「…俺の目論んだとおり、戦は起こった」
「頭では、…お前が助かるなら誰が何人死のうが、構わねえと思ってた」
「が…実際、俺が思っていた以上に戦が広がって…」
「寺だけじゃなく、島中の村が殆ど焼け討ちにあった」
「女子供も年寄りも切り殺されたり、焼け死んだり…どうして、…そこまでされなきゃならなかったのか、未だに俺もわからねえ」
「寺から逃げる途中、俺達はその有様をつぶさに見た」

そう言ってから、ゾロは目を伏せ、言いあぐむように口を閉ざした。

何か、とても大事な、自分の命と同じくらいに大切な何かが、目の前にあり、もうすぐそれに手が届く。そんな思いで、サンジはじっとゾロの前に座り、その口が開くのを待った。

荒れ果てた庭に緑臭さを含んだ風が過ぎり、破れ放題の障子をカタカタと鳴らした。
やがて、その音も鳴り止み、再び、二人の間に静寂だけが残された。

そうして、自分が告げるべき言葉をやっと選んだろう。
それでもその言葉が間違っていない様にと何かに祈る様に、ゾロは目を閉じ、話し始める。

「…自分達の犯した罪の重さに、心が壊れて、体を病んで…」
「その罪を背負った過去、全部を消さないと助からないと…」
「お前が生きて来た全ての記憶を埋めてしまわなければ、死んでしまうと言われて…」
「…俺は、」

ゾロは、そっと自分の胸に手を置く。
「…お前の記憶を、俺の中に埋めた」

(…記憶を埋めるって…)
他人の記憶を、別の人間の心の奥深くに埋める。
そんな聞き慣れない事を聞いたのに、サンジは全く驚かなかった。
むしろ、そんな自分にこそ驚く。

記憶を埋める。そんな言葉を、どこかで聞いた様な気がして、人の記憶をどうこうする呪いがある事よりも、その意味が分かった事に納得している自分がいる。それはとても不思議な感覚だった。

「…それで…?」

早く、ゾロの胸の内にある苦しみを楽にしてやりたい。
いつの間に芽吹いたのか、そんな感情に急きたてられ、サンジは、静かに話しの続きをせがむ。

「…朝になって、お前が目を覚ましたら、…米を食わしてやりてえって思って、」
「…ほんの少しだけ、側を離れた。一緒に暮らしてた海女小屋に戻ってきたら、…もう、お前はいなくて…」
「…それからずっと…ずっと、…ずっと、お前を探して…」

そう言った途端、閉じていたゾロの目から、大粒の涙が一筋、鼻筋をなぞって胡坐を組んでいる墨染めの衣の上にポタリと落ちた。

その涙の一滴は、まるで、ゾロの孤独な想いの結晶の様だ。
五年と言う年月の長さ、過ぎ行く時間と季節の中で、ゾロは一体、どれほどの壮絶な孤独を感じたのだろう。

どれだけ寂しかっただろう。どれだけ不安だったろう。
どれだけ、必死だったのだろう。
会えた時の喜びを想像する事すら出来ず、ただ、ひたすらにサンジの容貌を頼りに、当て所なく彷徨い、きっと、何度となく失望もしただろう。

それでも、挫けずにゾロはサンジを見つけた。
いや、自分とサンジを繋ぐ運命の絆を信じて、その絆を手繰り寄せてくれた。
そして、今、こうして目の前にいる。

自分の身に奇跡が起こった様な感動で、サンジの胸が震え、熱くなる。

記憶にない、全くの他人の身の上話を聞いただけの筈なのに、どうしてこんなに胸が熱くなるのか、サンジにはわからない。
わからないけれど、何故か、この気持ちをもっともっと噛み締めていたいと思った。

「…それで、やっと俺を見つけて…?」
「こうして…ここにいるんだな…?」

そう尋ねると、ゾロは深く、頷く。

「…よく、俺を見つけてくれたな…」

唐突に、全く思いがけない言葉が口を衝いて出る。
それを奇異に思うのに、その感情に流されるがままになりたい。

「…お前…」
ゾロがはっと顔を上げる。思いがけないのは、ゾロも同じだ。
過去の、ゾロと幼馴染だった人魚のサンジの記憶はゾロの心の奥深くに封印されている筈で、今、目の前にいるサンジにその頃の記憶はたった一片も欠片もないのだから、驚くのも当然だ。

確かにゾロの事は何も覚えてはいない。
けれど、記憶など無くても、ゾロへの想いは今でも、確かにサンジの中に生き続けている。

「…ずっと一人きりで、辛い思いをしてたんだな…」
「…もう、これからは二度とお前にそんな思いはさせねえ」

そう言いながら、サンジはそっとゾロの体に手を伸ばし、その瞳を覗き込む。
翡翠色の瞳には、自分の顔が映りこんでいる。それは、確かに自分の顔なのに、とても懐かしい様な、それでいて、見た事のない、見知らぬ少年の様にも見えた。

ゾロの心の中にある全ての苦しみを今、感じ取れる。
そう自覚した時、サンジの中に眠っていた、唯一、それだけが残されていた純粋な愛だけが目覚めた。
そして、その愛が、本来そうあるべき色へとゆっくりとサンジの魂を染め上げていく。

孤独に凍え、強い衝撃を与えれば、粉々に砕けてしまいそうな、ゾロの心を温かく溶かしたい。
そんな柔らかな衝動に、サンジはゾロの髪を撫で、そのまま、胸に抱きこんだ。



「…俺はここにいる」
「もう、…どこにもいかねえ」

ゾロが何を欲しがっているのか、何を願っているのか、その全てが、手に取る様にわかる。
さらさらと流れる透明な清流の水底を覗き込んでいる様だ。
こんなにも、人の心の内が感じられる事を、こうしてゾロに我から手を伸ばして触れるまで、サンジは知らなかった。

今、大切な事は、自分がやるべき事は、ゾロを愛しいと思う感情に身を委ねる事だ。
ナミを助ける為、そんな理由も今は必要ない。

ゾロに話したい言葉が、いくらでも胸を衝いて、湧き上がってくる。
だが、それを言葉にする時間が惜しい。

泣きそうに歪むゾロの顔をもう、これ以上は見たくない。
何か話せば涙声になりそうなのが気恥ずかしいのか、歯を食いしばるゾロの言葉をもっともっと聞きたい。

言葉を使うより、もっと早く、もっとたくさんの言葉を言い交わす為に、サンジは目を閉じ、今、ようやく重なりつつある心と同じに、無骨に引き結ばれたゾロの唇に自分の唇を重ねた。


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