住 所 |
目黒区鷹番2−2−1 |
電 話 |
03−3713−1005 |
交通機関 |
東横線学芸大学から徒歩7〜8分
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施 設 |
休憩室 駐車場(5台 2時間まで無料) |
宿泊施設 |
無し |
泉 質 |
メタ珪酸・メタホウ酸温泉
(こんな名称の温泉はあまり聞いたことがないが、この2つの物質が温泉法に定める規定値を上回っているので、管理者がかってに命名した。) |
適応症 |
不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照) |
入浴時間 |
15時〜25時(翌午前1時) 土・日祝日は13時〜
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定休日 |
第1・第3金曜日 |
入浴料金 |
大人400円 小人180円、 |
入浴施設 |
内湯男女各1、露天風呂男女各1、サウナ(別料金)、ジャグジー、ジェットバス」
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浴室備品 |
ロッカー(シャンプー等無し) |
観光スポット |
東横線沿線(目黒不動尊・渋谷・代官山・自由が丘など) |
お土産・食事 |
食事は学芸大学駅周辺に多数。 |
近くの温泉 |
大江戸東山温泉、山河の湯 |
目黒区HP |
http://www.city.meguro.tokyo.jp/ |
雑記帳 |
自由が丘駅から東横線に乗って渋谷方面に向かうと、1つ目の駅が都立大学、2つ目が学芸大学と大学名を冠した駅名が続く。ところが、名前に偽りあり、両方の大学とも郊外に転出しているのだ。東急電鉄では、駅名の変更を検討しているが、アンケートでは住民の半数以上が現駅名存続を希望しており、どうしたらよいものか思案中だ。
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データは変更されている可能性もあります。事前にご確認ください。
世田谷・目黒・太田の各区は東京のいわゆる山の手地区、それぞれに成城、自由が丘、田園調布といった東京を代表する住宅街がある。
(因みに山の手とは、武蔵野台地の東側を指し、明治時代の山の手は、武家屋敷が多かった本郷・青山・赤坂周辺だった。関東大震災後、旧江戸市街の範囲外だった西側に伸び、渋谷区松涛・富ヶ谷など、さらには田園都市ニュウータウンが計画され、田園調布・成城などが開発されていき、この地域も山の手の中に入るようになった。)
目黒区の実家は、それぞれ徒歩1分の距離で世田谷・大田区に接しているため、この3区はいわば少年期の縄張り圏だった。
「山の手」の名のごとく、この一帯はなだらかな丘陵地帯で「丘」の名がつく町名が多い。実家の緑ヶ丘(現在この町名は全国にある)、両隣には大岡山、自由が丘といった具合だ。
江戸時代、現在の目黒区一帯は、代々の徳川将軍がしばしば鷹狩に訪れていた。「鷹番」という町名は、この地域に鷹番屋敷を置き、鷹場の近くに住む浪人の身元を調査したり、鳥獣の乱獲禁止の監視などを行っていたことに由来する。
渋谷から横浜・元町に向かう東横線の学芸大学駅下車(渋谷から4つ目・自由が丘から2つ目)で鷹番の湯に向かう。
ハイセンスなリビング雑貨・ブティック・アクセサリー・カフェ・レストラン等の店が建ち並ぶ自由が丘は、東急電鉄の「*憧れの東横線」と大井町線が交差する山の手のお洒落な町として、多くの若い女性を惹きつけている。
(*東横線には、若者の集う渋谷を始発として、途中、おしゃれなショッピングゾーンの代官山・自由が丘、高級住宅街の田園調布、慶応大学の日吉、流行の先端を行く横浜・元町等の駅が連なっている。)
管理者が通った公立の小学校・中学校が、この自由が丘も校区だったので、今でも多くの友人がこの町に住んでいる。
その当時とは自由が丘も様変わりして、昔からの店は友人が経営している「和菓子の老舗・亀屋万年堂(関東では王さんのTVコマーシャルでお馴染み)」「戦後日本で初めて生クリームを使用したケーキを作ったというモンブラン(東郷青児画伯の包み紙が懐かしい)」「時計・宝石の一誠堂」などごくわずか。それに反して、カタカナ・横文字の店がやたらと増え、久しぶりに散策すると、地元なのに異邦人のような感覚に陥ってしまう。
ショッピングゾーンの一つマリークレール通り。昔は大井町線の裏側、狭くて地味な通りだった。
女神像の広場の前にあるダロワイヨ(Dalloyau)。パリ本店と同じレシピのケーキが販売されている
温泉・施設名 : ぽかぽかランド 鷹番の湯 (入浴日2005.5.24)
5.24).
鷹番の湯は、自由が丘駅から渋谷方面に向かって2つ目、進行方向右側出口から商店街を通り抜けた住宅街の中にある。
白いタイル張りの外壁に取り付けられた青とピンクのレトロなネオンが目印だ。
もともと銭湯だったのだろうか、内部の造作からはそのようには見えない。ロビーには自動販売機がたくさん設置され、狭いながら湯上処や畳の部屋がある。なんとも庶民的な雰囲気だ。浴室は1階と2階に別れ、日替わりで男女が変わる。
当日、男性用は2階、限られた敷地を有効に使って、ジャグジーやジェットバス、サウナが配置され、一番奥に2人がやっとの露天風呂が設置されている。
湯は透明でさらさらしたもので、温泉法に定める成分の内、メタホウ酸・メタ珪酸が規定値を上回って温泉を名乗っている。
帰京を利用して、実家と同じ目黒区の温泉銭湯とも言うべき施設で入浴、その後変貌した自由ヶ丘の町をしばらくぶりに散策した。
全体の設備・雰囲気は、「銭湯+小型スーパー銭湯」を2で割ったようなもの。
狭いが、アイテムバスを取り揃えている。開業の頃は時代の先端を行く施設だったのかも知れない、
施設は住宅街にある。
今どき珍しいエントランス上の2色のネオン文字がレトロだ。