戦闘中に負った怪我が元で、頭の中に出来た血瘤を取り除く長時間の手術に
サンジは耐えた。

けれど、ようやく長逗留していた島から出航の目処が立ったのは、手術から半年も経つ頃だった。

***欲張りな夜***

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「10日後には船が出せるって?」とルフィはチョッパーに念を押すようにそう尋ねた。
「うん、体力と筋力がまだ普通の人間並だけどね、それだって、海出ればきっと取り戻せるよ」
「10日以降、いつ出航するか、ナミと決めておいてくれよ」
チョッパーは、そう嬉しそうに答える。

麦わらの一味は、甲板に集まって、チョッパーからサンジの容態を聞いた。

船は今、深秋の季節を迎えた島に停泊している。

別名「病院島」と言われるほど、この島の医療技術はドラムよりもはるかに高い。
倫理的に許されない実験をしているから、世界中のどこよりも医療が進歩しているのだと言う噂もあるが、とにかく、頭を開くと言う難しい手術が出来る技術と設備を持っている医療設備はこの「病院島」以外、どこにもない。
だから、この島への永久指針を手に入れてわざわざやって来たのだ。

昏睡している間も、肺炎を患ったり、サンジは何度も死線を彷徨った。

仲間の中には、「もうダメかも知れない」と思った者もいたかも知れない。
だが、少なくても、チョッパーは一度としてそう思わなかった。
そうでなければ、今、サンジはここにはいない。

※※※

「明日、全身の検査をして、結果が出次第、退院して頂きます」

病院の職員に淡々とそう言われてから二時間後。
ゾロとサンジは、その島にある別の建物の中にいた。
そこは、退院した患者が通院する為に滞在したり、見舞いに訪れた者が宿泊する為の
施設だ。

最上階で、島中はおろか海まで見下ろせる部屋の、大きな窓辺に立ち、
「そう言われたからって…。勝手に外泊していいって事にはならねえと思うんだが」と
サンジはゾロを振り返って苦笑いを浮かべる。「俺、目が醒めて三日も経ってねえんだぜ?」
「明日、検査が始まるまでに帰ればいいんだろ?問題ねえ」
ゾロは涼しい顔でそう答えた。

「…抜け出したって聞いたら、皆、心配するかも…」と言うサンジの言葉を
「いや…。却って安心するんじゃねえか」とゾロは笑いながら遮った。
「薬臭いトコ抜け出して、二人っきりでどっかにこもりっきりになれるくらい
元気になったんだってな」

ゾロがそう言うと、サンジは口元に柔和な笑みを浮かべ、黙ってまた窓の外へと
静かに目をやった。

けれど、わずかに瞼を伏せていた瞳にはどこか辛そうな影が落ちていたのを、
ゾロは見逃さない。

薄い瞼に遮られた海色の目をどれだけ焦がれていたか。

自分が瞬きするのも惜しいくらい、その海色の瞳をつぶさに見詰めていたから、
その影に気がつく事が出来た。
(眠って起きたら半年経ってたって聞かされりゃ、戸惑って当たり前だ)
(まだ三日しか経ってねえし…。無理もねえ)

「麻酔かけられる前に見たのは、新緑だったんだぜ。なのに、目が醒めたら落ち葉か…」
「ホントに半年も寝てたんだな」と言うサンジの独り言が聞こえた。

この半年の間、一体、どれだけ仲間を苦しませ、悲しませたのだろう。

夕暮れの中、秋色に色づく景色を見つめながら、きっとサンジはそんな事を考えている。
サンジが何も言わなくても、ゾロには何を考えているのか不思議と
手にとるように分かった。

上着を羽織ったままの背中にそっと近づき、サンジが見つめている中庭を一緒に眺める振りをして、
「ちゃんと目が醒めて、また海に出れるんだ」
「お前はそれだけを喜んでればいい。今は余計な事考えるな」
「お前の脳味噌、まだ動き始めたばっかりなんだ。少しは休ませてやれ」と、
痩せた肩に腕を回して抱き寄せた。

見飽きるほど見たいのに、サンジの蒼い目は、まだ日没の空を眺めていて、
まだゾロを見はしない。

「俺が寝てる間、…どんな事があった?」前を向いているサンジの頬から、
密着しなくても、輻射熱の様に優しいぬくもりがゾロの頬を暖める。
呼吸する かすかな音が聞えるほど、二人の顔は近づいていた。
「…いろんな事があった。おいおい、話してやるよ」

