「代金が払って貰えるのかどうか分からない相手に、掛売りは出来ないね」
市場に行って、いつも買い付けている商人に掛け合ったらにべもなくそう言われた。

魚は、ゼフが海賊をしていた頃に、気まぐれで助けてやった義理堅い漁師が
持ってきてくれる。けれども、野菜がどうしても手に入らない。

ついに、料理を作らず、まずは金の算段をする為に店を休まなければならない
日がやって来た。

(・・・仕方ない。船を作るための金を切り崩すか)
そう思いながら、寝床から起き出す。
(あいつ、どこに行きやがった・・・・?)
隣の寝床が空で、狭い家の中にチビナスの気配がない事にすぐに気付いた。

「おい、チビナス!チビナス!」と何度か呼んでも返事がない。
チビナスの仕事の筈なのに、朝食の準備も全くされていない。

(どこに行きやがった・・・?)とゼフは不安になった。
ふがいない自分に代わって、金の算段をしに出掛けたのではないか、と言う心配が
胸を過ぎった。

チビナスは、小さいながらも腕は立つ。
ゼフが叩き込んだ足技で、やろうと思えば、ごろつき相手に金を巻き上げるくらいの事はやれるだろう。
けれども、そんな事をすれば、余計な恨みを買い、後で酷いしっぺ返しを食らう事も
ないとは言えない。

後でよくよく考えれば、みっともない取り越し苦労だと苦笑いしてしまうくらいに、
チビナスが帰ってくるまで、ゼフは気を揉んでいた。
何度も往来に面している窓の外を眺め、人の足音に耳をそばだてる。

胸の中にもやもやした、灰色の空気を詰め込まれた様で、落ち着かない。

どのくらい、そうして落ち着かずにいただろう。

「ただいまー」
少し、間延びした、元気な声が店の玄関から聞こえた。
無意識に、ゼフの体は心配と緊張で固くなっていたのに、その声を聞いた途端、
すっと力が抜ける。安心した、と感じた途端、ワケもわからない腹立ちがこみ上げて
来た。

こんなに心配していたのに、なんて暢気な声を出してやがる。
なんで、あいつは、俺が予想もしねえ事をして、こんなに不安にさせるんだ。

分かり合っていると思っているのは自分だけで、チビナスの頭の中に何があって、
何を考えているのか、さっぱり分からない。
理解し合えていると思うのは、全くの独り善がりだと思わされて、
大人気なくゼフは腹が立った。

「どこ行ってた!」と、つい、大声で怒鳴りつける。

「野菜、手に入れてきた」
そうにこやかに言って、チビナスは背中に背負っていた大きな布袋をどん、と
床に下ろす。

「にんじん、たまねぎ、にんにく、セロリ、エシャロット・・・必要最小限しかない
けど、ランチを作るくらいなら大丈夫だと思うんだ、ジジイ」
サンタクロースの袋から、プレゼントが出てくる様に、チビナスが広げた
薄汚れた麻袋からは、スープや、ソースを作るのにどうしても必要な香味野菜や、
付け合せに使えそうな野菜、それに、数種類のハーブが出てきた。

「お前、これ・・・どうやって?まさか、盗んできたんじゃねえだろうな?」
「違うよ!ちゃんと、買ってきたんだ」
「買ってきた?金はどうした?」

ゼフは驚いた。金など、チビナスは1べりーも持っていない筈だ。
チビナスは、得意げに少し鼻の穴を膨らませて胸を張り、こう言った。
「直接、作ってる人のところに買いに行ったんだ」
「野菜作ってる人達って朝、早いだろ?」

「金もないのに、良く売ってくれたな」ゼフは根野菜の一つを手にとって見る。
まるまると肥って新鮮で、美味そうだ。
「掛売りして貰ったんだ。支払いは後でいいって」
チビナスは、束ねられているハーブを鼻先に持っていき、一息吸い込んで
その香りに目を細めながらそう言った。

「馴染みの奴らにも掛売りを断られるってのに、どうやって交渉したんだ」
重ねてゼフがそう尋ねると、
「それは、俺の腕だよ」とニンマリとチビナスは笑った。

「ああ?お前の腕?」意味が分からず、ゼフは聞き返す。
「そうだよ、俺の腕を見込んで、掛売りして貰えたんだ」

チビナスは、夜明け前に一件の農家を尋ねた。
何度か市場で見かけた事のある、人の良さそうな主人と妻、それにたくさんの子供達が
チビナスが訪ねた夜明け前、もう農作業の準備をする為に起きていた。

