普通の人間では到底有り得ない能力を見たら、「能力者」だと思うのが普通だ。
ゾロは、サンジが勝手に喧嘩を売りに行った相手も、宿屋の主人が「能力者」だと
言ったから、そうに違い無いと疑いもしなかった。

サンジは絶え間無くあがる女の悲鳴を追う。
そして、一軒の古びた大きな煉瓦造りの建物の前に辿り着いた。
(この中だな・・・)気配を探り、耳をそばだてると、確かに分厚く、大きな木の扉の
中から、女の声と男達のざわめきが聞える。

念の為に手で開くかどうかを試してみたら、あっさりとその扉は「ギ・・・」と嫌な
軋み音を立てて開いた。
(用心する必要なんかねえって事なのか?)それとも、ただの錠のかけ忘れなのか、
サンジは一瞬、そのどちらかを考えたが、今の状況ではどちらとも測りかねる。

用心する必要がない、と言うなら、外からの侵入者に対してそれなりの備えを
している事が考えられる。
例えば、内部の者にしか判らない、様々な罠がこの建物に仕掛けられているかも
知れない。それとも、どんな敵が入りこんできても、それを撃退するだけの武力を
持っているのか。
それなら、闇雲に真正面から突っ込んで行くのは無鉄砲と言う物だ。
それに、ゾロが言った様に、今夜一度だけ、女性を助けられたとしても、彼女を
狙っている男を完全に叩きのめして、それこそ、二度と彼女には手を出さない、
出せない、と言う状態にまで痛め付けないとなんの解決にもならない。
(一味もろとも、一網打尽にするくらいの気でやらねえとな・・・)とサンジは
そっと身を忍ばせつつ、人がいそうな気配のする場所へと足を進める。

(・・・こいつら、掃除くらい少しはやりゃいいのに・・・)とサンジは物陰に
身を潜めながら灯りなど全く無い、暗い廊下に人が使っている割りにやけに多い
蜘蛛の巣を見て、顔をしかめた。
さっきから、幾つかの巣が袖や裾、指先に引っ掛かって、少し粘っこい糸が指に
絡みついて気持ちが悪い。
それに、建物の中にさえ、雑草が入りこんでいて、バッタなのか、なんなのか判らない虫がピョンピョンと跳ねては「リリリ・・・」と虫の音にしては美しい声で鳴いている。
(森とか草原なら分かるが・・ここは一応、倉庫っぽいけど建物だろ?)
(しかも人が頻繁に使ってる様子なのに、なんでこんなに虫を野放しにしてるんだ?)(気色の悪イ)サンジは踏み潰すのも捕まえるのも気持ちが悪いので、とにかく
先へ進んだ。

「大人しくしてろ、全く痛みはない」と丸々と太った中年の男が倉庫の最も奥の部屋、
そこで、真っ白な縄でぐるぐる巻きにされて、床に横たえられた女の前にしゃがみ込み、本当に嬉しそうに見下ろしてそう言った。
「痛みがあろうと、なかろうと、ゴメンよ!」とキっと敵意剥き出しの、きつい視線を男に向け、大声で女は喚く。
「虫男のオモチャになるくらいなら、死んだ方がマシだわ!」
「ムシオトコ、とは酷いな。それに、お前はオモチャにする為に見初めたんじゃない」と男は言いながら、女の顔、体つきをしみじみと眺め回す。
「うん、肌も素晴らしく美しい」
「お前と同じ顔、同じ体を持った娘が100人も増えるんだぞ」
「つまり、お前の分身だ」

「え・・・?」女の顔が男の言葉に強張った。
ただ、強姦され、辱しめられるとばかり思っていたのに、理解出来ない言葉を口にされ、息を飲む。
その言葉を口にした男がゆっくりと帽子を取ると、ベッタリと脂ぎった頭髪が生えた
頭には二本の触覚がピクピクと興奮しているかの様に揺らいでいる。
(・・げ、なんだありゃ)サンジはその光景を物陰で見ていた。

