「ナミさんを俺一人で守れるなんて、夢みたいだよ!」
勢い良く、立ち上がった、その勢いのまま、サンジは一気にドアを蹴破った。

「うわああ!」ドアを背にして立っていた男が吹っ飛ぶ悲鳴と、バキイッ!とドアが蹴り破られる音が同時に聞こえ、ナミは思わず、首を竦め、目をギュッ、と閉じる。

「さ、行こうか、ナミさん」とサンジに楽しげに呼ばれて、ナミは目を開けた。

床には長年ちり積もった灰色の埃がモワモワと立ち込めていて、
ドアの板を蹴りちぎられて、なんの用もなさなくなった蝶番が、
悲しそうにキイキイと鳴っている。ドアだった板は真正面の壁に叩き付けられ、
木っ端微塵だ。見張りだった男は、その板だった瓦礫を背負い、壁の間に挟まれて、
押し潰されたカエルの様な格好のまま、身動きしない。
(・・・足に鋼でも入ってるみたい)いつもながら、サンジの脚力とその破壊力には、
驚かされる。
「見張りがいたみたいだけど・・・あいつに聞いたら?親玉の居場所」
ナミは、差し伸べられたサンジの手に、素直に手を伸ばしながら、見張りの男をそっと
伺った。
背格好から見て、どうも、まだ少年のように見えたのだ。

「ん〜、正気づかせるの、面倒だよぅ。それに、正気づいたら、騒ぐかも知れないよぅ?」
サンジは口を尖らせて、甘える様な声を出し、そう答える。

ナミの言葉全てに従いたいけれど、その意見を飲みたくない。
出来たら、ナミにその意見を撤回して貰いたい。
でも、そうは言えないから、機嫌を伺って、甘えて見せる。

そんなサンジの思惑などにナミがやすやすと引っかかる訳がない。
ナミはサンジの言葉を無視して、
小さなドアの破片を踏みしめ、気を失っている見張りの男にそっと近づいてみる。
その背中に乗った欠片を払い、横から覗き込むと、まだ14、5歳くらいの、黒髪の少年だった。
「ほら、まだ、子供じゃない」
「全身打撲でどうせ動けないって」

結局、ナミの言うとおり、ナミが思うとおりにサンジは動く。
頬をピシピシ叩いて、その少年を「おら、起きろっ!」と無理矢理叩き起こした。

同情した癖に、ナミはその少年が声を上げる前に掌でさっと口を塞いだ。
「・・・大人しくしないと、君の頭、この金髪のお兄さんに蹴り潰してもらうわよ・・・?」と目を細め、低く、静かに脅した。

海賊の女の凄みに、少年は震え上がり、目を見開いたまま、コクン、コクン、と慌てて頷く。
「・・・なんだ、随分、聞き分けのいい坊主だな」
サンジはそう言って、その少年の体に手を添えて、ゆっくりと立たせてやる。

「さ、親玉のところへ案内してちょうだい」ナミがそう言うと、その少年は声変わり真っ最中の擦れた声で、「ど、どうして・・・?」と尋ねて来た。
それから、言葉が足りないと思ったのか、また慌てて、
「あの、逃げるんなら、僕が逃げ道案内しますけど・・・」と付け足す。

「・・・親玉のいるところへ案内をすりゃいいんだよ」サンジは少年の質問に答えず、
「グダグダ言いやがるなら、今すぐ、二度と歩けねえ体にするぞ」と、少年の膝をコツン、と爪先で軽く蹴った。

「・・・あの、あの、その親玉って・・・?」少年は心底怯えているのか、
だんだん顔色が悪くなってくる。だが、サンジはそんな事、意にも止めない。

「お前らの頭だよ。稼いだ金を握ってるヤツのところへ行けッつってんだ」
「・・・そ、それで・・・どうするんですか・・・?」
とても怯えているし、聞き分けが良さそうに見えたのに、少年はなかなかその場から動こうとしない。ナミも少し焦れてきた。
「お金を返してもらうに決まってるでしょ?君、このお兄さん、とっても気が短いの」
「これ以上、ぐずぐず言えば、ホントに膝頭を粉々にされちゃうわよ?」

