「読みかけの本があったから」
なんでここにいるんだ、ロビンちゃん?そう聞かれて、ロビンは笑顔で
そう答えた。
ここは、ログからほんの少しだけ外れた島。
季節は初夏、さわやかな海風が、ふたりきりの船の上、甲板の上をのどかに撫でていく。
「・・・皆、降りたのに・・・」サンジは、まだ驚きの感情を整理できないと言った、
どことなくあどけない顔をして、そう呟いた。
「だって、気になったんだもの、読みかけの本と・・・コックさんが」
この島には、二つ、大きな港がある。
一つは海軍の船が停泊している表の世界の港。
もう一つは、奴隷船や、海賊船、あるいは密漁の船など、裏の家業専門の港。
当然、麦わらの旗を掲げたこの船は、島の裏側に当たる、裏家業専門の港に碇を下ろしている。
ほんの一時間前。港に碇を下ろした後、皆は、甲板に集まっていた。
「便利の悪い島ねえ。航海に必要な材料を揃えるのに、表の港寄りの町まで行かなければならないなんて」ナミはそうぼやいたが、
「仕方ねえよ、あっち側は海軍の目が光ってる。その所為で、こっちの裏の港より
ずっと治安がいい筈だぜ。俺達には、ヤバイ場所だけどよ」とウソップがしたり顔で知ったかぶりに答えていた。
「素人が海賊だの、人買いだの相手に商売するんだ。揉め事なんか、少ないほうがいいに
決まってる。だから、そう言う仕組みが出来上がっちまったんだ」
行って、帰っても、一日で用は済む。
「船番は誰がするんだよ」とゾロがナミに尋ねると、
「この港で、人の船に手を出して、騒ぎを起こそうってバカはいないわ」と言い、ロビンに
同意を求めるように、視線を投げてきた。
「そうね、」とロビンは頷き、
「すぐ近くに海軍がいるんだもの。はした金目当てで騒ぎを起こして海軍に
捕まったら、元も子もないでしょうから」とナミの意見に同調する。
「じゃ、皆で町へ行くんだな!」とルフィが嬉しそうにそう言った時。
サンジが不機嫌そうに、「俺は行かない」と言い出した。
「食材も、まだあるし、買い足す必要もねえから」と言っていたが、誰もそんなサンジの
言葉は信じなかった。
「・・・そっか」とルフィは少しだけしょんぼりした顔になる。
サンジは、強烈な敵意を篭めた眼差しを一瞬、ゾロに向けた。
「・・・てめえが余計な事を言わなきゃ・・・」とその眼差しは言っていて、
明らかにゾロに腹立ちをぶつけていた。
サンジは、ここ数日、ずっとゾロに対してそんな態度をとり続けている。
「・・・で、でもさ、せっかくウソップにそれ、作ってもらったんだし、」
そう言って、チョッパーはサンジの右の腕を指差した。
マストに凭れて立ってはいるが、サンジの右腕には、ウソップが作った、
「ロフストランドクラッチ」と言う名前の杖に良く似たモノが握られている。
「多少は不便でも歩けないわけじゃないんだからさ、一緒に行こうよ・・・?」
チョッパーがサンジの機嫌を取る様に、おずおずしながらも上目遣いに言っても、
サンジは口をへの字に曲げたまま、それでも、チョッパーにだけは口答えしないつもりなのか、
黙っている。
(・・・仕方のない子ね、・・・)
サンジの大人気ない様子を見て、ロビンは可笑しくなった。
「歩くのが面倒なんだよ」
サンジはそう言ったが、恐らく、仲間に気遣われるのが嫌なのだろう。
それを知っているから、チョッパー以外は、サンジに無理強いはしない。
したところでますます頑なになり、意地を張るのは分かりきっている。
だから、結局サンジ一人を船に残し、皆は町へ向った。
けれども、ロビンは途中で引き返し、船に戻った。
別に、読みかけの本の内容が気になったのではない。
しんと静まり返った船で、サンジが何をしているのか、妙に気になったからだ。
※※※
「・・・剣士さんを恨むのは、筋違いじゃない?」
「・・・別に恨んでるワケじゃないケド・・・」
二人きりになって、ロビンは適当な本を読む振りをしつつ、サンジをやんわりと戒める。
仲間の前だと、特に男連中がいると、サンジは意地を張り、強がって、誰の話にも耳を貸さない。
おそらく、ナミも誰もいないところで、サンジに一言、「無理をしないで」と釘を刺しては
いるだろうけれども、その効果の程は多分、あまり期待は出来ない。
サンジの脚は今、長年の酷使が祟って、足の甲と足首が折れている状態だ。
ポッキリと折れているのではなく、「今にも折れる寸前」だ、とチョッパーは言う。
サンジのその足の異変に一番最初に気付いたのは、ゾロだった。
「一緒に戦って、あなたの蹴りがいつもと違うって、それで気付いてくれたから良かったのよ」
「・・・ずっと、折れた場所が痛んでいたの、誰にも言わなかったでしょ?」
ロビンがそう言うと、サンジは膝を抱えて座ったまま、一つ、不服そうな溜息をついた。
けれども、頷きはしない。
どうしても、「チョッパーに余計な事を言いつけた」ゾロに対して、感謝などしたくはないらしい。
「・・・こんなの、ほっとけばそのうち治る範囲の痛みだよ」
「あら、船医さんの診立てを否定するの?」
