ゾロは、サンジの右手に握りこまれたナイフのこびり付いたドス黒い汚れが目についた。
瞬時にそれが人間の血だと確信する。
「影」は、ゾロとウソップの視線に気が付いた。
あいつら、なんて、間の悪い・・・・。
サンジは意識の中で、舌打ちしたい気持だった。
こんな有様を仲間に晒したくはないし、何より、見境なく人を殺す悪魔に支配された体は、
彼らを傷つけてしまうかもしれないのだ。
ゾロの腰の刀のうちの一振り、「鬼徹」が鍔を鳴らし始めた。
「刀」をぬけ、とゾロに強請っている様だ。
サンジの体から、明らかにサンジのものではない、気配をゾロは感じた。
「サンジ!!」ウソップには、サンジのその不可思議な様子が判らないらしく、
いつもどおり気楽に声をかけ、駈け寄ろうした。
目の前の二人の人間のうち、一人は自分の気配に僅かに感づいたようだ。
それほどの鋭い勘を持つ人間にとりついたところで、
今の宿主である、「金髪の男」と同じ自由にならない、不便な「入れ物」に
閉じ込められて、苦痛を感じるだけだ。
だが、もう一人は自分の存在に全く気がつかず、無防備に近寄ろうとした。
この男なら、自分の思うままに動く体を与えてくれるだろう、と判断する。
そして、「影」はウソップに次の「宿主」になってもらおう、と決めた。
駈け寄ろう下ウソップをゾロは制した。
「おかしい。あいつに近寄るんじゃねえぞ。」
ゾロは表情を固くしてウソップの腕を掴んだ。
ゾロのその挙動不審な態度に、ウソップは訝しげな表情を見せる。
当然のリアクションだ。
「なにが・・・?なにいってんだ?」理解できなくて当然である。
が、説明できるほど、明確なわけでもない。
ただ、目の前のサンジがサンジではない、と感じるだけである。
「よお。」二人が佇んでいる場所まで、「サンジ」は近寄ってきた。
サンジの声はいつものサンジの声だ。
ゾロは用心深く、サンジを凝視する。
さすがだな。気がつきやがった。
さっさとウソップを連れて逃げろ。
「影」は、突然動いた。
ウソップにナイフを突き出したのだ。
その切っ先はウソップの鼻先をかすめ、その長い鼻の先に糸のように
細い傷をつけた。
「影」は、ウソップを殺すつもりはない。
目の前でウソップを襲い、自分の存在に気がついている「剣士」に
「金髪の男」の命を奪わせるつもりなのだ。
ただ、この二人が特別な関係であることなどは知る由もない。
そして、「剣士」が携えている刀が人の命を吸い取る「妖刀」だということも知らない。
「サンジ」は、間断なく、ウソップにナイフを突き出して、体にいくつもの傷をつけた。
「逃げること」「避けること」に長けているウソップだからこそ、大打撃には至らないが、
そのナイフの切っ先はウソップの体に容赦も、躊躇もなく、突き立てられようとしている。
突然、金属音が響いた。
「いい加減にしろ。」
「サンジ」のナイフをゾロが抜いた刀で受け止めた。
どす黒い歓喜が、「影」に支配されたサンジの端正な顔に浮かぶ。
何故、サンジがこんな状況になったのか、理由がわからない。
催眠術や、暗示の類なのか、とゾロは考えた。
「サンジ」は、すぐにナイフを引き、ゾロの腕めがけてナイフを突きたてた。
が、そんなことをゾロが甘受するわけがない。
すぐに刀を峰打ち出きるように握り替え、サンジに打ち下ろした。
「影」は、この剣士が「金髪の男」を殺す気がないことをその仕草で察した。
「仕方ねえ。」サンジの声で、「影」は呟いた。
「殺してくれた方が、手っ取り早いと思ったんだが、お前はこの男を殺せねえらしいな。」
「サンジ」の姿をした、その男に話かけれられ、ゾロの動きが一瞬止まる。
「・・・てめえ、一体なんだ。」
ゾロは低い声で目の前の理解不能な存在に尋ねた。
「俺は、血が何よりも好きな幽霊さ。」
サンジの口を借り、ゾロに「影」は自分の目的と習性を語った。
「宿主」が死ななければ自分はこの体から出られないこと。
「サンジ」が強情で体が思うままに動かないこと。
「サンジ」を精神的に殺すよりも、他の宿主を探した方が楽なこと。
「・・・・なるほどな。納得したぜ。」
ゾロは「幽霊」の話を最後まで聞き、サンジの身に起こった出来事の顛末を知った。
「なら、強い奴の方が良いんじゃねえのか。」
「俺の体は、そいつよりもたくさんの血を吸ってる。相性は良さそうじゃねえか。」
ゾロは抑揚のない声で「幽霊」にそう言い出した。
「てめえがどれほど血が好きかしらねえが、おれも強いやつの血は好きだ。」
「俺にとりつけよ。いくらでも、血を吸わせてやるぜ。」
何、言ってるんだ・・・・?