そう言うと、少年はようやく二人の先に立ってヨタヨタと古びた建物の中を歩き始める。

歩きながら、サンジはぐるりと周りを見回した。
そして、なにやら訝しげな顔をする。
「・・・どうしたの?」
「ん・・・、・・・埃っぽいけど、・・・なんだか、嗅いだ事のある匂いが
する様な気がして・・・」と僅かに顔を上げ、鼻をクンクン、と蠢かした。
無理に肺へ呼吸以外の埃まみれの空気を入れたからか、サンジはまた、ゴホ、ゴホ、と
胸を押さえて咳き込んだ。
「・・・そう?あたしには、埃っぽくって湿っぽいだけだけど・・・」
ナミにはそう答えて首をかしげる。

確かにとても古い建物だ。
三人の歩く足音が、コツ・・・ン、コツ・・・ンと静まり返った建物の中に響く。
天井は高く、床には石が敷き詰められている。
窓はなく、両壁には、は分厚い様で、全く日が差し込まず、中はひんやりしていて、
きっと部屋の室温は、夏も冬も大差ないだろう。

「・・・あの、・・・ここが・・・兄貴の部屋です・・・。でも、今、また
あの山小屋に行ってていないと思うんですけど・・・」

その建物の一番奥に来て、壁ぎわのドアを指差した。
ドアを開くと、地下へと階段が伸びている。

「・・・ここに金があるんだな?中に人はいないんだな?」
そう言って、サンジは一歩、また一歩、と少年に近づく。
少年はサンジの凄みにすっかり怯えて、サンジが一歩進めば、一歩後ずさりし、
ジリジリを後ろに下がっていき、とうとう、壁際まで追い込まれる。
少年の背が壁に触れた途端、サンジは片足を上げた。
ガコン、と鈍い音が、建物の中に響き渡る。
少年の右脇の壁、古びた石の壁に、サンジの足がめり込み、大きな亀裂が入っていた。
「ひっっ・・・!」
「・・・嘘だったら、どうなるか分かってるな、坊主?」サンジはそう言って、薄ら笑いを
浮かべる。
「ナミさん、地下室には誰もいないそうだ。金はそこにあるんだってさ」
「俺は、出口を塞がれない様に、ここで見張ってるから、よろしく」
「了解、」サンジの言葉にナミは頷いて、地下室に下りた。
石造りの階段は、僅かに7段、すぐに船の風呂ぐらいの広さの部屋がある。
ナミは、サンジからライターを受け取り、中を照らす。
古びた空樽の上に、いかにも金を保管していそうな箱が三つ、置いてあるのが
目に入った。

(・・・ん・・・?この匂い・・・?)
ナミはその地下室に充満している匂いに覚えがある。
(・・・これ、お酒の匂いだわ・・・ラム酒・・・じゃない、これは・・・ワインか・・・)
(ブランデー・・・?)

さっき、サンジがした様にナミも空気の匂いを嗅いで見る。
そして、(これ、確かにブランデーの匂いだわ)、と確信した。
(・・・一体、どうして?・・・ブランデーの蒸留所が山賊のアジトって事?)と
ナミは首を捻る。

「ま、いいわ」そんな謎を解決したところで、なんの得にもならない、と頭を切り替え、
箱を三つとも持って、階段を上がった。

「あ、その箱は・・・・」少年の顔がさっと青ざめる。
「お願いです、全部、持って行かないで下さい!」
「一つでもいいから、置いていって下さいっ」
どうにか鍵を開け、箱の中身を見ようとするサンジの腕に取り縋り、
少年は必死に懇願する。だが、サンジはさも迷惑そうに
「どこの世界にそんな置き土産をする海賊がいるんだよ」と少年の腕を乱暴に払い除けた。

