古びた船着場の片隅にある、粗末な店で世界一の大剣豪となった、
ロロノア・ゾロは手持ち無沙汰にコーヒーを啜っていた。
店も粗末なら、コーヒーの味も粗末なものだが、そのカップは湯で温められていた。
船着場に停泊している船はもうすぐ、出航する。
その時間を待つ客達のおかげでさして美男でもないありきたりな顔をした中年の男一人でも、どうにか切り盛り出来、潰れずに営業できるらしい。
カウンターの向こうにある、ほこりの被った柱時計は、果たして、正確な時間を刻んでいるのか。
壁に貼られたサーカスの到来を告げるポスターはすっかり色褪せてところどころ破けている。お約束のように壁に乱雑に貼りつけられている賞金首の手配書は
剥がされずにその顔に大きくバツが面倒臭そうに殴り書きされ、薄暗い店内の光源は、
そこここで煙草をくゆらす客の吐き出した白い煙にただ、雨だれの沁みついた窓からの
細い光りだけだった。
ここから船に乗って、島をいくつか巡って、ゾロはオールブルーを目指す。
順調に行けば、1ヶ月ほどの旅になる予定だ。
足の向くまま、気の向くままの一人きりの旅。
行く道に目的地などないが、帰る道の先には、自分の居場所がある。
お互いが別々の生き方を選んでも、そんな生き方しか出来なくても、
お互いの替わりはどこにもいない。共にいられる場所がどれだけ遠くても、
世界でたった一人、自分の持つ何よりも大切な者はそこに在るから、ゾロは
そこを恋しいと思い、そこへ帰って行く。
温かい言葉で迎え入れられた記憶はない。
けれども、ふざけた罵詈雑言や皮肉に篭められたサンジの気持ちは、
晴天のオールブルーの海と同じ色の瞳と煙草を咥えていても綻んだ口元から覗く
白い歯でゾロには確かに伝わっている。
(だらしねえなあ。)と苦さも薫りも足りないコーヒーを飲み干してゾロは
腹の中で苦笑いしつつ、無表情のまま溜息をつく。
こんなに遠い街にまでサンジのレストランの盛況ぶりが伝わっていて、
その噂を聞いた途端、帰りたいと言う気持ちを押えられなかった。
毎日、キリキリと忙しいだろう。自分が帰ったところで邪魔になるかも知れない。
それでも、ゾロはサンジの声を聞いて、サンジの姿を誰よりもすぐ側に見て、
サンジの鮮やかに変わるサンジの表情を見たくてたまらない。
「会いたい」ごく、短い言葉で言えばただそれだけの気持ちだった。
例え、半年、一年かけて帰って、会う時間がたった1時間足らずでも構わない。
遠く離れて、なんの便りも交わしあわない自分達だけれど、
その気持ちが膨れ上がってしまったら、それに従って行動する。
前にオールブルーを後にしてから、さほど月日は経っていないから、
サンジの髪はどれくらいの長さになっているだろう。
中途半端に伸びた髪のサンジを見るのは初めてだ。
(どんな形になってるんだろうな。)とゾロはそう思う言葉はやはり、単純に
「会いたい」と言う言葉と意味が同じだと自覚しながら、
寂れきった店を出て、出航の汽笛が鳴る前に船着場を目指して歩く。
一人きりの自分と違って、サンジの回りにはたくさんの人がいて、
寂しさを素直に寂しいと噛み締めないサンジには、本当に自分が必要なのかと
迷い、心細くなった事もある。
だが、
「別々の体を持って生まれて来たんだ。いつも同じ気持ちって事は有り得ねえだろ。」と何も言わなくても、ゾロの不安を感じ取ったらしいサンジが言った言葉に
救われた。
「だからこそ、時々、確かめたくなるもんだ。」
「お前がここに帰って来る気になるのは、俺が呼んでるからなんだぜ。」
冗談めかして、サンジは笑ってそう言っていっていた。
その笑顔を、そういってくれた時の触れた肌の温もりをゾロは思い出して、
心がまた、はやる。
早く会いたい。
早く自分が戻ってくるのをサンジが心から楽しみにしているという確信は
いつまでも持てないけれど、きっと、今、自分がサンジに会いたいと言う気持ちが
押えられないのは、サンジの言う通り、
サンジが呼んでいるからだと思えば、世界中が美しく見えるような気さえする。
今度の旅の終りはサンジの顔を見た瞬間だと思う。
その終りを告げるサンジの言葉は一体、どんな気持ちが篭められた声で
自分に投げ掛けられるのだろう。
聞きなれた悪口かも知れない。
それとも、無言で微笑むだけかも知れない。
どんなものでも構わないから、自分の名前を呼んだ後に囁かれる言葉を早く聞きたい。
そして、ゾロが滅多に呼ばない、「サンジ」と言う名前を呼んだ後、
こんなに離れていて、会いたいと言う気持ちを押さえきれないほど
サンジは特別な存在感で、それはまるで、いつも側にいるのと同じ程近く、
だからこそ、遠くに離れていてこんなに想いが募るのだと言う気持ちを篭めて
言葉の代りに優しい口付けをしたい。
やがて何度目からのゾロの帰郷への旅の始まりを告げる汽笛が鳴る。
名前 サンジ
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