そう言って、ゾロはサンジの体に回していた腕に力を入れて、少し強引により
自分のほうへと引き寄せた。
すると、ようやくサンジはゾロへと顔を向ける。

「…半年って時間…、…長かったか?」サンジはゾロにそう尋ねた。

サンジの声を聞いている事、そのものがゾロにはまだ夢の様だ。
その声は至上の音楽の様で、頭で意味を理解するのに、いつもよりも少し余計に時間が掛かる。

半年の時間がお前にとっては長かったか、と聞かれてゾロは穏やかに答えた。
「…三日前までは長かった」
こんなに誰かに穏やかな声で話す事は、きっとない、とゾロは思う。

この腕の中にある細い体と優しい心に、ありったけの愛しさと労わりと詰め込んで、
一杯にしたい。
そんな思いがゾロの心の奥底から尽きることなく溢れて来る。

「…でも、今はそう思わねえ。長かろうが短かろうが…」
「もう過ぎた事だ」そう言って、ゾロはサンジを包むように抱すくめた。

サンジの温もりを、体以上に魂が求めている。
何も言わずに、こうして抱いているだけで、体の隅々までが温かくなるような気がした。

その唇から出て行く呼吸さえ惜しくて、ゾロは唇でその呼吸を拾った。

半年振りの口付けに、心臓が大きく歓喜に震える。
サンジにとれば、夢を見ていただけのわずかな時間だったかも知れないが、
ゾロにはその半年は、苦しくて、辛い、長い長い時間だった。

今日こそ、目を覚ますのではないか。
今日こそは。いや、明日の朝こそは。そう思い、それが叶わなかった時の失望を
何度となく重ねて、心も体も疲労していく。

諦めないと信じ、願う事だけが明日に繋がる力だった。
ゾロにとっての半年は、そんな時間だった。

「…街の木の葉っぱが急に緑から黄色に変わったのは、お前だけじゃねえ」
「俺だってそうだ」

この半年の間に積み重なった苦しみや、その代償のように今この腕の中にある
喜びを、余す事無くサンジに聞いて欲しいのに、
力いっぱい抱き締めても、息が詰まるくらいに口付けても、それだけではとても足りない。

拙い、不器用な言葉を並べる時間も惜しい。
それでも、ゾロは、心から溢れ出る思いを言葉に変えて行く。

「三日前まで、…俺の見てる世界には光が射してなかった」
「けど、」

口付けの最中からずっと閉じていた目をゾロは開いた。
ほのかに赤みを帯びた白く滑らかな肌色、太陽の光を吸い込んだ海の色、
息が溶け合うほど近くにそれが見える。

「お前が目を覚まして、…それから、最初の朝、」
「色づいた樹の葉っぱの間から見えた空が真っ青で、」
「その葉っぱが黄色く透けて、金色に見えた」
「…それ見て、…俺は息が詰まった」
「こんなに俺の生きてる場所は、光に満ちてるんだって」
「それから、早く、この真っ青な空と、金色に透けて光る葉っぱをお前に見せたいって」
「そう思ったら、金色の葉っぱが急にぼやけて見えた」


そう言うと、サンジは黙って顔を伏せた。

もしかしたら、サンジの目にも、ゾロと同じ様に暖かい雫の向こうで自分を見つめるゾロの顔が、少し揺れてぼやけて見えたからかも知れない。

無事に眼が覚めた事に浮かれずに、それより先に仲間の苦しみや
辛さを想うサンジの優しさが、ゾロは心から愛しい。

けれども、愛しいと思うからこそ、それ以上にその優しさごとサンジを、
今は自分一人だけで独占したかった。

「こんな事、もう一生言わねえ」
「みっともねえ我侭だって事も、見苦しい独占欲だって事も分かってる」
「でも、どうせ、お前は、船に帰ったら他のヤツらの事ばっかり考える」
「…それでもいい。でも、明日の朝までは、」
「…他のヤツらの事は考えずに、…俺の事だけ考えてくれ」

ゾロの肩に顔を埋めて、サンジは「…わかった、」と頷く。

二人は、まるでお互いの体温が空気に溶けるのすら惜しがるように、
体を寄せ合い、太陽が沈み、濃紺の空に星が輝き始めるまで、ずっと窓の外の
風景を眺めていた。

誰にも邪魔されないこの場所で、きっと、過ぎ去った時間をお互いが取り戻す為に
一つになりたいと願っている。

けれど、ゾロは柄にもなく躊躇った。

(…歩けるだけでも奇蹟だって言われてるのに、…)
(今夜、ヤったら理性のタガが外れるの分かってんだ)
(それに、今夜はそんな事をする為にこいつを連れ出したんじゃねえ)

今夜はただ、サンジの心も体も腕の中に抱いて眠りたい。
そう思っただけだった。

お互いが何を考えて、何を望んでいるのか、甘い言葉など使わなくても、
指と指を絡ませるように手を重ねていると、相手の想いが心の中へ染みこんで来る。

ゾロのそんな想いを、サンジが何も感じずにいる訳がなかった。


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