浜坂温泉郷・七釜温泉 カニづくしの旅
2003.213(木)〜2.14(金)

ARご夫妻と一緒に、同氏の遠縁が経営されている浜坂・七釜温泉の民宿に一泊、家内と共に初めてカニのフルコースを満喫した。カニに気を奪われたためか、入浴した3ヶ所の温泉の浴室・湯舟の写真は皆無となってしまった。

1日目

午前7時30分・奈良県生駒市発→高石市(ARさん宅)→阪神高速→中国自動車道→福崎IC→播但連絡道路→和田山IC→国道9号線→湯村温泉(観光・入浴)→浜坂温泉郷・七釜温泉(泊

2日目

8:30七釜温泉発→水産物直売所(買物)→国道178号線→余部鉄橋(観光)→国道178・426号線→出石町(観光・昼食)→但東町・シルク温泉(入浴)→国道426・9号線→福知山IC→舞鶴若狭自動車道・中国自動車道・阪神高速→高石市→生駒市・20時着
全走行距離 : 485km
温泉町・湯村温泉
播但連絡道路和田山ICから国道9号線に乗って北西に進み、ハチ北高原の道の駅で昼食、湯村温泉に向かった。途中、道路わきに若干の雪を見たが、運転にはなんの支障もなく湯村温泉に到着した。
浜坂温泉郷七釜温泉
出石町の観光エリア内に50近い蕎麦屋がある。私のひいきの店は、上の写真、賑わいを見せている駐車場正面の左手の路地にある「入佐屋
豊臣秀吉に仕え、大盗賊・石川五右衛門を捕らえたり、小田原攻めで勲功を上げ、箱根に「仙石原」の名をいまに残す仙石権兵衛の末裔が、18世紀はじめ、信州から移封されてこの地を統治した。
写真は、出石のシンボル、辰鼓楼。
明治4年、旧三の丸大手門脇に建設された鼓楼で、当時は1時間ごとに太鼓で時(辰)を告げた。
どこのお店でも5つの皿に蕎麦を分けて出される。卵、山芋、ネギ、ワサビは好みに応じて。
「挽きたて」「打ちたて」「茹がきたて」の「三たて」の蕎麦は絶品の一言。関東出身の蕎麦党、関西の蕎麦になかなか満足できない私も、「うまい!」と声をあげた。値段は800円前後の店が多く、追加は一皿100円〜120円。
日本海側、鳥取県との県境にある浜坂町は観光資源に恵まれた町だ。山陰海岸国立公園の中でも景勝の誉れ高い浜坂海岸、豊富な温泉、冬の味覚の王様・ズワイガニの水揚げ量(浜坂港)は兵庫県全体の40%を占め、ホタルイカの水揚げ量は日本一である。
余部(あまるべ)鉄橋
明治45年3月、当時の最新技術で2年3ヶ月をかけて開通した。高さ41メートル、長さ309メートル、トレッセル式鉄橋では日本一。
昭和61年12月28日、香住発浜坂行の回送列車が突風で転落、乗務員と陸橋下の工場従業員6名が死亡した。
夢千代像
夢千代は被爆二世、この像は広島市から寄贈された。
像の顔は主演の吉永小百合さんそのもの。
夢千代日記はその後「続」「新」が放映され、舞台でも多数上演されている。
地元ではズワイガニのオスを「松葉ガニ」といい、メスはセコガニと言う。
湯村温泉の名所・源泉「「荒湯」
ARご夫妻と一緒に
入浴した地元の公共浴場「薬師湯」
湯村温泉から15足らずで浜坂に到着した。
宿泊した民宿のあさひ荘は、ご主人を亡くした奥さんが一人で取り仕切っている。
カニ刺し(左上)
カニ刺し、茹でカニ(1人1匹)、焼きガニと出て、最後のカニ鋤は食べられなくなり、翌朝の雑炊用に残した。
2日目
民宿の奥さんが同行してくれて、近くの海産物直売所でカニを選び、それぞれの実家に送付。その後、しばらく海岸沿いに走る国道178号を進み、香住経由で出石町に向かった。途中、明治時代の有名な余部の鉄橋の下を通過した。
出石(いずし)
ここには3回、ソバを食べに寄ったが、いつも観光客で賑わっていた。
丹波の黒豆は夙に知られているが、生産量はここの方が多いそうだ。
シルク温泉・但東シルク温泉館
国道426号線沿い、但東町中心部の2kmほど手前の小高い所、「ふれあいセンターやまびこ」に隣接してある。
温泉は地中1,100メートルから汲み上げるナトリウム・炭酸水素塩・塩化物泉。
その名の通りシルクタッチのなめらかな温泉に浸かった後、舞鶴自動車道の福知山ICから帰路をとった。
写真は、施設のHPから。