「ナミさんの為なら…俺の命でナミさんを助けられるなら、喜んで死んでもいい」
「それくらい、ナミさんは大切な人だ」
例え、男のゾロに犯されて誇りと体を傷つけられてもいいのか、と聞けば、
「…それで真珠丸が手に入るなら、…何をされても文句は言わねえよ」とサンジは答えた。

眩暈を感じるほど、ゾロの胸が痛む。ギリギリと何かに抉られる音まで聞こえそうで、息をする事も出来ない。

この腕の中にサンジがいる。もう、誰に引き裂かれる事もない。長い間、サンジを探して彷徨い、やっと取り戻す事が出来て、鼓動も温もりもこの掌に感じている。

誰にも傷つけられない様に腕に抱いて安心したかった。
言葉では一度も告げられなかった愛しさを、ただ伝えたかった。
その為に、ゾロはサンジを抱き締めたかった。

ようやくその願いが叶った。現実に、サンジは間違いなくゾロの腕の中にいる。
けれど、それはゾロが望んでいた形とは余りにも違う。

(…俺は…こんな事をする為にこいつを助けたんじゃねえ…っ!)

胸に込み上げる愛しさに、言いようのない憎しみと憤りが混ざる。
誰が憎いのか、何に憤っているのかわかりもせず、ただ胸が苦しくて、サンジを抱く腕の力が強くなるばかりで、その加減すらままならない。

貪るようにサンジに口付ける自分息遣いが、浅ましい。脳裏に、障子越しに見せ付けられたクロコダイルとルッチの痴情が過ぎる。

今、サンジにしようとしている事は、彼らがサンジにしていた事と一体、なにが違うと言うのだろう。
そう思った途端、体が震えるほど胸が苦しくなる。
それでも、一気に燃え上がった劣情に突き動かされる体を止められない。

腕の中のサンジの体が、恐れ、怯えてゾロの力に軋んで強張っている。
それを感じて、ゾロは唇を離した。サンジの顔を見るのが怖くて、自分の感情を鎮めるように、呼吸を整えながらサンジの背中に回した腕の力を抜き、サンジの体を両腕で包む。

「…こんな事したかったんじゃねえ」

サンジの肩に顔を埋めて、ゾロはそう呟く。
紛れもないたった一つの真実を自分の胸の中だけに留めておくのが辛くて、まるでサンジに縋っている様だ。

「お前がそう望んだから…でも、それは…」

ナミと言う女を助ける為の犠牲として、サンジはその方法を選んだだけだ。
ゾロがサンジを心から愛しいと思う気持ちとは隔たりがあり過ぎる。
今、少しも心が重なっていないこんな形でサンジの体に触れるのは、ただサンジの男としての誇りを踏みにじり、穢すだけだ。

それが分かっているのに、サンジに触れたい。
自分の中にも、クロコダイルやルッチと同じ様に、サンジを穢そうとする欲望が宿っていた事がゾロは今の今まで気付かなかった。

幼馴染として、かけがえのない大切な存在としてただ、サンジを守りたい、いつも笑っていて欲しい、それが愛しいと言う感情なのだとずっと思ってきた。

お互いがお互いにとって、肉欲など伴わない、魂と心だけで契り合える、特別な存在だと思ってきた。誰よりも純粋にサンジを想っている自覚と誇りがあった。

その誇りが根底から、地割れを起すようにガラガラと崩れていく。

本当にサンジが望んだから、ただそれだけで命を落とす可能性があるのに海水晶を飲んだのか。
サンジが望んだ。それを言い訳にして自分の欲望を満たそうとしていたのではないか。
そんな薄汚い打算が本当になかったと言い切れるか。

サンジの温もりを手放せなくなった今になって、ゾロは自分の本心がわからなくなる。

(俺は…あいつらとは違う…)
そう胸の中で叫んでも、固く瞑った目の中で、長く髪を伸ばしたサンジがゾロに問い掛ける。

何がどう違うんだ?
お前がやろうとしている事は、クロコダイルとルッチが俺にした事と同じだ。
何を言い訳しても、結局はお前は俺に薄汚く欲情してる。
そして、お前はあいつらと同じ事をする。俺を穢して傷つけて…

「…ゾロ…って言ったな…?」

耳から穏やかに聞えるサンジの声が、慟哭する様に戦慄くゾロの心を優しく撫でる。
そっとサンジはゾロの体を押し戻して座りなおした。
その表情には、欠片ほども、蔑みも怯えもない。

