八戒が宿屋に着くと、キュピピっとジープが出迎えにやってくる。
「ジープ、ただいま」
 そのまま2階へあがり、今晩借りることにした2室のうちの、人気の感じられる1室のドアをノックする。中からの反応は、はなっから期待していなかったのか、そのままドアを開ける。
「今、帰りました、三蔵。頼まれていた、ここら周辺の地図と、歴史書です」
 ここにおいておきますね、と椅子に座って不機嫌そうに新聞を読む三蔵に話しかける。
 黙々と新聞を読む三蔵にはお構いなしに、八戒は買い出してきた食べ物やら薬やらを、分別する。
「ずいぶんと静かだな」
 ポツリと三蔵は声を出すものの、視線は姿勢は全く変わることはない。
 そのあまりにも簡潔なセリフに含まれた意味を八戒は理解し、返そうとするが、ふとさっきの思考が心の中をよぎる。
『三蔵』すら知らない・・
(まあ、知る必要も、気持ちもないでしょうがね、『今は』・・)
 思わず口にしかけた言葉は心の中で昇華される。
「ええ、悟空はちょっと遊びに出掛けちゃいました」
 ちらっと三蔵の視線は窓の外、ほとんど暗闇と化した風景に向く。
 八戒はくすっと苦笑いを浮かべる。
 ばさっと新聞を閉じると、三蔵は八戒を睨む。
「なんだ?」
「いえ、何も。それより、もう少ししたら、賑やかになりますよ」
 悟浄も帰って来たようですし。
 ドアのきしむ音とだるそうな足取りがきこえてきた。そして、そろそろ一行のペット(?)もおなかを空かして帰ってくるだろう。八戒の言葉どおり。
「ただいまー!メシは!?ちょーおなか減った!」
 夕食直前、くつろぎ気分に落ち着いていた宿屋に、元気な声が響き渡る。しかも・・・
「さんぞー!!」
 ぴょんんっと飛びつこうとした子猿の頭にハリセンの快音が響く。
 後ろにこけそうになった悟空を八戒はあわてて支えてやる。
「悟空、大丈夫ですか?!」
 叩かれたところを八戒になでてもらいながら、むううっと悟空は三蔵にふくれる。
「何するんだよ!
「・・その泥は一体どこでつけてきた・・・?」
「?・・泥?」
 その言葉に、自分の服に目をやる。
 あちこちについた、泥の染み。
「ここにもついてるだろ?」
 にやにやして悟浄は悟空のほっぺを、ぷにっと引っ張る。
「いてーだろ!離せよ、悟浄!!」
「せっかく拭いてやってんのに、生意気だな」
「八戒に拭いてもらうから、いい!
 八戒の後ろに隠れる悟空に、かわいくねーな!っとつかみ合いのケンカになりかけたその瞬間。
 かちりと無機質な音が部屋に冷たく響く。
「おまえら、殺されたくなかったら、静かにしろ」その低い声に、部屋の空気は一瞬止まる。
「悟空、先に風呂にはいってこい」
「えー!?はらへったーー!!」
「風呂に入らなかったら、晩飯抜きだ」
 大きな瞳に涙をためて、三蔵を見つめる悟空だが、八戒には効いても、三蔵には通用しない。
「それから、悟浄。貴様も、その香水の匂い、おとしてこい」
 銃口はゆっくり悟浄の額に向けられたのだった
「じゃあさ、言うこときくから、オレ、今日、さんぞーと一緒の部屋がいい!」
「・・え?」
 大人たちの固まった反応は我関せず、無邪気なペットちゃんは、三蔵の服をちょんちょん、っとつついたのだった・・・。
「バカにはかなわないな・・やっぱ・・・」
髪の毛をかきあげて、笑いをこらえる悟浄だった。



