「…、ちょっとお前に頼みたい事があるんだ」
「黙って…静かに、ラウンジへ行こうぜ?」

(…?なんだ?)

男部屋の中の小さな空気の揺らぎと、物音でゾロは眼が覚めた。
はっきりと頭が起きる前に、誰かを脅かす様なサンジの小声が聞こえて、
ゾロはその声がした方向に背を向けたままで目を開ける。

サンジに叩き起こされたウソップと二人、足音を忍ばせて男部屋を出て行ったらしい
とすぐに分かった。

(この夜中に…ウソップになんの用があるんだ?)と気にはなる。
だが、昼間の「お前に心配してくれ、なんて一言も頼んでない」と言われた事が
ハンモックの上に起き上がろうとするゾロの気を挫いた。

暗闇の中にうっすらと見える天井をぼんやり見ていると、ゾロの脳裏に、
つい数日前の騒動が鮮明に蘇えってくる。

「押さえつけといてくれ!」とチョッパーに言われるがまま、苦しがって暴れるサンジを
ねじ伏せていた自分の手を裏返して、ゾロは手の甲を顔の前に照らしてみた。

(…よっぽど苦しかったんだな…)
そこには、遮二無二足掻いて暴れたサンジが力いっぱい握りこんで、爪を立てて出来た引っかき傷が出来ている。

多分、自分の目から苦しさの余りに涙が零れていた事も、サンジは覚えてないだろう。
(あいつはすぐに治ったと思ってるだろうが…)
その後、40度を超える熱を出して、数時間は呻きながら眠っていて、
その間、仲間が、もちろんゾロも、どれだけ気を揉んでいたか、そんな事も絶対に
サンジは分かっていない。

(確かに、時間にすりゃ大したモンじゃねえ。でも、俺だって…
他のヤツラだって、当のロビンだって、ちゃんと目を覚ますか相当心配したんだ)
(もう少し、殊勝に心配させて悪かったとかなんとか、なんか言葉があってもいいんじゃねえか?)
(そもそも、あいつがなんで俺に怒ってるのか、それがわからねえ)
そこまで考えて、ゾロは溜息をついた。
(なんで、こんなに腹ン中でゴチャゴチャと考えなきゃならねえんだ)

言いたい事を言って、やりたい事をやればいいのに、何故、それが出来ないのか。
今だって、気になるなら、すぐに追い駆けて二人の不審な行動を咎めればいい。
それが出来ないでいるのは、そうやってサンジに手ひどくはねつけられた時、自分が傷つく事をゾロは知っていて、それに竦んでいるからだ。

(…柄にもねえ)
ゾロはそんな自分をすぐに自覚して、思わずチっと舌打ちをする。
けれど、胸の中に澱んだ空気を吸い込んだような重さは消えてはくれない。
自分で自分の気分の浮き沈みを全く制御出来ない事にゾロは未だに戸惑う。
サンジと言う人間に対して、他の誰にも持った事のない特別な感情を持った時から、
ずっとその感情に振り回されている。

深く熱く想う気持ちが募り、その気持ちはお互い同じだけ持っている筈で、
そう信じているのに、かけがえないとサンジを想えば想うほど、そうなる前には
気にも留めなかったたくさんの暴言に、傷つけられる事が多くなる。

近付いたと驕っていたら、いきなり思い切り突き放される。
ようやく手に入れたと思っていたモノを乱暴に腕の中から取り上げられた様な
戸惑いと驚きの連続に、ゾロは気が休まる暇がない。

取り上げられても、突き放されても、
取り上げられる度に、突き放される度に、もっともっと欲しくなる。
いつだって、誰よりも深く理解し合って、求め合っていたい。
ゾロにとって、サンジと、サンジの心はそれだけ価値のある存在だった。

〈…そう思うなら、寝てる場合じゃねえな〉
傷つけられるのが怖いから、と立ち竦んでいたらサンジの心は、欠片を拾う程しか
手に入らない。けれど、たったそれだけでは絶対に満足出来ない。

鷲づかみにして根こそぎ全部自分のモノにしたいと思うなら、腹の中で愚痴をこぼしているだけの時間など無駄だ。
ゾロはやっと腹を括る。体を起こし、ハンモックから降りた。

