(不思議なもんだな…)

浴室から、雨音に似た音が聞こえる。

ベッドの上に、仰向けになってその音を聞いていると、半年と言う時間など
まるで夢のような気がしてくる。

(こうやって、あいつが風呂から出てくるの、いっつも待ってたっけ)
手持ち無沙汰に待つこの時間を、ゾロは懐かしく思い、ようやく取り戻したと、
とてもかけがえなく思うのに、逆にごく当たり前の事をしている様な気もする。

それは、とても不思議な感覚だった。

(…何も変ってないから、…こんな風に思えるんだろうな)と、ゾロはこの複雑な感覚の
理由をそんな風に考える。

時が止まっていただけで、サンジと自分との間に合ったモノは何も変らない。
だから、当たり前のように、以前となんら代わりない待ち遠しい、とても温かな気持ちで
サンジを待つ事が出来るのだろう。

やがて、サンジが頭に洗い立ての白いタオルを被り、備え付けられていた薄い寝間着を
着て、浴室から出てきた。
体から、さっきゾロが使った石鹸と同じ匂いの湯気が上がっている。

「…傷、大丈夫か」止血をしただけで、何も手当てをしていない傷を気遣い、
ゾロがそう言うと、
「大袈裟なんだよ。いい加減にしやがれ」と、大仰に顔を顰めた。

髪を覆っていたタオルを外し、サンジが黙ってゾロを見る。
その時、ゾロが以前と「変りない」と思っていた時間が変化した。

時が半年よりも、もっともっと遡り、
まるで、初めて抱き合ったときの様な、微かな緊張感が二人の間に漂う。

お互いが、お互いを求めているのは、手を伸ばさなくても、言葉を交わさなくても
分かっている。
それなのに、サンジの目に戸惑いが合った。それを見た途端、ゾロも戸惑う。

自分が理解できない感情をサンジが抱いていて、それを知らないままではいられない。
「なんだよ」サンジのどこか曇った顔の理由をゾロは短い言葉でそう尋ねた。

きっと、普段なら、ゾロのそんな質問など、サンジは強がって答えないだろう。
だが、今日は違う。

半年の間、いや、頭に怪我を負ってからずっと、ゾロがどれほど心配したかを
サンジはちゃんと慮っている。
だから、今日は意地を張って、時間を無駄にしたりはしない。
素直に、けれども、自嘲する様にわずかに俯き、ゾロから目を逸らしながら、
「…いや、あんまり貧弱な体になってたから、…驚いた」と言った。

「生ッ白くて、肉も削げてて…。骨と皮でまるで餓死した奴の干からびた死体みたいで…」
「お前が生ッ白いのは前からだ」

あえて明るく、ゾロはサンジの言葉を遮った。
「お前、前はどれだけ筋肉隆々だったんだ?寝てる間にそんな夢みてたんだろ」
「大して変ってねえよ、肉付きなんて」ゾロがそう言っても、サンジは
「見てねえからそんな事言うんだ」と吐き捨てるように言う。

「…俺に素っ裸、見せたくねえのか?」からかう様にそう言うと、サンジは黙ってゾロを
ギロリと睨んだ。

普段なら、その不快感と苛立ちが露骨なそんな目つきを見たら、
闘争心を煽られて、例え自分が悪くても、「カチン」と来るが、
今夜は、全く腹が立たない。むしろ、嬉しくさえなった。

喜怒哀楽が、こんなに鮮やかにサンジの中に息づいている。
それはサンジの生命力が少しづつでも、はっきりと回復しつつあるのが
その冴え冴えとした表情を見れば分かる。

だから、例え、睨まれてもゾロは嬉しい。
つい、その嬉しさに浮かれて、もう一歩踏み込んでサンジの気持ちを考えるのを
うっかり忘れてしまった。

「俺も今夜は見てえとは思ってねえよ」
そう軽口を叩いた後、サンジの顔が何かを言いよどんでいる様に、さらに曇った。

「…そうか」とだけ答えて、それ以上、何も言わない。
安心したワケでもなく、何かもどかしそうだ。

「半年振りだからな。おっぱじめちまったら、俺ア、自制が利かなくなる」
「無茶するのが分かってるから、…今夜はヤらねえ」

「そうか」ゾロのその言葉に頷いて、サンジはようやく、隣に横になった。
気がつけば、もう日付が変る時刻が近付いている。

寝床の中で、体を寄せ合うわけでもなく、ただ、二つ並んだ枕の上に頭を乗せて
寝転んでいるだけの格好だ。
それでも、上掛けの中はお互いの体温で少しづつ、暖かくなっていく。

