第三話「御伽草子」


破戒僧ゾロとは、「顔を知っているだけで、知らない仲も同然」の間柄だ。
それなのに、昨夜見た夢の所為か、焦げた竹筒を持って突っ立ている姿をじっと見ていると、何故か懐かしさが心の中に滲み出て来る。

ゾロは、不躾だと咎められても仕方ないくらいのサンジの無遠慮な視線を受けても、何も言わなかった。

サンジの前に佇み、温かな感情を湛えた静かな目をして、その視線を受け止めている。
けれど、その温かな静けさの中には、切なさと辛さともどかしさが漂っている様に見えた。

「…もう、…平気なのかよ」
そう言ったものの、サンジは、喉に何かが痞えて、言葉が出にくい気がする。

嘘をついている様な後ろ暗さと、本当に言うべき言葉が見つからないのに、とりあえず
何かを喋ろうとする不自然さが胸の中に澱む。

本当は、もっと別の、もっとたくさんの言葉が心の底に焦げ付いて、こびりついている。
けれど、それが一体なんなのか、分からない。
そんな漠然とした感情を、言葉になど出来る訳がない。

「…ああ、…食うか?」

ゾロはサンジの言葉ににこやかに答え、手に持った竹筒を軽く上げて見せた。

***

「…米はどこで手に入れたんだよ」サンジがそう尋ねると、
「…托鉢だ。水は昨夜の雨水を使った」ゾロは淡々とそう答え、竹を割って作った箸と、竹筒とを一緒にサンジに差し出した。

「箸まで作ったのか。随分マメな事するんだな。生米のまま、噛み砕くと思ってたぜ」
サンジが少し皮肉交じりにそう言うと、ゾロは床に腰を降ろしながら
「普段はそうしてる。今朝は特別だ」と言い、竹筒の先端を蓋のように覆っていた竹の皮を取り除いた。
途端、ふわりと米の飯の甘く、香ばしい香りと白い湯気が立つ。

「…そんな炊き方、良く知ってたな」サンジがそう言うと、
「…小さい頃、幼馴染に教えて貰ったからな…こうすれば、釜がなくても美味い飯が食えるって」そう言って、ゾロは少し目を伏せる。

「ふ〜ん。そりゃ、随分、器用な幼馴染だな。今頃、いい嫁さんになってるんじゃねえか?」

サンジは、その竹筒で炊いた飯に箸をつけ、一口、口に含んで何気なくそう言った。

「…幼馴染は男だ。寺に女がいる訳ねえだろ」ゾロは憮然とそう言い、それから大きく口を開け、炊き立ての飯をほお張る
「…ああ、そうか。じゃ、お前、随分小さな頃から坊主だったんだ」

「ああ、物心ついた時にはもうその寺にいて、いつの間にかこんな黒い衣を着てたからな」
「親なんてモンも知らねえ」
「…へえ」

どうして、昨夜、幼い頃のゾロの夢など見たのだろう。
何故、ゾロと向き合っていると、今の自分の世界がどこか心もとなく思える様な、
心細さと不安と、言葉に出来ないもどかしさを感じるのだろう。

ナミの病状がとても気に掛かっているけれど、ほんの少しでもその胸の痞えをどうにかしたい。ゾロの言葉の中から、その痞えを解す鍵を拾えそうな気がして、サンジはポツリポツリと話すゾロの言葉を止めずに、その続きを急かした。

「じゃあ、寺の外へ出て、あちこち托鉢して歩くのはその寺の修行かなんかか」
ゴクン、とほお張っていた飯を飲み下してから、ゾロはサンジのその質問に
「いや、そうじゃねえ」と答える。

「寺は、もう…ずいぶん前に焼き討ちに遭ってなくなった」
「兄弟子達や、それきり師匠達も離散したし、生きてるのか死んでるのかもわからねえ」

「…じゃあ、お前は当て所なくブラブラしてるだけか?」
サンジがそう尋ねるとゾロは箸を止めた。
それなのに、わざとサンジから目を逸らすかのように、目を伏せる。
「…俺は、生き別れた幼馴染を探してるんだ」
「幼馴染?」

幼馴染、と言う言葉にサンジの胸がドクン、と大きく高鳴った。
何故、ゾロの話を聞くだけなのに、胸がこんなに高鳴るのか分からない。
だが、ゾロの事、ゾロの素性を知れば、ゼフに会う以前の時間が、本当の自分の姿が
見えてくるかもしれない。そんな期待と不安がない交ぜになった気持ちで、サンジも箸を止め、ゾロの話に聞き入る。

「俺にこの飯の炊き方を教えてくれたのも、そいつだ」
「俺は、寺を守る兵隊になるように、育てられた」
「強く育てあげる事しか考えてねえ大人達の中で、誰も俺に優しくなんかしてくれなかった。強くならなきゃ、その寺にいる意味がねえ。弱音なんか絶対に吐けねえ」
「そんな場所にいて、俺は一体何の為に生まれてきたのか、そんな事を考える歳になった頃、俺はその幼馴染と出会ったんだ」

「…その幼馴染も、やっぱりお前と同じ…坊主なのか?」
「…いや…。そいつは、真珠丸を採るのに必要な、"人魚"として寺で育てられた特殊な人間だった」

真珠丸を採るのに必要なニンギョ?

