離れがたい想いと言うのは、こんな感情の事を言うのだろうか。
ゾロの髪を撫で、その体から香る匂いを吸い込んだ時、ふと、そんな言葉がサンジの頭に
過ぎった。

指先も掌も、唇も、およそ何かを感じられる感覚の全てを使って、ゾロに触れたい。
いっそ、体が蕩け、混ざり合い、一つになっても構わないと、細胞の一つ一つまでが切望している様な感覚に溺れて、
薄汚い邪魔な僧衣も、自分が身につけている着物も全て剥ぎ取り、無骨な胸板が見え、その胸と肌が触れ合っても、少しも嫌悪感がわかなかった。

ゾロの体温が、愛しくて、その温かさが信じられないくらいに心地良い。
突き上げるような恋情と、長い長い旅をして、恋焦がれた故郷に帰りついた様な安心感の中、熱に魘されたような声で、ゾロが自分の名前を呼んでいるのを聞くと、
目を瞑っているのに、軽く眩暈を感じた。

夢の中、何かに恐々触れている様な手つきで、意気地なく背中に回っていたゾロの手がゆっくりとサンジの体を掌でなぞっている。
腰のたわみ、肌の温もり、皮膚の柔かさ、匂い、今、間違いなく、サンジの心と体を
抱いている事、サンジの心と魂が間違いなく、此処に在る事を確認しているかの様だ。

もう、どこにも行かない。もう、二度と離さない。

そう声を出さずに、そんな言葉を心の声で言い交わし、ゾロに引き寄せられるがまま、
その体に覆いかぶさった。

(…俺も…ずっと、こいつと…こうしたかったんだな…)

ゾロの首筋、肩、腕の感触を掌で感じ、その間、一度も唇を離さずにその口から出る全ての呼吸を貪りながら、サンジはそう思った。
それは、読み本を読み、その主人公の気持ちになりきっている様な、そんな感覚にとても似ていて、酷く客観的な、遠い感覚だ。なのに、その感覚は確かに今、自分を突き動かす欲求とぴったり一つに重なっている。

ゾロに体を撫でられると、息が弾む。もっと触って欲しいと体が強請る。
こんな風にはしたなく、思いのままに誰かを求める貪欲さが自分の中にあった事に
驚きながらも、その欲望に身を委ねる。

ゾロの指が、サンジの一番正直で敏感な部分を掠める様に僅かに触れた瞬間、「…んっ…」と勝手に甘い声が唇から零れた。途端、そこがピクっ…と、恥かしく戦慄く。

その声をもっと聞きたくなったのか、ゾロの指が爪弾く様にさわさわと蠢いて、サンジの先端を甘く刺激する。
腰が勝手に小刻みに震え、ゾロの指が蠢き、もう一方の掌がやんわりと陰嚢を揉みしだくと、勝手に腰が小刻みに震え、その震えはすぐにサンジの体、全部にさざ波の様に広がった。

ゾロが欲しがる喘ぎ声も、もう止められない。
「…苦しいか…?」そう囁く声にも、ただ喘ぎ、首を振る事でしか答えられない。

階段を一気に駆け上がったように体は熱く、息はハアハアと弾む。
体の奥が熱く湿り、その湿り気が雫になってトロトロと溢れ、ゾロの指を濡らし、滴り落ちていく。
「…ああ、もっと…もっと、…!」

そんな淫らな言葉が喉を衝いて出てしまうのも、もっと、強烈な、甘い刺激が欲しいと体が叫んでいるからで、けれど、その声を塞ぐ理性など、もうとっくに吹き飛んでしまった。

こんなにも本能むき出しで、なりふり構わず、一つになりたいと誰にもせがんだりしない。
これまでもきっとそうだった。これからも、きっとそうだ。

「…ゾロっ…、」
このまま、体が透けて、ゾロの掌をすり抜け、その体の中に入って、魂に触れる事が出来たら、どんなに気持ちがいいだろう。
自分と同じ様に熱に魘された様な顔をしたゾロを見下ろした時、ふとサンジはそんな事を思った。

