「ナ、ナミさん?!」
いきなり自分の前に飛び出されて、サンジは面食らっている。
だが、ナミはきっぱりとサンジに
「これ以上、怪我も風邪も悪化させたら、私がチョッパーに大目玉を食らっちゃうわ」
「黙って身を隠してるわけにはいかない!」と言い返す。

山の中は、見る見るうちに霧に包まれていく。
もう、数メートル先さえ霞んで、目を凝らしても見えるのは白い霧ばかりだ。

その向うから物騒な、敵意むき出しの足音がはっきりと近づいてくる。
そして、白い膜から浮き出てくるように、山賊達は姿を現した。

「・・・ナメた真似しやがって・・・っ!」
あの野太い声の男が吼える。
また、全員が同じ様な装束、同じ様に顔を隠した出で立ちだった。

「お金を返して欲しいなら、かかってきなさいよ」
ナミはそう言って天候棒を先端を真正面に向けて身構える。

「このアマ、舐めやがって!」と覆面をした別の男がナミに向って、
鉄の棒を振り上げて襲い掛かってきた。

ナミが動く前に、その鉄の棒は、サンジが森の中へと蹴り飛ばす。
素手になった男は、そのまま無様に地面に叩き付けられた。

「野郎!皆、やっちまえ!遠慮はいらねえ、とにかく金を取り返せ!」
「殺しちまっても仕方ねえ、やれ!」
「ええ・・・っ??兄貴、殺すのか!」
野太い声の男がそう怒鳴った途端、山賊達に動揺が走ったのを、
サンジとナミはその妙な気配を瞬時に感じ取る。

「大人しく金を返してくれ、と言っても返してくれる訳がねえ」
「力づくで取り返すしかねえだろう。今までの苦労を全部、無にしてもいいのか、
お前ら!」
竦んだ様に動かない山賊達を、野太い声の男が怒鳴り付けた。
その声に勇気付けられたように、猟銃を持っていた男がゆっくりとサンジに銃口を向ける。
その指は、引き金に掛かっていた。

「・・・猟銃の弾って、一発いくらすんだ?安くはねえよな?」
サンジはふてぶてしい笑いを浮かべ、ゆっくりと銃を構えている男に近寄っていく。

「・か、か、か、か、・・金は、っ・・・金は、どどど、どこ、どこへやった」
銃を構えた男は、サンジに気圧されてしまい、ガタガタ震えている。
「そのあたりに転がした。見つけたきゃ、這いつくばって探してみろよ」
銃の先に、サンジはポケットから出した煙草を一本、指で突っ込んだ。

武装はしていても、人を殺める事に戸惑う相手に対して、サンジは微塵も警戒していない。ナミにはむしろ、見下し、怯え、竦み上がる様子を見て楽しんでいる様にさえ見える。
そんな態度をされたら、大の男であれば、誰だって頭に血が昇るだろう。
「・・・ふざけやがって、この悪党!」
数人の男がナミには一切目もくれず、一斉にサンジに襲い掛かった。

ナミに彼らの注意が向かない様にと彼らを挑発し、敵意を一身に集める。
それこそがサンジの計算だった。

けれども、例え、肺に傷があろうと、風邪の所為で息がしにくかろうと、彼らはサンジの敵ではなかった。

向ってくる敵の数と全く同じ数だけ、サンジは足を上げ、蹴りを放つ。
急所にたった一発づつ、一度として外す事は無い。
サンジのその正確で鋭い動きは、蜂が針を獲物の体に突き立てる動きに似ている。

とうとう、立っているのはあの野太い声の男だけとなった。
その男も、もうサンジの蹴りを何度も体に食らって、立っているだけで精一杯の様だ。

ナミが呆然とその様子を見詰めていると、その足を倒れているとばかり思っていた
男の手が掴む。
「キャ!」「た・・・・頼む、お願いですっ・・・せめて、一箱分だけでもっ・・・」
ナミは足に縋ったその男の顔を、目に射竦められる。

