「・・・もしも、これ以上、俺の足が遅くなって、クソ虫どもに追いつかれるような事があったら、」
「ウソップには、仲間の助けを呼びに走ってもわなきゃならねえ」
「その時、怪我をしてる仲間を置き去りにして逃げる、なんて事考えたら」
「ウソップの足が鈍る・・・。だから、黙ってるんだ」と、サンジは言った。

正直、コニャック・ボンボンにはあまりサンジの言葉の意味と真意がわからなかった。
ただ、(・・・何か、オカシイ様な気がする・・・)とどうも漠然と納得出来ない。

あまり言葉の数を知らず、物事を深く考えて理由付ける事などした事もないコニャック・ボンボンに、
サンジの言動をきちんと考えて、その正誤を正すために理屈をこねるのは、到底無理な話だった。

コニャック・ボンボンがもっとたくさんの言葉を知っていて、
もっと、頭が良かったら、自分が感じているもどかしさを言葉にしてサンジに
伝える事が出来ただろう。

(何かがオカシイ、もっと違う方法がありそうな気がすル・・・)
それはすなわち、
"思っている事を全部言ってしまって、それから最善の策を立てた方がいい様な気がする"
と言う事だ。

サンジは壁に力なく凭れた。
毒消しの薬草のおかげで少しは痛みが薄れたのか、
痛みで強張り、疲れていた体が休息を欲しがったのか、少しづつサンジの瞼が下りていく。

コニャック・ボンボンは黙ってサンジの膝の上に乗り、その顔を下から仰ぎ見る。
口に咥えていた煙草はもう火が消えていた。


力のない、血の気が失せていく少し開いた唇から、その煙草がぽろりとサンジの腹の上に
落ちる。
(・・・このまま、寝テしまったラ・・・ウソップさんに怪我がバレてしまうけド・・・)と思うが、起こしていいものかどうか判断出来ない。
じっと、息を潜めて、サンジの顔を見上げるだけだ。
コニャック・ボンボンの視線に気付いたのか、サンジが急にハっと我に返った。

「・・・寝たら、ダメだな・・・」
そう言って、サンジはもう火が消えてしまった煙草を腹の上から摘みあげ、
もう一度火を点け直す。

「・・・眠っちまわないように、ちょっと何か話せよ」
サンジはそう言って、コニャック・ボンボンの頭をまだ血が着いている指でチョン、と突付いた。

「人と話すのも久しぶりなんだろ?・・・話したい事がたくさんあるんじゃねえか?
「眠らないように、ちゃんと聞くから、もし、返事をしなくなったら、思いっきり手に噛み付いて起こしてくれていいぜ」

そう言って、サンジは目を細めて微笑んだ。
その言葉を聞いて、コニャック・ボンボンの胸はまた痛くなる。

一瞬も気を抜けない場所で飼い主を探して、探して、それでも遂に見つけることが出来ず、
なんとか飼い主を殺した虫達に復讐しようと決めた。

それだけを目的に三年もたった一匹で生き抜いてきた。
その寂しさ、孤独、心細さ、恐ろしさ、コニャック・ボンボンが抱えてきたそんな
想いをサンジは理解してくれる。
コニャック・ボンボンを見下ろすサンジの目には、確かにそんな労りと優しさが滲んでいた。

「・・・では・・・眠気覚ましになる話でハありませンが・・・」

コニャック・ボンボンは話した。

飼い主には、幼い一人息子がいた事。
その息子が父親不在の間、少しでも寂しくないようにと、親を亡くして死にそうだった
子リスを拾い、それを土産にしようと思っていた事。

その飼い主の恩に報いたくて、飼い主と同じ目の色をした青い貝殻を拾い集めた事。
それをブレスレットにし、飼い主がその腕にはめてくれた事。

この島に漂流した時の事。
人間牧場での暮らし。そして、突然の別れ。

「・・・ボクの目の前から急に消えてしまったかラ、・・・実は、どこかで今でも
生きているんじゃないかって、思う事もありマス」
「・・・そうだな。亡骸を見てないと、・・・生きてて欲しいと思うから、余計にそう思うよな・・・」

コニャック・ボンボンの言葉にサンジは遠くを見ているような目でそう呟いた。
何か大切なモノを思い浮かべている様な、そんな表情だったけれど、自分の眠気を
振り切るように、明るい声音を無理に作って、コニャック・ボンボンに
「・・・飼い主の名前は?」と聞いてきた。

「ホントの名前は知りません。でも、カルネ船長って呼ばれてましタ」と答えると、
サンジは壁に凭れたままで、
「カルネ?カルネって名前だったのか。ハハ、そりゃ奇遇だな」
「俺の知り合いにも、いるぜ。カルネって名前のコックが」
「どこの海の出だよ、そのカルネ船長は」と、無理に明るい声音を作って質問を重ねてくる。