ロビンの言葉にサンジはまた黙り込む。
拗ねた子供の機嫌を取るように、椅子に腰掛けていたロビンは本を閉じ、サンジの隣に
腰を下ろし、顔を近づけた。
「動かさずに安静にしていれば、すぐに治るって言われたじゃない」と言っても、サンジの
曇った顔は晴れない。
ロビンに対してさえ、今のサンジは、自分の感情を隠せていない。
いつもなら、こんなに側に近付いて、優しい声で話しかけたら、
喜んで喜んで、踊り出していたかも知れない。それなのに、少しも表情が動かない。
「相当、「脚を使えない」事に落ち込んでいるのね・・・」と思わず、ロビンは独り言の様に
呟いた。
「こんなに大袈裟な固定なんかしなくていいのに・・・」
サンジはそう言って、忌々しそうにがっちりと固定された足首と足の甲を恨めしそうに見る。
(・・・そうしないと、動かすから仕方なく、固めたのよ)
大袈裟だと分かっていても、チョッパーは敢えて固定した。
その事情を知っていても、ロビンは口には出さない。
言えば、勝手にその固定のギプスを外すか、出来もしないのに「安静にするから外してくれ」と
言い、チョッパーを困らせるに決まっている。
「・・・皆、あなたも、あなたの足も大事だからしたことよ」
「・・・分かってるけど」
「これくらいの事で、杖なんか突いている事が腹が立つんだ」
そう言って、サンジは船べりに手をかけ、立ち上がった。
「・・・読書の邪魔だね。なにか、飲み物入れてくる」
(・・・いいのよ、そんな事しなくても)
ロビンの喉からもう少しでそんな言葉が出そうになる。
それを慌てて、ロビンは強引に飲み込んだ。
「ありがとう。冷たい・・・そうね、お酒がいいわ」
万が一、途中で転んでも、作る最中によろめいてこぼしても、冷たい酒なら火傷の心配はない。
(・・・樽のジョッキに入れてきてくれる?)とまで言いかけたが、それもまた飲み込む。
落としても割れないジョッキまで指定すれば、流石に気遣っている事をサンジに悟られてしまう。
サンジを、かけがえのない仲間だとは思っているけれど
ロビンは、医者でもなく、ゾロの様にサンジを特別な存在として見ているワケでもない。
だから、サンジが本気で弱みを隠そうとしたら、それを見抜ける自信はロビンにはなかった。
ごく自然に振舞っていれば、きっと、サンジも自然に、素直に振舞うだろう。
その状態でなら、いつでも、サンジの辛さや、痛みに気付くことが出来る。
そうなると、サンジに余計な警戒心を起こさせないようにしなければならない。
極力、いつもどおりに振舞おう、とロビンは自分に言い聞かせる。
(・・・今まで、数え切れないくらい人を騙してきたのに、)
ロビンは、思わず自分の決意に小さく自嘲する。
サンジに対して、さまざまな気遣いを隠す事に四苦八苦している自分が可笑しかった。
ロビンはサンジを待つ間、もう一度椅子に座りなおして、持って来た本に目を落とす。
ふと、太陽の光が翳った。
雲に遮られたのか、と思ったが、ロビンは何気なく空を見上げる。
(・・・さっきまで晴れていたのに・・・一雨、来るかも知れないわ)
青い空を灰色の綿で覆っていくように、雲は風に運ばれて、みるみるうちに空に広がっていく。
それを呆然とロビンが眺めていると、コツ・・トン、コツ・・・トン、と杖を突きながら
歩いてくる足音が近付いてきた。
「・・・雨、降るね」いつもように行儀良く銀色のトレイに乗せて、酒を運びながら、
サンジも空を見上げた。
その頃には、もう完全に日の光は雲に遮られて、あたりは薄暗くなっている。
「お酒は、中で頂くわ。とりあえず、」
中に入りましょう、と言ってロビンは立ち上がる。
頭のてっぺんから、ポタリ、と音がした。
そして、すぐに肩先に一滴、ポタリ、それから、甲板へ・・・雨の雫が雲の上から
零れ落ちてきた。
ポタッポタッポタ・ポタポタポタポタ・・・・ポタタ・・ポタタ・・・
甲板へと降って来る雨のリズムは呼吸するごとに早くなる。
「これは、土砂降りになるわ、中へ入りましょう!」とロビンは、思わず、サンジに
駆け寄った。
少しでも早く歩ける様に、と咄嗟にロビンはサンジの肩に添えようと、手を伸ばした。
けれど、サンジは逆に「ロビンちゃん、早く!」と杖から手を離し、ロビンに手を差し出した。
カラン、と音を立てて、杖が甲板に転がる。
風が出て、波も高くなった。
「コックさん、杖を離しちゃだめよ!」と言うより早く、杖は傾いだ船の甲板を滑り、
サンジから離れていく。
拾うつもりで、ロビンはその杖を目で追った。
その直後、船は反対側へ波に煽られて傾ぐ。
「うわ!」
バランスを崩したのか、それとも濡れた甲板に足を滑らせたのか、サンジが甲板にうつ伏せに
倒れる。倒れまい、と踏ん張り無理に力を入れた所為で、足に痛みが走ったのか、
手をついた瞬間、その顔が大きく歪み、「・・・くっ・・・っ」とうめく声が聞こえた。
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