覆面の下の目は、涙で濡れていた。
必死の、渾身の、命がけの懇願だった。
「・・・ってめえっ、ナミさんになにしてやがる!」
サンジはその男がどんな表情をしていたのか、見えていない。
血まみれの手でナミの素足に触っている、その事だけで頭にカッと血が昇っただけだ。

男はサンジにわき腹を蹴り上げられて、山道の斜面に背中からたたきつけられた。
サンジが背中を開けた、その隙を山賊が見逃すはずがない。
「危ない、サンジ君!」とナミは思わず悲鳴を上げた。
「この野郎、ぶっ殺してやるっ!」野太い声の男がサンジの背後にさっきからずっと
振り回していた大きなナイフを逆手に持って襲い掛かって来る。

だが、振り向き様、サンジはそのナイフを蹴り、弾き飛ばした。
クルクルと宙を舞った、そのナイフをサンジは地面に落ちる前に片手で受け、
着地した瞬間に地面を蹴って、最後まで立っていた野太い声の男の喉元に突きつける。
「さあ、金も命も諦めるか・・・?それとも、役人に突き出してやろうか」
サンジがニヤニヤ笑って男にそう尋ねた時だった。

突然、「やめてくれ!」と霧の中から声がし、たどたどしい足音が聞こえてくる。
「・・・だめだ、オヤジさん・・・っ。来たら殺される、こいつら海賊なんだ・・・」
覆面をした一人の男がむっくりと起き上がって、霧の中へ向って擦れた声でそう叫んだ。
いや、実際は叫ぼうとしたのだろう。けれど、体が痛んで、とても大声が出せない。
それでも、力を振り絞って出したその声に、霧の中の声は答えた。
「ワシの命なんかどうだっていい!」

そして、霧の中から駆け出て来た老人が、サンジと野太い男の間に割って入った。

足は素足で、呼吸は物凄く荒く、つるりと前半分が禿げ上がった頭までぐっしょりと汗まみれだ。この山道を必死に走ってきたのは、一目瞭然だった。

「か、海賊・・・。金はやる。腹立ちがおさまらなんだら、ワシの命をやってもいい」
「この子らは、頼むから、許してやってくれっ・・・」

サンジの首もとあたりしか身長のないその老人はサンジの胸に取り縋ってそう叫んだ。

「オヤジさん、だってあの金は・・・あの金がないと、もう酒は造れないんだよ?」
そう言う野太い声の男に対して、老人は
「そんなもん、・・・そんなもんより、お前らの命の方が大事だっ」と言い返している。
山賊達は、皆、「俺があんた達の奴隷になるから、金は返してくれ」だの、
「オヤジさんを殺さないでくれ!」だの、口々に喚くし、それに対して老人も、
「わしの命と引き換えに、この子らを見逃してくれ、」と言うし、
、静かだった山の中はいきなり騒然となった。
「・・・どう言う事・・・?」
ナミがその光景を見て、思わずサンジにそう尋ねた。

「さあ・・・?」老人に取り縋られて、サンジも困惑している。

「ね、おじいさん。どう言う事か、説明してくれない?」
ナミはそう言って、優しく老人を抱かかえる様にしてどうにかサンジから引き剥がす。

「俺から話す・・・」
野太い声の男は、もうすっかり戦意を失ってしまった様で、がっくりと地面に膝をつき、
頭をうな垂れて、覆面を外した。
それに倣って、他の男達も皆、次々と覆面を外していく。

「あ、あんたは!」
サンジは銃を構えていたあの男の素顔を見て、声を上げた。
「誰?」
サンジに驚いた理由を尋ねると、その銃を構えた男は、
「俺が買出しに行った、酒屋の主人だよ!」と言う。
「じゃあ、もしかしたら・・・」とナミが山賊の顔を一人一人眺めてみると、
「酒場の・・・バーテンさんじゃないの!」
ナミにブランデーの事を吹き込んだ、その男の顔もあった。

