(39) △ 自転しながら公転する (山本文緒:新潮文庫) 2022.12.24
単行本2020年、文庫本2022年11月 (2022.12.4 近鉄橿原店ジュンク堂)
帯には「中央公論文芸賞受賞、島清恋愛文学賞受賞、2021年本屋大賞ノミネート」とある。期待度は高かった。けれど、僕にとってちっとも面白くなかった。メモしたくなる文章も後で見返すために折り目を入れたページもなかった。
(登場人物)
与野都、父、母(桃枝)、貫一、ニャン、
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(38) □ 高橋源一郎の飛ぶ教室 (高橋源一郎:岩波新書) 2022.12.23
2022年11月刊行 (2022.11.20 アマゾン)
何年か前から妻がラジオを流している。金曜の夜には本書と同タイトルのラジオ番組を流していることが多い。その番組の最初に高橋源一郎が話す3分ほどのエッセイを集めたのが本書だ。
高橋源一郎はわかりやすい言葉でとても重要なことを伝えることができる。新聞の論壇時評や著作を何冊か読んでそのように感じている。今回も期待を持って読んだ。
全体的に良いのだが、一つの話が2ページほどでとても短い。もう少し書いてほしい。著者ならもう少し深く掘り下げることができるんじゃないか。そんな思いが強く残った。その思いを埋めるために、本書で取り上げられた作品のいくつかは読むことになりそうだ。けれどそれなら、本書の役割は十分果たしたことになるのかもしれない。
(メモ)
・ドイツの作家ケストナーの「飛ぶ教室」は1933年発表。ナチスが政権を奪ったその年、ケストナーの作品を含めてたくさんの本が燃やされた。ケストナーはわざわざその現場を見に行った。
・絵本作家の五味太郎さんはコロナ流行について「この不安定で、混乱した状態をどう思うか」と問われ、「その前は安定していたの?」と尋ね返した。
・カミュ「ペスト」の中で、主人公は「誰でもめいめい自分のうちにペストを持っているんだ」という。それは「ことば」のこと。誰でも自分は正しいと思ってことばを発する。でも、そのことばはどこかで誰かを深く傷つける。カミュのことばは自信たっぷりでなく、とまどいながら、自分自身を疑いながら、怯えながら、書かれている。
・夢に感染する。
・世界がひとつになりませんように
・親戚のひとりに、大杉栄と伊藤野枝を虐殺した甘粕大尉もいた。
・ある時間の記憶を共有していた誰かが亡くなるとき、ぼくたちは、その時間そのものをなくしてしまうのかもしれない。
・「犀のようにただひとり歩め」:犀は群れない動物で、ひとりで生きるのだそうだ。性質は鈍重で、視力も弱い。けれども、嗅覚と聴覚に優れ、自分の鼻先の一本の角をまるで目印のようにして、周りの世界を確かめながら、ゆっくり、ただひとりで前へ進んでいく。
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(37) 〇 世界インフレの謎 (渡辺努:講談社現代新書) 2022.12.7
2022年10月刊行 (2022.11.18 桂川イオンモール大垣書店)
3月に渡辺努氏の「物価とは何か」を読んだ。とてもわかりやすく、かつ、謙虚な書き方に好感を持った。それで渡辺氏が現在のインフレをどう見ているかが知りたくて本書を読んだ。
本書もとても興味深い。インフレの原因は戦争ではないことを明確に書いている。インフレはロシアのウクライナ侵攻の1年近く前の昨年春から始まっていたことから間違いない。主な原因をパンデミックと見ている。そして、インフレの要因を労働者が現場復帰しないことによる労働者不足、消費者がサービス購入からモノ消費を増やしたこと、企業の脱グルーバル化の3つとしている。いろいろなデータを示しながら、そして要因が掴めていないことを前提に考えているところがとても良い。
後半は世界と日本との違い。日本のモノ価格・賃金が安いのは、2013年からの金融緩和による円安政策に依るところが大きいことをデータでも示している。
(メモ)
・インフレの原因は戦争ではない。
・米国、英国、欧州のインフレは2021年春からすでに始まっていた。
・インフレの主犯はパンデミックである可能性が高い。
・リーマンショックは「需要不足」であり、パンデミックは「供給不足」であり性質が異なる。
・東日本大震災のあと、人々は物価が上昇すると予想した。工場設備が壊れたり、道路寸断のため。一方、パンデミックでは物価が下がると予想した。家にこもりお金が使われなくなって景気が悪化すると考えたため。地震は設備の破壊により経済にダメージを与え、パンデミックは労働力を低下させる。
・100年前のスペイン風邪は労働力にダメージを与え、供給ショックにより物価を上げた。・・・リーマンショック、東日本大震災に比べると、現在に近い。しかし違う点もある。死者数が少ない(スペイン風邪は人口の2%)
・健康被害(国別の100万人あたりの死者数)と経済被害は直結しない。2020年データでは、米国と日本では健康被害は28倍異なるが、GDP損失率はほぼ同じ(米国:-6.36%、日本:-5.96%)
・経済ショックが伝搬したわけではない。パンデミック初期、「サービス消費」が激減した。サービス消費のほとんどが国内で完結する。サービス消費が危機に瀕しても、ショックが貿易網を通じて国際的に伝搬することにはならない。
・ロックダウンと緊急事態宣言では、経済被害に与える影響に差は見られない。国民の自主性に任せたスウェーデンと隣国で強力なロックダウンを実施したデンマークの間に、経済被害の大きな差は見られなかった。
・日本で、緊急事態宣言自体によって外出を控える効果と自主的に外出を控える効果(情報効果)の割合は1:3。伝搬したのは「恐怖心」
・消費者の「恐怖心」→対面型サービスへの需要減少→GDP減少→物価低下
・労働者の「恐怖心」→現場へ復帰しない→生産能力の低下→物価上昇。物価に対して正反対に作用
・経済予測の専門家がGDPとCPI(消費者物価指数)見通しを毎月発表。日米の予想のプロはパンデミック初期にインフレ率低下を予想したのは同じで比率もほぼ同じ。しかし、その後、米国の予想のプロはインフレを予想したのに対し、日本は0%前後で膠着状態になっている。
・フィリップス曲線(インフレ率=インフレ予想−a×失業率+X)が大きく変化。フィリップス曲線が意味するところは、失業率が高い=需要が弱い⇒インフレ率が下がる、ということ。X(供給要素)が大きく変化したと著者は考えている。
・消費者の行動変容:サービス消費からモノ消費へのシフト。これまでモノ消費の割合は下がり続けてきたが、パンデミックで上昇した。どの国の人もシフトした。「同期」したことが今回の大きな特徴。モノ消費増加に伴い、モノ価格が上昇。サービス産業のコストの大部分を人件費が占めるのでサービス価格は下落しにくい=価格硬直性が高い。したがって、インフレ方向に進む
・労働者の行動変容:パンデミックを機に退職を早めたり、離職したまま復帰しない事例が米国・英国で多く見られる。米国の非労働者人口はコロナによりジャンプして、社会が落ち着いてきてもそのままの状態が続いている。パンデミックが収束した後も生活様式が完全には戻らないと考える人が多い。
・企業の行動変容:脱グルーバル化。ポピュリズム、保護貿易の台頭などの政治的要因もあり、パンデミック前から脱グローバル化の傾向が見られた。供給網の安全性と安定性を重視し、そのためにはコストパフォーマンスが多少犠牲になってもやむを得ないという発想。それにより、製造コストは上昇し、製品価格は上昇する。
・消費者、労働者、企業の行動変容によって供給不足となり、インフレになっている。
・IMF(国際通貨基金)が2022年4月にまとめた2022年加盟国192か国のインフレ率予測ランキングで、日本は最下位0.984%。2000年以降最下位に近い順位が多い。
・「輸入物価」(日本に到着した段階での価格)は前年比50%くらい上がっている。日本の場合、原油などエネルギー、小麦などの穀物が大きな割合を占める。しかし、CPI(消費者物価指数)は非常に低い。つまり、海外から輸入する商品の価格は上がっているが、それが国内価格に転嫁されていないということ。
・消費者物価指数を決める600品目が前年同月から値段がどれだけ変化したチャートを作成すると、ガソリン、電気代、灯油などは価格が大幅に上がり、「急性インフレ」とここでは呼ぶ。一方、4割はゼロ近辺にある。これを「慢性デフレ」と呼ぶ。日本では「急性インフレ」と「慢性デフレ」の両方を抱えている。
・1995年くらいまでは、米国と同様にモノ・サービス共に毎年価格が上昇していた。1995年以降も米国は上昇を続けているのに対し、日本は横ばいになった。1995年頃は大手の金融機関が経営難になり価格と賃金が動かなくなったことは理解できる。しかし、金融機関が安定を取り戻した2000年代も動かないままだ。
・長期間のゼロ近辺のインフレ率が、日本人のインフレ予想を低くしている。消費者は「値上げ嫌い」になり、企業は「価格据え置き」になる。物価が上がらず、賃金も上がらないのが当然になってしまっている。これは国際的にみて、かなり異常なこと。
・しかし、2022年5月に5か国の消費者に今後1年の物価変動を予想してもらうと、これまでと異なり、日本でも欧米と区別がつかないくらいインフレ予想が上がっていた。一方で、賃金は上がらないと予想する人が多く、この点は欧米と大きく異なる。
・今後の2つのシナリオ:@スタグフレーション。物価が上がるが、賃金が据え置きで景気が悪化する。A慢性デフレからの脱却。ハードルは企業が賃上げに前向きに取り組むかどうか。
・日本のモノ価格は安い。米国で価格が上昇し日本が価格不変なら、円高が起こり、日米の価格差を消すはず。日本のモノ価格を米国のモノ価格で割ったものは「購買力平価」と呼ばれる。これが為替レートのあるべき水準。1970年代からの推移を見ると、所々乖離した時期はある。2012年以降も乖離した時期で、円安になっていて為替レートが購買力平価に比べて安すぎた。2013年に日銀による異次元緩和が始まったため。金融緩和で円安を起こし、モノ価格を上昇させるはずだった。円安にはなったがモノ価格はわずかに上がった程度で期待されたほど上がらず、日本のモノは割安になった。
・日本の賃金は安い。日米の賃金比較をすると、割安化の進行が顕著なのは2012年以降。要因の一つは為替レートが購買力平価との対比で円安になったこと。もう一つの要因は米国の実質賃金が上昇を続けたのに対し、日本の実質賃金が横ばいだったこと。
・「安いニッポン」が買われ、それによって価格と賃金があがることも、価格・賃金の硬直状態を脱却する一歩と捉えるべき。
・消費者・労働者・企業の3つの後遺症は供給サイドに大きなダメージを与えているが、自分で選択したものなので治療は不可能であり、してはならない。
・世界のインフレは、賃上げ、価格上昇を繰り返すスパイラルに入る可能性がある。その条件としては@労働需要が旺盛、A企業の価格決定力が強い(価格転嫁できる)、Bライバル企業も価格転嫁すると確信。2022年6月に英国のジョンソン首相と中央銀行のベイリー総裁が賃金・物価スパイラルに突入する瀬戸際にあるとの見方を表明
・賃金・物価スパイラルを経験したアルゼンチン、ブラジル、イスラエル等では金融引き締めによる需要冷却を行ったがインフレが収まらなかった。そこで供給サイドに働きかける手段として「賃金凍結」を命令した。労働者・企業の権利侵害、市場メカニズム阻害という否定的な見方も強い。異端派の処方箋と呼ばれる。
・名目賃金の2000年から2001年までの名目賃金の伸び率は、OECD加盟国で日本は最低のマイナス0.2%。実質賃金も下から5番目で低いが、イタリア0.0%、ベルギー0.4%など、実質賃金の伸びはないが名目賃金は伸びている国がある。日本が模範とすべきは実質賃金の伸び率は低いが名目賃金の伸び率は低くない国。
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(36) □ 緑内障の真実 (深作秀春:光文社新書) 2022.12.2
2022年6月刊行 (2022.11.14 京都駅ふたば書房)
以前、突然飛蚊症がひどくなったように感じ、眼科に行った。網膜裂孔という診断で、即日レーザー手術を受けた。もう10年くらい経つかもしれない。それ以降、定期的に眼科に通っている。そして数年前に網膜の厚さを測る装置(たぶんOCT)で測ると右目の網膜が少し薄いことがわかり、初期の緑内障という診断になった。眼圧を下げる目薬を注しているけど、定期的に受ける検査で眼圧が高いという結果になったことはない。ネットで調べても緑内障の人の眼圧を測定しても正常範囲であることが多いようだ。原因と治療が合っているのかという疑問は常に感じていたので本書を読んでみた。
本書でも、「緑内障の原因の3割は眼圧が主だが、他の7割は眼圧以外が主な原因」と書かれている。そして、眼圧を下げる目薬だけの治療を繰り返し批判している。勧めているのは手術だ。でも、手術の目的は眼圧を下げることがほとんど全てだ。やはりすっきりしない。
(メモ)
・緑内障の原因を「眼圧に上がることによって起きる病気」から「何らかの理由により、視神経の出口である篩状板付近に異常が生じて、神経線維、神経節細胞が障害する病気」と捉え直すべき
・正常眼圧の概念は、戦後すぐのドイツで提唱された。正常眼圧は角膜の厚みが600ミクロンほどのドイツ人が眼圧測定をして求められた値。日本人の角膜は550ミクロンほどと薄いため、眼圧は低い値に出る。角膜の厚みに合わせた眼圧測定値の補正が必要。・・・一般の測定では補正されていないのか?
・緑内障治療において、まず最初にすべきは白内障手術。
・網膜の断層撮影をするOCT(光干渉断層計)。網膜神経節細胞が障害されれば、その部分の網膜が薄くなる。OCTにより視野に変化が出る前でも緑内障の診断を正確に下せるようになった。
・目の中の水「房水」は毛様体突起から分泌され、虹彩の裏を通って瞳孔を通過し、前房に至り、角膜と虹彩の間の角度を持った隙間「隅角」に入っていく。隅角の先では、風呂の下水溝のような「線維柱帯」を通り、9割はシュレム管に入る。そして集合管、上強膜静脈へ帰っていく。残り1割は毛様体と強膜の間のブドウ膜強膜流出路から出ていく。この流れが悪いと圧力が増す(眼圧が上がる)
・眼圧降下薬@線維柱帯の主経路からの房水流出に効果、Aブドウ膜強膜流出路からの房水流出に効果、B房水産出を抑制。現在僕が注しているのはAのトラバタンス。このAの点眼薬が効果が最も高い。組み合わせの点眼薬もあり、妻が注しているのはAとBの効果を持つ点眼薬
・血流を改善するサプリメント:ナイアシン(ビタミンB3)、Lアルギニン、Lシトルリン
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(35) □ 惜別 (太宰治:新潮文庫) 2022.11.29
「右大臣実朝」1943年、「惜別」1945年刊行 (2022.4.9 アマゾン)
高橋源一郎の「ぼくらの戦争なんだぜ」によると、太宰治の作品刊行は昭和8年から23年である。多くは戦争中に書かれている。そしてその時期は言論統制されていた時期だ。本書に収められている2作品も書いていたのは戦争中だ。
「右大臣実朝」は残念ながら古文の箇所の意味がわからず、どういう終わりになったのかもわからなかった。だから読んだと言えないかもしれない。ただ、なんとなく雰囲気は感じることができた。吾妻鏡を現代語訳で読んでみたくなった。
「惜別」は、魯迅が日本に留学していた時の話だ。これをどういう思いで戦時中に書いていたのかはとても興味深い。魯迅の作品も何か読んでみたくなった。
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(34) □ 無人島のふたり (山本文緒:新潮社) 2022.11.18
2022年10月刊行 (2022.11.12 近鉄橿原店ジュンク堂)
作家の山本文緒さんは昨年10月に亡くなっている。といっても僕は彼女の書いたものを読んだことがないので特別な思い入れがあるわけではない。けれど新聞の書評の欄で紹介されている彼女の日記のことを見て読まなければいけないような気になった。
おそらく彼女は一般的には恵まれた環境にあるのだろう。余命数か月になっても新刊が発売されたり、この日記についても打ち合わせをしている。いや、だからと言って何なのだろう。
日記は、「2021年4月、私は突然膵臓がんと診断され、そのとき既にステージは4bだった。治療法はなく、抗がん剤で進行を遅らせることしか手立てはなかった。」で始まり、「明日また書けましたら、明日」で終わっている。
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(33) □ ウクライナ現代史 (アレクサンドラ・グージョン:河出新書) 2022.11.15
20221年8月刊行 (2022.9.7 京都駅ふたば書房)
10月の講演の勉強用に購入したものの、読み始めると翻訳のせいか理解しづらいところがあり、いったん後回しにした。講演後に再度読み始めると最初の方はややわかりにくいが次第に気にならなくなった。参考になるところは多々あった。
(メモ)
・ゴーゴリ「タラス・ブーリバ(隊長ブーリバ)」(1835年)
[ホロモドール]
・1917年 ロシア革命。戦時共産主義(戦争時に都市部と軍隊に食糧を供給するためのボリシェヴィキの政策)が取られて、収穫が強制的に徴発、農業疲弊。
・1921年 飢饉でウクライナで数十万人、ロシア南部で数百万人が犠牲に。
・1921年 柔軟策「新経済政策(NEP)」により、翌年から農業活動回復
・1929年 強制的な農業集団化。生産高激減
・1932年−1933年 飢饉。3000万人の農民・住民に対して400万人近くが餓死。「ホロモドール」。一方で1933年 ソ連は180万トンの小麦を輸出している。
・1935年 ウクライナ農業は完全集団化。
・1940年 1913年の生産量に回復。
・1991年 ウクライナはソ連の3%の土地で、ソ連の農業生産の35%を担っている。
・2006年 ウクライナ議会はこの飢饉をスターリン政権が遂行したジェノサイドと認定
[ロシア語]
・18世紀終わりごろから、文章語としてロシア語を強制するロシア化が進む
・1863年 ウクライナ語による印刷と教育禁止
・1920年代 共産主義を非ロシア語人口に普及させるため、言語の先住民化政策が実施され、ウクライナ語はロシア語に並んで公用語の地位を取得。1929年小学校の83.2%で公教育言語になった。
・1930年代からロシア語がコミュニケーションの言語として奨励され、他の言語は民族主義を増幅させるとして非難されるようになる。ウクライナの知識人は抑圧。
・西の国境地帯ハーリチではポーランド化によってウクライナ語衰退、民族主義によるレジスタンス運動起こる。
・1989年 ウクライナ語を公用語にする言語法成立。
・1996年 ウクライナ語を唯一の国語であることを確認したウクライナ政策。ウクライナ語による教育は西部では進むが東南部は低調。
・2012年 少数言語に地域言語としての地位を付与する法律(ロシア語含む)
・2014年 マイダン革命でのヤヌコーヴィッチ亡命後、議会は法律の廃止を可決・・・行政府に承認されなかったが、ロシア政権がクリミア介入・東部分離主義者支援の正当な理由になった。
・2018年 憲法裁判所によって法律は無効にならなかった。廃止の立法手続き違反。
・政権が進めるウクライナ化に伴い脱ロシア化が進むが、ウクライナ人が家庭でウクライナ語を話す人が46%、ロシア語が28%。
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(32) □ ウクライナ侵攻とロシア正教会 (角茂樹:KAWADE夢新書) 2022.11.5
2022年8月刊行 (2022.10.26 アマゾン)
「ロシア正教会」、そもそも「正教会」自体を全く知らないので読んでみた。書き方のせいかもしれないけれど、正教会の歴史は権力闘争の歴史に見える。政治色もとても強い。その背景にはコンスタンティノープルという場所の政治状況が不安定で、権力者側にすり寄らないと教会を維持できないということがあったようだ。
(メモ)
[序章]
・ウクライナの教会@ロシア系正教会、Aキーウ系正教会、Bギリシャ・カトリック(儀式は正教会と同じだがローマ教皇に従う)
・キリスト教の3つの宗派。カトリック、プロテスタント、東方正教会。東方正教会の信者は2億8千万人
[第1章:正教会とは]
・イエスの一番弟子とされたペトロはローマで殉教。ペトロの後継者とされるのがローマ教皇
・313年ローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教公認。首都をローマからビザンティウムに移し、コンスタンティノープルと名付けた。
・キリスト教の「教え」は公会議で決定される。787年までに7つの公会議開催。
・5世紀までに5人の司教によって地域ごとに分割する仕組みができていた(ローマ、コンスタンティノープル、アレキサンドリア、アンティオキア、エルサレム)。ローマ司教が筆頭の地位を占めることが公会議で決定。
・395年ローマ帝国分裂。476年西ローマ帝国滅亡。ローマ教皇を庇護する皇帝がいなくなった(形式的には東ローマ帝国の皇帝)
・800年教皇はフランク族の長を新しい庇護者と認め、962年神聖ローマ帝国樹立。・・・東ローマ帝国の皇帝が非難。
・この頃イスラム教が台頭。8世紀までにアレキサンドリア、アンティオキア、エルサレムの総主教庁が管轄する地域がイスラム教世界に。キリスト教の中心はローマとコンスタンチノープルの2つになり、トップを争う動き。コンスタンチノープルの総主教庁はローマ教皇に対抗して「全地総主教」という称号を唱え始める。
・信教上の争点。451年カルケドンの公会議で三位一体論を宣言。聖霊は父なる神より発すると規定していた。11世紀初めに聖霊がイエスからも発すると正式にローマ教皇に認められた。コンスタンティノープルでは暴挙と捉えた。
・1054年 カトリック教会と正教会が分裂(上記の2点などから徐々に避けられない状況になっていた)
・13世紀分裂は決定的になった。1202年第4回十字軍がコンスタンティノープルを攻略し正教徒を虐殺し占領、十字軍司令官は1204年「ラテン帝国」を設立
・1261年ラテン帝国はビザンティン帝国(東ローマ帝国)に再征服され、コンスタンティノープル全地総主教は地位を回復。しかしビサンティン帝国は弱体化しオスマン・トルコに脅かされる。
・正教会は「政教調和」を目指す。総主教の位置づけはイエスの代理人という考えは取らず。教会は世俗権力の権力基盤を神学的に権威づける役割を担うようになる。例えば正教会の聖体礼儀ではそれぞれの国の指導者に対する祈りが行われる。
・正教会の聖職者の位階:総主教 最高位現在9人、
(スラブ系)総主教---府主教---大主教
(ギリシャ系)総主教---大主教---府主教
[第2章:9世紀から19世紀]
・ロシアとウクライナの正教会の創建者はキリストの12弟子の一人アンドレアとされる。アンドレアがキーウを訪れたことが4世紀の書物に書かれている。モスクワ総主教庁がウクライナに固執する理由の一つはキーウを管轄下に置くことでアンドレアの後継者となること。でなければ14世紀に府主教庁になっただけの新参者となってしまう。
・980年キーウ・ルーシ公国のウラジミール大公がコンスタンティノープルの正教会を受け入れ(それ以前にもキリスト教の影響は及んでいた)。その後、コンスタンティノープルの総主教がキーウに府主教庁設立。典礼は教会スラブ語を使用。ラテン語やギリシャ語の文化は根付かず。スラブの正教会は外の世界と切り離された形で独自の世界を形成。
・1237年〜1240年 タタール人と呼ばれたモンゴル人がキーウ・ルーシ公国に侵入。キーウ陥落。100年余り支配。
・14世紀 リトアニアとポーランドが滅んだキーウ・ルーシ公国を支配。モスクワ中心にモスクワ公国
・1326年 ウラジミールの府主教庁がモスクワに本拠を移す。名称は「キーウ及びルーシの府主教」。キーウを支配下に置いていたのはリトアニアとポーランド。
・1380年 クリコヴォの戦い(モスクワ公国軍とタタール軍の戦い) モスクワ勝利するが、イスラムの脅威は続く
・15世紀 オスマントルコのビザンティン帝国への攻撃強まる。 ビザンティン帝国の皇帝はローマ教皇に助けを求める。1439年フィレンツェ公会議にてカトリック教会と正教会の再合同・・・反発多く事実上無効に。出席したモスクワ府主教は持ち帰ってから投獄された。
・1453年ビサンティン帝国滅亡。コンスタンチノープルの名称がイスタンブールに。コンスタンティノープル全地総主教の権威失墜
・1459年 モスクワ公国大公が「キーウ及びルーシの府主教」を「モスクワ及びルーシの府主教」に変更
・15世紀後半 モスクワ公国がタタールの支配を終わらせる。(キーウでは100年前に終了)
・1517年 ルター宗教改革。
・1589年 モスクワがコンスタンティノープルから独立した総主教庁に。第6位の地位。
・プロテスタントへのカトリックの対抗。ウクライナの正教会をカトリックに引き戻す運動も。1596年「ブレスト合意」ギリシャ・カトリック誕生(典礼は変えずにローマ教皇の首位権を認める)
・1721年ピョートル大帝が「モスクワ及び全ルーシの総主教庁」を廃止、皇帝選出の聖職者による「宗務院」を設立してロシア正教会を管理。教会が国家に従属。1917年まで続く。
