「上の倉庫に黒い袋も、刀も、この中に放り込んだ」
「…、で、どの刀に宝の地図を隠してあるんだ?」
男とタワシは、幹をくり貫いた通路を上へ、上へと登っていく。
サンジは音も立てずに、その後を追う。
そして、男は壁に鉄柵を打ちつけて作った梯子を上り、幹の上、つまり枝が生い茂る
外へ出た。
そこには、まるで樹の上に作られた巣のように、小さな小屋がある様だ。
タワシと男が持っているカンテラの頼りない灯りの下、サンジの目には、その小屋は
ただの影にしか見えない。
中にいる時は遠く聞こえた潮騒が、急に鮮明に聞こえ、冷たい潮風が熱っぽい頬を撫でる。
サンジは片時も意識を逸らさずに、その小屋の扉の前にいるタワシ達を見つめた。
ほどなく、「ガチャリ…」と微かな音がした。
少し離れた場所で様子を窺うサンジにも、どれほど用心に用心を重ね、
その上、さらに細心の注意を払って開いたかが分かる。
後ろ暗さから、誰かに聞かれる事を憚る故に、その音は酷く臆病な音に聞こえたのだろう。
「この中にあるの?」とタワシが男に尋ねている。
「ああ、」とその男が頷いた時。
「そうか。手間かけて悪かったな、」
それだけ言うと、サンジは男が振り返る前に、後ろからこめかみをガン、と一蹴りする。
それだけで、男はクタクタとその場に倒れた。
だが、その男を蹴った衝撃が、痛みが間断なく疼く腹を直撃する。
「…うっ…」
サンジが思わず、太い枝の上に膝を着いたのは、その男が倒れこむのと殆ど同時だ。
「サンジのにいちゃん!」
「へ、足が滑っちまった…」
心配そうなタワシに、サンジはそう言って苦笑いをし、立ち上がる。
顔を上げた瞬間、目の前の風景が大きくぐるりと回った。
***
刀と、チョッパーの道具を取り返したけれど、それを牢屋の中にいるゾロに届けなければ、
約束を果たした事にならない。
けれど、いざ、三振りの刀を持ってみれば、十歳のタワシには重すぎて、
到底もてる物ではなかった。
「…刀がこんなに重たいなんて…」と、タワシは呆然とする。
引き摺るようにして持てば、必ず誰かの目に止まる。
目に止まれば、咎められるし、そうなると、約束など絶対に果たせない。
ゾロの刀を三振りとも腕に抱え、チョッパーの荷物を背中に背負って、
その重さに立ち上がる事も出来ず、タワシは床にしゃがみ込む。
それから、(俺は、どうすればいいんだろう?)とタワシは考えた。
けれど、数分考えても、いい考えは浮かばない。
「どうすればいい?サンジのにいちゃん、」と遂に、タワシはサンジに助けを求めた。
(…!)
見上げたサンジの顔色を見て、タワシはハっと息を飲む。
月明かりの所為かも知れないけれど、酷く青白い。
眼差しも、酷い風邪を引いたかの様に、生気がない。
「…サンジのにいちゃん…?顔色が悪いよ」と言っても、その言葉をサンジは聞き流した。
「…お前はちゃんと取り返したじゃねえか」
「それだけで十分だ。約束の残り分、俺が引き継ぐ。もう、お前は俺達に関わるな」
「万が一、俺と一緒にいるところを見られたら、…ホントに殺されるぞ」と、
やんわりとタワシが抱えていたゾロの刀を取り上げた。
「さっき、俺が蹴り倒したやつが目を覚ましたら、お前はどういうか、覚えてるか?」
立ち上がりながら、サンジはそうタワシに尋ねる。
「うん、」とタワシは深く頷く。
「刀と荷物を取り返して来い、ってコックのサンジに脅かされてやったんだ」
「言う事を聞かないと、頭を蹴り潰すって言われて、仕方なく…」
殆ど棒読みのようなタワシの言葉に、サンジは「よし、上出来だ」と満足そうに笑った。
だが、その笑顔もどこか、辛いのに無理に笑っている様にタワシには見える。
「騒ぎが起こったら、自分の身は自分で守れよ」
サンジがそう言って、何か他の言葉も言いかけた、その時。
「おい、誰かいるのか…?」といきなり倉庫の扉が開いた。
二人は、突然の事に息を飲み、思わず振り向く。
銃を肩に下げた二人の男が、倉庫の中を明々とカンテラで照らした。
「お、お前は!」
無精ひげを顎に一杯生やした30歳前後の男が、そう大声を上げる。
サンジを見てそう喚いたのか、タワシを見て喚いたのか、その瞬間はわからなかった。
