施設名 : 地獄原温泉 (入浴日:2005.4.10)
町のいたる所から湯煙が上がり、年間1,200万人の観光客が訪れる日本最大の温泉地、別府。
別府温泉郷は別府・明礬(みょうばん)・観海寺・鉄輪(かんなわ)・浜脇・堀田(ほりた)・亀川(かめがわ)・柴石(しばせき)の8つの温泉の総称で、これを別府八湯と呼ぶ。
八湯はもともと独立した温泉場として栄え、古いものは8世紀初めに遡る歴史を持つ。
明治時代以降、温泉場の整備・開発も進んで、大正時代には現在の8つの温泉地に「由布院」、「塚原」を加えて「別府十湯」と呼ばれていた時代もあった。
8つの温泉地は海浜から丘陵に至る市内全域に点在しているので、泉質が異なり、また規模・情緒も異なる。
とにかく別府のスケールの大きさには驚かされる。
・宿泊施設が400ヶ所ある。
・お金を払って手軽に入浴できる温泉施設も400ヶ所。
・日帰り入浴施設が150ヶ所、市営の共同浴場だけで18ヵ所。
・源泉が2、800ヶ所余。
・湯量が日本一(但し自噴+動力汲み上げの合計。自噴だけでは草津温泉が日本一)
この大温泉地でたったの1泊、巨象の尻尾の端だけ触れてきた。
(お断り)この文章は、「渋の湯」と同じです。
別府市の北西部、なだらかな丘陵の裾野におびただしい湯煙が立ち上り、別府を象徴する景観を呈している。鉄輪温泉だ。
ここは、鎌倉時代、時宗の開祖、一遍上人が周辺の荒々しい地獄を開発して現在の「蒸し湯」「渋の湯」「熱の湯」等を創設したと伝えられている。
現在も、鉄輪地区を囲むようにして、海・かまど・白池・血の池地獄など多数の地獄が噴煙を上げ、別府一の観光スポットとなっている。(共通券は2000円)
たくさんの地獄を縫う狭い道の両側には、大小の旅館、鉄輪独特の入湯貸間旅館(自炊)、共同浴場、土産物屋等がひしめき、別府八湯の中で最も温泉情緒を漂わせている。
私が八湯から鉄輪温泉に宿泊地を選んだのは、この情緒に惹かれたため。旅館も地獄の一つ、鬼山地獄を源泉とする旅館を選んだ。
(お断り)この文章は、「渋の湯」と同じです。
湯食後、宿泊したおにやまホテルの裏口から温泉情緒たっぷりの「いでゆ坂」を下って5分、最初に現れた共同浴場が無料の渋の湯。ここに入浴したが、あまりの激熱に数秒浸かっただけで飛び出した。そこで、もう一軒で入浴しようと思い、さらに坂道を下って行くと、次の共同浴場を見つけた。入口正面に「地獄原温泉組合」の看板が下がっていて、組合長以下の役員名や会員名が記入されていたので、一般人は入浴できないのかと思った。
しかし、祀られた地蔵尊の前の賽銭箱に「入浴のお客様は維持管理費として100円を賽銭箱に入れてください」の貼り紙。これで安心、100円を投入して中に入った。電気を点灯すると、小さな脱衣場の向こうに、小さいながら清掃が行き届いた浴槽があった。
データは変更されている可能性もあります。事前にご確認ください。
宿泊した旅館からの鉄輪温泉の風景
土産物屋で見かけたタオル。現役を退いた昨今は「地獄」が「天国」に置き換わっている。
地獄の5丁目「かまど地獄」
もちろんシャンプーの類などは置いていない。
湯舟の隅に温泉と水を出せる蛇口があって、自分で調整する。
幸いに湯がぬるかったので、管理組合の方々の維持・管理に感謝しつつ、ゆったりと入浴させてもらった。
「別府八湯温泉道」という愉快な会がある。別府温泉を愛する有志(湯志)による組織で、会が指定した別府の温泉施設122ヶ所(地獄原温泉も含まれる)の内、88ヶ所で入浴すると「湯名人」の称号が与えられ、別府温泉のシンボル「竹瓦温泉」の「温泉殿堂」に自分の写真が展示され、温泉祭りの際に表彰される。
サイトを相互リンクさせて頂いているプー助さんが、この度、めでたく「湯名人」を付与された。(尊敬)