その慌しい最中に、野菜を分けてほしい、と主人に頼み込む。

まだ年端もいかない少年が言う事に、彼らも多少は同情したのかも知れない。
だが、丹精込めて作った野菜を、ただの顔見知りと言うだけで、素性の知れない少年に
ただで恵んでやるほど、彼らも豊かではない。

「気の毒だと思うが、ホントに金を払ってもらえるのか、わからないから・・・」
最初はやはり渋っていたと言う。
嫌がらせを受けて、店が困っている、と言う話まで聞いてくれた人の良さそうな主人とその妻に、チビナスは食い下がり、
「朝食と、弁当を作らせて欲しい」とチビナスは言った。

「その家にあった材料で、家族分の朝食と、弁当を作ったんだ」
「そしたら、これだけの腕があったら、きっと、店は立ち直れるって言ってくれた」
「店が立ち直ったら、まとめて払えばいいって。これからも野菜を分けてくれるよ」

そう言って、チビナスは笑った。
春の太陽の様な優しく眩しい笑顔に、ゼフは何も言えなくなる。

育てて、鍛えるつもりが、いつの間にか、勝手にチビナスはこんなに逞しく
成長している。それが嬉しかった。

1人きりだったら、きっと、何もかも嫌になって投げ出していたかも知れない。
あるいは、こんな状況の店を見限って、別の場所に逃げ出していたかもしれない。

だが、チビナスが側にいた。
この場所で、育てると決めた以上、その目的を遂げるまでは
ここから動きたくなかった。

チビナスを励まし、叩き上げて鍛えるつもりが、逆にチビナスに励まされ、
忍耐強い心を育てられている。

負けるもんか、と何度踏みつけられても、侮辱されても、顔を上げていられる。
ゼフは1人きりではない。いつも、チビナスが側にいる。
だから、強くなれる。辛抱強くなれる。

「仕込みだ。手と顔を洗って来い」
「うん!」
ゼフの言葉に弾けるように嬉しげに頷き、チビナスは部屋を駆け出して行った。

床に転がっている、麻袋からこぼれた野菜を拾い上げながら、ゼフはふと思った。
(・・・あいつ、こんな重たいものを背負って帰って来たのか)
チビナスの背は少しづつ伸びている。
毎日顔をつき合わせていると、なんにも代わり映えしないと思うが、
チビナスは毎日、確実に成長しているのだと、改めてゼフは感じた。

やがて、背もゼフを超える日も来るだろうか。
料理の腕も、足技も、自分を超える日も来るのだろうか。
そこまで考えた時、野菜を袋に戻すゼフの手が止る。

チビナスを鍛えるのは、海上レストランを成功させる為だけではない事を
急に思い出した。

(・・・ハナタレ坊主が、一人前になるまでの事だ)

自分の本当の夢は、海上レストランではない。
オールブルー、と言う奇蹟の海を見つける事、サンジはその夢を継いでくれる唯一の
人間だ。そう思うから、命がけで助けて、今、こうして一緒にいる。
自分の夢を継いで、旅立っていけるくらい強く、逞しい男に育てるのが、
ゼフの本当の役割なのだ。

「ジジイ、さっさと着替えて来いよ!早くしないと昼時に間に合わねえぞ!」
元気なチビナスの声に、ゼフはわざと横柄な声を装って怒鳴り返す。
「やかましい、分かってる!」

それから数日経った。
店は、少しづつ、客が戻り始める。

「ここの魚のスープの味がどうしても忘れられなくてさ」
久しぶりに訪れた客同士が交わす会話の中にそんな声が聞こえて来る。

丁寧に魚を下処理して、丁寧にアクをとるのが、チビナスの仕事。
それに味を足すのが、ゼフの仕事。
二人で作り上げる澄んだその魚のスープは、二人にとって、
何よりも大事な、大事な味だった。

(あの頃は、・・・)とゼフは、今、1人でバラティエの甲板から空を見上げて
思い出す。

嬉しい事も、悲しい事も、心が一つに重なっているかのように同じ様に感じていられた。
そんな風に心が繋がっている、と感じられた相手は、後にも先にも、
チビナスだけだった様に思う。

