海神の歌
「なんだか、物悲しい夜だ。」


サンジが体に覆い被さっていたゾロを、
いや、ゾロの背中の向こうにある、やけに赤い、錆びた色の月を
見上げて呟いた。

ここは、熱帯雨林と言える気候の小さな田舎島。
船で3時間ほど行けば、そこそこ大きな島があるのだが、
この島は、この海域で暗躍する海賊の根城になっていた。

二人でそれを殲滅し。
生きている者は鎖で繋いで、息絶えたものは、この島の風習に従って
海へ弔う。

明日には海軍が彼らを捕縛にやって来る。

海賊どもがこの島の住民を脅かしていた。
ゾロとサンジにとれば、ただ、賞金欲しさに彼らを狩っただけなのだが、
ずいぶん長い間、この島は その野蛮な海賊の恐怖に怯えていたらしく、
島民はそれを払拭した麦わらの一味のコックと剣豪に 深く感謝した。


二人は、海賊の頭が占拠していた、島で最も豪華な建物で
一晩を明かす。
バルコニーには、天蓋付きの寝台が設えられ、そのすぐ側には、
湯が循環し、泡立つ風呂までついていた。

そんな絢爛な部屋での一夜なのに、

サンジは言う。

「物悲しい夜だ。」
「なんで、そんな事を・・・。」

自分がしっかりと熱い思いを込めて抱いたのに、何故、そんな
憂いた言葉を口にするのだろう、とゾロはサンジの唇を塞ぐ。

「歌が」

「聞こえるような気がする。」


唇が離れた瞬間、サンジは吐息に混ぜて囁く。
ゾロは耳を済ました。

手入れされた庭に、鬱蒼とした大きな樹があり、
その樹の根は海の底へと伸びている。見事な赤い花は、
赤い月の光を浴びてさらに赤い。

ただ、波の音、波を運ぶ風が樹を揺らし、葉が重なり合ってざわめく音だけしか
聞こえない。

「気のせいだ」

ゾロはサンジを抱き寄せた。
まさか、幽霊などを怖がるような 肝っ玉を持ち合わせているとは思わないが、
何かを憐れんでいるような目をしているのが気になった。

「どうした。」
海の色の瞳に、やはり月が映り込んでいる。
ゾロは瞼に唇を落とし、それを塞いだ。

歌が聞こえる。聞こえないのか。
あんなに悲しそうな声で、泣くように歌っているのに。

サンジが風に解けそうなほどの小さな声で呟いた。

「気のせいだ。」
ゾロはもう一度、サンジに囁く。

「この島の風とか花の匂いがお前をそんな気分にさせるんだよ。」
「島全体になんか、悲しい事を伝えようとしてる精霊がいて」
「お前にしか聞こえない歌を歌ってるのかもしれない。」

ゾロはふと、思いついたように 一転して サンジの幻聴の訳を推測する。

それにはサンジが 乾いた木の葉のように軽やかに笑った。
「お前らしくもねえ。」

「そういう事もあるんだ。」
「俺も、若い時聞こえるような気がした、ちょうど この島の」
「風景も、匂いも、雰囲気も よく似た島だった。」

サンジの妙に尖った神経を優しく撫でるように、ゾロは静かに
話し始める。

17歳か、18になるか、ならないかの頃だった。

ゾロにはその頃道連れがいた。

生まれた村を出て、生活費を稼ぎながら 旅をしている間に、
ふと 知り合った 少し年上の賞金稼ぎだった。

名前など、覚えていない。
ただ、腕はあまり立たなくて、ゾロの影に隠れて
それでも、ちゃっかり ゾロの狩った賞金首に掛けられている賞金だけは
折半していた。

何故、役に立たないそんな男と同行していたのか。
それは、彼が賞金首を連れてくるからだ。
そして、旅慣れていて、ゾロはただ、彼が連れてくる賞金首を狩っていれば、
食うにも、寝るにも困らなかった。

