その頃、ゾロは 道場の娘、くいなに挑むべく、山の中に独自の特訓法を
編み出して 日夜 稽古を積んでいた。

そのゾロに倣い、その場所では ゾロのような少年剣士達の貯まり場になっていた。

ある時。

ゾロがその場所で稽古に一人で励んでいると、後ろから 誰かが 乱れた
足音を立ててながら 走ってくる気配を感じた。

「誰だ!!」

ゾロは、仲間うちの誰かだと思った。

だが、ゾロの目に飛び込んできたのは 始めて見る子供――――。 
どうやら 年恰好は自分と同じくらい―――の子供だった。

自分も相当汗まみれなのだが、この目の前の子供の汚さはなんだ?とゾロは
まずそれに驚いた。

髪は薄い色だが とにかく 汚れきっていて バサバサだ。
服はボロ布同然で もとの色が何色なのかさえわからない。
驚いたのは、その子供は素足で靴さえはいていなかった。

伸び放題の髪で顔も良く見えないが、服から出ている四肢も 泥だらけだった。
(乞食か?こいつ)

その子供は 息を弾ませて、ゾロの前に棒立ちになっていた。

「誰だ、お前!」ゾロは、もう一度 怒鳴るように尋ねた。

その子供は いきなり前のめりに倒れこんだ。
だが、ゾロの問いには答えず、地面にてをついたまま ゾロを見上げて、
「・・・ここはどこだ?」と尋ねてきた。

全身、汚れきっているのに、ゾロが息を飲むほど綺麗な青色の瞳がそこにあった。

「お前、どこから来たんだ?」
ゾロは答える変わりに 自分から質問した。

子供は頭を振った。
わからないらしい。

しきりに後ろを気にする素振りを見せる。

ゾロは、何故か「助けてやらなきゃ」と思った。
どうして そんな風に思ったのかは わからない。

「お前、名前は?」
へたりこんでいるその子供を助け起こす。

その問いにも、やはり 頭を振って見せた。

「歳は?」

その子供は、ゾロが何を尋ねても 頭を振るばかりだった。


「名前くらい言えよ!」
いくつか質問をした後、とうとう ゾロは 苛ついて 声を荒げた。

その声と形相にその子供は怯えたように肩を竦め、
小さな声で
「・・・ね・・・猫・・・・。」と答えた。

「あ?何イ?」よく 聞き取れず ゾロは聞き返す.

「猫って呼ばれてた。それ以外に名前なんか わかんねえ。」
とその子供は言った。

ゾロは (変な奴)と思った。
自分の事を「猫」だなんて。

とにかく ゾロは「猫」を自分達が 「秘密基地」と勝手に読んでいる場所へ
連れて行った。

人が住まなくなって かなり経つ、朽ち掛けた廃屋が 「秘密基地」だった。

「猫」は とても腹を空かせている様で、そこへつく間 ゾロは何度も
腹の虫が鳴いているのを聞いた。

「猫」の言葉遣いからして、どうやら 男の子だとわかるが
顔立ちさえわからないほど 汚れていて、それも 今一つはっきりしない。

「秘密基地」には、ゾロの仲間達が隠した駄菓子などがあるので、とりあえず
「猫」には それを食べさせた。

「夜は誰も来ないから、何も心配しなくていい。」
ゾロは 「明日の朝に必ず 来るから」と約束して、その日は
「猫」をそこへ残し、家路についた。


次の日。
くいなのいる道場へ ゾロは朝っぱらから忍びこんだ。
昨日の昼の稽古の炊き出しの残りが 台所にあるのを知っていたからだ。
それを失敬しようと思ったわけである。

