「俺は、この石頭をどうにか早く連れて帰れるようにタワシの手助けをする」
「…分かった。すぐにルフィ達を連れて戻ってくるから、サンジ、くれぐれも
無茶するなよ!」

そう言って、サンジとチョッパーの二人は、牢屋から飛び出し、すぐにゾロの視界から
消えた。

「トナカイが逃げたぞ!」と、すぐにそれが露見し、ゾロが放り込まれている牢屋の周りは俄に騒がしくなる。

チョッパーとサンジは別々の行動を取っている。

だが、彼らの目には、恐らく脱走して逃げるチョッパーしか映っていないだろう。
(あいつがこの砦の中にまで単独で入り込んで、まだ中にいる事なんか、
やつら、きっと欠片も考えてちゃいねえ、だから、)
そこまで考えて、ゾロはよくよく自分に言い聞かせるように、腹の中でゆっくりと
呟く。
(…だから、なんの心配もねえ筈だ)
両足には、壁に埋め込まれた太い鎖で繋がれた足枷が嵌められているし、
体にはこれも鉄で出来た頑丈な鎖でぐるぐる巻きにされていて、
腕を上げ下ろしする事すら出来ない。こんな状態でジタバタしても無様なだけだ。

例え、自由を奪われた格好のままでも、絶対にこんな場所で死ぬとも思えないし、
さして窮地に追い込まれたともゾロは思っていない。
ただ、座して動かず、じっと外の動向に耳をそばだてていた。

けれど、いつもは全く感じない、嫌な空気が胸の中に澱んでいる。
それは、虫の知らせとか、胸騒ぎ、とか言うもので、その所為でどこか心がざわついて、
いつもの様には落ち着けなかった。

その原因は、追っ手が掛かっているだろうチョッパーではない。
サンジの戦闘能力も、判断力も、絶対的に信用できる。何も心配する必要などない、と
頭ではそう思っているのに、気がかりでならない。

もちろん、サンジを弱い、と見くびっている訳ではない。
ただ、今のゾロにとってサンジは、誰よりもかけがえのない大切な存在だ。
だから傷ついて欲しくない。
その身が苦痛を感じない様、常に守っていたい。
守れなければ、己がいかに無力かを思い知らされる。
それはゾロにとって、戦いに負けた事と同じ事だ。

不安が募れば募るほど、サンジを守りたい、と言う想いが体の中から込み上げてくる。

だから尚更、ゾロは自分に言い聞かせた。
(…今更、そう思ったって仕方ねえ)
(あいつの無事より、タワシとの約束を優先させたのは…俺なんだから)

今は、愛しい特別な存在として気を揉むより、一緒に戦ってきた男として
サンジを信頼すればいい。

(あいつはこう言う状況は慣れてる。今までだって、こんな田舎海賊とは比べ物に
ならねえくらいヤバイ相手と何度も渡り合って来たんだ)
(この砦の中から、俺の刀とチョッパーの袋を取り返すくらい、どうって事ねえ筈だ)
そう思うのに、ついさっき、「…この…石頭…!」と言った時のサンジの顔が
妙に脳裏に浮かぶ。

殆ど暗闇に近い、鉄格子の間から漏れてくる月明かりの中で見た所為か、
とても蒼ざめて見えた。
だが、ゾロは頭を振り、その映像を振り切る。

(きっと、「おい、ボケマリモ!さっさと出るぞ、こんなとこ!」と、タワシを連れて、
ここへ戻ってくる)
(それから…何故、こんな回りくどいやり方で俺達を騙して、ここへ連れてきたのかを
暴いて、その首謀者とキッチリ落とし前をつけりゃ、明日の朝、遅くても昼には
この島を出てるだろ…)
ゾロは、敢えてそんな楽観的な事を考える。
どうにかして、自分の胸の内にある不安と胸騒ぎを宥めたかった。

* **

それから、どのくらいの時間が経ったか、ずっと気を張っていたゾロには、
それが短く感じたのか、長く感じたのか、それすらわからない。

恐らく、2時間か、3時間は経っていたらしい。
1時間ほど前から、この砦の中の空気が猛った。その原因など考えるまでもない。

その空気の猛りを感じてからずっと、ゾロの心臓は嫌な鼓動を打っている。
やげて、騒々しい足音が近付いてくる。

その中に、鎖の音が混じっていた。
それから、血と、硝煙、汗の匂いも。

「…サ…」サンジ、と呼びかける声が喉で詰まる。

そんな屈辱的な姿を晒したサンジを見たのは初めてで、ゾロは言葉を失った。
呆けたように、何も言えず、唖然とサンジを捕えた男達と、虜となったサンジの姿を
凝視する事しか出来ない。

