀邦 死去 →人々の追悼活動・・・1976年周恩来死去時の第一次天安門事件と同じ・・・人々が天安門広場に集める。・・・当局への抗議を含む
・4月18日 学生も、胡耀邦に対する評価見直し、反自由化運動見直し、新聞の自由、デモ制限取り消しを要求
・4月23日 趙紫陽 予定していた北朝鮮訪問へ(中国不在)
・4月24日 李鵬 状況分析し、組織的な反党、反社会主義騒擾と結論付け
・4月25日 ケ小平 動乱と位置づけ
・4月26日 人民日報が動乱との社説掲載・・・脅しで学生がキャンパスに戻ると期待→裏目に
・4月27日 十数万人規模のデモ行進
・5月4日 趙紫陽が、学生は基本制度に反対しているのでなく、運営上の病弊を一掃しようとしていると、学生よりの発言・・・学生の怒りが幾分おさまり、学生の間でデモ継続かどうかの議論
・5月13日 一部の学生がハンガーストライキ・・・ソ連からゴルバチョフ書記長北京訪問の情報。世界の報道陣にも主張を訴える好機と考えた
・5月16日 天安門広場でのハンスト参加学生3100人に達す。ケ小平とゴルバチョフが会談。中ソ関係正常化を宣言。
・16日夜 政治局常務委員会:趙紫陽は人民日報社説における学生運動の性格付けを改めることを主張。李鵬は反対。
・5月17日 趙紫陽は同様の主張。ケ小平は学生に譲歩しないと主張。戒厳令に賛同→趙紫陽は辞職を申し出→認められず。戒厳令21日施行と決定
・5月19日 天安門広場に趙紫陽、李鵬、温家宝が現れる。趙紫陽は「われわれは来るのが遅すぎた。君たちはわれわれを批判するが、そうする権利がある」と語り、ハンスト中止を訴えた→学生と対話を試みたことにケ小平は失望→6月下旬趙紫陽は正式に書記長解任。自宅軟禁
・5月20日 AM10時北京の一部で戒厳令施行
・6月4日 軍突入。

・学生は、妥協・取引・一時的後退といった穏健派の政治戦術を教わったことがなかった。ゴルバチョフが北京にやってきたこと、西側メディアが支持していることに勇気づけられ、突き進むことしか知らなかった。

[第14章 突進あるいは漂流 ---江沢民時代]
・1989年6月下旬 第13期四中全会:改革を主導した趙紫陽を非難
・東欧とソ連において共産党政権が連鎖的に存亡の危機に直面:ポーランドでワレサ率いる自主管理労働組合「連帯」が政権に。1989年11月ベルリンの壁崩壊。12月ルーマニア独裁者チェウシェスク処刑
・中国指導者の2つの態度:@改革開放から遠ざかる・・・保守派 A改革開放を大胆に行う・・・ケ小平。 江沢民はどっちつかず
・1992年1月 ケ小平 地方指導者に直接、大胆に改革開放せよと訴え。→地方指導者 改革開放の加速を宣言
・江沢民はケ小平に対する明確な支持を表明・新しい経済体制を「社会主義経済」と表現→結果的に、社会主義が市場の除去を前提とする考えを遠ざけた・・・市場原理が改革の中心に据えられた。
・1992年10月 第14回党大会 ケ小平は自らの完全引退に際し、保守的元老たちを道連れにした。→朱鎔基と胡錦涛(49歳)が政治局常務委員に。李鵬は残る。→江沢民を権力の中核に。政治局メンバー21人の過半数が大学で理工系の学位取得・・・もはや革命の英雄ではない。→「集団指導体制」社会主義でなく、
党による支配の維持それ自体が目的とされる時代の到来・・・中国経済の発展には好都合だった。
・ケ小平引退。深刻な政治闘争なく権力移譲。(ケ小平は1997年2月93歳で死去)

