「世界一の大剣豪が満足するような握り飯を作る自信がねえよ。」

頭、つまり理性や意地で歯止めをかける前に、サンジの口は勝手に
心の中に浮かんだ素直な感情を言葉にして吐き出してしまった。

そして、その言葉はゾロではなく、言ってしまったサンジ自身を深く傷つけた。

すぐに、自分の後の空気が凍てついたことにサンジは気がついて、
我に返る。

(しまった。)
なんて馬鹿なんだろう、と後悔して、どうにか取り繕うと慌てて振り返ろうとした。
けれど、凍てついたのは周りの空気だけでなかったようで、不思議と体が動かない。

嫉妬を露骨させてしまった事が恥かしくて、顔が赤らむのが判る。

「さっさと作れよ。船長がご所望なんだぜ。」

ゾロもどう繕っていいのか、判らない。
自分が失言した事は判っているが、ここで必死で言葉を繰っても、
サンジは多分、何食わぬ顔を装って、ゾロの言葉など気にしない、と言う
態度を崩さないだろう。それが、サンジの意地なのだから。

それをわざわざ突き崩して、ここで痴話喧嘩をしたら、それこそ、サンジの、
「俺はゾロなんかよりも、ナミさんとロビンちゃんが大事」と言うスタンツを
彼女達の目の前で木っ端微塵にしてしまう事になる。

そこまで考えられる頭があるのに、何故、さっき言葉を間違えたのか、
ゾロは猛烈に後悔しながらも、それを全く気取られない風に装い、

悪い事にあきらかに高飛車に聞こえるような、喧嘩ごしにしか聞こえない口調で
サンジの背中にそんな言葉をぶつけたのだ。

(アホ)とルフィ以外の全員の心の中で一斉にゾロへの罵声があがる。

おのおのの手は食事を続けながら、サンジの動向を、皆が直視しない目線で窺っていた。
(息がつまりそう)な、空気だったが、サンジはいつもと全く変わらない口調で、
背を向けたまま、「ああ。」とだけ答えた。

「なんだと?誰にもの言ってんだ、てめえ」

それが正しい反応の筈。いつもなら、ゾロがそんな風に声を掛ければ、
じゃれ噛みのような顰め面でそう言うのに、サンジの答えは不気味なほどに淡々としていた。

「俺のだけじゃねえぞ。ゾロのも作ってくれよ!」とルフィはさっきの
「世界一の大剣豪が満足するような握り飯を作る自信がねえ」
と言うサンジの言葉の意味を全く理解しないまま、明るくそう言う。

いつもどおりに見える仕草で、態度で、サンジはルフィの言うとおり、
きちんと二人分の握り飯を作り、ルフィとゾロの前に置いた。

そこからは、至って、いつもと同じ態度をサンジは装い続ける。

もう、ゾロの失言も、それに対して吐き出してしまった自分の暴言も
全員に綺麗さっぱり忘れて欲しかった。

食事が終って、いつもどおりのおだやかな時間が訪れる。

サンジが後片付けするのをゾロはいつまでもグズグズとキッチンに居残って、
ずっと待っていた。

(やっぱり、お前の握り飯の方が美味い。)
紛れもない事実なのだから、思ったように言えばいい。
が、ゾロはその言葉も空々しくて口に出来なかった。

「その時、その時、の状況で美味エ、と思うものがあるから、」
「気にしなくていい。」

黙ったまま、テーブルに手持ち無沙汰な表情で座っているゾロにサンジは
酒と簡単な肴を差し出しながら、ほんのりと微笑んでそう言った。

「俺も、カビの生えたパンでも美味エと思った事があるしな。」
「気の悪イ事言っちまって、悪かった。」

嫉妬した自分の心の醜い領域にこれ以上、ゾロを踏み込ませたくなかった。
自分の中にそんな感情がほんの一握りでも存在するのは許せない。
切り離し、捨てるべき部分を人に見せびらかす無駄な愚行をサンジは
踏みたくない。

本気で謝る必要がないのは判っている。
けれど、もう、こんな下らない感情にも、その所為で引き起こしてしまった珍事にも、
これ以上関わりたくないのだ。

他人に忘れて欲しいと思う以上に、自分自身も綺麗サッパリ忘れたかった。
それが本心でないのに、ゾロに謝罪すると言う、自分らしからぬ
偽りの行動であっても、その方が早くこの嫌な気分から抜け出せると思ったからだ。