・ウクライナでは16世紀にコサックが出現。自由農民がザポリージャを中心に作り上げた軍事組織。総司令官「ヘトマン」
・17世紀中頃、ヘトマンのフメルニッキーがポーランド支配から独立するためにロシアの助けを借りる。1654年 ペレヤスラフ協定(ロシアと協定):ドニプロ川東側がロシア領に(現在のウクライナの5分の2)
・1686年 モスクワ総主教庁はキーウの府主教の任命権をコンスタンノープルから獲得。モスクワ総主教庁がウクライナ正教会の母教会となり管轄を得たという主張の根拠になっている。
・1687年 ヘトマンのマゼパがドニプロ川東側を取り戻すためスウェーデンと手を結ぶ
・1709年 ポルタヴァの戦い:ヘトマン+スウェーデン王国 対 ロシア、ロシアに敗北
・1795年 ポーランド分割:ロシア・オーストリア・プロイセンが分割。ウクライナ全土からポーランドは排除。ロシア領とオーストリア領になる。
・19世紀 ウクライナ独立運動が西部のオーストリア領で起こる。その時の精神的支柱はギリシャ・カトリック教会
[第3章:1917年〜1990年]・・・ソ連との関係、ナチスとの関係
・1917年 ロマノフ朝終焉。ロシア正教会はモスクワ総主教庁の復活を決め、チーホン総主教を選出(ボリシェヴィキ政権との共存可能と考えた)
・1922年 チーホン総主教軟禁
・1923年 チーホン総主教釈放、正教会の非政治化を宣言。ボリシェヴィキ政権に対して融和姿勢に転じる
・1925年 チーホン死去、セルゲイ総主教代理。
・1926年 セルゲイ総主教代理捕らえられる。
・1927年 セルゲイ総主教代理釈放。政権を支持する忠誠宣言を出す・・・融和路線に反対する教会内勢力は投獄、殺害。モスクワ総主教庁に反旗を翻した勢力に率いられた亡命ロシア教会は1951年にニューヨークに拠点を移す。
・1922年 ウクライナ独立正教会がモスクワ総主教庁から分離独立(ボリシェヴィキ政権が支援:モスクワ総主教庁の力を弱めるため)。
・1927年 ロシア正教会が政権寄りになると事態一変。ウクライナ独立正教会は禁止弾圧。
・1932年〜33年 ウクライナ大飢饉「ホロモドール」:無理な集団化農業政策、強制収奪
・1939年9月 反ポーランド・反ソ連を掲げるウクライナ独立運動(OUN)の指導者ステパーン・バンデーラがポーランドの刑務所からナチスにより解放
・1941年 ヒトラーがドイツ領ポーランドからロシア領ポーランドに侵攻。スターリングラードまで追いつめられる。ウクライナにはナチスを解放軍として迎える人たちが西部だけでなく東部にもいた。ホロモドール、集団農場化による困窮からソ連に反感を持っていた。
・1941年 OUNはリビウに入りウクライナ独立を宣言→バンデーラ捕らえられ強制収容所へ。OUN弾圧、多くの党員は銃殺→ナチスを解放軍と考えたウクライナ人の期待は裏切られた。
・ナチスはソ連側捕虜を虐殺(ソ連が1929年のジュネーブ条約締約国でないことを理由に)。ウクライナ領内でユダヤ人虐殺。バビ・ヤールの大虐殺(1941年3万人)
・ギリシャ・カトリック教会のシェプティツキー大司教の反抗
*OUNはウクライナ独立を目指して1950年代までソ連に対するゲリラ活動を続けた。バンデーラは終戦後解放され、1959年KGBにより殺害。バンデーラはソ連・ロシアにとって許されざる指導者。ウクライナでは2005年頃から愛国者として評価され始めた。ナチスへの協力から否定的評価の人も多くいる。
・1941年 ヒトラーのロシア侵攻後セルゲイ総主教代理はロシア正教徒に祖国防衛戦を呼びかけ。
・1943年 スターリンがセルゲイ他3人の代表的府主教に感謝の意。→モスクワの総主教にセルゲイ選出
・1948年 スターリン 全地公会議(第8回:8世紀以来)のモスクワ開催を発表・・・モスクワをコンスタンティノープルに代わる地位に上げてバチカンに対抗、共産化を進める東欧のカトリックに対抗→多くの正教会の反対。公会議ではなく、ランクの下の「汎正教会会議」と名前を変えて開催。多くはボイコット
・1953年 スターリン死去。フルシチョフは正教会を再び弾圧。教会の3割破壊。ただし、聖職者殺害はなく信者は増加した。
・第2次大戦後のウクライナ:現在の国境確定。1945年の国連ではソ連とは別に原加盟国としてベラルーシとともに議席を得る(外務大臣も持つ)。スターリンは西部やクリミアで住民を弾圧(ナチス好意的との理由)。KGBがギリシャ・カトリック教会を巡回し、離脱を迫る。拒否すると銃殺。
・1954年 フルシチョフがクリミアをウクライナに移管(ペレヤスラフ協定300年)
[第4章:1991年〜2013年]・・・ソ連崩壊
・1991年8月 ウクライナ独立を宣言。初代大統領レオナード・クラウチューク
・1993年 ウクライナ 独立共同体憲章批准を拒否(経済協力は支援するが、ロシアの軍事イニシアティブは認めず)
・1994年 ブタペスト合意(ウクライナ核放棄、米ロ英が安全保障を約束)
・1997年 セバストポリ軍港を2017年までロシア使用の権利を与える
・ウクライナの正教会の問題が残る。正教会は各国の独立した正教会からなる共同体。独立したウクライナがモスクワ総主教庁から独立した正教会を持つことはおかしくない。
・1989年 ゴルバチョフ ウクライナでのギリシャ・カトリック教会復活を認める。ウクライナ独立正教会の亡命していたムスチスラフ府主教が帰国、「ウクライナ独立正教会総主教」を名乗る。→モスクワ総主教庁は認めず。
・1990年 キーウ府主教フィラレートはウクライナ正教会の独立をモスクワ総主教庁に申請→認められず。フィラレートはムスチスラフに接近し合同提案→最終的にはムスチスラフ拒否
・1995年 フィラレート自らキーウ総主教に就任→モスクワ総主教庁はフィラレートを破門。ムスチスラフはまもなく死去し、ウクライナ独立正教会は勢いを失う。
・1991年 ソ連邦崩壊し、宗教の自由が保障され、多くの宗教が流れ込んだ(オウム真理教も)
・1997年 ロシア正教会が外国からの宗教流入・活動の規制を政府に働きかけ、「信教の自由及び宗教団体に関するロシア連邦法」成立
・1994年 レオニード・クチマ第2代大統領。経済立て直しとオリガルヒ誕生
・1998年 クチマ大統領再選。2000年政府汚職問題。ユーシチェンコ期待を集める。
・2004年 大統領選(ヤヌコビッチ 対 ユーシチェンコ)→ヤヌコビッチ勝利発表→選挙不正発覚→デモ→選挙無効に(オレンジ革命)
・やり直し大統領選。争点:ロシアとの協力か、EUとの協力か。モスクワ総主教庁ウクライナ正教会はロシアとの協力、キーウ総主教庁ウクライナ正教会とギリシャ・カトリック教会はEUとの協力を支持。
・ユーシチェンコ第3代大統領当選後の政策:EU加盟、NATO加盟、ウクライナの国民統一。国民統一のために、ホロモドールの惨劇記念碑、バンデーラ記念碑建立
・バンデーラ記念碑は、ロシア・イスラエル・ポーランドとの外交問題に。
・2008年のNATO申請はロシアとの関係極めて悪化
・2008年7月 ウラジミール大公キリスト教受容1020年記念式典キーウ開催。バルトロメオ・コンスタンティノープル全地総主教招く(ウクライナがキーウ・ルーシ公国の後継者であることを示そうとした)。極めて政治色の強い式典。ウクライナ国内でもウクライナ正教会独立問題に意見の一致がないことが明らかに。
・ユーシチェンコ大統領とティモシェンコ首相との対立。2005年ティモシェンコ首相解任。2006年にヤヌコビッチの等が最大議席→ヤヌコビッチ首相。2007年最高議会解散→ティモシェンコ首相
・2010年 ヤヌコビッチ第4代大統領・・独裁色強い。腐敗問題再燃。大統領選で僅差だったティモシェンコ有罪判決、収監
・2009年キリルがモスクワ総主教に選出。ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・モルドバは”ルースキーミール”によって結ばれた世界と発言。ウクライナ側は警戒。
「ルースキーミール」:ロシアの文化、宗教、言語による共同体。プーチンも主張
[第5章:2014年〜2018年]・・・ロシアによるクリミア併合
・2012年 プーチン ロシア中心の関税同盟を目指しウクライナに加入求める。→ヤヌコビッチはEUとの経済連携協定を進める(ウクライナからの関税ほぼゼロ)、ロシアへの配慮としてセバストポリ軍港の租借期間を2017年から2042年に延長
・2013年11月 ヤヌコビッチ EUとの経済連携協定の調印を直前にキャンセル。→ロシアは150億ドル援助とガス価格引き下げ→ウクライナ国民の怒り・・マイダン広場での抗議活動
・2014年 与党がデモ抑圧決議→デモ隊と警察の衝突→2月18日ヤヌコビッチがロシアに逃亡:マイダン革命
・2014年2月26日 ロシアがクリミア奪取:(簡単に奪取できた理由)キーウの政治的混乱、セバストポリを租借しているロシア軍はクリミアで行動する自由が認められていた。住民投票後にクリミア併合。キリル総主教は支持せず。
・2014年5月 ポロシェンコ大統領(第5代)当選。7月に東部奪回作戦開始。プーチンはロシア正規軍をウクライナ国内に投入。
・2014年9月と2015年2月のミンスク合意(メルケル、オランド仏大統領、プーチン、ポロシェンコ):ドンバスにおける停戦と捕虜交換、ドンバス地域に高度な自治権・・・ロシア有利
・2014年のロシア侵攻により、ドンバスの住民が反ロシアに(侵攻で15000人の死者)・・・2022年1月になってプーチンはウクライナ政府がドンバスのロシア系住民にジェノサイドを行っていると言い出した。ロシア委員も参加する欧州安全保障協力機構(OSCE)の監視団の報告に一度もない。
・2015年 EUとの経済連携協定締結(ロシアとの貿易は2014年25%、2019年7%まで減っていた)
・国内改革(汚職防止、医療改革、司法改革)も進める。2019年憲法改正、EU加盟とNATO加盟を記す。
・2016年6月 クレタ島での「汎正教会会議」をキリル・モスクワ総主教がボイコット
・2016年2月 キリル総主教はローマ教皇フランシスコと会談→正教会代表はモスクワと主張するため
・ウクライナ正教会はモスクワからの分離独立を目指す(2014年以来)
・ポロシェンコ大統領 コンスタンティノープル訪問しバルトロメオ全地総主教の意向を確認
バルトロメオの回答:ウクライナの3つの正教会が合同でウクライナ独立教会樹立の許可願いを出すこと。ウクライナ政府からも同様の許可願いを出すこと
・これを受けてポロシェンコ大統領はウクライナ正教会独立文書(トモス)をコンスタンティノープルから得るための政策を実行→プーチン、キリル猛反発
・2018年8月 キリルがコンスタンティノープルに行き、翻意を促す
・2018年10月 モスクワ総主教庁はコンスタンティノープル総主教庁に対し、破門一歩手前の関係謝絶を発表
・モスクワが反対する理由:ウクライナ正教会と断絶すると、モスクワは14世紀に作られた教会になり、古代5大教会の権威に及ばなくなる。プーチンの「ルースキーミール」ではウクライナ・ロシアは宗教的一体。ウクライナを失うと信徒の3分の1を失う。
・バルトロメオ全地総主東方正教会に対し、キーウ首座府主教庁ウクライナ正教会をウクライナにおける唯一の正教会と認めることを要請・・・ウクライナ正教会を認める動きが広がる
・2019年5月 ゼレンスキー大統領(第6代)・・正教会独立については距離を置いた対応
・ウクライナ最高会議は法律で、今後モスクワ総主教庁に属する教会がウクライナ正教会と名乗ることを禁ずる。→モスクワ総主教庁側は憲法裁判所に訴え→憲法裁判所は訴えを認めた。→その結果、名称上は2つのウクライナ正教会が存在
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(31) □ だから僕たちは、組織を変えていける (斉藤徹:クロスメディア・パブリッシング) 2022.10.21
2021年12月刊行 (2022.6.21 アマゾン)
副題は、”やる気に満ちた「やさしいチーム」のつくりかた”
目指したい組織は、学習し、共感し、自走する組織。
「結果」でなく「関係性」から始め、その中でも、「まわりの評価に怯えることなく、自分の意見や想いを発信できる」という心理的安全性が組織の最も大切な点と考えるなど、書いてあることに共感できるところは結構ある。けれど図や言葉をいろんなところから持ってきているので本文との関連が不明確なものも多く、理解が深まりそうで深まらず、同じレベルの話が進んでいるだけのように感じる。本文を書いた後に、いろんなところから他の人が選んできて埋めたのではないか。
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(30) 〇 猫町 (萩原朔太郎:平凡社) 2022.10.15
2021年5月刊行 (2022.7.8 恵文社一乗寺店)
7月8日に京都に出かけた時に購入した。出会いを求めて書店内をさまよっていた時に見つけた本だ。普段から2860円も出して購入しようとは思わなかったはずだが、恵文社一乗寺店の空間が購入する気にさせたのだろう。本書は版画家・金井田英津子の挿絵が特徴で、「文学画本」となっている。昭和10年に書かれた萩原朔太郎の不思議な話に版画が加わることで幻想的な雰囲気を増している。とても贅沢な本だ。
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(29) 〇 新彊ウイグル自治区 (熊倉潤:中公新書) 2022.10.11
2022年6月刊行 (2022.7.29 桂川イオンモール大垣書店)
ウイグル自治区の歴史、特に中華人民共和国ができてからの歴史が大変勉強になった。
内容はもう一度勉強かつ整理中。
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(28) □ ロシアとシリア (青山弘之:岩波書店) 2022.9.22
2022年7月刊行 (2022.8.18 京都駅ふたば書房)
副題は「ウクライナ侵攻の論理」になっているが、あくまで主眼はシリアにある。シリアについてはほとんど知らないのでかなり難しかった。著者は西側諸国に非常に厳しい視点で書いている。
第1次世界大戦の終盤でロシア革命によってロシアは戦線から離脱したため、シリアによって侵略国から外れることになった。このことも影響してか、シリアは1944年の国交樹立以来ソ連(ロシア)と緊密な関係を築いている。
(メモ)
[第1章:第2次大戦直後までの歴史]
・東方問題:イギリス、フランス、ロシア等の列強がオスマン帝国の衰退とそれに伴う領内での諸民族の独立の動きに乗じて干渉することで生じた戦争・事件の総称。英仏の狙いは中国やインドを結ぶ交易路の確保、アフリカでの植民地獲得・拡大、後にはアラビア湾岸での石油・天然ガス獲得。ロシアの狙いは不凍港獲得を目指す南下政策。
・1516年シリアはオスマン帝国の支配下に入る。
・第1次エジプト・シリア戦争(1831〜1833):エジプトがシリア領有を要求。ロシアがトルコを支援、イギリスはロシアの進出を警戒し、オスマン帝国にシリアをエジプトに譲渡させた
・第2次エジプト・シリア戦争(1839〜1840):オスマン帝国がシリア奪還を目指す。フランスがエジプトを支援し、フランスの北アフリカ進出を阻止するため、イギリス・ロシアがオスマン帝国を支援。シリア領有権はオスマン帝国に戻った。
・ヨーロッパ列強は宗教・民族・言語の多様性や亀裂を刺激し分断を図った。典型がクリミア戦争(1853〜1856)の発端となったエルサレム管理問題。エルサレムはオスマン帝国領内だが16世紀以降フランス王の管理下にあった。フランス革命の混乱に乗じてギリシア正教会は1808年に管理権をオスマン帝国に認めさせた。ナポレオン3世が返還を要求し奪還。ロシアが反発し、1853年オスマン帝国に宣戦。1854年イギリス、フランスがオスマン帝国を支援して参戦。ロシアが実質敗北した。
・1914年第1次大戦。オスマン帝国解体の動き加速
・イギリスの3枚舌外交
@フサイン・マクマホン書簡(1915〜1916)
マクマホン駐カイロ高等弁務官とメッカ太守フサインが交わした書簡。オスマン帝国への決起を条件に、アラビア半島部分を中心にアラブ人国家独立を認めることを約束
Aバルフォア宣言(1917)
バルフォア外務大臣がユダヤ系財閥マクマホンとの間に交わした書簡。エルサレムを中心とした地域にユダヤ教徒の「民族的郷土」を樹立することを支持。
Bサイクス・ピコ協定(1916)
イギリスの中東専門家サイクスとフランス外交官ピコが作成した原案にもとづき、イギリス、フランス、ロシア、イタリアが大戦後のオスマン帝国の分割を取り決め。
・ロシアはシリアにおける「侵略者」に名を連ねるはずだった。しかし、1917年ロシア革命。「無賠償、無併合、民族自決、秘密外交禁止」発表。イギリス、フランス、アメリカは拒否。ソ連はブレスト・リトフスク条約を結び大戦から離脱。ロシアが関わった秘密条約を暴露(サイクス・ピコ協定含む)。→結果的に、シリアにとってイギリスやフランスは「侵略国」だが、ロシアは「侵略未遂国」にとどまった。
・今日の人口構成:アラブ人90.2%、クルド人8.0%
宗教:イスラム教スンナ派75.2%、アラウィー派12.3%、キリスト正教2.6%、ギリシアカトリック1.3%
・1916年6月 メッカ太守フサインはオスマン帝国からの独立を宣言。イギリス軍とともに北進(フサイン・マクマホン書簡による)。10月シリア・アラブ王国の独立宣言
・1918年10月 フランスがサイクス・ピコ協定の履行を主張してダマスカス州・アレッポ州などに進行。イギリスはダマスカスから撤退し、クドス自治区・バグダード州などの支配確立に注力。第1次大戦後の戦勝国によるサン・レモ会議(1920)で英仏が両地を委任統治下に置くことを認められた。
・1920年8月 第1次大戦戦勝国とオスマン帝国はセーブル条約。分割合意。フランスは今日のシリアとレバノンを支配地に。シリアはサイクス・ピコ協定に沿った形で英仏によって分割。
・フランスの委任統治。分断によって支配を強化。治安軍によるマイノリティ重視(アラウィー派、クルド人を登用)。マイノリティが多く住む地域への自治権付与。マジョリティ分断を企図した国境・行政区画の改編(20年間で17回)。
・1943年 レバノン共和国独立
・1946年 シリア共和国独立
・イギリスの委任統治。1921年 イラク、パレスチナ、トランス・ヨルダンの3つの国に。1948年イスラエル建国宣言。エジプト、シリア、トランス・ヨルダン、レバノンとの2年弱の戦争(第1次中東戦争)
[第2章:1950年頃からロシアのウクライナ侵攻前まで]
・イスラエル建国により、シリア含むアラブ諸国は欧米接近を嫌うようになる。
・1955年 イギリス主導のバグダード条約機構(トルコ、イラク、パキスタン、イラン)結成。共産圏化防止が目的
・エジプト 1952年 王政打倒、共和制。ソ連からの武器輸入、バグダード条約機構に反対。1956年 スエズ運河国有化宣言。第2次中東戦争勝利。
・1958年〜1961年 エジプトとシリアが合邦し、アラブ連合共和国
・イラク 1958年 王政打倒、共和制。1959年 バグダード条約機構脱退。1972年ソ連と友好条約(バアス党政権)
・イエメン 1967年独立。1970年 社会主義体制
・シリアもソ連と密接な関係に。
1944年 フランス委任統治下のシリアとソ連が国交樹立
1946年 シリア軍創設に向けた軍事支援。秘密協定
1950年 不可侵条約
1956年 ソ連から武器供与
1970年 ハーフィス・アサド(前大統領)が全権掌握。社会主義化は是正されたが、ソ連との関係は深まる
1971年 地中海岸 タルトゥース市にソ連の補給基地(地中海地域でのソ連唯一の軍事拠点)
1975年 レバノン内戦。シリアが軍事介入し、ソ連の支援するPLOと対立。ソ連はシリアに撤退迫るがシリアは応じず。・・・両国の関係はソ連の圧倒的優位を前提にしていると思われがちだが、シリアは東欧のようなソ連の衛星国になることなく、ソ連も従属させたり内政に干渉したりしなかった。
1980年 関係修復。ソ連・シリア友好協力条約
1991年 湾岸戦争。シリアはアメリカ主導の多国籍軍の一員として部隊を派遣(同年ソ連崩壊)
1990年代前半、イスラエルと二国間交渉。頓挫→対イスラエル抵抗運動支援(レバノンのヒズブッラー、パレスチナ諸派)、イランとの戦略的関係強化
2005年 プーチン、ソ連時代の債務の73%を帳消し。シリアは再びロシアの支援を受けるようになる。
2008年 南オセチア紛争(ジョージア・ロシア間)でロシアを支持
・アラブの春とリビア
2011年2月 抗議デモ、カッザーフィー大佐が弾圧。フランスなどが反体制派のリビア国民評議会を正当な政府と承認。安保理決議1970号:「保護する責任」を迫り、国際刑事裁判所への付託、武器禁輸、資産凍結
3月17日 安保理決議1973号:リビア領空を飛行禁止空域に。
3月19日 フランス主導でアメリカ、イギリスなどNATO諸国がリビア空爆
8月 トリポリ制圧
10月 カッザーフィー大佐殺害
→リビアは内戦状態に。市民の力でなく、欧米の軍事介入の結果
・アラブの春とシリア
2011年3月 アラブの春が波及。抗議デモと弾圧の応酬が内戦に。外国も干渉
9月 反体制武力勢力(のちの自由シリア軍)が活動本格化。シリア政府は強固な支配体制。
・シリア内戦の国際的要因
2011年4月以降 アメリカが制裁を発動、5月以降にEU、アラブ連盟、トルコ、日本も。
「保護する責任」を根拠にシリア政府の正統性を一方的に否定
2011年12月 在外活動家からなるシリア国民評議会を正統な代表として承認
2012年 シリア国民評議会を母体とするシリア革命反体制勢力国民連合(シリア国民連合)の設立を後押しし、正統性を承認。
アル=カーイダの系譜を汲むイスラム過激派が世界中から参集し、自由シリア軍諸派に同化。2012年「シャームのヌスラ戦線」を結成。ヌスラ戦線は安保理決議1276号において国際テロ組織に指定された。
イスラム国がイラクとシリアで勢力拡大すると2014年8月にアメリカ有志連合がイラク爆撃。9月シリア爆撃。一方で、「穏健な反体制派」を支援し、イスラム過激派に武器や資金を提供した。
・西側諸国は軍事介入してシリア政府打倒し、人権侵害を食い止めるべきだったがしなかった。安保理決議案は9年で16回提出されたが、ロシアがすべて、中国も11回拒否権を発動した。ただし、リビアでは安保理決議なしで軍事介入していた。
・軍事介入に踏み込まない理由は、費用対効果(リビア、イラクは天然資源が豊富)が一つ。もうひとつはイスラエルの安全保障においてシリアが果たしてきた奇妙な役割がある。イスラエルは建国以来、シリアと戦争状態。シリアは1990年代以降、イランと関係強化しヒズブッラーを支援。一方でアメリカを最大の同盟国とするイスラエルとの全面対決を回避してきた(対決すると国家の命取りになる)。シリアはヒズブッラーやパレスチナ諸派への武器、兵站、資金などをコントロールし全体の暴走を抑止してきた。イスラエルにとってはシリア混乱が続き、政府弱体のままヒズブッラーと反体制勢力の双方がシリア国内の戦闘に引きつけられていることが安全保障を担保することになる。
・西側諸国の対シリア政策は自由・尊厳・民主主義の実現を後押しすると主張する一方で、体制転換をもたらすような軍事介入を避けようとするもの。また、「テロとの戦い」を推し進める姿勢をとりつつ、「穏健な反体制派」に同化していたイスラム過激派を実質的に支援した。
・化学兵器使用疑惑事件
2012年7月以降 シリアが化学兵器による攻撃の情報
2013年4月 オバマ大統領は攻撃がシリア軍によるものと主張。軍事介入の可能性を示唆。シリア政府は反体制派によるものと反論し実態調査を国連に要請
2013年8月 国連調査団派遣直後、サリンガス使用疑惑事件。シリア政府はロシアと協議の末、化学兵器の保有を認め、化学兵器禁止条約(CWC)に加盟し、化学兵器廃棄を受諾。→アメリカは軍事介入中止、政府存続認める。
CWCに加盟したシリアは有毒物質、施設の廃棄、破壊を進め、化学兵器禁止機関(OPCW)は2016年1月に全廃を宣言。
しかし、この過程でシリア政府による塩素ガス使用が問題視
2015年3月 安保理決議2209号 サリンガスなどの化学兵器に加えてシリアでの塩素ガス使用を禁止。国連とOPCWの合同査察機構(JIM)を設置し調査と責任追及実施を決定。2016年8月JIM報告書でシリア政府による塩素ガス使用を結論付け。
2017年3月ラターミナ町での化学兵器使用疑惑調査、シリア使用を結論付け。ロシア、シリアは報告書を非難。
2017年4月ハーン・シャイフ市化学兵器使用疑惑。10月JIMシリア軍犯行と結論。シリア、ロシアは拒否。JIM延長の安保理決議に対し拒否権。JIM延長できず解体。
2018年4月ドゥーマ市化学兵器使用疑惑。米英仏は貯蔵施設などをミサイル攻撃。2019年3月国連調査団はシリア使用と断定。
2019年5月報告書の改ざん・捏造報道
・西側諸国は、人権・テロとの戦い・化学兵器使用阻止といった正義を掲げてシリアに干渉。
・ロシア、イランは主権尊重・内政不干渉を掲げて対抗。シリアの要請を受けたとして経済支援、軍事支援。シリアを代理戦争の主戦場として蹂躙し、その主権や領土一体性などを阻害する点で西側諸国と同じ。
・2020年3月 ロシアとトルコによる停戦同意。膠着状態に。
[第3章:ロシアのウクライナ侵攻後]
・アゾフ連隊;マリウポリ拠点の民兵組織。アメリカ議会は2018年アゾフ連隊を白人至上主義組織とみなし、武器供与を禁止。しかしロシアのウクライナ侵攻後の2月28日解除。日本も公安調査庁がネオナチとみなし、ホームページ上の「”ウクライナの愛国者”を自称するネオナチ組織が”アゾフ大隊”なる部隊を結成した」という文言を削除。