人の心や魂は、体の中にあり、掌で触れる事など出来ない。
煩悩まみれの罪深い人間同士、魂だけが体から抜け出し、一つに混ざり合う様な、そんな高尚な事などとても出来ない。
だから、お互いの魂を求め合う時、体を重ねて愛を契る。そうせずにはいられなくなる。
例え、浅はかな価値観で抗っても、過酷な試練に遮られても、誰しも運命には逆らえない。

鈍い痛みを体の奥に、それ以上の熱さとゾロの愛情を全身で受け止め、その心臓の鼓動を聞きながら、サンジは(…こいつとは、こうなる運命だったんだ)とはっきりと感じた。

* **

「…これから、…こうする度に、お前は苦しまなきゃいけねえんだな…」

行為の後、甘いまどろみの中、横たわったサンジを背中から抱き寄せ、ゾロがそう呟く。

「…真珠丸を作る時…って、そんなに辛エもんか…?」
今、こんなに心地良く眠いのに、いつ、それほど苦しくなるのか、サンジは想像できない。
目を瞑ったまま、抱かれるに任せてそう聞き返した自分の声は、まるで寝惚けている様に間が抜けている。

早く、ナミの為に真珠丸が欲しい。その気持ちには変わりはないが、生まれて初めて感じるこの心地良い浮遊感にもう少しだけ漂っていたい。

ギュ、と自分の胸の前で組んだゾロの腕に力が篭る。
せっかく、愛を確かめあったのに、自分の中がサンジの体の中に注ぎ込んだ毒が、のた打ち回る程の苦痛をサンジに与えるのかと思うと、辛くて堪らないのだろう。

けれど、ゾロが言った様な痛みも、苦しみも、全くサンジは感じなかった。
うとうととまどろんで、一晩、ぐっすりと眠って目が覚めると、掌のど真ん中に三つ、
蚊に刺された様な跡が出来ていた。

「…ホントに石が入ってるみてえだ」

指でつつくと、コリコリと固い。夕方には、カサブタになり、それをひっぺがすと、
コロリと真珠そっくりと丸い珠が出てきた。

ただ、例え、海水晶の毒で体が毒されていても、人魚を心から労わり、愛し、そして人魚もその相手に心を開いて、お互いが一つになりたいと望めば、真珠丸は痛みも苦しみなく
作る事が出来る。

ゾロの寺では、何代にも渡って真珠丸を作り続けていたのに、誰一人、その法則に気がついたものはいなかった。
それ自体、男同士で心を通わせる事、男同士で、魂と魂が触れ合う様な契りを交わし、生涯を共に生きたいと願い合う事が、いかに難しいかを物語っている。

だが、契りの証である、最初の真珠丸を手にしたその時、サンジもゾロも、ただ首を傾げるだけでその法則には全く気がつきもしなかった。

* **

それから、あっという間に一ヶ月が経った。

「…明日かぁ…」
まな板からはみ出るほどの大きな鯛を前にして、サンジは何度も溜息をつく。

「また、ボケっとしてんのか。さっさとしろよ。こっちはもうお前の言うように準備してんだ。薪が全部燃えてなくなっちまうぞ」

カマドの前で、地味な深緑の麻の着物にサンジと同じ色のタスキをかけたゾロがしゃがんだまま、ぶっきらぼうにそう言って振り向く。

「うるせえよ。黙って、火の番してろ。…あぁあ、なんでナミさん、嫁にいっちまうんだろ、なんで俺ア、その膳を作ってんだろ…」
そう言いながら、サンジは鯛にパラパラと塩を振る。

「…明日から、お前とここで二人暮しか」と含み笑いをするゾロに、
「言っとくが、お前エは、ただの居候で、世帯主は俺だからな」サンジは淡々と言い返す。
けれど、今、誰に向けるよりも、優しい顔でゾロを見ているのが自分でもわかる。

