空一面を灰色の雲が覆い、横殴りの雨が降り始める。
ロビンはサンジを抱かかえて、ラウンジに駆け込んだ。
けれど、結局二人とも服のまま水に飛び込んだ様に、全身くまなく
ずぶ濡れになってしまった。

「・・・大丈夫?」ととりあえず、椅子に腰掛けさせ、顔を覗き込んだ。
「ロビンちゃんこそ・・・着替えなきゃ」
サンジは、そう言って、やや顔を逸らす。

女好きだけれど、サンジは女性に対して妙に初心なところがある。
ナミやロビンが肌を露出した服装をしていたら、足だの、腕だの腰の細さだのを
褒めちぎる癖に、こんな風に濡れた衣服に肌が透けていたりすると、
やや頬を赤らめて、なるべく見ない様に、それとなく目を逸らす。

そんな仕草を見ると、サンジが根っからの同性愛者ではないことが良く分かる。
つまり、サンジにとっては唯一、ゾロだけが究極の例外なのだ。

「・・・じきに止むでしょう。雨に濡れてまで着替えを取りに行くのは面倒だわ」

洗いがえ用のテーブルクロスを借りて、ロビンはとりあえず髪と顔を拭った。
それから、椅子に座らせたサンジの足を診るために、その足元に屈む。

「・・・な、なに!?」
女性に跪く事はあっても、跪かれた事がないサンジは、ロビンがその足に触れる前に
慌てて、椅子の上に足を引っ込める。

「・・・さっき、捻ったみたいに見えたんだけど,。ちょっと、診せてちょうだい」

そう言って、ロビンは強引にサンジの足首を床に下ろし、包帯を手早く解く。
風と雨はますます強くなっていき、逆に外から差し込んでくる光はどんどん弱くなっていく。
そして、時折、二人が首を竦めるほどの激しい雷鳴が轟き、
稲光が一瞬、ラウンジの中に強烈な翳を作る。

「・・・随分、荒れてるね・・・」
サンジは、きっと、船の外にいる仲間が心配なのだろう。
ラウンジの外に目をやり、僅かに体を捻った。
「動かないで」とロビンは静かに、けれども、毅然とそう言って、サンジの足首を
固定していたギプスを外した。

こんなに間近に男の足を見た事はない。
第一、 見たいと思った事もなかったし、どちらかと言えば、男の足など、触りたいなんて、
死んでも思わない類のモノだ。

けれど、今、自分はその男の足を注意深く診て、触ろうとしている。
その事に、ロビンは(・・・何故、私は嫌だと思わないのかしら・・・)と、
自分でも自分の行動と気持ちに説明がつけられない、不思議な感覚を感じていた。

多少は、男の足らしく、毛も生えている。
けれども、足首の細さ、足の甲の皮膚の白さと滑らかさ、桃色の爪の色の血色の可愛らしさは、ナミの足と全く引けは取らない。

(細い足ねえ・・・)
むしろ、こんなに細く、華奢な足であの強烈な蹴りを出せるのかと、
じっくり診れば診るほど、信じられなくなってくる。

「・・・痛かったら、我慢せずに言うのよ?」そう言って、ロビンはサンジを見上げる。
「痛くないよ、どこも・・・」

サンジがそう言った瞬間、ロビンは不自然に足の表面から浮き出ている筋をトトン、と
指で強く突付いた。

その途端、握りこんでいたサンジの足の指がビクッ、と強張る。
だが、痛い、とは言わなかった。
別にその筋だけが痛いのではないだろう。
ロビンの指が突付いた、その振動そのものが電撃のようにサンジの足全体に激痛を
走らせているかも知れない。

(・・・やせ我慢してるのかも・・・)と思った。
サンジに気付かれないように、今度はその表情の変化にも気を配り、
「ここ、痛くない?」と、さっきより少し強めに同じ場所を指でトン、と叩いた。

反射的にサンジは足をロビンの手から引っ込めようとする。
そして、盗み見た表情も、眉を寄せ、「痛い、」と上げそうになる声を噛み殺すように、
湿気た煙草をギュ、と噛み潰していた。

「・・・さっき、転んだ所為で・・・完全に折れちゃったかも・・・」と
ロビンは思わず呟いた。
「・・・まさか、あれくらいで折れたりしないよ。ちょっと弱ってる部分を強くぶつけたから痛いと思っただけだ」