首尾良く 食台の上に置かれたままの握り飯を 懐紙に包んで持ち去ろうとした時だった。

「こら、ゾロ!!」
くいなだった。

「あんた、お腹が空いてるならそう言いなさい。そんな、泥棒みたいな真似、みっともないよ.」と叱られた。

「俺のじゃないよ.」とゾロはいい訳でなく 本当の事をくいなに話した。

「猫」を拾ったのだ、とだけ言った。


「猫?子猫なの?」くいなは眼を輝かせた。
もちろん、まさか それが 人間の子供だなどと知る由もない。

「うん、えと・・・・そう、子供なんだ.」とゾロは言葉を濁した。

あの「猫」の事は 秘密にしておかないと大変な騒ぎになりそうな気がする。

「稽古が終ったら見に行っていい?」
ゾロの思案など くいなにわかるはずもなく、だが ゾロは彼女から頼まれたら
否とは言えなかった。

とにかく、ゾロは握り飯を持って 「秘密基地」にやって来た。

「猫」は 体を丸めて 眠っていたが ゾロの気配で目を覚ました。

「オッス」
ゾロは なんと声をかけていいのか わからなかったので とりあえず
軽く 挨拶をする。

そして、ふところの握り飯を差し出した。
「食えよ.」

「猫」は まだ 寝ぼけているのか しばし ぼんやり していたが
目の前の にぎりめしを見て すぐに ゾロへ 例の綺麗な色の瞳を向け、
「有難う」と言った。

「猫」は 握り飯を上手そうにほお張った。

食事の後、ゾロは近くの川に 「猫」を連れて行った.

「お前、汚えから 体を洗えよ。服は俺のを貸してやるから」といい、
「猫」に川へ入るように促した。

「わかった。」
「猫」は素直に頷いて、ボロ布のような服を脱いで 全裸になった。

「俺一人で 素っ裸になるのは恥かしいから お前も脱いでくれ.」と
「猫」がいうので、ゾロも服を脱いで川に入った。

「猫」は何気に横柄なのだが、ゾロは不思議と腹は立たなかった。

「猫」が体をごしごしと洗っている間、ゾロはそれをじっと見つめる事もできず、
所在無く 「猫」が身につけていた汚れた服を洗ったりしていた。


汚れを落とした「猫」を見て、ゾロは驚いたのだった。

金色の髪の毛など初めて見た。
こんなに色の白い男も見たことはない。

そして、華奢な体つきなのに ごつごつしていない 不思議な肉質の体つきも
ゾロにははじめて目にする物だった。

ただ、背中一面に 紅い ミミズ腫れがたくさんあった。
「猫」は ゾロの不躾な視線に眉を寄せたが 咎めるような事はしなかった。


ゾロは、これからどうするかなど 何も考えていなかった。
そして、不思議な事に「猫」はゾロの名前さえ聞かないのだ。

横柄な態度をとるかと思えば 妙に人懐こくて 「猫」は捕らえどころのない
少年だった。

ゾロは、その日も「明日も必ず 来るから 何処にも行くなよ.」と
約束を交わした。
別れ際、僅かに 淋しそうな 心細げな 視線を向けてきた「猫」を置いて
ゾロは「秘密基地」を後にした。

ところが その日の夕方から 大きな天候の崩れがあり、ゾロは
「必ず」と言った「猫」との約束を守れなかった。


大きな嵐が過ぎ去って、ゾロは、すぐに 猫のところへ 食べ物を持って
出来るだけ急いでやってきた。

秘密基地は、屋根が半分ほど 風で吹っ飛び、壁も
激しい雨に洗われて ところどころ 表面が剥げ落ち、
中の骨組みが見えるほどになっていた。

その中にゾロは 転げ込むように上がりこみ、猫を探した。

猫は、一番奥の方で うずくまっていた。

ゾロはほっとした。
だが、近寄って顔を覗くとどうも 様子がおかしい。

一昨日までは、生命力が溢れ、晴天の海のような輝きを放っていたのに、
今、自分を無言のまま 見上げているそれは、どんよりと曇り、力がない。

「・・・どうした?」
ゾロは 猫の体に触れてみた。

そして、ハッと息を飲んだ。

熱い。

ゾロが貸してやった衣服はずぶぬれで 体が冷え切ってしまったのだろう、
猫は熱を出していた。

「・・・もう、来ないのか、と思った。」
猫は小さく呟いた。

その顔は、熱の所為か 真っ赤だったが、よほど 安心したのか
笑みが浮かんでいる。

「ごめんな。」
ゾロは素直に謝り、猫の額に手を当ててみた。

「うわ、熱イ。」
猫は、ぐったりとゾロに体を預けてきた。

(どうしよう・・・俺の所為だ。)

