栃木県・福島県の名湯・秘湯を巡る
2003.7.17(木)〜7.19(土)
7月15日、奈良から車で東京の実家へ移動(中央自動車道経由で547km)
1日目
(7月17日午前8時30分)・目黒区の実家出発→東京外環自動車道/東北自動車道→宇都宮IC→国道119号線(日光街道)→日光杉並木→国道121号線→鬼怒川温泉(入浴)→県道19号線(日塩もみじライン・有料)→国道400号線→塩原温泉郷大網温泉(入浴)→県道30・17号線・ボルケーノハイウエィ(有料)→那須温泉郷大丸温泉(泊)
2日目
大丸温泉(9時発)→殺生石→県道21号線等→西那須塩原IC→東北自動車→郡山JCT→磐越自動車道→猪苗代磐越高原IC→県道49号線→猪苗代湖・野口英世記念館観光→県道64号線(磐梯山ゴールドライン)→桧原湖・五色沼観光→県道70号線→幕川温泉→磐梯吾妻スカイライン→浄土平(散策)→高湯温泉(泊)
3日目
高湯温泉→県道70号線→国道115線→福島西IC→東北自動車道→東京外環自動車道→練馬IC→病院見舞い→実家
全走行距離:1.613km
1日目
鬼怒川公園岩風呂
2日目
実家を出て2時間半、国道119号線・日光街道の巨大な杉並木の中を走っていた。
「日本の道100選」の一つ、徳川家康を祀る東照宮に通じる日光街道の有名な杉並木だ。
道標に従がって右折、「日光猿軍団」「日光江戸村」などの有名観光スポットの案内板が出てくる。
これを過ぎると、栃木県の三大温泉地の一つ、渓流沿いに大小の旅館・ホテルが立ち並ぶ鬼怒川温泉に到着した。
江戸時代には日光詣の大名や高僧しか入浴できなかった滝の湯(鬼怒川温泉の旧称)は、明治時代に庶民にも解放され、昭和初期に鉄道の開通に伴って大きく発展した。
鬼怒川渓谷に沿って80軒近い旅館・ホテルが立ち並ぶ鬼怒川温泉は、その規模からして草津・熱海に匹敵する関東の大温泉地だ。
ここには5ヶ所の日帰り温泉施設があるが、「「鬼怒川公園岩風呂」は当地で一番最初に開設された町営の日帰り施設。
鬼怒川温泉から小雨と霧に見通しが悪くなった「日塩もみじライン」をゆっくりと走る。全長27km、名前の通り左右にモミジの木が多い。秋はさぞかし艶やかな錦綾なす景観となろう。峠を下ったところでの曲がり角で、コニーデ型の山々が見えた。地図で見ると「富士山」「須巻富士」の名が見える。やがて箒川の渓流と平行する国道400号線に出ると、もう塩原温泉郷だ。
湯守田中屋で昼食のソバを取る。
この旅館の前から崖道を300段下ると、迫力ある渓谷、巨岩が転がる青緑色の淵が見えてくる。露天風呂は4つ。
崖の高低差に合わせて造られ一番上が女性専用、淵の目の前までの三つの風呂が混浴だ。
宿泊した場合、夜に入浴するのは少し怖い気がする。
上から二段目の混浴露天風呂。眼前の迫力ある渓谷に圧倒される。
塩原温泉郷から那須温泉峡に向かう。那須温泉からボルケーノハイウエィに入ると、霧の中、ぐんぐん高度を上げていって、那須岳(1,915m)の中腹、海抜1,300m、大丸温泉に到着する。
3ヶ所目になった「日本秘湯を守る会」の会員旅館。この提灯もすっかり御馴染みになった。
小さいがシックなロビー
温泉の渓流を上流から下流に向かって堰を設けて、5つの露天風呂が造られている。上流の1〜2番目が女性用、3〜5目が混浴。この写真は4番目から最下段の一番大きな露天風呂を撮影。ここの温泉は那須のご用邸に引き湯されている。
