真冬のオールブルーは、空も海も白い。
「この入り江に、小さな教会みたいな建物を立てようと思うンだ」

サンジがそう言ってゾロを連れてきたのは、店にしている船が浮かんでいる入り江ではなく、そこから少し砂浜沿いに歩いたもっと小さな入り江を見下ろす低い丘の上だった。

「レストランで結婚式をあげるカップルもいたけど、やっぱり、女の子は」
「白いドレスに白いベールを被って、真っ赤なバージンロードを歩くのも夢だろうし」

サンジの細く艶やかな向日葵色の髪が、海の泡まで凍てつかせ、それを吹上げる潮風に
踊るのを見ながら、ゾロはサンジの言葉に耳を傾ける。

ゾロの目には真っ白な海、真っ白な砂浜、そこはただ、白一色の風景だが、
サンジの頭の中には、そこが鮮やかな蒼に彩られている風景がくっきりと浮かんでるのだろう。

「夏は、真っ青な空に真っ白な雲が掛って、カモメが飛んで、太陽がサンサンと
照りつけて、それにここの砂浜の砂は白っぽいから、それが反射してそりゃ、
ワクワクするくらい、いい場所なんだ」
相槌は言葉ではなく、ただ、サンジを見つめているだけで良かった。
「春には、たくさん花の咲く樹を植えてある。ここで結婚式をあげたんだって」
「一生、大切な思い出にしてもらえるくらいに、綺麗な場所にするんだ」
「秋は?」ゾロは嬉しそうに話すサンジの言葉をそう言って急かした。

「秋はどんな風な海なんだ、ここは」

ゾロはどこもかしこも白い風景しか見る事がない。
どんなに海が美しく輝いていても、夕陽が熱い温度を思わせる程の紅色で海に沈んでも、
サンジとそれを一緒に見る事は今まで一度もなかった。

ゾロの短い言葉の中に、そんな思いが滲んでいる事をサンジはすぐに悟る。
少年が夢を語る時のような無邪気で眩しい笑みが冷たい潮風の中に溶けて消えた。

「お前が見てきたどんな海よりも、グっとくる秋色の海だ」
サンジはそう答える。

それを見たいと思うなら、ずっとここにいればいい

そんな言葉が煙草を咥えたままの口から、絶対に出て来ないとゾロは知っていた。
ただ、曖昧に笑っている様な口元でも、蒼い海と同じ色の瞳の中には
寂しさや切なさが篭っている事も、知っていた。

だから、ゾロも曖昧に笑う。
そして、時にはそんな意地や強がりを粉々にしてしまいたくなる。
「俺はお前よりももっとたくさん海を見てきたんだぜ」
「こんな、寒いだけで真っ白な海なんかよりも、もっとグっとくる景色だ」
「お前が見た事ないだけで、ここより綺麗な海はいくらでもある」

連れて行ってやる。
その海をただ、見る為だけでいい。

素直でないのは、自分も同じだった。ゾロは喉まで出掛けた言葉をまた飲みこむ。
何度、そうやって同じ気持ちを篭めたたくさんの言葉を飲み込んで来ただろう。

「ここが秋色に染まるのを見せてやるさ、」サンジは呟くようにそう言って
波打ち際にゆっくりと歩いて行く。サク、サク、と雪と固く凍りついた砂を踏みしめた
サンジの足跡は、柔らかな泡に凝った波では消えないで、砂浜にしっかりと残っていた。

「いつかな」溜息の様にサンジはゾロに背中をむけてそう呟いた。
雪の中に揺れる長い髪は、会わないで過ごす時の長さをゾロに教える。

「ここよりももっと綺麗な海があるってこと、俺も教えてやるよ」
同じ歩調でサンジの歩いた足跡を消さないようにゾロはサンジの隣に歩み寄る。
「いつか、な」サンジの口調を真似し、そう言うと、サンジは風を避ける様に
少しだけ俯いて、苦笑いの様に口元を綻ばせた。