・改革開放加速。1992年GDP成長率13.4%
・1993年11月 基本戦略:社会主義市場経済体制を建設するとは、国家のマクロ・コントロールのもとで、市場に「基礎的な」資源配分を行わせること。
・合弁会社を含む多様な企業形態のもとに、国家的所有が事実上なし崩しになるなら、生産手段の社会的所有という社会主義の根幹が崩れかねないとの党内憂慮→江沢民は毛沢東思想に背くものでないと弁明→新しいブルジョア階級が生まれているとの批判続く。
・1997年9月第15回党大会:
江沢民 社会主義は「公有制を主体」としなければいけないと述べる一方で、中国の社会主義はなお
初級段階にあり、生産力向上のための私的所有の発展は容認すべきとした。

・株式制を推奨。持ち株支配権が重要で、国家と集団が半分以上を保有していれば公有制を有するとした。
・経済発展に資するという一点で中国の国有企業を変えていった。大型・中型の国有企業の株式会社化が進む。小型は民間に売却。
猛烈な経済成長→社会主義変化・・・ナショナリズムに依存。本来はインターナショナリズム
・1994年 「愛国主義的教育実施綱要」発出・・・古い伝統への回帰。対外的態度が攻撃性を帯び始める。
・1992年 「中華人民共和国領海および接続水域法」・・・尖閣諸島、南沙諸島、南沙諸島を中国領土と定めた。台湾に威嚇的
・中国の対外姿勢に理念を見出すことは次第に困難に・・・中国の社会主義は目的地を見失った)
2000年 江沢民は中国共産党を「階級政党」の範疇と決別させた。「三つの代表」:「先進的生産力の発展の要求」「先進的文化の前進の方向」「もっとも広範な人民の根本的利益」の3つを代表・・・全国私営企業のうち、党員がいない企業83.3%。党組織がある企業1.4%になっていた。
・2001年7月 新しい社会階級(技術型企業の創業者や技術者、外資系管理者等)の入党を容認→包括政党に・・・中国共産党内部では大きな衝撃は無し(党員となった人々が個人的に企業経営している例はすでに多かった)・・・保守派の反対はあったが力は限定的

