ゾロの頭は、考える事を遂に投げ出した。
すると、体が本能のままに動く。

体中に巻きついた鎖が隆起した筋肉に食い込む。

この鎖は、今や、グランドラインでも名を知られた剣士のゾロの、その強大な力を封じる為に、幾重にも幾重にも、厳重に厳重に巻きつけられている。
壁と鎖を繋ぐ金具も、きっと相当な強度で造られているだろう。

どんなに引っ張っても、足掻いても鎖を解く事は出来ない。
例えどんなに力を尽くしても、ヒビ一つ入らないかも知れない。

だが、ゾロはもう何も考えてはいなかった。

歯を食いしばり、どんなに無様で滑稽な格好の悪足掻きだと人の目に映ろうが、
どうでも良かった。
例え僅かでもいい。サンジの側に行く事だけを目的に、体が動く。

ギシギシと骨が軋み、鎖がギリ…ギリ…と鈍く鳴る。
全身を締め上げられて、息が詰まるが、両肩にグっと力を入れる。
精一杯の力を入れて、片方の肩づつ、グイ!と勢いをつけて前のめりになって
鎖を引っ張る。

背中の後ろで拘束されている両手首がねじ上げられて、折れそうに痛い。
だが、そんな事で挫けたりしない。
(折れるなら、折れてもいい…!)
歯を食いしばり、尚もゾロは同じ動きを繰り返す。

この体を縛る拘束を引き千切りたい。
それが出来ないのなら、せめて、サンジの体に届く場所まで行きたい。
それだけがゾロの体を突き動かす本能だった。

やがて、手首が擦り切れ、汗で体はびしょぬれになる。自分の荒い息遣いの音で、
サンジの呼吸音が聞き取れない。
その代わり、ゾロの目は瞬きさえせずに、サンジを凝視していた。

ゾロの目は、サンジの呼吸の有無と、命のともし火を見据える。

死なせて堪るか。絶対に、こいつをこのまま死なせて堪るか。

その言葉だけ、その想いだけがゾロの心を埋め尽くしている。
どれだけ痛かろうと、皮が破れて血が滲み、流れても、力は無尽蔵に沸いてくる。

鎖がピン、と張りつめるだけ張った。これ以上は、もう動きようがない、と言うところまで鎖は張って、それでも繰り返し繰り返しギン!ギン!と鈍い金属音を立てる。

やがて、ゾロの背中でミシ…ミシ…と壁にヒビが入る音がした。

その音に勇気づいて、ゾロは一度、その壁に思い切り背中からぶつかっていく。
ドーンドーン!とビビが入ったあたりに体当たりをし、それから勢い良く、
サンジの方へと体を投げ出した。

その途端。
バキバキバキっ…!と大きな音がして、壁が崩れ落ちる。
同時にゾロはまるで無様なイモムシに、何かに放り投げられたような勢いで、
床にバシン、と叩き付けられた。

その勢いで樹の床を二回、ゴロゴロと転がる。
その体をまだ縛っている鎖がジャラジャラと派手な音を立てた。

「…やった!…」思わず、ゾロは呟く。
両手両足は緊縛されたままでも、壁からは自由になれた。
これでやっと、サンジに這い寄れる。

「…サンジ!聞こえるか!」

そう呼びかけて、ゾロは自分の額を汗で濡れたサンジの額に押し当てて見る。
そして、思わず息を飲んだ。

(…やっぱり凄エ熱だ…!)

これだけの熱ならそれだけで息が苦しい筈だ。
何をどうすれば良いのかなど何も分からないけれど、ゾロはまず、歯でサンジの
シャツのボタンをいくつか食い千切った。
それから、顎と唇を使って胸元を寛げてやる。
サンジのシャツを広げた途端に、熱気が鼻先を掠めた。
触れてもいないのに、どれだけ熱が高いかをゾロはまた思い知らされる。

呼吸音がさっきとは違う。
吐き、吸う呼吸がはぁっはぁっはぁっ…と異様に早い。
サンジの体のどこもかしこが強張り、小刻みに震え続けている。

「しっかりしろ…!こんな事で…」お前が死ぬはずがない、と言う言葉が
ゾロの喉で詰まった。

死ぬ、と言う言葉を口にするのが怖くて言葉に出せない。

「…死に…たく…ねえ…」
「…死…にた…く…ねえ…」

ゾロの声が近くに聞こえたからか、サンジはうっすらと目を開けてうわ言の様にそう呻いた。
その細く開いた目が、自分に助けを求めている。
そんな風に思った。

「死ぬわけねえだろ!」ゾロはサンジのかおの間近でそう怒鳴る。
死ぬ、と言う言葉が怖かった、と言う気持ちは何故かもう一瞬で消し飛んでいる。

サンジは死なない。絶対に死なせない。

サンジの声と眼差しが、ゾロを奮い立たせた。

サンジが死ぬかもしれない、と怯えたる自分も、
サンジがこうなったのも自分の所為だと悔いた自分も、弱かった。
けれど、それもゾロ自身だ。
そんな自分に勝てなくて、自分達の行く道に立ち塞がったこれしきの障害を越えられるわけがない。

