「別に食料が足りない訳でもないのに、随分、」
「島に着くのを心待ちにしてるのね。」

朝食の後、テーブルに着いたままのロビンが後片付けをしているサンジに
笑いかけた。

「え。」

胸の中を覗かれた様な気がし、サンジはギクリとしながら、
それを咄嗟に押し隠してロビンを振りかえる。

「暴れ足りない?」

サンジはロビンの問いかけの意味を測りかねて、一瞬言葉に詰った。
詰ったが、すぐに笑顔を作る。

「そうだね。そろそろ、生きる、死ぬくらいのヤツを相手にしたいね。」

それは間違いなく本心で、別に嘘を言ったのではない。
ただ、それを願う自分では忌々しいほどの苛つきを誤魔化しただけだ。

「また、私達を心配させたいの?」とロビンは小首を傾げてまた、微笑む。

「まさか。ものの例え、だよ。」とあっさりと答えて、
サンジはまた、自分の仕事に戻る為の当然の動作だろうが、
ロビンには自分の表情を隠す為に、背を向けたように見えた。

(変ね、やっぱり)ロビンはサンジの反応を表情はそれとサンジに悟られないままに、
訝しく感じる。

いつもなら、
「ロビンちゃんが心配してくれるなら、僕ア、何度でも死に掛けてもイイ〜」と
トロンとした目つきで言う筈なのに。
それなのに、この鈍い反応はなんなのだろう。

「次の島に着いたら、彼女、海軍に引き渡すんですって。」とロビンは
サンジの心を曇らせているに違いない、コバトの事をサラリと口にした。

「彼女の目の治療は?」とサンジは背を向けまま、ロビンにコバトの目について尋ねた。
「薬がとても高価らしいわ。うちの船で出す義理はないって航海士さんが。」
ロビンはサンジが何時の間にか用意していた温めたスコーンを前に出されて、
いささか 驚いたような表情を僅かに浮かべながら、サンジの質問に答える。

「高価ってどのくらい?」と、逆にサンジはすぐにロビンに聞き返す。
「それはドクターに聞かないとわからないけど。」とロビンは答えを濁した。

「その薬があれば、目が見えるようになるのかな。」とサンジはロビンの前の
テーブルに腰を掛ける。

「どうぞ、」とロビンは灰皿をサンジの目の前に置いた。
「ありがとう。」サンジはそれを差し出されて初めて、タバコに火を着けた。

「ナミさんらしいな。」とサンジは溜息のようにタバコの煙をロビンには
吹き掛けないように気を配りながら吐き出した。

そこへ、無造作にキッチンのドアが開く。
二人とも、他愛のない会話をしているようで、お互いの腹を探りながらだった所為か、
その足音に少しも気がつかなかった。

「あら、」とゾロに手を引かれたコバトが ゾロの背中ごしに顔を覗かせる。

目を細めて、「サンジさんとロビンさんでしたか。お邪魔です?」と笑い掛けて来る。
「いいえ、どうぞ、」とサンジは立ち上がった。

「何か飲み物を入れましょう。」と言うのを、コバトは
「いいえ、ごめんなさい。それより、ちょっとゾロと二人で話しがしたいんです。」
「席を外してくれません?」と遮った。

「私達がいたら、話せない話しなの?」とロビンは微笑みを浮かべながらも、
コバトを窘めるような口調をわずかに滲ませてそう言った。

「昔の話をしたいだけです。私達だけの、共有の想い出話しなんか聞いても
面白くないでしょうから。」とコバトは気丈にロビンの言葉を突っぱねた。

この船に助け出された時、チョッパーはコバトの体を調べた。
当然、男達に乱暴に扱われた形跡が残っていた。
どのくらい囚われていたのかはまだ 本人も語らないから判らないが、
若い女性がそんな酷い目合いながらも 正気を保っていられたのは、
やはり、幼い頃に厳しい剣術の稽古の経験の賜物なのだろう。

同情すべきだ。
労わってやるべきだ。誰よりもサンジはそう思う。
だから、ルフィがコバトを海軍に引き渡すまでは
どんな我侭も聞き入れて、労わって、優しく扱わねばならない。

「そっか。」とサンジはそれでも、簡単に用意出来る冷たい飲みものと
ゾロにほんの少し酒を用意し始める。

「波が荒れてきたら、来て頂戴ね。」とロビンはゾロにそう言い、
サンジには、「ご馳走様、」と微笑みを残してキッチンを出て行った。

テーブルにつき、椅子に座ったのなら、手を離せばいいのに、
コバトはずっとゾロと手を指を絡めるように握り合っている。
それを見て、サンジはまた、胸が疼くように痛んだ。

(クソ、むかつく)自分に腹が立つ。
こんな事を目にしたくらいで、胸が締めつけられるような痛みを覚える、自分に。

無理に笑う事、無理に痛みを押し隠す事など慣れている筈なのに、
得体の知れない痛みにサンジは振り回される、そんな自分の感情を持て余し、
一体、自分がどんな顔をしているのかさえ、予想出来なくて、

飲み物を用意し、二人の前に置くとそのまま、逃げるようにキッチンを出た。

ウンザリする、真っ平だ。
こんな気持ちで、心を埋め尽くされるのはゴメンだ、と思うけれど、
サンジにはどこにも逃げ場がなかった。

コバトから解放されるのは、夜、コバトが女部屋で眠る間だけだ。
体を鍛錬している時も、食事の時も、ずっとコバトが側にいる。
その居心地の悪さに ゾロも疲弊していた。