・ニューヨークタイムズは、ウクライナ軍兵士が南部オデーサで複数のロシア軍捕虜を銃殺したと伝えたが、大きく報じられることはなかった。
・ウクライナ侵略に対する抵抗を美化することで、期せずして戦闘行為を正当化し煽ってしまっていた。
・2022年6月時点でシリア人難民は572万人。受け入れはトルコ38万人、レバノン84万人、ヨルダン67万人、イラク26万人、エジプト14万人。欧米はドイツ62万人、スウェーデン11万人、それ以外は低調。欧米が占める割合は14%。欧米は人権を掲げていたのに難民支援や受け入れに積極的だったとは言えず、イスラム教徒に対して寛容とは言い難かった。
・ウクライナからの出国でも、アジア人、アフリカ人が入国拒否される事例があった。
・ウクライナ侵攻が始まると中東への関心はこれまで以上に低下・シリア動静は2020年以降ほとんど報じられなくなっている。
・シリアで民間人の犠牲を伴う攻撃がシリア軍やロシア軍だけでなく、反体制派、イスラム国、さらには有志連合によっても行われていたという事実はかき消された。
・2021年末からシリアでは、アメリカ・ロシア・イラン・トルコ・イスラエルが激しく軍事的に威嚇し合っている。シリアでの諸外国による軍事的威嚇はほとんどが国際法に抵触する違法行為。だが、ウクライナとは対照的に欧米・日本が問題視することはなかった。
・シリアでも事態は一触即発に思えたが、ウクライナ侵攻が始まると諸外国は打って変わってシリアでの軍事行動を控えるようになった。
・イスラエルとトルコはロシアの攻撃を国際法違反と非難しつつも、ウクライナ支援とロシアへの制裁の同調を求める欧米諸国と一定の距離を置いた。
・シリア北部の占領支配を揺るぎないものにして「分離主義テロリスト」を遠ざけたいトルコ。シリアでの「イランの民兵」の増長を力づくで阻止したいイスラエル。
・ロシアは大方の予想に反して、シリアでの軍事行動の手を緩めることはなかった(イスラム国残党、反体制派に対して)。
・トルコは4月以降攻撃再開。イスラエルも4月以降攻撃再開。「イランの民兵」も活発化。シリア政府はアメリカを挑発。アメリカも最後に再開。アメリカが後手に終始した背景には、シリアでの国際法違反をロシアのウクライナ侵攻と同列に指弾される懸念があったからと想像しうる。
・アメリカの過去数十年にわたるシリアへの制裁(1979、2003、2005)。2011年以降の経済制裁(対象はシリア全土)。5月にシリア北部への外国投資を認めると発表。対シリア制裁の部分解除。
・「越境人道支援」:反体制派の解放区に対して、支配下の国境通過所を経由して(シリア政府の許可なく)支援を行う事。ロシア、シリアはアルカイダ系組織を主体とする反体制派への支援の隠れ蓑と非難。
[第4章:弱者による代理戦争]
・ウクライナ侵攻後、シリアはロシアを支持。反体制派はウクライナとの連帯を表明。北・東シリア自治局は明確な意思表明無し。
・2022年2月27日 ゼレンスキー大統領は「国際義勇軍」呼びかけ。3月7日ウクライナ外務省は52か国から2万人参集と発表。「国際義勇軍」と言えば聞こえはいいが、「外国人戦闘員」あるいは「傭兵」の参戦呼びかけ。ジョージア国民軍団(ジョージア元兵士がウクライナ支援で結成した民兵組織)
・4月4日 ウクライナ兵士がロシア軍捕虜殺害の画像公開(3月30日撮影)。ウクライナメディアはジョージア国民軍団が行ったと伝えた。
・シャーム解放機構(ヌスラ戦線の後身)も派兵の動き。
・トルコはシリア人傭兵派遣の実績があった。リビアへ1万8千人。傭兵がリビアで求めたのはカネ。2020年9月アルメニア・アゼルバイジャンの紛争でもアゼルバイジャンにシリア人傭兵派遣。
・トルコ関与によるウクライナへの反体制武装勢力戦闘員(シリア人)派遣。アルカイダ系組織の戦闘員を含む。
・ロシアも傭兵派遣に動いた。当初はシリア人ではなくシリアで傭兵として勤務していたロシア人。
・ワグネル・グループ:ロシアに関係する民間軍事会社。
・ISISハンター:2017年ロシア軍とワグネルグループのもとに結成された民兵組織。
・シリア政府支配地でもウクライナへの傭兵派遣に向けた動き。
[おわりに]
・内戦と呼ばれる紛争が、国内の争いとして完結したことはなく、常に諸外国の介入を招き、代理戦争の様相を呈してきた。シリア内戦も内戦と代理戦争が不可分。反体制派の支援要請に応じる形で欧米諸国は人権を掲げてシリアに執拗に介入。西側諸国の攻撃で衰弱したシリア政府も諸外国に支援を求め、ロシアやイランは主権尊重、内政不干渉の原則のもとにシリアに侵食していった。
・ウクライナにおいても、発端には内戦という呼称がふさわしい対立が厳然と存在していた。2014年のクリミア危機とドンバス地方での紛争の背景には、同地のロシア系住民が感じていた疎外感、アゾフ連隊に代表されるウクライナの政府や軍、民族主義者の高圧的な言動が存在した。国内の不和を助長したこうした要因が、ロシアや欧米諸国に格好の干渉の口実を与えた。
・戦争と平和の権利を握っているのは、ウクライナに全面戦争を仕掛けたロシアと、ウクライナへの軍事支援継続の是非の決定権を握る欧米諸国だ。
・「ウクライナは第2のシリア」という表現は、両国で繰り広げられている無差別殺戮や情報戦の近似性ではなく、諸外国に翻弄される小国としての近似性を示していることが見極められるべき。
・ウクライナの混乱--実はこれこそが欧米諸国とロシアにとって、もっとも現実的な妥協可能なコンセンサスであり、それはシリアの今と共通する事実なのである。
・良い戦争などない。当事者が自らの正義をもって戦争を正当化することで、良い戦争、正義の戦いという「真実」が作り出されるに過ぎない。
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(27) ◎ ウクライナ戦争と世界のゆくえ (川島真 他6名:東京大学出版会) 2022.9.9
2022年8月刊行 (2022.8.15 楽天ブックス)
7名の専門家がウクライナ戦争を論じている。分担が明確に分けられており、読み終えた後に調べやすい。ウクライナ戦争を中央アジアや中東の国々がどのように捉えているかなど他ではあまり見ない論考もある。とても参考になる。
(メモ)
[戦争と相互依存(鈴木一人)]:経済制裁
・冷戦終焉後、中国、ロシアがWTOに加盟し、自由貿易体制に組み込まれた。
・自由貿易体制の下で経済は一体化し、相互依存が高まったことで経済制裁の効果が高まる条件が整った。(冷戦時は東西間での経済依存性が小さく、経済制裁の効果が少なかった)
・一方で痛みは制裁対象国だけでなく、制裁実施国にも跳ね返ってくる。
・これまで、北朝鮮やイランといった相対的に小規模な経済を対象にした制裁が多かったため表面化しなかった問題がロシアでは現れてきた。
・制裁は相手の政治的意図をくじくほどの経済的負荷が必要
・2015年にイラン核合意が成立したのは、2013年の大統領選挙で経済制裁の解除を公約とした穏健派のロウハニが選出されたことが大きい。
・制裁の目的が明示されていないため、どういう状況になれば制裁を解除すべきかが定かではない。
・ロシア制裁の抜け穴は中国、インドではなく、欧州の足並みの乱れにある。
[古くて新しいロシア・ウクライナ戦争(小泉悠)]:戦争の性質
・今回のロシア・ウクライナ戦争は、国家間の暴力闘争という古い戦争としての性格が強い。
*19世紀クラウゼヴィッツ「戦争論」:戦争を「他を以てする政治の延長」と定義。
戦争とは、政治的目的の達成を目標とし、国家が暴力を用いて行う闘争。それゆえ、古典的な軍事力の指標(兵力、火力)が大きくものを言う。
・ロシアの総兵力90万人(25万は徴兵)。地上兵力36万人。投入は15万人。BTG(大隊戦術グループ、800〜1000人)により運用。全部で168BTGのうち、125を投入
・ウクライナ軍19万6600人。他に内務省所管の重武装部隊6万人。総動員令により大規模な予備役召集。
・数的にはウクライナがロシアに対して優位に立っている可能性が高い。しかし、ロシアが総動員すれば変わってくる。
[欧州は目覚めたか(鶴岡路人)]:欧州
@ショルツ政権(ドイツ)
・2/22 ノルド・ストリーム2(天然ガスパイプライン)の承認プロセス停止表明
・2/27 ウクライナへ対戦車砲などの供与、国防支出大幅増発表(対GDP比2%、2021年は1.49%)
・伝統的にソ連・ロシアとの関係を重視してきた社会民主党(SPD)+緑の党の連立政権
・ドイツの姿勢が180度変わったわけではなく、迷走気味
・3/17 ゼレンスキー大統領がドイツ批判:ウクライナからはドイツがロシアに宥和的態度を取り続けてきた国に見えている。
・ドイツの安全保障政策が変化しているのは事実だが、英国と同じ立ち位置になることを意味しない。
Aフィンランドとスウェーデン
・両国は1995年EU加盟
・5/18 NATOに加盟を申請
・申請への過程(1)2000年代以降にNATOとの協力関係を深めてきた。(2)2021年12月ロシアによるNATOと米国に対する条約提案で「同盟選択権」が損なわれそうになった。(3)ウクライナ侵攻
・ウクライナ侵攻前に、NATO加盟の条件は揃っていた。
Bエネルギーの「脱ロシア化」
・2022年3月 バイデン政権はロシアからの石炭・石油・天然ガスの禁輸を決定。
・EUは同調見送り、2030年までの依存脱却を目指すとした。石炭禁輸。EU委員会は石油禁輸を提案。
・日本では中東への過度な依存を軽減するためにロシアからのエネルギー供給が重視され、それはエネルギー安全保障に資するとの考え方が根強い。しかし、欧州においては、ウクライナ侵攻を行うような国にエネルギーを依存すること自体が安全保障上のリスクであるとの見方が急速に広がった。
・ドイツの2021年比対露依存度:石炭50%→8%、石油35%→12%、天然ガス55%→35%
・ロシアからのエネルギー禁輸は短期的な緊急避難ではなくなりつつある。
・冷戦終結過程において、ドイツをいかに安定的な秩序に取り込むかという「ドイツ問題」は統一ドイツのNATO帰属で解決された。欧州大陸のもう一つの大国であるロシアをどう扱うかという「ロシア問題」は未解決のままに残された。
・ロシアを孤立させるだけでは欧州の平和と安定が実現しないことの感覚が根底に流れている。
[ウクライナと「ポスト・プライマシー」時代のアメリカによる現状防衛(森聡)]:アメリカ
アメリカはロシアのウクライナ侵攻に対して、これまでどのように対応し、これから何をどこまでやる用意があるのか。
@クリミア併合後のオバマ政権
・ロシアをアメリカの利益に多大な損害を及ぼしうる危険な存在と見ていたが、「強い軍隊を有した地域国家」とみなし、圧倒的な強国として扱うべきでないと考えていた。3つのアプローチ(1)ロシア制裁、(2)同盟国への安心供与、(3)ウクライナ支援
・オバマは、ウクライナへの殺傷兵器の提供に反対。理由は、提供しても軍事バランスを大きく変えられないこと、ポロシェンコ大統領との信頼関係不十分で制御できない相手に提供すると予期せぬ自体が生じかねないこと。
・オバマの判断:問題となっている地域のすぐ隣で何らかの軍事行動を取れば、ロシアや中国の意思決定に影響を及ぼせるなどという考えは、過去50年間に見られた様々な事実に反する。
・NATO諸国の防衛に関するコミットメントは強固
Aトランプ政権
・3つの取り組みは事本的に続行。ウクライナへの殺傷兵器売却は承認。同盟国安心供与は弱まる
B侵攻前のバイデン政権
・同盟国との関係強化
・中国を唯一の競争相手と位置づけ
・ロシアとの関係安定化を模索、ウクライナとの関係強化という両面的なアプローチ
・2021年10月ロシアへの見方が大きく変わった。プーチンが2022年の早い時期にウクライナ侵攻の可能性が高いと判断
・情報暴露による牽制。
・派兵や直接介入の選択肢除外を表明(後に、プーチンの侵攻への敷居を下げたと批判された)。表明の理由:アフガニスタン撤退強硬との考え方の矛盾、国内で介入批判の意見が多かった。
C侵攻後のバイデン政権
・ウクライナ支援。ただし、プーチンのエスカレートを懸念
・ロシア制裁は国民が支持
・政権交代はアメリカの公的な政策目標ではない。プーチン退陣を求めることは外交の機会をすべて放棄することになる。
・ウクライナが出口を決め、そこに至る支援をするという立場。ロシアとの戦争になるエスカレーションを回避したい。
[制限なきパートナーシップ?(川島真)]:中国
・中国国内の言論をみると、この戦争を語る言葉に多様性があり、強い言論統制はかけられていない。→政策選択の余地を残している。
・2022年は中国の人事の特別な年。失点を防ぎ慎重になる。
・中露関係は決して同盟関係ではない。独立自主の外交方針は、中国自身が同盟国を持たないという大原則を示している。
・「2049年に中華民族の偉大なる復興の夢を実現する」という長期目標。中国の対外政策は米中対立を大前提としつつ、2049年の目標に向けて中国の望む国際秩序を形成していくことを念頭においている。それは、国連を重視し、国連憲章を実現するものとしての新型国際関係、そしてその新型国際関係を体現するものをして、一帯一路を推進するというもの。
・先進国対新興国、先進国対開発途上国という大きな構図を中国は描いており、新興国、開発途上国の代表と自らを位置づける。
・中国は欧州諸国との関係は維持強化しようとする。中国としては「多極化」を求め、アメリカへの一極集中を相対化しようとするので、EUなどはむしろ協力相手となる。
・中露は極めて強い関係を持つが、一枚岩ではない。3/2と3/24の国会決議は反対ではなく棄権。ロシア寄りながらも、次第に中立へと向かおうとしているようにも見える。
・中国は、日本や韓国、一部のASEAN加盟国を除いて、アジア諸国がウクライナ戦争をめぐって必ずしもアメリカや先進国と一致した行動を取っていないことを見て取っている。
[ウクライナ侵攻は中央アジアとロシアの関係をどう変えるか(宇山智彦)]:中央アジア
・中央アジア5か国(カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン)は3月の国連総会ロシア非難決議で棄権または欠席。4月人権理事会理事国の資格停止は4か国反対、1か国欠席。ロシアとの関係は緊密であると同時に複雑
・ロシアに協力的な国々が加盟している機構である「ユーラシア経済同盟(EAEU)にはカザフスタン、キルギス加盟。「安全保障条約機構(CSTO)には、2か国+タジキスタンが加盟
・未加盟のウズベキスタンがロシアとの関係が悪いわけではない。
・中央アジアはロシアと緊密で良好な関係にある地域だが、言いなりになっているわけではない。
・2008年 ロシアによるアブハジア、南オセチア独立承認には追随せず。
・2014年 クリミア併合 正式承認せず。
・ロシアによる報復はあまりない。
・ロシアにとってウクライナほど執着のある地域ではなく、欧州統合の引力も働いていない。決定的にロシアから離れていくことはないという安心感がある。
・2022年1月のカザフスタン動乱でトカエフ大統領の要請に応じる形でCSTOの平和維持部隊が初めて派遣された。しかし、6日後には撤退開始
・ロシアとの関係の重要性と、ロシアの大国主義の脅威の間でどうバランスを取るか。各国の権威主義的な政権はロシアほど激しく欧米中心の世界秩序と対決しているわけではない。
・ウクライナでロシア軍が弱さを露呈したことは、ロシアを中核とする安全保障体制に不安を招く。
・アメリカは中央アジア諸国へのさまざまな軍事援助を続けている。(ドローンなど)
[ロシア・ウクライナ戦争をめぐる中東諸国の外交(池内恵)]:中東
・親米とされてきたサウジ、UAE、イスラエル、トルコが米陣営に全面的に与することを避けている。
・安保理でのUAE:対露非難 2/25、27共に棄権。ロシア主導の決議も棄権し、中立姿勢
・3/23、27の対露非難の国連決議は4か国とも賛成
・4/7のロシア国連人権理事会での理事国資格停止には、UAE、サウジ棄権
・拘束力の少ない決議には賛成するが、拘束力を課す決議になると、中東諸国は距離を置く傾向。
@トルコ
・1952年NATO加盟。先立って1950年朝鮮戦争に米陣営に加わって派兵
・長年EU加盟を要求。近い将来実現する可能性は低い。
・米国主導の対露制裁には反対。西側の結束に内側から水を差す動きも。
・米露両方から重要視され、両者の間で中立姿勢を保ちながらシリア内戦への軍事介入を強めるなど、通常であれば米露の反対により実行しえないとみられる政策を実施しつつある。
Aイスラエル
・米国の最有力・最重要の同盟国の一つとみなされている。しかし、米国の対露制裁に加わらず、中立の立場を維持しようとしてきた。人道支援に限定している。
・建国当時から東欧・ソ連からのユダヤ人の移民を国家の根幹としてきた。
・不満は2015年オバマ政権のイラン核合意
Bサウジ、UAE
・対露制裁への支援について冷淡、非協力的
・「OPECプラス」の協議枠組みによるロシアとの協調関係は維持され重視される傾向がみられる
・4か国に共通するのは、米国との良好な関係を維持しつつ、反ロシア的な政策も避ける「親米中立」路線。米国への不同意の姿勢を示し、米国への譲歩を求める。自国の有利な形での関与。ロシアに対する実効的な懲罰的措置導入には消極的。
・トルコ、サウジ政権は、バイデン政権の民主化支援や人権外交を重視する姿勢により政権や体制そのものが問題視されたことに不満。
・ロシア・ウクライナ戦争により高まったトルコ・サウジの重要性をてこに、バイデン政権の政策転換を迫り受け入れさせてきた。
・サウジ、UAEは産油国として米国と競合。2018年米国は世界一の石油生産国に。2016年OPECとロシア・メキシコなどが結成した「OPECプラス」はサウジ、ロシアの2位3位連合による主導権奪還を目指した協調の枠組み。
・トルコとロシアは、シリア、リビアでは対立する勢力を支援する競合相手。トルコはいずれでもロシアとの一定の協調地点を見出してきた。
・イスラエルにとっては、ロシアがシリアに基地を保持し駐留していることによって、イランのシリア・レバノンへの勢力浸透を抑制する効果をもたらす。
・中東諸国は価値やアイデンティティにおいて米側陣営と根本的に一致しておらず、かといって全面的にロシア陣営に与することも望んでいない。
・今後の国際情勢の展開次第では、「親米中立」陣営の米国からのさらなる自立化や離反もある。さらに中国の対応次第では「非西洋」あるいは「新興国」陣営の成立と、そこへの中東諸国の参加・協力もありうる。
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(26) □ ぼくらの戦争なんだぜ (高橋源一郎:朝日新書) 2022.8.31
2022年8月刊行 (2022.8.17 京都駅ふたば書房)
大きい言葉と小さい言葉、遠い言葉と近い言葉、日常と非常時、について書いている。僕は非常時でも日常を保ち、小さく近い言葉を発することができるだろうか。
(メモ)
[戦争の教科書]
・カール・ヤスパース 「このことが実際に起こり得たということは、なおかつ、それはいつでも起こり得るということである。」
・「フランスの歴史【近現代史】フランス高校歴史教科書」
日本で言えば高校2,3年の2年間で学ぶ教科書。特徴は世界史と自国史の区別がないこと。
・1940年ナチスドイツに屈服したフランスは北半分を占領され、南半分にヴィシーを首都とするヴィシー政権が成立。ヴィシー政権はナチスに協力した。ヴィシーの記憶はフランス人を苦しめ続けた。
・「悪」が過去の一点に留まっている限りは、(教科書の)「声」は冷厳であることができる。けれども「悪」がいまも生まれつつあるとしたら? ぼくたちはどうすればいいのだろうか。
[大きなことば、小さなことば]
・(戦争中)本当は「流された」のではなく、自ら進んで流れていったんじゃないだろうか。いまは何にも流されていない。そういえるだろうか。
・「あのときはどうかしていた」人は、きっと別の時にも「どうかしていた」と思うようになる人だ。その可能性が高い。いや、他人事じゃない。ぼくたちはみんな、「あのときはどうかしていた」というおそれがあるのだ。
・(取り上げた戦争詩について)とりあえず、なにか、そこにあることばそのものに頼っている。つまり、ことばばかりを見ている。だから、その人の書いたことばを読んでも、そのことばを発しているはずのその人自身は、そこにいない。そんな詩が多かった。
[ほんとうの戦争の話をしよう]
・他人を殺すことが「正しさ」であるような世界で、その世界を肯定するためにことばが使われた。
・大岡昇平「野火」の後半の「私」が「遠い」ところにいる。
・「私」はほんとうのところ苦しんではいないように見える。痛覚があるから苦しむのだ。「野火」の「私」は「外」へ出てゆこうとしている。ことばの世界の「外」にである。
[ぼくらの戦争なんだぜ]
・向田邦子「ごはん」
・とてつもなく大きな経験というものには、参加者がものすごくたくさんいる。そして、大きな経験であればあるほど、どこか似てくるのである。ではどうすればいいのか。
大きな経験を個人的な経験につなげればいいのだ。。というか個人的な経験の方向から大きな経験を見てみるのだ。
・「平時」の感覚は誰でも持っている。それが「平時」なら当たり前だ。けれども、いったん「非常時」になったとき、「平時」の感覚はどうなるのか。
・抵抗できたのは、みんな、それぞれの「平時」を、それぞれの「日常」を大切に思える人だけだった。
・いちばん大切なのは、ぼくたちの「日常」そのものを豊かにしてゆくことなのかもしれない。
[「戦争小説家」太宰治]
・ゴーゴリはロシアではなく、ウクライナの作家
・明治42年(1909年)生まれの太宰治が書いていた時期はずっと戦争だった。
・短編「十二月八日」
・「散華」(1943)
この文章には欠けていることばが、あえて使われていないことばが一つある。いうまでもなく「散華」である。「私」はわざわざ繰り返し、桜が散る、薔薇が散る、と書いた。「華」が「散る」のだ。「散華」なのだ。でも、「散華」ということばは使わない。というのも、「散華」ということばは、国家によってその意味を奪われてしまっているからだ。
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(25) 〇 国際人権入門 (申惠?:岩波新書) 2022.8.23
2020年刊行 (2022.7.29 イオンモール桂川 大垣書店)
国際人権の基本を序章で説明した後、日本の人権問題について世界人権基準をもとに考えている。日本の問題として取り上げているのは、入管、人種差別・ヘイトスピーチ、女性差別、学ぶ権利。コンパクトな量にうまくまとめられていて参考になる。
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(24) □ ほったらかし投資術 全面改訂第3版 (山崎元、水瀬ケンイチ:朝日新書) 2022.8.22
2022年3月刊行 (2022.7.29 イオンモール桂川 大垣書店)
本としてどうかは別にして主張はすこぶるシンプルでわかりやすい。投資先は、全世界の株式に投資する手数料の安いインデックスファンド、その一つは、eMAXIS Slim全世界株式。基本にある考え方は、どうせプロでも予想はできないし、実際にこれまでできてこなかった。それなら分散投資という意味で全世界株に投資し、長期間保有するのが良いということ。シンプルに投資してほったらかしにすることで運用を考えることに時間を使うのではなく、もっと他に時間を使おうと書いている。シンプルな割には説得力がある。
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(23) 〇 中学生から知りたい ウクライナのこと (小山哲・藤原辰史:ミシマ社) 2022.8.20
2022年6月刊行 (2022.7.8 恵文社一乗寺店)
京都の書店を調べているときに、ミシマ社という小さな出版社があることを知った。そのミシマ社が本書を出すことも少し知った。恵文社一乗寺店に行った時に本書を見かけたので購入した。著者は二人とも歴史学者で、小山氏はポーランド史が専門、藤原氏が食と農の歴史が専門。ともにウクライナを専門にしているわけではないが、ウクライナの歴史の話はたいへん勉強になった。他の記事には冷戦終結後や2014年クリミア併合からの歴史はよく載っているが、それ以前の歴史はあまり載っていなかった。モンゴルやオスマン帝国の侵入があったり、ロシアとポーランド間での分割や、ポーランド自体の分割に伴う分割など、かなり複雑な歴史だ。
(メモ)
・歴史が繰り返してきた重要な問題のひとつは、例えば日本のような戦場から離れた国に住む人びとの、当事者意識の減退と、関心の低下、そして倦怠ではないか。つまり、「胸の痛み」が持続しないことではないか。
[ウクライナ危機を前にして(2022.2.24)]
・日本の政治家も全国紙も分析が欧米中心的で独自性が弱い。
・ウクライナとそこで暮らす人びとの生活と歴史へのまなざしが弱い。
・1938年ヒトラーがチェコスロバキアのズデーデン地方を要求し、ドイツ軍を国境付近に集結。イギリス、フランス、イタリアは戦争回避と引き換えにズデーデンをナチスに差し出した。小国をいけにえにささげる大国意識がヒトラーをつけ上がらせた面もあった。
[ロシア侵攻後]
・ロシアの軍事行動は国際法違反。
・ロシアとロシア人を同一視してはいけない。
・歴史は一度学んだら終わりではない。
