こいつは、何よりも女を優先する。それは特別な関係になる前からうんざりするほど
知っていた。だが、ここ最近はあまりに酷い。
「今度約束破ったらホントに殺すからな」と長い悪天候との戦いの末、ようやく
辿り着いた島に降りる前に、ゾロは低い声で脅す様にサンジにそう囁いた。
「分かった、分かった」サンジはまるきり真剣味のない調子で軽く答える。
新しい島に着いた事で浮かれている仲間は、二人のやり取りに誰一人気付かない。
約束を破る、と言ってもサンジが破るのは時間だけで、どんなに遅くなっても
約束した場所にはやってくる。そして、ぬけぬけと
「時間に遅れるのはお互い様だろ」とそう言う。たまに迷子になって、サンジを
待ちくたびれるほど待たせるゾロには言い返す言葉がない。
「迷子になるのと、女のケツ追い駆けるのとが同じなのかよ」
一度だけそんな理屈を思いつき、言い返した事もあったが、
「そりゃ、お互い、癖みたいなモンじゃねえか。目くじら立てて治るモンじゃねえし」
そう言われ、ゾロはなんとなく(・・・そうか)と納得してしまった。
ちょうど、二人がなんの躊躇いも戸惑いもなくやっと、自然に求め合う事に慣れた頃だった。
前の島でも、前の前の島でも、サンジが約束の時間に大幅に遅れた所為で、ゆっくりと
・ ・・する時間がなくなった。航海の最中での慌しい行為を頻繁にする程には、
まだサンジの体は慣れていないし、そこを無理強いして「もう沢山だ!」と思われても
困る。それに、折角覚えた甘い行為なら、トコトン甘い時間の中で貪りつくしたい。
そんなワケで、常にゾロは飢えた状態に自分を追い込んでいた。
(こいつは俺とヤらなくても生きていけるから涼しい顔出来るんだ)とだんだん
自分ばかりが我慢している様な気がしてきて、ゾロは腹が立って来た。
悔しいけれど、サンジにとって、一番大事なモノになれないのも分かっている。
それは自分だって、サンジをこの世の中の何よりも大事だと言い切れないのだから、
それも、お互い様で、自分に出来ない事を相手に求めるのは間違っているとも思う。
理屈では分かっていても、感情はそう割りきれるモノではない。
今度こそ、何よりも誰よりも俺を優先しろ。そう言いたい言葉をゾロは喉で飲み込む。
「今度約束を破ったら殺すからな」と言う言葉が勝手に唇を突いて出た。
「余所見をさせるからダメなのよ。別行動して待ち合わせ、なんてするからサンジ君は
フラフラしちゃうし、あんたも迷子になるんじゃない」
「素知らぬ顔してあげるから、二人でパパっと宿決めてサっと入っちゃえばいいの」
別にナミに相談などしていないのに、ナミは島が近付くにつれ、落ち付きが無くなるゾロを
見て、その頭を悩ませている問題をズバリと見抜き、ゾロにそんな助言を与えてくれた。
「先に行けよ」とサンジは先に船をおり、桟橋に突っ立っているゾロに頭上からそう言ってきたが、「俺はお前が行く場所に行く」と言ったきり、頑としてそこを動かない。
(ナミもロビンも船を降りたし、いい加減降りてくるだろ)と思ってからしばらくして、
ようやくサンジは船を降りて来た。
もう、空は真っ赤に染まって、夕陽が海に沈みかけている。
「メシは?」
「その辺で食っちまう」と言って、サンジが歩き出すのを待ち、ゾロも歩き出す。
適当に腹ごしらえをしたが、その店では酒が出て来ない。
「残念だけど、今週は断酒の週でね。旅の人には申し訳ないけど、うちらの信仰している
宗教の習わしなんだよ。この島では今週中、酒を買うのも、売るのも禁じられてるんだ」と
その小料理屋の女主人はゾロに申し訳無さそうにそう言った。
「人は売っちゃダメなんだけどね。機械ならイイって事で自動販売機があるから、」