「ここより綺麗な海なんて、ハッタリだ」とサンジは顔をあげて、
ニヤリと勝ち誇った様に笑う。「ある筈ねえ」

「ああ、ハッタリだ」そう言ってゾロも笑った。
「ここより綺麗な海なんて世界中どこを探したってある訳ねえ」
白と向日葵色と、雪に見失いそうなほど小さな青色、そして自分の緑の髪、
それだけしか色のない世界でも、ゾロにとってはここは世界一美しい海だ。
息を飲むほど赤く染まる海も、温かな陽光に煌く海も、ここには到底敵わない。
この海がどの海よりも美しいと思えるのは、側にサンジがいるからだ。
そして、ゾロがそう思っていることをサンジは知っている。

愛しいと何度も何度も自覚する度に、離れている時間の寂しさをゾロは思い出す。
いつか、と口では言いながら、その「いつか」が本当に来るのか、その「いつか」は
何時なのか、それをはっきりと尋ねて、サンジの本音に触れて見たい。
意地や強がりを壊そうとして、結局、いつもゾロは自分のその殻を自分で壊して
サンジに曝す。

「だから、探して見てえと思う」
「お前となら、見つけられるかも知れない」
どんな言葉が返って来ようと、今更、ゾロは何も怖くない。
本音を曝せば、例え、それが言葉ではなくても、眼差しや温もりでサンジは必ず、
ゾロの欲しいサンジの本当の想いを投げ返してくれると信じていた。

「そんな海がホントにあるなら、俺を連れて行ってみせろよ」
「この海でなすべき事を全部、やり終えたらどこにだってついて行ってやるよ」

そして、時折、ゾロが受け止めきれない程の感情をサラリと口にする。
「なすべき事を全部やり終えたら」それが一体何時になるのか、そんな愚問すら
咄嗟に聞き返せない程の幸福感にゾロは何も言えなくなる。

「その言葉、なんか証拠残せよ」と子供の様な駄々を捏ねる事しか考えつかない。
「ほう、じゃあ、その証拠はなにがいい?」と
サンジはそんなゾロをからかう様に皮肉っぽく、ゾロの肩に手を回しながら
尋ねてきた。

鼻をくすぐる嗅ぎ慣れたサンジの匂い、サンジの温もりがかじかんだゾロの頬に沁み込む。

「今度来る時、さっきの場所には教会っぽいのが立ってるんだろ」
「そこで俺に誓え」
「"なすべき事を全部やり終えたら、どこにだってついて行く"ってな」
ゾロもサンジの腰に手を回し、吹き荒ぶ冷たい潮風に負けない声でサンジに
そう言った。

「どうだかな、気が替わってるかも知れねえし」とサンジは可笑しそうに笑う。
「教会なんか建てねえかも」

「教会じゃなくてもいい」ゾロは力一杯、サンジを抱き締めた。
はぐらかされたり、茶化されたりしない、もっとはっきりした形と約束を
どうしても今、欲しいと思った。

「さっきの言葉、俺に誓え」
約束よりも、もっと神聖で、もっと強固な証になるような気がして、ゾロは
サンジの息が苦しくなるくらいに強く、サンジを抱き締めそう言った。

この海の荒れが治まったら、やがてオールブルーには温かな風が吹き始める。
そうなると、雪は一気に解け、凍て付いた地面からは冬の間に生命力を蓄えていた
植物達が一斉に芽吹く。
それは、ゾロがこの海を去る季節の到来を意味していた。

夢を守り続けるサンジに釣り合う男で在る為に、更なる強さを求めて旅に出る。
大勢の剣士達の目標、夢を背負ってゾロは生きて行く。
殺伐としたゾロが生きる舞台はこの世界一美しい海ではないのだから、
ゾロは流浪する様にサンジの側から旅立って行く。

「誓わなきゃ絞め殺されるな」
サンジはまた飄々と言い、ゾロの目を真っ直ぐに見つめた。

「その前に俺にも誓う事があるだろ」
そう言われて、思わず、ゾロは腕の力を緩める。
「お前がここに帰って来なきゃ、誓えねえだろ」
「そうか」サンジの言葉に思わず、ゾロは頷く。

「誓うか?俺に」サンジの言葉にゾロは深く頷く。
「じゃあ、今度お前が帰って来たらその時俺も誓ってやるよ」

そう言ってサンジはするりとゾロの腕を解いて、少し後ずさって、
「"なすべき事を全部やり終えたら、どこにだってついて行く"ってな」
そう言って笑った。

(終り)