ナミが治ってから、なし崩しにゾロも一緒にこの店で寝泊りする様になっていた。
あの廃寺で体を重ねたきりで、傍目にはただの男友達にしか見えないだろう。
真珠丸の事を知っているのは、チョッパーとビビだけで、二人を特別視するのは誰もいない。
今更、誰にどう思われようと、きっとゾロはどうでもいいのだろう。
こうして、今、サンジと二人で何の心配もなく暮らしている。それだけで何もいらないと
思っているのが、何も言わなくてもサンジにはわかる。

ただ、誰もいない時に、お互いが特別な存在だと確かめ合う為に、唇と唇を軽く触れ合わせる、それだけでサンジも十分だった。
「…あれから、一月も経ったけどよ…。あの風呂敷包みン中の絵草紙、未だに見せねえな」
着々と祝い膳の支度を整えながら、サンジはゾロに雑談がてら、何気なく尋ねた。
「…ああ、…」

ゾロは、薪を手にとり、一度カマドの中を見た。
そのままサンジから顔をそむけ、炎を見詰め、「…あれをお前に見せると…お前に俺の中に埋めた記憶が戻っちまう。そう言う呪がかけてあるんだ。だから…見せられねえ」と、独り言のような声でそう言った。

「…今は誰のおかげか、相当図太くなっちまってるから、なんともねえかも知れねえが」
「…もしも…。また…」

それだけ言って、ゾロは暫く黙り込む。

かつて、サンジが罪の意識に苦しみ、その所為で生死を彷徨っていた、その姿を思い出して、気が塞いだのだろう。

「…どんな話なのかぐらい…」言ってくれてもいいだろう、と言いかけた時、ゾロが急に立ち上がり、そのまま、黙って台所を出て行った。が、すぐに絵草紙を包んでいる風呂敷包みを脇に抱えて戻ってきた。

何か、妙にさばさばした、すがすがしい顔をしてニ、とサンジに笑って見せる。

「なんだよ」何故、そんな表情をしているのか、その訳をサンジが尋ねると、
「燃やす」とゾロは即答し、するッ…と風呂敷包みを解いたかと思うと、無造作に、
その絵草紙を全部、カマドの中に放り込んだ。

「…!」
その思い切りの良さ、未練のなさにサンジは思わず絶句する。
古びて、色褪せていた絵草紙は、端から黒く焦げ、真っ赤な炎に舐められる様に燃えて行き、小さく薄い炭になり、あっという間に小さな火の粉になって燃え尽きていく。

「…もう、いらねえ」
「あれを見て、何かを振り返る事があったとしても、…辛エ事ばっかりだ」
「…お互い、すぐ側にいるんだから、もう、あんなものに縋りつく事はねえ」
「…これからは、辛エ事がまとわりついたモンじゃなく…、それを見たら、何年経っても
二人で笑える様な、そんなモンを増やせばいい」

そう言って、かまどの中を見詰めるゾロの側に、サンジもしゃがんだ。

絵草紙が燃えてしまった今、ゾロが知っている、サンジの記憶は、未来永劫、決して蘇る事はない。だが、それを惜しいとは全く思わない。

同じ気持ちだ、と言葉を出して言う代わりに、黙ってゾロの方へ顔を向ける。
そのサンジの視線を受け、ゾロもサンジの方に向き直る。

どちらからともなく微笑むと、心が重なっている事を伝え合いたくなる。
そして、また、お互いが「契り」を結んだ、特別な存在だと確かめ合いたくなって、二人はそっと唇を重ねた。


(完)


最後まで読んで下さって、有難うございました。

連載開始から一年以上過ぎましたが、とりあえずサン誕生月の間に連載を
無事に終わらせる事が出来ました。

最初で最後のパラレルになると思います。

感想、ご意見など頂くと何よりの励みになります。

それでは、最後まで読んで下さって、本当に有難うございました!


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