太田昌国氏講演会 『「拉致」異論』〜その後 :2006.3.17
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太田昌国氏は、2003年に北朝鮮による拉致問題に対する批判『「拉致」異論』を書き、
それを踏まえた講演会を各地でされた。2004年2月28日に京都法然院でも行われ
私はそれに参加した。今回、再度、この2年間の日本社会の変容について講演された。

「歴史的な公平さに配慮した分析的な思考が必要」との考えに賛同する。公平さを欠いた
言葉は普遍性を持たない。にもかかわらず、歴史を無視し一方の側からだけ見る傾向が
強まっている。この傾向を無視することなく、丁寧に考え説明していく姿勢が必要だ。

『「拉致」異論』
太田昌国氏講演会2004.2.28

【日時】 2006年3月11日(土)16:00〜19:20
【場所】 京都 法然院

【内容】
(1)21世紀の2つの大きな事件
 それは、2001年9月にアメリカで起こった同時多発テロと2002年9月の日朝首脳会談
である。それを契機として、歴史的展望を全く欠いた見方が世界を覆いつくした。たとえ憎む
べき事件でも歴史の中で捉えうる要素があれば、事件の背景を考えていかなくてはならない。
しかし、そういう発想が機能せず、「これは戦争だ」と叫ぶ大統領によって、アフガニスタン
戦争とイラク戦争になってしまった。1つの角度からしか見ないことで、論理的でない極めて
情動的な社会になっている。

(2)言論のレベル
 小泉首相が非戦闘地域の定義を国会で問われ、「自衛隊が活動する地域は非戦闘地域」
と答えている。このような発言がまかり通っている。
この程度の言論を批判する力を失っている。これは政治家だけではない。
今、書店に並んでいる本を見ると、出版の状況も目を覆うばかりだ。アジアとの関係を損なう
言論にあふれている。それを求める読者がいるということだ。

(3)歴史的な公平さに配慮した分析的思考
 敗戦から60年が経過した。60年前に行ったことに対し、何らかのことをする時間はあった
にもかかわらず、してこなかった。 日朝首脳会談後についても、問題の立て方によっては
もっと積極的な成果を生み出すことができたはずなのに、むなしい時間が過ぎてしまった。
例えば、遺骨が問題となったが、拉致被害者の遺骨が重要なのと同様に、朝鮮人の遺骨も
大切に考えなくてはいけないはずだ。しかし、そのような普遍化がされていない。

 今の基準で過去のこと(植民地主義)を裁けないというのは、やった側の強者の論理。
負の歴史とどう向き合うかは、やった側の問題。
 歴史を大切に考え、居直ることなく論理的・分析的な思考をしていくことが重要である。

 靖国参拝問題について、反日デモに依拠した批判は弱い。中国のナショナリズムのあり
かたを見ると、協調すべき相手かどうか疑問がある。中国がどういうかにかかわらず、内在
的な論拠によって批判すべきだ。

 アメリカの同時多発テロが起こった直後、著名人がどういう発言をしているかが、すばやく
ネット上に紹介された。たしかにそれは重要なことかもしれない。しかし、人の意見を聞く前に
自分で考える時間を持つことが最も重要だ。自分で考える時間を持たないと、情報に振り回さ
れ、主体的に考えることができなくなる。