翌々日の朝から、サンジはなんの支障もなく生活出来る様になった。
ただ、まだ自由に歩く事は出来ない。

足の甲から膝の下までぎっちりとギプスで固定されてしまった。
(なんでこんなに厳重に固める必要があるんだ…?)と思うのに、
その理由を理解出来ないでいた。

いつ治るのか、いつ杖無しで歩けるようになるのか。

サンジが知りたいのはそれだけなのだから、
チョッパーはとても丁寧に説明してくれたのに、
(そんなの聞いたって、どうせ大袈裟な治療に文句を言いたくなるだけだ)と思い、
(それなら最初から聞かなきゃいい)とふて腐れ、つい適当に聞き流してしまったのだ。

足首と膝が自由にならないと、こうまで歩きにくいかと思うほど歩きにくい。
杖に体重を預けないと、酷くバランスが取りにくく、まともに歩けないのだ。

こうなると、忌々しいが、やはりウソップの杖は役に立つと思う。

「長鼻君に御礼を言うのよ」と言うロビンとの約束は実はまだ果たしていない。
それもサンジは気に掛かっていた。

正直、役に立つとは思うが、杖なんかに感謝もしていない。
(ギプスさえ外してくれたら、普通に歩けるんだし。心にもねえ、上っ面だけの
礼を言うくらいなら、言わない方がマシだしな)
(…でも、ロビンちゃんと約束したし…)

そんな事を考えながら、サンジは夕食の後に出すデザートを作る為に使う蜜柑を
取りに、階段をゆっくりと昇っていた。

コツ、と杖を一段上に突き、それからそこへ ぐっと体重をかける。
それから無事な足を 杖を突いた段に乗せ、そろそろとギプスがはまった足を引き上げる。
ゴツ、と鈍い音がして、それからまたもう一段上にコツ、と杖を突く。

コツ、ゴツ…コツ…ゴツ…と自分でも腹が立つほど、ゆっくりしか昇れない。

「…無理に昇ってくる事ぁねえだろ。誰かに頼めば済む用事だろうが」

足元を気にしながら登っていたから、蜜柑の木の側に誰かがいる事など全く気に
していなかった。
ゾロの声でそう言われ、思わずサンジは顔を上げる。

なんだかとても久しぶりにゾロの声を聞いて、ゾロの顔を見た気がした。
その途端、さっきまですっかり忘れていた、恨みつらみを一気に思い出す。

よく晴れた空と、降り注ぐ太陽光が逆光になってゾロの顔に影がかかっている。

(…そうだ、そもそもこいつの所為で俺は杖を突くハメになったんだ…っ!)

ゾロがサンジの足の異常を最初に気付いて、それをチョッパーに教えた。
(こいつがあんな余計な事しなきゃ、勝手に治ってたかも知れねえのに)とサンジは
(ギプスが外れて歩けるようになるまでこの恨みは忘れねえぞ、俺は)と
未だに思っている。

そしてもう一つは、得体の知れない水に濡れて、呼吸ができなくなった時、
ゾロとルフィは肩が外れるかと思うくらいに力任せにサンジを押さえ込んだ。

喉になにやら管を突っ込まれてむせて咳き込んでいると言う、そんな状態なのに、
肩を外されそうで、腕も折るられるんじゃないかと思う程の
力でいつまでも押さえ込んでいた無神経なルフィとゾロに、
サンジは、八つ当たりに似た怒りをまだ腹に持っていた。

近々大爆発を起こさないと、(…どうにかなっちまう)と思っていたところだ。

(このタイミングで鉢合わせしたのは、ちょうどいい)、と、
サンジは目を細め、さも迷惑で、鬱陶しい、と言う感情をむき出しにして、黙って
ゾロを睨みつけた。

「ああ?なんだ」

いきなりそんな顔付きで見られて、ゾロは何の事がわからなかったのだろう。
怪訝な、そして「喧嘩を買った」顔で、サンジを睨み返してきた。

「そこ退け。邪魔だ」サンジが憮然とそう言うと、ゾロは何も言い返さず、
無言で階段を降りて来た。
そしてサンジが小脇に挟んでいた籠をいきなり引っ手繰った。

「…何しやがる!」思わず、その籠を庇うように、サンジは引っ張り返す。
だがゾロは構わずに「蜜柑、いくつ要るんだ」と籠から手を離さずに、尋ねてきた。

「余計なお世話だ」籠を引っ張る手により力を込めて、サンジは低い声でそう答える。
腹の底から、鬱憤がメラメラと込み上げてきた。
そうなると、口が勝手に動く。口調も激しく、声も大きくなる。

「俺は俺の仕事をする。蜜柑を採りに行くくらい、人の手を借りる程のこっちゃねえ!」
「可愛げのねえ事言うんじゃねえよ。人がせっかく…」と言うゾロの言葉に耳を貸す気など全くない。
乱暴に籠をひった繰り返し、「恩着せがましい事すんなってんだ!」と怒鳴った。