「・・・か、海賊っ・・?」驚き、床にへたり込んだままの少年を見もせずに、
「山賊が海賊を誘拐して、金を盗ろうとした事がそもそも、身の程知らずなんだ」
サンジは箱の蓋を蹴り割った。

中には、ナミの思惑通り、どの箱にも金がギュウギュウに詰っていた。
「やっぱり!」とナミが小躍りする最中、サンジは箱の中の金を冷静に数え、
「1000万と、700か。また、随分几帳面に・・・」と、不思議そうに呟いた。

「山賊が、こんなに・・・ケホっ・・・」
「金を綺麗に束ねるなんて・・・ケホ・・・」

埃っぽい空気が風邪を引いているサンジの気管を刺激するのか、サンジが苦しそうに
咳をし始める。
「せめて、500万だけでも、残してください!」と、とうとうサンジの足にまで取り縋って、涙交じりの声で少年が懇願しても、サンジは咳き込みながらも、平然と少年を見下ろし、
「これだけ稼げるなら、またすぐ稼げるだろ」
「親玉に伝えとけよ。これからは海賊を誘拐するようなヘマするなって」と
言い放った。

(・・・この子、ホントに山賊なのかしら・・・)
悲壮だけれど、頼み込むばかりで抵抗しない少年の態度を見て、ナミはふとそう思った。

「・・・ね、貴重なブランデーの蒸留所ってどこか知ってる?」
「そこまで連れて行ってくれるなら、200万だけは置いてってあげる」

そう言うと、少年はまるで、何もかもを諦めた顔付きなり、
サンジの足から手を離した。

「・・・し、知りません・・・俺、そんな蒸留所、知らない・・・」
「あっそ。じゃ、これ、全部、貰っていくわね」

金がぎっしり入った箱三つを持ち、二人はやっと建物を出る。
真正面に山が見えたので、とりあえず、自分達が元いた場所まで戻ろうと言う事になり、
二人はその山を目指して歩いた。

「・・・帰り道、あの子に案内させれば良かったわ」
「・・・う〜ん、見覚えがあるような、ない様な道だね」

山に足を踏み入れて、暫く歩くと、二人とも完全に自分達がどこの方向へ向き、
一体、どの辺りにいるのか、全く分からなくなってしまった。

「もう少し歩けば、道案内の看板があるかもしれない。村と港町を繋ぐ道だから、
何もないって事はないと思うんだ」と言うサンジの意見は、おそらく間違っていない。
そう思って、二人は一本しかない山道を歩いた。

暫く歩くうち、サンジの息遣いの中に、妙な濁りが混ざっている事にナミは気付く。
「・・・大丈夫?」ナミはサンジの顔色を伺った。
「平気、平気」と笑っているが、かなり呼吸がしづらいのか、煙草の先には火が着いていない。
「それより・・・追っ手が来たみたいだよ」サンジは持っていた三つの箱をそっとナミに
手渡した。
「そうね」それを受け取り、ナミは、道からそっと脇へ外れ、身を隠す。
下手に戦闘に加わっても、サンジの足手まといになる。

「いたぞ!金を返せ!泥棒!」

聞き覚えのある、野太い声が歩いてきた道の方から聞こえてきた。
いつの間にかまた、白い霧が出てきて、ゆっくりと森の中を漂い始める。

サンジは一つ大きな深呼吸をした後、苦しそうに「ゴホッ・・・」と咳をした。
物陰から、ナミはその様子を見て、「・・・サンジ君っ・・・」と思わず立ち上がる。



サンジは口の端をぬぐっていた。
その口の端に、血がこびりついているのを確かにナミは見た。
激しい咳をした所為で、胸の中の傷が開いたのかも知れない。

(・・・だったら、私がっ・・・サンジ君を守らなきゃ・・・)

サンジの怪我を知りながら、船に返さなかった。
サンジに風邪を引かせて、眠っている間に上着を借りてしまった事でそれが悪化した。
悪化している、と分かっていたのに、金に目が眩んで風邪どころか、怪我までも悪化させた。
全て(あたしの所為だもの)、とナミは天候棒を構え、サンジの前に飛び出した。

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