第三章「夕立」



第一話 「人魚の子」


「"人魚"は、13歳になったらその務めを果たさねばならん」
「あと五日経てば、あの子も13歳になる」
「言うまでもない事じゃが、それ以降は、もう勝手に会うてはならんぞ」
ある朝、ゾロは稽古が終わった後、兄弟子のカクにそう言い渡された。

***

"人魚の務め"とは、真珠丸を作る事だ。

人魚、と呼ばれる人々が棲んでいる村は、毒性の強い鉱泉の近くにあり、何一つ農作物が育たない。そして、細々と漁業を営みつつ生きる彼らは、生活をする上で必要な物資の殆ど寺から与えられ、養われている。
その代わりに寺が望んだ時に健康な男子を寺に差し出さねばならない。

寺に差し出された人魚の子は、13歳になるまで心身ともに健康に育てられる。
そうして人魚は13歳になると、寺の奥深くにある「奥の院」と呼ばれる建物に閉じ込められた。
一度、その「奥の院」に入った人魚が、生きてそこを出て来た例はない。
亡骸すら、身内に返される事もなく、寺の中で荼毘に付される。
幼くして寺に差し出された子は、その時点で人魚達にとっては人身御供として死んだも同然だった。

その人魚の少年を閉じ込める「奥の院」に入れるのは、「水晶主(すいしょうず)」「御刀衆(みたちしゅう)」だけだ。

「水晶主」とは、真珠丸を作る事が出来、なおかつ希少な水晶の数珠を持つ事を許された僧の事を指す。
「御太刀衆」とは、武装して、人魚と「水晶主」を護衛し、さらに身の回りの世話をする僧達の事だ。

ゾロが育ったこの寺は、小さな小島に建っているが、実質この島を治めている。
真珠丸と言う特別な薬を作れる事から、自衛の為、武装する金銭を得る事が出来、
近隣の大名達の領土になる事を拒んで、小さいながらも、一つの独立国家としての体裁を保っていた。

その上、この島は、敵対しあう二つの国を流れる潮流がぶつかり合う潮目の境目にあり、
その複雑な潮目さえ突破すれば、後は易々と相手の領海へと侵入出来る上に、
この島を拠点にして相手の国に攻め入れば、容易に陥落させられる。
つまり、この寺の武力ごと、そして「真珠丸」と言う高価な薬を作る技術ごと島を手に入れれば、戦略的優位に立てる。

両国とも、そんな目論見を以って、この寺を手中におさめようと虎視眈々と狙っていた。

だが、その頃のゾロは、自分の回りを取り巻く世界が、そんな状況だと言う事など、知る由もない。

***

「"人魚"は、13歳になったらその務めを果たさねばならん」
「あと五日経てば、あの子も13歳になる」
「言うまでもない事じゃが、それ以降は、もう勝手に会うてはならんぞ」

兄弟子の言う言葉に、例え、何か疑問があっても、聞き返す事は許されない。
寺の戒律で、「承知しました」としか言い返してはならないとされているからだ。

だが、ゾロはカクに尋ねた。
「…前から一度、聞きたかったんだが、…真珠丸って、一体、どうやって作るんだ」
「…全く、おヌシは口の利き方を知らんな」
カクは、そう言って苦笑いを浮かべて、軽くため息をついた。

「生意気この上ない、無作法な言葉遣いじゃの」
「師匠方に聞かれたら、それを許して折るワシも咎められるべきところじゃが、
今のお前はワシにとってもう弟弟子じゃのうて、自分の腕を磨くのにいい競争相手だと
思っておるのじゃから…まあ、見逃してやるか」

そう言って、カクは真珠丸についてゾロに話し始めた。

「人魚の体には猛毒がある。知っておったか?」
そう聞かれて、ゾロは首を振る。

カクは、話を続けた。

***

毒を持たない並の人間と人魚の男が交われば、並の人間はその毒に腸を焼かれて死ぬと言う。

じゃが、「海水晶」と言う、人魚の体の中の毒よりもさらに強い毒がある。
それ飲んで、その耐性を持った人間と人魚が交われば、「海水晶」の毒が人魚の体に入り込む。その「海水晶」の毒と、人魚の体の毒とが激しくぶつかりあって、二つの毒は人魚の体の中で結晶化する。

体の中で毒が暴れまわるのじゃから、人魚達にはさぞ辛い事じゃろう。
ワシが聞いた話じゃが、「奥の院」で5年と生き延びた人魚はいないそうじゃ。

猛毒と猛毒とが反応しあってできる結晶なのじゃが、体中に拡散した毒の小さな結晶が
三日三晩掛かって人魚の掌の中心に集まって凝固すると、不思議な事に
人間の体に巣食う病にとっての毒に…万病に効く薬、真珠丸となる。

「海水晶」は、人魚達の村の近くにある鉱泉の底から採る鉱石と聞いておるが、
それを飲んで苦しさに耐え切れずに死ぬ者も多いようじゃ。
その上、耐性を持ってしまうと、人魚達同様に、並の人間と交わる事が出来なくなる。
つまり、人魚か、「海水晶」の耐性を持つ者か、そのいずれとしか交わる事が出来なくなるのじゃ。
死ぬような苦しみを耐えて耐性を手に入れても、人として得るものが何もない。
それでも、この寺の為に…とか、真珠丸を作る為にとか…、この島を守る為に、…などと尤もらしい事を言って、毎年何人かが「海水晶」を飲んで、「水晶主」を目指しておるがの。

