住 所 吉野郡吉野町吉野山902−2
電 話 07463−2−3061
交通機関 西名阪自動車道・郡山ICから国道24・169号線等で約40km
近鉄吉野線吉野駅から徒歩20分
近鉄吉野線・吉野神宮駅からタクシー
施 設(日帰り) 湯上りコーナー、駐車場(10台) 
宿 泊 6室 1泊2食付き  13,000円
泉 質 含鉄・カルシウム・炭酸水素塩泉 15度 湧出時透明、後に黄土色
適応症 不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照)
入浴時間 11〜15時 (予約不要) 
定休日 不定休
入浴料金 大人500円
入浴施設 内湯男女各1
浴室備品 シャンプー、ボデイソープ、ドライヤー
観光スポット 吉野山(桜)、金峯山寺(きんぶせんじ)、蔵王堂、吉水神社、如意輪寺、竹林院
お土産・食事 昼食付き入浴(3,500円〜)
吉野久助堂(吉野葛の菓子)、芳魂庵(葛餅)、柿の葉寿司
近くの温泉 新吉野温泉、吉野山温泉、洞川温泉、天の川温泉、大淀温泉、宮滝温泉中荘温泉
吉野町HP
商工会HP
吉野温泉元湯HP
http://www.town.yoshino.nara.jp/
http://www.yoshino.ne.jp/wakwak/
http://www.motoyu.yoshino.jp/
雑記帳 例によって10時過ぎにのんびりと自宅を出発、混雑する国道24号線を避け裏道を利用して吉野山へ。途中、コンビニでおにぎり2つを買って昼食。55km、2時間で到着。しかし、今回の吉野山で一番歴史のある吉野温泉は、吉野山の尾根になく東側の谷底。まさに隠し湯の趣があった。その後、西吉野温泉に向かって、すれ違いが難しい山道を25km走行。ここに入浴して「吉野」の名がつく温泉5つを全部制覇した。
客室数がわずかに6部屋、時の流れに取り残されたような小さな旅館だ。駐車場に車を止め、階段を数歩上って生垣に沿った小道を進むと、いまどき珍しい引き戸の玄関が出迎える。フロント・ロビーあたりは大正・昭和初期の雰囲気が漂い、ノスタルジーを感じさせる。左前方には日当たりのよい小さな縁側風のコーナーがあって椅子とテーブルが置いてある。奥に和室の部屋が見えた。島崎藤村が明治26年、1ヶ月ほど滞在し執筆した部屋がいまも昔のままに残っている、と聞いていたのでそれを見たかったが、わずか500円の入湯料で煩わせるのも失礼かと思い、それは遠慮した。
立ち寄り湯を告げると、宿のご主人が、帳場横の階段を下り、サンダルに履き替えて、女湯の案内板がかかっている浴室に、かまわないから入ってください、と告げてくれた。
浴室は8畳くらいの広さ、風呂は2畳ほどで、つめても3人がようやく入れるこじんまりしたもの。茶色の湯が、ガラス窓から入ってくる光に反射して白く見えた。今日も入浴者は私一人、適温の湯にゆったり浸かり、湯面に反射する太陽光を浴びながらしばし無我の境地、至福の一時を過ごした。
桜の名所、吉野山には吉野温泉・新吉野温泉・吉野温泉の三つの温泉があるが、本家は約300年前開湯されたここ吉野温泉だ。この頃、吉野山は既に桜の名所、数々の史跡、大峯山修験道場として全国的に知られ、ここを訪れる文人墨客や修験門徒が入浴していった。しかし、修験者が湯治の名を借りて酒色に溺れる者が多く出るにいたり、ついには廃湯となった。しかし、その後も密かに仮設浴場を備えて湯治に供され、そのため「吉野の隠し湯」「内証風呂」と呼ばれた。
「吉野山は一本の尾根筋に形成された集落であるが、その東側の谷底に吉野温泉がある。」とガイドブックに記されている。
実際に行ってみてそれが分かった。この温泉に到着し、何気なく上を見上げたら、吉野山の旅館街がはるか遠くの真上に見えた。山の頂、桜が咲き、太陽が1日照らす吉野山を陽とすれば、谷底、日照時間が短く、華やかな桜とも無縁なここは陰と言える。吉野山全山が桜花で被われるときも、ここはその喧騒から全く無縁に、ひっそりと佇んでいるのだろう。まさに隠れ宿・隠し湯の趣がいまも色濃く残る。
所在地 : 吉野郡吉野町吉野山
温泉名 : 吉野温泉
施設名 : 吉野温泉元湯  (入浴日:2003.12.8)
「歌書よりも軍書に悲し吉野山」(各務支考)
現代の若い人たちの何パーセントが、この句を理解できるのか分からないが、源義経、大塔宮護良親王、後醍醐天皇、楠正行、豊臣秀吉・・・吉野山に縁の武将・皇族は戦に負けた敗軍の将として、あるいは一時の栄達を得て歴史から消えていった。「源平盛衰記」「太平記」「太閤記」、小学生・中学生時代から歴史書・講談本が好きだった私にとって、関西に転勤してすぐに吉野山に登り、歴史の真っ只中に身をおいた感激は今も忘れられない。
吉野温泉吉野温泉元湯 (奈良県)
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参照:新吉野温泉吉野山温泉