力なく、脱力したまま、大柄な男の肩にサンジは担がれていた。
その手には頑丈そうな枷が嵌められ、足も鎖で拘束されている。
無精ひげを顎まで生やした、その大柄な坊主頭の男は、さも憎々しげに
「…泥棒みたいにコソコソ忍び込んでやがった」
「挙句にガキを人質にとって、俺達がそのガキを見殺しにしようとした途端、大暴れしやがって」とゾロにそう言い吐いた。

「…てめえら…」と、歯軋りし男達を睨みつける。
驚きが、壮絶な怒りに瞬時に変った。

だが、平然と、坊主頭の男は乱暴にドサリ、とサンジを床に放り出し、
「もうじき、お前らの船長も狙撃手もここに連れてきてやるよ」
「それまで、もう暴れずに待ってろ」とニタリと笑った。

ほどなく、ギイ…と鉄が軋む音を立てて、牢屋の扉が閉まる。
既に勝者の気分なのか、サンジを連れて来た男達が下卑た笑い声を上げながら、
牢屋から遠ざかっていく。

それに連れて、音と共に光も遠ざかり、ゾロの周りは再び、か細い月明かりに照らされるだけの闇が残された。
耳には、潮風に吹かれてザワザワと揺れる葉ずれの音と、
樹の幹を洗う波の音しか聞こえない。
薄ぼやけた闇と静寂の世界にゾロとサンジは二人きりで閉ざされてしまったかの様だ。

だからこそ、それ以外の音に敏感になる。

「…う…」
サンジが苦しそうにそう喘ぎ、呻いた。
ゾロはその表情に目を凝らす。

額にびっしょりと汗をかき、長い前髪が張り付いていた。
苦悶に眉根を寄せ、きつく目を閉じている。
その表情を見ただけで、ゾロの心臓は何かに鷲づかみにされたように
ドクン、と不気味に大きく鼓動を打った。

(もっと近くに…)そう思うのに、ゾロの体は鎖で縛られている。
サンジににじり寄りたくても、既に壁から伸ばされた鎖はピンと張って、
千切れでもしないかぎり、もう一切、近付くことは出来ない。

「…うっ…」サンジがもう一度、呻く。
そして、手枷を嵌められたまま背を丸めて、歯を食いしばった。



まるで、腹に銃弾でも撃ちこまれて、その痛みに悶えているかのように見えたその動きに、
ゾロの体が一気に凍る。

その途端、ゾロの目がサンジの腕から流れる血、その一点に注がれる。
(…腹を…撃たれてるのか?!)そう思った。
そうにしか見えなくて、そう思った瞬間、後ろ手に縛られたゾロの手の、
その指先まで まるで血が止まったかのように冷たくなる。
唇が戦慄いて、ゾロは上手く、声が、言葉が出せない。

それでも、必死に喉から声を絞り出した。
「おい、…おい、しっかりしろ!」

かけがえのない、愛しい存在。
誰よりもかけがえのない大切な存在、そのサンジが目の前で痛みに悶えている。
なのに、その体に触れる事が出来ない。

焦れる心が、ゾロを叫ばせた。
体のどこが傷ついたのか、一時も早くそれを知りたい。
知ってどうなるものでもない、とはその時は思わなかった。

「…サンジ!サンジ!」

サンジの目がいつの間にかうっすらと開いている。
けれど、その瞳はゾロをまだ感知出来ていない。
それほど、大きく揺らいでいるのが、離れていても見えた。

「…どこを撃たれた?腹か?」

そう尋ねると、サンジは目を細めた。
それは瞬きの為ではない。
苦痛に顔がゆがんだのだと、すぐにゾロには分かる。

自分が目の前にいる事すらまだ分からない。
それほどの重傷を負っている。そうゾロは思い込む。思い込んだのも無理はなかった。

側に近寄り、抱き上げる事が出来たなら、肩に銃創を負っているだけだと分かり、
ゾロも少しは冷静になることが出来ただろう。
だが、腕を伸ばす事も、にじり寄って傷を見る事も出来ない。

もどかしい距離感に、ゾロの焦燥感と動揺と、どんな怪我を負っているのか
分からない不安は、壮絶な凄い勢いで膨らんでいく。

(こいつがこんなに前後不覚になるなんて…。それほどの怪我なのか?)
それほどの怪我、と言うのはつまり、今サンジは生死の境をさ迷っている、と言う事だ。
そう思った途端、ゾ…と体中に寒気が走った。

「…うう…」サンジは一旦息を詰める。
それでも呼吸をしなければ息苦しくなる。
おそらく、壮絶な痛みを堪えながらなのだろう、はぁッ…はぁッ…と浅く早く呼吸をする。


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