「お前が謝る事はなにもねえだろう。」とゾロが怪訝な顔をする。
「俺が」悪かった、といい掛けたゾロをサンジは右手を上げて、制し、

「もう、いい。」と無理に笑った。
ゾロには自然に見えるように、と努力したつもりで笑って見せた。

「それより、身も知らない船で目が覚めたら、コバトちゃんだっけ、が、」
「心細いだろ。もうそろそろ、目を覚ますだろうから、側にいてやれよ。」

「今夜は不寝番、変わってやる。」

反論する暇さえ与えず、それでもサンジはゆったりとそう言うと、
ゾロの言葉に耳を貸す、と言う雰囲気を、一切断ち切った背中をゾロに向けて、
キッチンを出た。

溜息が出そうなのを、無理矢理飲みこむ。

(ああ、早く)島に着けばいいのに。

とサンジはキッチンの扉に凭れて、自分の靴先をじっと眺めていた事に気がついて、
意識的に顎をあげて、上目遣いに空を見上げた。
いつもなら、その煌きに見入ってしまうほどの無数の星も今日は心を動かされない。


「気がついた?」

ナミの部屋のベッドの上のコバトがゆっくりと目を開いたのを確認してから、
ナミが静かに尋ねた。

焦点が合わないまま、コバトは何度か瞬きをする。

「大丈夫?」

女性を安心させるにはやはり、優しげな女性の声が良い、とチョッパーが言い、
「そりゃ、いきなりヌイグルミに話し掛けられるよりはずっと言いわよね。」とナミが
笑いながら賛同したので、枕元でロビンとナミが交互に声を掛けていた。

自分の状況を把握し、意識がはっきりしてから、コバトはやっと安心したように、
表情を緩ませる。
また、サンジの温かい食事を少し腹に入れて、ようやく、色々な事を話す元気が
出てきた。

そして、ゾロと再会する。

「なにかの中毒で、コバトさんはとても視力が落ちてるみたいだ。」と
意識を取り戻してからの問診で、チョッパーはそれに気がついた。

だから、ゾロが目の前に立っても、不思議そうな顔をしていた。
けれど、兄弟弟子のロロノア・ゾロだと判って、みるみる、顔中に笑みが広がった。

「こんなところで会えるなんて」

私の方が年上だったけど、あの頃から、私、ずっとゾロの事が好きだったのよ。

麦わらの一味の全員が見守る中で、コバトはそう言って、ゾロに自分から腕を伸ばして
抱きついた。
病人が無理に体を起こして抱きついた、その手を振り払う事など出来ない。
ゾロは眉を顰めたまま、首に回ったコバトの手が解けるのをただ、待った。

自分を助けてくれたのが、初恋の人であるゾロだった。
それはコバトにとって、「やっぱり、私に取ってゾロは運命の人だったんだ」と
都合良く考えるのに充分な条件だった。

起き上がれる様になり、歩ける様になり、コバトは事あるごとにゾロに甘える。
目がよく見えないから、と言う理由で船内を歩く時は、ゾロと堂々と手をつなぐ。

「イヤな女ね。」とナミはすぐにコバトを嫌い始める。
男に媚びる女は、とかく、同性、特に気丈な女性から嫌われる事が多い、
コバトもその例に漏れないタイプのようで、

ナミにとって気に食わない女でも、ウソップやルフィには以外に
好意を持たれるのだから、ナミはますます機嫌が悪くなる。

ロビンはその点、心得ているのか、大人の女性らしく、自分の腹の内を
誰にも見せないで、コバトに接している。

サンジは、あくまで、サンジらしく、振舞っていた。

コバトちゃん、僕がエスコートしましょう、と言うのも、ごく、自然な態度だ。
けれど、

「知らない男の人と手を繋げません」と、すげなく断わられる。
それでも、いつものように、ナミとロビンに対する態度と寸分変わらない態度を
貫いていた。

決して、誰にも、自分の心の中にある疼きを悟られたくない。
ゾロと公然と手を繋ぐ、と言う行為が羨ましいなどとは微塵も思わないし、
清楚な外見のコバトを嫌っている自覚もない。

それなのに、ただ、胸が無意味に疼く。
意味を探りたくなどない、原因に向き合う気も起きない。
いつもよりも、少し、体ではなく心に疲労が貯まるだけの事に、
いちいち、深く考え込むのは面倒くさい。

サンジは、"いつもどおり"の自分を繕う為に、自分の心を、自分の本当の姿を
見つめ直さねばならなかった。
単純な作業の筈が、以外に面倒で、困難な事である事にすぐに気がつく。

(くそ、面倒臭エ)。
島に着いたら、思いきり、賞金稼ぎを狩ってやろう。
海軍だろうと、街のごろつきだろうと、構わない。
危険に身を置いて、そのスリルを楽しめば、こんな鬱々とした気は晴れる。

そう思って、サンジは早く次の島に着く事を指折り数えて待っている。


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