  ◆   ◇        ◇   ◆




「なあ、ほらさんぞー、みろよ!」
 窓からほとんど身を乗り出すかのようにして、悟空は大きな声ではしゃぐ。
「なあなあ、おいしそーなバナナだぞ?」
 呼ばれた青年は全くその声に反応することもなく、眺めていた地図のページをめくる。
 結局、あの後いやだと言い張る三蔵に、八戒と悟浄の二人の弁(?)と、それ以上に悟空のだだこねに負けて、・・今に至る。
 それゆえ、この状況はかなり不本意で、不機嫌にもなる。
しかし、そんなことはお子様には関係ない。
 初めは一人はしゃいでいた悟空も、無視されていることに、むううっとなると、ばたばたっと三蔵の側に駆け寄ってくる。
「さんぞーってば!!」
 ベッドに腰掛ける三蔵の前にちょこっと座ると、じーっと下から見つめる。
「何で無視するんだよ」
「うるさい」
「うるさくねーもん」
 だだをこねる子猿に、三蔵は諦めた様にかけていたメガネを外す。
「月がどうした?」
 構ってくれそうなことが嬉しくて、にこっと悟空は笑顔を見せる。ぐいぐいっと地図をもつ三蔵の腕を引っ張って窓際へと連れて行く。
「ほら、すっげーキレイな黄色!」
 ちょうど、木と木の間から形の整った三日月が顔をのぞかせている。
 三蔵は、悟空の細い指先の向こうで光るそれに、ちらりと視線を移すと、だるそうに
「そうだな」
と答えて、視線を自分の右下、はしゃぐ子猿に視線を落とす。その金色の瞳の中に、月は映る。
同色の、月光と瞳。ふと、悟空が三蔵をその瞳に映す。瞳に映る姿が、一瞬揺らぐ。
何かの不一致感。
「さんぞー?」
「もういいだろ、寝ろ」
無理やり思考を停止させ、くしゃっと悟空の頭をなでる。
「やだー、もっと見る!」
と暴れる悟空のを抱え込むように窓から引き離す。
「あ!」
 しかし、悟空はいきなり抵抗をやめると、するっと三蔵の腕から逃れる。
「オレ、ちょっと行ってくる!」
どたばたと、ドアから出て行ってしまう。声をかける暇すら与えない行動は、子供そのものだ。
 18歳のはずなのだが・・・本当だろうか??
 ふいに静かになった部屋。
 再び手近にあったいすに座り、さっきの続きのページをぱらぱらと開いた。


 『さんぞー』

 『こんなトコに置いてかれるのなんて、ヤダ』


 いつもとは違う、頼りない声。あの時、出たセリフは、ほとんど無意識で。
「・・ったく、うるせーんだ」
 いらだたしげに、前髪をかきあげる。
 ほのぐらい部屋。明るい、外の世界。
 
 ドアの外で、誰かの話し声が聞こえる。楽しそうな笑い声と、優しげな声。
 その後、三蔵の後ろで、少しためらいがちにドアが開く。いつもの、とたたーっではなく、「ひょこひょこ」という感じで、悟空は三蔵の後ろに近づいてくる。
「なあ、さんぞー」
「・・・」
「ほら、これ見ろよ!」
「うるさい・・」
「オレ、今日見つけたんだ!それで、もって帰ってきてたんだけど・・」
 三蔵の不機嫌さにもめげず、嬉しそうに話す。
「なあ、コレ、さんぞーに・・」
「いい加減に、しろ!」
 三蔵に差し出そうとした、悟空の腕と、それを三蔵が振り払おうとした瞬間、接触が起こる。

 −カシャン!

 鋭いガラスの割れる音が、床ではじける。
 その直後、何もなかったかのような静寂。
ビンだと思われる小さなガラス容器の破片が、キラっと光る。水が床を濡らし、そのまわりに、淡い黄色の花弁が散る。
「・・・んで?・・」
 悟空はうつむいて、ぎゅっと両手を握る。
 きっ、と涙があふれてしまった視線を上げると、近くにあった地図を三蔵に投げ付ける。
「・・三蔵の、バカーー!」
 バンっと扉を開け、外へ駆け出す。
「どうしたんですか、」
 大きな音に驚いたのか、八戒は部屋を開けようとして、走り出てきた悟空にぶつかりかける。
 きかんきな瞳に、涙があふれているのを見て取る。
「・・悟空?」
 八戒の声に答える事なく、そのまま走って行ってしまう。
「どーしたんだよ、ったく」
騒ぎを聞き付けたのか、悟浄も八戒の後ろからひょっこり頭を出す。
「あー、こりゃー、大変なこって・・・」
 部屋の惨状から、何となくの事情を知る。
ひらっと花弁からはずれた花びらが、1枚、ちょうど八戒の足元に飛ばされていた。
 悟浄は、それをかがみこんで拾う。
「子猿ちゃんは、これを摘んできて、三蔵にプレゼントしようとしたわけだ」
 で、それをこのキチクは捨てたと。
 八戒は部屋へ入ると、散らばった花を一つずつ集める。
「三蔵、今回はあなたが全面的に悪いですよ」
「知るか」
「コレ、さっき悟空が見せにきてくれたんです」
「ああ、えらく楽しげだったよな」
 悟浄はその花びらから目を離さずに相槌をうつ。