・NATOと欧米諸国の30年(冷戦終結後)を考えるべき。ソ連崩壊後、ロシアが仮想敵ではなくなったはずなのに、NATOは存在意義の再定義をロシアが理解できるような形で提示できなかった。
・1999年クリントン大統領はドイツのシュレーダー首相らとともにセルビア系住民に対するNATOの空爆を国連の許可なく実行した。「人道のための軍事介入」「平和維持活動」という冷戦終結後のNATOの論理が今ロシアによって用いられている。
・イラク戦争でアメリカ軍の空爆によりイラクの非武装住民が死んだ。イラク戦争のとき「アメリカ軍の蛮行を認めぬ」と日本の首相は言ったか。・・・こうした歴史をふまえることでようやく私たちは心の底から非難し始めることができる。
・観たくない現実を観る力。ロシアの軍事行動に気を取られているうちに世界各地の不正義への注意は散漫になる。
・暴力を包囲できる思想。
[地域としてのウクライナの歴史]
・キエフ=ルーシ(9〜13世紀)という国。ヴォロディーミル大公がキエフ周辺を統合。コンスタンティノープルのキリスト教の洗礼を受ける(後の東方正教会)
・キエフ=ルーシはだんだん分裂し、小さな地域に分かれていく。キリスト教会は11世紀半ばにローマのカトリックとコンスタンティノープルの東方正教会に分かれた。
・13世紀にモンゴル軍の侵入を受ける。モンゴル軍はポーランドまで達し、一部がこの地に残り、キプチャク・ハン国をつくる(イスラム教受け入れ)
もともとこの地にはユダヤ教徒も住んでいたので、東方正教会、イスラム、ユダヤの3つの宗教が共存した。
・ウクライナ西部(リヴィウ付近)にハーリチ・ヴォルイ国ができる。北にはキエフ=ルーシの名残り、南はキプチャク・ハン国)。西のポーランド王国、北のリトアニア大公国の影響を受ける。ポーランド王国はローマカトリック、リトアニアは13-14世紀にバルト海沿岸から黒海北方まで広がった大国で、リトアニアの土着の宗教。ウクライナの大部分がリトアニア大公国に含まれることになった。
・14世紀末にポーランド王国とリトアニア大公国が結びつく(リトアニア大公がポーランド国王を兼ねる。大公はローマ・カトリックの洗礼を受け、1386年にリトアニアはカトリックに改宗。しかし、ウクライナと呼ばれる地域の住民は東方正教会信徒。クリミア半島とその北にはモンゴルをルーツにしたタタール人(イスラム教)、キエフ=ルーシ時代からのユダヤ教徒もいた。
・16世紀後半、黒海北岸に2つの社会集団。ひとつはクリミアのタタール人でクリミア・ハン国を作ってオスマン帝国の支配下に入った。もうひとつは広大なステップ地帯で勢力を伸ばしてきたウクライナ・コサックと呼ばれる人たち。コサックの力が強くなると、ポーランド・リトアニアはコサック登録制度(一定数に税免除などの特権を与え、戦争時には軍事的に活躍してもらう仕組み)を作った。
・16世紀後半から17世紀前半、ポーランド貴族がウクライナ領域に進出して植民。タタールはポーランド入植者を襲って略奪。ポーランド王権はタタール、オスマン帝国と対抗するためコサックを利用。1620年ポーランドはオスマン帝国に敗北するが、翌年コサックの力を借りてオスマン帝国に勝利。
・一方でポーランドとコサックの間に摩擦も生じた。ひとつはポーランド貴族が領主、コサックが下に従属という社会構造、もう一つは宗教的な違い(カトリックと東方正教会)。1648年コサックと農民の大反乱。コサック中心のヘトマン国家ができた。
・ロシアはキエフ公国衰退後、モスクワを中心にしたモスクワ大公国になった。モスクワ大公国の宗教はコンスタンティノープルから独立し、ロシア正教会となった。君主は「ツァーリ」(皇帝)と名乗った。
・1654年 ペレヤスラフ協定。モスクワ大公とウクライナ・コサックが協定を結び、カトリックのポーランドと対抗。コサックが自治を保ちながらモスクワ大公に臣従。取り決めは十数年だけ維持された・・・プーチンの歴史観の根拠(ウクライナがロシアの下についた)
・1667年 アンドレソヴォ協定(ロシアとポーランド間)。ウクライナはヘトマン国家とポーランド王国領に分割。ドニプロ川の東側とキーウがヘトマン国家の領地、川の西側はポーランドの領地。
・南からオスマン帝国が攻めあがってくる。ウクライナ南部はポーランドとオスマン帝国で奪い合い。1699年カルロヴィッツ条約でポーランド領に戻る。
・18世紀前半 大北方戦争。スウェーデンによるバルト海の覇権をめぐる戦争。スウェーデンはモスクワを攻略できず、南進しウクライナに向かう。ヘトマン国家はスウェーデンと同盟しロシア支配からの自立をめざす。1709年ポルタヴァの戦いでロシアに敗北しロシアへの帰属強まる。1782年ヘトマン国家消滅。ロシアの直轄領に。
・18世紀後半、ヘトマン国家以外に2つの国家が姿を消した。ひとつはクリミア・ハン。ロシアに併合(1783)。もう一つはポーランド・リトアニア。これはポーランド分割と呼ばれる。ポーランド・リトアニア内にウクライナの一部が含まれていたのでウクライナも分割。ウクライナ西はオーストリア・ハプスブルク帝国に、ウクライナ東はロシア帝国に併合
19世紀のウクライナはこの状態のまま(オーストリアとロシア)
・19世紀にウクライナ民族主義がかたちを持つようになった。1804年ハルキウにウクライナ最初の近代的大学。
・19世紀後半、ロシアはウクライナ語弾圧。1876年エムス法。ウクライナ語による教育出版活動が完全にできなくなる。・・・1917ロシア革命まで続く。
[1917年ロシア革命〜第2次世界大戦の歴史]
(東ウクライナ)
・ウクライナのボリシェヴィキ政権はレーニンの暴力革命を批判し対立。1917年11月ウクライナ人民共和国樹立。ロシアのボリシェヴィキ政権と戦争
・1918年2月 ウクライナ人民共和国はドイツ等同盟国(オーストリア=ハンガリー、オスマン、ブルガリア)と講和(これもブレスト・リトフスク条約という)。
・1918年3月 ボリシェヴィキは同盟国、ウクライナとブレスト・リトフスク条約。戦争から離脱し、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、ウクライナを放棄。ウクライナはドイツの支配下に入る
・1918年11月 ドイツ敗戦により、ウクライナを手放す。ウクライナは再びボリシェヴィキと戦争
・1922年 ウクライナはソ連邦に取り込まれた。
(西ウクライナ)
・第一次世界大戦後、ポーランド独立。ソヴィエトと戦争(1920〜21)。結果、西ウクライナはポーランド領になった。民族主義的な独立運動が起こる。ポーランド人が地主としてウクライナの農民を支配する社会構造。宗教、言語も異なり対立。
・1939年に第2次世界大戦が始まると、ポーランドはまた消滅。ウクライナ民族主義運動はポーランドを倒したときにドイツに期待。ウクライナ統一のためにはソ連と戦う必要があり、ドイツの勢力拡大が必要と考えた。ウクライナ民族主義組織(OUN)は一時期ナチスドイツと提携。OUNはドイツと協力してソ連と戦い、ウクライナの独立を宣言。しかしドイツが認めず。→一時期ウクライナ民族運動はドイツと提携したが、それは今のウクライナ政権と直接結びついているわけではない。
・19世紀末から20世紀初頭、貧窮化するウクライナ農民の不満が西ウクライナのユダヤ人に向けられ、略奪や虐殺が繰り返し起こった。ポーランドやウクライナのそれぞれの民族主義的な運動の中にも反ユダヤ主義的な主張のグループが存在した。
・第2次世界大戦中、ポーランドとウクライナ人の間にも相互に虐殺し合う悲惨な状況があった。
・ポーランド領西ウクライナ北部のヴォルイニを中心に1942年ウクライナ蜂起軍(UPA)結成。1943年2月〜8月UPAが多数のポーランド系住民虐殺。ポーランド側にも国内軍(AK)があり、ウクライナ系住民に報復。・・・ドイツの支配下におかれた従属的な民族同士の敵対関係によるもので勝者になりえない不幸な戦いだった。
・1947年 ポーランド東南部のウクライナ系住民は、強制的にソ連領内か、ポーランド西部に分散移住させられた。
[対談]
・2021年11月 ベラルーシとポーランドの国境に中東からの難民が集められた。難民はポーランド国境を越えようとするがポーランド警備隊が追い返した。今回はウクライナの人を受け入れている。この違いは何を意味するのだろうか。
・(アメリカのウクライナ史家セルヒー・ブロヒーの説)大きな帝国が衰退したり解体したりするときには、しばしば大規模な紛争や戦争が起こっている。かつてのハプスブルク帝国やドイツ帝国は第一次世界大戦で敗北した結果、解体した。ロシア帝国も第一次世界大戦中に起こったロシア革命によって倒れた。革命によって成立したソ連も見方によってはロシア帝国の領域を継承する世界帝国だった。そのソ連が解体した30年前(1991年)に起こってもおかしくなかった戦争が凍結状態で先延ばしされ、今起こっている。
・今のロシアの軍事介入は18世紀のポーランド分割の前後にエカチェリーナ2世時代のロシアがポーランドの内政へ介入したときの論理と似ている。ポーランド・リトアニア領内のロシア正教徒を保護する必要があるとして介入し、その延長でポーランド分割をやる。プロイセンのフリードリヒ2世もポーランド領内のプロテスタントを保護する必要があると言って介入した。→ある国の内部に自分の国と同じ言語や宗教の人がいることを口実にしてその国の内政に介入したり軍隊を送ったりする。こういうやり方は18世紀くらいまでさかのぼることができる。・・占領は「保護」から始まる。
・中立であることを早期に宣言するという道を私たちはあまりにも最初から諦めている。この思考停止こそ、実は危険なのではないかと思っている。
・1969年ヨハン・ガルトウング 「構造的暴力:社会の仕組みの中で構造化されている不平等
・2017年平均月額賃金:ウクライナ190ユーロ、ロシア474ユーロ、ベラルーソ320ユーロ。
・ウクライナを含む中東欧諸国は欧米の性奴隷マーケットの供給源になっているとの指摘がある。生活レベルの貧しい地域では結婚詐欺や仕事紹介という手口で女性らを監禁のうえ強姦し、欧米や日本の性風俗店に売り飛ばすビジネスが現在も闊歩している。臓器売買や性奴隷、農業奴隷など全世界に今も2840万人の身体の自由を奪われた奴隷が存在する。
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(22) 〇 死刑について (平野啓一郎:岩波書店) 2022.8.11
2022年6月刊行 (2022.8.10 京都駅ふたば書房)
私たちが選んだ社会がどういうものなのか、共感に基づく人権教育はどうなのか、死刑とゆるしを分けて考えることなど、あまり考えてこなかったことが短い文章中にちりばめられている。
(メモ)
(1)死刑は必要だという心情
・親を早くに亡くした人は、とても不合理なことですが、その親と同じぐらいの年齢で自分も死ぬのではないかという不安を持つようです。(平野氏の父は36歳で亡くなっている)
・(母は)夫を亡くしたことは大きな悲しみではあるけれど、誰も恨むこともない死だったことは、不幸中の幸いだったと語った(父は突然心臓が止まって亡くなった)
・(死刑廃止派の友人と大学時代に議論した時)彼女の主張について僕が抱いた違和感は、彼女が人の死を一人称的や二人称的には受け止めていないのではないかということでした。
・人権、人権と抽象的なことを言う前に、一人の人間としての感情はどうなのか。
(2)「なぜ人を殺してはいけないのか」の問いに向き合って
・(死刑存置派だった頃)死刑制度に再生している人たち、なかでも積極的に強く賛成している人たちとは、死刑に関する考え以外の点では意見が合わないと感じるようにもなりました。しかも、死刑賛成という意見は、彼らの他の思想とやはり矛盾なく合致しているのです。悪いことをやったら自分で償うべきという、一種の「自己責任論」的な世界観であり、その中に死刑制度に対する支持が矛盾なく収まっている。
・(「人はなぜ人を殺してはいけないのか」という問いに対して)メディアを通して様々な人の意見が出されました。しかし、不思議なほどに「法律で禁じられているから、憲法で禁じられているから」と答える人はいなかったと記憶します。ここに私たち日本人の法律、特に憲法に対する認識のありようが表れているのではないかと感じます。憲法が基本的人権の尊重を定めている、という事実に対する日本人の理解は、非常に不確かです。
・人類は、人を殺せる社会というものを選択することも歴史的にはありえたでしょうが、私たちは、人を殺し得ない社会制度を選択してきたわけです。
・近代文学に殺人事件の被害者や被害者家族を主人公とした傑作が意外となかなか思い浮かびません。
(3)死刑制度に反対するようになった理由
@警察の捜査の実態。冤罪
A社会の側の怠慢
・どんな生育環境に置かれていたのか、共同体や社会はその子に何をしてやれたのか。放置しておいて重大な犯罪が起きたら死刑にして存在自体を消してしまい、何もなかったように収めてしまうのは、国や政治の怠慢であり、そして私たちの社会そのものの怠慢ではないでしょうか。
・一人の人間の犯罪行為の動機を追求していけば、ことごとく社会的な問題や家庭環境の問題などに責任が分散されていき、最後にどの程度、本人の責任が残るのだろうと考えます。
・環境だけに左右されるわけでもない。劣悪な環境の中で育ってきたけれど、犯罪に手を染めずがんばって生きてきたという人ももちろんたくさんいるでしょう。しかし、そういう人たちはやはり人生のどこかで真っ当な方向に進むきっかけなり、人との出会いがあったのではないかとも思います。
B「人を殺してはいけない」ということは絶対的な禁止であるべき
・私たちは人を殺さない社会であり、人を殺さない、命を尊重する共同体の一員であるということを絶対的な規律として守るべきではないか。
C政治日程との兼ね合いで命が奪われる
・死刑執行のタイミングを人が話し合って決める、というのは決してやってよいことではない。何か特別のことがあれば人を殺しても仕方がない、そのための計画をみんなで話し合ってもよい、という発想自体に根源的な誤りがある。
D犯罪抑止効果がない
・多くの研究が死刑制度には終身刑などの刑罰に比して犯罪抑止の特別な効果がないことを示している。
(4)死刑廃止への道筋
・フランスは1981年に死刑を廃止している。世論調査では死刑存置を支持していた。世論の高まりから死刑制度の廃止に踏み切った国はほとんどなく基本的には政治判断。
・死刑廃止が実現すると、死刑を望む声は死刑制度があった時よりも弱くなっていく。
・死刑制度のある国では、最高刑が死刑とされていることも関係しているのではないか。自分の家族などが酷い殺され方をし、それなのに犯人が最高刑としての死刑ではなく、それより一段低い無期懲役などになった場合、遺族が憤りや反発を覚えるというのは理解できる。
・死刑を求めないことと、犯人をゆるすということは一度切り離して考えるべき。被害者が死刑を求めないからと言って、犯人をゆるしたと考えるのは短絡的。逆に犯人をゆるせないなら死刑を求めて当然と考えるのも同様。いずれの場合も被害者の側に勝手な思い込みを押しつけている。被害者に「ゆるし」までただちに期待するのは過剰だ。
・被害者のケアが日本ではまだ不十分と感じる。死刑廃止運動が必ずしも成功していない要因の一つは被害者の方たちへの理解、そしてケアという視点が弱かったからではないかと考えている。
・死刑に反対していると言うと、存置派の人たちからは必ず「あなたは被害者の気持ちを考えたことがありますか」と言われます。しかし、そういう時、人ははたして本当に被害者の複雑な状況、心情、考えを十分に想像しているでしょうか。そしてその想像の限界についてどこまで謙虚になっているでしょうか。
・憎しみだけ共感して、被害者が抱えているそれ以外のもっと複雑で繊細な思いを無視していないでしょうか。
(5)なぜ死刑が支持されるか。
・人権教育の失敗。
(小中学校の指導は)「相手の気持ちになって考えましょう」式の感情教育に偏していて、個人として有する当然の権利としての人権について、歴史的、概念的に説明する、ということはほとんどありませんでした。
人権をこのように感情面だけで捉えてしまうことは危険です。なぜなら、共感できない相手に対しては、差別も暴力も、何の歯止めもなくなってしまうからです。
授業では、とても共感できない人の人権をこそ尊重するケース・スタディが必要ではないでしょうか。
・メディアが強める勧善懲悪への共感
・死をもって罪を償うという文化
・格差社会、自己責任論
(6)死刑廃止に向けて
・国際的視野。和解やゆるしの実践
・基本的人権。感情的な次元の問題ではなく、人間は誰からも生存の権利を奪われてはならないという大前提について、もっと社会的な認識が深まる必要がある。
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(21) 〇 人権と国家 (筒井清輝:岩波新書) 2022.8.11
2022年2月刊行 (2022.7.29 イオンモール桂川 大垣書店)
国際人権について歴史的な歩みをたどりながら丁寧に説明している。第2次世界大戦後の世界人権宣言、9つの国際人権条約のすべてを網羅しているわけではないが、基本的な考え方を知るうえでとても勉強になる本だ。
(メモ)
[普遍的人権のルーツ (18世紀から20世紀半ばまで)]
・弱者救済や平等、自由、尊厳などの人権とも通底する人道主義的な価値観は古くから見られた。現在の人権理念は、これらの人道主義的な観念を越えたものである。そしてこの理念を国際社会で最初に規定したのは、1948年の世界人権宣言である。
・それまでと違う点は、一つは普遍的人権は誰もが人間であるだけで持っている権利であるという点。2つ目は人権侵害を止めるために外から干渉する必要があるという点(内政問題として無視してはいけない)。
(1)拷問反対運動
神によって与えられた身体を冒す尊厳が強調された。キリスト教徒だけでなく、異教徒、異人種でも拷問に処することが憚られるようになっていった。
ある集団に新しく人権を付与するに値するとみなすことになれば、次には違う集団も同様に扱わねばならなくなる。こうして、異教徒、異人種、異性と拡大して全ての人間集団が含まれるようになったのが、世界人権宣言。
(2)奴隷貿易撤廃運動
最初に奴隷貿易反対の法律を制定したのはデンマーク(1792年)、続いてフランス、アメリカでも制定されたが、廃止されたり実行されなかったりした。反対運動を国際的に主導したのはイギリス(1807年廃止法制定)。このような運動は国際的な取り決めを結ばないと一国だけが是正しても解決せず、是正国が経済的に損をすることになる。このため、イギリスは1814年ウイーン会議以降、ヨーロッパ列強と条約を結び、1862年にはアメリカも加盟し、事実上、大西洋間の奴隷貿易は終了した。
(3)女性の権利
1840年世界反奴隷制会議で女性参加者は男性と同じように席につくことが許されなかった。こうしたことにあちこちで触れる中で女性運動家は団結を強め、女性の権利獲得運動の契機になり、19世紀半ば以降、運動を参政権に絞って女性の権利拡大を進めていった。アメリカの女性参政権1920年、スイスは1971年。社会的規範の変化には相当の時間を要した。
(4)労働運動
産業革命以降、労働者が自己の権利を守る運動は、18世紀のイギリスを皮切りに多くの近代国家で見られ、労働時間の制限、賃金の上昇、労働環境の改善、児童労働の撤廃などに貢献した。1919年国際労働機関(ILO)。
(5)赤十字運動
戦争での犠牲を減らす運動。1859年赤十字社設立。1864年赤十字の提案を受けてジュネーブ条約(傷病兵の扱い方を定めた)締結。
(6)19世紀は、帝国内での独立運動、近代国家内でのマイノリティ差別など、国内問題と考えられていた問題でも、国際社会からの批判が起きるという状況が生まれてきた。
・・・欧米の共感の広がりは宗派の異なるキリスト教徒、異なる階層、女性、一部の異なる人種にまで届き始めていたが、植民地の住民は除外されていた。また奴隷貿易の非人道性に反対の声は強かったが、奴隷として捕らえられた人々に欧米人と同じ権利を付与するというのは別の話だった。
(7)世界大戦と普遍的人権の理念
国際連盟の常任理事国5か国のうち、3か国が侵攻行為に及んだ(1931年日本の満州侵攻、1935年イタリアのエチオピア侵攻、1939年ドイツのポーランド侵攻)
アメリカではドイツ、イタリアを人権と自由を侵害する残忍な敵国とし、対極にある正義と民主主義を訴えた。連合国が人権と自由を守る価値観を大義として戦ったことが、戦後秩序の構築に大きな影響を及ぼした。
・1945年4月サンフランシスコ会議。50か国の代表が参加、40余りのNGOも参加。最終日6月26日に国連憲章採択。
・国連憲章前文「基本的人権と、人間の尊厳及び価値と、男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて認識し」
・第1条第2項「人民の同権及び自決の原則」
・第1条第3項「人種、性、言語又は宗教による差別なく、すべての者のために人権及び基本的人権を尊重するように助長奨励する」
・人権保護と平和が直接結びつけられた。世界のどこかで人権を無視するナチスドイツのような国が現れれば必ず対外的拡張を図り戦争を始めて世界の平和を乱す。それゆえ、人権を守るような国際秩序を作ることが急務とされた。
・1946年 国連人権委員会
・1948年 世界人権宣言。最も画期的なのは人権の普遍性がはっきり記されていること。48か国賛成、反対ゼロ、棄権8(ソ連、東欧、サウジ、南アフリカ)
→次の段階は、実効性のある条約に向かう必要があったが、国家主権と内政不干渉が立ちはだかった。
[1940年代から1980年代まで]
・世界人権宣言が採択され、人権の普遍的原理は理念として確立された。しかし、1940年代後半の時点では普遍的人権の理想は歴史の1ページとして忘れ去られてしまう可能性もあった。
(1)人権宣言後の停滞
アメリカ政府が内政にまで踏み込んでくる可能性のある条約に反対の立場を取った。アメリカ市民社会でも、社会主義的な医療提供のあり方に繋がることや、国際人権法が国内法に対して優勢な地位を占めること、普遍的な人権があるという見方に反対等の意見があった。ソ連も人権理念自体がブルジョア的価値観であるとして反対し、世界人権宣言採択でも棄権していた。
(2)一方、当時独立したアフリカの国々では世界人権宣言を国の憲法や法制度に取り入れた。
(3)ジェノサイド条約(1948)
世界人権宣言採択の前日1948年12月9日採択。1951年発効。世界で最初の法的拘束力を持つ国際人権条約となった。締約国に行動義務を課している。第1条締約国がジェノサイドを「防止し処罰することに尽力することを確認する。第8条「ジェノサイド・・の防止と停止のために・・適切な行動を起こす」よう国連機関に要求できるとしている。→国家主権の壁を越えて内政干渉を肯定していると理解できる。
(4)人種差別撤廃条約(1965)
最初の監視機関を持つ国際人権条約。アジア・アフリカ新興国家の多くは国際人権規約よりも人種差別関連の条約や機構を重視したので、先に人種差別撤廃条約が採択された。ただ、アジア・アフリカ諸国は人種平等や民族自決が人権議論の中心であった時には先頭に立って国際人権を支持したが、自国内の人権侵害批判には反発し、欧米同様に国家主権を盾に内政干渉には抵抗しようとした。
(5)国際人権規約(1966年採択 1976年発効)
・ソ連と東欧諸国が推す「経済的、社会的及び文化的権利に関する規約(A規約)」は労働条件に関する権利、労働組合・運動に参加する権利などを規定(171か国批准)。
第1選択議定書(26か国批准):締約国の人権問題を個人が直接、規約人権委員会に通報できる
・アメリカ中心の西側諸国が推す「市民的及び政治的権利に関する規約(B規約)」は拷問や強制労働の禁止、思想・宗教・表現・集会・結社の自由など国家による抑圧から個人を守る条項(173か国批准)
第1選択議定書(116か国批准):締約国の人権問題を個人が直接、規約人権委員会に通報できる
第2選択議定書(89か国批准):死刑廃止を目的にしたもの
(6)その他の国際人権条約
・女性差別撤廃条約(1979年採択、1981年発効)
・拷問等禁止条約(1984年採択、1987年発効)
・子どもの権利条約(1989年採択、1990年発効)
・移住労働者権利条約(1990年採択、2003年発効)
・障害者権利条約(2006年採択、2008年発効)
・強制失踪防止条約(2006年採択、2010年発効)
・これら9つの条約が他の人権関連条約と決定的に違うのは締約国の人権侵害を公の場で指摘し批判することができる監視機関が存在すること。
(7)国連人権委員会(後に理事会)などの機関
多くの場合、関連の宣言→国際年の設定→国際10年→条約というコースをたどる。例えば女性の権利に関しては、女性差別撤廃宣言(1967)→国際女性年(1975)→国連女性の10年(1976〜1985)→女性差別撤廃条約(1979)
国連人権委員会には人権保護促進小委員会があり、新しい提案を行う。アイデアの一つが個人通報制度(1503手続きと呼ばれる)。
国連機関の活動が啓発や調査、審査、批判にとどまり、経済制裁や軍事介入は難しい(安保理決議が必要になる)。
(8)歴史の振り返り
・1950年代から60年代は国際人権の進歩が停滞した。
→米ソのどちらかの勢力圏にある国々は人権条約を批准して侵害勧告があっても米ソどちらかが拒否権を発動して具体的な行動を防ぐので条約批准が国内に影響するとは考えなかった。その結果、条約批准のハードルが下がり、条約批准国が増加した。