サンジの心がざわめく。ゾロの意図は、自分を助けるために
「幽霊」を誘っているのだ、ということはわかる。
だが、そんなことをしては今度はゾロが自分のような目にあうのだ。
「鷹の目」を目指すどころではない。
見境なく、人を殺す残虐な「殺人者」になってしまう。
冗談じゃねえっ・・・
そんなことはさせたくない。
サンジは再び、意識を強く持ち、「幽霊」家ら体を取りもどそうと、五感を研ぎ澄ました。
途端に、全身に無数の長い針を一度に突き刺されたような激痛が襲う。
「幽霊」も悲鳴を上げた。
「グっ・・・余ほど、お前に乗り移るのが嫌らしいぜ。きつい抵抗をしてきやがった。」
体を折り曲げ、「サンジ」の体を擦りながら、ゾロの提案にやぶさかでない
言葉を臭わせた。
「このまま、俺を苦しめつづけても、てめえが消耗するだけでだんだん弱っちまうんだ。
そして、最後には勝手に縮こまって、消えてしまう。そう言う奴もいるぜ。」
確かに、意識だけのはずなのに感じる激痛は、体に打撃を与えるように、
精神も同じように打撃を受ける。実際、サンジの意識はさっきの抵抗で既に
薄くなっていた。
「こいつを助ける方法はないね。心が死ねば、体は俺だけのもの。
体が死ねば魂は自由になるし、余計な罪の意識を持たなくてもいいが、
本当に死んでしまうんだからな。」
「幽霊」は、ゾロにどちらを選択してもサンジを救えないことをおかしそうな口調で
喋った。
「俺はあいつを助ける。」ゾロは短く、言葉を吐き出した。
緑の瞳には、覚悟を決めた、強い光が放たれている。
「夢を叶えられないで、体だけを生かしておいても、意味がねえからな。」
「それなら、自由にしてやる方があいつは喜ぶだろう。」
そう言うと、迷いを振り切るように「鬼徹」を抜き払い、そのままサンジの体を
刺し貫いた。
サンジの耳元で、ゾロは小さく何かを囁いた。
「・・・・、・・・ってろ。」
「ゾロオ!!」ウソップの叫び声が閑散とした深夜の表通りに響いた。
ゾロはサンジの身体を刺し貫いた。
途端に、その体から黒い煙のように影が立ち上った。
そして、ゾロにも全く予想もつかない現象が起こった。
サンジの体を貫いている、「鬼徹」の銀色の刀身に影が吸いこまれていく。
吸いこんでいる間、まるで飢えた獣が久しぶりの獲物を美味そうに
貪り食うような歓喜の気配を「鬼徹」はその鍔鳴りでゾロに伝えた。
影の気配が消えると同時に、鍔鳴りは止み、獰猛な「鬼徹」の気配も収まった。
「サンジ!!」
ウソップはサンジに駈けより、すぐに体に突き刺さっている刀身を引きぬこうと柄に
手をかけた。
「止めろ、触るな!!抜くんじゃねえ!!」
ゾロは血相を変えて、ウソップを突き飛ばした。
「すぐ、チョッパーを呼んで来てくれ。動かさなきゃ、助かる。」
「おう、わかった!!」
ゾロに言われて、ウソップはすぐにゴーイングメリー号へ向かって走り出した。
ゾロは、サンジの体に衝撃を咥えない様に、そっと抱き上げ、往来の端に運んだ。
サンジの口の端から、血が一筋流れる。
ゾロは歯を食いしばり、サンジの血色を失った顔をじっと眺めた。
絞り出すような声でサンジに話しかける。
「死ぬなよ。・・・・絶対エ、死ぬな。」
ゾロは取り乱しそうになる気持を必死で押さえていた。
チョッパーがウソップに連れられて、すぐにやってきた。
サンジの状態を見て、チョッパーは顔色をなくしたが、
「ゾロ、ウソップ、松明を焚いて。出来るだけ、明るくしてくれ。」
チョッパーは人型に変身し、さっそく手術を開始した。
ゾロの手を借りて、サンジの体からゆっくり、ゆっくりと刀を引きぬく。
ゾロは、鎖骨の少し下、肺を刺し貫いていた。
チョッパーでなければ、その場で絶命していただろう。
とにかく朝日が昇るころ、ようやく最後の縫合をすませ、船にサンジを運び込んだ。
サンジの意識は戻らない。
チョッパーは、難しい手術をした所為で酷く疲れて、「何かあったら、すぐに起して」と
言って、男部屋で休んでいる。
事情を聞いたルフィがサンジに付き添っている。
ゾロを責める気はない。
ただ、ただ、やるせない気持で一杯で、押し黙ったままサンジの顔を眺めていた。
リキは、サンジの後を追ったが、見失っていた。
だが、街になんの異変もないことが却って不気味で、まだ、あちこち「化け物」の
痕跡を探して歩いていた。
ゾロはサンジの側にいたかったが、手に残るサンジの体を貫いた感触を忘れたくて、
甲板で無理矢理眠ろうとしていた。が。神経が逆立って眠れなかった
サンジは、疼く傷の痛みで覚醒した。
思わず、呻き声が上がった。
(生きてる・・・。ああ、生きてるんだな、俺・・・)
ぼんやりと自分の生を確信した。
ルフィの顔が見えた。
その嬉しそうな表情を見て、サンジの心から沸き立つように笑みが浮かんできた。
何かいいたいけれど、声が上手く出なかった。
ただ、笑って見せるだけで、ルフィの顔が輝いた。
「皆を呼んでくる!!」そういって、部屋を出ていった。
(ここ、ナミさんの部屋か・・)
部屋の様子を眺め回して、自分の状況を把握した。
(あれは、どうなったのか・・・?)
