「くいなとの思い出話がしたいの。」
「きっと、もうこれっきり会えないんだもの。」
「お願い。」
(また、それなの?)とナミは露骨に嫌悪感を満面に浮かべてゾロを見た。
コバトは何かと言うとすぐに「くいな」の名前を出す。
そして、ゾロもその言葉に抗う事もない。
ナミはそれがとても歯痒く、イライラするのだ。
何故、嫌なものは嫌、迷惑なものは迷惑と言えないのだ。
こんなに優柔不断な男だとは今まで全く知らなかった。
「泊る時間はねえだろ。」とゾロはナミの敵意に似たまなざしを受けつつも
平然とした態度でそう尋ねた。
「当たり前でしょ。ついでにいうと、そんなお金もないわよ。」とナミはつっけんどんに答える。
「思い出話しならそこらへんででもすりゃいいでしょ。」
「二人だけで静かな場所がいいの。お願い、ゾロ。」
「くいなや、師匠の話しが出きるの、もうこれが最後なのよ。」
ゾロは溜息をついた。
面倒臭い、と思うけれども、くいなの事を持ち出されたら嫌だとは言えない。
幼い少女の時代、くいなが一人の剣士の卵ではなく、どんな少女だったか、と言う事に
興味がある訳ではなく、ただ、くいなを偲びたい、と言う気持ちは否定出来ない。
思い出話をする事が、供養になる、とも故郷では言われていた。
それに、トドメは「兄弟子の言うことを聞いてくれないの?」
師匠の言う事、兄弟子の言う事には基本的には逆らってはいけない。
もちろん、勝負を仕掛けて腕を磨く事は構わない。
ただ、それ以外の事で兄弟子をないがしろにすると、
礼を失する事、義を軽んじる事とされて、師匠に厳しく叱られる。
それがゾロが幼い頃に叩きこまれた、道場の「躾」だった。
「わかったよ、じゃあ、2時間だけな。」
町へ出れば、ゾロとサンジが利用する、短時間だけ部屋を貸してくれる宿があるだろう。
そこで少し話しをすればコバトもいい加減、気が済むだろう、とゾロは考えて、
そう返事をした。
「サンジ君にどういい訳するのよ。」とナミはゾロの鼻先に自分の鼻先がくっ付きそうなほど近付けて、苦々しい口調でそう囁いた。
「あいつは別に何もいわねえだろ。」とゾロは迷惑そうにプイと横を向く。
「お前エ、我侭だな」とルフィは間延びした声でコバトに向かってそう言った。
「ごめんなさい。これが最後の我侭だから。」とコバトは消え入りそうな声でルフィに
そう詫びた。
(なんだか、嘘くさいや。)とチョッパーはその肩をすぼめて、顔を僅かに俯き加減に
傾けてそう言うコバトの口調や態度にどこか、白々しさを感じた。
内心では自分の我侭が通って、嬉しくてたまらないのに、それを周りに知られまいと
しおらしい態度を装っている。今の今まで、コバトに対して、不快感など
全く感じなかったチョッパーさえ、そのコバトの最後の我侭は少し、気に障った。
「2時間よ、それ以上はあんたが迷子になろうと、海軍に追い掛け回されそうになろうと、知らないからね。」
海軍にコバトを渡して、船が停泊している場所まで歩いて戻るのに、
6時間は掛る。昨日、サンジと別れてから13、4時間は経っていた。
サンジと別れてから24時間後には船に帰る、と言う約束だから、あと、
約10時間。歩くと6時間掛ることを差し引いて、あと4時間、余裕があるが、
ゾロがコバトと話しをするのに2時間使うと、余裕は僅かに2時間しかない。
もしも、賞金稼ぎと遭遇するとか、海軍に正体がバレて追い駆けられたりすると
そんな時間はあっという間に消費してしまう。早く帰るにこした事はない。
だが、当のゾロが既に返事をしてしまったのだ。
コバトとゾロは ナミの冷ややかな視線とその他の乗員の呆れた視線を
受けつつ、安宿に入った。
「ごめんね、ゾロ。」とコバトは二人きりになった途端、そう言った。
「悪いと思ってるなら最初からこんな我侭言うな。」とゾロは憮然と答えて、
壁に三振りの刀を凭れさせ、椅子がない、狭い部屋のベッドに腰かけた。
「ゾロ、」どこに座っていいのかわからない、だから手を引いて欲しい、と言う意志を
篭めて、コバトは利き腕をゾロに伸ばした。
(ったく、世話が焼けるな)とゾロは腰を浮かせてコバトの手を柔らかく引っ張る。
(あいつの好きそうな部屋だな。)とコバトの手を引っ張って、隣に座らせながら
ゾロは部屋を見渡した。
シンプルな照明器具や、シーツの模様、狭いけれども、それなりに洗練された調度品が
設えられた部屋は、サンジが好みそうな内装だった。
「何を考えてるの?サンジさんの事?」とコバトはいつまでもゾロの手を離さないで、
少し眉を顰めてそう言った。
「別に。」とゾロは図星を刺されて微妙に動揺したものの、それを微塵も見せずに
平然と答える。