自分がコバトと手を繋ぎっぱなしなのを見て、サンジは顔色一つ変えない。
その代わり、食事の時も、皆の前でも、何時もの様に言葉でじゃれ噛みのような
喧嘩を吹っかけてもまるきり乗って来ない。

物判りが良過ぎるようにも見えるが、感情を押し殺す、
その結果が交わす言葉と態度の鈍さになっている、とゾロはすぐに気がついた。

格納庫に座って、サンジが来るのを幾夜か、待った。
待ったけれども、サンジは来ない。
来ないと、ますます、サンジに会いたくなる。サンジとの二人だけの時間が欲しくなる。
それなのに、日が昇るとコバトに縛られて、サンジとの会話もままならない。

「おい、ゾロ。」

コバトが来てから、不寝番がウソップに変わっていた。
昼夜逆転の生活に疲れたのか、それとも、サンジとゾロのすれ違う様を気に掛けたのか、
定かではないが、昼間、コバトが束の間、ゾロから離れたのを見計らって、
ウソップが声を掛けてきた。

「今夜、不寝番を変わってくれねえか。どうも、眠くて頭がガンガンするんだ。」
「いいぜ。」

だから、ゾロは今夜、見張り台にいた。
ここなら、必ず、夜食を届けにサンジが来る。

コバトと手を繋いでも、ゾロはなんの感情も起きない。
だが、ふと、コバトと手を繋ぎながら、この細い手ではなく、
いつも冷たい、サンジの手なら、と想像した途端、
心臓の鼓動が早くなったような気がした。

(男同士だからな。)
そんな幼稚で、陳腐な接触などしたいと思ったこともないし、
サンジも同じだろうが、だからこそ、却って未知の経験に憧れたのだろうか。

やがて、足元からギシギシとロープのしなる音がし始めた。
すると、また、ゾロの胸は妙に早さを増した鼓動を刻み始める。

(何日か碌に話もしてねえだけなのに。)
何から話そうか。
何を話そうか。
声を久しぶりに聞けると思った途端、ゾロの頬は勝手に緩んだ。

顔を出すのを待ちきれず、ゾロは見張り台から身を乗り出して、サンジが登ってくるのを覗き込む。

「あぁ?なんだ、今夜はお前エが不寝番かよ。」といつもどおりの無礼な口調が
吹き上げる風に乗ってゾロの耳に流れこむ。

「さっさと上がって来い、ハラペコだ。」とゾロもいつもどおりに横柄に答える。

姿が目の前まで来た時、体が勝手に動いて無意識にサンジを抱き締めて、
見張り台に座りこんでいた。

「変な遠慮しやがって。」とゾロは 小さな金色の頭を肩に押しつけた。
「遠慮じゃねえよ。」と言葉は反発しながらも、サンジはゾロの為すがままで、
抵抗はしない。

いつもどおりのゾロだ。
それに安心したのに、自分の手を握るゾロの手が、昼間はずっと
コバトと指を絡めていたのを忘れらずに胸の中の痛みを抱えっぱなしで
こうして寄り添っているのが却って辛い。

「コバトがいようといまいと、いつもどおりにすりゃいいのに。」と
出来もしない事を言うゾロの言葉にサンジはその肩に顔を埋めたまま、眉を寄せた。

(俺だってそうしてえよ。)
そう振舞いたいと思っていても出来ないでいる事を
ゾロは判っていない。けれど、判って欲しくもない。
ゾロに自分の抱えているこのイヤな痛みを消す事など期待出来ないのを
サンジは痛感した。

(こいつの所為でもねえ、これは)俺の腹の内の問題だ、と改めて思う。

「もしかして、お前、妬いてるのか?」

いつもどおりの軽口のつもりだった、
どちらからともなく、喧嘩を吹っかけて、言葉のもつれ合う様を楽しむ、いつもの
遊びをし掛けた、ゾロはだた、それだけのつもりだった。
ゾロは、サンジを傷つけるつもりも、怒らせるつもりも微塵もなかった。

けれども、そのたった一言が、サンジが今まで自分では決して認めたくなかった
本心を余りにも、グッサリと抉り出してしまった。

サンジの頭には全身の血が一斉に逆流していく。
無神経なゾロの言葉を責める言葉さえも浮かばなかった。

必死で隠して、認めたくなくて、悟られたくなかった秘密を冗談めかして
曝け出されて、悔しさと情けなさが一気に沸き上がってくる。

「だったら、どうだって?」
「野郎が惚れた野郎にヤキモチ妬いちゃ、オカシイか。」

プライドも意地もゾロの一言で踏みにじられた事にサンジは逆上し、
そう怒鳴り、抱き寄せられた体を突き飛ばし様、
サンジは蹴らずに思いきり、ゾロの横っ面を拳で殴りつけた。

思い掛けないサンジの言動にゾロが呆気に取られていると、サンジは
「人のプライドをせせら笑いやがって。1回死んで来い。」と吐き出すように言うと、
さっさと見張り台から降りて行く。

蹴らずに殴った。
サンジの怒りの凄まじさは頬の痛みではなく、その行動でゾロは強く感じて、
呆然となった。

(こりゃ、厄介な事になりそうだ。)と思ったが、もう、取り返しがつかない。
例え、今慌てて追い掛けて、土下座しようとサンジは決してゾロを許さないだろう。

下らない痴話喧嘩だからこそ、不慣れだった。
生死を分かつような困難をいくつも越えてきたのに、こんな下らない事で
必死で修復方法を考えねばならないほど、ゾロはサンジの素直な怒りに対して
まるきり不慣れだった事に 今、初めて気がつかされた。

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