ゾロは弱かった自分と、サンジと生きて行く、と決めた自分の人生を妨げるこの災難に、
戦いを挑むような気持ちになった。
戦うなら、勝たねばならない。
勝つためには自分を信じる気持ちを強く持てばいい。

「俺が側にいるんだからな…絶対に死なせねえ」

そう呟いて、今度は体中をぐるぐる巻きにしている鎖をちぎろう、と体に力を入れた時。





「…ゾロの兄ちゃん!」
牢屋の外に、いつの間にかタワシがしがみ付いていた。

「…タワシっ!」ゾロは驚いて、鎖を引きちぎったまま、格子の側ににじり寄る。
サンジの事ばかりを考えていて、タワシが近付いていた気配に全く気がつかなかった。

タワシの息ははあはあと上がっていて、頬は真っ赤だ。
「ついさっき、船長さん達が来て、上で騒ぎになってるんだ」
「その隙に、俺、刀と荷物、取ってきたよ!」と一気に喋った。

「刀?全部か」は聞き返し、格子越しにタワシの鼻に触れるくらいに近付いてそう聞き返す。
「ううん、重たくて、全部は持って来れなかったんだけど…」
「これ、」そう言ってタワシがゾロに見せたのは、「和道一文字」だ。

「よし。お前、それを抜いて、絶対に動かさないように刃をこっちに向けろ」
「え?」怪訝な顔をするタワシにゾロは平然と「鎖を斬る」と答える。

「俺が斬るの!」驚くのも当たり前だ。だが、詳しく説明している時間はない。
ゾロは口早に
「違う、お前は刀の台になればいい。鎖は俺が斬る」
「とにかく、絶対に動かすな。そうやって持ってるだけでいい」
「わかったか」と有無を言わさない口調でそう言った。

「…わかった。動かさなければいいんだね?」「ああ」

タワシはそろそろと、慣れない手つきで「和道一文字」を引き抜く。
細い、銀色の月明かりがその刀身に射して、キラリと光った。

「刃を上にして、格子からこっちに差し込め」
と言うゾロの言葉どおりに、タワシは神妙な面持ちで、刃を格子の中へと差し込んだ。
そして、ゾロの意思を刀は汲み取る。
柄を持っているのはタワシだけれど、刀を支配し、握っているのはゾロだ。
あとは、「鉄」の呼吸を読み、斬ればいい。

切っ先にぐいぐいと肩を近づけ、わずかな鎖と体の隙間にねじ込む。

カチリ…と金属と金属がぶつかる音が微かに鳴る。
大きく呼吸を吐き、吸い、静かにゾロは目を閉じる。

鉄の呼吸、鎖の呼吸を読み、感じ取る為に精神を集中させた。

(…よし、)そう判断した瞬間、ゾロは体からストン、と力を抜く。
膝を折るように屈めば、ごく自然に、例えるなら、鋏で糸を切るぐらいの自然さで
ゾロを拘束していた鉄の鎖はプツリと切れた。

ジャラジャラジャラ…と音が鳴り、ゾロの体から全ての鎖が床に滑り落ちる。
同じ方法で手枷も切り解いて、それからすぐに自分の手に刀を受け取り、足の拘束も切って捨てた。

「凄エ…」と呆然とするタワシに目もくれず、ゾロはすぐにサンジに駆け寄る。

掻き抱くように抱き上げて、そっと硬い、と言った腹に掌で触れた。
圧迫するつもりはなかったのに、摩ろうと少し手に力を入れた途端、
サンジは「…うぐぁっ!」と激痛に声を上げ、体を戦慄かせる。

腕に抱いて、その尋常でない苦しみ方と体の熱さに、またゾロの心は激しく揺れた。

(どうすればいい。どうすれば、こいつを助けられる)

チョッパーがここに来るまで待つか、それとも動いてチョッパーを探すか。
その選択を間違えば、きっと、取り返しのつかないことになる。

そう思ってゾロはサンジの顔に目を落とした。
さっき苦痛に声を上げたけれど、意識はもう殆どない。呼吸もひっ迫している。

(…手遅れになる)と直感でそう思った。
一刻一秒を争うのなら、待ってなどいられない。
「タワシ、退け。格子をたった斬る」

ゾロはそう言って、サンジを一度床に寝かせ、立ち上がった。

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