[第15章 軌道修正あるいは修復 ---胡錦涛時代]
・2002年11月 第16回党大会:胡錦涛を新総書記に選出。2003年3月国家主席。
旧指導部の名残を色濃くとどめた。江沢民が中央軍事委員会主席にとどまる(2004年秋まで)。李鵬、朱鎔基は引退。政治局常務委員会9人のうち、温家宝を除くと、ほとんどが江沢民の息のかかった人物と目された。・・・限定された権力移譲
・党規約改正:江沢民の「三つの代表」が行動指針→中国共産党は、プロレタリアートの前衛と同時に、中国人民と中華民族の前衛。階級政党であると同時に包括政党。
・2002年11月 SARS流行
・2003年6月 WHO北京への渡航警告解除
・2003年秋 胡錦涛 独自概念「科学的発展観」を打ち出す→すぐには広まらず。
・2004年 他の指導者に受け入れられる表現を見出す。・・・江沢民の思想の延長線上に位置させる。・・・経済発展の速度だけを追求してはならず、平穏で比較的速い発展を目指す。
・「以人為本」:人間を根本となすこと
・「和諧社会の建設」:
調和のとれた社会
・「調和」を強調した理由:前任がわき目もふれずに経済成長を追求した代償が大きい。腐敗、貧富格差、土地を奪われた農民の増加、環境破壊→訴訟・請願の増加(1994年426万件、2003年800万件に増加)
・江沢民は過去10年に経済的土台(下部構造)を作り変えてしまった。必然的に上部構造(政治・思想を含む)を作り変える方向に作用するはず。・・・江沢民は旧政治体制を維持できると信じた(「三つの代表」によって)→急激な変化のもとで立場を悪くした農民と労働者の声は政治に届けられなかった。→「調和のとれた社会」は胡錦涛の処方箋。調和を回復するには発展はある程度犠牲に。
・2006年 大胆さを増す。
江沢民時代の発展方式批判。人民の政治的権利の保障、公民権と自由の保障、所得分配の公平化、教育費負担の低減などを目標に掲げる。・・・関心は農村。発展によって追いつめられた「農民工」と呼ばれる出稼ぎ農民・・・新たなプロレタリアートの大群。→2005年末 「農業税条例」廃止・・・2600年間続いた農民に課された税金が廃止
・対外姿勢にも反映。「対日新思考」協調的関係。台湾国民党にも同様の対応
・2006年からの第11次5か年計画:2010年一人当たりのGDPを2000年の倍に。単位当たりGDPのエネルギー消費を5年前の期より20%減少
・2007年第17回党大会:李克強が後継者ポストに就くと見られていたが、習近平が李より高い序列で政治局常務委員に昇進。・・・再分配より成長を重視する官僚、軍、指導者の子弟たち(太子党)が推した結果とされる。
・党規約に「
科学的発展観」が「重大戦略思想」として書き込まれた。・・・毛沢東思想、ケ小平理論、江沢民の「三つの代表」に加わり、混濁。
・2008年 北京オリンピック
・2008年 リーマン・ショック→温家宝 4兆元の景気刺激策→2009年経済成長率8.7%・・・西側諸国が大きく落ち込んだのと対照的に危機を乗り切る。
・2010年 GDP世界2位に
→名実ともに胡錦涛の時代が訪れても不思議ではなかった。しかし、そうはならなかった。
・経済発展方式の転換が進まず。所得格差是正されず・・ジニ係数2003年0.479、2008年0.491、2012年0.474・・・一般的に社会不安の警戒線とされる0.4を上回っていた。
・社会に調和を回復しようとする成果はごくささやかなものでしかなかった・・・成長より再分配が重要と考えない人々に包囲されていた(1990年代の改革を通じて利益を得た党・政府の官僚層・・・株主という形で生産手段を所有→株・金融資産を蓄積→子たちへ残す。既得権益集団「太子党」、軍
・毛沢東やケ小平のようなカリスマを持たず、軍の強力な支持も期待できない胡錦涛が集団指導体制の中でできることは限られていた。・・・妥協せざるをえなかった。
・2005年7月 「物権法」発表・・・個人財産の所有権を認める。2007年全人代通過
・「民主」という言葉を好んで用いた。しかし「自由」を含んではいなかった。・・党・国家に統制されない農民組合、労働組合は認めず
・2008年5月 訪日。福田康夫首相。「戦略的互恵関係」。共同記者会見で「人権には普遍性がある」と言明。
・経済的に成功を収めていたこの時は政治システムの大胆な改革に踏み出すタイミングだった。しかし、彼らも断固たる意思を欠いていた。
政権末期、親民的姿勢が、不満を持つ人々を騒擾に立ち上がらせる効果を持ち、暴動発生
・2011年6月 広東省での連続した大規模な暴動
・2011年7月 高速鉄道事故(死者40人)→インターネットで批判多数
・2011年10月 インターネット指導管理強化・・・SNSを通じた匿名による意思表明を封じた→胡錦涛の「民主」も中国政治の本質を変えるものでなかったことが明らかに
・2012年2月 重慶市副市長の王立軍がアメリカ総領事館に保護を求める。・・政治局員の薄熙来が組織犯罪とたたかわせるために遼寧省から連れてきた人物。王は、薄の妻がイギリス人実業家殺害の証拠を握っていたらしいが、亡命拒否された。3月温家宝が薄を批判→薄は実刑判決(現職の政治局員が失脚)・・・党指導部内に亀裂の印象
胡錦涛時代は、経済的には目を見張る実績を挙げながら、社会的・政治的には混乱のうちに幕を閉じた。

