「…俺は、その幼馴染を助けようと思った」
「なんとしても、…何を犠牲にしても助けようと思った…」

俺は、その幼馴染を助ける為に、…戦を引き起こした。
その為に…俺と幼馴染が育った島でも、大勢の人間が傷ついて、死んだ。

いつかは崩れる筈の均衡が崩れただけの事だ。俺はその戦のキッカケを作ったに過ぎない。
でも、それが…漁師や農民までが駆りだされる様な大戦になってしまった。

ポツリポツリと話すゾロの言葉に、サンジはじっと耳を傾ける。
「…人魚を逃がす…って、人一人を逃がすだけの事だろ?」
「それが、お前の寺じゃそんなに大仰な事なのか」
「お前、腕に自信があるんだろ?たった一人の人間をかっさらって逃げるくらい…」
そう言いさして、サンジはその言葉を飲んだ。

(そうか…陸続きなら、どうにでもなるだろうが、海の上じゃ船を押さえられたら
逃げようがないのか…)

そう思った時、一瞬、サンジの脳裏に見た事もない風景が過ぎる。

光の全くない漆黒の夜、天にまで届くかと思う様な紅蓮の炎、その揺らめく光が
墨を流したような海に映り込んでいる。
小さな武装した船から無数の矢が放たれて、背中に、喉笛にその矢を受け、水底に吸い込まれる様に、船ベリから簡素な鎧を身につけた男達が無造作に海に落ちていく。

思わずサンジはその凄惨な風景に息を飲んだ。
けれど、その壮絶な風景に動揺するより先、(…今のは…一体、なんだよ…)と、見た事もない風景が頭を過ぎった事に、心が戦慄く。
思わず、サンジは俯き、両手で頭を押さえる。

「…それで?」
今、聞いている話は、ゾロの身に起こった事だ。自分には関係ない。
そこにいた訳でもないし、その話をどこかで聞いた訳でもない。
なのに、何故か、胸が抉られる様に痛み、まるでその場にいてその光景を一緒に見ていたかのように胸が締め付けられる。目を閉じれば、その光景を見続けてしまいそうな気がして、瞬きをする事すら怖くて出来ない。
(こんな話、聞いてどうなる…?)と思い、聞きたくない話だ、とすら思うのに、
口が勝手に話の続きをせがむ。ゾロの苦悩の訳を知らなければ、自分の胸の痛みも消えない気がする。
真珠丸をどうやって作るのか、その真相をまだ聞いてもいないのに、その作り方を知る前にもっとゾロの事を知っておきたい。何故かそんな気がして仕方がない。
泣き疲れた時の様に、頭が鈍く痛んで重い。けれど、サンジはゆっくりと顔を上げて、ゾロを見つめる。

「…俺の幼馴染は、13歳の時から2年間、…男として耐え難い苦痛を味わい続けた」
「だから、俺は…」

そう言って、ゾロは僅かに伏せていた目を上げた。
今でも、自分の行動を少しも悔いていない。そんな目をして、サンジを見据える。

「…鬼になった」
「そいつの幸せの為なら、俺はなんでもする」
「例え、数え切れない程屍を踏みつけてでも、この手が何人もの血で真っ赤に染まっても、必ずそいつと逃げ延びてみせる。そう思った」

ゾロは、言葉をとても慎重に選んでいる。激しい感情が今にも爆発しそうになっている様にも見えるのに、それを必死に堪えている。
それでも、その感情の全てを抑えきれずに、時々、その熱い感情が苦しげな言葉になって、零れ出て来る。

自分で感情の制御が難しくなるほどに心が揺れているのに、それでも言葉を慎重に選ぼうとしすぎて、サンジが知るべき大切な事柄のうち、小さな欠片が抜け落ちている様に感じる。

「…男として耐えがたい苦痛って…それは…どういう事だ」
そう尋ねると、ゾロの瞳が大きく揺らいだ。きっと、その無造作な言葉はゾロの心臓も大きく揺さ振ったのだろう。
サンジに伝えるべき、サンジが知るべきその事実を、ゾロはまだ話すつもりがなかった様だ。いや、そうではなく、話すべきではないと考えていたのかも知れない。

一瞬、動揺した表情を見せたが、それをすぐに隠し、感情を抑えた、少し悲しげな仏頂面に戻った。
「…真珠丸は、人魚が本来体の中に持ってる毒と、…俺が飲んだ、海水晶って毒が混ざって出来る結晶だ」
「その結晶は、人魚の体の…男の人魚の体の中でしか結晶化しない」
「そもそも、人魚の毒って言うのも、男の人魚の体にしかないモノだ」
「海水晶の毒も、…人の体液に混じってなければ、人魚の体には吸収されない」
「…意味が分かるか?」

