「…兄弟だったんだってな」
例によって、サンジとゾロは夜中の見張り台にいる。
今日のタワシ少年の盲腸騒ぎで、漁師の若者とタワシ少年が実は兄弟だと言う事が、
分かった。
「兄弟って事を敢えて隠してたんだ」
「やっぱり、俺達に対して何か企んでるって事、これではっきりしたな」
いつもの様に、サンジは縁に浅く腰掛けている。
そっと肩先が軽く触れるくらいに近付いて、ゾロは
「まあ、いいじゃねえか」と、話題を変えようとその話の腰を折った。
例え、何かたくらみがあって近付いてきていたとしても、今、すぐに彼らが自分達に
危害を加える事はない。
二人きりで、静かな穏やかな時間を過ごせるのは、一日のうちでほんの僅かしかない。
それなのに、その僅かな時間を、ゾロはそんなつまらない話題で潰したくなかった。
「…ああ、それは最初から疑ってた事だからな」
「俺が心配してるのは…。あのタワシの事だ」
そう言ってサンジは真っ直ぐにゾロを見た。
ふと雲間から漏れる月明かりが、サンジの顔に濃い陰影を作っている。
微かに不安げな、心配そうな眼差しが、その濃い影の中でも蒼い瞳の中に浮かんでいた。
「タワシの事?腹の傷の事か?あれは、チョッパーが大した事ないって…」
「違う、そうじゃなくて」今度はゾロの言葉をサンジが遮った。
「…俺達を騙すのに、なんでわざわざ子供を使ったのか」
「俺達に付け込む隙を作るためだと思わねえか?」
「俺達は、ジイさんや、兄貴に対して信用はしてねえ。でも、タワシに対してはどうだ」
そう言われて、ゾロは思わず(確かにそうだな…)と納得する。
信頼する、しない、と言うよりも、タワシに対して、
情と言うものに絆されかけているのは、事実だ。
「…確かにそうだな」とゾロはサンジの言葉に頷いた。
「あいつは、俺達を罠に嵌めようとしているヤツが使っている駒の一つだ」
「それを忘れちゃいけねえ。…そんな気がする」
「とは言うものの…」と、サンジは緊張した表情を緩め、
「悪気なんかこれっぽっちもねえの、わかってるし、お腹が減った、なんて
小さな声で遠慮がちに言われちまうと、よしよし、食えるようになったら
美味エもん作ってやるかな、なんて思っちまうんだよな」と少し困ったようにフワリと
笑った。
「お前が一番甘いンじゃねえか」と、ゾロも思わず表情が緩む。
数々の戦いを潜り抜けて、冷静で怜悧な知性と、温かい血の通った情と、
サンジはその両方を心の中に持っている。
そのどちらに重きを置くか、サンジは常に揺れている。
その不安定感と危なっかしさが見え隠れすると、不思議といつも唐突に、
サンジへの愛しさが心の中に染み出てくる。
その気持ちを言葉にしたくても、それに相応しい言葉が出てこない。
それでも、心の中に染み出て、溢れる気持ちを分かって欲しくてそっとサンジの体に
腕を伸ばして引寄せる。
じゃれ合うような口付けを交し、その後、ゾロはサンジしか知らない、微かな
穏やかな声で囁いた。
「…お前こそ、気をつけろ。ヘマやらかして、…怪我なんかするんじゃねえぞ」
* **
タワシ少年は、チョッパーの適切な手当てと、麦わらの一味の手厚い看護で、
順調に回復した。
彼らを海から拾い上げてから、そろそろ半月が経とうとしている。
その日の昼前、見張り台の上のウソップが双眼鏡を覗いて叫んだ。
「おい、前方に島影が見えたぞ!」
空はよく晴れ、風は追い風、海も凪いでいる。
船は順調にその島へ向って進んだ。
「あれが…島?」
その島が近付いて、肉眼で見え始めて、ナミは愕然と呟いた。
ゾロも、隣に立っていたサンジも、同じ様な顔をして、その島を見つめている。
「そうらしいわね…」と、この船の中で1番航海の経験をしている筈のロビンでさえ、
目の前の光景に唖然としているのに、ルフィだけが、「すっげえ〜〜!あれが、島か!」
と目を輝かせ、舳先で大喜びしている。
「凄エな…。あの島、地面がねえ」とサンジも驚いている。
「ああ、海から直接樹が伸びて、森になってるみてえに見える…」
思わず、ゾロもサンジの言葉に素直に相槌を打った。
天を突くかと思うほど高くそびえ立つ巨大な樹が、海から生えている。
「なんだか、…船ごと俺達虫になったみたいな気分だ」と
チョッパーはその大樹を見上げて呟いた。
「地面はちゃんとある筈よ。じゃないと、指針がこの島を指すはずないもの」と
言うナミの言葉を聞いて、
「地面は海底に沈んでる。その地面に植わっていた大樹が成長し続けて、海の上にも枝葉を伸ばしたんだ」と、若者がそう説明した。
海の上に唐突に現れた巨大な樹海の中を、船は注意深く進む。
樹海、と言っても、樹の数はわずかだ。
海中へと伸びている根が複雑に絡み合ってはいるが、樹とはにわかに信じられないほど