何の事はない、性欲を満たして、それだけで敬われて、好き放題出来る役職などこの寺には
他にはないからの。

***

(…そんな…)
ゾロはカクの話を聞いて、頭を何かで殴られたような衝撃を受けた。

あまりにも衝撃的な事を聞きすぎた所為で、何に一番動揺したのか自分でもわからない。

「水晶主様と…人魚が交わるって…それは一体どう言う事なんだよ…」
そんな情けない言葉しか口を衝いてでない。

「…知らぬなら、知らない方がいい。おヌシには、大事な幼馴染だったのじゃろう?」
「五日経てば、もう、あの子には決して会えないと…死んだものだと思っておれ」
「わかったな」

ゾロはカクにきっぱりとそう言い渡された。

(…冗談じゃねえ)

そんな話を聞かされて、諦められる訳がない。

ゾロの脳裏に、数年前の、夏の日の出来事が過ぎった。

***

高い樹の上から、二人で始めて海を眺めた日。ゾロは幼馴染のサンジに言った。

「いつか、うんと強くなったら、一緒に船に乗ってこの島を出ようぜ」
その言葉を聞いて、サンジも嬉しそうに頷いて、笑っていた。
「そしたら、…どんな勝負をしても、きっちりケリが着くまでやれるからな」

他愛なく交わしたその言葉を叶える為に、ゾロは必死に自分の力を高めて来た。
雨の日も、雪の日も、誰よりもたくさん剣を振り、何があっても休む事無く、
誰よりも過酷な武道の修行に耐えてきた。
この島を出ても生きて行ける力が、どんなに強い相手が挑んできても、サンジを守れる力が欲しい。

だが、その願いも目的も、サンジを失えば意味が無くなる。
サンジがいなくなれば、サンジを失えば、ゾロは生きる目的も意味も失う。

いや、失うだけではない。
このまま、何もせずに諦めてしまったら、
生きているのすら辛い程の、地獄の様な日々が待っているのを分かっていながら、
サンジを見捨てる事になる。

(…強くなってる筈だ。今の俺なら、…この島からどこかへ逃げ出せる筈だ)
ゾロはギュ、と右手を握り締めてその拳を見つめた。

***

「…逃げるって…なんでだよ?」
「…いいから、黙ってついてこい」

カクから話を聞いてから三日後の夜、ゾロはサンジを無理矢理寺の外へ連れ出した。
雪雲にかすんで、寒そうな三日月の頼りない光だけを頼りに、ゾロは港へと目指す。

小さな頃は恥ずかしげもなく手を繋いで歩いた道を、13歳の多感な少年に育った今、
戸惑うサンジの袖を乱暴に掴んで、引き摺るようにゾロは歩く。

滑りそうなほど固く凍りついた雪をしっかりと踏みしめて、二人は歩いた。
碌な準備もしていないから、体はすぐに冷え切ってくる。

「港に着いたら、明日の朝一番早く出る船に潜り込む」
「もう目星はつけてあるし、そこまでいけば少しは寒さを防げるから辛抱しろ」

寒さに震えているのか、言葉が少なくなった事に気付いてゾロは振り向き、サンジにそう言った。

「…へへ。当たり前だ。この島から出れるんなら、これくらいの寒さ、全然平気だ」
サンジは、ゾロが知っている悪戯っぽい笑顔を浮かべてそう答える。
だが、ゆるゆると歩く速度を落とし、
「でも、…港に行くなら、この道をそのまま行くのは、やばくねえか?」と立ち止まった。

「…間違ってるか?」そう尋ねると、サンジは首を振り、
「いいや、珍しく合ってる。でも、」と足元に目を落とした。

ゾロがサンジの視線をなぞった。
サンジは目で、うっすらと固く積もった雪の上の二人の足跡を指している。

「…もし、寺抜けってバレたら、足跡を辿られて追い着かれちまうかも知れねえ」
「メチャクチャ歩いて、あちこちに足跡残しまくったらいいと思うんだ」
「時間を食っちまうかも知れねえけど、ちょっと遠回りしねえか?」

(…なるほど、)ゾロはサンジの意見に納得する。
(こいつ、字を読めねえ癖に頭いいな)と心の中だけで感心した。

口に出して言えば、きっとサンジは天狗になる。
そんなじゃれ合いのような言い争いは楽しいけれど、
今はそんな事を楽しんでいる余裕はない。

捕まって、連れ戻されたら、サンジと引き離され、サンジは真珠丸を作る道具として
「奥の院」に閉じ込められ、死ぬまで水晶主達の慰み者同様の扱いを受ける事になるのだから。

ゾロは、サンジの言うとおり、遠回りで港を目指す事にした。

(…絶対に逃げ延びてやる…!)
前だけを見据え、自分達の力と運を信じて、二人はまた歩き出す。

歩き続ければ、二人で夢見た未来に必ず辿り着ける。
そう信じて、雪交じりの向かい風の中を二人は歩き続けた。


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