「俺達は、・・・皆、親が死んだり、親に捨てられたりして、天涯孤独の身の上だったのを
オヤジさんに育ててもらったんだ」

野太い声の男が絞り出すような声で話し始めた。

子宝に恵まれなかったオヤジさん達は、俺達みたいなミジメな子供を引き取って、
育ててくれた。
たまには、オヤジさんが、「ブランデー作りに子供をこき使ってる」なんて言うやつがいたが、葡萄の畑の手入れをしたり、瓶を磨いたり、樽を洗ったりする生活の中、
一つ屋根の下で温かい寝床で寝て、温かいメシを食って、病気をしたら看病してくれて、
読み書きを丁寧に教えてくれて、ホントの親みたいに俺達を育ててくれたんだ。

でも、オヤジさんもおかみさんも人が良すぎた。
人に騙されて、大事なブドウ畑を取られたばかりか、全く身も知らない他人の
借金を背負わされてしまったんだ。
役人に言っても、誰に相談してもこの島の誰も力になんかなってくれなかった。
つい二年前に心労が重なったおかみさんも、
「どうか、蒸留所と、残ったオヤジさんの事をくれぐれも頼む」って遺言して
亡くなっちまった。

酒を造る技術とか、酒の知識はオヤジさんにみっちり叩き込まれてる。
でも、学もない、身元を保証してくれるヤツもいない俺達が働ける場所は
あまりなかった。
借金も、ブドウ畑を買い戻す金も、俺達皆が必死に働いても到底返せない。

オヤジさんに、酒をもう一度造って欲しい。
それがおかみさんの願いだったから、俺達はどうしてもそれを叶えたかった。
珍しい酒には、いくらでも金を出す金持ちがいるって事も、俺達は知ってる。

だから、噂を流した。
それに引っかかってくるヤツから金を奪って、時には身代金もせしめた。

「・・・わしの所為だ。この子達のやってる事を知っていても、・・・・」
老人は地面に座り込み、手を付いて、とても塩辛そうな涙をボタボタと流した。
「もう一度、心血注いで、人を幸せに酔わせる酒を造りたかった・・・・っ」

人の金を奪った金で、そんな美味い酒が造れる訳がない。
そんな言葉は綺麗事だ。

わが子同様にして育てた男達の想い、そして、酒造りに命を賭けた男の想い。
誰にも堰き止められられなかった、強い想いは、たった一つの光景へと繋がっている。
例え、長年熟成しなくてもいい。
力をあわせて育てたブドウを搾り、樽に詰め、そして、数年熟成させて、
その樽から瓶に詰めた酒をそれぞれの杯に注いで、共に味わい、その味について語り合う。
その瞬間を夢見て、彼らは山賊に身をやつし、今日まで歯を食いしばって生きてきた。

「酒を穢す様なこんなやり方、、酒を愛していたら、尚更辛かっただろ」
サンジは誰に言うともなく、ポツリとそう呟いた。
その言葉に、男達は皆、一斉にむせび泣く。

血の繋がらない親子の繋がりがどんなものか、ナミもサンジも知っている。

甘えるべき時に甘えられず、意地を張らなくてもいい場面で意地を張ってしまう。
血の繋がりと言う絆ではなく、ただ信頼と愛情だけが頼りの儚い絆を守りたくて、
お互いが不器用ながらもひたむきに向き合う。

なんの代償を求める事もなく、深く、広い愛で包まれる事が、
どれほど幸せな事か。

ナミにそれを教えたのはベルメールだった。
サンジにそれを教えたのは、バラティエの料理長、ゼフだった。

サンジは静かに老人を見下ろしている。そして、ゆっくりとしゃがみ、
じっと、老人の顔を覗き込む。
そして、何を思ったのか、
「・・・おやっさんの造った酒、もう全然、蒸留所に残ってねえのか」と尋ねた。
「え・・・?」