太い幹は数本しかない。
鬱蒼と枝葉は茂っているけれど、木漏れ日が海面に届いて、キラキラと光り、
船から身を乗り出して澄み切った海底を覗けば、群れを成して泳ぐ魚がはっきりと見える。
「人はどこに住んでるの?」とロビンが若者に尋ねると、
「樹の上に鳥の巣みたいに集落を作って住んでる」と答えた。
ナミや、ウソップ、チョッパーは疑問に思う事を次々と老人と若者に尋ねて、船の上は
大騒ぎになる。
だが、ゾロはその様子を少し離れた場所から冷静に眺めていた。
(皆、すっかり度肝を抜かれて舞い上がっちまった)と気を引き締める。
そうして、ふと、ゾロの目は何故かサンジを探した。
サンジは何を考えているのかが、唐突に気になったのかも知れない。
サンジは、ルフィを挟んで、ゾロと左右対称になるような場所で立ち、
周りの風景に気を配りながら、ゾロの視線に気がついたのか、二人は目が合った。
目が合った途端、サンジは
「聞きたい事は山ほどあるが…とにかく、島に着いたら色々分かるだろ」と
不敵に笑った。
「…面白そうな島じゃねえか」
「海賊が、海軍から船ごと身を隠すにはこれ以上の場所はねえよ」
***
島の中心部当りまで来ると、たくさんの船が停泊している港らしき設備が作られていた。
「あそこが港なの?」とナミが若者…タワシの兄に尋ねると、
「そうです。碇を下ろして、梯子で根によじ登れば上陸出来ます」と言う。
「すっげ〜。それじゃ、上陸じゃなくて、木登りじゃねえか!」とルフィは大喜びだ。
「待て、ルフィ!」
浮かれて、根に手をかけ、上陸しかけたルフィにサンジが鋭く声をかけた。
「軽はずみに行動するなよ」
「ここは敵地かも知れねえんだぜ」
「敵地?」
サンジの言葉にルフィは首を傾げ、
「どこに敵がいるってんだよ」とプウ、と少し頬を膨らませた。
森の中を早く探検したくてウズウズしているのに、それを止められたのがルフィは
不服なのだろう。
けれど、サンジはそんなルフィの表情など気にも留めず、
「それがまだ分からないから、勝手にウロウロするなって言ってんだ」と
「こんな右も左もわからねえ、どんな地形なのか、さっぱり分からない場所で
万が一、バラバラになったらどこでいつ、どうやって落ち合うんだ」と
ルフィの体を掴んで、船に引き摺り降ろした。
「じゃあ、皆一緒に上陸して、タワシ達を家まで送ってやろう」
「それならいいだろ?」
「まあ、バラバラにならねえでいいならそれでも構わねえけど…」
ルフィとサンジの問答の最中、樹の上から「おお!バルじゃないか!」と
大きな男の声がした。タワシ少年と、その兄がその声を探す。
声の主が急な坂の様になっている太い幹の上を、駆け下りてくるのが見えた。
小太りだけれども、機敏に駆けて来るその中年の男を、タワシ少年の兄が
「オヤジさん!」と呼ぶ。
「お前達の乗った船が難破したって聞いたが、まあ、よく無事で…!」
知り合いらしいその男が現れた所為で、騒ぎが大きくなり、島の住民を助けてくれた、と
麦わらの一味は大歓迎され、結局なんの備えも出来ないまま、
とうとう島に上陸してしまった。
***
「息子の命の恩人だ。どうか、我が家に来てください」と言われて、とりあえず、
タワシ少年と、その兄の家に向かう事になった。
案内されたその集落は、巨大な樹の中ほどの枝に数軒家を建ててあり、
やや細い枝が家と家とを結んでいる。
「歓迎とお礼の宴会を開きたいと父が言っています」
「でも、準備が整うまでしばらく時間がありますので、どうぞごゆっくりしててください」とタワシの兄にその集落の中でも一際大きな家に案内された。
「…どう思う?」ゾロはそっとサンジにそう尋ねてみる。
「夜になってから仕掛けてくると思う」とゾロ同様、サンジもまだ全く油断はしていない。
が、冴え冴えとした目の光を見ていると、
(…何か起こる事を期待してやがる)ようにゾロには見える。
「いずれにせよ、色々調べておいた方が良さそうだ」
「明るい内なら、多少動いても大丈夫だろ」
「お前、ウソップとルフィを連れて、虹の入り江、見て来いよ」
「俺は、ナミさん達と、この集落で色々探ってくる」
サンジのその提案を受け入れ、ゾロは「わかった。じゃあ、日が沈むまでには戻る」と
頷く。
何事もなければ、日が沈む前にゾロはこの集落に戻れる筈だ。
けれど、ゾロは、宴会が始まる日暮れまでに、集落に帰る事は出来なかった。
それは迷子になったからではない。
サンジが読んでいた以上に、敵は用意周到に罠をはりめぐらせ、麦わらの一味を待ち構えていたのだ。
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