オールブルーのサンジの家は小さな島にある。
その島から、海上に浮かぶサンジの店までは桟橋で繋がっていた。
その島全体がサンジの家の敷地になっている。
その土地の一部で、店で使う野菜やハーブ、花々を育てているけれども、
殆どは手付かずの自然のままで、
そこから散歩くらいは出来る細い道が小さな入り江へと続いている。
その入り江は、サンジの家族だけが立ち入れる場所だった。
サンジが育て上げたウソップの息子と、サンジ自身と。
そして、ゾロだけをいつも静かで優しい波を湛えて迎え入れる入り江。
そこにも、小さな桟橋があった。
外海からオールブルーにやってきて、この桟橋に船を繋ぐのは世界中で
たった一人だけ、その一人の為だけの桟橋だった。
ゾロを送りだし、ゾロを迎え入れる為だけの粗末な飾らない桟橋に、
サンジは、朝もやの中見るともなしに、靄の向こうの水平線を眺めている。
何かつらい事があったワケではない。
何かに疲れているワケでもない。
ただ、無性にゾロに会いたいと思っていただけだ。
思っているうちに眠れなくなって、一晩、自分の行動の意味も判らないまま、
この桟橋で時間を過ごした。
側にいて欲しいと言う気持ちと向き合うと、どうしようもない寂しさが
まるで、
寒い夜に足先から体を冷やす様にしんしんと体の隅から心の中へと忍び寄ってくる様な気がした。
それでも、会いたい、と言う感情を消し去る事は一晩かけても出来なかった。
何をしているのだろう、と言う想いよりもずっと強い。
会いたい、と言う感情と恋しいと言う感情が心の中でぶつかり合って混ざって、
その気持ちを抱えたままどこへも行く気になれずに、座り込んでゾロの事ばかりを考えていた。
今、どこにいるかを知ってしまった。
店にやってくるお節介な客の噂話が耳に入った。
元気にしていると聞いた。それなら安心して良い筈なのに、それを聞いたとたん、
(この様だ)と自嘲して、サンジはまた、新しい煙草を咥えた。
耳のピアスを指で何度も弾いては、目を瞑る。
記憶の中のゾロの感覚を、
もう、きっと心だけではなく、魂にまでこびりついている筈の
ゾロが自分に残していった感覚の記憶を呼び起こして、寂しいと縮こまって
駄々を捏ねる自分の感情を慰めようと試みる。
まだ、ここを発ってからそう月日が過ぎてもいないのに、どうしてこんなにゾロが
恋しいのだろう。自問自答しても答えなど出ない。
(今度帰ってきたら、ちょっとくらい素直になってもいい。)とサンジは
眩しさを増した波の照り返しに目を細めながらそう思った。
水面を覆っていた白い靄が少しづつ、朝の風に浚われていき、視界が徐々に
開けてくる。
寂しいなど、口に出して言って、自分の道を歩くゾロの足を止めるような見っとも無い
真似だけはしたくなくて、いつもいつも強がっていた。
寂しいなど感じた事などない、と口にも出し、態度でもはっきりと示してきた。
それが時折、ゾロを不安にさせていると知っても、まだサンジは強がり、
ゾロの背中を押し続ける。
「別々の体を持って生まれて来たんだ。いつも同じ気持ちって事は有り得ねえだろ。」。
「だからこそ、時々、確かめたくなるもんだ。」
「お前がここに帰って来る気になるのは、俺が呼んでるからなんだぜ。」
(あの言葉だけは強がりなんかじゃねえ)
ふと今、サンジは自分自身の言葉を思い出して、自分自身を叱咤してみた。
が。
「クソ、寂しいっつってんだ、なんとかしろ。」と誰に向かって言うでもなく、
口から勝手に感情が零れた。
髪がまだ、こんなに中途半端な長さなのだ。きっとどれだけ呼んでも、
恋しい、会いたいと思ってもゾロは帰って来はしない。
サンジは深く溜息をつく。
「もうちょっとだけ、ここにいろよ。」と今度見送る時は言えそうな気がして、
サンジは練習のつもりでそんな言葉を口にし、ついでの様に名前を添えてみた。
「イイだろ、ゾロ。」
(へ、馬鹿臭エ)とサンジは波音が桟橋の支柱にあたった、
チャプンと言う小さな波音に急に我に却って、煙草をプっと乱暴に吐き出す。
それから、サンジは唐突に背後の散歩道から人の気配に気がついた。
ジュニアが朝食の準備が出来たと呼びに来たのかと思ったが、
そんな事は有り得ない。太陽が昇り切ってもいない、まだ、そんな時間ではない筈だ。
それに、その人の気配は明らかに自分の気配を薄れさせている。
海を覆っていた朝もやも、森を覆っていた霧も少しづつ、茜色の風に乗って薄れて
白い薄布の向こうに見なれた影が佇んでいた。
「なんだよ。」
「なにがだ。」
なんでそんなところにいるんだよ、とサンジは言い掛けて、言葉を間違えた。
けれど、それを嘲笑もせず、優しい声が返事を返してくる。
嬉しくて、直視出来ずにサンジは横を向いた。
「出そびれちまって。別に驚かすつもりじゃなかったんだが。」とゾロは
埃まみれで近付いてくる。
「見惚れてた。もっと早く声を掛けるつもりだったんだ。」
(よくもヌケヌケと言えるもんだ)とサンジは呆れつつ、勝手に足がゾロの
側へと歩み寄って行く。
自分から抱き付く事がやっぱり顔を見ると意地やプライドが邪魔をして出来ない。
それでもサンジはゆっくりと両手を伸ばした。
何もかもを知っているゾロはその腕を当たり前の様に引き寄せる。
ゾロの腕の中はまるで太陽の温もりを飼っているかのように温かかった。
「会いたかった。」とその温もりはサンジの心の中にあっさりと沁み込んで、
サンジの意地を簡単に溶かした。
「誰にだ。」とゾロはサンジの髪に顔を埋めて尋ねる。意地悪くその声は少し
笑いを含んでいた。
「世界一の大剣豪にだ。」とサンジは苦笑いしてそう答える。
「名前を言え。さっきみたいに。」とゾロは今日に限ってサンジを愛しげに煽った。
「お前こそ、言え。誰に会いに帰ってきたんだよ。」とサンジは体を離してそう言い返した。
ゾロは本当に嬉しそうに笑っていた。
会いたいと言う気持ちが信じられないほどぴったりと重なった事が
嬉しくて溜まらないのだと、全く同じ気持ちを抱えているサンジにははっきりと判る。
「お前にだ、サンジ。」とゾロはあっさりと答えて、それから腕の力をこめてまた
サンジをしっかりと胸に抱き込み、そのまま温かい唇でサンジの言葉を封じる。
中途半端な長さのサンジの髪をゾロは指で何度も確かめていた。
少しは素直になろう、と思ったのに、やっぱり顔を見ると意地を張りたくなる。
でも、今は、意地を張っている方が負けだと思うほど、ゾロはありのままの感情を
サンジに晒しているから、サンジも意地を張らずに、恋しかった、寂しかったと言う
言葉を腕イッパイの力に変えて、思いきり、ゾロの背中を抱きしめた。