[終章 凍結あるいは反動 ---習近平時代]
・2012年11月 第18回党大会 
習近平を総書記に選出。去り行く胡錦涛は指導部に自分の腹心を残さず。政治局常務委員9人→7人。李克強を除き年長者(5年で去る可能性が高い)
・「科学的発展観」への言及は形式的。「
中華民族の偉大な復興」を掲げる。
・習近平が社会主義をどのように考えているかは不明。習近平は内部に何らかの不安を抱えており、その不安とはおそらく、共産党を中核とする政治体制が不安定化する可能性に関するもの。
・胡錦涛の時代の政治局常務委員は領導小組と呼ばれる政策領域別の指導機構の責任者を任されていた。
習近平は集団指導体制をご破算にして自らに権力を集中させた。
・2013年5月 党中央は非公式の通達によって
高等教育機関に対して「7つの語ってはならないこと」を定め、これらを教室で講じないように指示した。・・・普遍的価値、報道の自由、市民社会、公民の権利、党の歴史的誤り、権力と資本をあわせもつ階級、司法の独立。
・人権擁護に携わる弁護士、活動家を2015年7月3日間で60人逮捕
・特定の少数民族も標的。2015年1月新疆ウイグル自治区で公共の場における宗教活動の禁止と未成年者の宗教活動の禁止を定めた条例施行
・キリスト教徒に対する監視と統制強化・・・教会は普遍的価値を奉じる人々からなる勢力・・・非公式統計では、中国のキリスト教徒数は共産党員数を上回る。
・外国に本部を有し中国で活動するNGOを厳しく監視
・2017年 中国の監視カメラ設置数が世界最多に。1億7600万台
・DNAデータベース構築。社会信用システム構築:個人の経済的信用度を評価する仕組み・・・納税、友人関係、商品購入の傾向、SNS上発言など個人の行動を包括的に評価
・この独裁者のより適切な比較は、近代化の圧力に直面して社会が国家権力にいっそう批判的な目を向けるようになった19世紀以降の専制君主と比べることだろう。習近平の諸政策は例えば、デカブリストの革命運動を恐れて知識人を徹底的に弾圧したニコライ一世が採用していたものに似ていたといいうる。(デカブリスト:ツァーリズム打倒、農奴制廃止を目標に、1825年にペテルブルクで武装蜂起した人々)
・大衆の喝采を浴びるような政策も同時に用意・・・腐敗撲滅運動。「虎も蠅も一緒に叩く」大物も小物も容赦なく打撃の対象とする・・・元政治局員の周永康など
・権力は確固たるものになったか? 怨恨も培養(太子党)。自身がカリスマ性を備えてもいなければ、カリスマ的指導者によって後継指名されたわけでもなく、プーチンのように選挙における圧倒的勝利によって権威付けらてもいない。
・「和平演変」の恐怖:西側諸国のさまざまな平和的手段として通じて、中国の社会主義を転覆させようとする陰謀についての恐怖
・アメリカとの対立:北京の外交政策の基礎に据えられていたのは、ワシントンとの深刻な対立や摩擦をさけるという原則。
・2009年オバマ政権:アジア太平洋地域の関与を深める「レバランス」政策・・・緊張増す
・2017年トランプ政権:習近平訪米。貿易摩擦一時緩和
・2017年秋 第19回党大会:政治局常務委員に後継者と目される50代不在
・2018年3月 全人代:国家主席の任期を2期10年に制限していた規定を撤廃
・イデオロギー面でも習近平権威づけ 「習近平新時代中国特色社会主義思想」・・・指導者の名の入った「思想」は毛沢東以外なし。
新時代の説明:毛沢東時代「立ち上がる」段階、ケ小平時代「豊かになる」段階、そして「強くなる」段階。2020年に「小康社会」(まずまずゆとりのある社会)を実現。2035年に社会主義近代化を実現。2049年に社会主義近代化強国を実現

(展望)
・民衆による「下からの」革命では、この体制は倒れないだろう。
権力を握るエリート内部の分裂が民衆の闘争と結びつくときにのみ、中国における新たな革命の展望について語ることができるだろう。
・トクヴィルはフランス革命について述べている。
「多くの場合、もっとも重く厳しい法律に何の不満ももらさず、意識していないかのごとく耐えてきた国民は、その法律の重圧が軽くなるやいなや徹底的に拒否の姿勢を示すものなのである。不可避のものとして耐え忍ばれてきた弊害は逃れられる可能性が開かれるや否や我慢ならないものとなるようだ」
・ナチスドイツや旧ソ連や旧東欧諸国における人々の日常生活を描いた書籍は近年数多く出版されている。人々は書籍を読み迂回的にかつて自らが体験した過酷な時代を記憶し続けている。
・いかなる条件下においても人々の抵抗が象徴の領域から行動の領域へと躍り出ることはないと誰にも断言できない。