→冷戦後の人権活動の大きな推進力になった。
・1970年代 国際人権が大きな飛躍
国際人権NGOの発展
1975年ヘルシンキ合意:ベルリン危機、キューバ危機、ベトナム戦争を経て米ソ対話による緊張緩和の機運が高まっていた。ソ連・東欧を含むヨーロッパ33か国とアメリカ・カナダが参加。最終合意では、東側が人権と自由を守るための国内の取り組みを進め、西側は東側の領土や安全保障に関わる権益を保証する、という取り決めがされた。
カーター大統領の人権外交
・1980年代停滞
1979年ソ連のアフガニスタン侵攻、1980年西側のモスクワ五輪ボイコット、レーガン政権
[1990年代以降]
1990年代以降、国際人権は期待されたような成果を出してきたのか? 統計データは人権条約批准後に人権の実践が必ずしも向上していないことを示してきた。ただし、統計データは情報収集能力が高まった近年の方がより多くの人権侵害が報告されやすくなっているため悪くなっているように見える面がある。
(1)ジェノサイドなど大規模な人権侵害に対して
@1989年4月 天安門事件
西側が非難声明を発表、経済援助や武器輸出停止の制裁を実施。中国はこの時点国際人権規約に未署名だった。国連人権委員会が非難決議案を提出したが否決。改革解放経済政策が動き出し、市場の将来性への期待から西側の制裁も長続きしなかった。現在まで続く中国の人権軽視の姿勢のルーツの一つは天安門事件のその後の国際社会の対応にあったと言える。
Aユーゴスラビア紛争
ミロシェビッチ大統領率いるセルビアがボスニアに侵攻。国連はPKOを派遣するが抑えられず、セルビア軍はボスニア人を虐殺。1995年7月スレブニッツァの虐殺など。現場の国連平和維持軍がセルビア軍の侵攻を防ぐための空爆を要請したが国連は認めなかった。
Bコソボ紛争とNATO軍事介入
1995年12月デイトン合意でセルビア等の紛争当事者間の合意が結ばれた。しかし、この合意にコソボに関する解決策が欠けていた。セルビアの一部だったコソボのアルバニア人とセルビア人の間に緊張関係があり、コソボで独立の機運が高まっていた。1998年コソボ解放軍とセルビア軍とが軍事的紛争に発展、和平交渉も決裂し、セルビア軍による民族浄化や虐殺が発生した。これに対抗して1993年3月からNATOが空爆を開始した。大規模な犠牲を防いだと評価された。
2008年コソボは独立を宣言。セルビアとの交渉は決裂。日米などはコソボ独立を承認したが国連には未加盟。
→NATOの空爆はジェノサイドを阻止する介入と評価されたが、安保理決議はなかった。この前例はロシア、中国が今後同様な理由で近隣への軍事行動を正当化使用としたときに国際社会がどう対応するかに問題を残した。
Cルワンダ
1994年 80万人ものツチ人の犠牲者を出したのに国際社会は無関心で黙って見ていたに等しかった。
D東ティモール
東ティモールはポルトガルの植民地だった。1974年にポルトガルの保守独立体制が崩れるとポルトガル軍は東ティモールから撤退し、1975年東ティモール独立宣言が出される。しかし、インドネシアが東ティモール侵攻し併合してしまう。1998年インドネシアのスハルト政権が崩壊すると、国連指導の下、東ティモールで帰属に対する住民投票実施。インドネシアに残る選択肢が圧倒的多数で否決されるとインドネシア政府が東ティモールに国軍を派遣し独立派の虐殺と略奪行為に加担。国連は素早く多国籍軍派遣要請決議を出し、事態を安定化。その後国連平和維持軍に権限が移譲され、2002年に東ティモール独立
→大規模な暴力行為を防ぐことができ、比較的スムースに新国家の樹立が達成できた。
E9・11テロ
2001年9月11日同時多発テロ。アメリカはアフガニスタンを攻撃、続いてイラクにも侵攻。アメリカが対テロ戦争を国是として打ち出し、第2のテロを防ぐために人権を無視した手段を尽くしたことで国際人権のさらなる発展への期待は大きく裏切られることになった。(キューバにあるグアンタナモ収容所、イラクの捕虜収容所であるアブグレイブ刑務所での人権侵害)
F2002年7月 国際刑事裁判所(ICC)発足
大規模な人権侵害の加害者個人を罰する。案件はジェノサイド、人道に関する罪、戦争犯罪、侵略の罪。
1998年にローマ規定が採択され、2002年発効。現在123か国が批准しているがアメリカは未だ批准していない。
Gスーダン ダルフールでの殺戮
2004年以降、アラブ系民兵による非アラブ系住民に対する大規模な殺戮が行われた(21世紀に入って最初のジェノサイドと言われた)。30万人、40万人ともいわれる犠牲者を出したが有効な対策は取られなかった。
H2011年リビア
カダフィ大佐が反政府勢力に対して壊滅の直前まで至った時に、NATOによる空爆によって大規模殺戮を防止した。この時の空爆は安保理決議の承認を得た(ロシアと中国は棄権)。ただし、ロシアは空爆が限定的という理解でいたが、継続的に反政府勢力を支持する形で行われたことに大きな不満を持ち、それ以降、シリアなどで徹底的に反対している。
I「保護する責任」という概念
2005年に「保護する責任」という概念が国連で採択された。ジェノサイドや人道に対する罪から人々を守る責任は、第一に当該国家にある。その国家が責任を果たさない場合は、国際社会がその責任の履行の手助けをする責任がある。再度にそれでも改善しない場合は、国際社会が介入してでも人々を守る責任を負う。この3つの原則が確認された。
・大きな人権侵害に対しては多くの場合、有効な行動が安保理の決議を通してしか行えず、そこで拒否権の壁にぶつかるため、実際には国際政治の現実が人権理念の実現を困難にしている。
(2)小規模な人権侵害の改善
国際人権システムがより効力を発揮するのは、日常に根ざした長期間にわたって制度化された人権侵害を時間がかかっても改善していくこと。
・アパルトヘイトや南米での強制失踪に対しては早い時期から改善を成し遂げてきた。
・バングラデシュでの児童労働禁止
・サウジアラビアで女性参政権
・モルジブで独裁政権を選挙で破ったナシード大統領がクーデターで亡命を余儀なくされたが帰国して政治家として復権
・先住民族の土地や文化に対する権利
・男女の同一労働に対する賃金の平等
@人権条約の監査委員会による数年おきに繰り返される報告書審査
・2006年国連人権理事会に格上げされた時に、普遍的・定期的レビューが制度化され、全ての国連加盟国が4年ごとに包括的な人権状況の審査を行うことが義務付けられた。(人権条約の批准に関係なく)
例えば子どもの権利条約を批准していないアメリカに対しても子どもの権利に関する審査ができる。
・普遍的人権の理念が国際社会で正当性を持つ規範であることが重要。人権理念の広がりはあらゆる国で虐げられた人々に現状変更のために立ち上がる力を与えてくれる。
Aただし、国連人権の理念をその地域の状況を理解せずに早急に実現させようとするのは必ずしも良い結果を生まないこともある。
例1:フィーメル・ジェニタル・ミューティレーション(FGM):成人の通過儀礼として女性器の一部を切除する慣習
例2:バングラデシュでの児童労働撤廃運動:運動により児童労働者の解雇が始まったが、児童労働者が学校に通いだした様子はなく、むしろ危険な産業に移ることを余儀なくされ逆効果だった。その後、児童労働に関する国際的努力は子どもが危険な労働に従事することを禁止する方向に移った。
B経済的権利・企業の問題
1990年代初め ナイキのインドネシア向上劣悪な労働条件が報道される。アパレル業界連合(1996)、厚生労働協会(1999)が労働問題を防ぐ枠組みを作り、ナイキも協力して自社製品のサプライチェーンでの人権侵害を減らす努力を続けている。
→大手企業が人権関連のモニタリング、啓発活動、予防措置を実施することで、他の企業にも広がり、企業の人権に対する責任という考え方が国際社会の常識として定着した。
[日本の成果の例]
・アイヌ民族の先住民権獲得への歩み
・在日コリアンによる指紋押捺拒否運動
国際人権理念の影響が強くなったことで、これまでマジョリティとして優位な立場にいた人々が自分たちの立場を失う事に対する恐怖心を駆り立てられ、移民やマイノリティに対する排外主義的な政策への支持が強まっている。
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(20) □ 彼岸の図書館 (青木真兵・海青子:夕書房) 2022.7.29
2019年10月刊行 (2022.7.8 恵文社一乗寺店)
東吉野に私設図書館が数年前にできたということを少し前に知った。恵文社一乗寺店でたまたま本書を見つけると横に同じ著者で別の本がいくつか並べられていた。見るとごく最近に出版されている本もある。図書館はまだ続いているんだ。東吉野の私設図書館っていったいどういうものなのだろう。それを知りたくて購入した。
本書を読んでも私設図書館についてはよくわからなかった。やはり行ってみないといけない。ただ。本書に書かれている文化の拠点を田舎に作るという意気込みは非常に興味深く感じ、僕も似たことができないかという気になった。ハードルはかなり高いけれど。
(メモ)
・本来はすごく保守的で排他的な村落共同体でも、集落そのものの消滅の危機に直面して、地縁のない人でも移住歓迎をいう流れが出てきている。(p33 内田樹)
・他者のことは自分の想像力をもってしか想像することしかできないので、決して「わかり合うことはできない」という謙虚な気持ちが土台にあるわけです。(p196 光嶋裕介)
・「自分が少数派である」という自覚を持てば、他者のマイノリティ性も「いいんだよそれで」と寛大に受け入れられる許容力が備わってくると思うんです。(p205 光嶋裕介)
・ぼくの考える「本当の社会」は、生命力が単位です・生命力とは、ミルの言う「自分のうちにある最高で最良の部分」のこと。だから、人それぞれ違う。(p215 青木真兵)
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(19) 〇 ベルリン1919 赤い水兵 (クラウス・コルドン:岩波少年文庫) 2022.7.29
原作1984年刊行 文庫2020年2月 (2022.5.21 近鉄百貨店橿原店ジュンク堂)
第一次大戦の後半、社会主義革命はロシアだけでなく、ドイツでも起こる可能性があった。敗色濃厚のドイツでは連合国やアメリカとの交渉の厳しさが緩和されることを期待して皇帝退位を求める声が強くなっていた。水兵の反乱をきっかけに各地で蜂起が起こり、皇帝が退位し革命が起こる。しかし、社会主義革命を望む勢力は、皇帝退位以上の革命を阻もうとする勢力に対して有効な手を打てず、逆に武力弾圧されてしまう。
この間の様子を少年ヘスを中心とする人物を描くことで表現している。ヘスの家族、近くに住む父の友人のオズヴィン、水兵のハイナーとアルノ、友達のエデ、フリッツなどが生き生きと描かれている。しかし、何人もの登場人物が命を失っていく。民衆の力を感じた人々が数日から数週間の間に急速に力を失い追い込まれていく。そんな無力感とそれでも抱こうとする希望とが入り混じった終盤になっている。
本作品はベルリン3部作の1作目。2作目が「ベルリン1933」、3作目が「ベルリン1945」。すべて読むことになりそうだ。
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(18) □ 新地政学 (長谷川敦:朝日新聞出版) 2022.7.29
2021年8月刊行 (2022.6.11 奈良ファミリー ジュンク堂)
「地政学でわかるわたしたちの世界」に続いて、妻とペースを合わせて毎日数ページずつを読み進めた。浅く広くという感じだけれど、知らないことも結構ある。読みやすい文章で説明してくれているので今回の読み方に適していた。
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(17) 〇 ラップ口座入門 (野村證券ゴールベース研究会編:日本経済新聞出版) 2022.7.14
2022年3月刊行 (2022.6.21 アマゾン)
証券会社のサービスにファンドラップという投資一任サービスがあり、本書はそのラップサービスの解説書。
僕の投資としては、以前在籍した会社の持ち株会で購入して今は10分の1の価値しか無くなったものと、小泉内閣が発足した時に必ず上がると自分で信じて購入したトピックスインデックスオープンという投資信託くらいなのですが、持ち株会の損失が大きくトータルは大きなマイナスです。全く投資に関心は無かったのですが、持っている株を管理している証券会社から初めて連絡があって証券会社の方と話をする機会があり、そこで知ったのがファンドラップというサービスです。
証券会社の現在の押しがラップのようです。預かり額に比例した固定額がリスクなく証券会社に入り、リスクは客側になるのでちょっと納得行かない点はあります。ただ本書を読んで証券会社のパンフレットも読むと今まで知らなかった投資というものが少しわかり、興味深く感じました。
例えば、ノーベル財団の資金運用が紹介されています。ノーベル財団は賞の独立性のため外部からの資金提供を受けていません。ノーベルの遺産を運営して継続しているのです。1901年資産は230億円(2020年末の貨幣価値で)、2020年末は650億円です。運営費は年間十数億円ですので、運営費÷資産=2%程度です。
資金運用の目的は@毎年の費用を賄うことと、A継続できるように資産価値を守る(インフレで減らない)こと。目標とするリターンはインフレ調整後で少なくとも3%です。
2020年の運用先をグラフから読み取ると
・国内株(スウェーデン) 10%
・外国株 38%
・国内債券(スウェーデン) 10%
・外国債券 9%
・不動産 5%
・ヘッジファンド 28%
となっています。
長期的な視点でこのような運用を続けることでノーベル財団が続いているようです。
ラップサービスでも上記のようにいくつかの投資対象を組み合わせることによってリスクを減らすことが提案されています。
ファンドラップの考え方として気になったのは、顧客のゴールに合わせた投資を提案するという点。人生の目的を証券会社が提示するいくつかのパターンから選択することになりそうな気がして、ゴールという呼び名はあまり愉快ではありません。
本書は野村證券投資顧問事業部が社内向け研修の内容をベースに書き下ろしたと書かれています。あくまで証券会社から見た解説であることに注意だけしておけば、投資の勉強の手始めに役立つ解説書だと思います。
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(16) △ じゅうぶん豊かで、貧しい社会 (スキデルスキー:ちくま学芸文庫) 2022.7.1
2014年刊行 文庫本2022年3月 (2022.3.27 近鉄百貨店橿原店ジュンク堂)
生産性が上がっているのに労働時間が大幅に短くならないのはなぜだろう。これはずっと感じていた疑問だ。1986年に会社に入った時は週休1日だった。すぐに週休二日になり、どの時点だったか忘れたが8時間労働が7.75時間労働に変わった。ここまでは時短が進んだ。けれど以降変わりそうになかった。
本書はそのような疑問を扱った本だ。大きな期待を持って読んだ。序論、第1章は良かった。けれど、だんだん面白くなくなってきて、そんなことだけ?という終わり方だった。
期待が大きかった分だけ途中からの失望感はとても大きかった。
(メモ)
[問題提起と考えの方向性]
・かつては金持ちに特有の異常な性癖だった貪欲が、いまや日常的に見られる当たり前の傾向になっている。
・まず疑念を提起したいのは、現在の経済政策が国内総生産(GDP)の拡大にとりつかれていること。富裕国の場合、GDPはよい暮らしをめざす政策の副産物程度に扱うべきだというのが私たちの考え。
・経済学者ケインズが1930年に「孫の世代の経済的可能性」で描き出したことは、技術が進歩するにつれ単位時間当たりの生産量は増えるので、人々がニーズを満たすために働かなければならない時間はしだいに減り、究極的にはほとんど働かなくて良くなるということ。そうした状況が2030年までに実現するとケインズは考えていた。
[ケインズの予想が外れた理由]
・一人当たりの所得は1930年から70年間で4倍。ケインズの予想は4〜8倍(ただし近い値になっているのは偶然)。労働時間は4分の1を予想したが、実際は2割減くらい。生産性の伸びから推定された労働時間短縮になっていない。
・人々が物質的に必要とするものの量は有限。それはいつか満たされるとケインズは考えた。必要と欲望は異なる。しかし、必要は心地よく暮らすために客観的に必要であることを意味し、量的に限りがある。一方、欲望は純粋に精神的なもので、量質ともに際限がない。
・労働時間が減らない3つの説明
@働くのが楽しい。
労働は苦役でなく、自己を確立し、価値を高め、人間関係をはぐくむ場とし、それ自体としてよろこびや満足感を与えてくれるものとみる。
→労働でのよろこび、満足感は増えているか? はっきりはしていない。先進国では働く時間を減らしたいと思う人が増えている。
A働かざるを得ない。
最富裕層1%が国民所得に占める比率は1980年以降増えている(特にアメリカ、イギリス) アメリカ、イギリスでは賃金水準の低い職業、特に小売業、旅館・旅行・運輸業、介護などに従事する人々の多くが貧困に転落するのを防ぐために労働時間を増やさざるをえない。
Bもっともっと働いて欲望を満たしたい。
所得が多い人ほど時間の値段は高くなる。夜劇場へ行くコストはチケット代ではなく働かないコストになる。富裕層にとって余暇は高くつく時間になる。裕福になるほど労働時間が減ると信じる理由はない。
・ステータスを強化するための消費
@バンドワゴン効果による消費
みんな持っているから欲しくなるタイプの消費
Aスノッブ効果による消費
みんなが持っていないから欲しくなるタイプの消費。人に差をつけたい。
Bヴェヴレン効果
値段が高いことが広く知られているから欲しくなるタイプの消費
[よい暮らしを形成する7つの要素]
@健康
A安定
B尊敬
C人格または自己の確立
D自然との調和
E友情
F余暇
[基本的価値を実現するための社会政策]
・ベーシック・インカム
・消費に駆り立てる圧力を減らす
広告を減らす
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(15) 〇 地政学でわかるわたしたちの世界 (ティム・マーシャル:評論社) 2022.6.6
2020年1月発行 (2022.5.19 honto)
本書は絵本です。
たくさんの情報があるわけではありません。
けれど、地政学とはこういう風に世界を見るのか、ということが少しわかります。
地政学を学ぶ最初の本としておすすめです。
(ただし絵本なので\3190と値段は高めです。)
(メモ)
・ロシアは世界最大の国
14の国と接している(陸で接する国だけ)。
ノルウェー、フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド(飛び地カリーニングラードと接する)、ベラルーシ、ウクライナ、ジョージア(グルジア)、アゼルバイジャン、カザフスタン、中国、モンゴル、北朝鮮。
・中国はこれまで大きな海軍力を持ったことがない。
広大な国土を持ち、貿易相手国への海上路が短くてすむため、海上で力を持つ必要がなかった。
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(14) 〇 悪霊 (ドストエフスキー 江川卓訳:新潮文庫) 2022.6.1
1871年〜1872年 (1983年頃 たぶん京都大学生協)
大学の時に読み、そのあとたぶんもう一度読み直したはずだ。
とても二度くらいでは読み取れないたくさんの要素が含まれているのがドストエフスキーの作品の魅力であり、だからこそ、誰もが自由に、かつ作者の意図すら考慮せずに読んで良いように感じている。
登場人物は誰もが単純ではなく、僕自身と同一性を有している。
昔社会主義運動に関わったことで取り締まり対象になることを気にしつつ、当時の重要人物として扱われないことも恐れているステパン先生。革命組織に一時期関わったが、今は脱会しているシャートフ。自殺によって神がいないことを証明するという思想を有するキリーロフ。
その他、ピョートル、ワルワーラ婦人、リザヴェータ、ドゥーニャ、マリヤ、レビャートキン、マヴリーキー、リプーチン、シガリョフ、ヴィルギンスキー、リャムシン、レンプケ、ユリヤ婦人。そして主人公とされるスタヴローギン。
黙っている場面が多くてもいったん話し出せば誰もが多くを語る。その語りはやたらと長いけれど、どこかに魅力なところを含んでいて見過ごせない。
本作品はロシアと無関係に読むこともできるし、革命50年前くらいのロシアの不安定社会という特殊な限定された状態の小説として読むこともできるだろう。これまではロシアと無関係に読んでいたような気がする。今回はロシアのウクライナ侵攻やロシア革命を若干ではあるが背景に感じながら読んだように思う。そこには変動期に翻弄される様々な人々が描かれていた。今、変動期に移行しつつあるような状況下で、僕に居心地の悪さというだけではないものを感じさせる時がある。そこには、「悪霊」の中で語られた言葉と共通するものがあるような気はするのだが、それを具体的に記すまでには至っていない。
(メモ)
・(第3部第1章)
「およそ屑のような連中がふいに幅をきかせはじめ、以前には口を開くこともようしなかった者たちが、あらゆる神聖なものを声高に 批判しはじめたのにひきかえ、それまで平穏無事に自分たちの地位を守っていた第一流の人たちが、急に彼らの言うことに耳を 傾け、自分たちは沈黙してしまったのである。中には恥知らずにも追従笑いをする者さえあった。」
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(13) △ネオナチの少女 (ハイディ・ベネケンシュタイン:筑摩書房) 2022.5.21
2019年2月刊行 (2022.4.15 京都 誠光社)
時々京都に泊っている。その際に特徴のある本屋さんに寄ってみようと思っている。
4月は、四条烏丸の大垣書店と河原町丸太町の誠光社に行った。大垣書店では前日発売の「ウクライナ侵略戦争」を購入。誠光社では、知らない本を発見したいという観点で、店舗の本を全部眺め、本書を購入した。
1992年にネオナチの家庭に生まれたハイディがネオナチの環境下で育ち、その後、世界と決別するまでを本人が描いている。
ネオナチであれ、特定の宗教や他の団体であれ、何か極端な考え方を持っている組織のもとで育ち、そこから抜け出す際には同じなのではないか。特にネオナチに限った話ではないのではないか。そんな気がする。
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(12) 〇 ジョン・ロールズ (齋藤純一、田中将人:中公新書) 2022.5.11
2021年12月刊行 (2022.2.23 アマゾン)
ロールズについて読んだ本のなかでは最も良かった。もう一度目を通して頭を整理しておきたいのだけど10月以降になりそう。
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(11) 〇 ウクライナ侵略戦争 (世界臨時増刊:岩波書店) 2022.5.5
2022年4月14日発行 (2022.4.15 京都四条烏丸 大垣書店)
ロシアのウクライナ侵攻をどう捉えたら良いのか、どういう視点で見ることができるのか。当然ながらすっきりと見通せることなどありえない。その前提に立ったうえで、ある程度まとまった文章をある程度の数読んでおきたいと考えて、本書が出版された翌日に書店に行って購入した。
ロシア革命後の経緯を教えてくれる文章、西欧側からだけの見方に注意を呼びかける文章、歴史の必然性を重視しすぎると独裁者を正当化すると警告する文章など、どれも頭のどこかに残しておきたい。
2つだけ紹介する
師岡カリーマ・エルサムニーは、正しい側にいることに疑いを持たないことによる思考停止に警告を発している。
「爆弾で焼け出されたウクライナの人々が、マイクを向けられ”ロシア人は人間じゃない”と叫ぶのは、自然なことかもしれない。でもマスメディアがそれをそのまま伝えるのは適切か。イスラエル兵に子どもを射殺されたパレスチナ人が、仮に絶望のどん底で”ユダヤ人は人間じゃない”と言ったら、そのままニュース原稿に書くだろうか?」
ロシアの政治・社会学者であるエカテリーナ・シュリマンはオンラインで権力が一点に集中している状態がきわめて危険と述べた後、戦争が起きた理由について次のように重要な指摘をしている。
「”なぜ戦争が起きたのか”の答えは、もはや止めるべきときに権力者を止めることができない社会構造になっていたということです。」
(メモ)
[それでも向き合うために(師岡カリーマ・エルサムニー)]
・アルジャジーラのアラブ人記者たちは、歴史に類を見ない凄惨な世界大戦は、二つとも、他でもないヨーロッパから始まったことを、明らかに意識している。
・これほど簡単に正しい側につける紛争はめずらしい。それをいいことに、メディアも政治も私たち市民も、考えることを放棄していないか。
・爆弾で焼け出されたウクライナの人々が、マイクを向けられ「ロシア人は人間じゃない」と叫ぶのは、自然なことかもしれない。でもマスメディアがそれをそのまま伝えるのは適切か。イスラエル兵に子どもを射殺されたパレスチナ人が、仮に絶望のどん底で「ユダヤ人は人間じゃない」と言ったら、そのままニュース原稿に書くだろうか?