「余所者の人はそこで買いな」と女主人はそっと耳打ちしてくれた。
路地裏には、何台もの"自動販売機"があり、どれも酒を売っている。
「ワイン、ブランデー、ウイスキー、米の酒・・・へえ、」
「案外、色々揃ってるもんだな」とサンジは薄暗い路地の中、陳列してある瓶にだけ
明かりの灯る自動販売機を興味深そうに眺めている。
「でも、なんかこう・・・無愛想って言うか、冷たい感じがするよな」
「売りっぱなしって感じで」と言いながらも、自分も何か買うつもりなのか、
ゴソゴソとポケットに手を突っ込んでいる。
「お前、何を買うんだ?」と品定めをしながらサンジはゾロに尋ねる。
「一番、アルコール濃度が高い酒」と言い、ゾロはサンジの側に歩み寄った。
「どこをみりゃ良いのかわからねえ。選べ」「選んでください、だろ」
サンジは視線をくるりと辺りにさ迷わせて、透明の瓶に入った透明の酒を指差す。
「スピリタスだ、どうする?」
「ああ・・・」ゾロはサンジが口にした名前に聞き覚えがあり、その味をすぐに思い出す。
「キツイがさっぱり味が無エ」
「アルコール濃度で選ぶなよ、味で選んでやる。量を買えばいいだろ」とサンジは
勝手に何枚かのベリー札を自動販売機に突っ込んだ。
「イラッシャイマセェ〜・・・キョウハナニヲサシアゲマショウ?」
「へ・・・」
機械の中からいきなり愛想のいい、若い女の声がして、サンジが一瞬、唖然とする。
「バカ、機械の声だろ」とゾロは後ろから手を伸ばしてサンジが押そうとしていた酒の
ボタンを乱暴にカチ、カチと二度、押した。
「へえ〜、なんか、艶っぽい声だな」とサンジは面白そうに機械を眺める。
「ラム酒・・・・ニ、本・・・御買イ上ゲ、アリガトウゴザイマ〜ス」
自動的に声が出る様に工夫してあるのだろうが、トーンダイアル程ではないにしても、
機械の中に人がいて、受け答えをしているのかと思うくらいにその声は愛想が良い。
サンジがまた金を入れる。
「イラッシャイマセェ〜〜・・・ビールガ良ク冷エテイマスガ如何?」
「お、違う言葉を喋ったな」とサンジは進められるままにビールのボタンを押す。
「アリガトウゴザイマ〜ス。黒ビールモゴザイマスガ?」とサンジがビールを取り出すと
間髪入れずに機械の声はそう言った。
「黒ビールも冷えてますか、レディ?」
サンジはニヤニヤ笑いながら機械に向かってそう言ったが、当然答えは返って来ない。
「面白エな、これ」とサンジはゾロを振りかえる。
「なんか、媚びた機械だな」とゾロも思わず、相槌を打つ。
その時。
「そっちだ、そっちに逃げたぞ!」
「追え、今日こそ逃がしたら俺達もタダじゃ済まない!」と言う数人の男が騒いでいる声が
近づいて来た。
それだけではない。
ゾロの耳には、石畳を蹴って走る、女の足音も聞える。
この路地1本向こうに、女が男数人に追われているのが、サンジには分からなくても、
ゾロには分かる。
(畜生、こっちに来るな!)と思わずそう思った。
男の怒声くらいなら、相手が自分たちに喧嘩を吹っかけて来ない限り、サンジも関心を
持たないだろう。しかし、男達に追われているのが女、と言うなら話しは別だ。
「誰か、助けて、御願い!中に入れて、家の中に入れて!」と女は路地裏に並ぶ
家の扉を片っ端からドンドンと叩いて、必死に助けを求めている。
その声が遂にサンジの耳に入った。
サンジはゾロから視線を逸らし、その声の方に顔を向ける。
「おい・・・」ゾロはサンジが何かを言い出す前に声を出し、サンジの注意を引き戻す。
サンジは黙ってゾロの顔を見た。
数秒、何も言葉を交わさず、視線だけを交わし、相手の言いたい事を探る。
約束しただろ?今度だけはすっぽかさないって
そんなゾロの気持ちはサンジに果たして、伝わるのだろうか。
