海賊の根城の中は、サンジが思っていた通り、太い幹をくり貫いて、複雑に入り組んで
いた。

(さて…。どこをどう探そうか…)と、サンジは内部の動向を探りながら、
思案する。

生きて、生えている樹の中をくり貫いてあると言う構造上、火気はなるべく避けたいのだろう。
夜だというのに、通路の中には殆ど灯りが見当たらない。

光源は、小さな明かり取りと、通風の為に開けられた穴から漏れてくる薄い月明かりと、
おのおのが、手に持っている小さなカンテラだけで、武器を持った男達が
その暗い廊下を行き来している。

その環境は、身を隠して動いているサンジには都合良かった。
けれど、同じ様にこっそりと動き回っているだろう、小さなタワシを見つけるのには
少々、面倒だ。

そんな事を考えている最中も、ずっと右の横っ腹が鈍くズキズキと痛む。
吐き気は、時間を追って酷くなってくる。

(…つ…)思わず、サンジは吐き気を堪える為に口に手を沿え、声に出さずに呻いた。
(…こんなんじゃ、ちっとも考えがまとまらねえ…)

足音、気配、殺気、などを察知する為に今は、五感全てを研ぎ澄ませなければならない。
それなのに、痛みと不快感が邪魔をする。
(こんなモンに気を散らして、立ち止まってる場合じゃねえ、)とサンジは一旦、
固く目を閉じた。
自分の感覚も、それを邪魔する痛みも、そのを両方共一度、吹っ切る。
そして、溜息を一つ、音もなく吐いて、目を開けた。

その瞬間は、体の中にある邪念めいた痛みは清浄されたかのように感じない。
けれど、一度閉ざした感覚を再び、研ぎ澄ませた途端、痛みだけは腹の中に戻ってきた。

(…くそ、なんだ、こんな時に…)と思わず、歯を食いしばる。
その時、前方に光が揺らめいた。
緩やかな傾斜がついた通路を、影が自分の方へとタタタ…と慌しく駆け下りて来る。

サンジは物陰にうずくまり、その気配に意識を集中した。
うずくまると、横っ腹の痛みはますます酷くなった気がする。
背中にも、うっすらと脂汗が滲んできたが、サンジは影の中に溶けるように気配を殺す。

はあ、はあ、はあ、と呼吸を乱して駆けて来たのは、薄明かりでもそれと分かる、赤茶色の髪を
した、タワシだった。

キョロキョロと落ち着きなく目をあたりに配って、明らかに何かを探している。
しきりに自分の後ろを気にするのは、後ろ暗い事をして、追っ手が掛かるのを怖れている証拠だ。

(…タワシ!)とサンジは小声で呼びかける。
だが、タワシは緊張しきって全身の神経が尖りきっている。
その上に、海の波音と、潮風が生い茂った葉を
揺らす音に紛れて、サンジの囁くような声がタワシには聞こえなかったのだろう。

そのまま、目の前を駆け抜けていった。

サンジは慌てて、その後を追う。
そして、「おい!」と声をかけざま、肩を掴んだ。

いきなり、背後からなんの前触れもなく、真っ暗に近い場所で誰かに肩を鷲づかみされれば、
「わあ!」と驚いて声を上げるのも無理はない。
けれど、騒がれて、秘密裏の行動が大騒ぎになれば、チョッパーが逃げた事がこの砦中に
知れ渡ってしまう。サンジは「わあ!」とタワシが声を上げる前に、その口を慌てて塞ぐ。

「…タワシ、俺だ」と言ってサンジはタワシを抱き込んだまま、その顔を覗き込む。
大きく開いた目がクリクリと動いて、その目から驚愕と恐怖が消えたのを確認してから、
サンジは手を離した。

「サンジのにいちゃん!」「…し…」
驚くタワシの声をサンジは「し…」と制して、身を屈める。
途端、また横っ腹に、ズキン、と重い痛みが走った。

それをまたサンジは唇を噛み締めやり過ごし、それから、タワシの目を真正面からじっと見つめた。
「…無事でよかった」「う、うん。でも…」
何か言いたげで、でも、何を言うべきか分からずに、タワシは唇を小さく戦慄かせたまま、
何度も忙しない瞬きをする。
緊迫してピンと張り詰めていたタワシの中の何かが、今にも切れそうに見えた。
「…話は、大よそ、バカ剣士から聞いた」
「うん…」

(訳がわからねえんだろうな…)
頭の中が混乱しているのが、その頼りない表情を見ればわかる。
そんなタワシをサンジは心から、(…可哀想に)と思う。

タワシは何一つ嘘はついていない。最初から今、この瞬間まで、その行動には、
毛ほどの打算もなかった。
自分達を騙そう、とか、陥れよう、などと全く、微塵も思っていなかったに違いない。

ただ、この島の大人に言われるがまま、船に乗った。
そして、漂流していた。それを海賊に助けられた。
病気になったら、介抱してくれた。治るまで、皆で看病してくれた。

そんな人たちが大好きになった。
従兄弟が病気だから、治してほしくて、自分を治した医者をその家に連れて行った。

そうしたら、この島の、…本来、自分の味方である筈の大人達が、自分に武器を突きつけ、
助けてくれた海賊に敵意の目を向け、縛り上げて、牢屋に放り込んでしまった。

何が正しくて、何が間違っているのか、今のタワシには何も分からない。
どうしていいのか、どうするべきなのか、分からなくて、混乱して当然だ。

どうしていいのか、どちらが正しいのかなど、分からなくなっても、それでもタワシは、
じっと立ち尽くしてはいられなかったのだろう。

取り上げられて、どこにあるのか分からないゾロの刀と、チョッパーの医療道具の入ったリュックを探すのに、この砦の中を大人の目をかいくぐって駆けずり回っていたのが、額にうっすら浮かんだ汗を見れば分かる。

