「音のない森2」

ある朝のことだった。

今現在、ログが示すとおりに船を進ませれば、この船・ゴーイングメリー号の
船医の故郷と似たような気候の島につくだろう、予想で、コック曰く、「安定して寒い」海域だった。

夜は碇を降ろして沖に停泊していたが、朝になってから碇を上げていよいよ
その島の港へと 舳先を向けた。

皆がテーブルについて いつもどおり 賑やかに食事をとっていた時、
給仕をしていたコック・サンジは、その風景にどことなく 違和感を感じた。

(・・・なんだろ・・・?なんか、いつもと風景が違うような・・?)と首をしきりに傾げる。

まず、この船の船長・ゴム人間のルフィは相変らずの薄着で恐ろしい勢いで食事を掻き込んでいる。

次に狙撃手。
あいも変わらず、鼻が長いけれど、これはいつものこと。

無愛想な剣士。
美味いのか、不味いのか ただ もくもくと 食事を口に運んでいる。
不味いと文句を言うから、きっと、今日の朝食も口には 合ったのだろう。
別になんの 違和感もない。

美貌の航海士。
いつも、いつも、愛らしくて、艶やかな唇に 触れるスプーンになれるものなら
なって見たい、と思うくらい。今日も いつもどおりに 可憐で素敵だ。

一見、愛らしいこの船の船医。
こいつも 結構 食欲旺盛だ。小さいながらも良く食べる。
ピンクの帽子は 寝る時だって被ったままだ。
あの角はどうやって その帽子から突き出てるんだか・・・?

ミステリアスな考古学者。
相変らず、品良く、エレガントに食事をしている。

んん?

サンジは、チョッパーに視線を戻した。
コーヒーサーバーを手に持ったまま、ゆっくりと近づいて、
チョッパーの空いたマグカップに注ぎつつ、その頭をじっくりと眺めてみた。

「おい。チョッパー。」
「おまえ、角、どうした。」

「え!」

サンジの声に、全員の目がチョッパーに注がれた。
チョッパーの小さな蹄がついた手を あわてて頭にやってその所在を確認する。

「角、角が」

お前は トナカイで木でも切り倒せそうな 立派な角を持っている。
トニー・トニー・チョッパー
いい名前だろ
俺はお前をそう呼ぶぜ。


自慢の角が。

ない。

「うわあああああああん」
チョッパーは、自分の角がないことを確認してしまった。
そして、これ以上ないくらいの慌てっぷりで キッチンから飛出した。

「おい、チョッパー!!」

「いい、お前は自分の仕事をしてろ。」

チョッパーを追いかけようとしたサンジを止め、
ひたすら 食事だけに専念していたと思っていたゾロがチョッパーを追った。

男部屋に戻ったチョッパーは、自分のハンモックの下にコロリ、
と転がっていた自分の角を見つけた。

「ああ、俺の角が折れちゃった・・・・」

一度、ヒルルクの為にアミウダケを獲りに行って 左の角が根元からポッキリ折れてしまっていた。

それをドクトリ―ヌが治してくれた。

その角も、その金具をつけたまま抜けてしまっている。

なんで・・・?
チョッパーは 床に落ちている自分の角を拾い上げた。

いままで、生え変わったことなどなかったから、
きっと 抜けることなどない、と思っていた。
ヒトヒトの実を食べている体質の所為で 普通のトナカイよりも成長が遅いのかもしれないけれど、
どうして、今ごろ抜けるのか わからない。

それに、なんだか とても 哀しいのは何故だろう?


「おい、チョッパー。」

梯子を伝って ゾロが降りてきた。
普段から小さいのだが、明かりをつけていない船底の男部屋の隅に
うずくまっているチョッパーは 更に小さくて、その背中がとても 淋しそうだった。

ゾロは、そんな繊細な感情をもっている相手に言葉をかける事を何よりも苦手としている。
今のチョッパーを見て 何を言っていいのか 判らなかったが、とにかく 側に歩み寄った。

だが、言葉が見つからず、随分ながい間、そこに突っ立ったままだった。
「・・・抜けちまったもんは、仕方ねえだろ。」
こんな時のこんな不用意な言葉の使い方が 時として 恋人との揉め事の原因になっているのに、
ゾロは相変らず 言葉の使い方がヘタだ。