泊まった部屋から見下ろせる一番下の露天風呂。
左上の堰から温泉がザアザア音を立てて川に流れ出る。温泉不足の温泉地に分けてあげたい気持ちになる。
中段の混浴露天風呂。向こう側が女性専用。
翌朝、有毒ガスが噴き出していた「殺生石」に立ち寄る。
東北自動車道・磐越自動車道を走って猪苗代湖へ。野口英世記念館にも立ち寄る。
磐梯山ゴールドラインで北上、日本100名山の磐梯山・西側山麓を巻きながら桧原湖に出る。
雲がかかり裏からの磐梯山は見えなかったが、五色沼の一つ、毘沙門沼は神秘的なコバルトブルーだった。
国道115号線は、猪苗代湖から日本百名山の3名峰(磐梯山・吾妻山・安達太良山)の山麓を縫うようにして進むこと約70km、福島市に至る。この国道が最も標高を上げるのが「土湯峠(1,240m)」だ。この峠の手前から、安達太良山の北麓を巻きながら土湯温泉に至るまでに「鷲倉」「赤湯」「野地」「川上」など10以上の秘湯が連続する。
幕川温泉へは、その土湯峠から分岐する、縮尺がよほど小さな地図でなければ載っていない道を進む。、退避場所しかすれ違いができない崖沿いの道を3kmほど進んでようやく到着するが、この地が福島市にあるとはとても信じられない山峡にあった。
●猪苗代湖・桧原湖から裏磐梯へ
私が入浴した中で、文句なくベスト3に入る素晴らしい温泉だった。
桧原湖は信州の湖に似た開放的な雰囲気だった。
土湯峠から幕川温泉への道は、ガードレールが途切れる崖道。かなりスリルがあった。
幕川温泉には同じ源泉を使った旅館が2つある。入浴した水戸屋旅館は学校の校舎のようだった。
周囲は霧がかかっていた。円形を2つあわせた檜風呂。湯はわずかに青味がかった乳白色で素晴らしい風呂だった。
私が入浴した4番目の「日本秘湯を守る会」会員旅館
●南東北の名湯・高湯温泉(福島県)へ
道中、小雨と霧のため、磐梯ゴールドライン、磐梯吾妻レークラインからは、磐梯朝日国立公園の名峰、磐梯山、吾妻山、安達太良山(何れも日本100名山)は望めなかった。
土湯峠から標高750メートルの高湯温泉までの29km、吾妻連峰を縫うように走る山岳自動車道路、磐梯吾妻スカイライン(日本の道100選)も霧のため、その景観を楽しめなかった。しかし、高湯温泉の手前、浄土平に到着したとき、束の間霧が晴れ、一切経山(1949m)と吾妻小富士(1,707m)の間に開けた浄土平の湿原を散策することができた。既に花々は少なかったが、ニッコウキスゲがまだ黄色い花を咲かせていた。湿原の上に架けられた遊歩道を一周した後、本日の宿泊地、高湯温泉までの霧の道を慎重に進んだ。
浄土平風景
日光キスゲの群落
「吾妻小富士」を背にした浄土平の湿地帯も霧がかかっていた。
濃霧の磐梯吾妻スカイラインをスローダウンして走り、ようやく旅館に着いてホッとした。
源泉脇の茅葺の「玉子湯」。生まれたての温泉で入浴できる。
広大な敷地内には、玉子湯の他に4つの露天風呂がある。男女交代性の天渓の湯・天翔の湯は大きな湯舟で、硫黄泉の白濁した湯で満たされていた。
翌日の最終日、飯坂温泉に寄ることも考えたが、入院中の父親の見舞いを約束していたので、一路、東京に向かった。
飲泉所 温泉を飲ますためには都道府県の許可が必要。良好な泉質の証拠だ。
2003年10月、「温泉 宿小町」に屋号変更