自分の体を支配していた、あの不気味な「影」はどうしたんだろう。
サンジは、天井を見上げて記憶を辿る。
最初から、順番に考えている最中、チョッパーが入ってきた。
「サンジ。気がついた?気分はどう?」
思考の途中で声をかけられ、サンジの覚醒したところで上手く回らない
頭ではそれ以上考えるのは無理だった。
サンジは、声のかわりにやはり、チョッパーにも微笑んで見せた。
チョッパーは、サンジの包帯を解き、傷口を丁寧に診察した。
「ゾロはさすがだね。1センチでもずれてたらサンジは助からなかったよ。」
サンジはその言葉で、やっとゾロに刺されたことを思い出した。
そして、その時自分に囁いた、ゾロの言葉も鮮明に思い出した。
チョッパーが出ていった後、ウソップがやってきた。
一度に押しかけるとサンジが疲れるので皆、顔だけ見て余り長居をしてはいけない、と
チョッパーに言われているらしい。
「・・なんだ?」
ウソップは、サンジの口が僅かに動いたのを見て、枕元に顔を寄せた。
その鳩尾に鈍い音を立てて、サンジの膝が食いこむ。
ウソップは声も立てずにサンジの体に覆い被さるように意識を無くした。
サンジはウソップの体をずらして、起きあがった。
女部屋から通じている扉を開いて、男部屋に移動し、着衣を身につける。
気力だけが体を動かす。
ここには、もういたくない。
いられない。
逃げ出したい。いや、実際逃げるのだ。
サンジは自分で自分を追い立てた。
ゾロのことを思い出した時、こうするしかない、と思った。
考えこんでも仕方が無いことだ。
突き動かされる衝動のまま、後先考えず、まして、自分の体の事など
どうでもよく、動けるならばゾロにも、誰にも気がつかれない内に
姿を消したかった。
ゼフから譲られた包丁だけがキッチンにあるがそれを取りには行けない。
誰の目にもとまらず、自分が船を下りた、という痕跡を残したかった。
サンジは、自分のハンモックだけをたたむと、荷物を持ち、窓から縄を伝って、
港に降りた。
焼きつくように、傷が痛み、息を吸うごとに肺が軋んで血の味が口に広がる。
こんな状態で動ける自分の体に驚きもするが、感謝もした。
ナミが部屋にやってきた時、ベッドにはウソップが倒れこんでいた。
「サンジ君・・・?」
ウソップをどかせ、布団をめくってみると、僅かに温かく、
ついさっきまでそこに熱をはらんだ体が横たわっていたことが判った。
ナミは慌てて、甲板へ走り出て、叫んだ。
「大変よ!!サンジ君がいないわ!!」
その声を聞いて、皆が血相を変えてなみのもとへと駆寄ってきた。
「いないって、あの怪我で・・?」
チョッパーは信じられない、といった面持ちで呟く。
「探しに行こう。そう、遠くへは言ってないはずだ。」
ルフィの一言で全員が船を降りた。
船番の必要があるのに、誰も船の上でジッとしていられない。
サンジは、体を引きずるようにして、身を潜ませる場所の心当たりへ足を向けた。
事の発端である、リキのところである。
自分がこうなったのは、もとはといえばリキの所為だけれど、
それを責めるつもりは無い。
ただ、金も無く、身動きできない自分を匿ってくれるだけでいい、と思った。
しばらく、自分を探すだろう 諦めの悪い麦わらの船長から
彼が探すのを止めてこの島から船を出すまで、自分を隠してくれればそれでよかった。
・ ・・死ぬかも知れねえしな。
サンジはふと、そんなことも考えた。いっそ、死んでその亡骸を見れば
いくらルフィでも諦めるだろう。
そこまで考えた時、一気に気力がつきた。
地面に倒れこんだサンジは、誰かに抱き起こされ、名前を呼ばれていることを
薄くなった意識で受け止めた。
「ナス・・・・っ」
リキはサンジの熱い体を抱きとめ、血色のない顔色に気がつき、動揺を隠せない様だった。
「リキ・・・」
自分の名を呼んでいるのがリキだと判ると、サンジは再び意識を失った。
二人が出会ったのは本当に偶然で、よろめく足取りで港から街へ、
リキの館へと足を進めていたサンジと、今日も街へサンジを探しに出かけようとしていた
リキが再会した時と全く同じ場所で鉢合わせしたのだった。
リキはすぐにサンジを屋敷に運び込み、横たえた。
高熱の所為か、サンジはうわ言を呟いている。
一目で命が危ない、と判断した。
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