京都の壬生に原田左之助という男が居た。祖父の代から此処に住み、所有する土地を小作に耕させていたので、家は豊かであった。
そのような暮らしをしていながら、左之助は物事に頓着しない性質だった為か、農耕仕事を面倒臭がり、放ったらかしにしたので、終に家は貧しくなってしまった。
代々受け継いできた土地をそのように扱った為、彼は親戚縁者から疎まれた。自業自得ではあるが、左之助はそれを口惜しがり、彼等を見返そうと家の復興をしようと思い立った。
しかし今までの不精が祟って、こういう場合には如何すればいいのか判らない。模索すれどもやるべきことが見つからず、左之助は日を無駄に費やしていた。
丁度そんな時、以前親交のあった浪人・永倉新八が、彼は京都守護職に抱えられ京の街の警護をする為に上洛してきた。彼は左之助を訪れては士道の事や剣術の事を語った。それを興味深げに聴く左之助に新八は、壬生で何をするでもなく暮らすくらいなら共に江戸へ下ろう、江戸には優れた剣術道場がある、そこで腕を磨こうではないか、と誘いをかけた。
左之助は二つ返事で了承し、出立の日迄に残っていた田を売り尽くして金に替え、剣術道具を揃えた。
左之助には妻がある。名をまさといい、誰もが目を止める程の美しい容貌をしているばかりでなく、心立ても良く賢い。
左之助はまさに江戸へ行って剣術修行をし、その道で食っていこうと考えている旨を告げた。妻はそれに反対し、この壬生で仕事を探すように諌めたが、夫の一度言い出したら聞かない性格をよく知っていたので、結局のところ旅立ちの仕度を整えた。
その夜、夫妻は別れを惜しみながら語らった。いつも通りの他愛のない話ばかりしていたのだが、不意にまさは口を閉ざして俯いてしまった。左之助は如何したのかと問うが、まさは瞼を伏せたまま口を開かない。再度問うと、彼女は顔を上げて左之助を見た。
「あなたを送り出す決心はしたものの、あなたの居ない毎日を思うと悲しくなってしまったのです。如何すればいいのやら惑うばかりで、ただ辛くて。
いつの時も私を忘れて下さいますな。そして早く帰ってきて下さいませ。生きてさえいれば、また逢えるとは判っているのですが、明日の事など見当もつかない世の理を如何か汲んで下さい」
「まさ」
左之助は妻の頬に手を添えた。
「住み慣れない他所の国に長居をするなんて事はねぇよ。俺は春には帰ってくる。だからそんな悲しそうな顔をするんじゃねぇ」
「秋に、必ず帰ってきて下さいね」
左之助がそれに頷くと、まさは安堵して微笑んだ。
それから二人は床に入り、まだ夜の明けないうちに左之助は眠る妻を残して東へと旅立った。
その年の暮れに将軍慶喜が政権を朝廷に返した。第二次征長に失敗した幕府の権威は衰え、倒幕が勢いを増す中、徳川の家を守る為と苦渋の末に決断したのである。
しかし武力で以って幕府を倒そうとしていた薩長両藩は、大政奉還を快く思わず、終には天子の名を担ぎ、幕府が兵を挙げざるを得ないような挑発をした。誘き出された幕府側は武装し、戊辰の年が明けて早々に京都を戦場にした。街の至る所が煙と化し、住人達は巻き添えを喰っては堪らぬと家を捨てて逃げ出した。
まさも京都を離れようと思ったが、左之助の春には帰るという言葉を頼りに戦火に怯えつつも壬生の家に留まった。
戦火は治まり春になったが、夫が帰ってくる様子はない。その消息すらも判らない。
この世の中のように彼の心は移り変わってしまったのかと恨みはしたが、やはり悲しさの方がまさり、
身のうさは人しも告げじあふ坂の 夕づけ鳥よ春も過ぎぬと
と、詠んでみたものの、幾つもの国を隔てた江戸へは云い送る手立てもない。
戦後の混乱の為か、人の心は荒んでいた。それだけでも一人で日々を過ごすまさには耐え難い事だというのに、時々訊ねて来る人ですら彼女の容貌を見ては様々に言って誘おうとする。彼女はそれに辟易しながら、夫への操を守って彼等を素気無く扱った。