「今から、くいなの事を話すのに、そんな事考えてるの?」とコバトはゾロの方へ
完全に向き直った。
「どうでもいいだろ。」とゾロは面倒臭そうにそう言った。
掌を握るコバトの手が生ぬるくて気持ちが悪い。
「ゾロ、お願いがあるの。」
「1回だけ、私を抱いて。」
暫し、沈黙した後、コバトは突拍子もない事を言い出した。
(あ?)とゾロは聞き間違いかと思ってコバトの顔をまじまじと見る。
「たくさんの海賊に犯されたわ。」
「私の体は汚れきってしまった。」
「でも、ゾロが抱いてくれたら、」
「そんな汚いものが皆、綺麗に消えて行くような気がするの。」
そんな理屈を言われてゾロは答えに窮する。
勿論、嫌だ、迷惑だ、面倒だ、と言う気持ちの方が圧倒的に強い。
「ゾロが抱いてくれないなら、私、死ぬわ。」
「目も見えない、汚れた体の私なんか、生きてても仕方ないもの。」
そう言うと、ゆっくりとコバトはゆっくりと立ち上がった。
手探りで壁際まで歩き、ゾロの刀「和道一文字」の柄を握る。
全くの初心者ではない。真剣だとは言え、居合の練習で何度か扱った事があるコバトは
一気にその刀を引きぬいた。
「おい、ふざけんなよ。」とゾロは流石にそんな狂言に腹が立って
乱暴にベッドから立ち上がる。
「ふざけてなんかないわ。本気よ。」とコバトは右手で柄を、左手は刀身の刃に沿えて、自分の頚動脈に押し当てて、静かに凄む。
「あなたが好きなのよ。愛してるの。」
「本当はずっと一緒にいたいの。あなたが誰を愛してようと構わないから、」
「せめて、思い出を私に残して。」
「生きて行く為の思い出を私に残して。」
ここまでやって、ゾロが拒否する筈がない、とコバトは考えていた。
女にここまでされて、性行為を拒否する男など、男ではない。
もしも、拒絶するような男だったら、本物の同性愛者だと言う事になる。
ゾロはそうじゃない、とコバトは確信していたから、絶対に自分を抱くだろうと
予測していた。
「そんな脅しで男に抱いてもらって嬉しいモンなのかよ。」とゾロは暴言を吐いた。
「あんまり、情けねえ事すんな。同門の俺の恥だ。」
それを聞いて、コバトの唇が戦慄く。
「酷い事を言うのね。」と答えた言葉が震えていた。
「あなたが好きだって言ってるのに。そんな風に言われた、私の気持ちなんて、
全く興味がないの?ゾロ」
「ねえな。」
そう答えた時、コバトの首筋に紅い糸の様な血が伝った。
「本気なのよ、私。」
殆ど見えない筈のコバトの目が大きく揺らいでゾロを見つめている。
「コバト、いい加減にしろ。」とゾロは憮然と答えつつ、コバトの隙を
窺う。興奮したら、本当に首を掻っ切るかもしれない。
大事な刀で自殺されてしまうのは絶対に回避したい。
「私を好きになってくれって言ってるんじゃないの。」
「抱いて欲しいだけなのよ。」
「お願い、ゾロ。」
そんな会話の堂々巡りで、時間はどんどん経って行く。
約束のニ時間はとっくに過ぎた。
「行くわよ、もう!」と本当にナミはゾロを置いて出発してしまう。
ナミの剣幕に誰も「コバトを誰が海軍に預けに行くんだ?ゾロは賞金首だし、」
「港まで一人で帰ってこれるかどうか、わからないんだぞ?」とは言えなかった。
「本当にもう行くの?大丈夫?」とだけロビンはナミの顔色を伺いつつそう
尋ねたが、それ以上は何もいわない。
(コックさんが無茶してなきゃいいけど)と言う心配がロビンの口を閉ざしていた。
ゾロが迷子になる心配より、サンジが一人きりで船を守っている事、
いや、それよりもお人よしにもコバトの為に厄介ごとに首を突っ込んで
無茶をしているんじゃないかと言う方が心配だった。
「大丈夫だよ、」と言っている時ほど、何を考えているか判らない。
何も考えていなかったら、もっと、甘えた声で擦り寄ってくる筈なのだから。
「狙撃手さんと、船長さんは剣士さんを待ってて頂戴。」
「私と、航海士さん、船医さんは先に港に戻るから。」
暫し考えて、ロビンはそんな提案をした。
「そ、そうだな。それなら、問題ないな。」とウソップがホッとした顔をする。
「約束の時間には帰れそうにないけど、出来るだけ早く連れて帰るから。」と
答えて、ウソップとルフィはゾロとコバトが引き篭もっている宿に向かう。
「ロビン、どうかしたの?」
「ええ、実はね、」足早に歩き出したロビンにやっと少し血の気が治まったナミが
怪訝な顔をして尋ねる。
ロビンは足を進ませながら、サンジがやろうとしていた事を手短に話した。
「サンジ君が?バカじゃないの、お人よしにも程があるわ。」
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