[この戦争はどこから来て、どこへ行くのか(座談会)]
・ロシア大国主義の中身は、一つはソ連時代のような「世界の中心」に回帰したいという欲望、もう一つは、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人が三位一体で一つの民族を構成し、それが新たなロシアの核となるべきという発想。
・スターリンはジョージア人。
・「主権」をめぐるロシアの世界観は、「満州は日本の生命線」と言って傀儡国家を正当化した戦前日本の指導者の世界観に極めて近い。
[未完の国家、コンテスタブルな国家(松里公孝)]
・ウクライナという国の不幸は、継続的な関心を持ってくれる外国人が少ないことである。
・日本や欧米の世論がプーチン政権を厳しく糾弾したのは当然だが、戦争のバランスのとれた実像が日本で報道されているわけではない。
・ウクライナの公式メディアや欧米の報道が検証されずにそのまま流される。
・「ウクライナの言い分を疑ったり、批判したりすることは、侵略者であるプーチンを擁護することである」という暗黙の合意(自主規制)が日本のマスコミにはある。
・(2月21日のプーチンのテレビ演説)
時間的に56分に及んだドンバス2共和国承認演説の半分以上は、ソ連の民族領域連邦制の成立および解体過程、レーニンからゴルバチョフに至るソ連指導者の民族政策を糾弾する歴史の講義でありドンバス問題そのものにはほとんど触れられなかった。
・民族領域連邦制
ロシア革命およびソ連初期の国家建設方法で、非ロシア人地域に自治領域を設定し、その自治領域の基幹民族を中心として自治政府を導入する。
(ウクライナ人を基幹民族とするウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国)
ポイントは、民族範疇を個人のアイデンティティ選択に任せるのではなく、共産党または国家が決める仕組みにしたこと。
→帝政期にはひとつのナロードとみなされていた東スラブ人は、 ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人に3分割された。
逆に帝政時には3つのナロードと考えられていたグルジア人、メグレリ人、スヴァン人は、単一のグルジア民族に範疇上統合された。
→民族間紛争の火種に。
・冷戦期のアメリカは、自由主義イデオロギーを掲げつつも、国益中心の現実主義外交を展開していた。冷戦終了後、価値観外交に基づく軍事力行使が主流になった。
→ユーゴスラヴィア、イラク、リビア、シリアにおける干渉戦争と難民問題
[続・誰にウクライナが救えるか (西谷公明)]
・2014年ユーロマイダン革命(親ロシア派のヤヌコヴィッチ大統領逃亡)
・この政変で決定的な役割を果たしたのが、”右派セクター”や”スヴァボダ”(自由)など一部の急進的なナショナリスト集団だったことは、いまではなぜかあまり語られない。
・ウクライナの脱ロシア化
10年前に輸出の25.6%、輸入の32.4%がロシア
2020年 輸出の5.5%、輸入の8.4%をロシアが占めるだけ。
・ドネツク州とルガンスク州の人口は合わせて650万〜660万人
そのうち、ロシア語を母国語にするロシア系住民は250万人。
2019年以来、ロシア政府は彼らにロシア国籍を付与する政策を進めた。しかし、実際に応じたのは2021年末時点で3分の1に満たない70万人弱その他の大多数のロシア系住民はウクライナ国籍のままを選んだ。
→ロシアはすでにウクライナそのものを失っている。
[ウクライナ戦争における武力行使の規則と国際法の役割 (酒井啓亘)]
・2022年2月27日 安保理は緊急特別会合の開催を国連総会に要請し、3月2日 総会が「ロシア連邦によるウクライナへの侵略」が国連憲章2条4項の違反にあたるとしてロシアを非難する決議を採択
・武力行使そのものの国際法上の適法性如何に拘らず、その結果生じた武力紛争の当事者間では武力紛争法規則が平等に適用される。
・武力紛争法は、歴史的に慣習国際法規則として存在してきたほか、これらを法典化しさらにその後の法の発展を含めた条約としても存在する。
主なものは、1907年ハーグ陸戦条約・陸戦規則、1949年ジュネーブ4条約、1977年ジュネーブ条約第1及び第2追加議定書など
・他国の国際違反行為に対して国家責任を追求する手段としての国際裁判への紛争委託。ロシアによる軍事侵攻を受けてウクライナがICJ (国際司法裁判所)に紛争を委託
→ICJは3月16日に仮保全命令を与え、ロシアに軍事活動の即時停止を命じた。
→ICJは国際法を適用して法律的紛争を解決するための機関であってそれ以外の様々な側面を有する関係国間の紛争全体まで解決することは求められない。
・国際刑事裁判所(ICC):国際犯罪を行った個人に対して国際法上の刑事責任を問う手続き。ロシアもウクライナもICC規程締約国ではないが、プーチン個人が訴追対象になる可能性はある。しかし、ロシア国内にとどまる限り、ICCに身柄が引き渡される可能性はほとんどない。
・大国による隣国へのあからさまな侵略行為に直面した場合、国際社会はこれに対する実効的な手段がないとしても、国際法に則り忍耐強くこれを非難し続けなければならない。批判の声を途切れさせることは、当該違反とその果実への黙認さえ意味することになるからである。
[強力対ロ制裁で世界経済はどうなるか (小田健)]
・ロシアのGDPは世界第11位。日本の3分の1程度
・ロシアとドイツを結ぶ天然ガスパイプライン「ノルトストリーム2」、国際決済システムSWIFTに手を付けた。制裁の本気度を示す事例になった。
・EUと日本はロシアからエネルギー輸入を続けるが、EUは「できるだけ早く」終わりにするとの宣言を3/11に出した。欧州委員会委員長は可能な期限として2027年を挙げた。
・ロシアの外貨準備高は6400億ドル。中国3兆4000億ドルに及ばないが世界第4位。米欧の中央銀行などに預けてきた。外貨準備の凍結はSWIFTからの除外以上に大きな影響を与えるかもしれない。
・3/2国連総会で決議に賛成しなかったのは52か国。西側諸国による制裁もロシア経済を完全に封鎖するほどでもない。EUや日本も少なくとも当面、ロシアから原油も天然ガスも買い続ける。
・ロシアは現時点では原油や天然ガスの供給を止めていない。
ウクライナ経由での欧州への天然ガス供給を侵攻前よりむしろ増やしており、ウクライナに対してパイプライン使用料を契約通り全額払い込んでいる。
・OECDが3月中旬に発表した予測では、世界のGDPは戦争が始まってからの1年間で1%下がり、物価は2.5%上昇する。
・ロシアの資源株は堅調。資源の輸出が止まらない限り、ロシア経済は一定のしぶとさを備えている。
[「紛争化させられる過去」再論 (橋本伸也)]
・現在の紛争の原因はあくまで、現代世界の構図とそこに抱え込まれた矛盾と対立それ自体に求められるべきものである。
・古来の因縁を持ち出して戦争を合理化することも、遠い過去の記憶に遡ってもっぱらそれを根拠に不当性を声高に叫ぶことも、ともに退けられねばならない。
・旧東欧、ソ連諸国の「記憶の政治」
社会主義からの体制転換に伴い、学校教科書をはじめ急ごしらえで国民史の書き換えが進められた。
ロシア同様、過去は国家的枠組みのもとで「再構築」され、「歴史の国有化」が図られた。
独ソ戦の主戦場でありホロコーストの主たる舞台であったこの地域では武装親衛隊やナチ補助警察に加担した者も多く、ナチと無関係にユダヤ人虐殺に走った場合もあった。
これら諸国では、加害を認めるのと引き換えに、ナチとソ連を等値視する「二つの全体主義」論を振りかざして自国と自国民を二重の被害者とする典型的な「犠牲者性ナショナリズム」を煽った。しかも、より長期に及んだソ連支配が、ナチ以上に大きな悪として記憶された。
・過去をめぐる倒錯はプーチンだけの病弊ではない。
・ウクライナの「記憶の戦争」
2004年オレンジ革命後や2014年ユーロマイダン革命後、ナチと協力してソ連と戦い、ユダヤ人やポーランド人の虐殺に加担した急進的民族主義者と武装勢力を、民族独立英雄をして顕彰する動きも強まった。
・欧米中心のジェノサイド・スタディーズには重大な欠陥がある。ここで言う欠陥とは、ヴェトナム戦争をはじめ、アメリカとその同盟国、総じて自由民主主義を奉ずる諸国が世界各地で行った戦争や政権転覆に伴う大量殺害や残虐行為がジェノサイド・スタディーズの主流ではほとんど消去され、これら諸国がジェノサイドと無縁のように扱われていることをさす。
[NATOの変貌とエスカレーション・リスク (広瀬佳一)]
・1990年のドイツ統一とNATOへの残留をめぐる交渉の中で、米国のベーカー国務長官や西独のコール首相、ゲンシャー外相らが、ゴルバチョフ大統領との会談において、NATOの「管轄範囲」は東独に拡大しないとか、東への拡大は議題となっていないと発言した事実は認められている。
・冷戦後のNATO拡大は、中・東欧の強い要請ではじまった。
・1997年 NATO・ロシア基本議定書・・・互いを敵とみなさない
・1999年 ポーランド、チェコ、ハンガリーのみNATO加盟
→ロシアからの反対は無し。
2002年 中・東欧7か国NATO加盟(バルト三国含む)
→米ロ関係は安定。ロシアからの激しい反発は無し。
・プーチンの姿勢は2000年代半ばに変化
(ジョージア、ウクライナ親欧米政権)
→「騙された」というプーチンの反発は後知恵的な認識
・2008年 NATO首脳会談ブカレスト宣言
「ジョージアとウクライナはNATO加盟国になる」
→ロシア、ジョージアに誤ったメッセージを送ってしまった。
→ロシア:自らの勢力圏へのNATOの拡大
ジョージア:加盟前に少数民族問題を武力による解決を目指す。南オセチアを攻撃・・・ジョージア紛争勃発
→ロシアはジョージアに侵攻。南オセチアを一方的に分離「独立」
→西側は宥和的な姿勢。2010年以降、NATO首脳会談の宣言からウクライナのNATO加盟の文言消える。
・2014年 クリミア併合に対しても、まだ宥和的姿勢。
・2021年 バイデン政権で対ロ宥和は変化
NATO首脳会談の共同宣言でウクライナNATO加盟の文言再登場
→不必要にロシアを刺激
・ヨーロッパの安全保障が様変わり
EUははじめて域外への武器供与に踏み切り、加盟国に防衛費増額を促す。
ドイツは防衛費GDP比2%以上に増やすことを決定
国際安全保障問題には非軍事的アプローチを重視するという戦略文化が変わろうとしている。
・ロシアのウクライナ侵攻は、1939年9月のドイツによるポーランド侵攻に等しい。
西側は戦後処理にあたって、プーチンに報償を与えることになるようないかなる宥和も繰り返すべきではない。
[世論調査からみるロシア国民の意識 (皆川友香)]
・社会学に、出生年によって個人をグループ化する”コーホート”という考えがある。人生の同時期に同じ出来事を経験する個人の集団を指し、類似の体験を共有することで、その集団に特有の価値観や行動パターンが生まれるとする。
・年齢階層が上がるほど、ウクライナ侵攻を肯定する割合が高くなる。
→ソ連時代を長く経験したコーホートほど、対ウクライナ侵攻を正しいと考える傾向にある。
・2014年のクリミア半島併合の際には、「クリミア効果」と呼ばれる国民感情の高揚につながり、世界的に見て人生の満足度が低いとされるロシアにおいて、国民の幸福度が一時的に上昇したことが報告されている。
[ウクライナ侵攻から考えるエネルギー安全保障 (高橋洋)]
・日本はロシアから天然ガスの8.3%、原油の4.8%、石炭の9.9%を輸入。(2019年度)
・2000年以降、世界的に原子力の割合は減少傾向
・IEA(国際エネルギー機関)による世界の電源ミックスの将来予測では2019年に26.6%だった再生エネルギーは2050年に87.6%に拡大するという。
・国際的には、日本政府が旗を振るゼロエミッション火力は支持されていない。
[ピース・フォー・アトムズ (佐藤暁)]
・原子力発電所は軍事攻撃に耐えられるのか?それは無理である。
・日本の場合、新規制基準への適合のために最近実施した数々の安全対策は、何一つその緩和のために役に立たない。
[戦争を終わらせるために (平和構想研究会)]
・イラクやパレスチナやシリアに関心を払わなかった欧米や日本の人々が今回ウクライナ支援のために大きな声をあげている状況は人権主義の表れだという指摘もある。
・日本はNATOと同じ側に立つというのがあらゆる報道の前提になっている。
・直接的な軍事介入はなくても、NATOが大規模な軍事支援を続ければ戦闘は長引き、それにより人道上の被害は増え続ける。しかし、ウクライナを支援しなければ、一方的な軍事侵攻による国家の主権や領土の侵害を事実上許すことになってしまう。ここに人道問題と国際問題の深刻なジレンマがある。
・日本の対応。問題は武器の提供。
防弾チョッキは「武器」に該当する。非殺傷性のものであるとはいえ、武力紛争下の当事国政府に対して武器を供与することは、戦後日本でかつてなかったことである。
2014年に防衛装備移転三原則に置き換えられた規定では、ウクライナは「紛争当事国」に当たらないと政府は説明する。紛争当事国を「国連安保理がとっている措置の対象国」と極めて狭く定義しているからである。だが、今日のウクライナが武力紛争の当事国でないというのは現実とあまりに乖離しており、同原則の妥当性が問われる。
・防衛力強化、憲法改正といった議論も勢いづいている。
私たちは冷静になるべきだ。ロシアがウクライナに侵攻したからといって、中国や台湾や尖閣諸島への行動を活発化させるといえる根拠はない。
・今回のウクライナの事態から学ぶべきことの一つは、軍事大国が無謀な軍事行動を開始したとき、これを止めるのはきわめて困難だという現実である。
・安全保障の最優先課題は「いかに戦争を起こさないか」ということである。
・軍事拡張や攻撃態勢の強化は、相手方にも同様の行動を誘発し、軍拡競争を招く。
・非核化と軍縮そして国際法秩序の強化こそ進むべき道である。
[戦禍に社会科学はなにができるか (エカテリーナ・シュリマン)]
・罪の意識は無気力に、責任感は行動につながります。
・まずは自分がいかなる「責任」を負っているかを明確に認識することが、なにもできない状態から脱するための第一歩です。
・声明や署名は団体の名のもとに提出する方が良い。
・プロパガンダはまず仮の「多数派」を装う。
・国家の権力が一点に集中している状態は、きわめて危険です。
・「なぜ戦争が起きたのか」の答えは、もはや止めるべきときに権力者を止めることができない社会構造になっていたということです。
[ロシア芸術における抑圧と分断 (伊藤愉)]
・国家予算から莫大な資金が投入される演劇は、体制が統御しやすい芸術。
・公然と体制支持を表明する演劇人たちもいる。
・最も多く確認できる反応は「沈黙」であり、ロシアの劇場は、執筆している3月末に至るまで基本的に通常通りの上演が行なわれている。
・沈黙がその後、自己検閲へと結びついていくことはソ連の歴史を見れば明らかだ。
・3月4日上院議員が、国家から助成金を受けている以上、それなりの責任を持たなければいけないし、国に対する義務もあると発言。
・西洋における文化的制裁とでもいうべきロシア文化のキャンセルは、2月24日以降、各国で見られている。
・ここには政治と文化をめぐるきわめて難しい問題が横たわっている。
・私たちがいま連帯すべきなのは、ロシア文化を担いつつ反戦の声をあげている、あるいはあげられずにいる文化人だろう。
[戦争と美術 (鴻野わか菜)]
・安全地帯からロシアの文化人の沈黙を断罪することはできない。
[ウクライナと第三次世界大戦 (スラヴォイ・ジジェク)]
・ロシアのウクライナ侵攻後、スロヴェニア市民であることを恥ずかしく思うことになった。
・スロヴェニア政府は、ウクライナ難民の受け入れ準備ができていると宣言した。しかし半年前、アフガニスタンがタリバンの手に落ちた時には同じ政府は、かの地からの難民を受け入れる準備ができていないと明言した。
・このような「ヨーロッパの擁護」は、西ヨーロッパに破局的な損失をもたらすだろうと考える。
・ロシア側よりも西側よりもずっと大きな第三の集団をなす諸国が存在し、それらの国は大部分、今回の抗争を黙って見守っている。(ラテンアメリカから中東まで、アフリカから東南アジアまで広がる)
・わたしたちがほんとうに行うべきなのは第三世界諸国に訴えかけ、世界の諸問題に関して、わたしたちにはロシアや中国よりもよい選択肢を提供できると説得することだ。
・リベラル左派のなかでは実に多くの人びとが、今回の危機をこけおどしにすぎないと考えがちだった。
・バイデンが10日前にプーチンは侵攻を決定したと発言した時、彼は正しかったということを認めなければならない。
・侵攻ののち、一部の「左派」は、西側のほうを非難することを選んだ。(NATOはロシアを軍事的に包囲し、周辺諸国のカラー革命を煽り、ロシアを徐々に圧迫し不安定化してきた)
・しかしこのような主張は結局のところ、ドイツ経済を壊滅に追いやったヴェルサイユ条約に責任があるとして、ヒトラーを正当化するに等しい。
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(10) △ 土地は誰のものか (五十嵐敬喜:岩波新書) 2022.4.4
2022年2月出版 (2022.3.3 京都駅ふたば書房)
『記載途中』
土地を個人が所有し、相続されていくということが良いのかに疑問を持っている。中国では土地の売買はできないが、土地の所有権を持つことができるらしい。借地のような感じだろうか。
(メモ)
[法律]
・土地基本法(1989年)
開発抑制
東京一極集中の是正が付帯決議された。
しかし、以後、容積率緩和などの規制緩和を採用し、東京一極集中を加速させてきた。
・土地基本法改正(2020年)
不明土地や空き地・空き家続出に対する管理強化
従来の「開発抑制」に「管理」という言葉を付け加えた。
明治時代1890年以来の「所有権の絶対的自由」の中で対策が根本的に異なる開発の抑制と管理が両立するとして制定された。
・空き家対策法(2014年)
2018年日本全体の空き家は849万戸。空き家率は13.6%
2015年から5年間で、所有者が承認しないために強制取り壊しとなる行政代執行は年間14件、所有者不明で略式代執行は年間40件
→件数が少なく、あまり改善効果がない。
・不明土地法(2018年)
不明土地:不動産登記簿上で所有者の存在が確認できない土地
=登記簿上の所有者が、真実の所有者でない土地
相続によって所有権が移転する場合に発生。面積で、日本全体の10%を占める。
本法律によって、合法的に利用できる仕組みを作り出した。
→しかし、年間10件程度と見込まれ、効果は極少。
・民法(2021年改正 共有規定と相続規定)
不明土地の問題は平等相続が原因になっている。相続を登記しなくても何の不利益もない。
→不明土地を公的に整理する手段
→誰が費用を負担するか等、実効性が確保されていない。
・不動産登記法の改正(2021年)
不動産登記を義務として強制。相続が発生したら3年以内にその旨登記しなければならず、怠ったときは10万円以下の過料に処する。
→相続のタイムスパンを考えると登記完備までに数十年かかる。
・土地所有権の国庫帰属制度(2021年)
所有権は法的に放棄することが可能か?
一定の要件を満たす土地だけについて国庫に帰属させることが可能。
→管理に要する10年分の費用を元所有者が負担(草刈り、建物・樹木などの撤去)
→国庫帰属を望む人はほとんどいないと思われる。
・せっかくの法整備も「土地所有権の自由」の前に、翻弄されてしまう心配がある。
[日本史の中の土地所有権]
・645年乙巳の変
「改新の詔」第1条:公地公民(各豪族によって私地私民だったのを、天皇所有とし、国民に解放)。農民への貸与は一代限り。見返りは税と賦役。
・平安時代
財源不足を解消するため、開墾を奨励
墾田永年私財法:継続的な私有権を認める
荘園制、分権的な支配 (天皇権力弱体化)
・鎌倉時代(平安後期、源氏)
各地で国司や地頭が支配し始めていた土地の所有権を認知。見返りとして各地の有力者を御家人として採用、いざ鎌倉。
・室町時代から戦国時代へ
農民が集まって集落全体を自分たちで統治する「惣村」
奪った土地を家臣に配分
・江戸時代
惣村における自治:耕作権の平等のため、一定の年限で耕作地を順番に入れ替える「割地」が行われた。年貢も個人で負担するのではなく、村全体で負担する「村請制」
江戸の土地制度は、幕府がすべてを所有し、これを幕府から大名・藩主へ、さらに藩主から家臣に、家臣から農民、町人へと配布するヒエラルキーを有していた。
・明治時代
いったん土地の所有権は天皇に帰属
政府は所有権の国家所持を前提にしながら、新たな所有者に「地券」(権利証)を与えた。封建的土地所有と比べて、永代所有、相続、売買、流質による所有権移転を認める点で「近代的所有権」の基本が制度化された。地券発行は武家屋敷、町の土地、農地、山林まで拡大された。
明治31年の民法改正で、所有権を「使用、収益、処分」に分類し、すべて自由とした。つまり、土地に何を建てようが、いくら収益を得ようと、誰に売ろうと、すべて所有者の自由とした。
・敗戦後の土地改革
農地改革、自由な所有権、日本列島改造論
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(9) □ 日経サイエンス 2022年4月号 (日経サイエンス) 2022.4.2
(2022.3.6 アマゾン)
「ブタの心臓を人間に移植成功」のニュースが少し前にあった。もう少しだけ詳しく知りたいと思っていたところ、日経サイエンスに載っていることがわかったので、先月に続いて全体に目を通した。知らないことがたくさんあって興味深い。ただ、物理の領域の話が
最もわからない。もっとわかりやすくできないものだろうか。
(メモ)
[特集:スーパーフレア]
・大規模なフレアが発生すると、時間を追って、電磁波、高エネルギー 粒子、プラズマが地球に到達する。
電力システムやデジタル社会を支える通信・放送施設に深刻な影響 を及ぼす。
・1859年に起こった「キャリントン・イベント」では、大規模な磁気嵐 が発生し、見事なオーロラ・ショーが展開されただけでなく、電信線 で火花が散って電報システムがダウンした。
・775年頃、キャリントン・イベントをはるかに上回る磁気嵐が発生して いた。
・古木の分析などから過去の太陽フレアを調べる研究が進んでいる。 太陽から放出された粒子が地球大気に衝突すると様々な放射性同位体が作り出される。例えば炭素14が作られ、成長中の樹木が吸収し年輪によって同位体が急増した年を正確に決定できる。
[ブタの心臓 異種移植成功]・・・記事を読んで少し経って患者は死去
・2022年1月10日 米メリーランド大学が遺伝子改変ブタの心臓を末期心臓疾患の患者さんに移植することに成功したと発表
・異種移植の歴史は古く、100年以上前から研究報告がある。当時は無謀な実験だった。
・サルからの臓器移植が研究されたが、サルは臓器サイズがヒトより小さい。ブタの臓器サイズはヒトと同程度で生理学的にもヒトに近く臓器ドナーの候補になった。
・重大な課題は、拒絶反応と感染症
・ブタの臓器の細胞表面にはヒトにない物質(異種抗原)があるため、ヒトは異物と認識し移植直後から拒絶が起こる。数分から数十分で急激に進行しブタの臓器は機能を失う。主要な異種抗原αGal抗原を細胞表面に持たないブタを作り、クローン技術を使って遺伝子改変した体細胞からクローンブタを作ることで克服した。
・ブタが保有するレトロウイルス(PERV)はブタには無害だがヒトには害を及ぼす。ブタの体細胞からすべてのPERV遺伝子を取り除き、PERV未感染のブタを得た。
・その他、遺伝子編集技術と核移植技術を駆使して異種移植の多様な問題を克服。
⇒動物を臓器移植のために作り出すということに抵抗を感じない人はいないのではないか。
[外来捕食種の一掃を目指すニュージーランドの大胆な試み]
・13世紀に入植者が食用としてナンヨウネズミを持ち込み、生態系のバランスを崩し始めた。さらにヨーロッパの船が攻撃的なラットやマウス、オコジョを連れてきた。
・巣穴で眠る在来の鳥類は格好の餌食になった。
・過去60年、人間はニュージーランドの生態系を戻す介入を続けている。2016年、ニュージーランドの首相は全国的な目標「プレデターフリー2050」を発表。2050年までにラット、オコジョ、ポッサムを600の島から駆除することを目指す。「これら哺乳類を殺さないという選択をした場合、それは鳥が死ぬのを黙認することを選ぶことになる」
[アイコンタクトと会話]
・目を合わせてそれをそらすことが会話を前に進めている」との論文
[キラーT細胞はオミクロン株も認識]
・オミクロン株のゲノムには多数の変異が存在。従来の変異株に対して生じた抗体の有効性がオミクロン株に対しては低下する可能性があることを示している。
・T細胞という免疫細胞は、ウイルスに感染した細胞を破壊して感染拡大を食い止める「キラー」細胞として機能。
・ワクチン接種から時間が経つにつれ抗体のレベルは低下していくが、T細胞のレベルは抗体ほどには低下しない。
・抗体はT細胞より調べるのが容易。今後簡単にT細胞を調べられるようになればT細胞にも注目が集まるかもしれない。
[トンガの海底火山噴火と津波]
・大気の振動が地震の引き金になっているが、海面の気圧が2hPa上昇しても海面を2cm下げるだけ。共鳴の効果、海溝の存在などが考えられているが詳細はこれから。
⇒この記事はNEWTONの方がわかりやすそうだった。
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(8) □ ニューズウィーク日本版2022年3月8日発売 2022.3.18
息子が買ったニューズウィークを置いて下宿に帰り、せっかくなので目を通した。表紙に書かれているメインテーマは「ウクライナ侵攻 プーチンの戦争」。現在の情勢などは新聞とさほど変わらないけれど、冷戦終結後にロシアのNATO加盟を取り合わなかったことが影響してそうなことを初めて知った。
(メモ)
・「反ロ親中」思想が侵攻を招いた。
欧米と日本が冷戦崩壊後に犯した2つの戦略的ミス
@ロシアをソ連の継承国家として敵視し続けた。
プーチンはロシアもNATOに加盟する用意があると発言したが相手にされなかった。
Aロシアとは逆に中国に対して甘い政策を取った。
天安門事件があっても広大な市場に魅了された欧米諸国と日本はビジネスを優先した。
・「リスペクト欠乏症候群」
プーチンと習近平が欲しているのは、リスペクト
・「戦争を熱烈支持する心理」
一部に反戦デモもあるが、ロシア人の間でこの戦争はおおむね支持されている。
・イタリアの高校生がタダ働き強制に抗議
イタリアでは高校卒業要件に、年間200〜400時間を企業や病院などで無償で働くインターンシップ制度がある。2005年に導入された。今年インターン中に2人の生徒が死亡しこれに対する抗議活動が広がっている。
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(7) ◎ 物価とは何か (渡辺努:講談社選書メチエ) 2022.3.16
2022年1月刊行 (2022.2.21 アマゾン)
デフレの何が悪いのかが今まで全然わからなかった。物価の下落と経済の縮小が相互作用するデフレスパイラルというのもすっきりせず、2%程度のインフレとほとんど物価が変わらない状態のどちらが良いかといえば、変動ゼロがいいのではないかと思っていた。しかし、本書の終盤に書かれていた下記の趣旨のことはかなり説得力があった。
物価下落自体が悪いのではない。企業が価格支配力を失い、価格を上げることができないために、品質向上や機能向上を実行できず開発力などの活力を奪ってしまう。
また、インフレ対策とデフレ対策は反対のことを行えば良いわけではないこと、人々のインフレ予測が物価に大きく影響していること、など、丁寧に読むといろいろ頭を整理する上で重要なことが書いてある。最近になってようやくわかってきたことを謙虚に書いていることも本書の魅力だ。とても良い。
(メモ)
・物価は「蚊柱」
個々の価格は忙しく動き回るが、全体としては安定している。 個々が動かず、全体としても動かない。→死んでいる。→今の日本経済はこれに近い
・消費者物価指数(CPI)
・1974年 狂乱物価。CPIは前年比23%
「原油高→狂乱物価」の因果関係ははっきり否定されている。真の原因は、日銀による貨幣の供給過剰。
当時は変動相場制への移行過渡期。商社や金融機関は円が高くなると予想し、ドル売り円買い。日銀はドルを買って円を放出。田中角栄内閣のより大量の財政資金がばらまかれていた。日銀によるドル買い+政府の財政拡張により、貨幣供給過剰
・石油関連の商品価格が上がると、購入量を減らす。支出全体を減らすために他の購入も控える。このため、石油関連以外の商品価格が少しずつ下がる。→石油関連商品の価格上昇をある程度相殺し、物価はさほど上がらない
[貨幣の魅力 (貨幣が価値を持つ背景)の2つの考え方]
・貨幣は商品購入時の「支払手段」として使えるから需要されているという考え方がある。
クレジットカード、スマホ決済では支払手段としての貨幣の魅力を感じる場面が少ない。すると、貨幣への需要が減り、物価が上昇するはず。しかし、キャッシュレス化が進んでいる韓国、中国、欧米でそうしたことは起こっていない。
→貨幣には決済サービス(支払手段)以外の魅力がある。
・クリストファー・シムズ「物価水準の財政理論(FTPL)」
日本の貨幣は日本銀行券。日銀の持つ資産は724兆円。そのうち74%(535兆円)は国債。国債は政府の発行する借用証書なので、日銀の資産の多くは、政府に借金を返せと要求する権利。日本銀行券に裏付けがあるとすると、それは日銀でなく政府による。
政府の宝は、徴税権。FTPLでは、貨幣の裏付けを徴収する税金にあると考える。
・貨幣の魅力が決済サービスにあるという立場では、日銀が金融機関から国債を購入する場合、金融機関は国債を売って円を受け取るので貨幣の供給力が増え、貨幣の魅力が減り、物価が上昇することになる。したがって、物価は、日銀が決めていることになる(貨幣量の調整)。
・貨幣の裏付けを徴収する税金にあると考えるFTPLでは、上記の場合、貨幣量は増えるが出回る国債は減るので政府・日銀連結で見ると変化なく、物価は変わらないと見る。物価が上がるのは、将来の税収見込みが減った時。減税を決めたり橋や道路建設に大きなお金をつぎ込むと、貨幣の裏付けに使える税収が減る。すると貨幣の魅力が薄れ、需要が減り、物価が上がる。したがって、物価は財務省が決めていることになる。
・(1980年代のブラジル)
巨額の政府債務を抱える場合、金融引き締めで物価上昇を抑えるという伝統的手法が通じず、金利上昇により政府の利払いが増加し、財政を悪化させる。このため貨幣の裏付けが弱まり物価が悪化した。
⇒今の日本でも金融引き締めでインフレ抑制ができるのか心配
・2013年以降、日本はデフレ克服のために金融緩和を行っており、金利はゼロに近い、またはマイナス水準に下がっている。この超低金利は財政の利子負担を軽減させ、その分、財政収支を改善させている。財政収支の改善は貨幣の魅力を高め、貨幣の需要を増やす方向に作用し、物価下押し圧力になる。日本は2014年と2019年に増税し、さらに財政収支改善方向に作用し物価下落圧力が加わった。
⇒方向はそうでも、実際の財政収支は極端に悪い。これを方向性だけで見てよいのだろうか?