ゾロは横向きになり、サンジの横顔を息が掛かるほどの距離で見つめた。
そっと腕を伸ばし、体ごと、自分の方へ向かせる。

(確かに、細エな)サンジの肩を掌が触れて、それを包み込んだ時、ゾロは
そう感じた。
けれど、口には出さない。

サンジの声がもっと聞きたい。
サンジの感情をもっと触って、かき回したい。

ゾロは薄い明かりの中でも色が褪せない海色の瞳を覗き込んで、
「…さっきから、ヤケに大人しいじゃねえか」と、煽るように囁いた。
「気が滅入ってるんだ。そうベラベラ喋れるワケねえだろ」
サンジはそう言うと、拗ねた様に目を逸らした。

「何に滅入ってるんだ?」と尋ねると、鼻が触れるくらいの距離なのに、
「うるせえよ、寝るんだろ、今夜は!じゃあ、黙って寝ろよ!」と
いきなりサンジは怒鳴った。

体が密着するかしないかの距離で、そんな風に怒鳴られているのに、
突然、ゾロの下半身へ、「ズ…ウン」と音がしそうなくらいに熱くなった。
まるで、どこからか沸いて出た血液が、一気にそこへと流れ込んだようだ。

そうなって、初めて、布越しにサンジの下半身に触れた。
(…お?)
掌でも指でも、腹でも太腿でもなく、男性の、いきり立ったその部分どうしが、
ゴツン、と温もった上掛けの中でぶつかる。

(…そうか。こいつ、自分からヤろう、なんて死んでも言うヤツじゃなかったな)と
ゾロは思い出した。

自分がシたくなっても、必ず「ゾロから」と言う形になる様に、
サンジはゾロを上手く誘導する。

今夜はそれが出来なかったのは、ゾロが「今夜はヤらない」と前もって言っていたから、そして、痩せ細った体を晒したくなくて、自分から体を摺り寄せて行く事を
躊躇ったからだろう。

言葉にも出せず、行動にも出れずに、どうしていいのか分からないまま、
体を持て余しているサンジを、ゾロは今、腕の中に抱いている。
サンジの心臓の音を、全身で感じる。

(…くそ…)

目を閉じて、どうにか呼吸だけでも整えようとゾロは試みた。
そして、頭の中で想像する。

このまま、心臓が爆発しそうな鼓動の勢いに飲まれて、サンジと一つになろうとしたら、
どうなるか。

まだ理性の残っている今は、サンジに快楽を与えるだけでいい、と思える。
けれど、この指と掌と、唇を使ってサンジに快楽を与えた時、
その甘い感覚に身を捩って、むせび泣くような声で喘ぐサンジを見たら、
ガマンも理性も、何もかも全部、吹っ飛ぶに決まっている。

(まともでいられる自信がねえ)と自分の想像ながら、情けないが否定出来ない。

もっと情けないのは、それを想像しただけで、顔も体もカアッと熱くなってしまった事だ。

「…寝てる間、なんか夢みたか?」
なんとか自分の体の熱を誤魔化したくて、ゾロはサンジにそう尋ねる。
聞いた事もない様な、上ずった声が出て、また顔が熱くなる。

〈初めてヤった時より酷エ〉と思うが、どうしようもない。

こいつを傷つけたくねえ。
こいつに痛エ思い、させたくねえ。
こいつに苦しい思いをさせたくねえ。

そう必死に言い聞かせる自分の声が、サンジの瞳に吸い込まれて、掻き消されていく。

嫌だから、堪えているのではない。
サンジがゾロを欲しいと思うその引力と同じだけ、ゾロもサンジを欲しいと思っている。
お互いがお互いを想い合うその二つの引力に、ゾロの理性と思いやりだけが抗っている。
だから余計に辛い。

今、もし、その唇が自分の名前を呼んだら、それだけで、この均衡は木っ端微塵に
砕かれる。

「…そんな話は、後でいい」
サンジの熱い吐息の様な、溜息のような囁きに、ゾロは思わず息を飲む。

サンジは静かに起き上がった。

そして、ゆっくりとゾロに馬乗りになり、体を折って、
「俺は欲しいんだよ」両手でゾロの頬を包み、そう言った。
「お前のいる場所に、ちゃんと帰って来たって言う実感が…」
欲望ではなく、純粋な愛しさがゾロの理性を凌駕していく。
もう、ゾロの頭はただ、サンジの声を拾い、その姿を目に捉える事しか出来ない。
そして最後の微かな理性をサンジのささやきがついに消し去った。
「わかるか?」そう言って、サンジの唇がゾロの唇の端を柔かく掠める。
ゾロの答えをサンジは待たない。

「俺は、お前が欲しいんだ、ゾロ」
「欲しくて欲しくて堪らねえんだ」


戻る     次へ