「なんでも、北の海(ノース・ブルー)の生まれだとか」
コニャック・ボンボンが答えると、微かにサンジの口元が綻んだ。

「・・・へえ・・・俺も北の海(ノース・ブルー)の生まれだよ。こりゃ、よっぽど縁があるぜ」

そう言われて、コニャック・ボンボンはやっとわかった。
何故、サンジの言う事に服従したくなるのか、付いて行きたくなったのか。

サンジの煙草のにおいと、髪の色、瞳の色、体の奥底から香る、グランドラインの海とはどこか違う潮の香り。
それらが、コニャック・ボンボンの飼い主と同じだからだ。

サンジは飼い主の代わりにはならない。
けれど、誰かに尽くして従っていれば、コニャック・ボンボンは寂しさから救われる。

かつて、自分が心から慕った、髪の色、自分を見る瞳の色が同じだった。
それを理由に、コニャックボンボンは、サンジを仮初めの飼い主と考え、
そして、サンジに尽くそうと心に決めた。

故に、コニャック・ボンボンはサンジのために出来る事を考える。

「・・・ウソップさんが起きる前に、起こして差し上げまス」
「そうすれば、怪我の事を知られずに済ムでしょウ?」

そう言うと、サンジは瞼を閉じた。

「・・・気が利くな、・・・ムシュ・ボンボン」
薬草が痛みを緩和するのも、きっとほんの僅かな時間だろう。
それでも、少しでもサンジの体力が回復してくれたらいい。



コニャック・ボンボンはそう願いながら、朝を待った。

だが、二時間も経たない間に、コニャック・ボンボンはサンジを叩き起こさなければ
ならなかった。

「起きて下さイ、二人とも!」と金切り声を上げ、二人の頭を踏みつけながら跳ね回る。

「な、なんだよ!」ウソップに手で叩き落とされたが、コニャック・ボンボンは
怯まずに大声を上げた。

「追って来ましタ、昨日の虫が!」
コニャック・ボンボンの声にサンジは顔色一つ変えない。

いや、昨夜より更に血の気が失せているように見えるのは、埃まみれで
曇った窓から差し込む朝の白い光の所為ではないだろう。

「・・・やっぱり、虫だな。頭悪イ。追ってくるのが遅エな」
気だるげな、機嫌の悪そうな声に聞こえるが、状況を知っているコニャック・ボンボンには、サンジが
声を無理に絞り出している様にしか聞こえない。

「暢気な事言ってる場合か!さっさと蹴り殺して来い!」とウソップに怒鳴られても、
「・・・イヤだね。お前はお前で何とかしろよ」
そう言って、サンジは平然としている。いや、平然を装っている。

「俺はこの小屋に虫がいくら踏み込んでこようと、自分の身ぐらい自分で守れるからな」
「・・・な、なんだと!薄情モノ!」
ウソップの眉毛が吊り上がった。

だが、サンジは冷ややかな眼差しでウソップを見て、腕組みをし、
顎で床を指して、「・・・俺に守って欲しけりゃ、ここで土下座して謝れ」と淡々と言い放つ。
「人をホモ扱いしやがって・・・。まず、それを誠心誠意 謝ってからだ」

「今、そんな事言ってる場合じゃねえだろ!」ウソップの声が上ずってくる。
「謝らねえなら、勝手に虫を駆除して来い」

側で見ていて、コニャック・ボンボンはハラハラした。

ウソップの言うとおり、今そんな事を言い争っている場合ではない。
虫の大群はもうすぐそこまで来ている。

(逃げるなら、早く逃げないと・・・)とヤキモキする。

サンジは壁に凭れて床に腰を据え、ウソップは立ち上がって今にも
外へ飛び出して行こうと逃げ腰に見えるけれど、すぐには動きそうにない。

サンジが動けない理由をウソップはまだ知らないでいる。

サンジが喧嘩を吹っかけているのも、ウソップが腹を立てて、
この場所からサンジを置いて逃げて欲しいと思ってのことだと言う事など、
当然、気付きもしない。

「倒せねえんなら、さっさと逃げればいいだろ、なんで虫を
ひきつける様な真似してんだよ!」とウソップが怒鳴れば、
「やられっぱなしで逃げるのはイヤだっつってんだ!」
「相手がオスなら皆殺しにしてやる、俺はそのタイミングを図ってるだけだ!」と
サンジも怒鳴り返す。

「それとも、俺に守ってもらわなきゃ、虫から逃げ切れねえのか、ウソップ?」

そして、急に声を低めて、ウソップをあざ笑った。
不敵な、ふてぶてしい態度をとるのは、きっと、多分、大声を出すと傷が痛む
からだろう。

ウソップに声を落としたことを気付かれないよう、ごく自然に見せる為に、
サンジは笑った。

その嘲笑を見れば、ウソップは冷静になれず、頭に血が昇る。

冷静なら、見落とさない事もサンジの嘲笑に煽られて、きっと見過ごしてしまう。

サンジのその計算にまんまとウソップは乗せられている。
サンジの怪我の状態を知っているコニャック・ボンボンには、
二人のやりとりの末、ウソップがどんな行動をとるか、
全てサンジの計算どおりになっている様にしか見えない。

「勝手にしろ、お前のワケのわからねえ意地に付き合ってられねえっ」
そう言って、ウソップはとうとう小屋を飛び出してしまった。


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