「これくらいの事で見損なうくらいなら、最初からお前なんか相手にしねえよ」
「血まみれだろうと、クソまみれだろうと、・・・・」

あの桜が咲き乱れる島でサンジが言った言葉が、海に出てからもゾロの心の中に
こびりついて離れない。

思い出す度に、頭の中にその時の風景が蘇える。
息を飲む程の桜色の世界の中、サンジが自分だけを見ていた。

夜中にログが示した島に着き、今夜は上陸せずに沖合いに停泊している。
ゾロは一人、見張り台の上にいて、半分欠けた銀色の月を見上げていた。
自分の周りは濃紺の闇が広がり、香るのは潮風だけなのに、あの時のサンジの言葉、
声、姿を思い出すと、今でも桜色の風に包まれている様な気がする。
そして(・・・見惚れたな)と思い、そんな自分を自嘲する。

あれから、サンジとの間になんの進展もない。
相変わらず、仲間の前では些細な事で喧嘩ばかりしている。
時折、ほんの偶然に二人きりになれる時間を見つけた時でさえ、他愛ない会話をただ重ね、手を伸ばせばいつでも触れ合える距離にいる事に安らぎと嬉しさを感じ合うだけだ。

いつしか、月の輝きが徐々に白んでいく空の色にぼやけていた。
もうあと二時間程すれば、サンジが朝食の準備をする為に起き出して来る時間になる。

コツコツ・・・と誰かが甲板を歩いている音が聞こえ、ゾロは見張り台から身を乗り出して下を覗き込んだ。

「・・・サボらずに起きてたか」
そう言ってサンジがゾロを見上げている。
甲板の上には、うっすらと灰色のサンジの影が落ちていた。
「ちょっと早い朝飯持ってきた。降りて来いよ」

二人は、沖に停泊した船が見える岸に上陸する。
幸い、この島も春島で今夜はまるで初夏の朝のように気温が高い。
ズボンの裾をめくって、浅い海を歩いても、全く寒さは感じなかった。

「こんな朝方にピクニックかよ。酔狂だな」
先に立って歩くサンジの後ろを歩きながら、そう言った声が自分でもはっきりと
分るほど弾んでいる。
サンジは黙って少しだけ振り向いた。前髪で隠れた目はどんな表情を浮かべているのか
ゾロには見えなかったが、ほんの僅かに見える煙草を銜えた口元は、柔らかな笑みを浮かべている。

防波堤を越えると、小さな漁村がまだ寝静まっている。
「ほう・・・」サンジが指差した、その場所を見てゾロは思わず声を上げた。
「匂いがしたから、きっと側にあると思ったんだ」
そう言ってサンジは得意げにニっとわらってゾロを見た。
「この場所からの匂いが分ったって?てめえの鼻は犬並みだな」
ゾロはそう言い、サンジに微笑み返す。

それだけの事で、胸の中、体の中全てに、この春の夜の空気の優しい温もりに浸されたような気分になれる。

そこは、小さな広っぱだった。
恐らく、この漁村の子供達が遊んだり、老人達が立ち話をする様な場所なのだろう。
そこをぐるりと囲む様に、桜の木が植えられていて、どの木も桃色の花をたわわに咲かせている。
もう盛りを過ぎようとしていて、風が吹く度に、まるで綿雪の様に花びらが散った。

「夜桜見物ってのは良く聞くが、こんな朝っぱらから花見なんて聞いた事がねえ」
晴れやかな気持ちで、何気なく見上げた空が黄金色の太陽の光に染められていく。

漆黒の闇の中ではせっかくの初々しいあの桜色がただの白にしか見えなかったのが、
その黄金色が混ざった柔らかな光の中で、少しづつ、少しづつ、まるで
白が桜色に染まって行くように鮮やかにゾロの目に映る。