「・・・また、生えて来るんだろ。」

確かに ゾロの言うとおりだが、この落ちこんだ気分は自分でも何故か判らない。

「おい、チョッパー。」

やはり、気になったのか、男部屋の扉を開けて、サンジが顔を甲板から覗かせた。
「お、やっぱり抜けちまってたんだな。良かったじゃねえか。」
「もっと、すげえ角が生えてくるぜ。」

「じゃあ、飯の続き、食いに来いよ。」
チョッパーに言いたい事だけを言うと、サンジは顔を引っ込め、さっさとキッチンへ戻ってしまった。


ゾロとチョッパーは、開けっぱなしの男部屋の扉を見上げた。

「あいつ、一体 何しに来たんだ・・・?」
「飯を食いに来いって事なのかな・・・?」二人は首を捻った。

ゾロとチョッパーは 顔を見合わせる。
「とにかく、あいつの機嫌のいいうちに食わねえと。」
「うん。食いっぱぐれちゃうな。」

二人は、とにかく キッチンへ戻る事にした。
抜け落ちた角は、チョッパーのハンモックの中に置いておく。

キッチンに戻ると、チョッパーとゾロの食事は温め直されていた。
船は進み始めていて、他の乗組員はその操舵にかかっているらしくそこには
ゾロとサンジ、チョッパーの3人だけ。

簡単な言葉と、温かい食事で、チョッパーの あの意味不明な ナーバスな気分が
何時の間にか、薄められている。
「さっさと食っちまえよ。船はもう 動いてるんだからな。」
背中を向けたまま、ぶっきらぼうにそう言うサンジだったが、キッチンの中の空気は 穏やかで暖かだった。

そんな事があった、数日後。

その寒い、島のログが貯まるのに 数日かかるというので、港に停泊する。

珍しく、チョッパーが風邪をひいた。
角が生えてくるまで、帽子を被れないらしく、その所為かもしれない。

角のない状態で帽子を被ると 小さな頭にはぶかぶか過ぎてずり落ちるし、かといって、
いつもいつも 人間型でいると食事の量が増大するので サンジに申し訳ない。

そこで 帽子を脱いで過ごしていたら、冷えてしまったのだ。
「こういうのを医者の不養生って言うんだよな。」
トナカイの平熱などわからないが、チョッパーの青い鼻が乾燥しきっている様子や、
瞳がどんよりしているのを見てサンジが苦笑した。

「・・・人間の薬でいいのか、チョッパー。」
チョッパーは、サンジの言葉に頷く。

チョッパー自身の指示で、全員が病室をうろついて病気が伝染することを懸念し、
格納庫で寝ているチョッパーの側に来るのはサンジだけにさせている。

それも、食事を持ってくる時だけ。
医者は、患者になっても 医者として口うるさい。

喉も痛いし、食べ物を飲み込むのがつらい。
人獣型になっているのもだんだん辛くなってきて、チョッパーは今 完全に
普通のトナカイの姿に戻ってしまっている。

「ベッドじゃ 余計に辛くねえか?」
食事を置いてから チョッパーを気遣うサンジに、
「いいから、もう 部屋から出て行ってくれ、風邪が伝染るだろ。」とかすれた声で答える。

トナカイに戻ってしまったチョッパーは、サンジが作ってくれた食べ物が喉に通らない。
前の食事は殆ど手付かずだ。
サンジは溜息をついた。
「・・・ごめん。食べられなかった。」
「いいよ。食えるものを考えるから。気にすんな。」

余り長居すると、本当にチョッパーが怒り出すので サンジは早々に部屋を出た。

「・・・トナカイの食えそうなものか・・・・?」
部屋を出てから、サンジは煙草に火をつけた。

病人の前では、煙草は咥えるだけで火をつけないのだ。
ナミの時もそうしていた。当たり前の心遣いである。

サンジは、そのままキッチンに向かい、まだ 夕食の準備には早い時間なのに、なにやら 作業を開始した。

チョッパーは、サンジが用意してくれた 温かいジンジャーの味のドリンクを
ちびちび飲んだ後、瞼を閉じて眠った。
頭がじくじく痛む所為ですぐには 眠りこめない。
夢に入ろうと、色々と考えてみる。