サンジはそう言うけれど、今、こうしている間にも、患部はみるみる内に腫れ上がって来る。
当然、その場所は熱も帯び始めた。

(・・・冷やさなきゃ・・・)とロビンは一旦、サンジの足から手を離して立ち上がった。
サンジは少し、緊張が解れたのか、
「・・・ロビンちゃん、・・・雨、止んだかも」と外へと視線を向けた。
「あ・・・そうね、雨の音が止んだわね」と相槌を打つと、「着替えて来たら?」とサンジは言う。

「そんな色っぽい格好されてたら、目のやり場に困っちまうよ」
「あら、そう?サービスのつもりだったのに」

ロビンは笑いながらそう言い返した。
確かに、濡れた格好だと体が透けるが、それ以上に気持ちが悪い。

「ついでに男部屋によって、コックさんの服も取ってきてあげるわ」
「適当に選んでくるけど・・・構わないでしょ?」

ロビンがそう言うと、サンジは「ロビンちゃんが見立ててくれるなら、喜んで着るよ!」と
嬉しそうに笑った。

「じゃあ、待っててね」
そう言って、ロビンはラウンジのドアを開ける。

強烈な雨の後、晴れてきたらもしかしたら、虹でも見られるかも。
そんな気持ちでラウンジを出た。

ところが。一歩出たとたん、
「視界が・・・こんな事って・・・」と愕然とする。
サンジが足を引き摺って、すぐ後ろに立つ。

そして、やっぱり、ロビンと同じ様に小さく息を飲んだ。
「こんな天気の変わり方、初めてだ・・・」と呟く声がすぐ側で聞こえる。

「雷雨の後に、濃霧だなんて・・・。停泊してなかったら、大慌てね」
「・・・それより・・・ロビンちゃん、船、変な揺れ方してない?」

あたりは、すぐ隣に停泊していた船の姿も白い膜に包まれてうっすら見えるくらいの霧に
包まれていて、見渡す限り、真っ白だった。

風もいつの間にか止み、シンと静まり返っている。
視界が遮られていると、聴覚も何かに塞がれた様に、港の喧騒も聞こえてこない。

「変なゆれ?」
「風もないのに、・・・こんなに波が強くて・・・。なんでかわからないけど、
この揺れ方は、」

近くに海王類が遊んでるみたいに、不規則で気まぐれだ、とサンジは言った。

「・・・海王類が?いいじゃない、別に。船を破壊するほど大きなモノは、
この港に入って来れないでしょうし。小さな海王類が悪戯をするくらい、
そんなに気にしなくても・・・。」

「・・・海王類・・・なら、いいんだけど」

そう言って、サンジが眉を曇らせた時だった。

濃霧の向うで、船が横倒しになるような轟音と水音が響き渡った。

「なに?!」
ロビンがその音の上がった方向へ顔を向けたとき、そのアオリを食ったのか、
乱れて高い波がゆらゆらと全くデタラメな波動で、船に押し寄せてくる。

足場がゆらゆらと揺れ始めた。サンジは手すりにしっかりと捕まり、もう二度と無様に転ぶまいと
片足を踏ん張っている。

「・・・なんだ、何が起こってるんだ」とサンジの顔にも緊張と不安が過ぎった。

ロビンは、階段を下り、海が直接覗き込める甲板へと走る。
そして、船べりから海を見下ろした。
「・・・波の波動が確かに変だわ・・・」

何がどう変なのかは、具体的にはわからない。
けれども、明らかにその波紋は、天候の所為ではないとなんとなくわかった。

ただならぬ事が起きようとしている。

そんな思いのまま、ロビンはじっとその波紋を眺めていた。

海の表面に薄い膜が張った。
透明な、それはまるでゼリーの様た。
海の上に浮かんで、ふるふると震えている。

(・・・いえ、浮かんでいるのではないわ。海から、栄養を得て、成長してるみたい・・・)と
ロビンはその膜をそんな風に捉えた。

その透明な塊はプクリ、プクリ、と時間を追って増えていく。

バラバラのその透明なゼリーが仲間を呼び集めて合体するのに、ものの10分も掛からなかった。

まるで、細胞をそのまま巨大化させたような生物が海の上にのったりと現れる。

透明で、しかも巨大なナマコのような生き物は白い霧の中を気まぐれにうにょりうにょりと
不規則に動き、点在している透明な仲間達を集めて、どんどん大きくなっていく。

「・・・なんだ、ありゃ・・・」
「あまり、私達にとって都合のいいモノではなさそうよ」


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