「『さんぞーの髪とおんなじ!きれいだから、あげるんだ』って。」

 泥だらけになってたのはきっとコレ摘んでたんでしょうね、八戒は、少し咎めるように三蔵に話す。
「何にイラついているのかは、分かりませんが、悟空にあたるのは間違ってますよ」
「あいつがどう感じようが関係ない」
 冷たい三蔵の声に、八戒は呆れる。
「分かっているでしょう、悟空はあなたが一番なんです。きっと、どんな目にあっても、壊れたりしないでしょうが」
 あけはなされた窓から、夜風が部屋を舞、花びらをゆらす。
「あなたなら、それを簡単にできちゃうんです」

(悟空の想いは『側にいたい』だけなんですから)

 投げ付けられた地図を握り締める三蔵に、八戒は視線をやる。
 カタっと音がして、悟浄は硬直する空気に、再び流れを与える。背中を預けていた壁から身を離すと、ゆっくり身を起こし、話しかけるでもなく言う。
「じゃあ、オレ、ちょっと散歩してくるわ」
 ついでに見て来てやるよ、てのかかるお子様をね、と言って、八戒から花の束を受けとろうとする。
「待て」

 低い声が、その行動を止めさせる。
「お前らは、さっさと部屋に戻れ」
 夜に、お前のようなエロカッパを野放しにできるか。
 そう言い残し、ゆっくりと八戒の手から、小さな黄色い花を奪い取る。
「ほっといてもいいが、泣かれたらうるせーんだ」
 二人の横をゆっくりと通り過ぎ、半開きのドアを開ける。
「お前さんも、素直じゃないね」
「可愛い悟空をこれ以上、苛めちゃダメですよ」
ぎろっと、二人を一瞥すると、三蔵は冷たく言い放つ。
「後始末、しておけ」
「ああ?」
「お前らは、あいつの、保護者なんだろ?」
「お前もだろ?」
「俺は、飼い主だ」
 ばんっと訳の分からない理論で無理やりしめてしまう。
「・・・・・」
二人は顔を見合わせる。
「ホント、僕たちは悟空に甘いですね・・」
 ふうう、とためいきをつくと、宿屋の主人に事情説明に行く八戒と悟浄であった。



  ◇   ◆        ◆   ◇



 ずっと一人だった。
 何も覚えていない、何ひとつ分からない。
 思い出そうとしても、なにか怖くてできなくて
 ・・でも、たった一つ、覚えていたこと。
 『名前』
 自分の名前を口にしたら、少し元気になれた。

 心の底に押し込められた記憶のずっと奥。
 「誰かの名前」をずっと呼んでたら
 もっと強くなれた・・・
 
 そして・・・


「なんだよ、三蔵の奴・・」
勢い余って出てきたものの、このまま遠くに一人で行く気にもなれなくて、悟空はぐずぐずと宿屋の前にある土手にひざを抱えて座り込んでいた。
「見てほしかっただけなのに」
 (ふりおとすことないじゃん・・。
 すっげーキレイだったのに)
 ここに着き、暇だったから遊びに行った際、偶然見つけた花畑。さわさわっと風に花がなびく音と、優しい香り。淡い黄色の花。
 夕方、八戒の話を聞いて、もう一度行ってみたくなって走って行った。
 そこには、夕日の赤色に染まることなく、よりいっそう黄色は光をはなっているように見えて。それが、自分の大好きな色にとても似ていた。

−三蔵の、髪の色・・
 太陽みたいな色。

「さんぞーの・・バカ、ハゲ・・」
 悪態をつきながらも、ふとあの時の情景を悟空はなんとなく思い浮かべた。
 自然と足が花畑の中に吸い寄せられるみたいな感覚。不思議な気持ち。そこで、悟空はアレっと思う。

(ずーっと昔、なんかおんなじコトした?)