分かってる、分かってるけどなア・・・とサンジの何か言い訳をしたそうな顔がゾロに
そう言っている。
そして、また暫し、沈黙。
10秒ほど経った時、サンジが何かを思いついたかの様に、性急に瞬きをした。
「あの声、そうだ、自動販売機の声だな」とサンジは急に、本当に唐突に突飛とも
思えるほど、上ずった声でそう言う。「ああ?」ゾロは予想もつかないサンジの言葉の
意味も真意も分からず、顔を顰めた。
「ここにこの自動販売機が無かったら、俺達酒を買えなかったな?」
「ここに自動販売機があったから酒が買えたワケだ」
「だったら、自動販売機に感謝しなきゃイカンだろ」
「ああ?何言ってんだ、お前!」ワケのわからない理屈を言いながら、サンジは
ゾロにビールと黒ビールの瓶を無理矢理押しつけた。
「美味い酒を売って愛想良く売ってくれた礼をしなきゃ、なあ!」と言い様、
サンジは女の声のする方へと駆け出して行く。
「待てえ、コラあ!」と慌ててゾロは呼びとめようと声を張り上げたが、サンジの
姿は路地裏の闇の中に消え、足音だけが女の悲鳴を追って遠のいて行くのが聞えた。
(勝手にしろ、大嘘吐きのアホコック!)とゾロは腹の中で目一杯サンジに毒舌を吐いた。
ちょうど、自動販売機のすぐ裏の路地に少し淫靡な雰囲気の宿屋を営んでいたので、ゾロは一人でその宿に入る。
「さっきの騒ぎは一体なんだ」とまだ、外の様子をびくついた態度で伺っていた店主らしき
中年の小柄な男にゾロはそう尋ねた。
「この宿に助けを求めてた見たいだが・・」
(別にどうだって良い事だ)と思っているのに、サンジが首を突っ込んだ事について
まるきり無関心でもいられない。
「あの子は、街の酒場で働いてる子なんだがね」
「この辺りのゴロツキを仕切ってるドンが最近、見初めてね」
「どうにかモノにしようと色々手を打ったが、どれもうまく行かなくて」
「とうとう、今夜力づくでモノにしようとして追い駆け回してるんだろう」
最初は中々、言い出しにくそうにしていたが、ゾロの顔を見て、素性を悟ったらしい。
隠し立てするよりも、何もかも話した方がいいと腹を括った様で、
色々と事情を話してくれた。
(知った事か)とその話しを聞いてもゾロはそう思うだけだった。
今夜、その女を助けたとしても、そのドンとやらをどうにかしない限り、なんの解決にも
ならない。ずっとこの島にいて、その女を守ると言うワケではないのだから、
場当たり的に助けても、いずれ、女はそのドンとか言う男の手に落ちるに決っている。
(勝手にしろ)自分と二人きりで過ごす僅かな時間よりも、顔さえ一度も見た事のない女を
助ける為にこの島のゴロツキを束ねるボスに喧嘩を売るなど馬鹿げている。
「いくら麦わらの一味のサンジでも、ドンには敵わないよ」と宿の主人が言った言葉が
ゾロの心に引っ掛かっていて、ふて腐れて一人ではあまりに広過ぎるベッドの上に仰向けに
根転がっていても、少しも眠気をもよおさない。
「なんで敵わないんだ?」「能力者だからさ」
ゾロの質問に主人はそう答えた。
(あいつが敵わない能力ってなんだ?)とゾロは考える。
蹴り技が効かないのか。だとしたら、何故だ。硬いのか、逆に物凄く柔らかいのか。
(敵わない相手に・・・)蹴り技が効かない相手にサンジはどうやって戦うのだろうか。
考えれば考えるほど目も頭もさえて来る。寝転んでいる場合じゃないとゾロは
「ええい、もう!」と大声を上げて飛び起きた。
「あのバカの我侭につき合うのはもう金輪際ゴメンだ、畜生!と自分でも意味不明な独り言を
怒鳴って、ゾロは部屋を飛出した。
続く
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