だから、彼と一緒に旅をしていたのだ。

「そいつにはまあ、禄でもねえ事ばかり教えてもらったんだが。」

行為の後で汗ばんだサンジの体をゾロは抱き起こし、
寝床の上に胡座をかいて 足の間に座らせ、薄い背中を胸に凭れさせた。

余程、ゾロとの行為に疲弊しているのか、サンジは力を抜き、
ゾロの為すがままになっている。

「金で女を買える事を知ったのは そいつに教わってな。」
「ヤりたくなりゃ、金さえ出せばいいって思った。」

「へえ。」サンジは バカにするような声で相槌を打つ。


「大金を積んで買った女と寝るより、」
「本当に大事な奴とする方が 100倍は気持ちいい。」

お前に出会わなければ、そんな事、知りもしなかったな、とゾロは
静かに笑った。



彼がゾロの前におびき寄せた海賊の中には 自分達に掛けられた賞金よりも
多額の金を彼に渡し、自分達の安全を測ろうとする者も現われた。

彼は、その両方を奪おうと画策し、その策謀に乗って
幾人かの海賊がゾロの刀の露となった。

それを知ったのは、とある 大きな海賊団に属する そこそこ腕の立つ
海賊を 高く切り立った断崖の上に追い詰めた時だった。

ゾロと同じ年くらい、いや、それよりも少しだけ年が上かもしれない。

彼は、イーストブルーでもかなり腕の立つ若手の海賊として
人々の口に上り始めた頃だった。

「約束が違うぞ、ロロノアっ」

そのうちの一人、銀色の髪の男がゾロに利き腕を切られながらも
まだ、一向に戦意を削がれない強い光を宿した瞳でゾロを睨みつける。

彼の武器はゾロと同じ、剣だ。
ただし、一刀のみ。

「約束?」
その言葉にゾロは眉を顰めた。

初対面のこの男、その髪の色からシルバータイガーと呼ばれた男とゾロは
約束など交わした覚えはない。

タイガーとゾロが刃を交えていたのは 海を渡る風さえも熱い、
咽かえるほどの花の匂いがその風に舞っている、
緑豊かな小さな島だった。

「俺達はお前の仲間に金を渡した。見逃してくれる筈じゃなかったのか。」
「あれは俺達を油断させる為の策略だったのか!」

タイガーの叫んだ言葉の意味がゾロには掴めなかった。

怪訝な顔をして尋ねる。
「なんの事だ?」

「ゾロ、そんな奴の口車に乗るな!油断させてお前を殺すつもりだぞ!」
ゾロの背後から 一度も「仲間」だなどと思ったことのない 卑しい男が
馴れ馴れしく叫んだ。

が、次の瞬間、その男の悲鳴が上がる。
思わず、ゾロは振りかえった。

「刀を捨てろ、ロロノア!」

タイガーの名が囁かれるところに必ず、彼の名も並んで人の口に登る。
タイガーの姿のあるところに必ず、彼の姿も共にある。


ボウガンを構え、ゾロに照準を合わせているのは、
漆黒の長い髪を後に束ねて、褐色の肌をした青年だった。

彼は、タイガーと同じ海賊団に属し、
黒い髪の所為か、ブラックパンサーと呼ばれている。

ボウガンを操るだけでなく、体術の達人でもあった。

ゾロの耳に風を切る音が聞こえ、咄嗟に体が動く。
避けていなければ、その矢は確実にゾロの胸を貫いていた。
が、それはゾロの腕の肉を僅かに削る。

パンサーはゾロの動きの早さに舌打ちする。
ボウガンの矢の先を舐り、小さな腰袋から取り出した粉を振りかけた。

「やめろ、パンサー!」

タイガーは 必死の形相で叫んだ。
「そんな卑怯な手を使う必要はない!」

「海賊の癖に生意気な事を言うんじゃねえよ。」ゾロは刀を口に咥えた。
毒矢を放ってこようと、相手が二人になろうと、
一向に構わない。

約束、という言葉を聞き、例の男が慌てていた様子を見て
ゾロは事の次第を理解した。
「俺は海賊と約束した覚えなんかねえ。」

パンサーは視線と武器をゾロに向けたまま叫んだ。
「逃げろ、タイガー!その傷じゃ、ロロノアに勝てないっ」

「うるさい、お前こそさっさと逃げろ!」
薄汚い賞金稼ぎに背中を向けて、それで誇り高い海賊になる、と言えるか。

タイガーはパンサーに向かってそう怒鳴った。

「誇りの為に死ぬのかよ?」
ゾロはその言葉をせせら笑った。

「馬鹿だな、てめえら。」


その言葉を聞いた時、タイガーが怒りに顔を赤らめながらも、
激情を押さえこむような、絞りこんだ声で言い放った。

「誰がお前なんかに殺されるものか。」
「誇りの意味も価値も判らない獣のお前なんかに。」
「俺達は決してお前なんかに殺されたりしない。」

「俺達の誇りと夢を馬鹿にしていいのは、」
「それを決めた、俺達だけだ。」



「え・・・?」


ゾロの言葉をサンジの疑問を含んだ声が遮った。
どこかで聞いた、その言葉。

「受け売りだったのかよ。」
「結果的にそうなっただけだ。」

ゾロは 悪びれずに答える。

「あの頃は、自分の夢を人にしゃべる事もなかったし、」
「上手い言葉も見つからなかったからな。」

お前に馬鹿にされたのが、腹に据えかねてつい、
口をついて出たのが、タイガーが言い放った言葉だった、とゾロは言い、
そのまま 穏やかに話しの続きを語り始める。