[物価の定義・測り方]
・「昨日と同じ効用を得ようとしたときに必要となる最小限の支出」
=「生計費指数」
・ラスパイレス指数:商品の価格に昨日の金額シェアを掛けたものの和を算出し、今日の価格に昨日の金額シェアを掛けたものと比較 →日本のCPI指数の他、各国で広く使われている。過大評価になる(昨日の金額シェアを使うため)
・パーシェ指数:今日を基準に昨日を評価。過小評価になる
・フィーッシャー指数:ラスパイレス指数とパーシェ指数を相乗平均
・トルンクビスト指数:フィッシャー指数に近い。生計費指数の良い近似
・(例)2012年から2018年までのトルンクビスト指数を4000の企業で計算
上昇寄与の大きい10社:乳製品やコーヒー →円安で価格上昇
下落寄与の大きい10社:飲料・日用品 →スーパー店頭での価格競争
・ネット社会になると一番安い価格の店舗にすべての注文が集中し他店も同じ価格で売らざるを得なくなり価格のばらつきが消滅すると考えられたが、価格ばらつきは残っている。 それはどの店舗が安いかの情報を持っていない消費者がいるから。その理由は、安い店舗を探す時間を使うかどうかにある。
・では時間に余裕のあるリタイヤ世代が安く購入しているのか?米国の研究例では、年齢が高くなるにつれ、購買価格が下がっている。(特に50歳超で大きく下がっている)。日本では結果が大きく異なり、50歳を越えると購買価格が上がっている。
[何が物価を動かすか]
・1989年から1996年にかけてスーダンのインフレ率は年間最大165%に達した。しかし、人々の生活は崩壊せず、さほど変わらない日常が営まれていた。仕入れ値の上昇を売価に転嫁、賃金も適切な率で引き上げ。
→すべての価格(賃金含む)が一律に上昇するのであれば、上昇率が非常に高くても致命的なダメージにならない。→価格上昇の調和を作り出すのは、人々の予想。
・予想が一致=物価と賃金についての社会的コンセンサスが存在。この社会的コンセンサスは「ノルム(社会的規範)」と呼ばれる。
・インフレ率に関する人々の予想が変化すると、金利も変化する
=フィッシャー効果(生産・消費の変数と、金融市場の変数が関係するという発見)
・人々の流動性(貨幣)に対する需要は、金利が上がると低下する
=流動性選好説(ケインズ)
金利が上がると人々は銀行などで債券(国債など)を買い貨幣を手放す。銀行は貨幣を日銀に渡す(日銀が国債を売却し貨幣を受け取る)
・インフレを起こすには、@人々がインフレを予想し社会のコンセンサスになる。+A中央銀行がだぶついた貨幣を吸収
・金利と実際の貨幣量(貨幣量/物価)の曲線
=貨幣需要曲線・・・右下がり(流動性選好を表す)
・物価X%を決める仕組みは総称して「ノミナルアンカー」と呼ばれる。
[インフレターゲッティング]
・インフレターゲッティング(近年の日本は2%)
・インフレターゲッティングの下ではXを決めるのは中央銀行。
中央銀行がXの値を宣言。人々が値段や賃金が宣言通りに上がると予想。それに伴って金利が変化し、貨幣需要が変化。最後に貨幣需要の変化に応じて国債売買のオペレーションを実行。
・中央銀行の宣言に従わない場合(A:予想の方が高い場合)
中央銀行が2%と宣言。人々は例えば20%と信じている。経営者は商品価格を年間20%引き上げ。賃金も同様。
→貨幣の需要は上がった分だけ減少。
→貨幣を国債と取り替える要請
→(a)もし、中央銀行が要請のまま国債との交換に応じると、20%実現 に加担したことになる。
(b)突っぱねると、金融緩和したことになり、貨幣がだぶつき、金利が下がる。金利の低下がさらなる物価高を招く。
(c)要請以上の量の貨幣を吸収。貨幣は不足気味になり、金利が上がる(20%より大幅に上昇)。金融引き締めになり、経済が冷え込み 物価は下がる。
→上記の(c)によって、インフレ目標まで下がる。
人々の予想するインフレ率が中央銀行の望む水準より高い場合は、金利を大幅に上げることによって予想に対抗できる。・・・先進各国の中央銀行はこの鉄則に基づき政策運営を実行している
「テイラー原理」(1993年:比較的新しい)
・中央銀行の宣言に従わない場合(B:予想の方が低い場合)
中央銀行が2%と宣言。人々は0%と信じている。金利を3%とする。
Xの値を上げるには、要求以上に貨幣を供給し貨幣をだぶつき気味にし金利を3%より低くする必要がある。金融緩和でインフレを高める効果がある。
一方、予想Xがマイナスの場合(例えば-2.5%)、金利を0.5%とみると貨幣供給して金利を下げようとすると貨幣量が巨額になる。巨額の貨幣量を供給するには同額の国債を買い取る必要があるが、全部買い取っても足りないこともある。
→実際のオペレーションが不可能になる。
→中央銀行の宣言が実現できず、人々の予想のデフレが起こる(これを「自己実現的デフレ」と呼ぶ)
・中央銀行が決済サービスを追加供給しても飽和点に達すると人々の行動は変化しない。つまり飽和点に達すると金融緩和の効果が消えてしまう。「流動性の罠」
[物価は制御できるか (インフレ予想の重要性)]
・失業率と賃金上昇率に負の相関がある
=フィリップス曲線・・・不連続でなく連続の曲線になる
失業率とインフレ率にも同じような負の相関がある
→失業率を極端に低い水準に持っていこうとすると、インフレ率がとても高くなってしまう。
・インフレ予想の変化がフィリップス曲線をシフトさせる
=自然失業率仮説
・インフレ率=インフレ予想−a×失業率+b
・値段は毎日変わるわけではない。
=「価格の硬直性」
値段が将来にわたって維持されるという認識のもとで決められている。
→自然失業率仮説の式に「インフレ予想」が入っている
1期前のインフレ率が今期も続くと人々が予想すると仮定すると、失業率とインフレ率の負の相関が説明できる。
→時間が経過しインフレ率と予想が一致してくると、失業率は元の水準に戻ってくる。したがってインフレ率は上がるが失業率が元の値ということも起こる。
・上記から、金融政策の効果を見る。
貨幣量増加の初期は、多少のインフレを我慢すれば失業率を低下できる。時間が経つと、失業率は元に戻る一方、インフレ率上昇は残る。(貨幣量増加による失業率低下は一過性、最終的には消えてインフレ率上昇という悪影響だけが残る。)
・インフレ予想:後ろ向き予想(過去から予想)、前向き予想
・人々はモデルを使って将来を予測する(本書では「マイモデル」と呼ぶ)。ジョン・ミュースの考え方「経済学者が市井の人々より賢いはずがない」。中央銀行や政府もプレーヤーの一つとしてモデル内に入れる。
・人々のインフレ予想→中央銀行の政策→人々のインフレ予想の変化という関係が生じる。
・(例)1960年代後半、1970年代のアメリカの高インフレ
「中央銀行が金融緩和を行わないとアナウンス」
→「インフレ予想は低いまま」
ここで、実施しないとインフレ予想もインフレ率も低く、失業率も元のまま。実施すると、インフレ予想が低い状態で失業率を改善できる
→「金融緩和を実施」失業率改善・・・この誘惑がある
2度目のアナウンスは「中央銀行が金融緩和を実施するに違いない」と先読みされる
→「インフレ予想は高くなる」
ここで金融緩和をしないと失業率は悪化
→「金融緩和を実施」失業率は元のままだが、インフレ率上がる
・上記の対策:中央銀行の「独立性」・・・失業率に無関心、を意味する。
「金融緩和しない」とアナウンス。実際にも「金融緩和せず」の場合、失業率は完全しないが、インフレ率は低い
・中央銀行がしっかりしていれば高インフレは防げる。
それにもかかわらず高インフレが起こってしまうのは、高インフレに伴って失業率が改善することに魅力を感じる総裁が、高インフレを選択するから。
・日本でも1997年に日銀法が改正され、日銀に独立性が付与された。
・1998年 金融政策決定会合というオープンな場で政策の議論と意思決定をすることになった。議論の養子は1か月後に公開。詳細な議事録は10年後。会合直後に、日銀総裁の記者会見。
(アメリカでも1994年から中央銀行が政策決定会合のあとに声明を出す)
理由@金融市場の参加者が多様になった。(他国の市場)
A人々の予想を意識せざるをえなくなった。
・理由Aの補足
以前は公定歩合と他の金利が連動して決められていた。「金利自由化」が1994年までに完了。公定歩合の名称も1995年を最後に使われなくなった。代わってコールレートと呼ばれる金利が日銀の操作対象になった。コールレートは、金融機関同士が一晩だけ貸し借りする際の金利で、日銀は当事者でないので直接コールレートを操作できない。資金の需給調整によって変化させる。コールレートは金融機関だけの限られた短期の金利に過ぎない。問題は長期金利。日銀がコールレートをどこに誘導しているかの予想が長期金利への波及度合いを決める。「フォワードガイダンス」先々の政策をこうしますと案内
・インフレ予想は操作できるか?
中央銀行は金融のプロのインフレ予想はほぼ完全にコントロールできる。
一方、金融にプロでない消費者や中小企業経営者などはコントロールできていない。
・上記の理由
中央銀行の政策に対する無関心
限りある資源である関心を中央銀行の政策に費やすかどうか。
シムズ「合理的無関心」
・高インフレの国では中央銀行に対する関心が高い。
インフレ率が低い、または若干マイナスの国では関心が低く、予想に働きかける政策が機能しない。
→インフレ率がゼロ近辺の場合、物価はひとまず安心と考えるので中央銀行への関心は薄れる。
・グリーンスパンは、中央銀行が目指す物価安定とは何かに対し、「将来の一般物価水準の変動を気にかけなくても良い状態」と定義した。(1994年)
→とはいえ、外生的要因(地震や感染症流行など)でインフレ予想が揺らぐとき、社会の不安定化を防ぐためにも、中央銀行への関心を平時から維持することは大切
@金融のプロに手伝ってもらう(ローン組み方相談時など)
A人々が関心を持っている話題の利用(関心の強い品目の物価指数作成)
人々が物価変動を感じやすい品目・・・ガソリン・灯油・生鮮食品・食料品
・「ナラティブ経済学」というアプローチ
大きな経済変動にはストーリーがあり、ストーリーが人から人へと伝染した結果、大きな現象が起こるという考え方
・(例)日銀が2016年に導入したマイナス金利
日銀のストーリー
マイナス金利→銀行の貸出増加→企業の投資増加→景気改善→インフレ予想上昇→デフレ脱却
実際には異なるストーリーが広まる
マイナス金利→銀行の収益悪化→銀行が貸し出しを控える→企業の投資減少→景気悪化
客観的な検証を踏まえて選択されたのではなく、印象に残るか、受け入れやすいかという基準で選ばれた。(「マイナス」の語感が悪い、銀行の収益悪化が90年代の銀行・証券の破綻を連想させた)
・インフレ予想の測り方
(例)物価連動国債と通常国債との価格差・・・BEI
・これまでの人生でどのようなインフレを経験してきたかが、個々人のインフレ予想に大きな影響を与える・・・年齢別のインフレ予想
[なぜデフレから抜け出せないのか]
・バブル期に物価が動かなかった。
株価ピークの1989年2月でも2.9%、バブルがはじけ景気が悪化した1992年2.5%
→物価が動かなかったことに疑問を持つ人はほとんどいなかった。
・2013年日銀は政策を大きく転換し、デフレ脱却を目指し緩和政策を始める
→思い切った緩和をしても物価は上がらなかった。
・物価が上がらない理由は、売り手である企業が価格を動かさないから。
・なぜ価格は毎日変わらないのか。
2002年欧州各国の中央銀行が集まり、IPNという研究ネットワークが発足価格はどの程度硬直的か、硬直性の原因は何かを調査
・価格の更新は4半期に1度程度
・硬直性が高いということは、フィリップス曲線の傾き(a)が小さいということ。
・3つの特徴
@インフレ率の変動は価格更新の回数の変化によって起こる
A高インフレ期に価格の更新頻度が高く、低インフレ期は頻度が低い。
B価格更新からの時間が経過するにしたがって、更新の頻度が小さくなる。
・メニューコスト仮説「メニュー・カタログ書き換えにコストがかかる」
・価格の硬直性に対する企業の回答で多いのは情報制約仮説
「需要や原価の変化、競合他社の動きを見極めるのに時間がかかる」
上記の2つはBを説明できない。
・価格更新の企業の間に働く相互作用
「屈折需要曲線」
1企業の販売価格と販売数量を考える。価格を下げた場合に他社が追随。すると販売数量は少ししか増えない。価格を上げた場合、他社が据え置きとすると、大きく販売数量は減少する。したがって需要曲線は折れ線になる。(ライバル会社は価格引き下げには追随するが、引き上げには追随しない)
→ある企業の価格据え置き(価格硬直性)が別の企業の価格据え置きを生む。
・日本のフィリップス曲線(失業率とCPI上昇率)平坦化
失業率にかかわらずインフレ率が同じ。貨幣量を増やすと、インフレ率の変化なしに失業率が改善する
→金融緩和によって需要が喚起され、失業率は改善する。しかし、デフレ脱却に金融緩和が効かない。
→価格更新がめったにされない。
→ある企業の価格据え置きが別企業の価格据え置きを誘発するという相互作用が強い状態。
・米国企業は毎年2〜3%価格引き上げを行うのがデフォルト。価格設定する企業と消費者の間でコンセンサスが確立されている。日本企業は価格据え置きがデフォルト。
・インフレ率が2〜3%上昇している国では、いつも購入している店で値段が上がっていても、他店も上がっている可能性があると考え同じ店で購入する
インフレ率がゼロの国では、いつも購入している店で値段が上がっていると他店で安く買えそうと考え、他店を選択する
→消費者のインフレ予想の違い
→調査結果でも、日本では値上げすると他店に行くと答える割合が米国より高い。
・鳥貴族が2017年に値上げ。客単価は上がったが客数が減り、売上全体では減少。
(鳥貴族の価格アップが別企業の価格アップを誘発することがなかった)
→企業間の相互作用が重要
大恐慌時にルーズベルト大統領はカルテルを一時的に容認した。
・金融緩和により円安となり、輸入原材に依存する企業の原価を押し上げ、そうした中で、食品メーカーを中心に、商品の小型化(減量、個数減)が選択された。
(円安による原価上昇が製品価格に転嫁されることを日銀は期待したが、実際は値上げされずに表面上の価格は一定で小サイズにするという異形の値上げだった・・・日本の消費者は小サイズ化に気づいていた)
→減量の理由はコスト削減。減量品の商品開発をしてまで原価上昇分を価格に転嫁できない。
・物価下落自体はさほど大きな問題ではない。デフレが原因で企業が価格支配力を喪失し、それが活力を削ぐことが問題。(2000年代初頭にグリーンスパンはこの危険性に気づいた)
・2000年代初頭、穏やかな物価下落は、日本企業から価格支配力を着実に奪っていった。しかし、ゆっくりした形で進行したため、日本では認識されなかった。2013年に大胆な緩和によってデフレ脱却に踏み切ったが、すでに価格据え置きが日本社会の奥深くにビルトインされてしまっていた。
・インフレ期、商品価格は誕生から退出まで価格変化はなく、商品の世代交代時に価格が上昇する。この上昇が趨勢的な価格上昇を作り出す。デフレ期、商品誕生から価格が低下し、世代交代時に元の商品の誕生時の価格に戻るという傾向がある。世代をまたいでの価格硬直性がある。
・インフレ期には世代交代で品質が向上していたが、デフレ期には品質向上が見られなくなっている。
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(6) △ <仕事>から始める仕事おこし (岩波ブックレット) 2022.3.13
2022年2月刊行 (2022.2.28 アマゾン)
斎藤浩平氏の「人新世の資本論」にあった「生産過程の民主化、生産手段の共同管理」ということが、なかなかイメージできない。本書にそのヒントがないかと思って読んでみた。しかし、僕の望んだような取り組み内容とはかなりギャップがあった。
「はじめに」は、下記のように書き始めている。
「働くということは、雇われて、命令されて仕事をするということなのか」「自分を売り渡すのではなく、主体者・主人公となり、力を合わせて人と地域のために働くことはできないのか」
とても興味深い。
けれど、本書で進められている活動の先に、上記の「働き」がなくなるということは意図されていないようだ。あくまで地域で手の届いていない領域を埋めていくという方向性なの
だろう。
本書の取り組みで、労働者はいくらの報酬を得られているのだろう。出資金を払う話はあるが、報酬の話が出てこない。そこは書いておく必要があると思う。
*ネットで求人を見たところでは、賃金が高いようには見えない。
(メモ)
・2020年12月 「労働者協同組合法」が成立
「労働者共同組合」(ワーカーズコープ)に法人格を与える
組合員が出資し、意見を反映し、働く。
・1949年国が失業対策事業を始める。主に土木工事。
高度成長期に打ち切られる
・1979年「中高年雇用・福祉事業団全国協議会」結成
・1982年「全国協議会直轄東葛地域事業団」
・1986年「中高年雇用・福祉事業団(労働者協同組合)全国連合会」
事業団で1年間働き就労態度良好と認められた人は、出資金
(一口5万円)をそえ、加入申し込みできる
・1987年「労働者協同組合センター事業団」
みんなが仕事を増やす、全組合員経営
・1993年規約改正 :就労するには一口(5万円)以上の出資をして 組合員になることが必要
・1993年「日本労働者協同組合連合会」
・生協との連携が進む。しかし、バブル崩壊で生協の経営が悪化、
厳しい単価切り下げを求められる
・1998年度 初の赤字決算
1999年度 2億8千万円赤字
・2001年 「労働者協同組合の新原則」
雇う・雇われる、サービスを提供・享受、支援する・される、という一方的な関係でなく、「共に」という「協同」の関係
・2003年 「指定管理者制度」導入。公の施設の管理・運営を株式会社や財団法人、NPO、市民団体などに委任
「NPO法人ワーカーズコープ」を立ち上げ、この事業に挑戦。
・2020年度 事業高235億円。
[労働者協同組合法]
・出資原則、意見反映原則、従事原則
組合員が主体者となって、出資、意見反映、従事のすべてを行う。
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(5) □ 日経サイエンス 2022年3月号 (日経サイエンス) 2022.3.6
(2022.2.16 アマゾン)
科学誌を定期的に読んでいようと思っているけれど、一般向けはNewtonと日経サイエンスくらいしかない。Newtonは同じようなテーマのことが多いので、今回は「自己免疫疾患」を特集テーマにしていた日経サイエンスを読んでみた。
図やグラフが少なく、言葉だけで説明している箇所も多いので、わかりにくい。特に自己免疫疾患の箇所は知識を持ち合わせていないこともあって目を通しただけで頭に入ってこ
なかった。
けれど、扱っているテーマは興味深いものが多くあって、それなりに楽しむことができた。毎月読むにはつらいけど、テーマを選んで読んでみたいと思う。
ちなみに来月には「ブタの心臓を移植に成功」という記事があるので購入を決めている。
(メモ)
[特集:自己免疫疾患]
・約80の自己免疫疾患が知られている。
・自己抗体(生物自身の組織に破壊目標の印をつける免疫系タンパク質)と、攻撃の実行部隊となるT細胞とベータ細胞が関わる。
・1型糖尿病(重要なホルモンであるインスリンを十分に作れなくなる)。インスリンが欠乏する理由は、作り出す膵臓のベータ細胞の死。
・抗体は免疫系のベータ細胞が作り出すタンパク質。細菌やウイルスといった侵入者の表面にある「抗原」と呼ばれるタンパク質に結合。結合した抗体は侵入者を破壊するための目印になる。
・自己抗体は私たち自身の細胞表面にある「自己抗原」に結合し、細胞傷害性T細胞(キラーT細胞)を呼び寄せる。破壊活動を行うのは、これらのキラーT細胞。
・健康な人でも血液中にキラーT細胞が存在するが発病しない。
・発症すると、ベータ細胞自体が誘引分子を生成し、キラーT細胞を引き寄せると考えられている。
・糞便移植:腸内細菌、承認されていない。
[特集:激化する気象災害]
・海洋と大気の温度が上がると、より多くの水が蒸発して空気に加わる。
・大気中の水蒸気量は1990年代半ばから地球全体で約4%増えた。
・二酸化炭素が排出源の場所によらず地球の大気全体に拡散するのと異なり、水蒸気は局地的にとどまり続ける傾向がある。
・大気中の温室効果ガスとして一般に注目されているのはCO2だが、これまでのところ最も重要なのは実は水蒸気。地表から放射される赤外線エネルギーを水蒸気が吸収している量は他のどの温室効果ガスによる吸収量よりもはるかに多く、つまり多くの熱を捕捉している。
[褐色矮星]
・褐色矮星は、恒星と惑星の境界域に位置する星
太陽のような水素核融合は起こっていないが、内部からの熱放射で光っている。
[極超音速ミサイル 無益な開発競争]
この記事によると、極超音速兵器は宣伝されているような機能を発揮できず、いたずらに緊張を高めるだけとされている。理由は、飛行体が受ける抗力は速度の2乗に比例し、さらに空気を押しやる際に機体から流出するエネルギーが速度の3乗に比例する。エネルギーの一部は機体に戻り、マッハ10以上で飛行すると、前縁部は2000K以上の高温になる。
ミサイルが丸焼けにならなくても、発する赤外線を衛星から発見できるようになる。上記の点は、新聞で見た情報と違っており、どちらが正しいかはわからない。
[その他の記事]
・玉虫色の真珠層は強度と靭性を持つ
硬いが脆い無機質のかけらが、軟らかなタンパク質によって接着されて層をなしている構造
・毎年1000トンの水銀が河川によって沿岸部に運ばれている可能性がある。土壌や河川に含まれる有機物と結合している場合が多い。
・ゾウの鼻の動き
ゾウの鼻は人間の舌と同じく、一種の「筋肉ハイドロスタット」となっている。骨がなく様々な動かし方ができる組織
・カリフォルニアコンドルの雄のヒナ2匹が、雌雄の交配無しの”処女懐胎”で生まれたことが見出された。(米国)
・幽霊を描いた知られる限り最古の絵が、メソポタミアの古代都市バビロンの3500年前の粘土板に見つかった。
・ウェッブ望遠鏡は、地球と月を太陽からの日よけとする位置を動き、マイナス223度を保つ。
太陽・地球の系には5つのラグランジェ点があり、その位置では小さな物体が地球とともに太陽の周りを安定して軌道運動できる。ウェッブ望遠鏡は第2ラグランジェ軌道を取る。
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(4) □ 日韓歴史認識問題とは何か (木村幹:ミネルヴァ書房) 2022.2.11
2014年刊行 (2015.7.18 近鉄百貨店橿原店)
日韓歴史認識問題を研究者としてまとめた本だ。歴史事実ではなく、歴史認識を持つ背景を中心に説明している。状況をきちんと整理したいという意識が強く、思い入れはおそらく意図的に排除されている。
(メモ)
・第3回韓国併合再検討国際会議の休憩時のアメリカ側コーディネーターの言葉
「過去をめぐる問題がそう簡単に解決すると思っているのですか。アメリカの南部では150年以上たった今でも、南北戦争のわだかまりが色濃く残っていますよ」
・第2次世界大戦後のドイツとポーランドの関係のように、政治的リーダーによる謝罪が、歴史認識問題のあり方に大きく影響を与えた例は存在する。
だがそのことは、真摯な謝罪さえあればすべての歴史認識問題が解決されるとか、逆に、謝罪がなければ歴史認識問題は解決しない、ということを意味しない。
・『朝鮮日報』における歴史認識に関わる記事数の推移
歴史認識問題に関わる記事数が1990年代に入って急増。1980年代まで従軍慰安婦はほとんど登場しない。
