吉田寺 (2/4)

この寺は元々天智天皇(626-671)が妹君・間人(はしひと)皇女(?-665)の 陵寺として創建したと言われています。境内には「竜田清水陵」とある間人皇女の陵と伝える古墳が あります。しかし、日本書紀(養老4年(720)に完成)では間人皇女は越智岡上陵(奈良県高市郡高取町 :この寺より約25km南方)に母の皇極天皇と合葬されたとなっています。しかしながら、岡上陵では 長い歴史の中で風化したのか現存していると確認することができていません。
一方、間人皇女没後、 300年以上経て、源信がこの地を訪れ、この寺を創建したと言われていますが、地元では源信が創建した 寺は近くの別の寺であったと言う伝えがあるとも言われています。
このように厳密に言えば、古墳の被葬者も寺の創建者も、実ははっきりしたことは分っていません。


本堂竜田清水陵