子供を庇って、切り殺される母親。
その死体に取り縋って泣く子を背中から串刺しにして息の根を止める武者達。

真っ赤に燃える村を突っ切って走る最中、サンジはゾロに怒鳴った。
「…なんで、助けないんだ!」

長年、幽閉されていてサンジの足は、かなり衰えている。子どもの頃の様に俊敏には動けない。
まして、半月前にルッチとクロコダイルに嬲られ、瀕死に陥り、
やっと起き上がれる様になったばかりの病み上がりの体、
人を助けるどころか、自分がゾロに引き摺られて走るのに精一杯だ。

だが、ゾロはずっと鍛え上げている体の上、帯剣している。
サンジの言うとおり、雑兵と戦い、村人を守る事ぐらいそう難しい事ではなかった。

だが、もう戦は始まってしまっている。この場を逃れても、彼らを海へ逃がす術はない。
ゾロが手筈を整えているのは、サンジと自分を乗せる船だけだ。
「…いいから、走れ!グズグズしてると矢に当たるぞ!」
引き摺るようにして、ゾロは火の手が上がっている港とは反対の方向へ走る。

島の周囲は何処もかしこも軍船ばかりで、漁師ですらもうどこにも逃げられない。
けれど、ゾロはある海賊と密約を交わしている。
その海賊の船にさえ辿り着けば、この島を出る事が出来るのだ。
(…もう後戻りは出来ねえ)
例え、死んだ後、地獄に落ちても、今はサンジと生き延びる事だけを考える。
流れ矢に当たったり、同情で足を止めたりして命を落とせば、それこそ犬死だ。
死んでも死に切れない。

家々が焼け落ちる音、耳をつんざく様な悲鳴、生臭い匂いの混じった熱風の中、
出来るなら、耳を塞ぎ、目を逸らしたい地獄絵図の中を、ゾロは無我夢中で走った。

今更、人魚を取り返したところで、もうどうにもならない。
寺では、攻めて来る兵士と戦うのが手一杯の筈だ。追っ手など絶対にかからない。
ゾロはそう思っていた。

「…あの林の向うの崖の下だ、あそこまで…頑張れ!」
「…そこまで行ったら、…何があるんだ…?!」

足をもつれさせ、地面に手をついたサンジは、ハアハアと息を荒げて、
助け起そうとしたゾロにそう尋ねる。

「…自由だ」ゾロがそう答えた時。

殺気を感じ、咄嗟にゾロはサンジを背に庇った。
輻射熱を感じるほど、海沿いの村は燃え盛り、その真っ赤な炎は漆黒の闇の中でやけに赤くゾロの目に映る。そして、その赤と黒だけの光景の中、真っ黒な人影が、佇んでいた。

「…あの二人を良くぞ、倒したもんじゃ」

炎の旋風が轟々と鳴る。その音に混じって、カクの低く、呻く様な声が聞こえた。
(…カク…!)
誰も追っては来ない。そう思っていただけに、ゾロは声すら出せなかった。

「まさか、この戦、…その人魚を逃がす為におぬしが仕組んだのではあるまいな?」

何故、カクが追って来たのか、そんな事を今、聞く必要はない。
カクの質問に答える義理もない。戦い、振り切る時間もない。

「…この島の海の地形、潮の流れ、…それを知っていなければ、この島に攻め込んで来れん。この島があったから、二つの国は戦をせずに均衡を保っておったのに…」
「この島が陥ちた以上、これからどちらの国の民、両方が大勢に死ぬ事になる」
「…女子供、年寄りに関わらずじゃ…!千人、万人と言う人間が死ぬんじゃぞ…!」
「それを分っておったのか、二人とも…!」
「…そんな事、知ったことか!」

カクの言葉に、ゾロは思わず言い返す。
人に責められる様な事は何もしていない。本気でゾロはそう思っていた。

「…こいつが苦しんでた時、誰が助けてくれた?誰がその苦しみを分ってくれた!?」
「誰も、知りもしなかった、助けてもくれなかったじゃねえか…!?」
「この島が、この寺が、武装できるのも、井戸を掘れるのも、…畑に蒔く種を他所の島から買えるのも、この島じゃ作れない薬草や薬が買えるのも、寺で真珠丸が作れるからだろう!その真珠丸を誰が、どんな思いで作ってるのか、どれだけの人間が知ってるんだ!」
「この島で安穏と暮らしてる連中は、誰も知らねえじゃねえか!?」
「そんなの…こいつを見殺しにしてるのと同じだ、人の苦しみの上に幸せな面して暮らしてる奴等なんか、…生きようが死のうが俺の知った事じゃねえ…!」

そう言うと、カクは黙って、腰の刀に手をかけた。

「いずれ、こんな危うい均衡など破れるもんじゃとワシだって思って来た」
「真珠丸も、…人の天寿を人が左右する様な大それたモノじゃと思うておる」
「…戦じゃからと言って…、武器ももたぬ女子どもをなで斬りする様な暴君が、真珠丸などを口にし、
徒に寿命を延ばしでもしたら大変な事になる」
「真に、生きるべき者、生かされてしかるべき者か、寺はそれを見極めて、真珠丸を与えておった」
「だからこそ、真珠丸はこの寺のみの秘法でなければならなかったのじゃ」

一歩、一歩とカクは凄まじい殺気を帯びて、近付いて来る。
「ワシは、僧になった時に寺から言い渡されていた、大事な務めを果たさねばならん」

背中に庇った、サンジが息を飲むのがわかる。
真っ黒に見えていたカクの姿が、炎の色が重なった色彩を帯びてはいるが
その色彩が少しづつ見えてくる。

頬に、額に、喉元に、身につけている僧衣すら赤黒く見える程に、カクの体は返り血で赤く染まっていた。その手にさげた刀にも、血ぐもりが見える。
汗と、血と、巻き上がる炎の焦げ臭い匂いに、思わずゾロは顔を歪めた。