ゾロにそう尋ねられ、サンジは少しだけ首を傾げる。
「…それは、つまり…どう言う事だ」
「海水晶を飲んだ男と人魚の男と交わるって事だ」
ヤケを起したかのように、ゾロは吐き捨てるようにそう言った。

(…何だと…?)
ゾロの言葉に、サンジは絶句する。

「普通の人間が、人魚と交わったらその毒で腸を焼かれて死ぬ」
「でも、海水晶の毒は、人魚の毒よりもずっと強い」
「その毒に耐えられた人間は、人魚としか交われない体になるが、人魚と交わっても死なない」
「…どこにも逃げられない場所に閉じ込められた俺の幼馴染は…」
「その海水晶を飲んだ男どもに、真珠丸を作る為って名目で二年も慰み者にされた」
「…毒を体に注ぎ込まれるんだ。慰み者になる苦痛だけじゃねえ」
「真珠丸が結晶化するまで、五感全部が麻痺するくらい…死ぬ方がマシだってくらい苦しんで…」

一気にそこまで話し、ゾロはまたサンジから目を逸らした。
言葉が噴き出した唇を戒めるように、ギュ、と口を引き結んでいる。

「…じゃ、…真珠丸って言うのは、…」

サンジは思わずそう呟き、それから頭の中で真珠丸についてゾロが話した言葉を整理する。

真珠丸は、海水晶を飲んだ人間と人魚が交わって、人魚の体内で結晶化される。
ゾロはその海水晶を飲んだ。

「…でも、人魚は…」
「お前が海水晶を飲んだとしても、肝心の人魚が…」

そう言ってから、サンジはまた言葉を飲んだ。

(…ちょっと待てよ…)

普通の人間が人魚と交わったら、腸を焼かれて死ぬ。

そう言ったゾロの言葉をサンジは思いだした。

そして、ずっと以前、ゼフがナミとの縁談を持ち出してきた時の悲しそうな顔と言葉が頭を過ぎる。

…交わった相手の体を毒で腐らせちまうなんて…。てめえがそんな体質でなけりゃ…

(…まさか…)サンジの体に戦慄が走る。
その可能性の有無を知る為に、サンジはゾロの表情を伺った。

胡坐を組んだ膝の上に両手を組んであわせ、ゾロの目はしっかりとサンジを見つめている。
尋ねなくても、その目がサンジの問いに既に答えている。
だが、サンジは声に出してゾロに尋ねた。尋ねずにはいられなかった。
「…俺が…人魚だって言うのか?」
「そうだ」

その答えにサンジは愕然とする。
「…なんでお前…そんな事が言えるんだよ…?」
そうゾロを問い詰める自分の声が震えている。

俺の幼馴染。ゾロはずっとそう言っていた。
その幼馴染の名前を一度も口には出さなかった。一度もサンジに聞かせなかった。
だからこそ、サンジはその可能性に気付く。
(…こいつが探してる人魚の幼馴染って…それって…俺の事か…?)
心臓がドクッドクッ…と、かつて経験した事ない程強く、大きく鼓動を刻んでいる。

サンジが何を聞きたいかを悟っている筈なのに、ゾロはその事には答えなかった。

「…真珠丸が結晶化するまで、死ぬ程の苦痛を味わう事になる」
「…それでも、…お前は真珠丸が欲しいか?」
「男の俺に…犯されても…そんな屈辱を受けてでも、真珠丸が欲しいか…?」

呻くような声でサンジに問う。

「…ナミ…って女を助ける為なら、どんな屈辱も苦痛も受けるって…」
「お前は…そう言うのか…?」
「そんなにナミって女が大事か…?」

そう聞かれたら、迷う事はない。
過去に何があろうと、自分が何者であろうと、今、サンジにとって一番大事な事は、ナミを助ける事だ。

「ああ」
「ナミさんの為なら…俺の命でナミさんを助けられるなら、喜んで死んでもいい」
「それくらい、ナミさんは大切な人だ」

迷いなくきっぱり言い切ったその言葉に、ゾロの表情が僅かに悲しげに歪む。

「…それが今のお前の望みなんだな…?」
「そのナミって女の為に、俺に犯される事が…?」

皮肉めいた表情と口調を装ったそのゾロの声が突き刺さって、サンジの心がズキリと痛む。

自分の言葉一つ一つがゾロを深く傷つけている。
そう分かっていて、心に呵責を感じても、今更、躊躇いも迷いもしない。

この方法でしか真珠丸が手に入らないのなら、その真珠丸しかナミを助けられないのなら、
誰を悲しませても、自分の誇りを傷つけても、このやり方を貫くだけだ。

「…それで真珠丸が手に入るなら、…何をされても文句は言わねえよ」

もうこれ以上、サンジの言葉に傷つけられたくない。
もうこれ以上サンジの言葉を聞きたくない。きっとゾロはそう思ったのだろう。
大きな手に抱すくめられたとサンジが思った次の瞬間、ゾロの唇が、サンジの口を塞いでいた。


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