[あとがき]
・中国共産党の発展を特徴づけているのは変幻自在さ:1920年代〜1930年 地主や匪賊の頭目を引きこんだ。1940年代 アヘン生産。1950年代 ソ連をモデルとして崇拝。1960年代 ソ連と決裂。1970年代 アメリカと手を結ぶ。1980年代 改革開放で資本主義を抱きしめた。

                   2023読書記録トップへ   内容一覧トップへ 

(1) □ アフター・アベノミクス (軽部謙介:岩波新書) 2023.1.4
   2022年12月刊行 (2022.12.30 近鉄百貨店橿原店ジュンク堂)  

 アベノミクスと言われている経済政策が変質していった舞台裏を、関係者等への取材で垣間見せてくれる本。その中には金融、財政の根本に関わる考え方の違いも見られる。
 僕はずっと財務省が現在のような借金まみれの財政状況をどうして許しているのか、無責任すぎると思い続けてきた。若干の抵抗はしていることが本書からうかがえる。それでももっと抵抗しなくては。国会議員も同じだ。与党野党に関わらず、積極的に財政再建に進もうとする人たちが見えない。ほぼゼロの低金利政策によって、とんでもなく悪い財政状態が見えにくくなってしまっている。どんどん政策の幅が狭くなっていてリスクが高まっているように感じる。
 本書を読んでいても現状を緊縮財政路線と呼ぶ人たちがいる。毎年大きな赤字国債を発行する状況を緊縮財政と呼ぶのは異様だ。消費税減税を言う野党もだ。もちろん消費税減税と他の増税がセットならわかるが、それもない消費税減税はありえない。まして国債なら国民の負担がないかのような言い方も異様だ。今を非常時のようにいう人もいるが、非常時は現在だけではない。このところずっと非常時ではないのか。いつになったら非常時じゃなくなるんだ。そしてずっと非常時のような状況を招いている責任をどう考えているんだ。と声を荒げたくもなる。政治家に任せておけばいい状況ではない。
*内田眞一氏が日銀副総裁になりそうだ。下記赤字の考えが日銀の基本的な考え方なのだろう。近々日銀の方向と自民党の方向に大きな違いが出てきそうだ。

(メモ)
・リフレ派:インフレターゲットを定め、長期国債を発行して中央銀行が無制限に買い上げることで通貨供給量を増やして不況から抜け出すと考える。
・アベノミクス 「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」
・1998年の日銀法改正で独立性を確保したはずだった日銀は、この10年間、財務省からは逃れたが、官邸の支配下に入ってしまった。
・2015年 自民党「財政再建に関する特命委員会」。委員長は稲田朋美(当時、政調会長)。誕生には財務省が働きかけ。この時点での健全化目標は「2020年度までのPB(プライマリー・バランス)黒字化」。積極財政派は西田昌司、山本幸三が参加。積極財政派は目標を「債務残高対GDP比」にすべきと主張。
 