ただ、僅かに苦しげな切なげな影が瞳の中に浮かんでいた。

「…俺は、なんで何も知らねえんだ?」
「自分の素性も、あんたの事も…、真珠丸の事も…」
そう言ったサンジの頬は、僅かに赤らんでいる。

「なんだか、気持ちが落ち着かねえ。…変だ」
「野郎のあんたと…こんな事するなんて、気色悪イと思う筈なのに、」
「…ずっと、こうなるのを待ってたみたいな…そんな感覚がして心臓がバクバクしてる」「こんな事、あり得ねえ。絶対にある筈ねえ」
「この俺が…坊主に接吻されてクラクラするなんて…」
「こんな気持ちのままじゃ…、なんか得体の知れねえモノに飲み込まれて、俺が俺でなくなっていく気がする」
「…後で聞こうが、先に聞こうが、ヤル事は何も変らねえ。だけど、こんな奇妙な心持のまま、ヤっちまったら、どうにかなりそうだ」

そう言って、サンジははにかむ様に目を伏せた。

「…ホントなら、ナミさんの為だから仕方なく、…野郎とヤったって事にしといた方が、
俺にとっちゃ後々都合がいい」
「でも、…そんな嘘は吐いちゃいけねえ気がする」

そう言って、サンジはそっと手を伸ばし、ゾロの両手首を掴んだ。
決して強引にではなく、まるで占い師が手相を見る様に、目に見えない何かを探そうとしている様な眼差しで、ゾロの両手を手繰った。

「…何がどうしてだとか…頭で色々考えてもラチがあかねえらしい…」
独り言の様にそう呟いて、じっとゾロの掌に目を落とす。

「温くて、ゴツい手だな」そう言って、サンジは僅かに微笑む。
「…でも」サンジは自分の記憶を掘り起こそうとする様に、一瞬、言葉を途切れさせる。
けれど、その間もずっとゾロの掌を見つめていた。

「俺は…この手を知ってる…」
「多分、凄くいろんな事を忘れてるんだろうが…この手の感触を俺は知ってる…」
「この掌を見てると…嬉しい様な、…悲しい様な…そんな風にしか感じねえ」

何気ない言葉、何気ない仕草なのに、それはいつも優しく温かく、強張り、震えるゾロの心を慰めてくれる。
記憶を失くしていても、盗賊上がりの板前になった今も、サンジの本質は何も変わっていない。

やり場のない憤りも、自分の望みどおりにならなかった悲憤も、風が濃霧を攫って行くようにゾロの心から消えていく。

「…お前の記憶を消したのは…俺だ」

サンジに問われるまでもなく、ゾロはそう告げる。

自分の温もりに触れる事で、まるで地中に埋もれていた球根が芽吹く様に、サンジの中に埋もれていたゾロへの想いが蘇えり始めている。
自分を見つめているサンジの眼差しを見て、ゾロはそう感じた。

記憶と共にゾロが消した二人の相思の想いは、地中に様々な命を芽吹かせる春の息吹に似た力強さで、サンジの理屈や理性、価値観をも揺らめかせ、疑問も同性同士で惹かれ合う事への嫌悪感も、サンジの心の中から押し流そうとしている。

そう感じたからこそ、ゾロは真実を告げた。
「お前の記憶を消したのは…俺なんだ」

そう言いながら、ゾロはゆっくりとサンジの手を解く。
だが、重なり始めた心を手放す様な気がして、右手だけはサンジの手に重ねた。

「…俺を寺から助け出す為に、戦を引き起こした…それが原因か」

サンジにそう言われて、ゾロは頷く。

「…俺の目論んだとおり、戦は起こった」
「頭では、…お前が助かるなら誰が何人死のうが、構わねえと思ってた」
「が…実際、俺が思っていた以上に戦が広がって…」
「寺だけじゃなく、島中の村が殆ど焼け討ちにあった」
「女子供も年寄りも切り殺されたり、焼け死んだり…どうして、…そこまでされなきゃならなかったのか、未だに俺もわからねえ」
「寺から逃げる途中、俺達はその有様をつぶさに見た」


そう言って、ゾロは苦しげにため息をつく。
けれど、覚悟は決めた。

そのキッカケはサンジが作ってくれた。

苦しさを吐き出す為に縋るのではなく、真実を話す事で、失われた記憶と、今の気持ちとが
少しでも混ざって、サンジの心が鎮まるのなら、今こそ、話すべきだ。

ありのまま、話そうとゾロは座りなおし、サンジを見据えた。


戻る     続く