悪鬼の様な姿だが、カクの目は、穏やかで冷静なまま、いつもとなんら変りない。
気の迷いでもなく、まして狂気でもなく、カクは己の信念に従って、今、ゾロとサンジの前に立ち塞がっている。
だから、きっと手強い。そう易々と見逃してくれそうにない。

「…務めってなんだ」そう尋ねながら、ゾロは刀に手をかける。
「例え、毒を持たない女の人魚でも、…普通の男と交わり、混血でも男の子の人魚を生めば、純度は低くでも、真珠丸を作れる可能性がある。だから、女であれ、生かしてはおけん。男は言うに及ばずじゃ。
寺に何か事が起こった時、真珠丸が世に出るのを阻止する事、人魚、と呼ばれる者がこの世にいた痕跡を全て消す事。それがワシの務めじゃ」

そう言うと、カクの目がギラリと光った。
「…おぬしの所為じゃ、ロロノア…!」
「ワシが、人魚の村の者達を皆殺しにしなければならなくなったのも、…おぬしが庇う、その最後の人魚を殺さねばならなくなったのも…!」
「おぬしが、大名どもにこの島を守る潮流の秘密を教えた所為じゃ…!」
「そして、ロロノアにこんな大罪を犯させたのは、…人魚、おぬしの所為じゃ…」
「こうなった今となっては、おぬしら二人を殺したところで、戦が終わる訳ではない」
「じゃが、…黙ってこの島から出す訳にはいかん」
「…大勢の人を死に追いやった、その罪を死んで詫びるべきじゃ」

(…ゴタクを聞いてる暇はねえ)ゾロは腰に差した刀を一気に引き抜く。
「…すぐに済む。お前は、すぐ後ろの林の中に隠れてろ。俺が呼ぶまで絶対に出てくるな」

ちらりとゾロは背中越しにサンジを見、口早にそう囁いた。
だが、サンジは愕然とした表情でカクを凝視している。

「…あいつが言う事なんか、聞かなくていい!」そう叫んで、ゾロは前を向いた。
そして、地面を蹴る。

渾身の力を篭めて、カクに打ち込む。地面に足がのめり込むほどの衝撃に耐え、カクはゾロのその剣戟を受け止める。
ギリッギリッ…と金属の擦れる音が耳障りだが、力負けする訳にはいかない。

カクの技量は十分、わかっている。一瞬でも気を緩めば致命傷を食らってしまう。
「…くそ…!」
力任せに弾き飛ばしても、カクの態勢は崩れない、ただ、間合いが開いただけだ。

「…逃げ延びて、そしてどうするつもりじゃ」
「一生、誰とも交わらず生きて行くのか?…例え、おぬしらが好き合っていたとしても、」
「海水晶を飲んでいないおぬしは、人魚と交われぬ」
「海水晶を飲んだとしたら、交わるたびに人魚は苦しまねばならん」
「いずれを選んだせよ、おぬしらが幸せに生きる道など、どこにもないのだぞ!」
「二人一緒にここで死ねば良かったと、思う日が必ず来る!」

「だから、死ねって?冗談じゃねえ…!」
そう言いざま、ゾロはもう一度、打ち込んだ。ピュッと空気が切り裂くような音がしただけで、
その刀はカクには届かない。

「交わる、交わらないだけが人の幸せじゃねえ!」
「それ以外の幸せを、必ず見つける!あいつと一緒に…!」
「そう思って俺はずっと今日まで生きて来たんだ。…こんなところで死んで堪るか!」

カクに攻撃の隙を与えず、ゾロは刀を間断なく、縦横無尽に走らせた。
キン、と鳴る金属音と、ヒュッと空気の切り裂く音ばかりが耳に付き、
カクの刃もゾロを斬り伏せる事も出来ず、ゾロの刀もカクを斬り退ける事が出来ない。

だが、ゾロは絶対に退かない。どんなに力負けしそうでも歯を食いしばって押し戻し、何度も何度もカクを弾き飛ばした。
そうして、少しづつ、サンジとカクとを引き離していく。

「…ロロノア!伏せろ!」

背後から、そう怒鳴られ、ゾロは思わず首を竦める。
ドン!と花火が上がった様な爆発音が聞え、ゾロの目の前にいきなり火柱が上がった。

(う…)凄まじい熱さの熱風にゾロは刀を握ったままの拳で顔を庇う。
熱く、高い紅蓮の炎がカクとゾロの間を遮った。

そして、ゾロは後ろを振り返る。

「…あんたは、赤髪の頭んとこの鉄砲撃ち…!」
ゾロが密約を交したのは、赤髪のシャンクス、と言う海賊だ。そのシャンクスの腹心であるヤソップ、と言うさえない風体の男が、大きな鉄砲を肩に担いで立っている。

「坊さん、早く、人魚の坊やを抱えてやんな。お頭が崖の下でしびれを切らして待ってる」
「…ああ、助かった」

心から、ゾロはヤソップに礼を言い、林の中に駆け込んだ。
この林を抜ければ、断崖絶壁があり、その下で赤髪のシャンクスの用意してくれた船が待っている。

サンジの肩を抱き、もう疲れ切って足が動かないサンジを抱き抱える様にし、ゾロは林の中を歩いた。

海を埋め尽くす軍船の篝火、島を焼き尽くしている炎、海に投げたその血の色の様な二つの光を
頼りにして。


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