小さな小さな幸せを積み重ねて、その度に幸せだと感じる毎に、
いつか来る別離の日をゼフは想った。

いつか、チビナスが自分と過ごした日々を忘れて旅立つ日、
笑ってその背中を見送れる様な、強い男になれるだろうか、と。

あの日、久しぶりに、山積みの汚れた食器を前にして、
いい様のない嬉しさを感じた事を、チビナスはもう忘れてしまっただろうか。
それなら、それで構わない。
あんな些細な幸せを懐かしく思い出す必要もないくらい、毎日が幸せでいてくれたら、
それでいい。

悔し涙も、自慢げに小鼻を膨らませて笑った幼い顔も、今になっては、
ゼフだけの宝物だ。

かけがえのない日々だった。
けれど、もう、二度と取り戻せない。

そんな日々を懐かしむ事で、ゼフは体に溜まっている疲れを癒す。

「オーナー、お食事が出来ました」

誰かがゼフを呼んでいる。
「おう」と答えて、空と、自分の追憶の中の風景を見ていた眼差しをゼフは
足元に向けた。

柔らかな日差しが優しい影法師を甲板の上に作っている。

ゼフはそれを見て、また一つ、自分の中の宝物を思い出した。

「久しぶりに満席だったな」と心地よい疲れに伸びをしながら、ゼフは店の外で
大きく背伸びをする。
「賄いの分まで材料使ったから、俺達のメシがねえよ、ジジイ」と
腹の虫を鳴かせたチビナスがその隣に立っている。

さっきまで降り続いてた雨が止んで、空は晴れ渡っていた。
土がむき出しの地面はどろだらけだったけれども、太陽の光を水溜りが反射して
何もかもがキラキラと光って見えていたような気がする。

「さっきまで雨が降ってたなんて嘘みたいな空だ」とチビナスが空を見上げて
そう言った。また、一つ、腹が小さくキュルル・・・と音を立てる。
「何か作ってやるから、その虫、黙らせろ」とゼフは笑った。

ぬかるんだ地面に二つの影が並んでいた。
立っている場所の所為なのか、それとも太陽の加減なのか、その大きな影と
小さな影は、少しだけ、重なっている。

一度も手など繋いだ事などない。
けれど、地面に落ちている二つの影法師は、手だけが重なっていて、
まるで二人が手を繋ぎあっているように見えた。

ゼフだけがそれに気付く。
影が重なっていた、右手だけがほんのりと優しく温かくなったような気がした。

あの日と同じ色の空の下、ゼフは一つきり、寂しげに伸びた影法師を眺め、
そっと自分の右手を眺める。
自分の手を眺めている筈なのに、瞼にはまた、旅立っていったあの日に見た、
小さい頃と少しも変わりない、チビナスの、サンジの、泣き顔が浮かんだ。

今はもう、あのチビナスにしてやれる事は何もない。
ただ、こうして、時折思い出して、幸せであれ、と願うだけだ。

どこにいても、同じ季節の空はいつも同じ色。
何年経とうが、同じ風景を見ている様な気にさせる。

そして、そんな空の色に気付く度、一人、ゼフは空を見上げて、
チビナスと過ごした日々の事を懐かしく思い出す。

(終わり)



最後まで読んで下さって、有難うございました。
これはタイトルでもおわかりと思いますが、平●堅の歌です。

あ、タイトルは「思いが重なるその前に」でしたね。

君の目にうつる 青空が悲しみの雨に滲んでも  その時は思い出して
笑い会えた今日の日を

肩落とす君を見るたびに、連れ出すのは僕の方なのに
時々わからなくなるよ

僕が救われてるんだ

その掌は虹もつかめるさ 君だけの歌をラララ・・・探しに行こう

ねえ いつか君は 僕の事を忘れてしまうのかな
その時は君に手を振って ちゃんと笑ってられるかな

ねえ そんな事を隣で君も思ったりするのかな
想いが重なるその前に 強く手を握りろう

誰といてもひとりぼっち   唇かみ締める時には
またここに来て同じ空を 何も言わずに見上げよう

と、まあ、そんな歌詞の歌です。

歳食ったからって、大人になるんじゃなく、たとえば、親になって初めて感じる自分自身の
成長って言うのもあるんですよね。

海賊の船長だったゼフが、チビナスを育てていくつもりが、ぎゃくに
チビナスに励まされたり、人間として成長していく様子を書きたかった・・・・のかな?

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