「サンジの兄ちゃん、」
「俺、ゾロの兄ちゃんの刀と、トナカイの先生の荷物を取り返す約束をしたんだ」

「ああ、知ってる。ちゃんとわかってる」サンジは、タワシの懸命な言葉に大きく頷く。

俺は裏切り者じゃない。
俺は、麦わらの一味を裏切ってない。

もっとタワシが自分の言葉を正確に確実に言えるほど聡い子供なら、きっとそう言っている。
その言葉にならない気持ちに、サンジは大きく頷いて見せた。

タワシは、囚われの身になると言う屈辱に甘んじても、ゾロとチョッパーが守ろうした子供だ。
そして、何がなんだかわからず、頭の中は混乱したままだと言うのに、
ゾロとチョッパーの為に、必死に奪われた道具を取り返そうとしている、勇気のある子供だ。

そんなタワシを死なせるわけには行かない。
「…でも、そんな事したらお前、仲間を裏切った事になるぞ」
「仲間を裏切った海賊がどうなるか…。知ってるだろ」

「でも、俺を最初に騙したのは、…」そう言いかけて、タワシは自分の声が高くなったのに
気がつき、口をつぐむ。

「サンジの兄ちゃん、…ホントはどっちが悪者なんだ?」
「どっちが悪者?」

タワシの言葉にサンジは思わず、苦笑する。
「海賊に、どっちが悪いもなにもねえよ。…どっちも悪者だ」

***

「なんだ、お前。バルの弟じゃねえか」
「こんばんは」

タワシは、通路を歩いていた一人の若い男に見咎められて、立ち止まり、屈託なく、
挨拶をする。
サンジは、そのすぐの背後の闇に黒猫が溶け込む様にじっと潜んでその様子を伺う。

「お前、この砦から暫く絶対出るんじゃねえぞ」
「この砦の中でなら、どれだけウロついても構わねえが、麦わらの一味とまた関わるような
事があったら殺せって言われてるんだ」
「俺も、友達の弟を殺したりなんかしたくねえからナ。大人しくしとけよ」
そう言われて、タワシは素直に頷いている。
「うん、わかってる」
そして、上目遣いにその男を見上げた。
「ちょっとあの…、お願いがあるんだけど」

***

取り上げられた荷物の在り処を突き止めるのは、この中を自由に動き回れるお前しか出来ない。
誰か知り合いに出くわしたら、こう言え。

「あの、トナカイの…船医の、荷物の中に、お母さんの形見が入ってるんだ」
「それをなんとか、取り戻したいんだよ…」
「どこにあるか、知らない?」

タワシは、サンジに教えられた言葉をそのまま、けれど出来るだけ、自然にそう言った。

「船医の荷物?ああ、あの小さな黒い袋か」と独り言を言った男に、
「そう、それだよ!どこにあるの?」とタワシは何度も頷く。
「それを取って来いって?面倒だな…」と男は渋っている。
「自分で取りに行くから、どこにあるのか、教えてくれたらいいよ」
「そしたら、俺しか知らない、麦わらの一味の秘密を教えてあげる」

そう言って、秘密事をこっそり教える様に少しずる賢い、小さな声を出した。

「麦わらの一味の秘密?」男は、タワシのその声に興味をそそられたのか、
怪訝な顔をしながらも、身を屈め、耳をタワシの口元に寄せる。
「うん、あのね、内緒だよ…」

タワシはそっと男に耳打ちする。
サンジに教わった言葉をそのまま、一文一句変える事無く。

「ロロノア・ゾロの刀の鞘の中に、麦わらの一味が隠した宝の地図が隠してあるんだ」
「なんだって?!」

男の顔色が変わった。
タワシは、タワシの口で言うサンジの言葉は、さらに男の欲を掻き立て、そそのかす。

「その地図、鞘から簡単には取り出せないんだけどね」
「…俺、その取り出し方も、知ってるんだ」
「お頭に見つかる前に、抜いとけばその宝を独り占め出来るからね」
「刀の場所も教えてくれたら、その宝、ちょっとくらい分けてあげてもいいよ」

生意気なタワシの言葉に、男はなんの反応もしない。
自分の腹の内を押し隠して、平然を装ったつもりなのだ。
「わかった。ついてこい」そう言って、すぐに背を向け歩き出す。

タワシがゾロの刀の鞘から地図を取り出したら、すぐさま、それを取り上げ、
地図の事を誰にも知られないように、その場で殺す。

そんなたくらみを腹に抱えた事ぐらい、サンジにはすぐに見抜ける。
(…下っ端を騙すぐらい、たやすいもんだ)と思わず、闇の中でほくそえんだ。

吐き気も横っ腹が鈍く痛むのも、少しも治まらない。
体も、熱を孕んだように少しづつ、けれど確実に重くなっていく。
それでも、今更引き返すわけにはいかない。

男の影と、タワシの影を追いながら、ふと、サンジは足を止める。

(…もし、大人数を相手に暴れるような事になったら…いつもみてえに動けねえかも
知れねえ)

胸の内にそんな灰色の煙のような不安が広がり始めていた。


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