内田眞一日銀企画局長の発言:日銀の国債購入が財政ファイナンスかどうかは金額の多寡ではなく目的で決まる。財政を助けるためではなく金融政策として実施しているので財政ファイナンスではない。裏を返せば、金融政策が目的を達すれば国債の買い入れはやめる。2%目標を安定的に達成すれば国債は購入しない。ただし、国債売却はインパクトが大きいので縮小のペースは考える必要がある。
・2018年黒田日銀総裁の再任時、政府・日銀共同声明の見直し議論:日銀は雇用まで責任を持つかどうか、2%の物価目標の達成年次削除
・2018年4月セクハラスキャンダルで福田財務省事務次官辞任。3月には佐川国税庁長官辞任。財務省の次官級ポストのうち2つが空席に。
2019年太田充主計局長の財政制度改正案:国債発行で得られた資金の宛先は、@過去の借り換え A税収で足りない政策的経費 B過去の国債の利払い費。@は国債残高の60分の1を毎年一般会計から国債整理基金特別会計に繰り入れている。この定率繰り入れをやめて国債整理基金特別会計で借換債として発行する。 Aは一般会計で認めるが時限として「PB黒字化」の目標年限と合わせる。一般会計の歳入をABの国債に限定し、財政健全化の状況が一目でわかるようにするというもの。→主計局内で、財政規律を弱くするという反対が多く、封印。安倍政権下での実施には懸念が強かった。
・財務省は過去、「赤字国債脱却」を目標に掲げていたが、2002年から「PB黒字化」に舵を切った。・・債務残高が増加しない状態。一番達成しやすい目標に変えた。
・短期金利は低く、長期金利が高いという金利の曲線を「イールドカーブ」と呼ぶ。日銀は2016年に「イールドカーブ・コントロール(YCC)」という政策を導入し、これまでは不可能と言っていた長期金利の誘導を開始した。0.1%目標・・・金融機関のディーラーやファンド関係者にとって「国債の値段が動かない」というのは困ったことだった。・・・国債の取引量が落ちた
・従来、金利変動は市場の何かの訴えとされていた。しかし金利誘導によって市場の反応が聞こえなくなった。そこで金利変動幅を拡大する手法を用いた。
・主計局長は次官への道が確約されたポストというだけでなく、予算の元締めとして各役所だけでなく、政治の世界をも睥睨したようなポジション。
・2020年7月 主計局長の太田充が事務次官に昇格、後任に矢野康治。
・矢野主計局長の非公開あいさつ。中長期の財政健全化、コロナ復興税の検討、次の消費税率引き上げの検討
・21年度予算:一般会計106兆円(過去最大、3年連続100兆円超え)、「予備費」5兆円
 矢野主計局長の政策評価。20年度の「財政」について最低ランクの「C」を付けた。
・2021年7月 主計局長の矢野が事務次官に昇格。
2021年10月 「文藝春秋」に矢野事務次官の原稿掲載。バラマキ財政批判。→財務省内で必ずしも共感得られず。
・財政の危機的状況に対して、現実の制度に手を付けようとして省内の反対にあった太田。理念で押せば何とかなると挑み部下から冷ややかな目で見られた矢野。
・コロナ復興税:モデルは2011年の東日本大震災を機に創設された復興特別法人税と同住民税。菅直人首相と谷垣自民党総裁が会談して導入にレールが敷かれた。2011年4月の世論調査では復興税に賛成が6割近くを占めた。コロナをめぐるムードは明らかに異なった。→増税から、コロナ特別会計設置提案へ。しかし歳入が必要。→岸田首相は棚上げ

・アベノミクスはじわじわと形を変えてきた。その一つは金融よりも財政の比重が高くなったという点。安倍が財政の話で全面に出てくるのは退任後。
・2021年秋、高市政調会長のもとで自民党の中で積極財政派が集う「財政政策検討本部」ができた。官邸は対抗組織として岸田首相直轄の「財政健全化推進本部」を作った。安倍は前者の最高顧問に就いた。

・2022年1月「財政政策検討本部」第3回講師 早川英男(元日銀理事):政府が発行した国債を日銀が購入する場合、銀行が日銀内に持つ口座(当座口座)に代金が振り込まれる。そして、当座口座には金利がつく。国債という負債を日銀が資産として買い取り相殺されると考える人は金利の概念を飛ばしている。
・中川雅治参議院議員(財務省出身)上記会議にて:「自国通貨建ての国債はいくらでも借り換えられるということは、現実問題としてない」
 「資金運用部ショック」:1998年宮澤喜一蔵相が「資金運用部の資金(郵便貯金など)を使った国債の買い入れはやめる」と明言したことが引き金となり、金利が2%くらい急上昇した。・・・・国債を発行しようとしても入札がすべて消化できない事態が起きた。
・コアコアCPI:消費者物価指数の総合指数が「CPI」、変動が大きい生鮮食品を除いた「コアCPI」、食料とエネルギーを除いた「コアコアCPI」。2022年4月 コアCPI=2.1%、コアコアCPI=0.8%。物価2%目標がどの数値なのかが、出口模索に影響。
・国債発行残高はアベノミクス開始の2013年以来、2021年度までに300兆円増えている。しかし、利払い費は5000億円の増加にとどまった。ひとえに日銀が金利を低位に安定させているからだ。

 
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