魚人、と言う種族がいる。
サンジははじめて、いわば、その昆虫版とも言える種族を目にした。

「息子はまた、次ぎの産卵期にたくさん作るとして、お前の様に美しい娘が
たくさん欲しいんだよ、私は」と男はニタニタと笑っている。

(触覚さえ見なきゃいい。普通のオッサンだ)サンジは自分にそう言い聞かせて
大きく深呼吸をする。
虫じゃない、虫じゃない。人だ。怖くも無いし、気持ち悪くも無い。
呪文の様に、その言葉を3度繰り返した。
「よし」と一際大きく独り言を呟いて、サンジは虫人間達の前に踊り出た。

ハチ。カマキリ。トンボ。カメムシ。
攻撃的な虫はいくらでもいる。その連中は、ボスだけではなく、下っ端までが
まるで、アーロンを中心に魚人が集まったのと同じ様に、
全員が虫人間だった。

ただ、虫の形状をしているだけではない。魚人の身体能力が人間をはるかに凌ぐのと
同じで、虫人間達の身体能力も人間よりもずっと高い。
けれども、人間と決定的に違い、魚人よりも劣っているのは、体の組織が
人間よりもずっと脆い奴らも多いと言う事だ。
アリやクワガタ、カブトムシ、と言う類の虫人間でも、腹部への攻撃に異様な程弱い。
一蹴りするだけで簡単に潰れる。だが、その時の音がサンジには耐えられない。

プチ、プチュ、グシャ・・・と本当に虫を踏み潰す音しかしない。
(気色悪イよ、こいつら、気色悪イ!)
必死に女性を逃がしたが、気が散ってどうしようもなかった。

「良くも仲間を大勢殺したな・・・」
カマキリの虫人間に腕と足に傷を負わされたが、
それでもサンジは殆どの虫人間達を、蹴り殺して最後にボスと呼ばれている男の前に
立ちはだかった。

「困ってるみたいだな、コバチのオヤジ」とサンジの後ろで若い男の声がした。
サンジの背中にゾっと嫌な寒気が走る。
(この寒気は・・・)覚えがあった。相手の巨大な力を察知して感じた寒気ではない。
大嫌いな、あの生物を目にした時にいつも感じる、あの寒気だ。

ゆっくりとサンジは振り向く。
銀色の髪を腰のあたりまで伸ばした、ひょろりと手足の長い青年がニヤニヤ笑いながら
サンジを見ずにサンジと向き合っていた男を見ていた。

「クモ一家の若頭じゃねえか。ここいらは俺達の縄張りだ、誰の許しを得て、
入って来やがった」と男はその銀髪の青年に向かって怒鳴る。
「用件は、ま、後だ」と言うや、銀髪の男の髪が瞬きも出来ない程の早さで
部屋中に一瞬でツタの様に広がった。
サンジがその粘ついた糸を避けようとしても、無駄だった。サンジが動きはじめるよりも早く、その糸はサンジを絡めとり、強引に巣に縛りつける。

掛った時間は、恐らく、3秒にも満たない。
「ほら、獲物をとっ捕まえてやったよ、コバチのおやっさん」と細い目をして、
青年はククク・・・と小さく喉を鳴らして笑った。
「娘を作るつもりで人間のメスを浚ったのに、この人間のオスが邪魔をして・・」
「メスでもオスでもいいだろ」コバチ、と呼ばれた男が言い訳の様に言う言葉を
青年はイライラする様に遮った。

「メスを食えばメスが孵化する、オスを食えばオスが孵化する」
「食った人間の姿をした虫人間が100匹生まれる事には変わりないんだから」
そう言って、青年はサンジの前にしゃがみ込ンで、値踏みする様にサンジを
じっと見る。人間の姿に近い格好をしているが、本性はきっととんでもなく
大きなクモなのだろう、そう思うとサンジは体がどうしようもなく強張る。
その怖がっている様子が楽しいのか、クモの青年はコバチの男を見ずに
サンジを嬲る様に見詰めて、事情をベラベラ喋り出した。

