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奈良八重桜(ナラノヤエザクラ)とは いにしへの奈良の都の八重桜… 百人一首でも知られるこの歌に詠まれた「奈良の都の八重桜」がナラノヤエザクラです。 ・奈良に咲く八重桜の総称ではなく、「ナラノヤエザクラ」という桜の一品種。 ・あらゆる桜の中でいちばんの遅咲き。4月下旬、周囲が新緑に染まる頃に咲きます。 ・奈良県の花、奈良市の花 ・東大寺知足院のナラノヤエザクラは国の天然記念物(大正12年指定) 学名 Prunus verecunda 'Antiqua 傘状の落葉高木で高さ8~10m以上 樹幹は直立。
●歴史にみるナラノヤエザクラ 奈良に美しい八重桜があったという話は、平安時代から、たくさんの歌集や物語に残されています。代表的なものを挙げてみます。 『伊勢大輔集』 『七大寺巡礼私記』 『詞花歌和歌集』 『古今著聞集』 『沙石集』 『奈良名所八重桜』 『大和名所図絵』 『徒然草』 『多門院日記』 そのなかでも、ひときわ有名なのは「いにしへの奈良の都の八重桜…」という伊勢大輔の歌ですね。 鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』には次のような物語が載せられています。 平安時代、紫式部が仕えた一条天皇の中宮彰子(後の上東門院)は、興福寺東円堂の前に咲く「奈良の都の八重桜」の評判をお聞きになり、京都御所へ移植したいと思われます。桜の木を掘り起こし、運び出すのですが、興福寺の僧侶たちが追ってきて「命にかえても」と押しとどめます。中宮彰子は怒るどころか、その心映えを褒め、「花守」を遣わされました。 興福寺からはお礼として「奈良の八重桜」のひと枝が届けられ、伊勢大輔が「いにしへの奈良の都の八重桜…」と詠んだのです。 それから1000年目に当たる平成21年(2009)には、「奈良八重桜の会」が天皇皇后両陛下にナラノヤエザクラを献上することになりました。 |