「手からまず、治療してくれ。」

チョッパーに抱き抱えられて、なんとかキッチンに急ごしらえで作った
寝台の上に横になり、いざ、チョッパーが術式に取りかかろうとした途端、
サンジは唐突に意識を取り戻した。そして、いきなり、そんな我侭を言い出した。

「ダメだよ、まず、血管の縫合をしないと。」と当然、チョッパーはそう答える。
「そんなモンは後で良い、それより、手を先に治してくれ。」が、サンジは
耳を貸さない。

「心配しなくても、ちゃんと治すよ。」とチョッパーはそう言うけれど、尚もサンジは
「なら、今やってくれ。」と切羽詰まった口調で言い募る。

「サンジ君、大丈夫よ、チョッパーはちゃんと治してくれるわ。」
「そうよ、まずは血を止めないと死ぬわよ。」とナミやロビンの言葉などは
耳にも入っていない様子だった。

「どうせ、麻酔するんだろ。眠っちまって眼が醒めたら包帯で手をぐるぐる巻きだ。」
「ちゃんと動くかどうか、わからねえなんてゴメンだ。」
「せめて、くっ付いてるの見てからじゃないと安心できねえ。」
とサンジはまるで、全身の体力を振り絞るかのように必死の形相だった。
だからと言って、医者として患者の前にいるチョッパーが
そんな訳のわからない気迫に押されて自分の治療方針を変える訳がない。

「俺の腕を信じてないのか。」と人型の姿のままでこちらも一歩も引く気はない。
「時間がねえんだろ、だったら無駄口きかねえで手から治せよ。」とサンジは
まるで、瀕死の野獣が猛り狂っている時のような血走った目でチョッパーを
睨みつける。

「足の血を止めないと、どっちみち、貧血起こして最後まで見れなくなるよ。」と
皮肉まじりにチョッパーはロビンが用意した注射器のうちの1本を手に取った。

「見届けるまで、絶対起きててやる。」とサンジはようやく、息を少し静めて
それでも端目から見て随分、横柄な口調でそう答える。

チョッパーはサンジの手の傷にドボドボと消毒液をわざと乱暴にぶっかけた。
注射する為の薬ではなく、切開して縫合する時に使う強力な消毒薬だ。
「・・・ッんぐっ。」とサンジの喉の奥からくぐもったうめき声が漏れる。
そして、掌に注射器の針をプスリと刺した。

「麻酔が効くまで待てないんだろ。相当痛いよ。」
「動くと俺の手元も狂うから絶対に動かないでくれ。」とチョッパーは厳しい口調で
サンジにそう言って、ロビンに一瞥をした。

(暴れたら、押さえつけろって事?)とロビンは視線にそんな質問を混ぜて、
チョッパーを見つめ返す。
(そう。)とチョッパーはこくりと頷いた。

切り裂かれた皮膚をただ、縫えば良いと言う単純な手術ではない。
手のように細かい作業をする為の部位にはたくさんの神経が通っている。
その分断された神経を繋ぎ、
筋肉の動きを制御するすっぱりと鮮やかに切られた腱の1本1本を強い力で引っ張っても千切れる事のないようにしっかりと縫い合せ、
断ち切られている太い血管もずれる事もきつく縛りすぎて詰まってしまう事もないように縫い、筋肉組織がぴったりとくっつく様に仕上げる。

サンジは歯を食いしばって痛みに耐え、そして自分の傷を見ることに意識を集中した。
自分の骨、自分の腱、自分の筋肉の色がやけに鮮明に目に焼けつく。
額から脂汗が滝の様に流れ落ちて、目に入って来る。
それが沁みて目も痛くなるが、今はそんな感覚を痛みだなどとは感じなかった。

何時の間にか、ロビンが自分の背中をしっかりと支えて起き上がらせてくれていた。
「この方が、よく見えるでしょう?」と言う声に「ありがとう」と答えたくても、
声が出ない。声を出す為には腹に力を入れなければならず、今の状態のサンジにその力がないのだ。サンジは小さく頷いて、ロビンの気遣いに感謝を示す事しか出来ない。

「バカねえ、本当に」とナミが機器を消毒する合間を縫って、サンジの顔中を
滴り落ちる汗を拭ってくれる。

手の部分麻酔が効いて来た。激烈な痛みが遠のくに連れ、サンジは目の前の風景が
ぼやけて見えにくくなって行く。チョッパーのリズムよく動く手の動きに
催眠術をかけられているような気さえする。チョッパーが操る器具の、その先の自分の肉の色を見つめていた筈なのに、何時の間にかそれががぼやけて、
黒い幕に遮られる。
(くそ、)真っ暗闇に落ちてしまったのを自覚したら、サンジははっと目を開く。

「意地っ張りだね。」とチョッパーはサンジの手の傷を見て、手をとめずに
そう呟いた。
(早く貧血で気を失ってくれたら、肩と足の傷の治療に取り掛かれるのに、)と
チョッパーはそう思っている。

チョッパーは、サンジの手の平をぴったりと綺麗に縫った。
「船医さん、これ。」とロビンはさっき盗賊の頭からもらった薬をチョッパーに
差し出した。

「信用できるのかな。」と怪訝な顔でチョッパーはその薬の包みを開く。
無味無臭の軟膏状に練った薬が包んであった。

「どうなの、コックさん。」
「赫足のオヤジ秘伝赫足のオヤジ秘伝の傷薬だとの傷薬だって言ってたけど。」とロビンは朦朧として今にも
昏睡してしまいそうな顔つきをしているサンジに普段とあまり違わない冷静な
口調でそう尋ねた。