ふと、ヒルルクの事を思い出した。


ドクター。
なんで、こんなにいつも 思い出してるのに、夢の中に出てきてくれないんだ。

俺、一杯話したい事あるんだよ。

夢の中で俺が こうやって話している言葉は、ドクターに届いているのかな。

せめて、風邪をひいて 心細くなっている時くらい、ドクターの夢が見たいのに。

楽しかった思い出の夢は見ない。
懐かしいと思っているのに、ドラムでの夢はいつも ヒルルクと出会う前の孤独な時代の夢ばかりだ。



「おい、ウソップ。」
男部屋で道具を広げ 邪魔をするルフィに迷惑がりながら
なにかを作っているウソップにサンジは声をかける。

「俺、ちょっと出かけてくる。夕食までに帰れるかどうか わかんねえから
一応、シチューとパンを用意しといた。適当に食っててくれ。」

「ちゃんと、全員に食わせてくれよ。そこのクソゴムに鍋一杯食わすんじゃねえぞ。」

一方的にそう言うと、上着と手袋を持って さっさと出ていこうとする。

「どこ行くんだ、サンジ?」
退屈していたのだろうか、ルフィが目を輝かせてサンジに尋ねる。

答えると 付いて行く!と必ず 言うだろうな、とサンジは予想した。
マフラーを首に巻きながら一瞬 天井の方に視線をさ迷わせ どうやって断わろうか、と考える。

「注射だ。」
「え?」意外なサンジの答えにルフィが聞き返してくる。

「俺、チョッパーの看病してるだろ?伝染ったら困るから 予防接種して来いってさ。」
「お前も来るか?注射しに。」

我ながら 上手い嘘だな、とサンジはほくそ笑んだ。
案の定、
「そうか!じゃあ、気をつけて行って来いよ!」とあっさり ルフィはサンジの単独での外出を快諾する。



ヒルルクと出会う前、親のトナカイにさえ追いたてられ、碌な食べ物を口には出来なかった。

ヒルルクと出会って、自分がトナカイだとわかった時、彼は トナカイの食べるものをわざわざ 取って来てくれた。

それは、氷の下でも、僅かな光源でも生育する 「地衣類」と呼ばれる
苔と菌類が合体したような植物で、チョッパーは
そんな食べ物でも 一度でいいから おなかが一杯になるまで
食べてみたい、と思っていたものだった。

ヒルルクは それをバケツに一杯も取って来てくれたのだ。
鼻の頭が凍傷になって、氷を砕くために奮ったつるはしの所為で
掌には マメがたくさんできて、そして潰れた跡があった。

サンジがどんなに美味しいものを作ってくれても、そしてそれで どんなに腹を膨らませても、
あの時の ヒルルクが食べさせてくれた摂り立ての地衣類には敵わない。

(・・・あれが食べないなあ・・・・。ここならあるかもしれない。)

本当は、どんな味かも忘れてしまったけれど、心が一杯になって 黙って食べたフランスパンよりもずっと
美味しく感じた事だけは覚えている。


「おい、どこ行くんだ。」

甲板で上半身裸でトレーニングに勤しんでいたゾロが縄梯子を降ろしていたサンジに声をかけて来た。

「お前には関係ない。」
二人は特別な間柄だが、もともとの性格上 甘い言葉や態度などには縁遠かった。

ぶっきらぼうにそういうと、サンジはするすると港に降り立つ。

「ちょっと待て。俺も行く。」
ゾロはサンジにそう怒鳴ったが、すでに歩き始めていたサンジは
「いらん、いらん」とでもいうように 背を向けたまま
片手をヒラヒラさせて ゾロの声に答えてくる。

ゾロは、慌てて着衣を身に付け 自分の上着を男部屋に取りにいったが、
そこでルフィに捕まり、いい訳に手間取っている間に時間が経ってしまい、ようやく 港に降りれたのは
サンジが降りてから 30分以上も経ってからだった。

「まあ、足跡を辿れば すぐに追いつくだろ」
ゾロは、冬山の天候を完全に舐めていた。
港に降り立った途端、すぐにそのことに気がついた。
粉雪が降り積もった雪面は 風に撫でられ サンジの足跡は
薄く削がれ、その形は 判別しがたいほど あやふやなものになっていたのだ。

だが、その薄い足跡を辿るしか術もなく、ゾロはとにかく サンジの後を追った。

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