(どこにも行くなよ。)と自分がいった所為で、猫は 
まる3日も 飲まず 食わずで 冷たい雨に打たれつづけていたのだ。

体力がつくから、と食べさせた握り飯も、胃が受けつけないのか、
全部 吐いてしまった。

苦しそうにむせる猫を見て、ゾロは泣きたくなった。

(そうだ・・・。くいな なら助けてくれるかも。)
ゾロは とうとう 自分一人で 猫の面倒を見るのは 無理だと悟った。

「すぐ 戻ってくるから、寝てろよ。」
辛そうな猫に声をかけると、

「もう、いいよ。ここにも 長くいられねえ。お前にメーワクがかかる。」
猫は、穴の開いた天井を見上げて呟いた。

ゾロは、約束を破ったのは自分なのに、それを咎めない猫の顔を
見かえすことが出来なかった。

だが、勇気を出して、キッと顔を上げた。
「だめだ。そんなこと、許さねえ。体を治さなきゃ、だめだ。」

猫は、肩で息をしている。
そして、自分の腕をしきりに擦っていた。

歯がカチカチと音を立てている。

「寒いのか?」
ゾロは 熱など 出した事がないので その辛さが判らない。


猫は、ゾロの問いに、眉を寄せ、瞳を閉じて頷いた。

(どうしよう)ゾロは考えた。

秘密基地の周りはびしょぬれだ
上に羽織るものなど何もない。

猫は、小さく、小さく丸まって震えている。

ゾロは、思わずその細い腕を こすってやった。

少しでも 寒さが引くように、その二の腕を一生懸命擦った。
猫を膝の間に座らせて、胸と背中をぴったりとくっつける。

少し、体が温もったのか、猫の首が がくんっと前へ垂れた。

ゾロは、慌てて 少し離れた体を引寄せる。

息も荒いし、熱も引く様子も見せないが、猫の顔を覗くと
穏やかだった。

体を全て ゾロへ預けるように猫の体は脱力している。

自分がそばにいないと 猫がまた 凍えてしまう、と思った。

ゾロは、自分が眠気に負けて瞼を閉じてしまうまで、
ずっと 猫を温めていた。

翌朝。

猫の熱はまだ 下がっていなかった。

そして、やっぱり くいなに助けを求める事にした。

一晩、ずっと側にいたためか、猫は、ゾロの言葉を信じる気になったようだった。

「すぐ、戻ってくるから」と言った、ゾロの言葉に
素直に頷いたのだ。


ゾロは、道場に着くなり、くいなを誘い出した。
秘密基地へとくいなを伴う道すがら、ゾロは、
「拾った猫が病気になったんだ、どうしたらいい?」と切り出した。

「動物の病院につれていく?」
くいなは心配そうに 首を傾げてゾロにそう 提案してくれた。

だが、ゾロは頭を降る。

「自分の事、猫っだっていうんだけど、人間なんだ。
どうすればいい?」

くいなは それを聞いて 目を大きく見開いた。

「なんですって?人間の子供なの、それは大変なことよ、ゾロ。」
「迷子かもしれないじゃない?!」

くいなはそう 捲くし立てると踵を返して 
「お父さんに知らせてくる」と道場へ向かって駆け出して行ってしまった。

「坊や」


ゾロは、急に後ろから 声をかけられ、振り返った。

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