聞こえるのは、波音と目を覚まし始めた小鳥の鳴き交わす声、そして風に揺れる桜の
木の枝が鳴る音だけ。饗宴をにぎわす歌声も、酒に浮かれる笑い声もない。
「・・・こういうのも・・・静かでイイもんだな」
ゾロがそう呟くとサンジの目が(そうだろ?)と相槌を打っていた。

一際枝ぶりの立派な、一番花をたくさん咲かせている木の下に二人は座り、
白々と明けて行く空を、桜の枝越しに透かして眺めた。
「朝飯」そう言って、サンジはゾロの膝の上にポン、と箱に詰めた弁当を置く。
丁寧に布で包まれたそれをゾロは開いた。
(・・・これ・・・)その中身を一つ一つ目で追う。その間、ゾロは瞬き出来ない。
どんな食材をどんな風に料理すれば、ゾロが思い描いていた料理になるのか、
ゾロは知らない。だが、膝の上に広げた箱の中には、ゾロが知っている、
「桜を見ながら食べる」と思い込んでいた、地味な色合いの、味をしっかりと沁み込ませた料理が華やかに詰め込まれていた。

「米の酒に合う肴、だろ」
サンジはそう言って、小瓶をゾロの鼻先に突き出す。
「米の酒だ」
余りにも思いがけない事に、ゾロは咄嗟に何も言えない。
ありがとう、だの、すまねえなだの、そんなありきたりな言葉では、息をすることさえ忘れそうなこの感情には全く役不足だ。
相応しい言葉が見つからず、ゾロはいたたまれずに、好物の一品をまず、口に含んだ。
香ばしい香り、素材の持つ甘みと旨み。それと、春に芽吹く葉っぱの芳しい香りが
口の中一杯に広がり、飲み込んでもまだその食べ物の味が舌の上に軽やかに残る。
けれど、それは旨みだけを残してす・・・と消えて、一口味わっただけでは、とても満足できない。
だが、無我夢中で食べるには、余りにも惜しい。それに、その前にどうしてもサンジに
聞かなければならない事がある。

「・・・なんでこんな事」
「・・・これでいいのか?」

ゾロの問いかけと殆ど同時にサンジがゾロに尋ねてきた。
そして、ゾロが答えるより先にサンジはゾロを見ず、桜の花びらが散っていくのを
目で追いながら、ゆっくり、静かな口調で重ねてゾロに尋ねてくる。
「小さい時、どんなところに住んでた?」
「どんなモノを食って、どんなモノが好きだった?」
「どんなモノをどんな時に食べてた?」

ゾロが答えあぐんでいると、サンジはゾロの方へ顔を向け、少し困ったような笑みを
浮かべる。
(そうか)ゾロはその表情を見て、初めて気付いた。
自分達は、生まれた環境も育った土地も違う。
食べ物も、その嗜好も違って当然だ。
桜を見ながら米の酒を飲み、その酒肴を楽しむ、と言う風習をサンジが知らなかったのも
無理はない。
それなのに、サンジの用意した料理にケチをつけ、ふて腐れて宴席から離れるなど
余りにも身勝手過ぎた。
「・・・そんな事、今まで話した事なかったな」
ゾロは瓶に口をつけ、酒を口に含んでゴクンと飲み下してからそう呟いた。
「これからは・・・そう言うのも聞かせろ」
「そしたら、もっと・・・その・・・」
今度はサンジが言葉を言いよどむ。
ゾロが持っている酒の瓶を乱暴に引っ手繰って、サンジはグビグビと勢いよく飲んだ。
そして、それを飲み下すと、ふう・・・と大きくため息をつく。
そして、またあらぬ方向に視線を向けた。もう酔ったのか、横顔がほんのりと赤らんでいる。
「そしたら、もっと・・・どうやればお前が喜ぶかとか、・・・ちょっとはわかるだろうが」
(え・・?)
その言葉、サンジのその気持ちは、ゾロの耳を介さず、直接ゾロの心に響いた。
息すら出来ないくらい、苦しいとさえ思うくらいの喜びが、喉の奥から
せりあがって来る。ゾロは、そんな感覚を感じたのは、生まれて初めてだった。