「なんだ、てめえのその態度は!心配してやってんのに!」とゾロの顔が急に険しくなる。
「誰もお前に心配してくれなんて、一言も頼んでねえよ!」とサンジは言い返す。

ゾロがどんな形相になろうが、サンジは怖くもなんともない。

意地を張っている事に、
逆恨みしている事に、
支離滅裂なへ理屈を言っている事に、
とても我侭で身勝手な事を言っている事に 気付きもしない。
だから、当然自分の間違いを省みる事もしない。

誰よりもかけがえないと思っている相手が、生きるか死ぬかの状態に陥っていて、
無我夢中だったから、力加減が出来なかったと言うゾロの都合など思い遣りもしない。

「てめ…!」サンジの暴言にゾロは一瞬絶句する。
だが、すぐに眉を吊り上げて、「なんだ、その言い草は!」と怒鳴った。
「その足じゃ階段の上り下りが辛エだろうと思って人が親切に言ってやってんのに!」と
腹立ち紛れなのか、またゾロがサンジから籠を強引に奪い取った。
「それが余計なお…」
ゾロから籠を取り返そう、とサンジは手を伸ばした。
その時、船が少し傾ぐ。

もうあと四段ほどで昇り切れるくらいにサンジは階段を昇っていた。
ギプスを嵌めた足がガクン、とその揺れの所為で階段を踏み外す。

(…あ!)
ゾロの手がサンジの手首を掴もうとしたけれども、間に合わない。

傾いだ船の揺れの影響で、サンジは放り出される様に、階段の縁を乗り越えて、
そのまま甲板に叩き付けられた。
グキン、ともゴキン、とも言い難い音が聞こえた次の瞬間、ギプスで庇われていた足からの激痛がサンジの体を駆け上がり、脳天に牙を突き立てられた様な衝撃に
サンジは声すら出せずに、喉の奥で(…うぐ…!っ)と呻く。

痛みを堪えながら、目を開けると、吹っ飛んだ籠と杖が甲板に転がっていた。

助け起こそうとするゾロの手を、サンジは乱暴に払い除ける。

無様に階段から転げ落ちて、その上、助け起こされるのは恥ずかしくて、
たかが歩けないと言うそれだけの事で、ゾロに同情されるのが、無性に悔しかった。

「…お前の所為だ」
痛みを堪えて、サンジはそれだけを言い吐き、立ち上がる。
その時に、ゾロの顔を一度でも見たら、自分の幼稚な感情と奔放な言葉がどれだけゾロを傷つけるのか分かった筈だ。
なのに、(何もかも、こいつの所為だ)とサンジはまた勝手に腹を立て、
〈顔もみたくねえ〉と、一度もゾロの顔を見なかった。

***

その夜。
サンジは寝付けなかった。

ゾロへの罪悪感からではない。

ギプスでギュウギュウと締め付けられた足が、指先まで痛くて、
ハンモックの上で寝返りさえ打てない。

(…血が止まるカモ。止まったらどうなる?指が腐って落ちちまうカモ…)と
悪くなる事ばかりが頭を過ぎる。

(このクソ硬エギプスさえ外せば痛みが大分マシになるのに…)

身を丸めて、サンジは恐る恐るギプスからほんのわずかに覗いている自分の足の指を
触ってみる。

じんじんと血流が流れている感覚と、熱い感覚、それからパンパンに腫れている感覚、
触れただけで じいん…と鈍い痛みとを感じて、また息を詰める。

(…ギプス…勝手に外したらヤべえかな…)
その考えが頭に浮かんだ時には、もうサンジはむっくりと起き上がっていた。

(…あいつに斬って貰うか。いや、待てよ。昼間の事があるからな…)
ゾロに頼みたいと思ったが、昼間の出来事を思い出すと、
とてもゾロに頼める筋合いではない。

次にサンジはピンク色の帽子を男部屋の闇の中で探した。
けれど、見つけた途端、(チョッパーに言っても、無駄だろうな…)と、思いなおす。
腫れる事も予測してギプスを嵌めたのだとしたら、きっと「ガマンしろ」と言われるに決まっている。

そうこうしている最中も、痛さは増してくる。
足の先から、膝へ、太ももへとジンジン響く痛みが広がっていく気がする。

「おい、…ウソップ」
「ウソップ…」

サンジはどうにかハンモックから降りて、ウソップに近付き、そのハンモックを揺らした。
しばらくすると、「…んあ〜…あ?んん〜。なんだあ。もう朝飯か?」と
ウソップは眠気眼で目を開けた。

「…、ちょっとお前に頼みたい事があるんだ」
「黙って…静かに、ラウンジへ行こうぜ?」

眠いから明日にしてくれ、と言ったが、そんなウソップの言葉など聞く気はさらさらない。

「俺が頼んでるんだぜ…」と静かに静かに目と低い声で脅して、
サンジはウソップを男部屋から連れ出した。


戻る    続く