* **
「勝手にいいのかよ…。知らねえぞぉ、チョッパーが怒っても…」
「いいから、さっさとやれよ」

ラウンジのドア越しにウソップとサンジの声が漏れ聞こえてくる。

ガキン!と石の様に硬い何かを鉄の楔で割る様な音が聞こえた。
その途端、「痛っエ…!」とサンジが強張った声を上げる。

「うわ…、腫れてんなぁ、触っただけで痛エんじゃねえか?」
「…い、いいから早くギプスを割ってくれ。これさえ外せば大分楽になるんだ」

そこまで聞いて、ゾロは無言でドアを開ける。

サンジとウソップは全くゾロの気配に気付いていなかったのか、驚いてゾロの方へ
二人同時に顔を向けた。

サンジは「ウソップ工場」の上でギプスを嵌めた足を投げ出して座り、
ウソップは鉄の楔と金槌を振り上げて、そのまま固まってしまっている。

「…、なんだ、ゾロ、お前かぁ」とウソップはほ、とした様に体から力を抜いた。
「チョッパーだったら、俺まで怒られるトコだったぜ」

ウソップの言葉を最後まで聞かずに、ゾロはサンジの足に目を落とし、
「それ、外すのか」と、どちらにと言う事もなく尋ねた。

サンジはゾロの顔をしばらく呆然とした顔で眺めていたが、
ゾロの質問に「…ああ、」と、困惑を隠したようなくぐもった声でそう短く答える。

「砕くのは時間が掛かるし、衝撃もあるだろ」
「…外してやるよ」

サンジが何をしようと、どう言おうと、自分のしたい事をすればいい。
何もかも、サンジの為、サンジを思う為にする事だ。
後ろ暗く思う事はない。非難されたり罵られたりする筋合いはない。
ゾロはそう腹を括って、座り込んでいるサンジを見下ろした。

「まさか…ゾロ、斬るのか!?ギプスだけを…!?」

どことなく気まずい二人の間に挟まれた気まずさに気付いたのか、
ウソップが道化の様に芝居がかった驚き方をする。
そう言っておいて、すぐにポン、と手を鳴らし、
「…、あ、でも、まあ、ゾロならそれくらいどうって事ないか」と一人合点して、
サンジに「スパっと斬って貰えよ、サンジ」と、愛想笑いをしてみせる。

夜中に叩き起こされ、後で絶対にチョッパーに怒られると分かっている事を
無理矢理させられ、その片棒を担がされた挙句、気まずい二人の間に挟まれて、
身動きとれずにアタフタしている。
そんな今のこの状況は、ウソップにすれば、全く迷惑な話だろう。

「世話かけたな、ウソップ。お前は何も知らなかった事にして寝ろ」
サンジが何かを言う前にゾロはウソップにそう言った。
「そ、そうか?じゃあ俺は」と言って、そそくさと道具をしまおうとしたウソップを
サンジは「ウソップ!」と尖った声で呼び、鋭い目で睨みつけた。

「…俺は、お前頼んだんだ」と低くすごむサンジの様子にウソップは
「でもよぉ…、ゾロが…」と言いつつ、ちらりとゾロに目で助けを求めてきた。

「いいから、行けよ。気にすんな。お前まで振り回される事はねえ」とゾロは
言って、ウソップの腕を掴む。そのまま、ドアまで軽く引き摺っていき、それから
ドアを開けて、ウソップを外へ押し出した。
「悪かったな」ランプを照らしていたラウンジから、真夜中の甲板に出たウソップに
ゾロは小声で、サンジの我侭で叩き起こした事も、邪魔者を引きずり出すような格好で
ウソップをつまみ出した事など、色々な事を含めて短く謝った。

「余計な事かも知れねえけど、…喧嘩すんなよ?足、相当痛そうだ」
「お前も言いたい事イッパイあるかも知れねえけど…」
「自分の足が自由にならない事でかなりイラついてるから…」
ゾロに囁いたウソップの言葉からは、振り回されても、脅されても、サンジの事を心配し、
気遣っている事がはっきりと感じ取れる。


「ああ、分かってる」
ゾロは深く頷いて見せ、それからドアを閉めた。

***

サンジは観念した様に、ゾロに黙ってギプスを嵌めた方の足を預けた。

足を傷つける事無く、ギプスだけを斬る事くらい、ウソップの言うとおり、ゾロにとっては朝飯前だ。

下手な会話を交せばまた余計な諍いの種になる。
サンジもそう思うのか、もう何も言わない。

ギプスを外すと、一目でサンジの足が腫れあがっているのが分かった。

脛から下が熱を持ち、腫れていない方の足と比べれば、倍とまではいかないが、
皮膚が最大伸び切れるだけ伸びている様な感じだ。

そっと指でチョッパーが「折れた」と言っていた足の甲の上に指で触れると、
「…ツ…」と喉の奥で小さく呻くのが聞こえた。

せっかくもう少しで杖を突かずに歩けるまで回復していたのに、
これだけ腫れていると痛いだろうし、腫れが引いてもしばらくはまだ杖が要る。

自分の足が傷んでいる訳ではないし、体のどこも痛くないのに、サンジの腫れた足を見ていると、ゾロは疼く様な痛さを胸の奥に感じた。

「階段、落ちた時に筋を捻ったのか」
「…悪かった。俺が無理に籠を引っ張ったりしなきゃこんなに腫れる事なかったのに」

苦しがって暴れて歪んでいた顔や、苦しさに耐え切れずに目尻から涙を流していた顔、
眉を寄せて真っ赤な顔をして眠っていた顔を見ている時も、同じ様に胸が痛かった。

サンジが辛いと自分も辛い。
そう思う事を伝えたいのに、言葉で伝えると、あまりに白々しく、その感覚が軽くなる。
そう思うから、ゾロは一切、そんな事を口に出す気はない。