「赫足のオヤジ・・・。」尋ねるでもなく、聞き返すでもなく、サンジは熱い息を
深く吐き出しながらそう呟いた。

かつて、船長だったゼフ。きっとその部下達は皆、心からの尊敬と親しみを
込めてそう呼んでいたのだろう。サンジには聞きなれない言葉でも、ゼフを
「オヤジ」と呼んだ男をサンジが信用するのに十分な響きだった。

「信用出来るの?」とロビンは二者選択でサンジに尋ねる。
首を振るか、頷くかすれば声を出さなくても答えが判るからだ。

サンジは重たげにロビンを見上げてから、深く頷いた。

「そう、じゃあ、塗るわね。」
傷薬を塗って、包帯を巻くまで。
それを(見届けるまでは、絶対に起きててやる。)と言う意地をサンジは貫いた。
チョッパーがサンジの手にきっちりと包帯を巻いて、「終ったよ、」と声を掛けると
張詰めていた気が緩んだのか、糸が切れた操り人形のようにロビンの腕の中で
意識を失った。

そして。

それから、5時間、もうすっかり夜も更けた。

「遅いわね、帰って来たら全員罰金よ。」

やっとサンジの怪我の治療が全て終り、ロビンの手がチョッパーの疲労した体を
揉み解しつつ、キッチンで今だ帰らない船長以下2名の帰艦を待ちわびていた。

「帰ってきたよ。」とチョッパーが耳をそばだてて、鼻をひくつかせた。

「悪イ、遅くなった!」とルフィはキッチンのドアを開いた途端、まず、
そう言った。
だが、それに対して、ナミは冷ややかな一瞥だけを返して、一言も言葉を返さない。

「すぐ出航したいの。準備は出来てるわ。」
「命令を、船長さん。」とキッチンに一気に充満した重苦しい空気を和ませる様に、
ロビンがナミとルフィの間に割って入った。

それからバタバタと船を操舵する事に気を取られ、ゾロはサンジの姿が
見えない事に気がつかなかった。ゾロだけではなく、ルフィもウソップも気がつかない。

ただ、船が夜の海をログホース頼りに進み、雨に取り付かれていたような島の
海域から抜けて空から金色の光がおぼろげに降る、晴れた夜空を見上げられる海域にまで船を進ませた頃、ルフィは空腹を覚えた。

(そうだ、俺、めちゃめちゃ腹減ってたんだっけ)
どれくらいの時間か、正確には判らないくらいに長い時間、逃げたり、走ったり、
殴ったり、蹴ったりしていたのだ。今まで、空腹に気がつかなった訳ではなく、
ナミの目つきが恐ろしくて、「腹が減ってる。」と言い出せず、キッカケが掴めないまま、
時間が過ぎてしまい、ようやく、また空腹だった事を思い出した、と言う訳だ。

いつもなら、そろそろ、「野郎ども、飯だ!」と握り飯を沢山作って
サンジが甲板で大声を出す頃合なのに、いつまで待ってもその声さえ聞こえて来ない。

「サンジ。」サンジ飯、と大声を出しかけて途中でその声を飲み込む。

(あれ?)ルフィは帰って来た時の風景を唐突に思い出した。

「サンジ君はあたしの部屋よ。」キッチンに行くとナミがぶっきらぼうにそう言って、
固くなったパンを焼きもせず、そのままルフィの鼻先へ突き出した。

「なんでだ。」
ルフィに続いて、同じ様に空腹を感じてキッチンにやって来たゾロが
二人の不穏な気配を感じ取って、怪訝な顔付きで会話に割り込む。

「あんたたちと、あのクソ女の所為よ。」
「何かあったのか。」

ナミの言葉の言葉を聞いて、ゾロは胸の中の空気が急に重くなったように
感じた。自分の口調が早くなっている事に気がつきもしない。

「自分の目で見てこれば。」と
ナミは憮然と答えて、ゾロにもパンをグイっと突き出した。
「サンジ君と会う前に食べないと喉を通らなくなるわよ。」

「どういう意味だ。」とゾロはそのパンを手で払いのけて、ナミに詰め寄る。
ナミはピン、と指で何かを弾く。それがゾロの鼻先に当たって、床に転がった。

赤く光る宝石がはまった指輪が転がるのをゾロは目で追う。
「あんたがグズグズしてるから渡しそびれたじゃない。」
「怪我のし損になったわね、サンジ君も。」

とそのゾロにナミの辛辣な皮肉が投げつけられた。
「怪我?」とルフィが聞き返す前に、ゾロはすぐにキッチンを飛出す。

ナミの部屋の前に走りついたゾロの目に、チョッパーが座り込んでいるのが
目に飛び込んできた。

「チョッパー、」とゾロはサンジの容態を尋ねようと、まず、息を整える。
「この部屋には入れてあげないよ。」とチョッパーは座り込んだまま、
ゾロを見上げた。
その目つきはやはりナミと同じで腹立ちをはっきりと浮かべている。

「多分、サンジ葉誰にも会いたくないと思うから、誰もこの部屋には俺が入れてあげられない。」とチョッパーはきっぱりと言い切った。

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