「こいつら、虫人間は俺達、クモ一家にしたら自動販売機みたいなモンなんだよ、」
「コインを入れたら、好きなモノがポン、と出てくる奴、知ってるだろ?」
「食いものを出せ、っていやあ、簡単に差し出すんだからな」
「俺はつまり、人間が酒を買いに出るくらいの気でここに来た」
「自動販売機のコ穴にコイン突っ込むくらい簡単な手伝いをしてやるつもりで、さ」

「食いモノ・・・?」サンジは恐る恐る聞いてみる。
「そうだ。でも、安心しろ、俺達クモ一家は人間なんか食べないよ」
そう言われ、サンジがほ、と安心した。けれど、それも束の間。
クモの青年は立ち上がってこう言った。
「俺達の大好物は、虫人間さ」
「それも人間の体に産み付けられて、その肉を食って育つ虫人間の赤ん坊だ」

「・・・、それじゃ、俺を食うのは・・・」サンジは血の気が引いた。





何故か、体に全く力が入らない。暴れ狂えば、クモの糸など千切れそうなのに、
大嫌いな虫、大嫌いなクモを前にしてすっかり竦んだのか、それとも、
クモの糸そのものに体の自由を奪う毒でも含まれているのか、いずれにせよ、
足も腕も胴体も身動き出来ない程グルグルとクモの糸に絡みつかれている。

「おかみさんの卵、ちょうどあの斬り傷に捻じ込めばいいんじゃないか?」
「2時間もすりゃ、可愛いベビーがザワザワ腹の中で孵化する」
「ゆっくりと腹の中から食い荒らされて、20匹は右目から、20匹は
左目から、40匹は腹を食い破って、あとの20匹は耳やら口から出てくる」

「やめろ、クモやろう!」
クモの青年の言葉をサンジは思わず悲鳴のような声を上げて遮った。


聞くだけで恐ろしい。自分の体の内側から食い荒らされて、むくむく育ち、それが自分と同じ姿の虫人間に成長するだなどと、考えただけでおぞましい。

「今度は娘が欲しいと言われていたのに・・・」とブツブツ言いながら、
ハチの男が近付いて来る。

(・・・なにやってんだ、あいつっ・・・)
物凄く怖くて、声さえ出さなくて思わず目を瞑ったら、脳裡にゾロの仏頂面が浮かんだ。
その途端、なんの根拠も無いのに、ゾロがここへ来ると言う確かな予感が
胸の中に込み上げてくる。

(そうだ、あいつ、怒ってた。約束を破った俺に)
だから、来る。何故かそう思った。
約束を破ったから、言いたい事が山ほどある筈だ。
それを言う為に、絶対にどこにいようとあいつは俺を探し出す。

そう思って目を開けた。
「なんだ・・・?」クモ男が遠くから響いてくる足音に気付いて、顔を曇らせた。

(・・・間に合った)サンジは全身の力が抜けるくらいの安心感を感じた。
どんな恐ろしい能力者に追い詰められるよりも怖かった。

「自動販売機の女が案内してくれたんだが、俺は女に礼は言わねえぞ」
「てめえが首を突っ込まなきゃ、こんな面倒事にならなかったんだからな」

ゾロはサンジを見るなり、いきなり高圧的な態度でそう言った。
「なにが手を傷付けない様に足技を使う、だ」
「下らねえ事で利き腕、斬られてるじゃねえか」

そう言ってゾロは抜刀した。
「俺は虫だろうとクモだろうと、向かってくる奴はたたっ斬る」
「それに」
「俺達の仲間にゃ、害虫駆除の毒薬くらい作れる奴がいるぜ」
「なんだったら島中にばら撒いてやろうか」そう言ってゾロは虫取りを楽しむ
少年の様に楽しげに笑って、クモの青年とコバチの虫人間を威嚇する。


続き