サイレンやらなにやらの喧騒の中、目を開く男――マキシム。
開いた瞬間に彼は周囲の様子――警官が辺りを取り囲み、部下達がすっかり縄をかけられている――に気付き「くそったれ」と一言だけ呟いた。
そして、目を見開いて自分の喉を抑える。
それを見て、
「起きたようだぞ」
と、疲労で彼と同じように壁のもたれかかって座っていたタクマは、遠くで我が上司と話すメイに声をかけた。
マキシムは、どうやらサイで貫かれた喉が跡形も残らずに回復している事に混乱しているらしい。まあ、自分も始めは驚いたし、あのマイア人の男だって驚いていた。
不思議そうに首をさするところを見る限り、灯剣のフリッカーによる後遺症はないようだった。
(ついでにメイが治したのかもしれないな)
死体を再生できるという事は、もちろん肉体も再生できるということである。
外傷なら瞬時に、脳や内臓系の症例ならそれなりに時間をかければ可能だと言うのだから空恐ろしい話ではある。
もっとも、彼女は仕事以外にその能力を使わないと決めているらしい。だが、例えば仕事の障害になりそうな男の薬による筋増加作用を“無効化して、逆に沈静、萎縮させてしまうような物質を脳に作らせて無力化する”なんて事ぐらいなら、自らの技を使用するのを迷いはしないらしい。
今そのマイア人の青年ははじめて見た時の半分ほどにまで(大げさだが)やせ衰えて、担架で運ばれている。黒服も全員が逮捕された。最後まで立っていたマイアの老人だけ警察の応援を聞きつけて逃げたらしいが、まあ見つけるのは時間の問題だろう。
いまだ夢見心地のままで首を傾げるマキシムを見下ろすように、メイが近づいて中腰になった。
いぶかしむマキシムが何かを言う前に、
「ユアタさんからの遺言を承りました。今から一言一句たがわずにお伝えします。
“マキ兄さん、今までありがとうございました。あの時、家出して行くところもなかった俺を拾ってくれた事、今でも感謝しています。俺は先にあの世で待ってますが、兄さんはもっとずっと偉くなってから来てください。俺、ざる蕎麦作っていつまでも待ってますから”
だそうです。文書もお作りできますがいかがいたしますか?」
目を閉じ淡々とそう述べて、メイは一息をついた。
「……それを、今の俺が聞いてどうなるって言うんだ」
苦々しげに呻くマキシム。彼女の言には、きっとユアタの遺言だと信じるに足るだけの要素が含まれていたのだろう。そして、ユアタが彼を信じて死んでいったという事実も。
「わたしにはよく分かりませんが、偉くなればいいのではないですか?」
「……もう遅い。俺も結局、あいつと同じになってしまった」
「あなたは生きているじゃないですか」
「いずれ死ぬ。たとえ生きていたとしても、もう俺の居場所はない」
メイはいつものきょとんとした瞳で、
「でもあなたは今は生きてますよ。いずれと言っても、すぐに死ぬとは思えません。それまでに少しでも偉くなればいいのではないですか?」
どうやら、彼女はとにかく“偉く”なればいいのであろうと考えているようだった。
はじめ小うるさそうに聞いていたマキシムが、顔を上げて彼女の曇りの一点も無い瞳を覗きこんで言葉を飲み込んだ。
「100メートルを5秒で走ってください、とか具体的な話でもないですし、きっと頑張れば偉くなれると思いますよ」
偉くアバウトな意見。マキシムはしばらく押し黙ってから、
「……ああ、そうかもな」と頷いて微かに笑った。「確かにそれよりは楽そうだ」
どこかさっぱりした感じの溜息を一つ吐いて頷く。
「そうですよ」と、彼女もにっこりと笑った。
そして、立ち上がり、目を閉じ深呼吸をしてこちらを向いて、
パンと拍手をうった。
「以上で今回の依頼を終了いたします」
続く。
BackstageDrifters.