顔を上げるとサンジと目が合った。
昼間見た険しさはどこにもない。
感情をむき出しにすると、不思議とサンジは年よりもずっと幼く見える。

困惑し、戸惑って、何をどういえばいいのか、分からずに呆然としている。
ゾロを見つめているその表情は、まるで悪戯盛りの少年の様だった。

「冷やせば、きっといくらかは楽になる」

そう言って、ゾロは腕に巻いていた手ぬぐいを水で濡らし、サンジの足の甲に
そっと押し当てた。

それが熱を吸って温もる度にゾロは何度も同じ事を繰り返す。
その単純な作業の中、ゾロの手がサンジの足に触れる。

「…大分…楽になった」
腫れはさほど引いていないが、サンジはポツリとそう呟いた。

「そうか。眠れそうか」と尋ねると、サンジは声を出さずにただコクンと一つ頷いた。
「じゃあ、俺は戻る」
ゾロは立ち上がる。
駆け引きをする気は全くなかった。
男部屋まで連れて帰る、と言ったところでどうせ「一人で歩ける」と言うに決まっている。
そう思って、ゾロはサンジに背を向け、ドアノブに手をかけた。

「…もう寝るのかよ」
サンジの意を決したかのような声が引きとめられ、ゾロは耳を疑い、立ち止まる。

「足、…少しさすってくれると、もっと楽になるのに…」
「そうしてくれると…、俺は落ち着くんだが…」

そう言ってサンジは甘えるようにゾロに微笑みかけていた。



恥ずかしそうな、でもとても優しいゾロしか知らない笑顔に、
(…やっと、分かったか)とゾロは嬉しくなる。

心配していた、と言うゾロの気持ちをようやくサンジは汲み取ってくれた事が嬉しい。
そんな風に言葉を使わずに分かり合える事が嬉しい。

殊勝な言葉も態度ももう要らない。心からそう思った。

サンジの前に跪き、その足にそっと手を伸ばしたゾロをサンジが柔かく抱き寄せる。

心臓の音をこんなに近くで聞けるのは自分だけだと言う事が、今更ながらゾロは嬉しい。

心配させたな。でも、もう大丈夫

そんなサンジの心の声が、心臓の音と、髪に口付けた唇の感触からゾロの心に
響いてくる。

「…へそ曲がり」つい、嬉しすぎてゾロは笑いを堪えながらそうなじった。
「…仕方ねえだろ。ちょっとは嫌気もさしただろ」
頭の上から聞こえてくるサンジの声は、少し照れ臭そうでバツが悪そうだ。

「いいや。こんな事で嫌気さす程、俺は度量の小さい男じゃねえよ」
そう言いながら、ゾロもサンジの体に腕を回した。

(なんだかんだ言っても、最後には結局、こうやって俺の腕の中に収まってるんなら)
(なにも文句はねえよ)

そんな事を言えば、折角腕の中に閉じ込めたサンジの心がまた飛び出してしまいそうで、ゾロは心の中でその傲慢な言葉を呟いた。

(終わり)




最後まで読んで下さって有難うございました。

この話の中で出てくる杖はいわゆる松葉杖じゃなくて、片腕で支えるタイプのやつです。

番外編の元ネタは。

夏インテの翌日、朝起きて関西ローカルの番組、「痛快エブリデイ」って番組を
虹子さんと見ていました。

ちょうどその時、企画で毎朝、関西で活躍している芸人さんの芸を見るって言うのを
やっていたのですが、

そこでトリに出てきた落語家が「桂ざこば」でした。

関西では、結構ちゃんと落語が出来る大物なんですが、その時は、
落語じゃなくて、「なんで骨折したか」「骨折がどれだけ難儀か」って言うのを
オチもなく、ただ必死に喋ってるのを見ていました。

「ギプスをしたまま腫れるとそこまで痛いのか」とか、話の内容そっちのけで、
この話をどうゾロサンに当て嵌まるかって事を、二人で目をキラキラさせながら
聞いていて、生まれたのがこのネタです。

さて、くったり祭りも残すところあと一つになりました。

最後は「いかにもレストラン!」って言う話をお送りしたいと思っています。

それでは本当に最後までお付き合い下さいまして、有難うございました。


2005年11月7日    戻る