「コホ・・・」サンジは老人から顔を逸らし、また咳をする。
そしてその傾いた顔のまま、ナミを見上げた。

サンジとナミの目が合う。

サンジの蒼い目に映っている自分の顔をナミは見つめてみた。
そして、その柔和な表情に安心する。

「・・・どうするの?サンジ君」ナミはそうサンジに聞いてみた。
答えはもう分かっている。それでも、ナミはサンジの優しさを再確認したかった。
優しいサンジと今、同じ気持ちでいる自分も、きっと優しい人間だと自信を持って言える。
「もしも、一瓶でも残ってるなら、買いたいと思うんだけど・・・いいかな」

サンジがそう尋ねたので、ナミは深く頷く。
「どう、おじいさん。残ってる?」ナミが老人にもう一度尋ねると、
「ああ、この子らの数だけ・・・、もし、蒸留所を買い戻せなかったから形見代わりに
やろうと思って・・・・」おずおずとそう答えた。
凶悪な海賊の気持ちなど、いつどう変るか分からない。
怯えられ、警戒されるのは仕方がない、とナミは老人の様子に思わず苦笑する。

気を取り直し、ナミはサンジに向き直った。
サンジに話しかけるだけで、今、とても柔和で優しい表情になっているのが分かる。
まるで、サンジの優しさが霧に溶けて、体の中に染みこんで来たのかと思うくらいだ。

そして、答えが分かっているのに尋ねてみる。
「サンジ君、そのブランデーにいくら払うの?」
「・・・1550万ベリー」そう答えたサンジも笑っていた。
ナミが盗られた150万は返して貰う、でも、自分の15万は諦める様だ。
いや、サンジはその15万で、そのブランデーを買ったつもりなのかもしれない。

二人は、ブランデーの瓶を一本だけ船に持って帰ることにした。
本当は、あるだけ全部持って帰りたかったが、サンジの体に掛かる負担を考えると、
欲張ってはいられなかったからだ。

船に帰ると、当然、二人はこっぴどくチョッパーに怒られた。
「サンジが治るまで、ナミも外出禁止!これ以上悪化したら、二人とも、罰金だからね!」

そう厳しく言われては、サンジはナミの為に大人しくするしかないし、
ナミも、サンジを悪化させない為に必死に看病するしかない。

「やっぱり、肺の中の傷、開いちゃったのね。ごめんね、無理させて」
「それは風邪を引いたからで、ナミさんの所為じゃないよ」

ナミは、わざわざ男部屋にポットやコンロを持ち込んで、サンジの目の前で
紅茶を入れた。
それをカップに入れて、ソファに腰を下ろしているサンジに手渡す。
「体を温めて、ぐっすり寝たら熱も下がるし、きっと咳も治まるわ」
「ありがとう、」サンジはナミからカップを受け取り、鼻からその香りを胸に吸い込むように、大きく深呼吸した。

「うわ・・・なにこれ。いい匂い・・・琥珀色の匂いがするよ」
サンジはそう言って目を細め、一口、コクン、と口に含む。
「これ、・・・あのブランデーだね?」「そうよ」ナミが頷くと、
サンジは、また一口飲んでから、ふう・・・と満足げに温かな溜息を漏らした。

その様子を見て、ナミは、紅茶に数滴注ぐのではなく、自分は湯でブランデーを割って
一口、飲んでみる。

華やかな香りが口の中に広がって、それから春風のように柔らかに鼻のへと立ち上り、
舌の上にまろやかな甘さが染みこんで、喉の奥、自分の内臓全てにその芳醇な香りが
染まっていくかのような余韻が残る。

いつまでも、その甘さ、柔らかさ、華やかさに酔いしれていたい。
そう思える様な、その酒の味にナミは思わず
「この酒は・・・、とっても優しい男の味がするわ」と呟いていた。

(終わり)




最後まで読んで下さって有難うございました。

サンジとナミは、どっちも血の繋がってない親に育てられたって言う共通点が
私は好きなので、どうしてもこの組み合わせだとこの線は外せないな、と。

さて、次回はウソップ編です。お楽しみに!


2005.06.15