僅かばかりだった蓄えは無くなり、左之助も帰って来ないまま夏が来て、そのまま季節が変わり年は暮れた。
しかし世の中は治まらない。天子を抱えた倒幕軍の大部分は幕府軍の残党を討つ為に東へと向かったが、猶京都に残る兵も居た。この国は如何なってしまうのかと、不安を抱きつつ、それでも何をする事も出来ないまま、まさは空を見上げて溜息をついた。
永倉について江戸へと向かった左之助は、試衛館という天然理心流道場に落ち着く事になった。
道場主の近藤は気さくな人物で、左之助はすぐに打ち解ける事が出来た。彼の門弟達も遠くから修行に来ている左之助に色々と教えてくれる。
日々稽古に勤しんでいるものの、一日二日で結果の出るものでもない。まだ当分の間は江戸に留まって腕を磨く必要はあるが、まさに春に戻ると告げている。故に一旦壬生に戻ろうかと思っていた矢先、京都での戦乱の噂を聞いた。都は燃え、兵達はそこを離れ転戦しているという。目の当たりの事すら偽りが多いというのに、ましてや遥か遠く離れた国の事となれば気が気でなく、左之助はまだ雪の舞う頃に江戸を立ち都へと向かった。
しかしその宵、運の悪い事に追剥に道を遮られ、僅かばかり手にしていた荷物を奪われてしまった。更に人の云う事には、此処より西には関が出来て旅人の行き来が難しいらしい。
この辺りですらそのような状況なのだから京都はもっと酷い有様だろう。家も兵火に焼かれたかも知れない。まさもこの世には生きてやしまい。
左之助はそう思い、元来た道を戻った。
試衛館に帰り着くと、彼は病に罹り床に伏してしまった。居候たちの手厚い看病で何とか回復した左之助は、再び剣の道を極めようと修行に明け暮れるようになった。
そして七年程は夢の如く過ごした。
元号が明治に変わり幾年か経つと戊辰の年に始まった戦も落ち着き、勤皇派が要職に就いた政府が出来、世の中も随分と様を変えた。
人々は髷を落とし、帯刀を禁止され、暦も慣れ親しんできた太陰暦は廃止され代わりに西洋から入ってきた太陽暦を用いるようになった。
この日々移ろう世の中に在って、いつまで生きるべき命なのかと左之助はふと思った。
修行の成果あり、師範ほどではないとはいえ剣術も上達した。試衛館の居候達のみならず、近所の人々とも親しく交わっているとはいえ、この遠い国に留まりいつまでも周囲の恩恵に与っていていいものだろうか。故郷に置いてきた妻の消息すら知らないままで暮らしていくのは、余りにも不実ではないか。例え妻がこの世のものでなくなっていたとしても、せめて彼女を供養し塚くらいは立ててやるべきだろう。
左之助は近藤に志を告げ、暫しの暇を乞い、秋雨の晴れ間に江戸を発った。
甲州街道を行き、東海道を歩き、幾つもの宿場で足を休め、十日余りを経て左之助は壬生に辿り着いた。
この時、日は既に西に沈み、雨雲は落ちかかる程に辺りを暗くしていたが、住み慣れた里ゆえに迷う事などあるまいと生い茂る草を分けて歩いた。
駒どころか人の足音すらしない。
壬生菜畑は荒れ果て、元々あった筈の家もない。
所々に残っている家に人が住んでいる形跡はあるが、彼が知るものは似ても似つかない。
一体どれが自分の住んでいた家だろうかと途方に暮れていると、雲間から漏れる月明かりに照らされて二十歩程離れた所に雷に砕かれた松がそびえているのが見えた。見慣れたそれが己の住んでいた家の標だと、嬉しくなって駆け寄ると、そこには以前と変わらないままの我が家があった。
人が住んでいると見えて、戸の隙間から家の灯りが漏れている。
誰が住んでいるのだろうかと気になり、戸を前に咳払いをしてみた。知る人なのか、それとも全く知らない人なのか。
騒ぐ心を抑えつつ、その場に立っていると
「どちら様でしょうか」
と問う声が聞こえてきた。
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