ゾロの言葉に、聞きなれない言葉が出てきて、サンジは思わず、「なんだって?ニンギョ?」と聞き返した。

「ああ、人魚の肉を食ったら、不老不死になる、とか言う伝説を聞いた事あるだろ」
「あれは…作り話とか言い伝えの類だろ?」

逆にゾロに聞き返され、サンジもまたゾロに質問を投げ返す。
そのサンジの質問にゾロはよどみなく答えた。

「まあな。俺の寺が言うところの人魚ってのは、別に下半身が魚って言う物の怪じゃねえ、ちょっと特殊な体質の人間の事を指すんだ」
「その人間の体から、万病に効く真珠丸が出来る、真珠丸を飲めば、死にそうな人間の寿命が延びる、…不老不死とまではいかねえが、つまりは、その特殊な奴等の体から出る薬を飲めば、寿命が延びるっ揶揄で、そいつらは、俺の寺では"人魚"って呼ばれてた」

(…え…、真珠丸ってのは、そんな風に作るのか…!)
ゾロの言葉を聞いて、サンジはゾっと肌寒くなった。
病を治す為とは言え、そんな得体の知れないモノをナミに飲ませようとしているのかを思うと、気持ちが悪くなる。

「…俺の幼馴染はその人魚だった」
「そいつが13歳になるまでは、色々戒律はあったが、それでも自由に島の中を遊びまわる事が出来たんだ」
「寒い雪の日も、蝉が鳴く暑い日も、子犬がじゃれるみたいに遊んで、…そいつと一緒にいるだけで楽しくて、笑っている顔を見てるのが嬉しくて、そいつを笑わせる為に何をしたらいいのか、いつも必死に考えてた。やたらとなんでも張り合ってくる生意気な奴だったから、しょっちゅう喧嘩もしたが、俺は、そいつの事が、…とても大事だった」

ゾロの様な寺の僧として修行している子供達は、字の読み書きを覚えたが、
人魚に余計な知恵をつけさせないようにする為に、寺は人魚達に一切の手習いをさせなかったと言う。

まだゾロが小さかった頃、「坊さん、お経ばっかり書いて字を覚えるのも大変だろう、これをあげよう」と島の外から来る船乗りから数冊の絵草子を貰った。

字の読めないその人魚の幼馴染に、ゾロはその絵草子を何度も何度も読み聞かせて、その幼馴染の少年は諳んじていえるまでになったと言う。

「それが、…あれか?」

ゾロの話の途中、サンジはゾロの肩越しに、部屋の片隅にある解きかけの小さな風呂敷包みを指差した。

僅かにゾロは首を傾けてサンジが指し示した方を振り返る。

サンジは立ち上がって、その風呂敷包みの近くへ引き寄せられるように近寄った。

風呂敷包みに数冊重ねて包まれているのは、絶対に見た事もない絵草子の筈だ。
だが、それを解かなくてもなんの御伽話が綴られてある絵草子なのか、頭の中に勝手にその絵が浮かび上がってくる。

竹を割った中から生まれた小さな美しい女の子が、やがて月の世界へと帰って行く話。
犬とサルとキジを従えて、鬼を退治する勇ましい少年の話。
育ててもらった恩を死んで灰になっても返した犬の話。
助けた亀に連れられて、海の底の竜宮城に行った漁師の話…。

何かに引き寄せられるように、サンジはその風呂敷包みに手を伸ばした。
もう少しで、その古びて煤けた風呂敷包みに手が届きそうになった時。

「触るな!」

ゾロが突然、凄い剣幕で怒鳴った。
その勢いに、思わずサンジは手をビクンと引っ込める。
荒い足音で近付いてきたかと思うと、乱暴にサンジの腕を引っ掴んでその御伽草子から引き剥がされる。

「な、なんだよ!」サンジは痛さを詰るより先、驚いた。
「勝手に触るんじゃねえ!」

ゾロはそう言うと、サンジの腕を掴んでいた手を離し、手早く風呂敷包みを包みなおす。
まるで、誰にも絶対に見せまい、としているかの様に。

「見せたくねえなら、すぐそう言えよ!俺が立って取りに行くまで、てめえ、じっと見てたじゃねえか!」
「俺ア、料理人なんだ、利き手を乱暴に掴むんじゃねえよ、馬鹿力!」

急に怒鳴られた事、腕を掴まれた事が頭に来て、サンジもそうゾロに怒鳴った。

「…うるせえ。黙れ…!」
「…お前に一体、何が分かる…!」

声を搾り出すようにゾロはそう呻いて、サンジを睨む。
「…何も分からねえ癖に…!俺の事、…何も分からねえ癖に…」

睨んでいるのに、ゾロの眼差しの中には欠片も敵意がない。
そんな複雑なゾロの眼差しを受けて、ゾロが傷ついた事を悟った。
その痛みが跳ね返ってきたかの様に、サンジの胸にも、ぐさりと鋭い何かが刺さった。
(…こいつ、…俺が何かする度に、いちいち辛そうな顔しやがる…)
(なんでだ…?俺が一体、コイツに何をしたってんだ…?)

言い訳も弁明も、出来ずにサンジは意気地なくゾロから目を逸らした。
暫しの気まずい沈黙の後、高ぶった気持ちが治まったのか、ゾロの方が先に口を開く。

「…真珠丸の事、…もう詳しく話してやる」


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