・歴史認識問題とは「過去」に関わる問題である以上に、「現在」を生きる我々により直接に関わる問題である。
・韓国では1979年の朴正煕大統領暗殺を契機として、社会全体で大規模な世代交代が進行し、日本統治で手を汚していない世代が政権を掌握した。クーデターにより成立した全斗煥政権は弱体な正統性を補うため、「過去」に関わる問題提起を行い、これが後に民主化により自由化された言論空間の中で大きく注目され、歴史認識問題に関わる爆発的な議論の増加がもたらされた。
・1970年代から2005年頃まで、日本の歴史教科書は「右傾化」するどころか、むしろ、日本の朝鮮半島侵略やその支配の実態をより詳しく記述する方向に変化している。1980年代の歴史教科書問題の激化を、この時期の日本の教科書の「右傾化」によって説明することはできない。
・ある事象が紛争に発展するには最低限3つの条件が必要
@事象とその意味づけが複数のアクターによって「発見」され
Aこれら複数のアクターが互いに衝突する「認識」を有し、
Bアクターが衝突で失われる以上の「重要性」を見出している。
・ある事象が歴史認識問題にまで発展するまでの3つの段階
@ある事象とその意味付けが発見される段階
A異なる人々が異なる認識を形成する段階
B提起することにより失われる利益を凌駕する大きな重要性を獲得していく段階
・日韓の歴史認識問題の展開は3つの時期に区部される。
@1945年から1950年代(または1960年代前半)
韓国での当時の議論は、植民地支配への賠償や、植民地期における韓国人協力者とその処罰に関わる問題。日本では第2次大戦に関係する「戦争責任」問題。
A@以降、1980年代前半まで
日本にとっては@の時期はサンフランシスコ講和会議で急速に沈静化
韓国は1965年日韓基本条約で沈静化
B1980年代後半以降
戦後世代(総力戦期や植民地期を直接体験しなかった)が登場
従軍慰安婦問題が、「隠された歴史の真実を発掘する」形で行われた。この時期になると、植民地支配期の研究や運動は、その実態を人々が知らないことを前提に行われるようになっていた。
・韓国貿易における日本のシェアは低下を続けている。
1965年:35%、 1990年:23% 2009年:11%
原因:世界経済全体における古い先進国の地位の低下
グローバル化
韓国の経済発展
・GDPの金額に対する貿易額(輸出入)の割合
韓国は増加している(2008年 110%)
日本は緩やかな増加(2008年 35%)
[転換期の1980年代]
・冷戦期、韓国は孤立することに警戒感を持っていた。
1972年 日本:日中共同声明、中華民国政府を切り捨て
1973年 米国:ベトナムから軍隊撤収。南ベトナム見放す
1978年 イランにおいてイスラム革命。反米政権
1979年 ソ連がアフガニスタン侵攻
・1980年 全斗煥大統領就任(49歳)
「植民地支配に責任を負わなかった世代」
朴正煕政権のように人生経験の中で培われた日本との強いつながりはなかった
・1970年代は外交交渉でも韓国首脳が日本語を使うのは珍しくなかった。全斗煥政権になると高度なレベルで日本語を駆使しうる世代は退場した。また、1970年代末までは韓国滞在の日本メディアの特派員や日本企業の駐在員の多くは韓国語を話すことができなかった。
・1980年代になって日韓関係は水平的な関係に変わり、激しい競争を展開する時代になった。
・1982年 中韓両国が検定済み歴史教科書の修正を要求。宮沢官房長官談話 「政府の責任で是正する」。宮沢談話を受けて、検定基準に「近隣諸国条項」が追加
「近隣のアジア諸国との間の近現代史の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」
・1982年 「日本を守る国民会議」による教科書作り
・中曽根首相は「右翼教科書」出版に対してブレーキをかける。
文部大臣海部俊樹に対して、「宮沢官房長官談話の趣旨に基づき十分配慮」を要求
・1980年代は統治エリートの掌中で何とかコントロールできていた。
・冷戦下、自由主義陣営の韓国や共通の敵であるソ連を抱える提携相手の中国との歴史認識問題の激化を極力抑制しておきたかった。自民党保守政治家は保守的だったからこそ、自由主義陣営の韓国に融和的だったと言える。
[従軍慰安婦問題:1990年代]
・1991年海部首相訪韓時(韓国は盧泰愚大統領)
歴史認識問題としては労働者「強制連行」問題
・1991年8月 元従軍慰安婦の金学順が実名で証言
12月 訴状を東京地裁に提出
・1992年1月11日 朝日新聞:慰安所設置に軍関与の記事
・1992年1月13日 第1次加藤談話
(謝罪の性格だが何にかが不明確)
・1992年1月宮沢首相訪韓時(訪韓は軍関与記事の5日後)
従軍慰安婦問題に移行。最優先は通商問題(韓国貿易赤字)
首脳会談時、両国とも追加の補償責任は生じないとの認識
・宮沢訪韓の直後、盧泰愚政権は真相究明と適切な補償を要求。一方で具体的にどう行うかについては沈黙
・1992年7月 第2次加藤談話
慰安所設置や募集規定策定等への政府の関与の調査結果。
発見が「予見」されていた慰安婦の動員過程における違法行為に直接関与したという資料は出てこなかった。
・1992年8月 政府全額出資の財団を韓国に設立することを発表(後のアジア女性基金よりも韓国の要求に沿っていた)
従軍慰安婦支援団体が反対。理由は真相究明が不足
・1993年 金泳三政権は「物質的な補償」を求めないと明言。
以降、韓国政府は明確な姿勢を打ち出さない。
*国連クマラスワミ方向が出された1996年から1997年初頭を除き、法的賠償を要求していない。
・1993年 日本政府の慰安婦への聞き取り調査への協力を挺対協が反対。理由は調査不十分。
・1993年7月18日 総選挙。 22日自民党政権維持を断念
・1993年8月4日 河野談話
(翌日に新首相を選任する特別国会)
「官憲等が直接これに加担したこともあった」
中国大陸や東南アジアの一部で日本軍が従軍慰安婦を強制的に徴集した事例があることは以前から資料で明らかになっていた。
・細川政権は関係改善。
・1995年村山政権
歴代首相の中で最も歴史認識問題の解決に前向きだったと思われる。外相兼自民党総裁の河野洋平も「河野談話」の本人。しかし、歴史認識問題をめぐって困難に直面した。
・細川政権は歴史認識問題に関わる発言を散発的にしたが「談話」のようなまとまった形で示すことはなかった。だからこそ問題にもならなかった。
村山首相は戦後50年の見解を出すことを目指していた。積極的に歴史認識が重要であることを強調。しかし、日韓の歴史認識の壁があり、韓国政府は反駁。
・アジア女性基金
構想が発表された1995年6月に、韓国政府は好意的に論評
1996年公式に追加要求
1997年見舞金の支払中止を要求
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(3) □ 韓国愛憎 (木村幹:中公新書) 2022.1.31
2022年1月刊行 (2022/1/27 京都駅ふたば書房)
著者のこれまでの研究者としての人生を振り返ったような感じの本で、読んでいる最中はあまり面白く思わなかった。けれど、著者が2014年に出した「日韓歴史認識問題とは何か」を補うものとして見ると、興味深い点はいくつかある。
本書の最後で強調されていたのは、韓国にとって日本の重要性が小さくなったことだ。重要性が下がったことで韓国政府としても日韓関係を緊密に保つ必要が薄くなった。このため、対日関係を悪化させるような出来事を抑えることを放棄し、韓国社会が長期的な視点もなく不要な紛争を招くようなことを続けることになっている。
このような状況から著者は日韓関係改善について悲観的に捉えているようだ。改善策の提言は特に記されていない。
(メモ)
・2001年 日韓併合再検討国際会議に参加
欧米の出席者から「そもそも帝国主義時代の植民地化について、その合法性を議論すること自体がナンセンスである」 という発言があり、韓国側出席者がこれに大きく反発する場面もあったものの、参加者が各々の立場を堅持して対峙する基本的な状況は変わらなかった。
・1980年代以降、アメリカからの政治科学の影響を受け、データに基づき政治現象に関わる因果関係を推論していくスタイルの研究が登場した。
・2001年、小泉首相と金大中大統領の首脳会談で日韓歴史共同研究のプロジェクトが合意された。第1期、著者は委員として配置された。日韓の研究者は公式の研究会では互いの立場を主張して対立するが、懇親会では打ち解けており、交流に意味があると思われた。第1期の日韓歴史共同研究は2005年に終了。特に韓国側から高い評価を受けた。
・第2期の日韓歴史共同研究は2006年開始を目標にされていたが遅れた。最初に問題になったのは歴史教科書。
・廬武鉉は韓国の民主化と自らの政権による改革を、親日派の末裔から民衆が権力を奪い返す過程と位置づけた。(李承晩、朴正煕、全斗煥を植民地期に日本に協力した親日派の末裔とした)→国内問題としての歴史認識問題
・2006年第2期研究の「教科書小グループ」の委員に就任。2006年9月安倍内閣発足。当初日本側座長就任予定だった小此木正夫氏などの名前はなくなった。開始後も求心力を失った。研究は2007年に開始。両政権が相手国に厳しい態度で接しようとしていた環境下で、険悪な雰囲気になっていた。
・グループメンバーは歴史事実に関わる専門家。歴史学の専門家が学問的な議論を戦わせればおのずから教科書の内容は決まるはずという、あまりにも素朴な考えがあった。
・物価水準を調整した一人当たりのGDP値の推移を見ると、1998年に韓国の値は日本の半分。現在はほぼ同じ。
・アジア通貨危機以前は、自由で民主主義的な体制の下、自らよりはるかに高い生活水準を謳歌する日本は、彼らが目指すべき一つの未来の姿だった。しかし。その後、韓国でこの理解は急速に失われていく。
・日本と韓国の関係は、かつて宗主国として君臨した国が、同等に近い力を付けたかつての植民地と向かい合う、変わりつつある世界の最前線になるのかもしれない。こうしてかつて植民地や半植民地であった国々が、かつて宗主国であった国々に要求をつきつけ、新たなる国際秩序を模索する、そんな時代がや
ってくるのかもしれない。(p131)
・(情報番組への出演で)わかったのは韓国政府の行動や韓国人の考えにも、それなりの理由があるという説明を、多くの人が「韓国の立場を代弁する」ものとしてとらえるらしいことだった。(p146)
・2011年8月 韓国憲法裁判所の判決
元慰安婦らの有する日本への請求権に関し、韓国政府の不作為を憲法違反とするもので、韓国政府は日本に対して問題解決を求める外交的努力を行う義務が生まれた。
・2011年12月日韓首脳会談で、李明博大統領が「慰安婦問題を優先的に解決する真の勇気を持たなければならない」と述べ、野田首相は「法的に解決済み」とこれまでの主張を繰り返した。
・李明博は政権の支持率が高い間は、世論の批判を気にせずに自らの所信を貫けた。しかし、支持率が低下すると、世論や与党内部からの反発に抗せなくなった。
・日本の世論も李明博政権の対日政策転換により影響を受けた。
・2015年12月 日韓外相会談 慰安婦問題日韓合意
・合意後の朴槿恵大統領の支持率は上昇していた。慰安婦合意が支持率に悪影響を与えることはなかった。世論調査会社は北朝鮮との関係悪化が支持率を上昇させたと解釈した。慰安婦合意は韓国社会でどれほど不人気であっても大統領の支持率に影響を与える存在ではなくなっている。それほど日韓関係の重要性は低下している。
・日本の重要性や影響力の低下により、韓国政府が対日関係を統制する努力を放棄し、結果、韓国の政府や社会の各所で、長期的視野を欠いた観点からバラバラに日韓関係を刺激する事態になっている。
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(2) □ 政治学と因果推論 (松林哲也:岩波書店) 2022.1.26
2021年11月刊行 (2021/12/4 近鉄奈良駅そば啓林堂書店))
木村幹氏の『韓国愛憎』の中に
「1980年代以降、アメリカからの政治科学の影響を受け、データに基づき政治現象に関わる因果関係を推論していくスタイルの研究が登場した。」という記述があった。
おそらく本書もその流れの中にあるのだろう。これは政治学だけでなく、人文社会科学という広い領域で、数値データに基づいて議論しようという動きのようだ。
それ自体は間違っているようには思えないけれど、本書を読むとそんな微妙なところにこだわるべきかなあ、という疑問も湧いてくる。数学的に有意差として認められたとしても小さな差ならあまり重要でないことも多いように思う。研究者が数学的に小さな差に有意差があることを示すことで安易に論文が書けるように感じてしまう。重要なテーマをこの方法で扱
うことが大切で、やや疑問もある。
本書にあった例として、候補者の知名度が投票に与える影響を調べたものがある。容易に想像できるように知名度を定量化するのは困難だ。そこでやった分析の一つが、過去の参議院選挙において全国区と地方区での候補者名の重なり(例えば全国区にも地方区にも鈴木姓の人がいる)によって地方区の候補者の得票率が変わるかどうかだ。
この分析の結果、同じ姓の候補者がいた場合、いない場合と比較して得票率が69%高くなったということだ。これが知名度を扱ったことになるかというと何かちょっとズレている気もする。ただ、それ以上にこの結果が本当ならこんなことで大きく得票率が変わるって、国民のレベルは大丈夫か?と思ってしまう。
別の例では、難民が流入した地域では住民が敵対的な態度を示すようになるかを調べた研究例が紹介されている。大きなテーマは「難民の受け入れは住民の反発を生み出すか」
2015年から2016年にかけてトルコからギリシャの島々への難民の流入がその島の住民の態度を変えさせたかを調べた。難民は自分たちを受け入れてくれそうな島を選ぶかもしれないので単に難民が来た島と来ていない島の住民の態度を比べるだけでは結果ははっきりしない。そこで、かなり興味深い方法を取っている
変数A:トルコ沿岸部とギリシャの島々との距離
変数B:難民流入の有無
変数C:難民に対する各島住民の態度
距離が近い島々ほど多くの難民がやってきたというデータがある。一方、トルコとの距離が難民受け入れに対する態度と関連している可能性は低い。したがって、距離と住民の態度の関係を調べることによって、難民流入の有無と難民に対する態度の関係を知ることが
できる。(このような手法を操作変数法というらしい)
結果は、
「難民が到着した島の住民は難民受け入れを制限する政策を支持し、そのような政策を実現するための行動を積極的に取りたいと考える傾向にある」
扱う手法や、興味深い結果が、本書にはいろいろ紹介されている。これを積み重ねたところに大きな視点が生まれてくるのだろうか。政治学が小さくなっていかないことを望む。
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(1) 〇 戦争はいかに終結したか (千々和泰明:中公新書) 2022.1.19
2021年7月刊行 (2021/12/23 アマゾン)
戦争終結を、「紛争原因の根本的解決」と「妥協的和平」のジレンマという観点で捉え、これまでの戦争がどういう終結をしてきたかを説明している。
(A)「紛争原因の根本的解決」の極に近い戦争:第2次世界大戦(欧州)、アフガニスタン戦争、イラク戦争
(B)「妥協的和平」の極に近い戦争:朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争
(C)中間:第1次世界大戦、第2次世界大戦(日本)
第1次世界大戦の経緯を見ると、イギリス、フランス、ロシアが連合国を形成しながら、ロシアが革命でドイツと単独講和を結びそれぞれの国でも革命の影響を懸念しながらの戦争になっている。そこにアメリカが参戦し、ウィルソン大統領の理想主義的な思想がヨーロッパで戦っているイギリス、フランスの考えと合致せず、単独でのドイツとの折衝も混乱を大きくした。そして、中途半端な戦争終結と過酷な講和条件が20年後の第2次世界大戦につながったようだ。
これを書いている2月27日、ロシアのウクライナ侵攻が続いている。戦いが早く終わることを望むが、本書を読むと終結の仕方もとても重要だ。
(メモ)
[戦争終結研究の潮流]
@権力政治的アプローチ:パワー
「一方が力で圧倒して戦争は終わる」という考え方。どれだけ損害に耐えられるかという「損害受忍」も力と見る。北部ベトナムは米国より損害受忍度が高く、軍事力の不利を補った。
A権力政治的アプローチ:パワーバランス変化
パワーバランスの変化によって不利になる側が終結を求める。第三者の参戦が終結に関して逆効果になる場合もある。第一次大戦におけるアメリカの参戦 →@Aしかし、勝敗が明確でもただちに終結にならない。 第2次大戦時の日本
B合理的選択論的アプローチ:妥協
終結を合理的な費用対効果分析の帰結とみなす(妥協)。妥協に達するための条件がある。
a.費用にあった効果を評価できる
b.妥協の前提となる現状や見通しが交戦勢力双方で一致する
c.適切なタイミングで妥協が持ち出される
d.和平をめぐるコミットメント問題が解決される
e.多国間戦争の場合、同盟管理の問題が処理される
C合理的選択論的アプローチ:紛争の根本原因の除去
第2次大戦でドイツに対して行った完全勝利と無条件降伏
[戦争終結のパターン]
@紛争原因の根本的解決
優勢勢力にとっての「将来の危険」が大きく、「現在の犠牲」が小さい場合
A妥協的和平
優勢勢力にとっての「将来の危険」が小さく、「現在の犠牲」が大きい場合
B「将来の危険」と「現在の犠牲」が拮抗した均衡点選択
[第一次世界大戦]
・1918年11月 連合国とドイツの休戦協定
・終結形態は、「紛争原因の根本的解決」の極に近い
・1914年6月オーストリア皇嗣夫妻の暗殺に端を発したオーストリアとセルビアの紛争。両国と同盟関係にあったロシアとドイツが引きずりこまれた。さらに、ドイツとフランス、イギリス間でも戦争が生じた。結果、三国協商(英・仏・露)に基づく連合国、三国同盟(独・伊、オーストリア)に基づく中央同盟の間で第1次世界大戦が始まる。
*イタリアは連合国側で参戦
・1914年11月 仏独露が「ロンドン宣言」に署名。単独不講和を誓約。連合国の足並みの乱れ防止
・1916年12月12日 ドイツ和平交渉提案(ドイツ有利な戦況)
12月18日 アメリカのウィルソン大統領が連合国に和平の仲介打診。
12月30日 フランス、イギリス、ロシアは拒絶
・1917年1月10日 連合国は仲介拒否。和平条件公表。
1月22日 ウィルソン上院で「勝利なき平和」演説
2月1日 ドイツ 無制限潜水艦作戦(客船撃沈)再開
2月3日 アメリカ ドイツとの国交断絶
3月12日 ロシアで2月革命。帝政倒れ臨時政府。連合離脱が現実味。
4月6日 アメリカ 対ドイツ宣戦。アメリカは自らを連合国ではなく、協力国とした。単独不講和の誓約せず。
11月7日 ロシア10月革命。ボリシェヴィキ政権は即時全面講和を呼びかけ。他の連合国はロンドン宣言違反と非難。
11月26日 ロシア休戦交渉。27日 ドイツ受け入れ
12月22日から、ブレスト=リトフスク講和会議。ドイツはボリシェヴィキ政権の無賠償・無併合・民族自決の原則を拒否。ポーランド・リトアニア・ラトビア西部の放棄を要求
・1918年1月8日 ウィルソン大統領 講和のための「十四か条の原則」発表
・1918年2月16日 ドイツは休戦協定の無効を宣言し、全面的侵攻
ドイツ 最後通牒。24日回答期限
2月24日 トロツキーは首都失陥も覚悟を主張。レーニンは即時講和に固執。中央委員会表決で即時講和案が可決。講和条件受け入れ
3月3日 ブレスト=リトフスク講和条約締結 →ロシアの連合離脱は連合国・米国と中央同盟国との戦争終結にはつながらず。むしろ、ドイツがロシアとの講和で領土を得たからこそ「将来の危険」を恐れて戦争終結を求めなかった。
・1918年3月21日 ドイツ西部戦線で総攻撃を開始。5回の大攻勢を実施したが、連合国とアメリカに優勢を覆される。
8月8日 ドイツ陸軍史上「暗黒の日」 以降、和平路線に傾く。
9月14日 オーストリアが連合国・アメリカ側に和平交渉提案
9月28日 ルーデンドルフ将軍(事実上の指導者になった)が皇帝に新政府の樹立を迫る。皇帝承認。
*ウィルソンが軍国主義と専制体制を批判し、民主化を要求していた。*ルーデンドルフは無傷の軍隊を残し、ウィルソンの十四か条の原則に基づく終結を考えていた。
9月29日 ブルガリア降伏
10月3日 ドイツ マックスが新政府首班に。ウィルソンに休戦・講和交渉を打診(十四か条の原則を和平交渉の基礎として受け入れるとの内容)
10月7日 独米接触が英仏伊の連合国最高戦争指導会議に伝わる。ドイツ条件では不十分との考えで一致
10月8日 ウィルソン ドイツに「第一覚書」発出。連合国にも通知。十四か条の原則受け入れ、宰相はドイツ人民を代表しているか、連合国からは、連合国と米国の間で議論されていないと問題視
10月12日 ドイツ回答(受け入れの回答))
10月14日 ウィルソン ドイツに「第二覚書」。皇帝の退位を求めているか、曖昧(国内世論の反発を考慮)→休戦交渉に関するドイツの楽観主義を覆す。ウィルソンの真意を掴めず。
10月22日 ドイツ マックス内閣発足。立憲君主制国家に。*ドイツ国内で高まった革命ムードの機先を制して憲法改正
10月23日 ウィルソン 「第三覚書」発出。より厳しい表現に。連合国側に十四か条の原則を基礎とした講和を提案するとした。連合国に、これまでのドイツとの非公式折衝の経緯を正式に通知
10月27日 オーストリア 連合国・米国に単独講和申し入れ。ドイツ 留保条件を削除した回答を送付。
10月28日 チェコスロバキアが独立宣言
10月29日 スロベニア・クロアチア・セルビアが独立宣言
10月31日 連合国・協力国最高戦争指導会議 休戦条件討議(十四か条の原則を休戦条件にすることの是非)。英仏は公海自由の原則確保に反対。一方で、戦争が翌年まで長引くとアメリカが優位に立つことを懸念。戦争終結に際してのアメリカの影響力拡大を恐れていた。また、戦争継続によるボリシェヴィズムのドイツ浸透とヨーロッパへの拡大も恐れる。
11月3日 オーストリア降伏(10/31にはトルコ降伏)
11月9日 ドイツ皇帝退位(帝政終焉)、ドイツ共和国
11月11日 休戦協定署名(休戦交渉にアメリカ代表は不参加)
1919年6月28日 ベルサイユ講和条約締結(アメリカ批准せず)
1921年8月25日 アメリカはドイツとベルリン講和条約を締結。連合国とアメリカの足並みは最後までそろわず→第1次大戦の終結は、わずか20年で2回目の世界大戦を引き起こしたと いう意味で失敗だった。
連合国・アメリカが「紛争原因の根本的解決」の極に近い決着を手にできるほどドイツを打ち負かしていなかったのに、ドイツに過酷な条件を受け入れさせたことにある(十四か条の原則「勝利なき平和」を信じたドイツは懲罰的和平を押しつけられた)。「紛争原因の根本的解決」の極に近い決着を求めるなら、「現在の犠牲」をいとわずドイツ本土に侵攻しなければならなかった。「現在の犠牲」を避けたいのであれば、ウィルソンとドイツとの対話初期にドイツの回答を受諾すべきだった。そうならなかったのは、十四か条の原則をめぐる連合国側の足並みの乱れに起因している。ウィルソンが連合国との事前調整なしにドイツとの間に覚書を通じた折衝を開始したことは軽率だった。
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