カウンター席の男性客は歓喜の涙を流しながらお盆を受け取った。

「つ、ついについにこの定食を食べる日が」

 寝静まった赤子を扱うかのようにそっと置く盆の上には、
豪勢という言葉ではとても表現し足りない丼定食の風景。
 男は千万無量の思いではらはらと涙を流した。

「入社して間もなく、新入社員で俺だけが中央都市からこの街に一人栄転され...見も知りもせぬ景色に途方に暮れた。
 ひとつきもせぬ内に、俺はの精神は塞ぎ込み、孤独と懐郷心でぼろぼろになっていた。
 長雨の日に、俺は初めて無断欠勤した。
 もっとも、休んだところで行く当てもねえ。
 俺は行く当てもなくこの店に転がり込み、半日を無駄に過ごして...そんなときだった。このメニューを知ったのは。
 時価と書かれたいかにも妖しげなメニュー。いったいどんなどんぶりだろうか。
 やけになってたんだろう、迷わずに注文しようとした。だが、要予約、一年待ちと言われ、それもかなわなかった。
 その日、俺は誓った。
 二年だ、二年目のボーナスのとき、俺がまだこの街にいるなら...食べてもいいだろう。
 そう誓ったあの日から、俺はこの日のためだけに生きてきた。
 決して楽な仕事じゃなかった、何度も絶望し、挫折した。
 けど、そのたびに俺は今日のこの日が来ることを思った。そうすることで不思議と何にでも耐えられた...」

 男の独白は続く。
 店主は黙して新聞を読んでいた。

「そうして今まさにこの瞬間がやってきた!」
 男は涙を拭いて割り箸を口で割った。
「食べる、俺は、俺は食べるぞぉおおおおお!!」

 と、丼に手を掛けた瞬間。

「はい、待った」

 カウンターの後ろから別の男がその手を掴みあげた。

「へ?」

 そこには夏なのにコート姿の男がいた。
 黒髪の青年――男性客と同じぐらいの年齢の若者は、

「食事中にすまんが、こういうものだ」

 と、自分の腰に差した剣を見せる。
 この街において、帯剣者が示す職業は一つだけだった。

「け、警察の方が何かご用ですか?」

 コートの男――刑事は神妙に頷いて。

「慌てないで聞いてもらいたい。
...実は、この界隈で連続ピッキング強盗で指名手配されている男が潜伏中とのたれ込みがあって張り込んでいる」

「え...れ、強盗?」

「無人の家屋を狙ってピッキングを繰り返す凶悪な強盗犯だ。
既に計七名の罪もない目撃者が皆殺しされている」

「は、はぁ」

 無人の家屋に侵入して何故七人も殺せるのか、という根本的な問題にも気づかずに相づちを打つ男。

「とにかく、その連続サムターン回し強盗は」

「え、ピッキングじゃあ」

「間違えた。で、そのカム送り解錠強盗だが...目撃者の証言によると、その強盗は今の君と似た箸の割り方をしていたらしい」

「はぁ――?」

「と言うわけで、参考人として署まで来てもらえるかな? もらえるよな?」
 断言するように、刑事は男の手を掴む。

「え、ちょ、まっ、そんな割り箸の割り方なんてみんな同じって言うか、だいたい何で被害者の目の前で犯人が割り箸を割る必要が」

「そのへんは設定されていない」

「それって今考えてるってことじゃな――いや待って待って待ってって!!」
 そうこう言い合う間にも、刑事は問答無用で男を入り口へ引っ張っていく。
 その気迫に問答無用のオーラを感じたか、男は、
「わかりました、わかりましたから!

 刑事さん、せめて食事が終わってからでも」

「駄目だ、事は一刻をも争う」

「せ、せめて一口だけでも」

「何を言うか、こうしている間にも犯人は次の犯行を行っているかもしれないのだぞ」

「ま、まって、それなんか論理がおかしくな――」

「四の五の言うな! さ、行くぞ。店主、邪魔したな!!」

 そう言って、刑事はのれんをくぐって引き戸を閉めた。

「お、俺の最高級デラックス特選炭火焼きミラクル天ぷら丼定食〜そして伝説へぇええええええええええ!!!!」

 断末魔の悲鳴が、店の外で響いた。

 店内は静まりかえっていた。
 残された店主と丼定食。
 丼定食は湯気を立てていた。
 店主は静寂の中でただ呆然としていた。

 しばらくして、店主はふと我に返った。

 いつの間にか、カウンター前に一人の少女が立っていた。
 青い髪でノースリーブの夏服を着たその少女は、手に棒きれのようなものを持って丼定食をしげしげと眺めた。
 それから、店主の視線に気づいて微笑んで、また視線を丼定食に戻して、

「<踏査(エクスプロレーション)>」

 と、短く呟いた。


BackstageDrifters.