息が出来ないのは、嬉しさで胸が一杯だからだ。
苦しいのは、サンジを力いっぱい抱き締めたい、と言う衝動を堪えているからだ。

サンジには、ただ、自分の想いを受け入れてくれさえすればそれだけでいいと思っていた。
自分がサンジを想う気持ちと同じ分だけ俺を想ってくれ、と願っていても、
人の心は誰に制御出来るものではないのだから、それは口には出来ない。

一体、どれだけ、どんな事をして、お前は俺の想いに応えてくれるのか。
常にサンジと向き合う時、心の中でそんな問い掛けをする事が多くなっていた。
そしてそう問い掛ける度、答えが返ってこない分、想いと同じ分だけ不安も募って行った。

そして、この新しい一日の、一番最初の光に照らされていく桜の下で、
サンジはそのゾロの不安を、春風のように優しく、温かく、拭ってくれた。

体だけが向き合っているのではない。
心もちゃんと向き合っている。それがゾロは無性に嬉しい。
嬉しくて、サンジを抱き締め、嬉しい、と言う気持ちをありったけ伝えたい。

だが、体は何かに竦んだように弁当箱を抱えたまま動けずにいる。
だから、苦しい。

「今日は、ケチをつけねえところを見ると、これでよかったみてえだな」とサンジに
言われ、ゾロは大きく頷き、「ああ、文句なく、美味エ」と答える。

そのゾロの何気ない言葉がどんなにサンジにも、ゾロが今感じている様な
嬉しい苦しさを与えるかをゾロも自覚していない。
酒を飲み、肴を食べているゾロを、サンジはとても子供っぽい、思いがけなく誉められて
固まってしまった子供のような顔で見つめていた。

その顔が余りに無防備だったから、ゾロは躊躇いを感じることすら出来ずに腕を伸ばす。
気がつけば、膝の上に弁当を置いたまま、サンジの体を抱き寄せていた。

肩の上に凭れさせたサンジの頭の上に桃色の花びらが何枚も乗っている。
細い髪は少し冷たくて、滑らかな感触が指に心地よい。

「・・・世界一の剣豪になりてえんだったら」
「下らねえモン食って命落とすようなヘマするな」

そう言われ、ゾロの頭の中でまたあの日の、光景が蘇えった。

「・・・やめろ・・・っ!」
「勝負はついてる・・・なぶり殺しにするな・・・っ」

そう言わなければ、サンジはとっくに勝負がついていたあの賞金稼ぎ達を
全員、見境なく殺していた。いや、殺すだろう、とその時ゾロは本気でそう思った。

いざ、戦闘となった時、冷静で無駄のない動きをするサンジが、何故、あんなに
凶暴に、敵意と殺意と憎しみを剥き出しにしたのか。
その理由が、サンジの呟いた一言でやっとゾロに分った。
(・・・俺のために頭に血が昇ったのか)

口付ける勇気もなくて、ゾロはサンジの髪に自分の顔を押し付ける。
今はそうするだけが精一杯の感情表現だった。
「そうだな」
「俺にとっちゃ、お前の作る食い物が・・・世界で一番って事だな」

言い過ぎだ、気持ち悪イ、と言ってサンジはゾロの体に凭れたまま、嬉しそうに
笑った。

手を伸ばせば、いつでも届く。
それはじゃれ合うように触れ合うだけで、まだその距離は歯痒いほど遠い。

けれど、もどかしい程の速度ではあるけれど、
ゾロの掌がサンジの体を温める度に、ほんの少しづつ、体と心の距離は近づいていた。





最後まで読んで下さって、有難うございました。

「桜」のss、レストラン風味だと、こんな感じです。

桜の下で、桜モチを食べながら、お茶をのみたいです。


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