 『花を摘む』って行為は、なんか嬉しいことにつながる、そんな記憶。
 そう、こんな感覚、言葉でなんていうんだっけ?普段の単語のストックの少なさがイタイ。
「そだ!」
 ぴょこん!っと、軽く立ち上がる。
 不思議な感覚を、何だったのか確かめたくなってしまう。そうなると、実行あるのみだ!
「きっと、もー一度行ったら、わかるよな!」
 きゅっと胸の前でこぶしを作る。でも・・・
期待に満ちた瞳は、すぐにしぼんでしまって、なんだかまた涙の洪水を起こしそうになってしまう。
(さんぞー怒ってんのかな・・)
 泣き虫なんかじゃないって、自分では思ってる。だって、寺院にいたときも、意地悪されても泣いたことなんてなかった。だけど・・一度だけ。
 ぽろっと涙がこぼれる。慌てて悟空は、乱暴に目をこする。
 置いていかれそうになっても別に、何でもない。だって、絶対ついていくから。
 でも、また、自分が忘れちゃったら?

−ひとりぼっちになったら?

「さんぞー・・」
 ひくっ、としゃくりが漏れる。それでも、泣きながらその野原へ行こうとして、一歩足を踏み出そうとしたとき。
 ぐっと、後ろの方向に肩が引き寄せられる。
 小柄なうえに、全く無防備だった悟空の体はそのまま、何か温かいものに包まれる。
 その感覚、雰囲気は、悟空が絶対、間違えることのないもの。
「・・さんぞー?」
「本当にお前は、ワンパターンな奴だな」
「え?」
 悟空は、三蔵の腕の中でくるっと体を半回転させようともがくが、思った以上の力で動きを封じ込められる。
 三蔵の少し怒ったような声が、頭上に降りてくる。

「うるせーんだよ」

 びくんっと腕の中の小さな体が震える。
 悟空の胸に触れている指先に、服ごしにでさえはっきり分かる、鼓動の速さ。
 −『側にいたい』だけ・・
「呼べば来ると思ってんのか?」
「さんぞ・・?俺、呼んでねーぞ?」
初めて、悟空に手を差し伸べた、瞬間と同じ。
変わらない会話。変わった関係。
「呼んでるんだよ、オレには聴こえる」
 ふっと三蔵は腕から力を抜く。悟空は慌てて振り返って、三蔵の瞳を見上げる。
 紫の瞳には、自分だけが映っていて、金色の瞳には、三蔵だけが映っている。

「オレだけにしか、聴こえないんだ」

 その言葉に、悟空はきゅっと、三蔵の胸に顔をうずめる。ぐいぐいと頭を押し付けるように。
「さんぞー・・ごめん」
 小さく謝る声はほとんど消えてしまいそうで、夜の静けさの中でないと届かなかっただろう。
三蔵の腕が、ゆっくり悟空の背にまわされ、悟空にだけ聞かせるように、低く耳元で囁く。
「もう泣くな」
 八戒のような甘い言葉を吐くつもりは全くない。簡潔な言葉にすべては込められている。それを読み取れないはずはない。
「泣いてなんかねーよ!」
 むうっとした声で、視線を上げるが真っ赤なウサギの目になってる瞳を向けられても全く説得のかけらもない。
「泣き止んだのなら、行くぞ」
 自分の胸にうずまったままの悟空の小さな顔を片手でクッと上に向かせる。悟空の首が少し傾げられ、赤い唇が小さく動く。
「どこへ行くんだ?・・部屋に帰るのか?」
 的外れなその問いにため息をつくと、悟空から離れ、三蔵は懐からしおれてしまった花を取り出した。
「その花・・」
 三蔵に振り払われて落ちてしまった花。
 とても大好きな色の花だから、三蔵に見せたくて。でも逆に、拒絶されてしまったと思ってた花。
「・・行くんだろ」
 怒っているかのように、ぶっきらぼうな調子で悟空を促す。
 悟空もやっと意味が分かったのか、ぱああっと表情が明るくなり、いつものこどもっぽい笑顔が戻る。
「うん!さんぞー、」
 一つ大きくうなずくと、いつものように甘えるように右腕にしがみつく。
 いつもと同じ・・ように見えたが、決定的に違うこと、この夜に限っては、とんでくるハリセンの代わりに恐いくらいの柔らかな、少年への視線だった。 空は月の光が明るくて、三日月とはいえ、周辺の星の光を簡単に消してしまっている。
 三日月だけが見た、三蔵の表情なのかも知れない・・・・。
コメント
 
ヒドイ男です・・・三蔵は・・(涙)悟空ちゃんが切ないですね・・・でも、三蔵様も、本当は悟空ちゃんが好きなんだよ・・・て感じかな。最後には悟空ちゃんに甘いのです、三蔵様は★
さあ、次でラストです。そして、H有ります(笑)嫌いな人は中盤をすっ飛ばしちゃってください(笑)


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