背中にパンサーの殺気を、目の前にタイガーの殺気を受けながら
ゾロは両の手で握った刀の刃先をそれぞれに向けて威嚇する。

パンサーが放ったボウガンの矢をゾロは刀で弾き返した。
その間、タイガーはゾロを襲ったりはしない。

「ふん。」
「俺は二人同時でも一向に構わねえぜ?」

タイガーは腕が立つ。立つだけに、自分とゾロの力量の違いを
悟っていた。
勝てない、が、逃げる事も出来ない。

「パンサー、逃げろ」
タイガーはもう一度、パンサーに怒鳴った。

「うるさい!」

パンサーはもう、ゾロに打撃を与える筈のボウガンの矢を
全て使い果たしている。
体術で闘うしか、タイガーを助ける手はない、と判断し、地面に
ボウガンを投げ捨てた。

「縊り殺してやる。」
「へっ。」

ゾロはパンサーの気迫を鼻で笑って、煽った。

刀対体術など 愚かの極みだ。
その頃は、サンジのように体術を極めた物の真の威力を ゾロはまだ
知らなかった。

振り下ろした刀をパンサーはゾロの手首ごと掴んで
地面に押しつける。
が、ゾロは力任せにそれ振りほどき、一瞬バランスを崩して
体勢が乱れる。

その間隙を縫って、パンサーの手刀がゾロの首筋に撃ちこまれるが、
それを体をどうにかひねって左手に握った刀の柄で受けとめる。

が、瞬きもしない内にパンサーはゾロの背中に廻り込み、
逞しい腕でゾロの首を締め上げた。

それでも、ゾロは冷静だった。

そのまま、体を前倒しにし、地面を蹴って、パンサーを背負ったまま、
地面にその背中を叩き付ける。

「ぐはっ!」
「パンサー!」

仰向けに地面に叩き付けられたパンサーが苦しげな息を吐くのと、
タイガーが叫ぶのと、
ゾロがパンサーの心臓に刀を突き立てたのが殆ど同時だった。

「逃げろ、タイガー。」


それが、パンサーの最後の言葉だった。

この程度の技で、なんで俺に挑んで来た?
ゾロの背中に理由の判らない汗が吹き出た。

パンサーの体からゾロは刀を引き抜き、タイガーを振りかえった。

「行けよ。気が萎えた。」


が。その時に見た、タイガーの表情は 今でもゾロの目に焼きついている。

沸き上がる悲しみ。
ゾロへの憎しみよりも、はっきりとパンサーの骸に向けられた眼差しには
それしかなかった。

タイガーはゆっくりとゾロの横を通りすぎ、パンサーのまだ、
温もりの残っている体を抱き上げた。

多くの海賊を殺してきたが、仲間を殺されて逆上しなかったのは
タイガーだけだった。

それにゾロは言い様のない違和感を覚える。

タイガーは、何度も何度も、パンサーの名を呼び、揺り動かした。

こんな終り方、あんまりだ。
まだ、何も手にいれてないのに。

何も、お前に伝えてないのに。

タイガーはそう言って、パンサーを抱いて泣いた。

ゾロはその場にいるのが辛くなった。
ただ、仲間を殺されたと言うだけでなく、もっと 深く、もっと 濃い
悲痛な痛みをタイガーの慟哭から感じた。

ゾロは二人に背を向けた。
咽かえる、花の匂いを含んだ風が頬を打つ。

刀を納めて 何気なく振りかえる。
断崖の上から、タイガーがパンサーを抱き、自ら深い海の底へと
落ちて行く姿が見えた。


何故?
パンサーが命を掛けて助けた命を何故、捨てる?


その答えを聞きたくても、二人の体にも、魂にも、
もう、ゾロの声は 届かなかった。



「今なら、判る気がする。」

あの頃は、理解できなかった、タイガーとパンサーの行動の意味。
パンサーの命を奪ったゾロへの復讐よりも、
パンサーと運命を共にと想ったタイガーの心。

愛した者のいない世界を生きる事への底知れない絶望。

今、サンジの肌に触れながらゾロは 紛れもない真実の心を
呟いた。

「判るなよ。」
「俺はわからねえな。」

サンジは あまり、感情の篭っていない口調で答える。

「そいつらにどんな夢があったか、わからねえけど。」
「同じ夢を追っかけていたなら、なんで、タイガーは死んだんだ。」

せっかく、パンサーって奴が生かしてくれたのに、その命を無駄にしたのと
同じじゃないか、とサンジは言う。

「理由はわからねえ。けど、」
「そんな気になるってのは判る。」ゾロは 曖昧な言葉で答えた。

共に同じ夢を追っていた、愛しい者を亡くして
それでも尚、生きて行く辛さに耐えられるだろうか。

例え、その命が 愛しい者の死に寄って与えられたとしても、
それなら 尚更生きなければならないけれど、
夢を追える強さを取り戻す事など出来るのだろうか。

ゾロは答えのでないのを判っていながら 自問自答する。

そして、聞こえる。
ゾロの耳にも、樹が歌っている、物悲しい旋律が届く。


咽かえる赤い花の匂いが 人の体温よりも熱い風に乗り、
愛する者を失う怖さに怯える心を持つものにだけ聞こえる
海神の歌を運んでいた。



ここにいるよ
あなたが迷わぬように

ここにいるよ
あなたがさがさぬよう


波よ

もし

聞こえるなら 少し 今 声を顰めて



(終り)