「コックのサンジだ!」ともう一人が大声を上げ、銃身の長い銃の、銃口を二人に向ける。
「ま、待って!撃たないで!」
思わずタワシはサンジの前に飛び出した。
無精ひげの男も、もう一人の男も、タワシには名ぐらい知っている顔見知りだ。
(俺が盾になれば、サンジのにいちゃんを庇える…!)殆ど反射的にそう思った。
「動くな!」
そう怒鳴ったのは、男達ではなくサンジだった。
前へ飛び出したタワシは、首根をつかまれ、腕で軽く締め上げられる。
少しも苦しくもないし、痛くもない。
だが、サンジはその態勢のまま、正面で武器を構える二人に怒鳴った。
「ちょっとでも動いてみろ、このお人よしのクソガキ、絞め殺すぞ」
ゾロとチョッパーがタワシを人質に取られて脅されたのとまるきり逆の行動だけれど、
彼らは、タワシを麦わらの一味ほど大切には思っていてくれなかった。
「構わねえ、撃っちまえ!」
(…チ!)とサンジの小さな舌打ちが聞こえる。
タワシはサンジに突き飛ばされ、床に転がった。
ハ、と気が付き、起き上がると、もうサンジの姿はない。
「誰か、来てくれ!侵入者だ!コックのサンジが中にいるぞ!」
男達が大声で仲間を呼んでいる。
タワシは(…どうしよう)と狼狽し、なす術もなく、サンジの姿が消えた闇の中を
ただ、凝視する。
タワシを突き飛ばした時に手放してしまったゾロの刀が三振りとも、
その足元に転がされたままになっている。
***
(くそ…っ)サンジは、重たく、悲鳴を上げたくなるほど痛む体を無理矢理動かして、
追っ手と戦う。
思うように動けない事も悔しいが、それよりも、(しくじった…!)、その事が何よりも悔しい。
ゾロの刀もチョッパーの道具も両方、折角取り戻したのに、結局、タワシと一緒に
あの倉庫に置きっぱなしにしてきてしまった。
相手にとって人質としての価値がないと判断されたタワシを連れて逃げる事は出来ない。
なぜなら、敵と密接であると思われたら、それだけタワシに掛かる危険は増すからだ。
今、この状況では完全に、タワシを庇えない、守りきれない。
それに、もともと、タワシはこの砦にいる海賊の縁者だ。
その懐に入れておく方が、より危険は少ない。
そうサンジは瞬時に判断して、あの場にタワシを置き去りにした。
一人蹴り、二人蹴り、その腹の中の痛みは全身に響く。
銃を蹴り上げ、粉砕する硬い感触が、そのまま腹を何かで貫通されたかと思うほどの痛みに変る。
無数の振り下ろされる剣を横になぎ払えば、腸が捻じ切られそうな程の振動に感じる。
怒号、破壊音、銃声、そんな音がどんどん遠くなる。
薄暗い視界が時折真っ暗になり、ふいに前後左右、上下がわからなくなる。
脂汗が額ににじみ出て、伝い流れ、目に入って来る。
痛いはずなのに、その痛みなど全く感じない。それほど、腹の中の痛みは暴れ狂っている。
太腿に、何か強い衝撃を感じて、その途端、床にひき倒れ、サンジは失いかけていた意識を
唐突に取り戻した。
朦朧としていて気が付かなかったが、左の肩がべっとりと血で濡れている。
それを見て、初めて、(肩が撃たれてる…)事にサンジは気が付いた。
「足を押さえたぞ!」
そんな喚き声が酷く気に障った。
(蹴り殺してやろうか、…)と、その声のした方を睨みつけたが、やけにぼやけて何も見えない。
その上、もう体は指一本動かない。
痛みの所為だけではなく、いつの間にか、手にも足にも、ガッチリ枷が嵌められてしまっていた。
「てこずらせやがって…!畜生、こいつ、コックの癖に何人か、殺しやがった…!」と
忌々しげな言葉を吐く声がして、サンジの腹を誰かが、憎らしげに蹴った。
「…あうっ…!」
無様に呻いて、痛みに目が眩み、それからの記憶がぷっつりと途切れる。
激痛に意識を失い、そしてサンジは痛みによって意識を取り戻した。
腹の中を鋭い爪で引っ掻き回されるような痛みと、猛烈な喉の渇きに、無理矢理瞼を
こじ開けられる。
気を失ってさえいられない痛みに、サンジは身を丸めた。
ただ、激痛に呻き、悶え、のた打ち回る以外、何も出来ない。
側に誰がいて、どんな目で、どんな思いで自分を見ているか、考える余裕など欠片もなかった。
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